" 「頑張る」があなたをダメにする "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立冬【りっとう】次候
七十二候
第五十六候 地始凍 (ちはじめてこおる)
11月12日~16日ごろ。
寒さで大地が凍り始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 「がんば る」が あなた を ダメ に する 』
" 力を出すには、絶対に「頑張ってはいけない」 "
頑張るから疲れる。
頑張るから失敗する。
頑張るから出来なくなる。
これは、
私がこれまでの修行と、
生活、
指導の中でたどり着いた結論です。
道場に体験に来た人や
入門間もないお弟子さんに、
「頑張ってみて」と言うと、
皆が皆、そろって
身体のあらゆる所に力を入れて力みます。
「はい!頑張ります」と
言っては、
身体だけでなく
心までも力ませます。
人間、
瞬間的に力んだり、
力を入れることはできますが、
何時間も
その状態は維持できませんね。
だから、
何をしても上手くいかないのです。
上手くいかないだけでなく、
健康体とも言えません。
何故、わざわざ、
失敗するように
不健康になるように、
自分の心身を
使う必要があるのでしょうか?
私自身、
「頑張る」という言葉を使わなくなって、
どれくらいの
月日が経ったでしょうか。
しかし、
以前は、ふとした瞬間に
口から
その言葉が出ることがありました。
それは、
幼少期から親や先生、
周囲の人々から
「頑張れ、頑張れ」と
励まされ続けてきた結果、
「頑張り」が
潜在意識に深く、
強固に根付いてしまっていたからです。
無意識の領域にまで
浸透した言葉を排除するのは、
想像以上の訓練が必要です。
しかし、
その訓練を重ねた今、
私は自信を持って言えます。
「頑張る」という言葉は、
私たちの可能性を閉ざす鎖であると。
"「頑張る」の本当の意味を深く知る "
改めて
「頑張る」という言葉の語源を探ると、
「我を張る」に行き着きます。
これはつまり、
無駄なエゴや力み、
自己中心的な意地を立てる行為です。
合氣道で求める
「自然で最大の力」とは真逆の状態です。
私たちは、
この「我を張る」行為を
「努力」や
「熱意」と勘違いしています。
頑張るという言葉が
自然に出てくるうちは、
いつまで経っても「我」に執着し、
不必要な力みの中で、
心身ともに
疲弊し続けることになります。
したがって、
私はこのブログを
読んでくださっている、
あなたにも、
そして道場生にも、
「頑張れ」とは絶対に言いません。
" 最大限の力を発揮する「正しさ」とは "
では、
「頑張らない」状態とは、
ただの「無氣力」や
「虚脱状態」と同じなのでしょうか?
もちろん違います。
合氣道琴心館寺崎道場では、
この「リラックス」と
「虚脱状態」との決定的な違いを、
日々の
稽古の中で指導しています。
技、体操、
そして呼吸法等を通して、
自身の心と身体が
どのような状態にあるときに、
最も大きな力、
最もスムーズな動きが
生まれるのかを深く探求します。
自身の持つ
最大限の力を発揮しようと思えば、
絶対に頑張ってはいけません。
正しくは、
心身を解放し、
流れに任せることです。
すなわち、
正しくリラックスすることです。
力を抜ききった状態から、
一瞬で芯の通った
「落ち着き」と「集中」が生まれます。
この「落ち着き」こそが、
合氣道で言う不動心であり、
私たちが目指す境地です。
" 稽古は「頑張り」を「リラックス」に書き換える作業 "
幼少期から
積み重ねられた
「頑張る」という潜在意識を、
「リラックス」と
「落ち着き」に書き換えること。
これが、
合氣道琴心館寺崎道場の修行であり、
人生の修行でもあると私は確信します。
無駄な力を捨て、
真の自分を取り戻す道。
合氣道琴心館寺崎道場では、
その道筋を、
身体と心を通して共に歩んでいきます。
共に
「我を張る」生き方から、
「流れに任せる」生き方へと転換しましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 未来の師範はここにいる!「栴檀は双葉より芳し」"
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立冬【りっとう】次候
七十二候
第五十六候 地始凍 (ちはじめてこおる)
11月12日~16日ごろ。
寒さで大地が凍り始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 みらい の しはん は ここ に いる!「せんだん はふたば より かんば し」 』
" 稽古か遊びか?道場で見つけた大きな覚悟 "
合氣道道場長として、
日々多くの小学生の稽古を指導しています。
道場での
子どもたちの立ち居振る舞いは、
本当にさまざま。
その姿を見つめることは、
彼らの成長の奥深さを感じさせてくれます。
" 稽古を「遊び」の延長にしてしまう子 "
道場に慣れてきた子や、
まだ切り替えが
難しい子どもたちの中には、
稽古と遊びの区別が
あいまいになってしまう子がいます。
「先生の話が長いな」
「次はいつ自分の番だろう?」
そんな氣持ちから、
つい隣の友達を突っついたり、
座っているときに
身体がグラグラしてしまったり。
これは、
集中力が続かない姿です。
彼らの「元氣」が、
「学ぶ時間」という枠に
収まりきっていない証拠でしょう。
指導者は、
そのエネルギーをどうやって
「集中する力」へと変えていくか、
常に工夫を凝らさねばなりません。
" 入門時から光る「学びの姿勢」の芽 "
しかし、
そんな中で、
道場に入門した頃から、
私たち指導者がハッとさせられる
子どもたちがいます。
彼らは、
道場での「立ち居振る舞い」が
他の子どもたちとは
少し違うのです。
「稽古の時間だ」と、
自分の中で氣持ちを切り替え、
真剣な眼差しで
先生の話を聞こうとする。
自分の練習が
終わっても、
他の子の
稽古を静かに見て、
何かを
学ぼうとしている。
挨拶や礼、
一つ一つに、
「きちんとしなきゃ」という
意識が感じられる。
「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」
これは、
香りの良い栴檀の木は、
芽(双葉)の時から
良い香りがするということ。
つまり、
将来立派になる人は、
子どもの頃から
その片鱗を見せている
という意味のことわざです。
彼らが持つ
「芳しさ」とは、
技の上手さではありません。
彼らの持つ、
「集中しようとする力」
「自分を律する力」、
そして何よりも
「TPOをわきまえる」という、
社会で通用する
立派な人になるための姿勢の
芽生えなのです。
" 大切なのは、誰もが「芳しい芽」を持っていると信じること "
幼い頃から
集中して稽古に取り組める子は、
素晴らしい資質を持っています。
彼らは、
これから多くのことを吸収し、
大きく伸びていくでしょう。
一方で、
最初は遊びのつもりだった子も、
「だから伸びない」ではありません。
合氣道琴心館寺崎道場は、
未熟な芽を、時間をかけて、
じっくりと
育てていく道場です。
稽古の中で、
誰かを思いやる氣持ちや、
失敗してもやり抜く
「心の強さ」を学びます。
遊びと稽古の区別が
曖昧だった子が、
ある日、
ふとした瞬間に
「真面目に取り組むことの面白さ」
に氣づき、
一氣に集中力を発揮し始める姿も、
私は数多く見てきました。
道場長である私の使命は、
既に光る「立派な人の芽」を
大切に育むとともに、
まだ芽が出ていない
全ての子どもたちの中に、
必ず「芳しい芽」があると信じ、
そのきっかけを
作ってあげることだと心得ています。
合氣道の稽古を通じて、
心と身体を整え、
未来の自分を支える
「集中力」と「礼儀」を
一緒に育んでいきましょう。
今日も道場に集う子どもたちの、
未来の「芳しさ」を楽しみに、
精一杯指導に当たります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 心の静寂 (しじま) は「戻る場所」にあり "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立冬【りっとう】初候
七十二候
第五十五候 山茶始開(つばきはじめてひらく)
11月7日~11日頃。
山茶花(さざんか)の花が咲き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 こころ の しじま は「もど る ばしょ」に あり 』
合氣道の修行の真価は、
技の技術の習得だけではなく、
私たちが日常で晒される
「心の波立ち」を
鎮める術を学ぶことにあります。
道場での稽古中においても、
様々な場面で心に乱れか生じます。
技が上手くいかない時の焦り。
強い相手に向き合った時の恐怖や力み。
周囲の視線や雑念による集中力の欠如など。
これらはすべて、
自身のパフォーマンスを阻害し、
怪我の原因にもなりかねません。
" 基本稽古が心の軸を整える "
では、
私たちはどうすれば
その乱れを少しでも
無くすことができるのでしょうか?
それが、
私たちが道場で日々繰り返す
「基本稽古」です。
一見、
単調にみえる、
「受け身」や「足捌き」、
「力みのない姿勢」や「臍下の一点」等を
繰り返し確認し行うことは、
身体に中心軸を刻むと同時に、
心に「静寂」という落ち着きを
築いています。
たとえば、
力んでしまった時には
基本の姿勢と
身体の重みを最下部に戻すことで、
心の動揺を静めます。
迷いが生じた時には
複雑なことを考えるのをやめ、
ゆっくりと
心と身体の使い方を再確認しながら、
基本動作に意識を集中させることで、
思考の渦から抜け出します。
この、
「基本に戻ることで得られる、一切の雑念のない状態」
こそが、
「心の静寂」です。
「心の静寂」は、
自分が最も困難な状況に陥った時、
いつでも立ち返り、
戻ることのできる、揺るぎない場所です。
稽古を重ねるごとに、
この静寂は深まり、
自分自身の
日常生活にも波及していきます。
技の優劣ではなく、
まず「心の静寂」という
戻る場所を忘れないこと。
それが、
豊かな人生を送るための
価値ある合氣道の修行ですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" ネガティブを断つ心のコントロール "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
立冬【りっとう】初候
七十二候
第五十五候 山茶始開(つばきはじめてひらく)
11月7日~11日頃。
山茶花(さざんか)の花が咲き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ネガティブ を た つ こころ の コントロール 』
"「悪い知らせは入らない」ある映画のセリフが教えてくれたこと "
「いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞く?」
この問いかけは、
私たちの日常でよくあるシーンですね。
考えてみると、
私たちは「悪い知らせから」
聞くことが
無意識のうちに
習慣になっていることが多くあります。
しかし、
かつて私が観たある映画に
登場する人物のセリフは、
その無意識の習慣を覆してくれました。
その映画で
ある人物が相手を陥れようと、
でっち上げの嘘をついたとき、
その相手はこう言い放ったのです。
「ぼくの頭にはね、悪い知らせは入らないよ。
いい知らせならいくらでも聞くよ」
この痛快で、
あまりにもポジティブな
返しを聞いたとき、
私は深く感銘を受けました。
自分の
「心の情報フィルター」を
自分でコントロールできること、
そして
ネガティブな情報を
完全にシャットアウトできることの
強さを教えてくれる一言でした。
私たちは日々、
目の前の出来事を
「ポジティブ」か「ネガティブ」か、
どちらかの
色眼鏡を通して見ています。
特に、
その日のスタートである
「朝の目覚め」の瞬間に、
どちらのフィルターを選ぶかが、
一日全体を決定づける鍵になります。
この朝のたった数秒間の
思考の「差」は、
その日一日のモチベーション、
生産性、
そして幸福感を歴然と分けます。
" 最高の1日にするための「強制ポジティブ変換」の習慣 "
私が実践しているのは、
「朝起きた時に頭に浮かんだことは、何でも、無理矢理にでも積極的に捉える」
というルールです。
具体的には
こんなことを実践しています。
午前3時の目覚めと
同時に「感謝」の言葉を唱える。
「今日も目が覚めた。ありがとう」
「今日のタスクは多いけど、それは必要とされている証拠だ。感謝!」
そう心で唱えたあと、
このブログの執筆作業に取りかかります。
ネガティブな思考を「やりがい」に言い換える。
「面倒だ」 → 「これは成長の機会だ!」
「疲れる」 → 「夜の達成感が楽しみだ!」
情報フィルターを意識的に操作する。
映画のセリフのように、
「悪い知らせはぼくの頭には入らない」と
心の中で宣言し、
ネガティブな情報や感情を
意識的にシャットアウトします。
目覚めを
積極的な心で始めれば、
その日は一日、
前向きで良い日になります。
一方で、
ネガティブな感情をスタートに選べば、
その思い通り
暗い心の使い方で
非常に悪い日になってしまうでしょう。
朝の始まりを
「やりがいのある日だ!」と
前向きに捉えることで、
自分自身の心の状態は
最高のものに設定されます。
そして、
その心の状態こそが、
目の前の出来事を
乗り越える最強の燃料となるのです。
さあ、
今日から、
映画の主人公のように宣言しましょう。
「ぼくの頭には、悪い知らせは入らない。いい知らせならいくらでも聞くよ!」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 一つの技に一つの魂、一つの言葉に一つの魂 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立冬【りっとう】初候
七十二候
第五十五候 山茶始開(つばきはじめてひらく)
11月7日~11日頃。
山茶花(さざんか)の花が咲き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ひとつ の わざ に ひとつ の たましい。ひとつ のことば に ひとつ の たましい。 』
本日から「立冬」です。
暦の上では、いよいよ冬の始まりとなりますね。
朝の空氣が
一段と冷たく感じられるようになり、
日の出の時刻も
日に日に遅くなっているのを実感します。
本日11月7日
今朝の神戸の日の出も
6時25分と、
太陽が
顔を出すのが遅くなりました。
本格的な
寒さはこれからですが、
木枯らしが吹き、
冬の足音が
聞こえてくるようなこの時期。
体調には
十分、氣をつけて過ごしましょう。
さて、
私事ですが、
氣がつけば
今年で63歳を迎えました。
長いようであっという間、
この年齢になると、
身近な大切な人たちとの
永遠の別れを
経験する機会が増えてきます。
そうした現実を前に、
ふと胸をよぎるのは、
「私もいつ死ぬかもしれない」
という、命の有限性です。
人生は本当に
長いマラソンのようですが、
振り返ると
一瞬の夢のよう。
「まだ時間がある」と
油断していた日々こそ、
二度と戻らない
尊い時間だったのだと痛感します。
この一瞬一瞬は、
まさしく二度と戻ってこない、
たった一度きりの「ご縁」なのです。
だからこそ、
残された時間をどう生きるか。
僭越ではありますが、
不肖私は、
合氣道を通じて
この自らの問いに答えるなら、
「一つの技に、一つの魂」
「一つの言葉に、一つの魂」
という言葉です。
投げ技一つ、
受け身一つ、
手刀一つ、
その瞬間に
そこに全神経を集中させる。
お弟子さんにかける
激励の言葉一つ、
指導の言葉一つに、
真剣な思いと魂から語りかける。
これは何も
特別なことではありません。
この「今、ここ」の集中は、
人生のあらゆる瞬間に活きる心構えです。
家族と食卓を囲む時、
目の前の料理と会話に一心になる。
友人とお茶を飲む時、
その人の話に一心に耳を傾ける。
「いつか」のために
取っておいた時間など、どこにもありません。
私たちの人生は、
ただ「今、ここ」という連続でできています。
一呼吸、
一歩、
一つの挨拶。
それらが
二度とない
一瞬の結晶です。
今日という
尊い一日に感謝し、
本日もまた、
真摯にお弟子さんの前に立ちたい。
このブログを書きながら、
窓の外に目をやると、
暁の空はまだ深く、
心静かに夜明けを待っています。
この闇の中にこそ、
新たな一日の尊い始まりがあるのだと感じます。
皆さまにとっても、
感謝と実り多き一日となりますように。
素晴らしい週末をお過ごしください。
今週もありがとうございました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝