" 文を以て友を会す "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
冬至 (とうじ) 次候
七十二候
麋角解(しかのつのおちる)
第六十五候。12月26日から12月30日頃。大型の鹿の角が落ちる時期にあたる。
メスの鹿は角が生えませんが、オスの角は根元からポロッと自然にとれて春にはまた新しい角が生えてきます。
今日のお題
『ぶん を もって とも を かい す』
" 文を以て友を会す "とは
論語の一説だ。
学問や教養、
文化や趣味などを通して
良き友人と出会い、
交流する。
趣味や教養を
共有することで、
心を通わせ、
深い友情を築くことができる。
そういう友からは
色々な事を学べる。
「会す」とは
単に会うだけではなく、
心を通わせ、
深く交流するという意味がある。
豊かな人生をおくるためには
そういう友が必要になる。
一生涯付き合える友である。
友達を選ぶときの
基準にするべきです。
地位や金で選んだ友は
ろくなものではないのです。
合氣道を通して、
出会う道友も大切な友だ。
私の立場で申せば、
寺崎道場の子ども、親子、大人の
全てのお弟子さん方も皆、
" 文を以て友を会す "
良き友である。
また
兵庫県合氣道連盟の先生方や、
合氣道琴心館本部道場に
集まる、
先輩、後輩の方々、
また流派を超えて
知り合えた方々も皆、
良き友である。
人間の集まりなので、
時には
" 合わない人 " もいる。
それでも同じ志のもと、
尊重できるところはある。
ここで出会えた友の
一人ひとりに感謝して、
これからも大切にしていきたい。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 心の栄養とは "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
冬至 (とうじ) 初候
七十二候
乃東生(なつかれくさしょうず)
七十二候の第六十四候で、
ウツボグサが芽を出し始める頃です。
今日のお題
『こころ の えいよう とは』
人間の身体に
食物が必要なのと同じで、
心にも栄養が必要だ。
身体の栄養は食物ですね。
それでは、
心の栄養とは一体何でしょうか?
それは、
自分の得にならないことを
やることなのです。
自分のことや
自分のためじゃなくて、
誰かのために
何かをするってこと。
自分が得することしか
やらない人っていうのは、
心の栄養が欠乏するから
いつも不健康なんだ。
人間が卑劣で
外見も心も
非常にみすぼらしい。
こんな人間には
絶対になりたくないわ。
合氣道の稽古も同じでね。
自分が上達するためだけに
やる人は、
いくら一所懸命やっても
全く上達しないの。
やればやるほど下手になる。
そうではなくて、
組んだ相手を
上達させてあげる
という思いで、
一所懸命やってると
知らないうちに上達するもの。
それだから、
指導者、師範は
自分の稽古などしなくても
勝手に上達していく。
自分じゃなくて
人を伸ばしてあげる。
そういうことに
氣付かない人が結構多いのです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 自分の立ち位置と存在価値 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
冬至 (とうじ) 初候
七十二候
乃東生(なつかれくさしょうず)
七十二候の第六十四候で、
ウツボグサが芽を出し始める頃です。
今日のお題
『じぶん の たちいち と そんざいかち』
人生において
自分の立ち位置と
自分の存在価値を
あなたは知っていますか?
人間は勝手に生まれて
勝手に死んでいく
ものではありません。
人生の人生だから
好き勝手に生きる
ものでもありません。
しかし、
多くの人が
好き勝手に生きて、
自分さえ良ければ
それで良い。
そう思って
生きているように思います。
それは
自分の立ち位置が
定まらず、
存在価値を
知ることなく
育ってきたからです。
しかし、
それらは
日本人としての
根底を見失っていることに
なるのです。
それには
日本は戦後79年間の
「学校教育の歪み」が
深く影響しています。
現代に生きる私達は
この歪みを正すことが、
重要な責務なのです。
私達が今、こうして
生きているのは、
両親がいてくれた
おかげです。
その両親の存在も
祖父母がいてくれた
おかげです。
こうして
自分の「いのち」の
根源をさかのぼると、
遠い過去から現在まで
切れ目なく
連綿と続いて、
つながっていることに
氣付きます。
そして、
それは子、孫へ
未来へとつながっていく
縦軸なのです。
一方で
その縦軸に対して、
私達は、家族や
学校、職場の友達や仲間、
隣近所の地域の人々、
日本と世界の同胞 ( はらから )
とともに「今現在」という
同じ時間 ( とき ) を
生きていることが
横軸なのです。
つまり、
私達はこの縦軸と横軸が
互いに交わる点で
結ばれています。
その交わった点が
" 自分の立ち位置 " なのです。
子どものうちから
この自分の立ち位置を
しっかり、
教えなくてはいけません。
この自分の立ち位置が
定まってこそ、
自分の存在価値が
はっきりするのです。
「今、ここで生きている」
今ここで、
自分は何をすべきなのか?
自分を生かしてくれている、
日本の過去の歴史と
親、先祖に対する
感謝の氣持ちが
失われてしまったら、
これから先の未来に
存在価値も責任感も、
生まれてきません。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 小さくても命は命だ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
冬至 (とうじ) 初候
七十二候
乃東生(なつかれくさしょうず)
七十二候の第六十四候で、
ウツボグサが芽を出し始める頃です。
今日のお題
『ちいさく ても いのち は いのち だ』
命というのは尊いもの。
私達、人間の命は尊いもの。
それは人間の命だけではない。
小さな命も命には違いはない。
小さな虫の命も尊いはずだ。
それを
小さな虫の命など
お構い無しという人を
時々、見かける。
それが
てんとう虫や
カマキリの赤ちゃんなら
叩き潰したりしない。
しかし、
蚊を見つけると
即時に両手で叩き潰す。
また暖かくなってくれば、
蚊も飛び始める。
道場にも蚊は入ってくる。
道場では
殺傷力の無い虫除け線香で
蚊の侵入を防いでいる。
それでも時々、
稽古中に蚊を見つけたら、
戸惑うことなく
両手で叩き潰す
子どもや大人がいる。
見るに見かねて
注意したことがある。
害虫とは
人間にとっては害虫でも
天地大自然には、
何かしら必要な生き物だ。
私達、人間が害虫と
呼んでいるだけなのだ。
小さな小さな虫にも
私達と同じ、
尊い命がある。
「あっ、蚊や」
子どもが迷わず、
手で叩き潰す。
それは家庭で
親がそうしているから
なのだろう。
そして、
そのような人ほど
自分や子どもの命は
何よりも大切で
あるかのように言う。
傲慢極まりない人だ。
合氣道では技を通して、
相手の立場に立って
相手の氣を尊重する稽古をして、
常日頃から身に付けているはずだ。
そのような
立ち居振る舞いをしていて、
合氣道が上達するはずはない。
別に、
合氣道は上達しなくても
構わないが、
そのような人や家庭に
幸せは訪れるのだろうか。
生き物の命を
奪っておいて、
哀れさも感じないような
心の人は
決して、
幸せにはつながらない。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 一回の稽古はいつ終わるのか "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
大雪 (たいせつ) 末候
七十二候
鱖魚群(さけのうおむらがる)
七十二候の第六十三候で、
鮭が産卵のために群れをなして川を上っていく頃です。
本日のお題。
『いっかい の けいこ は いつ おわる のか』
毎年恒例となりました
12月の2週目から年末まで
約3週間にわたる
指導者育成、錬成 集中稽古。
その稽古法は
1回3時間の稽古のうち、
2時間が技の稽古で、
残りの1時間は
座学と呼吸法の稽古です。
人に教える立場の指導者は
技の向上が重要なことは
言うまでもありませんが、
最も重要なことは
心のあり方、考え方です。
" 人を教える " ということは
並大抵のことではありません。
指導者の理解度に対して
お弟子さんの理解度は、
大きくかけ離れています。
一所懸命、理解して
それを体得するべく
努力する
お弟子さんもいれば、
全く真逆のお弟子さんも
少なからず、いるものです。
人前に立って指導すると
お弟子さんのことが
よく分かります。
指導者と言えども
一人の人間ですから、
感情というものが
あるのは当然のこと。
しかし、
感情だけで指導しては
決してうまくいきません。
前に
この道場長ブログ
" ぼくらの合氣道 " にも
書き込みましたが、
王貞治さんの格言
「プロは自分のことを人間だなんて思っちゃいけない」
この境地に至るのは
至難のことです。
先頭に立つ私を筆頭に
ここに集まった
7名の指導者と
それを目指す者は
私を含め、
まだまだ皆、未熟者です。
この王貞治さんの格言が
身につくまで、
さらなる人間磨きを
やらねばなりません。
その上で
昨日、12月19日の
夜間稽古の座学から
その内容をここに記します。
人前に立って
お弟子さんを指導する。
大人、親子、
少年部の子ども達に指導する。
今、不肖私は
ここに立っている。
指導者と指導者を目指す
皆さんの前に立って
指導者育成、錬成稽古を行っています。
" この一回の稽古が
終了する時は
いつか知っていますか? "
それは皆さんが
寝る前に
「先生の言っていたことは、このことだったのか」、
夜道を歩きながら、
夜空を見上げ、
「あの時、先生が言っていたこと、やっと今、分かりましたよ」
一人のお弟子さんが
そう思った時、
その時、初めて、
その一回の稽古が終わるんだ。
私の師匠である
琴地 茂 先生から
教わった言葉が
「寺崎さん、指導者は忍耐ですよ」
その言葉が
私の心身の隅々まで
染み渡っています。
お弟子さんというものは
自分の思い通りになりません。
自分が思うように
伸びてもくれません。
無我夢中でやる人など
無に等しい。
指導者である
あなた方の思いや理解と、
お弟子さんのそれとは
大きくかけ離れる。
そこに絶対に悩んだりするな。
" そんなものだ " と思え。
そのお弟子さんが
氣付くまで、
氣長に待つことです。
氣付かずに
辞めていく者も
必ず出てくる。
そんなことで
クヨクヨするな。
指導者は
失敗と挫折の連続だ。
でも、
その失敗や挫折も
自分を磨くために
天地大自然が与えてくれたもの。
それを有り難く
笑顔で受け取れ。
悲しい顔は決して
お弟子さんに見せるな。
家族や友人にも見せるな。
泣くなら、
誰もいないところで
思いっきり一人で泣け。
その姿を
天地大自然は
必ず見てくれている。
そして、
それが天地の理に
則ったことなら、
誰に遠慮などいらない。
堂々と天地の大道を行け。
一回や二回の
失敗や挫折で
指導者辞めると言う人が
いるとしたら、
私など1万回以上も
指導者を辞めてますよ。
何回も合氣道辞めてますよ。
私達がやっていることって、
すぐに結果が出るものではない。
十年後、二十年後に
結果が出るものですよ。
" 人を教える " って
そんなものだ。
以上。
これは
指導者のための座学の
内容ではありますが、
この " 指導者と弟子 " という
関係を " 親と子ども " に
置き換えることも
できるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝