" 一人の人間が切り開く道。私なりの「合氣の道」を次代へ託す "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】次候
七十二候
第五十候 菊花開【きくのはなひらく】
十月十三日~十七日頃ごろ。
キクの花が開くころ。
本日の道場長の 一日一心
『万物一如。すべては繋がる』
「国民教育の師父」森信三氏。
氏の遺した言葉に
このようなものがございます。
「一人の人間がその生涯をかけて
切り開いた道というものは、
単にその人一人にとどまることなく、
後からくる幾多の人々が
その恩恵に浴するのであります」
この言葉に触れるたび、
私は心身統一合氣道を確立された
藤平光一翁(おう)のことを想います。
もともと、私は武道というものに
一切の興味を抱いておりませんでした。
しかし、ご縁があって、
藤平光一翁のご著書を
数冊拝読する機会に恵まれました。
ページをめくるうちに、
これは当時まだ小学校低学年だった
二人の娘たちに学ばせたほうが良い。
そして何より、
私自身が学んだほうが良いと、
強く感じたのでございます。
私がその高著を手にしたとき、
すでに、藤平光一翁は
この世を去っておられました。
しかし、
翁が生涯をかけて切り開かれた道は
私の心に深い影響を与え、
それがきっかけとなり、
現在こうして、
合氣道琴心館寺崎道場を
主宰するにまで至っております。
まさに、
森信三氏のお言葉の通りでございます。
私のような未熟者ではございますが、
僭越ながら、自分にしか練り上げ
次代へ託せないものがあると感じております。
それは、
合氣の技だけではございません。
合氣道の「和合」とは
端的に申しますと、
相手を深く尊重し、相手の心を知り、
相手と一体になることでございます。
しかし、
翻って今の日本を見つめますと、
自国に対する正しい歴史認識も持たず、
テレビや、再生数稼ぎの出鱈目な世界情勢に
踊らされている現状がございます。
現在の世界における日本の立ち位置。
隣国がもたらす脅威の重大さ。
外国資本による、国土の買収問題。
資源エネルギー。
何十年もの間、大切な同胞が
北朝鮮に拉致されたままでありながら
取り返しに行くことすらできない、
この国の現実。
そして、
憲法九条を改正する事の真の意義。
内憂外患を取り上げれば
キリがございませんが、
何よりも重要なことは
日本の確かなる根っこである
「皇位継承」について、
私たちは誰からも
正しく教わっていないという事実でございます。
国の根幹を知らずして、
どうして、自国に誇りを持てるでしょうか?
己の国に誇りを持てずして、
どうして、他国の文化や習慣を
心から尊重することができるでしょうか?
自分のことはどうでもいいから、
相手のことだけを思いやれ?
果たして、
そのような根無草のようなあり方で、
真の和合(平和)と言えるのでしょうか?
各分野において
本当に信頼できる専門家の方々は、
決してテレビなどには出演なさいませんし、
再生数稼ぎの動画などを
投稿することもございません。
私はそうした
真のその分野における専門家の方々から
皇位継承、安全保障、危機管理、
資源エネルギー、スパイ防止関連法、
表層の奥底に流れる
世の理を深く学んでおります。
一見いたしますと、
こうした国を憂う学びと武道の稽古とは
全く無関係に思えるかもしれません。
しかし、
己の確かなる軸(自国への誇り)を
打ち立ててこそ、
はじめて他者(他国)を真に尊重し、
手を取り合うことができる。
この国家のあり方と、
目の前の相手と一体になる合氣の理合いは
実は、まったく同じものなのでございます。
人間の心と身体が
ひとつに結ばれているように。
世の成り立ちもまた、
すべては目に見えぬ糸で繋がっております。
この部分は無関係だとか。
これとこれは、切り離して考えるとか。
そのようなものは
私たちの日常には
一切存在しないのでございます。
すべては、
円を描くように繋がり合っております。
だからこそ私は、
先人たちが遺してくださった合氣の教えと、
世の理を説く、
この幾多の学びとをひとつに結び合わせたい。
武の技のみにとどまらず、
先人たちの知恵と
いまを生きる私たちの暮らしを
美しく織りなし、
私なりの
新たな合氣の道を練り上げてゆきたい。
藤平光一翁が
その生涯をかけて道を切り開かれたように、
私もまた、微力ながらも己の命を注ぎ、
次なる世代の助けとなるような
一本の道。
その道は、
必ずやこの手で拓いてまいります。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
―――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場道場は
ただ技を習う場ではございませぬ。
私たちが大切にしているのは、
己の確かなる軸を持ち、
自国への誇りとともに
他者を真に尊重する心を持つことでございます。
表面的な事象にとらわれず、
目に見えない繋がりを深く見つめ
次代へ託すべき「真の平和」の道を
皆様とともに探究していくことでございます。
日々の生活に活きる氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
心穏やかに日々を歩むヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 人の波を水のごとく、凛とした氣の歩み。【イチョウ坂】編 "
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第五十候 菊花開【きくのはなひらく】
十月十三日~十七日頃ごろ。
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本日の道場長の 一日一心
『凛とした氣の歩み』
このブログで
以前から綴っておりますが、
合氣道琴心館寺崎道場には
「江戸の坂道巡り同好会」がございます。
東京出張の折、
稽古の合間を縫って東京の坂道を歩き
古を感じております。
前回の記事からの続きです。
エントリーは コチラ。
この同好会の一員であり、
麻布台教室を主宰し、
港区の坂道案内人を務める
弟子のつぶらやひとみさん。
彼女の先導により、
江戸時代から続く由緒ある
「柘榴坂(ざくろざか)」を歩いたのち、
私たちはすぐ隣にある
「イチョウ坂」へと案内されました。
品川駅高輪口を出まして、
すぐ裏手にある
品川プリンスホテルの
敷地内へと続くこの坂道。
現在のホテルが建つ
この敷地一帯は、
江戸時代には
毛利家などの大名屋敷があった
大変に歴史ある土地でございます。
しかし、
「イチョウ坂」という道そのものは、
ホテルの開発に伴って
敷地内に造られた道なのだそうです。
沿道にイチョウが
植えられていることから、
近年になって名付けられたのだそうです。
江戸の面影を色濃く残す
柘榴坂とは異なりまして、
現代の美しい景観が広がっております。
この日は坂を上った先にある
「マクセル アクアパーク品川」にて
何やら催しがあったようで、
イチョウ坂は
家族連れなどで
大変な賑わいを見せておりました。
次から次へと
多くの方が行き交う人の波。
これまで数ある
江戸の坂道を歩いてまいりましたが、
これほど人で溢れる坂は
はじめてでございます。
すると、傍らを歩む彼女が
「先生、これはチャンスですね!いい稽古になりますね」と。
「そやな!思いっきり氣出して歩くで」
私がそう応じますと。
「御意」と、力強く頷きました。
実は、この人混みを歩くという所作。
私たちが日頃から行っている
決め事のような
「稽古法」なのでございます。
臍下の一点に心を静め、
正しいリラックスをして
真っ直ぐに、
およそ十メートルほど先へと、
よどみない強い氣を出しながら歩く。
そういたしますと、
前から歩いてくる方は
必ず避けてくださいます。
もし、
誰かとぶつかりそうになったとしたら、
それは、己の氣の出し方が弱い証拠。
正しく
そして強い氣を出していれば、
相手は百パーセント避けてくださり、
絶対にぶつかることはございません。
絶対です。
そう、はっきりと、言い切れます。
歩いてくる人々を障害物として捉えたり、
対立し、抗うのではなく、
自らの真っ直ぐな強力な氣をもって
周囲と自然に和合していくのです。
私たちの何氣ない日々の暮らし。
実はその至る所に、
己を磨く修練の場が広がっております。
そのことに
そっと意識を向けるか、否か。
ただそれだけで
人生の歩みは大きく変わってまいります。
特別な場所へ出向かずとも、
ほんの些細な日常のひとコマに
私たちを成長させる
大切な学びが息づいているのでありまする。
私たちの江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道巡りはまだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
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合氣道琴心館寺崎道場は
単に道場の中だけで
武術の技を極めることではございません。
日々の喧騒のなかでも
決して萎縮することなく、
臍下の一点から常に強い氣を出し続けること。
そのよどみない氣の力をもって
周囲と和合し、
ご縁ある人々の心に
温かな灯火を灯すような生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
日々の生活に活きる氣づきを
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喧騒に惑わされず、
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 不惜身命、共に紡ぐ和の道 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】次候
七十二候
第五十候 菊花開【きくのはなひらく】
十月十三日~十七日頃ごろ。
キクの花が開くころ。
本日の道場長の 一日一心 『不惜身命』
このブログでも
折に触れて綴っておりますが、
神戸市立中学校の部活動を
地域へ移行する
「コベカツクラブ」の活動。
ありがたいことに、
合氣道琴心館寺崎道場コベカツクラブも
今や四十名近い生徒たちをはじめ、
保護者の方々や、
地域の皆様が参加してくださっております。
中学校の部活動という
ひとつの学び舎に集い、
世代を越えて
清々しい汗を流せますことは、
指導にあたる身として
これほど胸を熱くする喜びはございません。
さらに、
今週から来週にかけましては、
このコベカツ以外にも
新たに四名の方より
道場体験のお申し込みを賜りました。
こうして多くの方々と
新たなるご縁が結ばれていくこと。
ただただ有り難く、
感謝の念に堪えません。
暦では七十二候
菊花開(きくのはなひらく)
野に菊の花が咲きほころぶころ。
冷たい露が草花を濡らし、
空氣が澄みわたる季節です。
野の菊は、
一輪ごとに咲き方が違います。
けれど、
同じ秋の光を浴びてともに野を彩ります。
道場もまた、同じです。
年齢も、経験も、背負うものも、みな違う。
さはさりながら、
その違いこそが
道場に豊かな彩りをもたらします。
人が増えれば、
考えや意見の違いなどから
心が波立つこともあるでしょう。
そんなときこそ、
思い出したいことがあります。
心身の余計な力みは、
相手との間に壁をつくります。
正しいリラックスは
その壁をそっと溶かします。
ゆったりと息を吐き、
己の臍下の一点に心を静める。
私たち人間は天地大自然の一部です。
重力に逆らわず、
心身の余計な力みを抜き、
この壮大な天地大自然と一体となる。
盤石な統一体になれば、
相手の心身の動きがよーく、見えてきます。
前もってそれを察知したら、
もう争う理由がなくなります。
相手とぶつからず、寄り添い、ともに動く。
これが合氣道の「和合」です。
正しいリラックスを身につけ、
互いを敬い
尊重しあう心を学ぶ場には
争いのない
清らかで温かな氣が満ちてまいります。
それぞれの違いを受け入れ、
和合していくこと。
それこそが、
私たちが稽古を通じて
日常で体現したい姿なのですね。
今週も
不惜身命の志を胸に、
道場に集うお弟子さんたちと
心身を澄みわたる氣が巡るのを感じつつ、
一挙手一投足に魂を込め、
真摯に向き合ってまいります。
――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技のみを習得することではございません。
私たちが大切にしているのは、
稽古を通じた心と身体の調和です。
そして、
その学びを日々の暮らしへと持ち帰り、
その健やかな氣をもって
「周囲の人の心に灯火を灯す」ような
優しく力強い生き方を
ともに探究していくことでございます。
まずは自らが動く、
率先躬行の姿勢で
和合の輪を広げていきたいと願っております。
日常の暮らしをより良くするヒントが
ここにあるかもしれません。
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 闇があるからこそ輝く、光のことわり "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
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本日は二十四節氣
寒露【かんろ】次候
七十二候
第五十候 菊花開【きくのはなひらく】
十月十三日~十七日頃ごろ。
キクの花が開くころ。
本日の道場長の 「一日一心 」
『やみ が あるからこそ かがやく、ひかり の ことわり』
新月で姿を隠していたお月さまが、
美しい三日月となり、
再び夜空に姿を現しました。
今月中旬には
「十三夜」を控えております。
十三夜とは、
十五夜とともに美しいとされる月のこと。
すべてが満ちきった
満月の「完成の美」に対し、
これから満ちてゆく途上の
「未完成の美」を愛でる。
いかにも日本らしい
奥ゆかしい風習でございますね。
空氣がひんやりと
澄み渡るこれからの季節。
夜空を見上げるのが
ことのほか楽しみになりますね。
さて、
本日十月十三日は、
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場
長峰コベカツクラブの稽古日でございます。
「コベカツ」とは、
神戸市立中学校 部活動の完全地域移行のこと。
本日も精一杯、
次代を担う若き学徒たちへ
合氣道の理(ことわり)を指導してまいります。
会場となります
神戸市立長峰中学校は、
坂の多い神戸市灘区のなかでも
一番の急坂と呼ばれる
「長峰坂」を登りきった場所にございます。
その校舎の最も高い場所に
武道場が位置しておりまして、
午後八時ごろに稽古を終え
一歩外へ出ますと、
足元を照らす灯りなくしては
歩けぬほどの、
深い漆黒の闇に包まれます。
しかし、
その深い闇があるからこそ、
眼下に広がる
100万ドルの神戸の夜景が、
息を呑むほど鮮やかに浮かび上がるのです。
月に二回、
この学び舎を訪れますが、
稽古を終えてこの景色を眺めるのが
私の密かな楽しみとなっております。
今宵も
煌めく地上の星々が織りなす光の海の上に、
あの美しい三日月が、
静かに小舟を浮かべるような情景を
拝めるでしょうか。
今日の夜から明日にかけて
少しお天氣が
下り坂に向かうようではございますが、
雲の切れ間から、
その姿を見られることを望んでおります。
暗闇が深ければ深いほど、
光は美しく輝きを増します。
これは都会の街の景色だけでなく、
私たちの人生にも通じる、
美しい理ではないでしょうか。
深い困難という
「闇」を経験するからこそ、
その後に見出す小さな喜びや
人や物への感謝という「光」は、
より一層、
かけがえのない輝きを放ち
私たちの心を
照らしてくれるのではないでしょうか。
――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技だけを教わる場所ではありません。
私たちが大切にしているのは、
あらゆる経験をありのままに受け入れ
日々、己を磨き、
周囲の人々や周りの環境と和合する生き方を
ともに探究していくことでございます。
日常の風景に宿る美しい氣づきを
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 時代が変われど残したい「言葉の響き」がある。若者へ紡ぐ私の流儀 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】初候
七十二候
第四十九候 鴻雁来【こうがんきたる】
十月八日~十二日ごろ。
雁などの冬鳥が北から渡ってくるころ。
本日の道場長の一日一心『言霊の継承』
秋分を過ぎ、
日に日に夜明けが遅くなりました。
今朝も午前三時に起床して、
このブログを執筆しております。
外はまだ暗く、
今朝も変わらず、
カラスの声が夜のしじまを破りました。
この「しじま」という美しい言葉。
周囲に人影はなく、
物音もいっさい聞こえない、
ただ微かな風の息遣いだけが
感じられるような、
深い静寂のことでございます。
真夜中の底知れぬ静けさを
「夜のしじま」と表現いたします。
漢字では「無言」や
「静寂」といった字が当てられますが、
もともとは
「縮まる」を意味する古語「しじまる」から
生まれた言葉なのだそうです。
古来より、口をきゅっと結んで
何も言わない様子を指しておりました。
江戸の昔には、
人々の喧騒を鎮めるために打ち鳴らす鐘を
「しじまの鐘」と
呼んでいた歴史もあるのだとか。
その「口を閉ざす」という
意味合いが転じて、
やがて空間全体が
ひっそりと静まり返った
状態そのものを表すようになったのですね。
さらに、この言葉には
単なる無音状態にとどまらない、
どこか胸に迫るような
寂寥感(せきりょうかん)が漂っております。
草木が葉を落とし、
小さな命が静かに冬ごもりの支度を始める。
これから向かう季節にこそ、
ふさわしい響きを持った言葉ではないでしょうか。
私は平日の毎日、
午前三時に起床いたしますと、
まずは頭に浮かんだことを
ありのままに箇条書きで綴ります。
そこから順序を整理し、
さらに文章を推敲していくのです。
この推敲の作業には
大変な時間がかかります。
読めばわずか
一、二分で終わるような短い文章であっても、
一つの記事として投稿するまでには
それ相当の時間を費やします。
納得がいくまで言葉を磨き続け、
時には六時間以上も
パソコン、スマホに向かうことがございます。
AIを駆使する時代に
なぜ、そこまでするのか?
それは決して
妥協をしたくないからでございます。
もしかすると、
今日この執筆が
私の人生最後の執筆になるかもしれない。
だからこそ、
一字一句、一挙手一投足に
深く魂を込めるのです。
さらに
もう一つ大切な理由がございます。
それはこの拙いブログを
毎日読んでくださる方々の中に、
学び舎で己を磨き、
次代を担う
若き学徒たちが多く含まれているからです。
私の学生時代もそうでしたが、
現代では昔よりもさらに
何でも短く略してしまったり、
意味を取り違えたまま
使われている言葉が多いように感じます。
もちろん、
時代が移り変われば
その流れの中で
自然と消えゆくものが
あることも事実でございます。
その時代に応じた
水のように柔軟な心を持つことは
私たちが生きていく上で
常に求められる姿勢でございましょう。
さはさりながら、
すべてを時代の波に流してしまって
よいわけではございませぬ。
奥深い大和言葉や、
美しい日本語の響き。
古来より先人たちが
大切に守り伝えてきた日本独自の習慣。
そして、
他者を思いやる美しい所作の数々。
これらを途絶えさせることなく、
次代の若者たちへ伝え続けていくこと。
それこそが、
僭越ながら、不肖私の
なすべき大切な責務だと感じております。
たとえば、
今用いました「さはさりながら」。
これは「それはそうだけれども」
ということを
このように奥ゆかしく
表現する言葉でございますね。
また、
単に「はかない夢」と言うよりも
「泡沫(うたかた)の夢」
としたほうが、
はかなく
消えゆくものと知りつつも、
そこに託した一縷(いちる)の望みが、
より美しく表現できます。
また、
「氣持ちを引き締めなさい」よりも、
「居住まいを正す」としたほうが
まずは外なる姿勢を静かに整えることで、
内なる心も自然と鎮まり
スッと背筋が伸びていく。
心と身体が深く繋がっているという
美しい理が静かに宿る言葉ですね。
こうした素晴らしい言葉たちが
死語となってしまわぬよう、
次世代へしっかりと継承していくことも
私たち大人の大切な役割ではないでしょうか。
そのため、
毎日の文章がくどくならないよう
注意を払いながら、
こうした表現を
あえて用いるようにしております。
そして、
よみがなや意味を
あえて書かないことも多々ございます。
それは決して
不親切からではございません。
このブログを読む若者たちに
自らの手でその意味を調べ、
言葉の奥深さに
触れてほしいからです。
美しい日本独特の
言い回しや大和言葉を
自然と使える人になってほしい。
そんな祈りを込めて
今朝も「しじま」の中で
キーボードを叩いております。
今週もありがとうございました。
心穏やかな三連休を。
―――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
身体だけを動かす場ではありません。
私たちが大切にしているのは
美しい言葉や所作を通じて
より豊かな心を育むことです。
世のため人のため、
先人たちが残してくれた素晴らしい文化を
次代へ繋ぐ生き方を
ともに探究していくことでございます。
美しい言葉の響きの数々を
この道場長ブログ
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