" 誕生日の真の意味。「オギャア」と産声を上げた日、忘れてはいけないことがある "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)末候
七十二候
第七十二候 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)
1月30~2月3日ごろ。
鶏が卵を産み始めるころ。
七十二候の最後、
つまり一年を締めくくる最後の候にあたります。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 たんじょうび の しん の いみ。「おぎゃあ」と うぶごえ を あげ た ひ、わすれ て は いけな い こと が あ る 』
誰にも訪れる誕生日。
その日は、
プレゼントをもらい、
ご馳走を食べ、
「おめでとう」と家族や友人から祝福される日。
それもいいとは思います。
でも、本当にそれだけでしょうか?
" 私たちは、忘れてはならない事実があります "
私たちが
「オギャア」と産声を上げたその日、
その瞬間は、
母が人生で最も苦しみ
命がけで痛みに耐えた日なのです。
その母の
決死の覚悟と痛みの上に、
今の私たちの「生」がある。
それを忘れ、
「この日だけは自分が主役だ」と
言わんばかりに浮かれるのは、
あまりに幼く、
そして傲慢ではないだろうか。
母の痛みを忘れ、
ただ祝いを受けるだけの誕生日は、
一年に一度の特別な日を
「ただの値打ちのない日」にしてしまう。
私はこの1月で64歳になりました。
両親はすでに鬼籍に入っています。
私が中学3年生の時に、
父は39歳という若さで、
極楽浄土へ旅立たれました。
父が生きられなかった時間を
遥かに超え、
こうして
生かされていることの重みを、
年々強く感じています。
日々の合氣道の稽古を通じて、
私が辿り着いた
「命の理(ことわり)」があります。
命とは、
親が勝手に作ったものではなく、
「天」から授かったものです。
では親とは何か。
親とは、
天から降りてくる尊い命を
この世に迎えるために、
「天の代理」という
大役を引き受けてくれた
人たちのことではないでしょうか。
母はその身を裂くような
痛みをもって天命を果たし、
父はその命を
守るために生涯を捧げた。
だからこそ、
誕生日は「自分を祝うだけの日」ではない。
天の代理として
役目を果たしてくれた両親と、
命の源である天地に、
「生んでくれてありがとう」
そして、
「今日までこの命を生かしてくれてありがとう」
と、
ひたすらに
感謝をする日なのではないでしょうか。
私は誕生日には、先祖の墓参りをします。
今年も冷たい風の中、
墓石に向かい、
母の痛みに思いを馳せ、
父の恩愛を想う。
「父と母が天の代理として
繋いでくれたこの命、
64年目も大切に使わせていただきます」
そう誓う時間が、
どんなご馳走よりも
深く、
静かで、
値打ちのあるひとときだと
私は思うのです。
僭越ではありますが、
道場生の皆さん、
そしてこれを読む皆さん。
次の誕生日は、
ケーキのロウソクの火を吹き消す前に、
自身の「命の始まり」に
思いを巡らせてみませんか。
そこには、
母の痛みと、父の祈りがあったはずです。
その事実に氣づき、
深く感謝できたとき、
誕生日は初めて
「祝うに値する日」となり、
真の意味での
「誕生日」となるのではないでしょうか。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【古を歩く】文豪・島崎藤村が愛した静寂の地。植木坂 編 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)次候
七十二候
第七十一候 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)
1月25~29日ごろ。
沢の水さえも厚く張りつめ凍る、もっとも寒いころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【いにしえ を ある く】ぶんごう・しまざきとうそん が あい し た せいじゃく の ち。うえきざか へん 』
お正月の東京出張。
道場での指導で
お弟子さんと共に
汗を流すのも大切ですが、
私にとっての
もう一つの「稽古」は、
東京という街の
「古(いにしえ)」を歩くことです。
東京には、
江戸時代から続く由緒ある坂道が
今も数多く残っています。
アスファルトの下、
あるいは高層ビルの影に、
かつての人々の
息遣いが染み付いている。
そんな場所を
ただ静かに歩き、
土地の記憶を
足裏で感じることもまた、
私にとって大切な時間です。
今日は、
最新のランドマーク「麻布台ヒルズ」の
足元にひっそりと広がる、
「植木坂(うえきざか)」界隈を
歩いた記憶を綴ります。
" 谷底の記憶と、現代の摩天楼 "
この日の坂巡りは
午前の稽古を終え、
現代東京の象徴ともいえる
麻布台ヒルズから始まりました。
いつも
東京の坂道案内役を
買って出てくれる
「合氣道寺崎道場 江戸の坂道巡り同好会」の
一員でもある愛弟子が、
歩きながら
興味深い話を聞かせてくれました。
かつてこの地には、
威厳ある郵政省本庁舎(旧逓信省庁舎)や
麻布郵便局が鎮座し、
その足元には
「我善坊谷(がぜんぼうだに)」と呼ばれる、
木造家屋がひしめき合う
谷底の町が広がっていたそうです。
それが
平成元年(1989年)からの
三十余年という
長い歳月をかけた
街づくり計画後の再開発により、
風景は一変しました。
掲げられた
コンセプトは
「Modern Urban Village(モダン・アーバン・ヴィレッジ)」。
かつての
複雑な起伏と谷の記憶は、
今や豊かな植栽と
摩天楼が織りなす、
緑に包まれた
「人と人をつなぐ広場」へと昇華されています。
そんな
最新鋭の都市空間から
一歩路地へ入ると、空氣が変わります。
煌びやかな
麻布台ヒルズを背に、
人がようやく
すれ違えるほどの
細く急な
「鼠坂(ねずみざか)」へ足を踏み入れます。
前回の記事「鼠坂」のエントリーはコチラ。
その名の通り、
かつては鼠しか通れないような
細い道だったと言われます。
この薄暗く
細い坂を登り切り、
直角に右へ
曲がったところが、
今回の主役である
「植木坂」の坂下にあたります。
" まるで迷路のような折れ曲がった地形 "
現代の合理的な
都市計画では決して生まれない、
自然の起伏に寄り添った道筋に、
身体感覚が研ぎ澄まされます。
" 植木屋と菊人形の賑わい "
「植木坂」は、
麻布台三丁目四番地と
麻布永坂町との間を縫うように走る坂道です。
この風流な名の由来は、
かつてこの辺りに
多くの「植木屋」が
軒を連ねていたことにちなみます。
言い伝えによれば、
この地の植木屋たちが
最初に菊人形などを
始めたともいわれています。
江戸の人々が、
季節の花や見事な細工を楽しみに
この坂を行き交っていた風景が、
ふと目に浮かぶようです。
" 文豪・島崎藤村の旧居跡 "
そして、
この植木坂を歩く上で
外せないのが、
文豪・島崎藤村の存在です。
坂を上がりきった一角、
現在の麻布台3-4-10付近には、
かつて
藤村が住んだ旧居跡があります。
明治38年(1905年)、
小諸から上京した藤村は
ここに居を構え、
代表作『破戒』を書き上げました。
「私は飯倉の片町に住むことになった。
そこは植木屋の多い町で、静かな、
屋敷町の控へ地のようなところであった。」
(島崎藤村『飯倉だより』より)
藤村自身も
そう記している通り、
当時は緑深く、
創作に没頭できる
深い静寂があったのでしょう。
残念ながら
当時の建物は残っていませんが、
案内板の前に立ち、
藤村が見たであろう空を見上げると、
ここが
「近代文学の夜明けの地」で
あったことを
肌で感じることができます。
合氣道では、
相手の氣を尊び、
そして
その場と調和することを大切にします。
「江戸の坂道歩き」もそれに似ています。
ただ漫然と歩くのではなく、
かつてここを歩いた人々の
足音に耳を澄ませ、
その土地が持つ歴史の重みを感じながら
歩を進める。
そうすることで、
現代の喧騒の中でも、
心静かに「臍下の一点」が定まります。
植木坂から振り返れば、
そこにはかつての
「我善坊谷」の上に立つ
麻布台ヒルズがそびえ立っています。
過去と未来が同居する
それはそれは、
東京ならではの絶景でした。
さて、次はどの坂へ向かいましょうか。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長
" 麻布台ヒルズの足元、時が止まった場所。【鼠坂】 編 "
今朝目覚めることができた。
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今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)次候
七十二候
第七十一候 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)
1月25~29日ごろ。
沢の水さえも厚く張りつめ凍る、もっとも寒いころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あざぶだいひるず の あしもと、とき が とまっ た ばしょ。【ねずみざか へん】 』
" 高層ビルの足元に残る、江戸のタイムトンネル "
東京への出張、
それは単なる
仕事や遊びの移動ではありません。
私にとっては、
江戸時代から続く
「古(いにしえ)」の道との対話の時間
でもあります。
今回足を運んだのは、
昨今話題の「麻布台ヒルズ」のすぐ近く。
最新鋭の都市開発がなされた
その場所から、
ふと路地へ入り込むと、
そこには別世界が広がっていました。
このブログで
1月22日に綴った「永坂」、
(永坂のエントリーはコチラ)
そして前回の
「於多福坂」に続き、
(於多福坂のエントリーはコチラ)
また一つ、
江戸の記憶を辿りました。
この日は麻布台教室での稽古日。
道場での指導を終え、
心地よい疲れと共に外へ出て
振り返れば、
目の前には
麻布台ヒルズがそびえています。
その巨大なビルの足元から、
ふと路地へと入り込む。
今回は、
そんな道行(みちゆき)で出会った
「鼠坂 (ねずみざか) 」のお話です。
「鼠坂(ねずみざか)」
なんとも愛嬌のある名前ですが、
その由来は
江戸時代に遡り、諸説あるようです。
「ネズミしか通れないほど細く、急な坂」
であったことから、
そう呼ばれるようになったとか。
細長く狭い道を、江戸では
ねずみ坂と呼ぶ
慣習があったともいわれているようです。
さらに、
鼬坂 (いたちざか) と呼ばれていた
という説もあるようです。
実際に歩いてみると、
確かに細い。
ここが本当に、
日本の最先端を走る麻布台なのか──。
そう我が目を疑うほど、
あの煌びやかさとは切り離された
静寂がありました。
目の前にそびえる
東京タワーへも徒歩10分ほどの立地。
背後には
近代的で超巨大な高層ビル群が
空を突き刺すように建っているというのに…。
この坂道に
一歩足を踏み入れると、
急に時間の流れが
緩やかになるのを感じます。
六本木、麻布、
麻布十番、赤坂、三田など
港区周辺にある、
これらの坂道巡りの醍醐味は
この高層ビル群と路地の静寂、
そのギャップが楽しいのです。
その土地が記憶している
数百年分の歴史や、
かつてここを往来した
人々の息遣いを感じながら、
ただ
静かに一歩一歩を踏みしめる。
インフラや都市開発で
残念ながら消滅してしまった坂道も
あることでしょう。
しかし、
現代でも多くの坂道が
アスファルトで舗装されてはいても、
道の勾配や曲がりくねった形状は、
江戸の古地図と変わっていません。
日本一高額といわれる
タワーマンション
麻布台ヒルズレジデンスなど
日本最新の街・麻布台から、
ほんの数分歩くだけで
体験できるタイムトラベル。
有名な観光地巡りも
良いですが、
こうした名もなき
(いや、名はありますが)
江戸時代から続く由緒ある坂道を
歩くことで
養われる感性もまた、
合氣道の「道」に
通じている氣がしてなりません。
皆さんも
東京へ行った際は、
ビルの谷間にひっそりと残る
「江戸」を探してみてはいかがでしょうか。
さて、次はどの坂へ向かいましょうか。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長
" 古の起伏、お多福の顔 【於多福坂】 編 "
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『 いにしえ の きふく、おたふく の かお 【おたふく ざか】 へん 』
今年、正月の東京出張。
大都会の隙間には、
江戸時代から続く
由緒ある坂道が今も息づいています。
今回の滞在では、
稽古の合間に
そんな「古(いにしえ)」を感じる
坂道をいくつも歩きました。
今日は
その中から、
六本木の喧騒を
忘れるような
不思議な空間、
「於多福坂(おたふくざか)」
について綴ります。
六本木の交差点や麻布十番の賑わい。
その熱氣から
少し離れるように、
滞在していた六本木にある
アパホテルを出て、
私はまず
「永坂」へと足を向けました。
1月22日に書いた
「永坂」についてのエントリーはこちら。
六本木の喧騒。
そこから一本路地を入ると、
空氣の質が全く変わります。
目指したのは、
六本木五丁目十三番地と
十四番地の間を南へ下る道。
「於多福坂(おたふくざか)」です。
このユーモラスな名前、
由来はその「地形」にあります。
坂を下っていくと、
途中で傾斜が
いったん緩やかになり、
そしてまた下っていく。
この
「下がって、平らで、また下がる」
という起伏が、
顔の真ん中(鼻)が低い
「お多福」の顔の
ラインに似ていることから、
そう呼ばれるようになったと
言われています。
昔の人は、
土地の起伏を
人の顔に見立てるような、
豊かな
感性を持っていたのでしょうか。
実際に歩いてみると、
ホントに静かで
そこは驚くほどの
静寂に包まれていました。
麻布十番の「鳥居坂」と平行し、
少し先には
六本木ヒルズが見えている
にも関わらず、
ここだけは時が止まったかのよう。
すぐ近くには麻布通り、
その頭上には
首都高速道路があるにも関わらず、
車の音も遠のき、
自分の足音だけが響くような感覚です。
まるで大都会の喧騒から
隔離された聖域のような場所です。
" 古 (いにしえ) を歩くということ "
このブログでは
江戸時代から続く
由緒ある坂道巡りのエントリーで
いつも言っていることですが、
私にとっての
合氣道の稽古は
道場の中だけで
終わるものではありません。
こうして
古くからある道を、
当時の人々の息遣いを感じ、
それをかみしめながら歩く。
足裏から伝わる
土地の記憶を感じることもまた、
私にとって大切な学びの時間です。
「永坂」の風情を感じ、
「於多福坂」の静けさに身を置く。
そんな
「東京の古」を歩いた
お正月の東京出張でした。
さて、次はどの坂へ向かいましょうか。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 大きな玉ねぎの下で、日本女子と話した「才能」のこと "
今朝目覚めることができた。
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大寒(だいかん)次候
七十二候
第七十一候 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)
1月25~29日ごろ。
沢の水さえも厚く張りつめ凍る、もっとも寒いころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 おおき な たまねぎ の した で 、にほん じょし と はな し た「さいのう」の こと 』
毎朝3時に起き、
静寂の中でこのブログを書くのが
私の日課です。
万物が眠る
静寂(しじま)の中、
脳裏をよぎる断片を書き留める。
この「朝活(あさかつ)」
とも呼べる
「執筆行(しっぴつぎょう)」は、
私にとって
道場での稽古と同じくらい大切な、
心の整頓の時間でもあります。
今朝、
スマホに向かう私の脳裏に、
ふと
ある女性のお弟子さんの顔が
浮かびました。
その顔を思い浮かべると、
記憶は昨年の夏の東京出張へと遡ります。
その東京出張の際、
私はできる限り多くのお弟子さんと
コミュニケーションを取りたいと思い、
稽古の時間以外でも
多くのお弟子さんと
触れ合う時間を作っていました。
ある晩、
件(くだん)の日本女子と
江戸の風情が残る
歴史ある地、
新宿区神楽坂の
焼き鳥屋へ行きました。
稽古後の心地よい疲労感と、
美味しい焼き鳥に会話も弾み、
氣づけば
少しお酒も進んでいました。
「少し夜風に当たって酔いを覚ましましょう」
そう提案して、
北の丸公園付近へ向かい、
早稲田通りを靖国神社方面へと
歩き始めました。
道中、
その日本女子の口から出るのは
やはり合氣道の質問ばかり。
「正面打ち一教で腕の返しがうまくいかない」
「呼吸動作の呼吸力がまだ掴めない」
本当に真面目な方で、
私はこのようなお弟子さんを
持てたことを「ありがたく」思います。
靖国通りをまたぐ
歩道橋の上に差し掛かったときでした。
夜空に浮かび上がるように、
日本武道館の屋根の上の
玉ねぎのような形をした擬宝珠(ぎぼし)が
美しくライトアップされていました。
いつもこれを見ると、
つい口ずさみたくなってしまいます。
「あの~大きな~玉ねぎ~の下で~」とか
「九段下の~駅を降りて〜坂道を~」
「千鳥ヶ淵〜月の水面振り向けば〜」
「澄んだ空に〜光るたまねぎ〜」とか。
そう、
まさに爆風スランプ
サンプラザ中野くんが歌う
名曲の世界ですね。
この名曲は
多くの人がカバーしていますが、
私は佐々木真央さんがカバーした
大きな玉ねぎの下で が大好きです。
話を元に戻すと、
間近で見上げるその光景は、
私たち武道に関わる人間にとって
特別なものであり、
同時にどこか
センチメンタルな
氣持ちにさせる場所でもあります。
私がこの「光る玉ねぎ」を見つめながら
感慨にふけっていると、
隣でその日本女子がふと、
独り言のように呟きました。
「先生……あの子は頭もいいし、話も上手。
おまけに見た目も華やかで、
道場でも人気者ですよね。
天は二物を与えずって言いますけど、
三つも与えちゃってる」
その日本女子の視線は、
輝く武道館に向けられたまま動きません。
「あおりを食って、
私なんかひとつも無しですよ。
お天道さまも依怙贔屓(えこひいき)
するんだなぁ」
彼女は誰かと自分を比べ、
自分には
「利点」がないと嘆いているようでした。
私は、
この日本女子の少し寂しげな
横顔を見て、古い友人の話をしました。
「私の友人にね、
ごく普通の会社員をしている男がいてな、
背は低いし、髪も薄いねん。
決して男前とは言えないけど、
なぜか不思議と人を惹きつけ、
愛される男なんよ」
彼は誰かが嫌がるような
面倒な仕事を
『僕がやるよ』と笑顔で引き受けたり、
人が見ていないところでも
手を抜かずに働く。
派手な主役タイプではないけれど、
彼がいるだけで場が和むような、
温かい
『陽だまり』のような魅力を持ってんねん。
だからこそ、
彼の中身に惚れ込んだ
素晴らしいパートナーと結ばれて、
幸せな家庭を築いてる。
「 " 容姿 " というのは、
あくまで親から借りた器に過ぎない。
でも " 雰囲氣 " というのは、
その人自身の魂が作り出すものやで」
造作が
整っているかどうかよりも、
その人がどんな言葉を選び、
どんな所作で動くか。
その積み重ねが、
人を包み込むようなオーラとなって現れます。
「ココ・シャネルの言葉にもあるやん、
『20歳の顔は自然の贈り物。
50歳の顔はあなたの功績』だと」。
どんなに美しい器も、
中身が空っぽなら歳月と共に色褪せる。
けれど、
君のように悩み、
もがきながらも稽古を続け、
自分を磨いてきた
人間の顔には、
化粧では作れない
『深み』が刻まれるんやで」
私は、
歩道橋の上で彼女に向き直り、
こう続けました。
「天は二物を与えず。
仮にやで、もし君に、
派手な才能や美貌が
与えられていないとしても、
君にはもっと
凄いものが与えられているやん」
それは、
「負けじ魂」といった
単純な言葉では表せない、
「泥臭くとも、
地を踏みしめて前へ進む
『愚直な強さ』だ」
華麗に空を舞う
才能はなくとも、
地を這ってでも
目的地へ向かう足腰の強さ。
何度転んでも、
土を払ってまた歩き出す、
その
「胆力(たんりょく)」こそが、
天が君に授けた最強のギフトです。
合氣道で
最も大切なのは、
相手と争って勝つことではなく、
昨日の自分より一歩前へ進むこと。
あの「大きな玉ねぎ」の下で、
彼女は少し涙ぐんでいるように
見えましたが、
その瞳には
武道館の光よりも
強い意志が宿っていました。
まだ
夜明け前、暁(あかつき)の朝。
その静寂の中で、今、改めて思います。
華やかさがなくてもいい。
不器用でも、
愚直に歩みを止めない
この日本女子の生き方こそが、
私は誰よりも美しいと思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝