2025-11-18 03:21:00

" もし今日が人生最後の一日なら、あなたは「時間潰し」をしますか? "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】末候

 

七十二候

第五十七候 金盞香(きんせんかさく)

11月17日~21日ごろ。

寒い冬の訪れとともに、可憐で香りの良い水仙が咲き始めるころ。

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

 

『 もし きょう が じんせい さいご の いち にち なら、あなた は 「じかん つぶ し」を します か? 』

 

 

 

 

「時間潰しには〇〇がいいですよ」

 

「暇潰しに最適ですよ」

 

 「いい暇潰しになりました」

 

 

時々、

軽々しく

他人に対して口にする人がある。

 

 

 

​あえてはっきりと言いましょう。

 

 

 

私は、

「時間潰し」という言葉が大嫌いです!

 

 

この世から

『時間潰し』『暇潰し』という

言葉がなくなることを願っています。

 

 

 

「いい暇潰しになりました」

 

 

そんなことを言う

人ほど、

 

人生を無駄に過ごし

 

病を恐れ、

医者に頼り、

死に至る時に必ず、狼狽える人なのです。

 

 

 

 

なぜなら、

その言葉は、

 

我々人間が持つ、

いや、「生きとし生けるもの」

 

命あるもの全てが持つ

最も尊いもの、

 

すなわち

『命』を粗末にしている証だからです。

 

 

 

「退屈だから」

「やることがないから」

「待ち合わせの時間までの間」などと、

 

無為に過ごして、

 

それを軽く

「時間潰し」と言う人がいますが、

本当にそうでしょうか?

 

 

 

本来、

武道の修業とは、

 

己の命と時間を懸けて、

道を極めようとする営みです。

 

 

畳の上で流す一滴の汗は、

決して「潰された」時間から

生まれるものではありません。

 

 

 

それは、

全身全霊で「今」を生きた証です。

 

 

 

 

" あなたは 「潰しますか?」か「磨きますか?」:人としての態度 "

 

 

 

​合氣道の稽古では、

「今、この瞬間」に全身の神経を

集中させます。

 

 

技が生まれ、

氣が満ちるのは、

 

寸分も氣を抜かぬ、

真剣な一瞬の積み重ねです。

 

 

 

​この真剣さこそが、

人生のすべてにおいて

 

持つべき姿勢だと、

私は確信しています。

 

 

 

もし、

今日が人生最後の一日だと

わかっていたとしたら、

 

一体誰が、

自分の命の残りを

「潰そう」と考えるでしょうか?

 

 

 

残された時間を

慈しみ、

 

大切に、意味のあるものとして

「活かそう」とするはずです。

 

 

 

​「時間潰し」とは、

その「時間を活かす」

努力を放棄している状態を指します。

 

 

 

それは怠慢であり、

武道の道に生きる者として、

絶対に許容できない態度です。

 

 

 

道場長として、

私は日々こう行動しています。

 

 

 

命の限りを伝える

 

私の命が尽きる直前まで、

合氣道の真髄、

 

そして私が学んだ「生きる姿勢」を、

お弟子さんたちに魂を込めて伝えます。

 

伝えるべきことは、

一つ残らず、全身全霊で伝えます。

 

 

 

愛と感謝の表明

 

家族や、

共に歩んでくれた人々に、

 

心からの感謝と尊敬を、

力強く、そして明確な言葉で伝えます。

 

 

後悔の種は、一切残さない、最高の「一日一心」稽古

 

そして、

私は今日も

 

自分自身の「道」に対する、

 

最高に研ぎ澄まされた、

「これが最後かもしれない」

稽古を全うします。

 

 

それは

「時間潰し」とは対極にある、

 

命を磨き上げる時間であり、

合氣道という道に対しての「礼儀」です。

 

 

 

 

" 「一日一心」:命を輝かせるための哲学 "

 

 

 

 

​僭越ながら、

不肖私が毎日書く

このブログ「一日一心」とは、

 

「今日という一日は、

二度と手に入らない

尊い命のかけらである。

だからこそ、

その一瞬たりとも氣を緩めず、

心を尽くして懸命に生き抜け」

 

という、私の哲学です。

 

 

 

暇や時間を「潰す」ような

愚かなことはやめ、

 

その時間を、

自分の夢、愛、

 

自分を

「磨き上げる」時間に変えましょう。

 

 

​私たちには、

皆平等に

 

今日という、

尊い一日が与えられています。

 

 

道場での稽古と同じように、

その一日、

その僅かな時間にも

 

真剣に向き合い、

全身全霊で活かしきりましょう。

 

 

それが、

真に生きる賢者の覚悟の証です。

 

 

暇や時間を潰して

生きるような

 

愚か者にだけは

なってはいけませぬ!

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-11-17 03:19:00

" 宇宙の真理。「行き詰まり」は幻想、人生は停滞しない "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 今週もよろしくお願いします。

 

 

本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】末候

 

七十二候

第五十七候 金盞香(きんせんかさく)

11月17日~21日ごろ。

寒い冬の訪れとともに、可憐で香りの良い水仙が咲き始めるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 うちゅう の しんり。 「いきづまり」は げんそう、じんせい は ていたい しない 』

 

 

 

 

 

​「どうにも進まない」

「袋小路に入った」

「もう手詰まりだ」

 

 

私たちは人生の中で、

時として

 

友人から、知人から、

あるいは自分自身の内側から、

 

「行き詰まり」という言葉を

聞くことがあります。

 

 

 

しかし、

 

本当に私たちの世界は、

そして私たちの人生は

「行き詰まる」ことができるのでしょうか?

 

 

 

私たちが生きる

この大宇宙の営みを考えてみましょう。

 

 

 

 

" 宇宙の真理は「停滞しない」という動かしがたい事実 "

 

 

 

私たちが暮らす

この地球は、

 

私たちが寝ている間も、

悩んでいる間も、

 

決して

立ち止まることはありません。

 

 

 

地球は毎日、自転し続けています。

 

地球は太陽の周りを公転し続けています。

 

 

この壮大な宇宙の営み、

大自然の法則は、

 

絶えず動き、変化し、

進化し続けることで成り立っています。

 

 

宇宙に「停滞」という状態は存在しません。

 

 

そして、

私たち人間は、

この「決して止まらない」

宇宙の中で、

生かされている存在です。

 

 

 

​私たちは、

毎日歳を取り、

細胞が入れ替わり、

 

考え方が変わり、

経験を積み重ねています。

 

 

物理的にも精神的にも、

私たちは一瞬たりとも

 

「昨日と同じ自分」でいることはできません。

 

 

 

​人間は毎日、

過去に向かって

進んでいるのではなく、

 

未来に

向かって変化しています。

 

 

 

​この事実を前に、

「行き詰まる」という考えは、

 

宇宙の真理に照らして

絶対にあり得ないと

言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

​もし

「行き詰まった」と

感じる瞬間があるとしたら、

 

それは

外部の事実ではなく、

自分の内側で生まれている「幻想」です。

 

 

それは、

特定の目標に対する「期待」と、

現在の状況との間に生じた「ズレ」を、

 

自分の心が

勝手に「停滞」と解釈しているに過ぎません。

 

 

 

 

私たちは今も呼吸をし、

心臓を動かし、思考しています。

 

 

これは最大の「動き」です。

 

 

物理的な大きな変化がなくとも、

内側では必ず何かが動いています。

 

 

 

行き詰まりとは、

 

たとえば、

地図のゴールにたどり着くための

「道」が見えなくなった状態です。

 

または、

進む方向が間違っているかもしれません。

 

 

​地図(目標や計画)自体が

現状に合っていないかもしれません。

 

 

そこで、

立ち止まるのではなく、

「進む方向」を見直す時なのかもしれません。

 

 

少し横に動いたり、

別のルートを探したり、

 

「動きのベクトル」を変える

ことも、

 

停滞を破る一つの方法です。

 

 

 

 

"「小さな変化」を成長と定義する "

 

 

 

 

​昨日の自分より、

 

ほんの少しだけ知識が増えた、

感情をコントロールできた、

新しい場所に足を踏み入れた。

 

 

どんなに小さな変化でも、

それは「前進」であり、「成長」です。

 

 

 

常に動き続ける

大宇宙の法則に倣(なら)い、

 

「大きな成果」ではなく

「小さな変化」を

積み重ねることを意識しましょう。

 

 

​私たちは、

常に変化し続ける大宇宙の一部です。

 

 

 

人生は、絶対に停滞しません。

 

 

 

 

さあ、

今日も一歩、

新たな方向へと動き出しましょう。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-11-14 03:40:00

" 「烏合の衆」にしないために、「全体」を創る長の役割 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 

本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】次候

 

七十二候

第五十六候 地始凍 (ちはじめてこおる)

11月12日~16日ごろ。

寒さで大地が凍り始めるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 「うごう の しゅう」に しな い ため に 、「ぜんたい」を つく る ちょう の やくわり 』

 

 

 

私は東京出張、

その他の出張も

 

現地での宿泊は

全て " アパホテル " を利用しています。

 

 

 

それは単に

快適で綺麗で

立地が良いから、

 

それだけではなく

その経営理念が素晴らしいことにあります。

 

 

 

アパホテル創業者の

元谷外志雄 (もとや としお) 氏の

 

座右の銘に

 

「全体の中に部分があり、部分を集めても全体とはならない」

 

という言葉があります。

 

 

 

 

 

この言葉は、

企業や組織の経営者にとって

深く響くものです。

 

 

 

 

 

僭越ではありますが、

合氣道琴心館寺崎道場を主宰する

 

不肖私にとっても、

まさに的を射た言葉だと感じています。

 

 

 

 

" 「烏合の衆」と化した軍はまとまらず分裂する "

 

 

 

元谷氏は、

 

「部隊長をいくら集めても、

全体を俯瞰(ふかん)して

全軍を指揮する指揮官が最も大事である。

 

その部隊長に

的確に指示・命令を出さなければ、

その軍は烏合の集に等しい」

 

とも述べられています。

 

 

 

 

「烏合の衆(うごうのしゅう)」とは、

 

カラスの集団のように

規律や統制がまったくない、

 

ただ寄り集まっただけの

集団を指す言葉です。

 

 

 

 

これは企業経営における

「社長の役割」を端的に

表していますが、

 

私たち

合氣道道場の主宰者にも

まったく同じことが言えると思います。

 

 

 

たとえば、

 

優秀な指導者が多数いたとしても、

それぞれが

自分のやり方で指導するだけでは、

 

道場全体の

理念や技術が統一されず、

 

かえって

混乱を招くことがあります。

 

 

 

個々の

稽古、指導は充実していても、

 

全体として見たときに、

一貫性のない

「烏合の衆」となってしまうのです。

 

 

 

 

 

" 全体像を共有し、次世代へつなぐ "

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場では、

この全体」を大切にするために、

 

月に2回、

オンラインで各教室の指導者と

情報や意見交換を行い、

 

春・夏・冬に

指導者育成練成集中稽古を

年3回実施しています。

 

 

 

この稽古は、

単に技術を教える場ではありません。

 

 

 

指導者と、

それを目指す者全員が、

 

合氣道琴心館寺崎道場の

根幹にある

 

「日本人としてどう生きるか」

 

という理念を

深く共有するためのものです。

 

 

 

日本は世界でも類を見ない、

令和7年現在で

 

2685年という

悠久の歴史を持つ国です。

 

 

 

神話から現代まで

途切れることなく続いてきた、

 

世界でたった一つの

日本国の一員であるという誇り。

 

 

そして、

この日本発祥の武道である合氣道を

後世に伝えること。

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場の

指導者である

 

私たちは、

この心を次世代に継承していくことを

使命としています。

 

 

 

 

指導者全員が

この「全体像」を理解し、

 

同じ方向を向いて

指導することで、

 

道場全体が

一つの有機体として機能するのです。

 

 

 

 

" 全体を見通す「目」の重要性 "

 

 

 

 

指導者には、

個々の部分だけでなく、

 

道場全体、

そしてその先に続く

 

日本の歴史と

未来を見通す「目」が求められます。

 

 

 

この「目」がなければ、

いくら熱心に指導しても、

 

その情熱は

一過性のものになってしまうでしょう。

 

 

 

 

元谷氏の言葉は、

単なる組織論を超え、

 

私たちが何を大切にし、

何を未来へつないでいくべきかという、

 

根本的な問いを

投げかけているように思いますね。

 

 

 

 

 

今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-11-13 03:00:00

" 「頑張る」があなたをダメにする "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 

本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】次候

 

七十二候

第五十六候 地始凍 (ちはじめてこおる)

11月12日~16日ごろ。

寒さで大地が凍り始めるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 「がんば る」が あなた を ダメ に する 』

 

 

 

 

" 力を出すには、絶対に「頑張ってはいけない」 ​"

 

 

 

 

頑張るから疲れる。

 

頑張るから失敗する。

 

頑張るから出来なくなる。 ​

 

 

 

これは、

私がこれまでの修行と、

生活、

指導の中でたどり着いた結論です。

 

 

 

 

道場に体験に来た人や

入門間もないお弟子さんに、

 

「頑張ってみて」と言うと、

 

皆が皆、そろって

身体のあらゆる所に力を入れて力みます。

 

 

「はい!頑張ります」と

言っては、

 

身体だけでなく

心までも力ませます。

 

人間、

瞬間的に力んだり、

力を入れることはできますが、

 

何時間も

その状態は維持できませんね。

 

 

だから、

何をしても上手くいかないのです。

 

 

上手くいかないだけでなく、

健康体とも言えません。

 

 

 

何故、わざわざ、

 

失敗するように

不健康になるように、

 

自分の心身を

使う必要があるのでしょうか?

 

 

 

 

 

私自身、

「頑張る」という言葉を使わなくなって、

 

どれくらいの

月日が経ったでしょうか。

 

 

 

しかし、

以前は、ふとした瞬間に

 

口から

その言葉が出ることがありました。

 

 

 

 

それは、

幼少期から親や先生、

 

周囲の人々から

「頑張れ、頑張れ」と

励まされ続けてきた結果、

 

「頑張り」が

潜在意識に深く、

強固に根付いてしまっていたからです。

 

 

 

 

無意識の領域にまで

浸透した言葉を排除するのは、

想像以上の訓練が必要です。

 

 

 

 

しかし、

その訓練を重ねた今、

私は自信を持って言えます。

 

 

 

「頑張る」という言葉は、

私たちの可能性を閉ざす鎖であると。

 

 

 

 

"「頑張る」の本当の意味を深く知る "

 

 

 

 

改めて

「頑張る」という言葉の語源を探ると、

「我を張る」に行き着きます。 ​

 

 

 

これはつまり、

無駄なエゴや力み、

自己中心的な意地を立てる行為です。

 

 

 

 

合氣道で求める

「自然で最大の力」とは真逆の状態です。 ​

 

 

 

 

私たちは、

この「我を張る」行為を

 

「努力」や

「熱意」と勘違いしています。

 

 

 

 

頑張るという言葉が

自然に出てくるうちは、

 

いつまで経っても「我」に執着し、

 

不必要な力みの中で、

心身ともに

疲弊し続けることになります。 ​

 

 

 

 

 

したがって、

私はこのブログを

読んでくださっている、

 

あなたにも、

そして道場生にも、

 

「頑張れ」とは絶対に言いません。

 

 

 

 

" 最大限の力を発揮する「正しさ」とは "

 

 

 

 

では、

「頑張らない」状態とは、

 

ただの「無氣力」や

「虚脱状態」と同じなのでしょうか? ​

 

 

もちろん違います。

 

 

​合氣道琴心館寺崎道場では、

この「リラックス」と

「虚脱状態」との決定的な違いを、

 

日々の

稽古の中で指導しています。

 

 

 

 

​技、体操、

そして呼吸法等を通して、

 

自身の心と身体が

どのような状態にあるときに、

 

最も大きな力、

最もスムーズな動きが

生まれるのかを深く探求します。 ​

 

 

 

自身の持つ

最大限の力を発揮しようと思えば、

絶対に頑張ってはいけません。 ​

 

 

 

正しくは、

心身を解放し、

流れに任せることです。

 

 

 

すなわち、

正しくリラックスすることです。

 

 

力を抜ききった状態から、

一瞬で芯の通った

「落ち着き」と「集中」が生まれます。

 

 

 

この「落ち着き」こそが、

合氣道で言う不動心であり、

私たちが目指す境地です。 ​

 

 

 

 

 

" 稽古は「頑張り」を「リラックス」に書き換える作業 "

 

 

 

 

幼少期から

積み重ねられた

 

「頑張る」という潜在意識を、

 

「リラックス」と

「落ち着き」に書き換えること。

 

 

 

 

これが、

合氣道琴心館寺崎道場の修行であり、

人生の修行でもあると私は確信します。 ​

 

 

 

 

無駄な力を捨て、

真の自分を取り戻す道。 ​

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場では、

その道筋を、

身体と心を通して共に歩んでいきます。 ​

 

 

 

 

共に

「我を張る」生き方から、

「流れに任せる」生き方へと転換しましょう。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-11-12 03:23:00

" 未来の師範はここにいる!「栴檀は双葉より芳し」"

ありがとう。

 

 

 

本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】次候

 

七十二候

第五十六候 地始凍 (ちはじめてこおる)

11月12日~16日ごろ。

寒さで大地が凍り始めるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 みらい の しはん は ここ に いる!「せんだん はふたば より かんば し」 』

 

 

 

 

 

" 稽古か遊びか?道場で見つけた大きな覚悟 "

 

 

 

 

合氣道道場長として、

日々多くの小学生の稽古を指導しています。

 

 

道場での

子どもたちの立ち居振る舞いは、

本当にさまざま。

 

 

その姿を見つめることは、

彼らの成長の奥深さを感じさせてくれます。

 

 

 

" 稽古を「遊び」の延長にしてしまう子 "

 

 

 

​道場に慣れてきた子や、

まだ切り替えが

難しい子どもたちの中には、

 

稽古と遊びの区別が

あいまいになってしまう子がいます。

 

 

 

​「先生の話が長いな」

「次はいつ自分の番だろう?」

 

 

そんな氣持ちから、

つい隣の友達を突っついたり、

 

座っているときに

身体がグラグラしてしまったり。

 

 

これは、

集中力が続かない姿です。

 

 

彼らの「元氣」が、

「学ぶ時間」という枠に

収まりきっていない証拠でしょう。

 

 

指導者は、

そのエネルギーをどうやって

 

「集中する力」へと変えていくか、

常に工夫を凝らさねばなりません。

 

 

 

 

" 入門時から光る「学びの姿勢」の芽 "

 

 

 

 

​しかし、

そんな中で、

 

道場に入門した頃から、

私たち指導者がハッとさせられる

子どもたちがいます。

 

 

 

​彼らは、

道場での「立ち居振る舞い」

 

他の子どもたちとは

少し違うのです。

 

 

 

「稽古の時間だ」と、

自分の中で氣持ちを切り替え、

 

真剣な眼差しで

先生の話を聞こうとする。

 

 

 

​自分の練習が

終わっても、

 

他の子の

稽古を静かに見て、

 

何かを

学ぼうとしている。

 

 

 

​挨拶や礼、

一つ一つに、

「きちんとしなきゃ」という

意識が感じられる。

 

 

 

 

「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」

 

 

 

 

​これは、

香りの良い栴檀の木は、

 

芽(双葉)の時から

良い香りがするということ。

 

 

 

つまり、

将来立派になる人は、

 

子どもの頃から

その片鱗を見せている

という意味のことわざです。

 

 

 

 

​彼らが持つ

「芳しさ」とは、

技の上手さではありません。

 

 

彼らの持つ、

「集中しようとする力」

「自分を律する力」、

 

 

そして何よりも

「TPOをわきまえる」という、

 

社会で通用する

立派な人になるための姿勢の

芽生えなのです。

 

 

 

 

" 大切なのは、誰もが「芳しい芽」を持っていると信じること "

 

 

 

幼い頃から

集中して稽古に取り組める子は、

素晴らしい資質を持っています。

 

 

彼らは、

これから多くのことを吸収し、

大きく伸びていくでしょう。

 

 

 

 

​一方で、

最初は遊びのつもりだった子も、

「だから伸びない」ではありません。

 

 

 

​合氣道琴心館寺崎道場は、

未熟な芽を、時間をかけて、

 

じっくりと

育てていく道場です。

 

 

 

 

稽古の中で、

誰かを思いやる氣持ちや、

 

失敗してもやり抜く

「心の強さ」を学びます。

 

 

 

遊びと稽古の区別が

曖昧だった子が、

 

ある日、

ふとした瞬間に

 

「真面目に取り組むことの面白さ」

に氣づき、

 

一氣に集中力を発揮し始める姿も、

私は数多く見てきました。

 

 

 

 

​道場長である私の使命は、

既に光る「立派な人の芽」を

大切に育むとともに、

 

まだ芽が出ていない

全ての子どもたちの中に、

 

必ず「芳しい芽」があると信じ、

そのきっかけを

作ってあげることだと心得ています。

 

 

 

 

​合氣道の稽古を通じて、

心と身体を整え、

 

未来の自分を支える

「集中力」と「礼儀」

一緒に育んでいきましょう。

 

 

今日も道場に集う子どもたちの、

未来の「芳しさ」を楽しみに、

精一杯指導に当たります。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝