" 健康とは心が晴れること "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『けんこう とは こころ が はれる こと』
また今年も
一年を締めくくる
指導者育成・錬成
集中稽古が
本日、12月6日から
年末までの予定で始まる。
今年は東京、神奈川から
6名の指導者と
新たに指導者を
目指す1名の
計7名の日本女子が参加する。
約7年前に2名の指導者の
育成から始まり、
徐々にではあるが
参加人数も増えてきた。
開始当初は
大晦日、元旦も返上して
稽古していた。
お盆休みやGW、
年末年始といった
通常の稽古がない期間しか、
私の手が空かないこともあり、
一般稽古のない時期に行っている。
とは言え、
今年も通常稽古は
12月21日まであるので
本日から通常稽古と
指導者集中稽古が重なり、
私の心身は
超フル稼働になる。
エンドユーザー
いわゆる一般向けの稽古と
指導者育成・錬成は
目的、目指すところが
違うため、
稽古法は大きく異なる。
指導者育成・錬成稽古では
1回の稽古3時間の中に
必ず30分から1時間の
座学を取り入れる。
それを1日に2回行う。
一般向け通常の
稽古がない日は3回行う。
1日3回となると、
・午前10時〜午後1時 稽古
・午後1時〜2時 昼食、休憩
・午後2時〜5時 稽古
・午後5時〜6時 休憩
・午後6時〜午後9時 稽古
大体この様な1日だ。
それが約3週間続く。
あらゆる技を通じて
相手の氣を尊重し、
心身の使い方を
徹底的に深掘りする。
それができなければ
指導者とは呼べない。
指導者とは
お弟子さんに会得させる
ことが最重要課題だ。
人に教える立場である者が
一番身に付けなければ
ならないことは心の強さだ。
指導者は絶対的に
心が強くなくては
務まらない。
技ももちろん大事だが、
心のあり方が
最も重要になる。
生き方、心のあり方、
指導者とは
どうあるべきなのか、
それを目と耳と口から
取り入れ学ぶ。
座学を取り入れるのは
そのためだ。
そこで
語り、語り、語りつくす。
魂から語りつくす。
1回の稽古が終われば
正直、疲労困憊だ。
それは私だけではない。
参加する指導者、
それを目指す者も同じだ。
泣き言を言ったり
愚痴をこぼしたり
弱音を吐いて、
休む者など誰一人いない。
それどころか
皆、生き生きとした
笑顔が絶えない。
" 稽古は愉快に "
それを合言葉に
稽古する道場は
常にプラスの氣で
満ち溢れている。
1日が終われば
身体は疲労困憊だ。
休息は就寝時以外にない。
しかし、
1日が終われば
「今日もやりきったな」
その思いが
いつも心を晴れ晴れと
してくれる。
それが尊い。
" 温泉にでも浸かってリフレッシュ " とか
世間の人はよく言うが、
そんなもので
本当のリフレッシュなど
到底出来ないのだ。
確かに温泉に浸かって
のんびりくつろぐことは
氣持ちのよいものではある。
それを否定するつもりは
これっぽっちもない。
私も温泉は大好きだ。
でも、
そんなことで
本当のリフレッシュも
できなければ、
本当のリラックスも
本当の健康増進にもならない。
ここに集まる
素晴らしい志を持った
7名の日本女子と、
東京、神奈川で
師範の帰りを待つ
お弟子さんのために
" 持てるものを全て出し切る "
" 全て放って空にする "
" 自分自身を全て捧げきる "
疲れ切って、疲労困憊して、
" やりきったな " という思いが
心を晴れ晴れにする。
それが本当の健康だ。
それが本当のリフレッシュだ。
「健康でありたい」
本当にそう願うのなら、
世のために
他人のために、
一銭にもならないことに
自分は損をしてでも
尽くし切ることなんだよ。
それ以外に
本当の健康などありえない。
それが
良い人生、良い運命に
繋がっていくのでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 小学六年生に大天晴れ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『しょうがくろくねんせい に だい あっぱれ』
12月1日に
令和6年 後期 昇級審査を行った。
今回の昇級審査対象者は
子ども、大人ともに
少人数ではあったが、
質の高い昇級審査であったと思う。
子ども達は皆、
一所懸命に元氣良く
審査に挑んでいた。
中でも
今回は大人の
昇級審査基準である
5級に挑戦した
4名の小学6年生の
成長ぶりが特に光っていた。
この4名は
年中さんから
続けて道場に通っている。
その継続があったからこそ、
今回の成長がある。
とても小学6年生とは
思えない上達度合いだ。
誰もが
小学6年生になれば、
それ位できるのか
というと、
それは出来ない。
年中さんからの
積み重ねがあったからこそだ。
「続ける」ということの
尊さに改めて氣付かされた。
" これが本当に小学生の技か "
4人の技は
そう思うほど
素晴らしい技だった。
私は決して
人にお世辞は言わない。
その上で、
これほど
基本に忠実な技ができる
小学生は中々いないと思う。
この先が楽しみで仕方がない。
こんな素晴らしい
小学生のお弟子さんを持って
私は本当に幸せ者だ。
このご縁に
深く魂から感謝している。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 心の赴くままに "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『こころ の おもむく まま に』
先日、
京都にある
平安京最古、
弘法大師のお寺で有名な、
東寺に参拝した。
この時期は
五重塔と
紅葉のライトアップが
楽しめる。
秋の夜長に
月夜を散歩しながら、
約200枚近く写真を撮った。
ここ最近の
インスタグラムの
ストーリーの画像は
この時に撮ったものを
アップしている。
実は何を隠そう、
私はつい最近まで
「紅葉」というものに
一切興味がなかった。
" 紅葉なんて、ただ葉が枯れているだけ "
周りの人達が
この時期に
「紅葉狩りに行ってきた」
なんて話を聞くと、
わざわざ枯れ葉を見に行って、
何が楽しいのか。
ずっとそんな風に思っていた。
しかし、
昨年のこの時期に
長女と車でお墓参りに
行く途中、
墓園の木々が
色付いているのを見て、
初めて
" きれいやな " と感じた。
長女に
" 紅葉ってきれいやな "
と話すと、
「当たり前やん、紅葉はきれいに決まってるやろ」
と返された。
つい先日も、
合氣道寺崎道場の
お弟子さんにも
" 最近、紅葉がきれいだなと感じる "
と話したところ、
「人間らしくなられて良かったです」
という返事が返ってきた。
どうやら、
紅葉がきれいと
感じる心は人として
当たり前のようである。
それにしても、
何とも不思議なものだ。
別に何かが変わったとか、
特別にこうした、
ああしたとか何もない。
何も変わらないのに
何故、こうも変われるのだろうか?
人間ってほんとに
不思議ですね。
心と身体って
不思議な生き物ですね。
世の中には
偶然はなく全て必然。
これにも何か意味があるのか?
もしかして、
ご先祖様の計らいなのか?
まぁ、別に
深く考えることもないか…
" きれいだな "
ただただ、心の赴くままに
天地大自然に身を委ね、
月夜に映える五重塔と
紅葉のライトアップの中を
歩きながら、
1200年前の
平安京の月夜を思ってみた。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 失敗は未来のため "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『しっぱい は みらい の ため』
今日の失敗は
明日に必ず役立つ。
深く落ち込むほどの
大失敗であっても、
将来それが役立つのだ。
何事も起こるべくして、
起きたこと。
たまたま、
偶然なんてものはない。
世の中で起こることは
全て必然だ。
今日の失敗にも
必ず意味がある。
だからこそ、
落ち込んではいけない。
その失敗の原因を
よく良く考える。
その原因をはっきりさせる。
その原因が分かれば
それを直ぐに改めるべき、
心のあり方と行動を変える。
大きな失敗でも
その二倍、三倍の
より大きな成功に
至ることができれば、
その大きな失敗にも
価値が出てくる。
それと、
その失敗があったからこそ、
人には優しくなれるものだ。
人の氣持ちも
分かってあげられる。
大金を積んでも
買えない、
尊い学びがそこにある。
今日の失敗が
明日の成功につながる。
だから、
全てそれで良しだ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 生きた教科書 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『いきた きょうかしょ』
石破 茂 首相の
立ち居振る舞いが
SNS上で話題となり、
「日本の恥」というワードが
トレンド入りする
事態になってしまった。
ペルーの首都リマで開かれた
アジア太平洋経済協力会議(APEC)での
マナーの悪さが
SNSで物議を醸している。
石破 茂 首相のもとへ
駆け寄ってきた
外国首脳に対し、
座ったまま
握手を交わした様子が
映像で報じられ、
外交上の礼儀作法の悪さを
指摘する報道やコメントが
テレビ、新聞、SNSで
話題になった。
この件について
どう思うか?
合氣道寺崎道場の
数名の小学六年生に
聞いてみた。
「恥ずかしい」
「ちゃんと立って握手するべきや」
という意見が即座に出た。
小学六年生でも
即座に答えられる程、
誰でも分かることだ。
まさか、日本の先頭に立って
日本の国益と
日本国民を護る
リーダーである、
第103代内閣総理大臣の
石破 茂 首相が
分からないはずがない。
国民の非難の声も
もっともなことだ。
テレビ、新聞、SNSでも
非難する声が
圧倒的に多く見られた。
しかし、
本当のところはどうだろうか?
ごく普通の
ごく当たり前の
立ち居振る舞いが
出来なかった要因は
心の状態にあったのでは
ないだろうか。
各国の首脳達と
同じ場に居合わせることに
心が上ずっていたのでは
ないだろか。
心の状態が身体に表れる。
上ずった心では
冷静な判断が出来ない。
そういうことは
何も今回の
石破総理だけではなく、
我々の身にも
いつでも起こり得ること
ではないだろうか。
他山の石として
訴えることなのでは
ないだろうか。
" 誰でもそうなる危険性がありますよ "
ただ寄ってたかって
非難の嵐で石破総理を
総攻撃するのではなく、
" これが生きた教科書ですよ "
この学びを
自分への戒めとして
生きていきましょう。
そういう報道をする
テレビ、新聞、ネットニュースが
日本に一つくらい
ないものだろうか。
つくづく、そう思った。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝