" 矯めるなら若木のうち "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
霜降【そうこう】次候
七十二候
第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)
十月二十八日~十一月一日ごろ。
時々、小雨が降るころ。
今日の言の葉
『 若き枝は、いかようにも伸びる 』
10月27日から11月9日は
「読書週間」でございます。
これにちなみまして、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』におきましても、
しばらくの間は、
美しい日本語や大和言葉、
ことわざや四字熟語などに
できるだけ特化した記事を
綴ろうと考えております。
実は、私が日々の執筆のなかで
最も時間をかけ、
推敲に推敲を重ねているのが
「言葉の選び方」でございます。
なぜかと申しますと、
不肖私の毎日のブログを
欠かさず読んでくれる読者のなかに、
ご縁あって指導させていただいている
「コベカツ」の中学生や、
道場に通う若い門人たちが多くいるからです。
彼らには道場での稽古以外でも
何か少しでも学びを得て、
己のものにしてほしい。
そんな願いから、
あえて語彙力のある言い回しを使い、
時には難しい漢字にも、
ふりがなを振らずにおくことがございます。
現代はインターネットで
何でもすぐに情報が手に入る時代です。
「この言葉はどういう意味だろうか」
「この漢字は何て読むのか」と疑問を持たせ、
自分で調べることによって、
しっかりと身につけてほしい。
「ああ、このように表現するのか」と、
描写の妙に氣づいてほしいのでございます。
『矯(た)めるなら若木のうち』
という「ことわざ」があります。
樹木の枝ぶりを美しく整えるには
木がまだ若く、
しなやかなうちが良いという例えです。
私は日々、
この中学生たちや若者たちを
指導させていただくのが、
毎日の楽しみであり、
楽しくて仕方ありません。
なぜなら、
彼らがまさに「若木」だからです。
合氣道の技はもちろんのこと、
体捌きや足捌き、
そして、
所作や立ち居振る舞い、言葉遣いまで
道場で示すことを
まるで、
乾いた土が水を吸い込むように
柔軟に、すぐ吸収してくれるからです。
つい先日のお稽古でも
こんな素晴らしいことが二つ、ありました。
一つは、コベカツに通うある生徒のこと。
少し落ち着きがなく、
静坐の姿勢も崩れがちになっておりました。
そこで私は、
あえて注意の言葉を発するのではなく、
ただ彼の目の前で
臍下の一点に心を鎮め、
すっと仙骨を起こして
静かに座る姿を示したのです。
すると、彼は私の纏う
静かな氣配を感じ取ったのか、
自らハッと氣づき、
見違えるように美しい姿勢へと
スッと身を正しました。
手取り足取り教え込まずとも、
目の前で示された
「美しい所作」の佇まいを肌で感じ取り、
己の心身へと
即座に落とし込んでいくのです。
もう一つは、技の稽古でのこと。
相手の強い力に対し、
真っ向からぶつかり
足が止まってしまっている生徒がおりました。
ここでも私は
言葉で多くを語るのではなく、
ただ彼の前に立ち、
すっと足捌きを示しました。
相手と争わず、氣の流れる方向へ
くるりと円を描くように、
柔らかな転換をして見せたのです。
次の瞬間、
彼は理屈で考えるよりも先に
私の動きをまるで鏡に映したかのように
身体ごと写し取り、
見事に相手の力を受け流し
ふわりと相手と一体になる動きを
体現してしまったのです。
言葉による説明を介さずとも、
示された動きや氣の流れを
スポンジのように素直に吸い込んでゆく。
ある若者などは
相手を投げる様子を見ておりますと、
「自分にそっくりだ」と
私自身、驚かされることもございます。
私の動きを真っ直ぐに、
忠実に真似てくれているのですね。
年齢を重ねますと、
長年の癖が染みついて直りにくいものですが、
若い人たちは
まだ癖が馴染みきっておらず、
どこまでも柔軟でございます。
若木のようにしなやかに、
言葉や技を吸収して成長していく彼らの姿は
私自身の心身にも
心地よい刺激と
大きな喜びを与えてくれるのです。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技だけを教わる場ではございませぬ。
美しい言葉や正しい所作を通じて感性を磨き、
日々の生活に活きる
心と身体の調和をはかることでございます。
若木のごとく、しなやかに学びを重ね、
その身に付けた力を
己のためだけでなく、人のために活かしてゆく。
周囲の人々の心にそっと灯火を灯す生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
日常のふとした氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 江戸坂道巡り おハイソな景色と僧侶の哀愁。港区高輪【桂坂】編
今朝も目覚めることができた。
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十月二十八日~十一月一日ごろ。
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今日の言の葉
『 弱さもまた、人の味わい 』
今朝も午前三時に起床し、
静寂のなかで
このブログを綴っておりますが、
ぐっと底冷えがいたしまして、
この冬一番の厳しい冷え込みとなりました。
さすがの寒さに思わず、
この冬初めて暖房を入れた次第でございます。
皆様におかれましても、
どうぞお身体を冷やされませんように。
さて、東京出張の折、
稽古の合間を縫って歩みを重ねる、
合氣道琴心館寺崎道場のもう一つの会
「江戸時代から続く由緒ある東京の坂道巡り同好会」。
前回の
魔界のごとき「洞坂」を抜けまして、
(エントリーはコチラ)
次なる目的地である
「桂坂(かつらざか)」へと至りました。
東禅寺の北側から
第一京浜へと向かって下るこの坂道。
両脇を見事な高い生け垣に
守られるようにして伸びる、
傾斜の厳しい
たいへん長い坂道でございます。
この桂坂。
その名前の由来には
二つの不思議な言い伝えが残されております。
一つは、江戸の昔、
この辺りに蔦葛(つたかずら)が
鬱蒼とはびこっていたため、
「桂」という字が当てられたという説。
そしてもう一つは、
なんとも人間くさい
哀愁漂う言い伝えでございます。
身分を隠すために「かつら」を被り、
夜の花街へと急ぎ足で向かっていた
お坊様がおりました。
しかし、
この坂の途中で急に倒れられ、
無念にも帰らぬ人となってしまったそうです。
その際、
頭から落ちた
かつらがコロコロと転がったことから、
「桂(かつら)坂」と
呼ばれるようになったのだとか。
高輪から高輪台にかけての
この界隈には
前回の「洞坂」をはじめ、
「イチョウ坂」(エントリーはコチラ)や
「柘榴坂」(エントリーはコチラ)、
そしてこの後に向かう「天神坂」など、
現代では美しく整えられた
名坂が数多く残っております。
どの坂道も氣品に満ちた
なんとも瀟洒(しょうしゃ)な
佇まいでございます。
そんな上質な景色の中に
ふと、蔓のようにしなやかな自然の姿や、
江戸の僧侶の人間らしい脆(もろ)さが
隠されている。
それもまた、
坂道巡りの奥深い味わいであります。
私たちは古の出来事に
思いを馳せながら、
生け垣に囲まれた
この長い急坂を一歩一歩下ってまいりました。
傾斜が厳しいからこそ
臍下の一点にすっと心を静め、
正しいリラックスを保ったまま
はるか江戸から続く大地を足裏で確かめる。
人の弱さや
不完全さを否定するのではなく、
それもまた一つの姿として
大らかに受け入れる。
私たちの江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道巡りはまだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはこちらから
↓↓↓
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合氣道琴心館寺崎道場は
単に技だけを習得する場ではございませぬ。
私たちが大切にしているのは、
人の脆さをも静かに受け入れ、
日々の生活に活きる
自らの心を養うことでございます。
蔦葛のようにしなやかに、
どのような環境にあっても己を見失わず、
周囲の人々と和合する生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
日々の生活に活きる氣づきを
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" 若者言葉「オツー」から紐解く、美しい日本語の奥ゆかしさ "
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『 低音の艶、臍下に通ず 』
先日、駅の改札で耳にした会話です。
若者が「オツー」「オツです!」と
挨拶を交わしていました。
どうやら、
「お疲れ様」を短くした言い方のようですね。
言葉は時代の風を受けて、
少しずつ形を変えてゆくものかもしれません。
さはさりながら、
「おつ」という言葉には本来、
しゃれているとか、
ありきたりではない
粋で味わい深く
情趣に富んでいることを意味する言葉でした。
「おつ」を漢字で書くと「乙」。
「乙」の使い方は
たとえば、こんな場面です。
「乙な計らいをしてくれたものだね」
「この漬物、乙な塩加減だね」
大げさに褒めるのではなく、
通の人がそっと目を細めるような
控えめな称賛です。
ところで、昔は評価を
甲・乙・丙・丁(こう・おつ・へい・てい)と
並べていました。
ならば「乙」は二番手で
「甲」のほうが上ではないかと
思われるかもしれません。
ですが、
この言葉の由来は
その順位とは別のところにあるようです。
それは日本の古典芸能や伝統音楽です。
邦楽では、
高く張った音を「甲(かん)」、
それより低く落ち着いた音を
「乙(おつ)」と呼びます。
「かん高い声」という言い方に
その名残がありますね。
低い音には、
しっとりとした艶と深みがあります。
その響きの魅力が
やがて「洒落ている」「風情がある」という
意味へ広がっていったのだそうです。
この言葉が人々に好まれたのは、
江戸から明治の世にかけてのこと。
「乙なことをするじゃないか」と
言われれば、
最高の誉め言葉でした。
いまの暮らしでも
ちょっとした心遣いに添えてみる。
「乙なはからいですね」と
伝えるだけで、
会話にほのかな日本の趣が灯ります。
古(いにしえ)の日本語の
言い回しを紐解けば、
ひとつの言葉の裏に
これほど豊かな物語が潜んでいるのですね。
この「乙」の話を
日々の合氣道の稽古の場に重ねてみます。
派手で見栄えの良い技だけが
美しさではありません。
その奥に隠された
一段低いところに
人の心を打つ深みが宿ります。
そこで思い浮かぶのが
臍下の一点です。
臍下の無限小の一点に心を静め、
重心をすっと沈める。
すると、
身体は揺るがず
心もおのずと凪いでゆきます。
心がしんと静まれば、
若者の言葉づかいを正す方法も違ってきます。
合氣道は争わず、
相手の氣を受け入れて
正しい方向へと導く武道です。
まず、相手の言葉に込められた
親しみの氣持ちを受けとめます。
そのうえで、
「じつは、こんな由来があるのですよ」と
そっと添えてみる。
これこそ、
「乙」の心に通じる
在り方ではないでしょうか。
――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技をなぞる場ではありません。
私たちが大切にしているのは
稽古を通して
「和の心」を育むことです。
それが、やがて
周囲の人の心に灯火をともす生き方へと
育ってゆく。
言葉も所作も
まずは自分から示してゆく。
率先躬行の姿勢で
日々を歩んでまいりましょう。
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" 【文字・活字文化の日】秋の夜長に先人の知恵と向き合い心を養う "
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霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十ニ候 霜始降【しもはじめてふる】
十月二十三日~二十七日ごろ。
北国から初霜が降り始めるころ。
今日の言の葉
『声なき師と静かに語らう』
本日10月27日は
「文字・活字文化の日」でございます。
そして本日から
文化の日を挟んだ
2週間は「読書週間」となります。
「読書の秋」とも呼ばれますが、
なぜこの季節がこれほどまでに
読書にふさわしいのでしょうか。
それは、夏の賑わいに向いていた
心が穏やかに静まり、
季節とともに自然と静けさを
求めるようになるからかもしれませんね。
賑やかだった
夏の蝉時雨は遠ざかり、
日暮れが早まるとともに
夜の静寂(しじま)が深まってまいります。
澄んだ空氣の中で
虫の音だけがかすかに響く秋の夜長。
その心地よい静けさが
日々の喧騒を忘れさせ、
一冊の本を開き、
己の心と静かに向き合うための
最適な環境を
整えてくれるからではないでしょうか。
そして、日本において
この季節の「読書週間」が始まったのは
終戦直後の1947年だそうでございます。
「本を読む力によって、平和で文化的な国を創ろう」
そんな先人たちの
祈りにも似た切なる願いから、
出版社や図書館などが
手を取り合い始まったのだとか。
近年はスマートフォンなどを通じて、
次々と流れてくる
断片的な情報にばかり
触れる機会が増えました。
画面をなぞるだけで
手軽に答えが手に入る便利さのなかで、
じっくりと活字に向き合う時間から
遠ざかる人が増えているのが現状です。
手軽で表面的な情報を
ただ次から次へと目で追うばかりではなく、
時間をかけて著者の深い言葉を味わい
丁寧に読み解く。
そうした読書がもたらす
豊かな効用が
今、改めて見直されております。
私たちの心というものは、
日々の暮らしの中で
何に触れるかによって、
少しずつ形を
変えていくものでございます。
心打たれる美しい言葉。
あるいは、
真摯に人生を歩んだ先人たちの生き様。
そうした本物の言葉や教えに
触れ続けることが、
より良い人生を歩み
自らの運命を切り拓いていくための
確かな土台を育んでくれるのでございます。
書物は時を超えて
語りかけてくれる声なき師でございます。
文字を追う時間は
単なる知識の吸収にとどまらず、
自らの心と静かに向き合う
内なる対話の時間でもあります。
慌ただしい日々に
流されそうになったときこそ、
一冊の本を開き、
善き言葉に触れる
ひとときを持ってはいかがでしょうか。
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合氣道琴心館寺崎道場は
単に技だけを習得する場ではございませぬ。
先人たちの知恵に学び、
日々の生活に活きる
自らの心を養うことでございます。
美しい言葉に触れて
己の心に静寂を取り戻し、
周囲の人々の心にも
ささやかな明かりを灯す生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
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" 表層にとらわれず、見えない氣を感じる "
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今週もよろしくお願いします。
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霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十ニ候 霜始降【しもはじめてふる】
十月二十三日~二十七日ごろ。
北国から初霜が降り始めるころ。
今日の言の葉『 心をほどき、たおやかに 』
二十四節氣の「霜降」は
秋を締めくくる最後の節氣でございます。
暦の上では
冷たい霜が降りるころとされておりますが、
現実の私たちの
暮らしにおきましては、
日中はまだ
汗ばむような暖かさが残る日もございます。
そのため、
「もう霜が降りる季節なのか」と
少し不思議な氣分にもなりますね。
さはさりながら、
暖かい空氣や日差しの下では
氣づきにくくとも、
朝晩の風の中には
確実に次の季節へと向かう
かすかな移ろいが混じり始めております。
表面的な暖かさにばかり
氣を取られておりますと、
目には見えぬところで
たゆみなく巡る天地大自然の営み。
その確かな季節の移ろいを
見落としてしまうのであります。
実は合氣道の稽古におきましても
これと同じ理(ことわり)がございます。
相手と向き合ったとき、
私たちはつい、相手の動きや
目に見える表層的な技の形ばかりに
氣を取られがちです。
しかし、
本当に大切なのは
相手の動きの奥にある
目に見えない氣の動きや
わずかな心の変化を感じ取ることでございます。
そのためには、
自らの余分な力みを手放し、
己の心身と静かに向き合いながら
「正しいリラックス」を心がけること。
そして、臍下(せいか)の一点へ
スッと心を静める。
そうして己の心を
さざ波ひとつ立てず
静かな水面のように保つことで、
はじめて、
天地大自然の営みや
相手の微細な動きを
あるがままに受け取ることができるのですね。
―――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技のみをなぞる場ではありません。
表面的な出来事や
目に見える結果だけで
物事を判断することなく、
天地大自然の移ろいを感じるように
日常においても余計な力みを手放し、
まずは自らが日々の暮らしの中で実践し、
「周囲の人の心に灯火を灯す」
そのような生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
日々の生活に活きる氣づきを
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