" 「坐」が教えてくれる心の稽古、それが呼吸法だ。"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】次候
七十二候
第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)
「鶺鴒鳴」は9月12日~17日頃。
水辺に住むセキレイが鳴き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 " ざ " が おしえ て くれ る こころ の けいこ、それ が こきゅうほう だ。 』
" 心を調え、技を磨く "
私は日々の稽古の中で、
お弟子さんには
肉体的な技だけでなく、
心のあり方も探求する重要性を説いています。
いつも言っていることですが、
合氣道琴心館寺崎道場の稽古は、
単に身体を動かすことだけではありません。
道場は、
自分自身の心と向き合う場所でもあります。
私は
道場での呼吸法に加えて、
日頃から
よく静かな場所で深く呼吸を整えます。
心を臍下の一点に静め、
口から吐けるだけを吐き、
鼻から吸えるだけを吸う。
決して力まず、より深く。
一呼吸は時間や長さではなく、
仙骨を起こしてリラックスすること。
それが
私たちが実践する「呼吸法」です。
この時間こそ、私の「一日一心」。
忙しい日々の中で、
心身の奥底へと意識を向け、
もう一人の自分と対話する
貴重な時間なのです。
この「静かに坐る」という行為は、
まるで自分の中にいる二人の自分、
" 感情に流されやすい自分と、
冷静に物事を見つめる
もう一人の自分が対話する "
ようなものだと、私は思います。
漢字の「坐」という字は、
土の上に二人の人が並んでいる形を
表しています。
これはまさに、
この二人の自分が向き合い、
対話している様子を象徴しています。
この対話を繰り返すことで、
私たちは感情の波に飲み込まれることなく、
心を平穏に
保つことができるようになります。
他人から
何かひどいことを言われて落ち込んだり、
逆に誰かの態度や言葉に
腹が立つという
氣持ちになったりすることも
少なくなっていきます。
ちなみに、
もう一つの「座」という漢字は、
「座標」「妻の座」「夫の座」のように、
場所や位置を表す名詞として使われます。
どちらも人が二人並んでいる形ですが、
その意味は少しずつ違いますね。
合氣道琴心館寺崎道場の
技の稽古は、
この「坐」を通して心を調え、
技を磨くことを目指しています。
心と技が一体となることで、
真の正しさへと繋がっていくのです。
外見では技は身体の動きですが、
その動きを司るのは「心」です。
どれだけ身体が強くても、
「心」が乱れていれば、技は必ず崩れます。
だからこそ、
私たちは技を通じて、
「心」という
見えない部分を鍛えているのです。
今日も、
道場で皆さんと
心、技、体、氣、一体の稽古が
できることを楽しみにしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 稽古の道すがら、江戸の坂道に学ぶ。二合半坂編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週も宜しくお願いいたします。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】次候
七十二候
第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)
「鶺鴒鳴」は9月12日~17日頃。
水辺に住むセキレイが鳴き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 けいこ の みち すがら、えど の さかみち に まな ぶ。にごうはんざか へん 』
8月1日から17日まで、
東京での夏の集中稽古と
指導者育成練成稽古のため、
出張しておりました。
連日の暑さの中、
集まったお弟子さんたちと
汗を流す日々は、
私自身にとっても貴重な時間です。
多忙な稽古日程の合間を縫って、
かねてより心に決めていた
もう一つの目的も少しは
果たすことができました。
それは、
由緒ある江戸の坂道を巡ることです。
今回訪れたのは、
千代田区富士見町1丁目にある
「二合半坂」です。
JR飯田橋駅から目白通りへ
少し歩いた大神宮通りに交差する
暁星学園小学校の横から、
フィリピン大使館前へと続くこの坂道。
なぜ「二合半」というのか、
その名の由来は諸説あり、
どちらも実に興味深いものです。
【 説1:見方を変える大切さ 】
江戸時代の書物『再校江戸砂子』には、
この坂の上から
東に日光山が半分見えた、とあります。
なぜ日光山が
半分見えると二合半なのか?
それは、
富士山の高さを「一合」「二合」と
十分割で数える習慣に由来したそうです。
この坂から見えた日光山は、
西側に望む富士山に比べて
半分の高さ(五合)に見え、
さらにその日光山を坂上から見ると
半分しか見えなかったため、
「富士山の半分の、そのまた半分」
すなわち
「二合半」と名付けられた、というのです。
【 説2:謙虚さの重要性 】
別の説では、
この坂があまりにも急で、
お酒を一合飲んで登ると、
二合半も飲んだかのように酔ってしまう、と
伝えられています。
" 稽古も人生も、坂道と同じ "
合氣道の稽古も人生も、
この「二合半坂」のように、
一見しただけでは
分かりづらい側面や、
困難な道のりがあるものです。
「日光山が半分見える」
という視点は、
物事の本質を捉えるには、
表面的な部分だけでなく、
見方を変える工夫が
必要だと教えてくれているように思います。
合氣道の技の理合を
深く探求することで、
初めて見えてくる世界があるのです。
また、
「急な坂道で酔ってしまう」
という話は、
自分の力を過信せず、
常に謙虚な氣持ちで向き合うことの
重要性を物語っているようです。
稽古においても、
力任せに相手とぶつかるのではなく、
相手の氣の方向、
相手が向かおうとする方向を尊重し、
自分の使う方向へと
導くことが大切になりますね。
東京の街中に江戸時代から
ひっそりと佇むこれらの坂道は、
合氣道の道と通じる
多くの教えを毎回、私に与えてくれます。
肉体を鍛えることだけに執着せず、
物事を多角的に捉え、
柔軟に対応する
「素直な心」を養うこと。
何も考えずに通れば、
ただ通り過ぎるだけの坂道でも
学ぼうとする心さえあれば、
日常において
いくらでも、どこからでも、
学べるものです。
これこそが、
合氣道を日常に活かす「道」なのだと
改めて感じた一日でした。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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↓↓↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 型を破れば、道は開ける。オリジナルという発想 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】次候
七十二候
第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)
「鶺鴒鳴」は9月12日~17日頃。
水辺に住むセキレイが鳴き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 かた を やぶ れ ば、みち は ひら け る。オリジナル という はっそう 』
街を歩けば、
流行のファッションに身を包んだ人々、
SNSを開けば他人の投稿に
「いいね」、共感の嵐。
それらすべてが、まるで自然発生的に
生まれたかのように見えますが、
実はそうではありませんね。
必ず、
それを仕掛けている人、
つまり
「未来を先に決めている人」が
いるのですね。
"「オリジナル合氣道」で未来を創る "
私ごときが僭越ですが、
合氣道の世界でも
同じことが言えると思うのです。
誰かが「こうあるべき」と
決めた型や技を
ただ「なぞるだけ」では、
本当の真理には
たどり着けないのではないでしょうか。
合氣道の技の稽古は、
相手の動きに無理に逆らわず、
その相手の氣の方向を尊重して
自分の中心、
つまり「自分の軸」を保つことにあります。
相手の攻撃を受け流し、
自分の進みたい方向に導くように、
人生においても、
誰かがつくり出した流れに
ただ乗るのではなく、
自分の「中心」を見つけ、
未来を「先に」決めてしまう
という「生き方」。
たとえば、
ファッション業界では
一年半先の流行が
決められていると言われています。
パリコレでチェック柄が多用されれば、
それが翌年のトレンドになるように、
私たちも
「私はこうありたい」という
未来を先に決めてしまうという
生き方もあるのではないでしょうか。
「私はこういう人生を送りたいから、こういう選択をする」と
決めてしまえば、
他人に何を言われても
自信を持っていられます。
中には
それを誹謗中傷する人も
あるかもしれません。
合氣道の受け身に例えるなら、
相手からの批判や雑音も、
涼しい顔をして
受け身をとることでその衝撃を吸収し、
自分のエネルギーに変えて
立ち上がることができます。
そして、
自分がその言葉通りの人生を
心から楽しんでいれば、
周囲は次第に共感し、
やがて自分の「生き様」に
憧れるようになる人も
現れるようになるかもしれません。
" 合氣道琴心館寺崎道場が目指すもの "
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場は、
私の師範である琴地茂先生から
教えていただいた
大切な技を継承する一方で、
日々、私はあえて他流派の技も研究します。
それに対して、
否定的な意見も当然あることでしょう。
しかし、
師範から教わった技の真理が、
他流派の技を複合し
試行錯誤することで
師範から教わった技の
一つひとつ、部分部分に、
非常に理に適った真理が
見えてくることが少なくないのです。
真理が分かれば、
それはもはや流派の技ではなく、
私自身のオリジナルな
合氣道として捉えることができると思います。
これは、人生においても同じですね。
誰かが築いた
大きな組織の中で、
その組織のトップを
追い抜こうとしても、それは至難の業です。
たとえば、
経営の神様と称される松下幸之助氏や、
圧倒的な影響力を持つ作家・村上春樹氏と
同じ土俵で同じような活動をしても、
彼らを超えることは難しいでしょう。
しかし、
自分だけの「オリジナル」なら話は別です。
自分にしか生み出せない世界観、
自分だけのフィールドを
築いてしまえば、
どんなに優れた人にも
劣ることはありません。
" 合氣道を通して「日本人」としての誇りを伝える "
いつも事あるごとに
このブログで言っていることですが、
合氣道琴心館寺崎道場が
目指すのは、
単に技を教えることだけでは
ありません。
私は日々、
様々なことを学び続けています。
それは誰でも
無料で情報を得られるような、
ネットやSNSの
無責任な情報等とは全く違います。
世界各国に深いパイプを持ち、
その専門分野では
国内で比較する人がいないほど、
信頼できる専門家の先生に
正当な授業料を納め、
学校教育では教えてもらえない
正しい歴史認識、
現在の国際情勢、
安全保障、危機管理、テロ対策、
資源エネルギーから政治経済まで、
学び続けています。
それは、
幅広い知識を身につけるためです。
そして、
それらの知識を
私自身が学び続けることで、
合氣道の稽古の中で、
若い弟子たちに
真に伝えることができるのです。
今の日本には、
日本人としてどう生きていくのか、
日本人としての誇りを持って
生きることの
重要性を若者に伝える
必要があります。
合氣道は日本発祥の武道です。
そうであるなら、
日本の根幹を深く学び、
日本人としての誇りを持って生きることが
私たち合氣道家の責務でもあると、
私は強く思います。
またそれが、
日本という国に生まれた
私たちに課せられた使命でもあると、
私は考えています。
合氣道を通して、
技の習得はもちろんのこと、
一人の人間として、
そして日本人としてどう生きていくのか。
単なる
どこにでもある合氣道道場ではなく、
合氣道琴心館寺崎道場を主宰する
不肖、私は自分だけのオリジナルな
合氣道の道を堂々と歩むこと。
それを魂から
次世代に伝え、指導することこそ、
合氣道琴心館寺崎道場が
ここに存在する理由なのです。
この先も、
その根幹が揺らぐことは決してございませぬ。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 知識を「経験」で磨く思考法 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】初候
七十二候
第四十三候 草露白(くさのつゆしろし)
「草露白」は9月7日~11日頃。
二十四節氣は「白露」へと移りました。
日中の暑さは変わらず厳しいですが、朝夕は少し涼しくなってきました。
「草露白」は草に降りた露が白く輝いて見える頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ちしき を「けいけん」で みが く しこう ほう 』
人間は、あらゆる所で
知り得た知識を
そのまま
他人にアウトプットするだけでは、
本当の意味での「知識を得た」
ことにはならないと、
私は思うのです。
したがって、
その知識を経験や見聞を通して
深く検証することで、
単なる知識や情報が
自分だけの
「本当の知恵」へと昇華されます。
" 読書は「知恵の木」を育てる時間 "
私は合氣道師範を拝命してから、
ありがたいことに
日々の稽古や指導に加えて、
さまざまな素晴らしい書籍と出会い、
それを読む機会、ご縁に恵まれています。
ジャンルは
哲学書、歴史書、ビジネス書、
政治経済、安全保障、小説など
多岐にわたります。
書籍から得られる知識は、
先人の知恵や思想が凝縮された宝物です。
しかし、
ただ読むだけで「はい、わかった」と
頭に入れるだけでは、
本当の意味で
自分の知恵や力にはなりません。
私たち人間は、
外部から取り入れた情報を、
そのまま出力するだけでは、
単なる「情報の伝達者」でしかないと、
私は思うのです。
では、
どうすればその知識を
自分自身のものにできるのでしょうか。
私は、
それが「経験」と「見聞」による
検証 だと考えています。
たとえば、
ビジネス書で学んだ
コミュニケーション術を、
道場でお弟子さんや
保護者の方々との対話で試してみる。
あるいは、
小説で描かれる人間の心の機微を、
指導中に感じた感情と
照らし合わせて深く考察する。
こうした実践と考察を通じて、
知識は単なる活字ではなく、
心身を通じて得た「知恵」
いわゆる自分の「血」となり「骨」へと
変わっていくのです。
このプロセスを、
自分の中に「思想の大樹」を
育てることに例えたら、
読書で得た新しい知識は、
その大樹につける
新しい葉っぱのようなものです。
ただ闇雲に適当に
葉をつけるのではなく、
「この葉は、この枝につけてみよう。
すでに生えているあの葉と並べて、
どう見えるか試してみよう」と、
意識的に配置する。
そうすることで、
大樹はより強固になり、
どこに何があるのかを
自分がしっかり把握できるようになります。
必要なときに、必要な知恵を
すっと引き出すことができるのは、
日頃から
こうした整理を意識しているからです。
単に知識を詰め込むだけでなく、
それを自分の血肉とすることで、
初めて人間は
真の賢者 になれるのではないでしょうか。
決して、
私が「真の賢者」だ
などと言っているのではありません。
私はまだまだ未熟者であり、
発展途上にある身です。
さはさりながら、
「真の賢者」を目指す一人の合氣道家です。
皆さんは、
日々取り入れている知識を
どのように育てていきますか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" その覚悟がない者は来るべからず "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】初候
七十二候
第四十三候 草露白(くさのつゆしろし)
「草露白」は9月7日~11日頃。
二十四節氣は「白露」へと移りました。
日中の暑さは変わらず厳しいですが、朝夕は少し涼しくなってきました。
「草露白」は草に降りた露が白く輝いて見える頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 その かくご が ない もの は くるべからず 』
" その覚悟、ありますか?"
心身ともに強くなるために、
また、世のため、人のために
少しでも役立つ人間になれるように、
道場に熱心に通う人がいる。
一方で、
入門前からさまざまな条件を
提示する人がいる。
「昇級審査は受けなくてもいいですか?」
「演武大会は出なくても大丈夫ですか?」
中には、
「道着は着なくてもいいですか?」
「本氣になるのが嫌なので道着は着たくありません」
ごく稀に少数だが、
こういった
呆れるような質問を
入門前からする人もいる。
そして、
口にこそ出さないが、
「お月謝を納めてまでやりたくない」
そのように思っている人も実際にいる。
正直なところ、驚きを隠せません。
そのような人たちは
何のために、
何を学びに来たいと思っているのでしょうか。
合氣道琴心館寺崎道場は、
単に身体を動かす場ではありません。
日本人としての生き方を学び、
礼儀を学び、
心身を鍛え、
氣を出し、
自分自身と向き合い、
その立ち居振る舞いを
日常生活において存分に発揮し、
世の中のためになるよう
練成する場所です。
昇級や昇段、
演武大会への参加は、
その自身の成長を確かめる大切な機会。
自分の都合だけで
昇級できたり
演武大会に出場したりはできません。
その人の稽古中の
態度や稽古量、
技の理解度や
習得の大小などを考慮して、
道場長が決めるもの。
そして、
道着は稽古への心構えを整え、
道場全体の一体感を生むための
大切な道具です。
入門前から
「これはやらない」
「あれはしたくない」という姿勢では、
到底、その真髄に
触れることは難しいでしょう。
これまで、
そうした者が長く稽古を
続けられた例は一例もありません。
そういった者は
何をしても、
どのような場、環境に身をおいても
何一つ、手にできるものはなく、
人にも信頼されない。
学びの場というものは、
まず「やってみよう」
という、
前向きな「氣持ち」と
「覚悟」から始まります。
道場長が
入門者へ求める
『たった一つのこと』
それは
" 全てを受け入れなさい "
ということ。
もし、
あなたが本氣で
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場の合氣道を
学びたいと願うなら、
ぜひ一度、
道場に足を運んでみてください。
私たちは、
その熱意を心から歓迎します。
しかし、
もし少しでも
「あれはいらない」
「それはしたくない」という
氣持ちがあるなら、
当道場は
あなたの学びたいことを習得できる
場ではありません。
学ぶ前から
「したくない」というものを
決めるのではなく、
全てを受け入れて
挑戦する覚悟を持ってください。
それが、
あなたの成長への
助長の第一歩となるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝