2025-12-22 03:35:00

" 磨いたのはマットではなく「心」。兵庫キャナルタウン教室、一年の締めくくり "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

今週もよろしくお願いします。

 

 

 

本日は、二十四節氣

冬至【とうじ】初候

 

七十二候

第六十四候 乃東生(なつかれくさしょうず)

12月21日~25日ごろ。

ウツボグサの芽が出てくるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ​みが い た の は マット で は な く「こころ」ひょうご きゃなるたうん きょうしつ、いちねん の しめ くく り 』

 

 

 

 

2025年も

いよいよ残り少なくなってまいりました。

 

 

 

先日、

日曜稽古の最終日に

 

兵庫キャナルタウン教室にて、

ジョイントマットの大掃除を行いました。

 

 

今回、

何よりも私の心を打ったのは、

 

お弟子さん

お一人お一人が見せてくださった、

温かく、そして力強い真心です。

 

 

 

 

​正直に申し上げまして、

私の予想を

遥かに上回る数のお弟子さんたちが、

 

お忙しい中、

この掃除のために駆けつけてくださいました。

 

 

 

誰に言われるでもなく、

自然と役割を分担し、

 

一枚一枚のマットを丁寧に、

そして一心に拭き上げる姿。

 

 

 

その光景は、

まさに合氣道琴心館寺崎道場が

理想とする「和」そのものでした。

 

 

 

お弟子さんたちの手によって、

長年染み付いた汚れが落ち、

 

道場が眩しいほどに

輝きを取り戻していく様子を見ながら、

 

私は

胸が熱くなるのを感じていました。

 

 

 

 

 

道場とは、

単なる

建物ではなく、

 

単なる

稽古場でもありません。

 

そこに集う

人々の心で作られるもの。

 

 

 

 

 

改めて

そのことを教えていただいた氣がします。

 

 

 

これほどまでに

素晴らしいお弟子さんたちに恵まれ、

共に歩めていることを、

 

道場長として、

言葉では言い尽くせないほど嬉しく、

誇りに思います。

 

 

 

皆様の真心のおかげで、

来年も清々しい氣の中で、

 

また

一歩深く、稽古に励むことができます。

 

 

 

本当に、

本当にありがとうございました。

 

 

 

さて、

2025年の稽古も、

 

いよいよ

残すところあと2回となりました。

 

 

12月23日(火):神戸常盤アリーナ

​12月24日(水):兵庫キャナルタウン教室

 

 

 

​この2日間が、

今年の稽古納めとなります。

 

 

 

 

ピカピカに磨かれた道場で、

今年一年の感謝を噛み締めながら、

 

皆様と共に

最高の締めくくりをしたいと思います。

 

 

 

年末の慌ただしい中でも

心乱さず、

 

共に心身を統一し、

元氣にお稽古いたしましょう!

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-12-19 03:50:00

" 仕事とは「事に仕える」こと。目の前の一人と魂を磨き合う日々 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

大雪【たいせつ】末候

 

七十二候

第六十三候 鱖魚群 (さけのうおむらがる)

12月16日~20日ごろ。

鮭が川を遡上するために群れをなすころ。

海で大きく育った鮭は産卵のため、

ふるさとの川へ帰っていきます。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ​しごと とは「こと に つかえ る」こと。め の まえ の ひとり と またしい を みが き あ う ひび 』

 

 

 

 

「最近はどうですか? 道場に新しい人は増えましたか?」

 

 

時折、

周りの人から

そんな声をかけられることがあります。

 

 

 

私の答えは、

いつも決まってこうです。

 

​「いいえ、増えていませんよ」

 

 

 

​すると

相手は心配そうに、

 

「増やす努力をしなければ、人は増えませんよ」と

アドバイスをくださいます。

 

 

 

確かに、

道場運営という側面で見れば、

 

退会される方がいる一方で、

新しい入門者がいなければ

成り立たなくなるのは事実です。

 

経営という

視点は無視できませんし、

 

​その側面だけを見れば、

新規の入門者を追うのは正解かもしれません。

 

 

 

 

​しかし、

「数を増やすこと」だけが、

 

私の「仕事」

なのだろうかと、

 

この問いかけに

いつも疑問に思っています。

 

 

 

また、

そういう問いかけをなさる人の

 

その心が

その言葉に反映しているのではないかと、

思うのです。

 

 

 

 

 

 

私は「仕事」というものの

定義を少し違う場所に置いています。

 

 

 

 

 

それは、

 

​"「報酬」は仕事の結果であり、目的ではない "

 

という定義です。

 

 

 

 

一般的に仕事といえば、

給料、売り上げ、労働、

対価、報酬といった言葉が並びます。

 

「これだけ動いたから、これだけの金銭をもらう」という

交換条件のような定義です。

 

 

 

 

 

 

"「仕事」の文字に込められた意味 "

 

 

 

 

 

たとえば、

営業職であれば

「売上を上げろ」と鼓舞されます。

 

 

数字が出なければ

評価されない。

 

それが社会の厳しさかもしれません。

 

 

 

 

しかし、

「仕事」という字は

「事に仕える」と書きます。

 

 

 

それは、

単なる労働の切り売りではないのです。

 

 

 

 

世のため、

人のために己の命を使い、

その「使命」に仕えること。

 

 

 

この「事」とは、

単なる作業や数字ではありません。

 

 

世の中のため、

人のために

役立つという「使命」であり、

 

お客様や、

目の前の人の心に深く寄りうこと。

 

 

そのプロセスそのものが

「仕事の本質」なのだと私は考えています。

 

 

 

 

" 合氣道師範としての「仕える事」"

 

 

 

 

​私は

合氣道琴心館寺崎道場を主宰する

道場長であり、

 

 

寺崎道場 合氣道師範として

「仕えるべき事」は、

 

 

合氣道という道を通じて、

縁あって入門してくれた

お弟子さんたちの人生に資することです。

 

 

 

師範として

お弟子さんと向き合うとき、

 

私は単に

「技」を教えているのではありません。

 

 

 

その人の心の震えを感じること:

稽古を通じて、

その日の迷いや力み、

あるいは成長の兆しを掴み取ります。

 

 

 

「今」この瞬間に全力を注ぐ:

今、目の前で汗を流している

一人ひとりの「心」が

どこにあるのかを見つめます。

 

 

共に歩む覚悟:

長く続けてくれるお弟子さんは、

単なる「門人」ではなく、

共に道を歩むパートナーです。

 

彼らの変化に寄り添い、

共に魂を磨き合う。

 

 

 

 

 

​新しい人を増やすための

広告や宣伝に躍起になるよりも、

 

今、こうして縁あって

道場に足を運んでくれている

お弟子さん一人ひとりと向き合うこと。

 

長く続けてくれている

彼らの心に寄り添い、共に稽古に励むこと。

 

 

 

その「事」に

誠実に仕えることが、

道場長としての私の務めです。

 

 

 

それが私の「仕事」です。

 

 

 

 

​売上や数字を追いかける

「作業」に追われてしまうと、

 

一番大切な

「人の心」がこぼれ落ちてしまいます。

 

 

 

​数字は結果であって、

目的ではありません。

 

 

 

目の前の一人に、

どれだけ深い価値を届けられるか。

 

 

 

​たとえ数は増えなくとも、

今いるお弟子さんたちが

 

「ここに来て良かった」と、

清々しい心で

稽古を終え、道場を後にできること。

 

 

 

その一事(いちじ)に誠実に仕え続けること。

 

 

 

 

「最近、人は増えましたか?」

 

 

 

その問いに、

私は今日も自信を持って答えたいと思います。

 

 

 

「ええ、今いる方々と、最高の稽古ができています」と。

 

 

本日も、

目の前の一心に仕える稽古を。

 

 

 

 

今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-12-18 03:22:00

" ​魂が震えた2時間50分。劇団四季に見た「プロ」の極意 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

大雪【たいせつ】末候

 

七十二候

第六十三候 鱖魚群 (さけのうおむらがる)

12月16日~20日ごろ。

鮭が川を遡上するために群れをなすころ。

海で大きく育った鮭は産卵のため、

ふるさとの川へ帰っていきます。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ​たましい が ふるえ た にじかん ごじゅっぷん。げきだん しき に み た「ぷろ」の ごくい 』

 

 

 

 

 

​昨日はご縁をいただき、

追手門学院大学 教育後援会

2025年度見学懇親会に

出席させていただきました。

 

 

​会場はホテルグランヴィア大阪。

 

 

美味しい昼食を囲みながら、

大学の学長先生をはじめ、

 

教育後援会の役員の方々、

大学関係者の皆様と

懇親を深めることができました。

 

 

 

教育の現場における

熱い想いや、

 

未来を担う

学生たちへの眼差しに触れ、

 

私自身も

多くの刺激と学びをいただいた

ひとときでした。

 

 

 

 

​そしてその後、

懇親会の皆様と共に

大阪四季劇場へと足を運びました。

 

 

 

演目は、

ミュージカル「ゴースト&レディ」。

 

 

私にとって、

これが人生で

初めて触れる「劇団四季」の世界でした。

 

 

 

 

" 魂と魂が響き合う物語 "

 

 

 

この「ゴースト&レディ」

という作品は、

 

近代看護の母

フローレンス・ナイチンゲール(フロー)と、

 

芝居小屋に住み着く

元決闘代理人の幽霊(グレイ)が

 

織りなす、

奇妙で美しい愛と信念の物語です。

 

 

 

 

「人を救いたい」と願う

フローの強い意志が、

 

冷酷な幽霊の心を次第に溶かし、

やがて二人は

クリミア戦争の戦場へと赴きます。

 

 

絶望的な状況の中で

「生きる意味」を問い続ける

 

その姿は、

観る者の心に

鋭く問いかけてくるものがありました。

 

 

 

 

 

" 凄まじき「稽古」の量 "

 

 

 

 

幕が上がってからの

2時間50分。

 

ただただ、圧倒されました。

 

 

壮大な舞台装置、

煌びやかな衣装もさることながら、

 

何よりも

キャストの方々の大迫力の演技。

 

 

 

舞台の隅々にまで行き渡る「氣」

 

 

 

あの長尺の歌、

激しいダンス、

そして膨大な台詞の量。

 

 

それらを

一切の淀みなく、

 

全身全霊で表現し続ける

体力と精神力には言葉を失います。

 

 

 

指先一つ、

視線一つ、

立ち居振る舞いに至るまで

 

神経が研ぎ澄まされており、

一瞬たりとも

氣が抜けた表情など一切ありません。

 

 

道は違えど、

全身から「氣を出す」ことを

志す者として、

 

私の目は自然と

彼らの「表情」と「呼吸」に向いていました。

 

 

 

相当な「稽古」を積まねば、

あれだけのことは到底できません。

 

 

 

 

一体、

どれほどの時間をかけ、

どれほどの汗を流し、

 

自身を追い込んで

練り上げれば、

 

あのような境地に

達することができるのか。

 

 

 

 

華やかな舞台の裏にある、

キャストの方々の

 

血の滲むような

鍛錬の日々に思いを馳せ、

 

ただただ感動するばかりでした。

 

 

 

心身を極限まで使いこなし、

喉を枯らし、

 

それでもなお

表現を磨き続ける日々の鍛錬。

 

 

 

 

その凄まじい積み重ねが、

あの圧倒的な『 氣 (エネルギー) 』

となって

客席に押し寄せてくるのです。

 

 

 

 

超一流のプロの仕事とは

まさに、こういうことなのですね。

 

 

 

 

その道で一流のプロを

極めようとする人の姿は美しく、

そして尊いものです。

 

 

 

 

 

" 感動のフィナーレ "

 

 

 

 

​そして迎えたフィナーレ。

 

 

​物語が結末を迎え、

カーテンコールへと続く中、

 

客席のあちこちから

感動のあまり

涙する人々の氣配が伝わってきました。

 

 

そして、

私自身もまた、

 

胸の奥底から込み上げてくる

熱いものを抑えることができませんでした。

 

 

 

 

舞台上の演者たちが

放つ凄まじい『 氣 (エネルギー) 』と、

 

 

物語に込められた「命の輝き」が、

私たちの魂を直接揺さぶったのです。

 

 

 

理屈ではなく、

魂が共鳴した証でしょう。

 

 

 

深く、感動いたしました。

 

 

 

「プロフェッショナルとは何か」

 

 

 

その答えを、

「劇団四季」に見せていただきました。

 

 

​人生初の劇団四季ミュージカル。

 

 

 

​そこには

言葉に尽くせぬ感動があり、

 

プロフェッショナルとしての

真のあり方を学ばせていただきました。

 

 

 

​私自身も、また必ず。

 

 

​あの超一流の

演者たちが放つ「氣」を感じに、

劇場へ足を運びたいと思います。

 

 

 

 

ご一緒させていただいた

追手門学院大学教育後援会、

大学関係者の皆様、

 

そして

素晴らしい舞台を

見せてくださった劇団四季の皆様に、

心より感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

ほんまに生きて良かったわ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-12-17 03:08:00

" イルミネーションより美しい?雨のメリケンパークで見つけた「静かな奇跡」 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

大雪【たいせつ】末候

 

七十二候

第六十三候 鱖魚群 (さけのうおむらがる)

12月16日~20日ごろ。

鮭が川を遡上するために群れをなすころ。

海で大きく育った鮭は産卵のため、

ふるさとの川へ帰っていきます。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ​いるみねーしょん より うつくし い? あめ の めりけんぱーく で みつけ た「しずか な きせき」 』

 

 

 

 

 

今年も

残り僅かとなりました。

 

神戸メリケンパークは

クリスマスイルミネーションに彩られ、

 

一年で最も

華やかな季節を迎えていますが、

 

私の心にふと蘇ったのは、

そんな賑わいとは対極にある、

11月の雨の日の記憶でした。

 

 

今日は、

少し前の静かな神戸で出会った景色と、

 

そこで感じた

「季節と命」について

綴ってみようと思います。

 

 

 

" 1ヶ月前、雨音だけが響く神戸メリケンパークへ "

 

 

11月のある日のこと。

元町周辺での用事を終え、

メリケンパークへと向かいました。

 

 

​空からは

ポツリポツリと雨。

 

 

前日の天氣予報を見て

鞄に入れておいた折りたたみ傘を開き、

私はそのまま歩き続けました。

 

 

12月の今となっては

多くの人で賑わうこの場所も、

 

あの日は人けも少なく、

聞こえるのは雨音だけ。

 

 

​でも、

そんな静寂に包まれた神戸もまた、

 

良いものだと

感じながら歩を進めていました。

 

 

 

 

" 雨の日だからこそ出会えた「絶景」"

 

 

 

 

公園に着く頃には雨足も強まり、

そこら中に水たまりができていました。

 

 

足元が悪く、

少し歩きにくい状況。

 

 

しかし、

ふと視線を落とした瞬間、

私はハッと息を呑みました。

 

 

 

​水たまりが鏡となり、

赤い神戸ポートタワーを

くっきりと映し出していたのです。

 

 

​雨が降らなければ、

水たまりができなければ、

決して見ることのできなかった景色。

 

 

 

 

それは、

雨の日だけがくれる

特別なプレゼントのようでした。

 

 

 

 

" 足元の絶景に心を奪われて "

 

 

 

​自宅から

歩いて行ける見慣れた場所で、

 

こんなにも美しい

リフレクション写真が撮れるなんて。

 

 

 

 

そればかりか、

その時、一瞬雨がやんだのです。

 

 

 

 

雨粒で水面が乱れていては、

リフレクションも乱れます。

 

 

鮮明にあるがままの姿の

逆さ神戸ポートタワーを映し出していました。

 

 

 

 

まさに、お天道さまが

「今撮れ!」と言わんばかりです。

 

 

 

 

この状況に

一人静かに感動し、

 

「これはインスタグラムに投稿しよう」と

何度もスマホのシャッターを切りました。

 

 

 

 

​煌びやかな

イルミネーションも素敵ですが、

 

あの雨の日に見た、

水鏡の中の静かな

神戸ポートタワーの美しさは、

 

1ヶ月経った今でも

鮮明に焼き付いています。

 

 

 

 

 

" 巡る季節、それぞれの「良さ」と「命」"

 

 

 

 

今、東雲の空を見上げながら

あの日のことを反芻 (はんすう) し、

このブログを執筆しています。

 

 

 

雨には雨の良さがあるように、

季節にもそれぞれの

役割があるのだと改めて思うのです。

 

 

 

寒い冬は

手も凍える厳しさがあるけれど、

その分、空氣が澄み渡る冬の良さ。

 

 

​酷暑の夏は

身体にはこたえるけれど、

生命力が爆発する夏の良さ。

 

 

夏にしか育たないものがあり、

冬の寒さを耐えて大きく育つものがある。

 

 

 

私たちも、動物も、植物も。

 

 

それぞれの季節、

それぞれの環境の中で

懸命に生きている「尊い命」です。

 

 

 

 

" 地球って凄いな "

 

 

 

 

​雨も、晴れも、寒さも、暑さも。

 

 

すべてがこの星の営みであり、

その中で私たちは生かされている。

 

 

 

​1ヶ月前の雨の日の記憶と、

今の夜明け前の静けさが

繋がったとき、素直にこう思いました。

 

 

「改めて、地球って凄いな!」

 

 

 

​このブログを読んでくださる

読者のみなさまも

 

もし雨が降ったら、

がっかりせずに足元を見てみてください。

 

 

 

そこには、

その時しか出会えない

 

「命の輝き」

「静かな絶景」

待っているかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-12-16 03:51:00

" 命は母からの「ギフト」ではなく、天からの「預かりもの」。私たちが勘違いしてはいけないこと "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

大雪【たいせつ】末候

 

七十二候

第六十三候 鱖魚群 (さけのうおむらがる)

12月16日~20日ごろ。

鮭が川を遡上するために群れをなすころ。

海で大きく育った鮭は産卵のため、

ふるさとの川へ帰っていきます。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ​いのち は はは から の「ギフト」で は なく、てん から の「あずかり もの」。わたし たち が かんちがい して は いけない こと 』

 

 

 

 

 

ふと、

車で信号待ちをしていたときのことです。

 

 

歩道の掲示板に、

こんな標語が掲げられていました。

 

 

「おかあさんからもらったこの命、大切にしよう」

 

 

一見すると、

親への感謝や

自愛を促す美しい言葉に見えます。

 

 

 

 

しかし、

その言葉を目にした瞬間、

 

私の胸には温かさとは全く違う、

ある種の「強烈な違和感」が去来しました。

 

 

この言葉には、

無意識のうちに

 

「命の真理」を見誤らせる

リスクが潜んでいるのではないか。

 

そう感じたのです。

 

 

 

 

" その命、

本当に「お母さん」が

作ったものですか?"

 

 

 

 

「お母さんからもらった命」という

表現は正しいのでしょうか。

 

 

 

​もし、

命が人間の意志で作れるものなら、

この世の理(ことわり)は

もっと単純なはずではないでしょうか?

 

 

 

どれほど

子どもが欲しいと切望しても、

授からないことがあるのが現実です。

 

 

逆に、

予期せぬタイミングで

新しい命が宿ることもあります。

 

 

 

 

​ここには、

人間の意志や肉体的な努力だけでは

どうにもならない、

「人智を超えた領域」が働いています。

 

 

 

 

人間は、

命というシステムを

一から創造することなどできません。

 

 

 

 

 

"「産んであげた」という驕(おご)りが招くもの "

 

 

 

私が最も危惧するのは、

親自身が「この子の命は私があげたもの」

「私が産んであげた」と錯覚してしまうことです。

 

 

「私が与えた命なのだから、この子は私のものだ」

「こんな子に育つために、あなたを産んだのではない」

 

この意識が芽生えた瞬間、

親は無自覚に

子どもを「私物化」し始めます。

 

 

 

 

自分の所有物だから、

自分の意のままに育てていい。

 

 

自分の理想通りに動かしていい。

 

 

そんなコントロール欲求の根源が、

ここにあるように私は思うのです。

 

 

「あなたのために産んで育ててあげたのよ」

 

 

 

そんな言葉で

子どもを縛り付けてしまう悲劇は、

 

命の出処を

「自分(親)」だと

勘違いすることから

始まっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

" 命は「天地」からの一時的な預かりもの "

 

 

 

 

 

では、

私たちの命はどこから来たのか。

 

 

 

それは

母からではなく、

「天地」から授かったものです。

 

 

お母さんは、

命の創造主ではありません。

 

 

 

天から降りてくる

命をこの世に迎えるために

 

身体を貸し、

痛みに耐えて産んでくれた、

 

尊い「代理人」です。

 

 

 

あくまで、

天と地をつなぐ

パイプ役を果たしてくれた存在なのです。

 

 

 

 

こう考えると、

親子関係の景色はガラリと変わります。

 

 

 

親にとって子とは、

自分の所有物ではなく、

 

天から一時的に預かり、

大切に育て上げる

責任を負った「預かりもの」

 

 

 

子にとって命とは、

親の所有物ではなく、

天から授かった

一回きりの尊い自分だけの輝き。

 

 

 

 

 

" 天に還すその日まで "

 

 

 

「命を大切にしよう」

 

掲示板にあった

結論そのものは、

間違いのない真実です。

 

 

しかし、

それは「お母さんからもらったから」

大切にするのではありません。

 

 

 

天地から授かり、

いつかは

天にお返ししなければならない

 

尊い「借り物」だからこそ、

粗末にしてはいけないのです。

 

 

 

 

親も子も、

互いに「天からの授かりもの」である

という謙虚な認識を持つこと。

 

 

 

 

それこそが、

親子の執着や支配から自由になり、

 

本当の意味で

命を大切にすることに繋がるのだと思います。

 

 

 

 

​信号待ちで見かけた

あの一言は、

 

私に

「親としての在り方」と「命のルーツ」を

深く問い直させてくれました。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝