" 時代が変われど残したい「言葉の響き」がある。若者へ紡ぐ私の流儀 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】初候
七十二候
第四十九候 鴻雁来【こうがんきたる】
十月八日~十二日ごろ。
雁などの冬鳥が北から渡ってくるころ。
本日の道場長の一日一心『言霊の継承』
秋分を過ぎ、
日に日に夜明けが遅くなりました。
今朝も午前三時に起床して、
このブログを執筆しております。
外はまだ暗く、
今朝も変わらず、
カラスの声が夜のしじまを破りました。
この「しじま」という美しい言葉。
周囲に人影はなく、
物音もいっさい聞こえない、
ただ微かな風の息遣いだけが
感じられるような、
深い静寂のことでございます。
真夜中の底知れぬ静けさを
「夜のしじま」と表現いたします。
漢字では「無言」や
「静寂」といった字が当てられますが、
もともとは
「縮まる」を意味する古語「しじまる」から
生まれた言葉なのだそうです。
古来より、口をきゅっと結んで
何も言わない様子を指しておりました。
江戸の昔には、
人々の喧騒を鎮めるために打ち鳴らす鐘を
「しじまの鐘」と
呼んでいた歴史もあるのだとか。
その「口を閉ざす」という
意味合いが転じて、
やがて空間全体が
ひっそりと静まり返った
状態そのものを表すようになったのですね。
さらに、この言葉には
単なる無音状態にとどまらない、
どこか胸に迫るような
寂寥感(せきりょうかん)が漂っております。
草木が葉を落とし、
小さな命が静かに冬ごもりの支度を始める。
これから向かう季節にこそ、
ふさわしい響きを持った言葉ではないでしょうか。
私は平日の毎日、
午前三時に起床いたしますと、
まずは頭に浮かんだことを
ありのままに箇条書きで綴ります。
そこから順序を整理し、
さらに文章を推敲していくのです。
この推敲の作業には
大変な時間がかかります。
読めばわずか
一、二分で終わるような短い文章であっても、
一つの記事として投稿するまでには
それ相当の時間を費やします。
納得がいくまで言葉を磨き続け、
時には六時間以上も
パソコン、スマホに向かうことがございます。
AIを駆使する時代に
なぜ、そこまでするのか?
それは決して
妥協をしたくないからでございます。
もしかすると、
今日この執筆が
私の人生最後の執筆になるかもしれない。
だからこそ、
一字一句、一挙手一投足に
深く魂を込めるのです。
さらに
もう一つ大切な理由がございます。
それはこの拙いブログを
毎日読んでくださる方々の中に、
学び舎で己を磨き、
次代を担う
若き学徒たちが多く含まれているからです。
私の学生時代もそうでしたが、
現代では昔よりもさらに
何でも短く略してしまったり、
意味を取り違えたまま
使われている言葉が多いように感じます。
もちろん、
時代が移り変われば
その流れの中で
自然と消えゆくものが
あることも事実でございます。
その時代に応じた
水のように柔軟な心を持つことは
私たちが生きていく上で
常に求められる姿勢でございましょう。
さはさりながら、
すべてを時代の波に流してしまって
よいわけではございませぬ。
奥深い大和言葉や、
美しい日本語の響き。
古来より先人たちが
大切に守り伝えてきた日本独自の習慣。
そして、
他者を思いやる美しい所作の数々。
これらを途絶えさせることなく、
次代の若者たちへ伝え続けていくこと。
それこそが、
僭越ながら、不肖私の
なすべき大切な責務だと感じております。
たとえば、
今用いました「さはさりながら」。
これは「それはそうだけれども」
ということを
このように奥ゆかしく
表現する言葉でございますね。
また、
単に「はかない夢」と言うよりも
「泡沫(うたかた)の夢」
としたほうが、
はかなく
消えゆくものと知りつつも、
そこに託した一縷(いちる)の望みが、
より美しく表現できます。
また、
「氣持ちを引き締めなさい」よりも、
「居住まいを正す」としたほうが
まずは外なる姿勢を静かに整えることで、
内なる心も自然と鎮まり
スッと背筋が伸びていく。
心と身体が深く繋がっているという
美しい理が静かに宿る言葉ですね。
こうした素晴らしい言葉たちが
死語となってしまわぬよう、
次世代へしっかりと継承していくことも
私たち大人の大切な役割ではないでしょうか。
そのため、
毎日の文章がくどくならないよう
注意を払いながら、
こうした表現を
あえて用いるようにしております。
そして、
よみがなや意味を
あえて書かないことも多々ございます。
それは決して
不親切からではございません。
このブログを読む若者たちに
自らの手でその意味を調べ、
言葉の奥深さに
触れてほしいからです。
美しい日本独特の
言い回しや大和言葉を
自然と使える人になってほしい。
そんな祈りを込めて
今朝も「しじま」の中で
キーボードを叩いております。
今週もありがとうございました。
心穏やかな三連休を。
―――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
身体だけを動かす場ではありません。
私たちが大切にしているのは
美しい言葉や所作を通じて
より豊かな心を育むことです。
世のため人のため、
先人たちが残してくれた素晴らしい文化を
次代へ繋ぐ生き方を
ともに探究していくことでございます。
美しい言葉の響きの数々を
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
日々の暮らしを豊かにするヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 東京十社参りの結願。夏の王子神社に吹く涼風と「髪の祖神」への感謝 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】初候
七十二候
第四十九候 鴻雁来【こうがんきたる】
十月八日~十二日ごろ。
雁などの冬鳥が北から渡ってくるころ。
本日の “ 道場長の一日一心 ”
『 身は天地の借り物、ただ感謝の内に 』
東京出張の折には、
「江戸の坂道巡り同好会」の活動として、
稽古の合間に
江戸時代から続く由緒ある坂道を
歩くのが常でございますが、
実は数年前から、
もう一つ続けてきたことがございます。
それが「東京十社参り」でございます。
東京十社とは、
もとは明治天皇が東京の安寧を祈願して
定められた格式高いお社のこと。
その後、
昭和天皇の御即位五十年を奉祝し、
改めて巡拝の形として整えられたのが、
現在の「東京十社参り」なのだそうです。
根津神社、芝大神宮、神田明神、日枝神社、
亀戸天神社、白山神社、品川神社、
富岡八幡宮、王子神社、赤坂氷川神社。
一回の東京出張の
集中稽古の合間に一社程度のペースで、
数年をかけて、
参拝を重ねてまいりました。
残すところ
「王子神社」と「亀戸天神社」の二社となり、
そして今年の夏、
とうとう結願の時を迎える出張となりました。
今年の東京の夏は
わたしの住む神戸より数段涼しく、
滞在中に30度を超えることは稀でした。
とはいえ、
夏真っ盛りの都心のアスファルト。
歩き回れば、
それなりに暑さを感じます。
しかし、
空調服の風のおかげで
随分と快適に歩くことができたのです。
今回、滞在先に
アパホテル駒込駅前を選びましたのも、
結願の地である「王子神社」へ
向かうためでございました。
御朱印帳を持参し、
ホテルを出て
東京メトロ南北線に乗り込みます。
駒込駅からわずか二駅。
涼しい車内でほっと一息つく間に、
王子駅でございます。
地上に出ますと、
すぐそばには緑豊かな
音無親水公園(おとなししんすいこうえん)の
せせらぎが広がっております。
「日本の都市公園100選」にも
選ばれている美しい場所で、
その清らかな水音が
夏の熱氣を優しく和らげてくれました。
そこから木陰の続く
緩やかな坂道を少し歩き、
王子神社の鳥居をくぐりますと、
街の喧騒から切り離されたように
清らかな涼風が吹き抜けておりました。
本殿に手を合わせ
御朱印をいただいた後、
境内を歩いておりますと、
大変珍しいお社に出会いました。
「髪の祖神(かみのそしん)」を
お祀りしているお社でございます。
全国的にも極めて珍しく、
髪の毛を扱う
理容や美容に関わる方々の信仰を
広く集めているそうです。
髪の毛一本一本に至るまで、
私たちの身体は
天地大自然からの
大切な借り物であることに、
改めて深く感謝することができました。
また、
この王子神社にほど近い場所には、
江戸の面影を残す
「権現坂(ごんげんざか)」がございます。
王子神社参拝とともに
こちらの坂道も歩いてまいりました。
以前このブログで記しました
権現坂のエントリーは コチラ から。
真夏の東京の街から
音無親水公園、王子神社、そして権現坂へ。
神社の静謐な空氣と
正しいリラックスによって
静かに心身を静めていく。
動と静のバランスを整える
大変豊かな時間でございました。
―――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に武の形をなぞり、
己の技を磨くためだけの
道場ではございません。
わたしたちが大切にしているのは、
世のため人のため
社会の礎となる揺るぎない人材を育て、
地域社会に貢献しうる真の生き方を
ともに探究していくことです。
日常に寄り添うささやかな学びを
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 夢なき者に成功なし。吉田松陰の教えと、次世代へ繋ぐ「氣の和」"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
秋分【しゅうぶん】末候
七十二候
第四十八候 水始涸【みずはじめてかる】
十月三日~七日ごろ。
田んぼの水を抜き秋の実りを迎える準備を始めるころ。
本日の “ 道場長の一日一心 ”
『 ゆめ なき もの に せいこう なし。よしだしょういん の おしえ と、じせだい へ つなぐ「き の わ」 』
このブログを読んでくださる
皆さまの心にはいま、
大切に温め育んでいる
「夢」がございますでしょうか。
幕末の志士、吉田松陰は
このような言葉を残しております。
「夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に夢なき者に成功なし」
すべての物事は、
遥かなる未来を思い描き、
心に「志(こころざし)」を立てること。
すなわち「夢」から
始まるのだという教えですね。
もとより、
私自身の胸の奥にも
力強く脈打ち続けている「夢」がございます。
それは、
まずは己自身が
世のため人のために生きること。
その上で、
社会のお役に立つ人材を育むことでございます。
そして、
その夢の先にある「理想」の姿として、
合氣道琴心館寺崎道場の
理念を正しく継承し、
将来、道場を主宰する
立派な師範を育て上げたいという、
生涯をかけた
揺るぎない「志」がございます。
そのための「計画」の一つとして、
現在、当道場が参画しているのが
「コベカツクラブ」でございます。
ご存知の方もいらっしゃるかと存じますが、
「コベカツ」とは、
神戸市が全国に先駆けて進めている、
神戸市立中学校の
「部活動完全地域移行」という取り組みです。
私はこの志に心を寄せ、
日々、指導にあたっております。
ありがたいことに、
開始から1ヶ月で
はや40名もの方々が参加してくださっており、
ここに100名以上の方に
ご参加いただくことも、
決して遠い話ではございません。
吉田松陰の言葉に当てはめるならば、
世のため人のために生き、
社会のお役に立つ人材を育むという
「夢」があり。
その夢を体現する、
立派な師範を育て上げるという
「理想」を描く。
そのための「計画」の一つとして、
コベカツに100名以上を集い、
核となる、
お弟子さんを見出していくこと。
そして日々の「実行」が、
すべてのお弟子さんの
お一人お一人と、
淡々と丹念に向き合うことでございます。
どんなに大きな夢も
地に足をつけ、
日々のささやかな
「実行」へと落とし込んでいく。
この先もブレることなく、
焦ることなく、
目の前のお一人お一人とのご縁を
ただ淡々と、
美しく紡いでまいります。
――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は、
ただ技の完成のみを
目的とする道場ではございません。
世のため人のため、
社会の礎となる人材を育て、
地域社会に貢献する
豊かな人生をともに探究していくことです。
日々の生活に活きる氣づきを
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 色づく景色と「もののあはれ」"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
秋分【しゅうぶん】末候
七十二候
第四十八候 水始涸【みずはじめてかる】
十月三日~七日ごろ。
田んぼの水を抜き秋の実りを迎える準備を始めるころ。
本日の “ 道場長の一日一心 ”
『 いろづく けしき と「もののあはれ」 』
暦の上では、
「秋分」も明日までとなりました。
夏の間、
あれほど青々と茂っていた草木から
少しずつ潤いが抜け、
景色全体が秋の装いへと
移り変わっていくころですね。
見慣れた街の木々なども
静かに色づき始め、
どこか寂しげで奥ゆかしい
風情を漂わせています。
古(いにしえ)の人々は、
この静かで閑寂な晩秋の風景にこそ、
もっとも奥深い
「もののあはれ」を感じてまいりました。
秋は命が次の命へと
繋がっていく季節です。
賑やかに鳴いていた虫たちも
静かに土へ還り、
草花もまた種を残してそっと枯れてゆく。
一見すると、
寂しい景色の中にこそ、
確かな命の連鎖という
尊い美しさが隠れているように思います。
秋雨前線が通り過ぎれば、
いよいよ
自然界は静かに乾きを深め、
趣深い枯れ色へと向かっていくことでしょう。
枯れてゆく過程は、
決して命の終わりではございません。
内に秘めた本質を
より深めていくための、
静かで美しい変化でもあります。
身近な秋の味覚の中にも
まさにそうやって、
水分を手放すことで
かえって奥深い
魅力を増すものがございます。
実のところ私は、
生の柿は相当苦手でございます。
しかし、
「干し柿」となりますと話は別でして、
こればかりは
不思議と大好きなのです。
秋の冷たい風に吹かれ
ゆっくりと水分が抜けていくことで、
驚くほどねっとりと甘く
深い味わいへと変化する。
まさに、
天地大自然がもたらす魔法ですね。
私たちの人生も
これと同じかもしれません。
心身の余分な力みや
不要な執着をすーっと手放していくことで、
内側にぎゅっと凝縮された、
その人だけの深い味わいが
出てくるような氣がいたします。
―――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場の学びは、
決して目に見える技ばかりではございません。
私たちが大切にしていることは、
稽古において不要なものを少しづつ手放し、
自身の内なる豊かさを深めていく生き方を
共に探究していくことです。
日々の生活に活きる氣づきを
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執着を手放し、
心を豊かにするヒントが
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 武士の矜持が交差する歴史の道へ。港区高輪【柘榴坂】編 "
今朝も目覚めることができた。
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秋分【しゅうぶん】末候
七十二候
第四十八候 水始涸【みずはじめてかる】
十月三日~七日ごろ。
田んぼの水を抜き秋の実りを迎える準備を始めるころ。
本日の “ 道場長の一日一心 ”
『ぶし の きょうじ が こうさ する れきし の みち へ。みなとく たかなわ【ざくろざか】へん』
合氣道琴心館寺崎道場には
もう一つの会として、
「江戸時代から続く由緒ある坂道巡り同好会」
がございます。
発足した当初は、
私と江戸の坂道をこよなく愛する
「つぶらやひとみ」さんの二名でした。
しかし今年の一月、
一名のお弟子さんが
正式に入会してくれたことで
ついに江戸の坂道同好会は
生粋の江戸女子二名と私の三名となりました。
今年の夏の東京出張でも
「江戸の坂道巡り」の新たな一ページとして
港区高輪に残る、
由緒ある東京の坂道を歩いてまいりました。
前回の港区高輪四丁目にある
「まぼろし坂」のエントリーはコチラ 。
港区高輪周辺には、
伊皿子坂、聖坂、天神坂、洞坂、桂坂、
いちょう坂など
実に多くの由緒ある坂道が点在しております。
その中で、私たちが次に巡ったのは、
高輪三丁目と四丁目の境界にあり
再開発で変貌していく
JR品川駅高輪口の正面へと下っていく、
「柘榴坂(ざくろざか)」でございます。
港区女子つぶらやひとみさんの
説明によると、
この「柘榴坂」は江戸時代、
北側に薩摩藩島津家の下屋敷、
南側に久留米藩有馬家の下屋敷と
広大な大名屋敷に挟まれた
威風堂々たる道だったそうです。
坂名の由来は定かではないらしいのですが、
かつて柘榴(ざくろ)の木があったことが
この美しい名前の由来ではないか
とも言われております。
現代では真っ直ぐな
天にも昇るような直線ですが、
江戸時代には防衛のために、
カギ形に折れ曲がった坂だったそうです。
この柘榴坂は、
浅田次郎氏の小説であり映画化もされた、
『柘榴坂の仇討』の
舞台としても知られています。
主君・井伊直弼 (いいなおすけ) を
桜田門外で失い、
明治の世になっても
仇を討つという
武士の矜持を捨てきれなかった男。
彼が、ついにこの雪降る柘榴坂の上で
仇敵(きゅうてき)と対峙し、
激しく刀を交えます。
この先、
彼らがどのような答えを出すのか?
映画や小説の結末については、
これから作品に
触れる方の楽しみを奪わぬよう
ここでは語りません。
ただ、武士たちが
命を懸けて守ろうとした過去の遺恨と、
新しい時代の波との間で
揺れ動く凄まじい葛藤には、
深く考えさせられるものがございます。
合氣道において、
最も大切なものの一つが「感性」です。
目に見える動き以上に
その奥にある「見えない流れ」や「氣配」を
察知することが重要でございます。
相手と力で争うのではなく、
争いの心を鎮め
自他の氣を結び、和合へと導く。
柘榴坂の雪の中で
対峙した二人の武士。
彼らの根底にも、
こうした
「争いを越えた先にあるもの」への
切実な問いがあったのかもしれません。
そう考えますと、
この坂はまさに合氣道が目指す
「争わない・和合の精神」について
深く思索するにふさわしい場所だと感じました。
表面がアスファルトに変わった
現代であっても、
足裏から伝わる大地の起伏そのものは
江戸の昔から変わっていないであろうと
深く古(いにしえ)を感じ入ります。
形は変われども
そこに宿る精神は変わらない。
日常の中にある古の痕跡から
これほどまでに深い学びを得られることに、
心から感謝いたします。
新しい仲間も加わり、
私たちの江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道巡りはまだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
↓↓↓
↓↓↓
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合氣道琴心館寺崎道場での日々の稽古は、
ただ相手を制する術を身につけるためでは
ございません。
私たちが大切にしているのは、
過去の出来事や相手との関わりの中で
争いの心を鎮め、共に和合へと向かう
豊かな生き方を探究していくことです。
日々の生活に活きる氣づきを
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道場長 拝