2025-09-29 03:15:00

" どんと来い、理不尽 ! いちいち氣にしてたら生きていけない "

<>今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

秋分【しゅうぶん】次候

 

七十二候

第四十七候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

「蟄虫坏戸」は9月28日〜10月2日頃。

春から夏にかけて活発に活動していた

虫たちが、冬ごもりのために土の中へ潜る頃。

 

 

 

 

 

 今日の " 道場長の一日一心 " 

『 どん と こ い、りふじん ! いちいち き に して た ら いき て い け ない 』

 

 

 

今朝は雨のせいでしょうか、

蒸し暑い朝ですね。

 

今週も宜しくお願いします。

 

 

 

 

" どうせ世の中は

理不尽なことばかり。

いちいち氣にしてたら

生きていけない "

 

 

 

​努力しても

報われないこともあります。

 

 

また、

その努力を踏みにじるような出来事や、

 

不条理な言動に

心をかき乱される日々。

 

 

本当に、

私たちは理不尽なことに

囲まれて生きているように思います。

 

 

​しかし、

そんなことで

立ち止まってはいられません。

 

 

 

合氣道は、

相手の攻撃に対して

 

真正面からぶつかるのではなく

相手の行きたい方向、

 

相手の力の方向、

氣の方向へと導き投げます。

 

 

 

 

これは、

人生の理不尽に対する

 

心構えそのものであると、

私は考えています。

 

 

 

 

 

" 理不尽を「攻撃」と捉えるな "

 

 

 

 

​合氣道の稽古では、

相手の突きや蹴りを「攻撃」として

 

恐れたり

受け止めたりするのではなく、

 

そのエネルギー(氣)を

どう活かすかを考えます。

 

 

 

これは、

日々の生活にも通じます。

 

 

 

 

たとえば、

理不尽なクレームを受けたとき。

 

怒りや悲しみで

感情的になるのではなく、

 

「この言葉の裏には何があるのか」

 

「この状況をどうすればより良い方向に導けるか」と、

考えてみる。

 

 

相手の勢い、

つまり理不尽なエネルギー(氣)を、

 

自分の成長や

変化のきっかけに変えるのです。

 

 

 

真正面からぶつかって

消耗するのではなく、しなやかに受け流す。

 

 

 

 

ワッハッハと笑い飛ばしてから、

憤激しよう!

 

 

 

 

これが、心の力を保つ秘訣です。

 

 

 

 

" 今、この瞬間に集中する "

 

 

 

私たちは、

過去の理不尽に心を囚われたり、

未来の不安に怯えたりしがちです。

 

 

 

​不肖、私が

毎日書き込むこのブログのタイトル

 

「道場長の一日一心」という言葉。

 

これは、

「今日、この一日、

この瞬間、その瞬間の心にだけ集中しよう」

という意味でもあります。

 

 

今日の稽古に全身全霊を注ぐ。

 

今日のご飯を心から味わう。

 

​今日、出会った人の顔をしっかり見て話す。

 

 

 

​そうすることで、

無駄な心配事が

心を占める隙間が少なくなります。

 

 

 

理不尽な出来事や

不条理な現実に

 

振り回されるのではなく、

「今」という大切な時間に

エネルギー(氣)を注ぐ。

 

 

 

 

これこそが、

心を健やかに保つための

 

最もシンプルな

方法なのではないでしょうか。

 

 

 

 

" 理不尽に

打ち勝つのではなく、

理不尽と「共に」生きる " 

 

 

世の中から

理不尽な出来事をなくすことはできません。

 

 

 

だからこそ、

それに打ち勝とうとするのではなく、

 

理不尽と「共に」生きる知恵を

身につけることが大切です。

 

 

 

 

​合氣道で、

相手と一体となり、

流れに乗って技をかけるように、

 

人生も同じように、

理不尽な波に逆らうのではなく、

 

その流れを

うまく使って自分の航海を進める。

 

 

 

それができれば、

私たちはどんな逆境でも、

力強く前に進んでいけるはずです。

 

 

 

 

​理不尽な出来事が起こったときには、

 

「よし、これを乗りこなすための稽古だ」

 

ワッハッハ!

そう心の中で笑い飛ばしてから、

立ち上がって前に進もう。

 

 

 

きっと、

新たな一歩を踏み出せるはずです。

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-09-26 03:44:00

" 天からの「贈答品」。病も老いも力に変える「活機応変」という心のあり方 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

秋分【しゅうぶん】初候

 

七十二候

第四十六候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

「雷乃収声」は9月23日~27日頃。

 夏の間に激しく鳴り響いていた

雷の音が次第に収まり、静かになっていく頃。

 

 

 

 

 

 今日の " 道場長の一日一心 " 

『 てん から の「ぞうとうひん」やまい も おい も ちから に かえ る「かっきおうへん」という こころ の あ り かた 』

 

 

 

" 人生の荒波を乗りこなす「活機応変」の心 " 

 

 

合氣道師範として、

また一人の人間として、

 

私が日々の生活で

大切にしている言葉があります。

 

 

 

それは

「活機応変(かっきおうへん)」

という言葉です。

 

 

 

「機会を活かし、変化に応じる」

という意味を持つこの言葉は、

 

「臨機応変」を

さらに深く掘り下げた概念だと

私は考えています。

 

 

 

​人生は、

まさに変化の連続です。

 

 

 

病や老い、

そしていずれ訪れる死。

 

 

これらは時に

私たちを不安にさせ、

立ちすくませるかもしれません。

 

 

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

 

 

​私たちは「生かされている」

 

 

​私たちは、

この天地大自然によって生かされています。

 

 

 

 

命あるものは必ずいつか死ぬ。

でも生きてる間は死なない。

 

 

正しく言えば、

 

人間は生かされている間は死なない

ということ。

 

 

 

私たちは今、生きている。

 

 

それは

この天地大自然によって

生かされているということ。

 

 

 

天地大自然のことを

「神」と呼ぼうが「仏」と呼ぼうが、

人それぞれです。

 

 

人には

それぞれの思いや考え方があります。

 

 

 

その上で、

私は「神」や「仏」というのは

人間が作ったものであると考えます。

 

 

 

 

しかし、

天地大自然は

人間が作ったものではありません。

 

 

 

どんな力持ちでも、金持ちでも

この天地大自然を作ることなどできません。

 

この天地大自然には

勝てるものなど一人もいません。

 

 

どんなに

偉大な力や富を持つ人間でも、

この大自然には皆、かないません。

 

 

 

繰り返しますが、

天地を「神」と呼ぶか、「仏」と呼ぶか、

それは人それぞれの考え方です。

 

 

 

しかし、

人間が作ったものではない

 

この偉大な天地という存在に、

私たちは生かされている。

 

これは紛れもない事実です。

 

 

 

そうであるなら、

 

この天地大自然からの

「贈答品」や「授かりもの」として、

 

人生の

すべての出来事を喜んで受け取ってみる。

 

 

 

私はそう考えるようになってから、

人生観は大きく変わりました。

 

 

老いや病、そして死さえも、

人生を深く豊かにする

 

素晴らしい景色として

受け入れられるようになったのです。

 

 

 

" 病さえも、何もかも「活かす」心構え "

 

 

 

同じ病をしたとしても、

それを単なる不幸と捉えるか、

 

学びの機会と捉えるかで、

人生は全く違ったものになります。

 

 

病を経験し、失うことを通して

初めて氣づく教訓がたくさんあります。

 

 

 

 

" 恩師から教わった

「活機応変」の真意 "

 

 

 

先日、

私にとって合氣道だけではなく、

 

生きる姿勢まで

教えてくださった大先輩が、

永眠されました。

 

 

​私が合氣道琴心館の末席に

加えていただいたばかりの頃、

 

不器用で何もできなかった私に、

 

師は技の理合はもちろん、

道場での振る舞い、

 

そして

人生の様々な局面で大切なことを、

根氣強く教えてくださいました。

 

 

合氣道琴心館寺崎道場を主宰し

合氣道師範として歩みだした頃、

 

不甲斐ない私にいつも優しく

「ずっと応援してるよ」と

いつもあたたかく見守ってくださいました。

 

 

その深いご恩を思うと、今も言葉になりません。

 

 

 

活機応変。

 

 

 

この言葉の真の意味を、

私は最期まで恩師から教わっていたのだと、

今になって氣づかされました。

 

 

 

「天地にはね、このように還って逝くんだよ」と、

 

穏やかに微笑んでおられる

師の姿が頭に浮かびます。

 

 

 

​人は、

生まれてから死を迎えるまで、

様々な「変化」に直面します。

 

 

若く、

力に満ちていた時もあれば、

 

病に倒れ、

思うように動けなくなる時もあります。

 

 

しかし、

恩師は、その究極の変化である

 

「死」さえも、

自然な流れとして受け入れ、

 

天地と一体となり、

天地の一部に

還っていく姿を見せてくださいました。

 

 

 

​力で抗うのではなく、

変化を受け入れ、その流れに身を任せる。

 

 

これは合氣道の稽古で学ぶ

「統一体」の極意であり、

人生そのものに通じる深い教えです。

 

 

何かを失ったら、

それを通して、さらに多くのものを得る

くらいの心構えを持つこと。

 

 

五つ失ったら、

それを通して七つ氣づき、

十を得るくらいの心構えで生きる。

 

 

 

そうすれば、

すべての出来事が「喜び」に変わります。

 

 

 

これこそが「活機応変」の心です。

 

 

 

人生の荒波に立ち向かうこと。

それはとても勇ましい心構えです。

 

 

さはさりながら、

その荒波を活かして前に進んでいく。

 

 

それが、僭越ながら

不肖、私がこの道場で日々皆さんに伝えたい、

 

合氣道の真髄であり、

人生の真髄でもあるのです。

 

 

​合氣道琴心館寺崎道場は、

この「活機応変」の精神を、

 

これからもお弟子さんと共に学び、

深めていきたいと思います。

 

 

 

​師から受け継いだ大切な教えを胸に、

今日も一日一心の稽古に励んでまいります。

 

 

 

 

合掌礼拝。

 

 

 

 

 

​今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-09-25 03:49:00

" 言葉が未来を創る。「〇〇できたらな」を今すぐやめるべき理由 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

秋分【しゅうぶん】初候

 

七十二候

第四十六候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

「雷乃収声」は9月23日~27日頃。

 夏の間に激しく鳴り響いていた

雷の音が次第に収まり、静かになっていく頃。

 

 

 

 

 

 今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ことば が みらい を つく る。 「〇〇できたらな」を いま すぐ やめ る べ き りゆう  』

 

 

 

 

「〇〇できたらな」ではなく「〇〇する」

 

 

私たちは無意識のうちに

「〇〇できたらいいな」

 

「〇〇になれたらいいな」といった

言葉を使ってしまいがちです。

 

 

 

しかし、

この言葉の奥には

 

「どうせ無理だろうな」

「できなくても仕方ないや」という

 

" 弱さ " " 甘え " が隠れています。

 

 

 

​この言葉には、

どこか他人事のような響きがあり、

 

自分の未来を他者に委ね、

できなかった時の

 

言い訳をしているかのように

聞こえます。

 

 

 

​合氣道の稽古でも同じです。

 

 

 

技の習得には、

何度も失敗し、壁にぶつかります。

 

 

そんな時、

「いつかできるようになれたらいいな」と

 

漠然と考えているだけでは、

進歩は望めません。

 

 

 

 

自分の思い描いた

最高の結果を

 

「完了形」で強くイメージし、

言葉にする。

 

 

 

​これが、

「潜在意識」に深く働きかける鍵です。

 

 

 

 

「〇〇する」「〇〇になる」と

断定的に言い切ることで、

 

心はもうすでに

その目標を

達成したかのように感じ始めます。

 

 

 

" 心は身体を動かす "

原動力ですから、

 

自然と自身の行動が

その方向へと向かい始めるのです。

 

 

 

 

​「〇〇できたらなと思います」

 

 

「最善の準備をして最高の結果に終われたらな、と思います」

 

 

 

​テレビのインタビューや、

日々の会話でよく耳にする言葉です。

 

 

 

謙虚で奥ゆかしい

日本の美徳のようにも聞こえますが、

 

 

この言葉の裏には

「心の弱さ」が見え隠れしているのです。

 

 

 

スポーツ選手の

試合前のインタビューで

 

「最高のプレイができたらな」という

言葉を耳にするたび、

私はとても残念に感じます。

 

 

 

 

" 言葉が未来を変える " 

 

 

 

 

合氣道の道場でも同じです。

 

 

難易度の高い技を習うとき、

多くのお弟子さんが

 

「いつか先生みたいにできたらいいな」

と言います。

 

 

 

もちろん、

その氣持ちは大切です。

 

 

しかし、

それだけではいつまでも

「もしも」の未来のままです。

 

 

 

「〇〇できたらな」は、

「〇〇する」に言い換える。

 

これは、

自分自身に未来を託すのではなく、

 

「今、この瞬間から自分の未来を創る」と

決意することに他なりません。

 

 

 

 

" 潜在意識に働きかける言葉の力 "

 

 

 

 

私たちの心と身体は繋がっています。

 

切り離すことはできないのです。

 

 

 

 

心が「どうせ無理だ」と思えば、

身体は動かなくなります。

 

 

 

 

しかし、

心が「できる!」と信じれば、

 

身体は自然と

その目標に向かって動き出すのです。

 

 

 

自分の思い描いた

最高の未来を

 

「完了形」で強くイメージし、

言葉にする。

 

 

 

たとえば、

「昇級審査に合格する」という

目標があるなら、

 

「合格できたらいいな」ではなく、

「私は昇級審査に合格する」と

言い切りましょう。

 

 

 

 

​すると、

潜在意識がその言葉を認識し、

 

自身の行動を

その方向へと導き始めます。

 

 

 

 

稽古への向き合い方、

日々の過ごし方、

すべてが変わり始めます。

 

 

 

これは魔法ではありません。

 

 

 

心と身体の繋がりと

潜在意識の性質を理解し、

 

その力を最大限に引き出すための、

活用法であり

「心の鍛錬」なのですね。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-09-23 03:14:00

" 己を磨く砥石 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

秋分【しゅうぶん】初候

 

七十二候

第四十六候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

「雷乃収声」は9月23日~27日頃。

 夏の間に激しく鳴り響いていた

雷の音が次第に収まり、静かになっていく頃。

 

 

 

 

 

 今日の " 道場長の一日一心 " 

『 おのれ を みが く といし  』

 

 

 

他者から聞くだけの知識は、

水に浮かぶ葉のようなものだと思います。

 

 

一時的には頭に入りますが、

すぐに流されて消えてしまいます。

 

 

 

 

​それは、

教科書をただ読み、

先生の言葉をただ聞いているだけの状態。

 

 

 

 

​頭の片隅に残ることはあっても、

いざという時に

あなたの血肉と

なってくれることはないでしょう。

 

 

 

 

一方で、

 

自ら問いを立て、

探求し、悩み、

 

そして

つかみ取った知識は、

" 己を磨く砥石(といし)" となります。

 

 

 

 

真の力は、

教わったことの表面を

なぞるだけでは決して身につきません。

 

 

 

自らが深く探求し、

葛藤し、

 

そこから得たものは、

自分自身の知性と精神を研ぎ澄ます

「砥石」です。

 

 

 

この砥石によって

磨かれた内なる力が、

 

困難な道をも

切り拓く鋭い刃となるのです。

 

 

 

 

それは、

稽古で何百回と

基本技を繰り返すうちに、

 

技の核心を

自ら見つけ出す過程に似ています。

 

 

 

 

​誰かに「こうやれ」と

教わった形をなぞるだけでは、

ただの身体の動きにすぎません。

 

 

 

しかし、

なぜこの動きが必要なのか、

 

どうすれば相手の氣を導き、

技をかけることができるのかを

 

自ら考え抜いた時、

その動きは

本物の技へと昇華していくように思います。

 

 

 

合氣道には

「呼吸動作」という技があります。

 

他の流派では「坐技呼吸法」とも呼ばれ、

 

 

とても難易度の高い技の一つです。

 

 

 

 

私は、

その「呼吸動作」を習得するために

 

琴心館本部道場はもちろん、

自宅でも一人、壁に向かって

 

その動作を繰り返し、繰り返し、

 

相手が前にいるものと思い、

毎日稽古を続けました。

 

 

 

すると、そのうち、

「あっ!」これかな?と、

閃くことがあるのです。

 

 

 

そして、

実際に道場で

 

その閃いた身体の動きを

相手に手を持たせ実際に試みる。

 

 

 

しかし、

結果はこれまでと同じ。

全く相手を投げることができない。

 

 

 

 

それを

何千回、何万回と繰り返すこと、10年。

 

 

僭越ですが、

やっと、その奥義の入り口に

たどり着くことができました。

 

 

 

それ以降、

この「呼吸動作」で

 

相手とぶつかることもなく、

投げることができるようになりました。

 

 

 

 

 

道場での稽古も、

読書も、学びも、

そして日々の暮らしも同じです。

 

 

 

 

​ただ教わるだけという

受け身の姿勢ではなく、

 

自らが能動的に学び、

行動すること。

 

 

その一歩一歩が、

" 己を磨く砥石 " となり、

強靭な心と身体を育むのです。

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-09-22 03:02:00

" その昔、追いはぎが出ると怖れられた坂道。見えない先に氣を配る。暗闇坂編 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

今週も宜しくお願いいたします。

 

 

 

本日は、二十四節氣

白露【はくろ】末候

 

七十二候

第四十五候 玄鳥去(つばめさる)

「玄鳥去」は9月18日~22日頃。

 春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終えて、南へと帰っていく頃。

 

 

 

 

 

 今日の " 道場長の一日一心 " 

『 その むかし、おいはぎ が でる と おそれ ら れた さかみち。みえ ない さき に き を くば る。くらやみざか へん  』

 

 

 

 

今夏の東京出張は

主に麻布台にある道場で稽古をしました。

 

 

道場へ向かう道すがら、

私はよく元麻布にある「暗闇坂」を通りました。

 

 

 

この麻布十番周辺は

江戸から続く

由緒ある坂道がたくさん点在する場所です。

 

 

 

 

元麻布の

「 暗闇坂 くらやみざか 」は、

その名の通り、

 

かつては

昼間でも暗いほど

 

木々が鬱蒼と茂っていた

ことから名付けられた歴史ある坂です。

 

 

 

" 由来と歴史 " 

 

 

 

坂名の由来は、

樹木が覆いかぶさるように生い茂り、

 

昼間でも

見通しが悪く暗かったことにあるそうです。

 

 

 

​昔の宮村町を通っていたことから、

「宮村坂」とも呼ばれていたそうです。

 

 

 

また、

 

その暗さから

幽霊や妖怪の伝説も生まれ、

 

「幽霊坂」とも

呼ばれることがあり、

 

 

 

 

" 幽霊 " や " 追い剥ぎ " が出ると言われ、

人々から恐れられていました。

 

 

実際に

追い剥ぎなどが現れる

 

物騒な

場所でもあったと伝えられています。

 

 

 

追い剥ぎ(おいはぎ)とは、

人氣のない道で通行人を捕まえ、

 

着ている衣類や持ち物、金銭などを

強奪する盗賊・強盗のことを指します。

 

 

 

そのような言い伝えがある

「暗闇坂」も現在では、

 

周囲の宅地開発や

マンション建設が進み、

 

かつてのような鬱蒼とした

雰囲氣は失われ、

明るく整備された坂になっています。

 

 

急な坂の途中には

レンガ造りの美しい

オーストリア大使館があります。

 

 

 

坂を上りきると、

「一本松坂」、「大黒坂」、「狸坂」といった

他の坂と合流する地点に出ます。

 

 

 

「暗闇坂」は、

その名前の由来や、

かつての不氣味な伝説とは裏腹に、

 

現在は都心の閑静な高級住宅街を

つなぐ坂として、

 

元麻布の街の雰囲氣を象徴する

存在となっていますね。

 

 

 

 

 

" 麻布台道場へ向かう道、

元麻布「暗闇坂」の教え "

 

 

 

先人たちは

この真っ暗闇な坂で

 

見えない先に氣を配り、

時には危険な人物に

 

遭遇することに身構えながらも、

一歩一歩進んでいく。

 

 

 

それは

まさに現代の合氣道の稽古に通じます。

 

 

 

「目に見えるものばかりを追うな」

 

師からいただいた

この言葉を、

 

私はこの坂道を通るたびに

思い出します。

 

 

 

相手の動きの

表面だけを追うのではなく、

 

その奥にある

「氣」を感じ取り、先を読む。

 

 

 

暗闇の中で

五感を研ぎ澄ませて歩くように、

 

私たちは合氣道を通して、

見えない「氣」を感じ取る稽古をしています。

 

 

 

幸い、

現代ではこの坂道は整備され、

今は明るく見通しの良い坂道です。

 

 

時代の変化とともに形は変わっても、

その本質は変わりません。

 

 

合氣道もまた、

技や形は進化しても、

 

その精神は何も変わらない、

僭越ですが、私はそう思っています。

 

 

 

 

​次の東京出張もまた、

この坂を上り、

お弟子さんと共に稽古に励むことでしょう。

 

 

 

そして、

私たちの

江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは

まだまだ続きます。

 

 

 

過去の坂巡りのエントリーはコチラから

↓↓↓

雁木坂

中坂

檜坂

狸坂

冬青木坂

七面坂

二合半坂

狸穴坂

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝