" 喧騒なき京都で愛弟子と交わした「氣」の対話 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
冬至【とうじ】次候
七十二候
第六十五候 麋角解(さわしかのつのおつる)
12月26日~30日ごろ。
雄の鹿の角が落ちるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 けんそう な き きょうと で まなでし と かわ し た「き」の たいわ 』
新年を迎えるにあたり、
今年は例年になく
入念に家の大掃除を行いました。
道場だけでなく、
自宅の隅々まで埃を払い、
場を清める。
今朝からは、
歳神様をお迎えするための
準備を整えています。
自分の部屋も
模様替えを済ませました。
不思議なもので、
配置を少し
変えるだけで「氣」の流れが変わり、
心まで
澄み渡っていくのを感じます。
氣持ちも新たに、
清々しい新年を迎えられそうです。
みなさまは、
どのような
年の瀬をお過ごしでしょうか?
さて、
そんな大掃除の時間を過ごす少し前、
私は京都を訪れていました。
二ヶ月に一度の恒例、
ご先祖様の永代経読経で
西本願寺へ参拝するためです。
何かと
忙しかった11月を乗り越え、
まだ紅葉が残る
12月初めには行きたかったのですが、
近年の京都は
どこへ行っても人、人、人…
「いつ行こうか?」と迷っていたころ、
合氣道寺崎道場 師範部長である
中島さんからLINEが入りました。
「寺崎先生、
クリスマス明けに仕事で京都へ参ります。
もしご都合がよろしければ、
お食事でも
ご一緒させていただきたく存じます」
彼女は東京で
恵比寿教室を主宰する道場長であり、
神奈川も含めた
四つの道場と教室、
そこで指導にあたる
10名の指導者とそれを目指す者、
さらには、約50名の
門下生を束ねる師範部長でもあります。
私とは
もう40年以上の付き合いになりますが、
私の目指す道を
誰よりも深く理解し、
手となり足となって
道場を支えてくれる。
私にとっては
単なる弟子という枠を超えた、
背中を預けられる
かけがえのない
「良き片腕」とも呼べる存在です " 。
私は神戸、
彼女は東京。
物理的な距離に加え、
年明けには
私が東京へ出張する予定があるものの、
そこでは
多くのお弟子さんたちの
指導に追われることになります。
二人でじっくりと
膝を突き合わせて
話す時間はなかなか取れません。
だからこそ、
今回の中島さんからのお誘いは
絶好の機会でした。
待ち合わせは、
「スターバックス 京都烏丸六角店」。
聖徳太子建立と伝わる
「六角堂」に隣接し、
ガラス窓から
御堂を間近に望める
京都屈指のロケーションです。
店に着くと、
彼女はすでに席に座っていました。
その後ろ姿からは、
凛とした上品な「佇まい」がうかがえます。
実はこの日本女子、
合氣道を始めるずっとずっと前
10代から20代まで
映画やドラマ、
テレビ番組の司会といった
芸能界の仕事をしていました。
(それ以上は彼女に強く口止めをされているため詳しくは話せませんが😅)
「常に人から見られる世界」に身を置いていた経験。
それは、
指先の角度一つ、
視線の配り方一つで
相手にどう映るかという、
極限まで研ぎ澄まされた
身体意識を彼女に植え付けました。
さらに、
数々の台本を読み込み、
役柄の感情を
咀嚼(そしゃく)してきた経験と、
生放送の司会で
培った瞬発力のある言語化能力。
それらが
今の彼女の、
的確で心に響く
指導力=「語彙力と表現力」の
源泉となっています。
合氣道で練り上げた「氣」と、
芸能界で磨いた「魅せる力」。
その二つが融合し、
あの「美しい佇まい」が作られているのでしょう。
店を出て、
私たちは先斗町へと向かいました。
クリスマスが過ぎた年末の京都は、
嘘のように人が少なく静かでした。
あれほど多かった
中国からの観光客も、
今はほとんど見かけません。
かつて社会問題とまで言われた
「オーバーツーリズム」は幻だったのか?と
錯覚するほどです。
さすがに
四条河原町界隈は
外国の方々で溢れていましたが、
それでも
身動きが取れないほどの
春や秋とは大違いです。
この時期は、
本来の京都の風情を味わいながら
歩くことができる
貴重な季節なのかもしれませんね。
並んで歩いていると、
ふと彼女が口を開きました。
「先生、こんなに空いているなら、
どうせなら一日、二日早めて
賑やかなクリスマスに来れば良かったかな?」
そう言った直後、
彼女は自分でハッとしたように
悪戯っぽく微笑み、こう続けました。
「……あ、いえいえ。
クリスマスの京都だなんて、
私たちにはあまりにも『青春』過ぎますね(笑)」
その絶妙な
一人ツッコミに、
私も思わず声を上げて笑ってしまいました。
しかし、
この静けさは贅沢です。
石畳を打つ靴音、
鴨川を渡る風の音、
時折ちらつく細雪…
古都が本来持っている
息遣いが肌で感じられる。
「やっぱり、京都はこうでなくちゃ」と
改めて思います。
日が暮れた先斗町、
彼女がとっておきだと語る
京料理店の暖簾をくぐりました。
鴨川を望む席で、
繊細な懐石料理と
種類豊富な日本酒に舌鼓を打ちながら、
話題は
自然と深いところへ及びます。
40年前の昔話や
道場運営の話はもちろんのこと、
彼女の口から出るのは、
日本の教育、
精神性、
そして
この国の未来への強い危機感です。
彼女は
未来の日本の在り方を
真剣に考え、
憂い、
そして
自分たちに何ができるかを
模索する「国士」でもあります。
「合氣道を通じて、
日本人が失ってきた
芯を取り戻したいんです」
その眼差しは、
かつての女優のそれでもなく、
ただの指導者のものでもなく、
確固たる志を持った
一人の日本人としての
土台を湛(たた)えていました。
静寂の京都で、
美味しい料理と酒、
そして
最も信頼する愛弟子との語らい。
新たな年を迎える前に、
互いの魂が共鳴するような
熱い時間を過ごせたことに感謝しつつ、
私も心新たに新年を迎えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「懐手して宇宙見物」 新しい自分に出会うための年末年始 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
冬至【とうじ】次候
七十二候
第六十五候 麋角解(さわしかのつのおつる)
12月26日~30日ごろ。
雄の鹿の角が落ちるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 「ふところで して うちゅう けんぶつ」 あたらし い じぶん に であ う ため の ねんまつ ねんし 』
" 順調な時こそ「心の蓋」を疑う "
クリスマスも終わり
一年の締めくくり、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
物事が順調に運び、
穏やかな年末を迎えている方も
多いかと思います。
しかし、
そんな時こそ、
実は「心の油断」が忍び寄る
時期でもあります。
平穏な日々が続くと、
私たちの脳は「今のままで十分だ」
という甘い囁きを始めます。
脳には、
変化を嫌い、
現状を維持しようとする
横着な性質があるからです。
「せっかく上手くいっているのだから、新しい挑戦などせず、このまま波風を立てずにいよう」と。
しかし、
そうして現状に安住し、
新しいことへの挑戦に「蓋」をした瞬間、
私たちの世界は途端に狭まり始めます。
一つ諦めるごとに
世界は一つ縮み、
やがて
その狭い視界だけが
「世界のすべて」だと思い込んでしまうのです。
中国の故事に
「夜郎自大(やろうじだい)」
という言葉があります。
辺境の小国が、
強大な帝国の存在を知らずに
「自分たちが世界一だ」と威張っていた物語です。
自分の実力を過信し、
内側に閉じこもった時、
耳元では
「今のままで大丈夫だ」という
声が聞こえてきます。
しかし、
それは大海を知らぬ井戸の底で、
自分の声が
壁に跳ね返っているだけの
「こだま」に過ぎません。
果てしない大海に
身を置いていれば、
声は無限に広がり、
こだまなど返ってこないはず。
もし自分の内側に
安堵の声が響いていると感じたら、
「ああ、自分はまだ井の中の蛙だったな」
と思い直す。
その謙虚さこそが、
再び新しい世界へ
飛び出すためのエネルギーとなります。
物理学者の寺田寅彦氏は、
次のような歌を残しました。
好きなもの
イチゴ、珈琲、花、美人
懐手(ふところで)して宇宙見物
この「懐手して宇宙見物」という
言葉が趣があっていいですね。
年末年始のひととき、
着物の懐に手を入れ、
ゆったりとした心で夜空を見上げる。
宇宙の圧倒的な
広大さに比べれば、
自分一人の成功も、
あるいは小さな行き詰まりも、
「小せえ、小せえ」と笑い飛ばせるはずです。
それくらいの
心に余裕があれば、
自分の小ささを素直に認め、
「よし、来年はあの広い海まで行ってみよう」と、
軽やかな心で
新しい一歩を
踏み出すことができるかもしれませんね。
" 順調な時ほど、意識して井戸の外へ "
一年を振り返り、
今の自分に満足しそうになったら、
宇宙の広さを思い出してみる。
合氣道琴心館寺崎道場
2025年の稽古も、
会員の皆さまのおかげで
実り多きものとなりました。
来る2026年が、
皆さまにとって
さらなる「挑戦」と
「発見」に満ちた、
素晴らしい年となることを
心より願っております。
それでは、
どうぞ素敵な年末年始をお過ごしください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【季節の便り】冬至の柚子で、心と身体を温める "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
冬至【とうじ】初候
七十二候
第六十四候 乃東生(なつかれくさしょうず)
12月21日~25日ごろ。
ウツボグサの芽が出てくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【きせつ の たより】とうじ の ゆず で、こころ と からだ を あたため る 』
今週末は
ぐっと氣温が下がる予報ですね。
私の住む神戸でも
いよいよ冬本番の寒さがやってくるようです。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、
今週から二十四節氣「冬至」ですね。
冬至といえば「柚子湯」。
よく「冬至(とうじ)」と、
温泉で心身を癒やす「湯治(とうじ)」の
語呂合わせだと言われますが、
実はもっと
深い意味があるのですね。
かつて冬至は、
「一年の始まり」と考えられていました。
新しい一年を迎える前に、
柚子の強い香りと
薬効によって身を清める
「禊(みそぎ)」のような役割が
あったのだそうです。
「柚子湯に入れば風邪をひかない」
という言い伝えも、
単なるおまじないではなく、
身体を芯から温めて
免疫力を高めるという
先人の知恵が詰まっているのですね。
柚子の木を思い浮かべてみると、
その成長にも趣があります。
初夏は
可憐な白い花を咲かせ、
爽やかな香りを漂わせます。
秋には
太陽の光をたっぷり浴びて、
鮮やかな黄色い実を結びます。
そうして冬に収穫される柚子は、
まさに一年分の「氣」が凝縮された
果実といえますね。
柚子の魅力は、
お風呂だけではありません。
冬の食卓には欠かせない、
ある意味「万能選手」ですね。
寒い夜の「お鍋」や「焼き魚」に
一切れ添えるだけで、
香りが立ち、食欲をそそります。
また柚子胡椒は、
ピリッとした辛みと爽やかな香りで、
いつもの一品を格上げしてくれます。
" 寒さを味方につけて "
本格的な
冬の寒さはこれからですが、
柚子の香りに包まれながら、
ゆったりとお湯に浸かる時間は格別です。
一年の疲れを癒やし、
心身ともにリフレッシュして、
新しい季節を元氣に迎えたいですね。
皆様も、
暖かくして素敵なクリスマス、
年末年始をお過ごしください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 離れていても心はひとつ。道場に咲いたクリスマスの笑顔 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
冬至【とうじ】初候
七十二候
第六十四候 乃東生(なつかれくさしょうず)
12月21日~25日ごろ。
ウツボグサの芽が出てくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 はなれ て いて も こころ は ひとつ。どうじょう に さい た くりすます の えがお 』
師走も半ばを過ぎ、
街はすっかりクリスマス一色ですね。
今朝、
私の元に遠く離れた東京の道場で
稽古に励む
お弟子さんたちから、
数枚の写真と動画が届きました。
「寺崎先生、メリークリスマス!」
画面を開くと、
そこには窓の外に輝く東京タワーと、
クリスマス仕様に
可愛らしく
デコレーションされた道場の様子が。
そして何より、
サンタ帽やトナカイの角をつけた
合氣道女子たちの、
弾けるような笑顔がありました。
凛とした佇まいの道着と袴姿に
クリスマスの飾り。
一見ミスマッチに
思えるかもしれませんが、
不思議と調和していて、
見ていて自然と頬が緩みます。
自分たちが心地よく、
朗(ほが)らか、愉快に稽古できるよう、
持ち前の女子力で道場を素敵に彩る。
そんな工夫ができる
彼女たちだからこそ、
道場には
いつも笑顔が溢れているのでしょう。
その楽しげな空氣を、
遠く離れた私にも届けてくれました。
「先生も一緒に楽しみましょう」
という声が聞こえてくるようです。
事ある毎に、
こうして季節の便りをくれること、
そして道場を大切に守り、
楽しみながら
稽古を続けてくれていること。
そんな
素晴らしいお弟子さんたちを持てて、
私は本当に幸せ者です。
写真の向こうから、
この日本女子たちの
元氣な氣(エネルギー)を
たくさん頂きました。
来年、新年早々、
彼女たちと東京で共に稽古ができることが
何より楽しみで有難く思います。
この温かい絆を糧に、
私もまた日々の稽古に精進したいと思います。
皆さんも、
どうぞ心温まるクリスマスをお過ごしください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 寝ていて人を起こすなかれ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
冬至【とうじ】初候
七十二候
第六十四候 乃東生(なつかれくさしょうず)
12月21日~25日ごろ。
ウツボグサの芽が出てくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ね て い て ひと を おこ す なかれ 』
合氣道の技は、
相手を力でねじ伏せようとするほど、
相手も踏ん張り、
技がかからなくなることがあります。
これは日常生活でも同じです。
「どうして分かってくれないの?」
「もっとこうしてほしいのに」
そんなふうに、
相手を変えようと
躍起になってしまうことは
誰にでも少なからず経験はあると思います。
古くからの教えにこんな言葉があります。
「寝ていて人を起こすなかれ」
自分が布団の中で
ぬくぬくと眠ったまま、
子どもに
「早く起きなさい!」と声をかけても、
なかなか
説得力はありませんよね。
人を動かそうとする前に、
まずは自分自身がパッと目覚め、
立ち上がっているか。
それが何より大切です。
相手を「変えてやろう」と思うとき、
私たちの心には少しだけ
「おごり」や「甘え」が
混ざっていることがあります。
「自分は正しい、だから相手が変わるべきだ」
そんな強い氣持ちは、
相手に伝わると、
知らず知らずのうちに
心の反発を生んでしまいます。
合氣道では、
相手を投げようとする前に、
まず自分の姿勢を整え、
心が落ち着いているか確認します。
「子どもに対しても同じです」。
子どもの行動を
変えたいと願うなら、
まずは親である私たちが、
自分の考え方や接し方をふり返ってみる。
自分が変われば、
発する言葉の響きが変わり、
相手に伝わる「氣」の質が変わります。
" 自分が変われば、景色が変わる "
「外」に向かって
「変わりなさい!」と叫ぶのを
一度お休みして、
そのエネルギーを
「内側」に向けてみましょう。
相手を責める前に、
自分の心を穏やかに整える。
子どもを叱る前に
まず、自分自身の心が静まっているか確かめる。
親の心が静まり、
落ち着いた心身から発する言葉には
「愛」があります。
その言葉は
必ず子どもの心に届きます。
相手に求める前に、
自分が手本となって動いてみる。
自分を律し、自分を磨く。
その姿こそが、
何よりも強い説得力となって、
周りの人の心を動かします。
" 自分を変える勇氣が、幸せを呼ぶ "
自分を変えるということは、
ときに勇氣がいることです。
自分の至らなさを認め、
向き合うのは、
誰だって少し怖いものですよね。
けれど、
その壁を越えて、
自分から
一歩踏み出せたとき、
目の前の景色は
驚くほど優しく、
穏やかなものに変わります。
誰かの幸せを願い、
まず自分を律し、自分を磨くこと。
その「自分をいましめる心」が、
いつしか周りへの深い慈しみとなり、
結果として
自分自身をも
最高の幸せへと導いてくれるのです。
実は、
これまでお話ししたことはすべて、
私自身が悩み、もがき、
失敗を繰り返す中で、
身をもって経験し、
ようやく辿り着いた確信です。
私自身も、
まだまだ未熟者で修行中の身。
今日一日、
誰かに何かを求める前に、
まずは自分自身が
「自分が変わろうとしているか」を、
私と一緒に
問いかけてみませんか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝