2024-07-09 04:51:00

" できる、使いこなす、極める "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『できる、つかいこなす、きわめる』

 

 

 

 

 

できることと、

 

使いこなすこと、

 

極めることは

 

それぞれ違います。

 

 

 

 

 

合氣道でいうなら

 

技、心身統一、心を静める、

 

臍下の一点、体幹、呼吸、

 

立ち居振る舞い、

 

氣を出すことなど。

 

 

 

また

 

料理人なら

 

フライパンや包丁の

 

扱い方というように、

 

 

 

 

 

あらゆる仕事や、

 

その分野において、

 

 

 

 

 

「できる」とは、

 

繰り返し稽古、練習して

 

決まった型や動作が

 

「できる」ようになることです。

 

 

 

 

 

そして、

 

「使いこなす」とは、

 

それをどんな体勢や状況、

 

どのような

 

環境下においてでも、

 

適材適所で

 

出せるようになるのが

 

「使いこなす」ことです。 

 

 

 

 

 

さらに

 

その使いこなしている

 

技や動作を、

 

他の誰よりも速く強く、

 

常に最大限の力で

 

出せるよう

 

練り上げることが

 

「極める」ことです。

 

 

 

 

 

従って、

 

「できる」や「使いこなす」

 

程度の修得で

 

満足しているようでは、

 

 

 

現実を知らない、

 

現実を見ない、

 

オメデタイ人なのだ。

 

 

 

 

 

例えば、

 

技において、

 

使いこなせるから、

 

「日常、何かあったら対応できる」

 

などと

 

妄想を抱いていては

 

いけない。

 

 

 

 

 

「極める」まで

 

技を練り上げず、

 

どうして対応できようか。

 

 

 

その程度では

 

何の役にも立たない

 

ということを

 

思い知ったほうが

 

身のためだ。

 

 

 

 

 

まだまだ、

 

まだまだ、

 

私達は

 

修行中の身であり、

 

 

 

未熟者である

 

ということを

 

決して忘れては

 

いけないのだ。

 

 

 

弛まぬ努力を

 

怠ってはいけない。

 

 

 

まだまだ

 

これからだ。

 

 

 

道は永遠なり。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-07-08 04:04:00

" 自分がどう生きるか "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『じぶん が どう いきる か』

 

 

 

 

 

他人を

 

どのようにして

 

自分の思い通りにするか

 

ということが、

 

 

 

「病む」

 

原因の一つであります。

 

 

 

 

 

自分以外の人を

 

思い通りにしたい、

 

 

 

もっとこうなれば

 

良くなるのに、

 

 

 

あなたのためなのに、

 

 

 

そういうことは

 

もう止めよう。

 

 

 

 

 

自分が期待するほど、

 

人はそう簡単には

 

変わりません。

 

 

 

 

 

それはそうですよ。

 

 

 

人間は

 

自分自身が

 

変わろうとしなければ、

 

変われないんだから。

 

 

 

他人が

 

いくら言っても

 

無理ですよ。

 

 

 

 

 

これは

 

家族に対しても、

 

全く同様だと思いますよ。

 

 

 

子どもに対して、

 

妻や夫に対して、

 

こうあってほしいと

 

いくら言っても

 

なかなか変わりません。

 

 

 

自分が

 

無駄なエネルギーを

 

使うだけです。

 

 

 

心が病むだけです。

 

 

 

 

 

そんなことより、

 

自分が変われば

 

良いのです。

 

 

 

 

 

そのほうが、

 

よほど簡単で

 

無駄なエネルギーも使わず、

 

無駄な時間も使わず、

 

 

 

私自身の過去の経験から

 

申しますと、

 

最善最短で解決します。

 

 

 

 

 

相手が変わらなくても、

 

自分が変われたのだから

 

解決したのです。

 

 

 

 

 

なんてバカなことを

 

していたのだろう、

 

過去を顧みて、

 

そう思います。

 

 

 

 

 

不思議と

 

自分が変われば、

 

相手も変わるのです。

 

 

 

家族も同じです。

 

 

 

 

 

合氣道の技で

 

習っているはずですよ。

 

 

 

 

 

相手を投げる前に

 

自分の姿勢を

 

正さないと

 

相手を投げることは

 

不可能です。

 

 

 

 

 

それを

 

事あるごとに

 

思い出して、

 

 

 

自分が実践すれば

 

良いだけです。

 

 

 

 

 

人はあっという間に

 

死ぬものだ。

 

 

 

無駄に生きる時間など

 

ないはずです。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-07-05 04:49:00

" やってみなければ分からないだろ "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『やって みなければ わから ない だろ』

 

 

 

 

 

何事においても、

 

まずはやってみる。

 

 

 

そして、

 

とことん徹底的に

 

やってみた結果、

 

 

 

できたとか、

 

できなかった

 

ということになるはずだ。

 

 

 

 

 

できるか、

 

できないか、

 

やれるか、

 

やれないかは、

 

 

 

生涯を賭けて

 

やってみなければ

 

分かるものではないのだ。

 

 

 

 

 

従って、

 

 

 

できるか、

 

できないか、

 

やれるか、

 

やれないかは、

 

 

 

一生の最後に至って、

 

初めて分かることなのだ。

 

 

 

 

 

それがどうだ。

 

 

 

 

 

未だ一歩も

 

踏み出さないうちから、

 

 

 

「自分にはとても無理だ、できない」

 

などと言って、

 

 

 

仕事がどうのこうの、

 

時間がどうのこうの、

 

体調がどうのこうの、

 

 

 

口から出る言葉は

 

言い訳ばかりで、

 

 

 

投げ出すに至っては、

 

 

 

 

 

実に意気地のない

 

限りではないのか。

 

 

 

 

 

他の誰でもなく、

 

自分の口から出た

 

言葉に対して、

 

 

 

 

 

恥ずかしくないか。

 

 

 

 

 

また、

 

このような態度は、

 

天地大自然から

 

与えられた、

 

 

 

この生命の尊さに

 

氣付かない

 

愚か者の言葉であるのだ。

 

 

 

 

 

それはある意味、

 

世話になった人に

 

感謝することもなく、

 

 

 

その恩を

 

踏みにじるような人を

 

意味する表現である

 

「忘恩の徒」とさえ

 

言えるのだ。

 

 

 

師にも

 

天地大自然にも

 

感謝出来ない人だ。

 

 

 

 

 

いや、

 

"身体は生きているが心は死んでいる、成長出来ない人"

 

 

 

このようにも表現できる。

 

 

 

 

 

このことから、

 

このような人は

 

人であり、

 

人間ではないのだ。

 

 

 

心がないのだから。

 

 

 

 

 

でも

 

人間は

 

それとは違う、

 

 

 

心があるから、

 

無限大に成長出来るのだ。

 

 

 

 

 

合氣道という

 

同じ道を

 

共に歩む者なら、

 

 

 

成長出来る人間と

 

生涯、歩み続けたいものだ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-07-04 04:33:00

" 良いこと悪いこと半々で丁度良い "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『よい こと わるい こと はんはん で ちょうど よい』

 

 

 

 

 

私たちが暮らす

 

天地大自然には

 

相反する

 

二つの作用や

 

事柄がある。

 

 

 

 

 

表があれば

 

裏がある。

 

 

 

上があれば

 

下がある。

 

 

 

左があれば

 

右がある。

 

 

 

深いがあれば

 

浅いがある。

 

 

 

陽と陰。

 

プラスとマイナス。

 

 

 

雄と雌。

 

男性と女性。

 

 

 

 

 

「人間万事塞翁が馬 」" にんげんばんじさいおうがうま " という、

 

ことわざがある。

 

 

 

人生において、

 

幸せも災いも

 

予測ができないことの

 

例えであるが、

 

 

 

幸せが不幸に、

 

不幸が幸せに

 

いつ転じるか

 

わからないのだから、

 

 

 

安易に

 

喜んだり

 

悲しんだり

 

するべきではない

 

ということだ。

 

 

 

良いことがあれば、

 

悪いこともある。

 

 

 

 

 

もしかしたら、

 

良いことが

 

悪いことを、

 

悪いことが

 

良いことを

 

引き寄せるのかもしれない。

 

 

 

 

 

天地大自然が

 

私たちに

 

 

 

「良いこと悪いことは半々で丁度良いのだ」

 

 

 

そのように

 

教えて

 

くださっているのかも

 

しれない。

 

 

 

 

 

良いこと

 

悪いこと、

 

それも全て

 

 

 

「我が人生の一部」

 

であると受け入れて、

 

 

 

成長していかねば

 

なりませぬ。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

 

 

2024-07-03 04:36:00

" お金の良い使い方 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『おかね の よい つかい かた』

 

 

 

「お金はよく集め、よく使え」とは、

 

本日、令和6年7月3日より

 

新1万円札の顔になる

 

渋沢栄一の著書に

 

出てくる言葉です。

 

 

 

 

 

また

 

旧5000円札の顔だった

 

新渡戸稲造の著書「武士道」には

 

「武士道は経済とは正反対のものである。それは貧しさを誇る」とある。

 

 

 

武士道では

 

金儲けや貯蓄を

 

卑しいこととされていた。

 

 

 

明治維新後において

 

渋沢栄一が

 

経済を活性化するのに

 

想像を絶する、

 

相当な労力を

 

費やしたことだろう。

 

 

 

 

 

お金は

 

善人がこれを持てば

 

良くなり、

 

悪人が持てば

 

悪くなる。

 

 

 

 

 

「お金は大切にせよ、そして軽蔑せよ」とは

 

渋沢栄一の名言である。

 

 

 

 

 

お金そのものに

 

良いも悪いもありません。

 

 

 

その使い方に注意する

 

必要があるということだ。

 

 

 

 

 

お金があるからといって

 

無駄に使うことは

 

愚かであることに

 

違いないが、

 

 

 

良いことに

 

使うことを知らずに

 

貯めることしか

 

しないのも愚かである。

 

 

 

 

 

死んでしまえば

 

紙切れ同然。

 

 

 

 

 

ただの紙切れに

 

ならないうちに、

 

 

 

生きている間に

 

 

 

世の中のために、

 

人のために、

 

 

 

道理をわきまえて、

 

 

 

よい使い方を

 

したいものだ。

 

 

 

 

 

それが、正しい

 

お金の使い方なのでは

 

ないだろうか。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝