" やれない理由探しは退化の始まり "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『やれない りゆう さがし は たいか の はじまり』
前のエントリーと
重複するが、
何事も
無理、出来ない。
そう思った瞬間から
何も出来なくなる。
時間が、距離が、仕事が、
年齢が、疲れる、
面倒くさい、やりたくない…
出来ない理由は
探せばいくらでもある。
いくらでも出てくる。
それを自ら肯定する。
その結果、
道は閉ざされる。
成るものも成らなくなる。
出来ない理由を探して、
それを自ら肯定した。
その瞬間から
その人は退化の道を歩むのだ。
人間劣化の道を歩むのだ。
心の劣化は
廃人を意味する。
やろうと思えば、
いくらでも工夫して
それなりに出来るものだ。
その氣になれば、
いくらでもやりようがある。
本当に
やりたいことであれば、
やる努力はするものだ。
時間的に、仕事に
家庭に、肉体的に
制約がある
厳しい状況下であっても、
本当に好きなことなら
何としてでもやるはず。
それが出来ないのは
「やる氣がないから」
「その氣がないから」
ただそれだけ。
「行けませんでした」
「出来ませんでした」
やる氣がないだけ。
人の言動見ていたら
すぐ分かりますよ。
分からないふり
氣付かないふりを
してやっているだけですよ。
見窄らしい下下の言い訳も
理解してもらったとでも
思っているのかねぇ?
愚かなことだねぇ…
いくら肉体的に
疲れようが、
一日やるだけやった。
出し切った。
色んな制約のある中で
絞り尽くした。
その結果、
身体は疲労困憊になる。
しかし、
心は晴れ晴れとする。
だから健康でいられる。
それが一番尊いのだ。
「出来ませんでした」
「行けませんでした」
「無理です」
そんな事を
言っている人の
心はいつも曇っている。
言い訳して
心が晴れるはずがないだろ。
人のために尽くせば
世の中のために尽くせば、
" しんどい " だとか、
" 無理 " だとか、
" 遠い " とか、
" 時間がない "
" 金がない " とか、
責任持って
私が言い切ってやる。
そのような言葉は
絶対に出てこない。
「ありがとう」
感謝の言葉しか出てこない。
口では " 人のため "
などと言いながら、
所詮、自分本位の考えだ。
そんな人は
人のためには尽くせない。
その器も資格もない人だ。
やれない理由探しは
退化、劣化の始まりだ。
人間の存在価値とは
「人のために生きる」
ことだ。
賢者はいち早く
それに氣付くが、
愚者は永遠に氣付かない。
あんたはどっちや?
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 思わない限り実現しない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『おもわない かぎり じつげん しない』
何かをしようとする時、
まず最初に
思うことから始まる。
思わない限り、
何も実現はしない。
「何だかやる氣になってきたな」
「よしそうと決めたらやってみるか」
そこから何事も始まるのだ。
近くに美味しい
中華料理屋があるとする、
そこは日本全国から
客が訪れ、
連日長蛇の列だとしよう。
自宅のすぐ近くだから、
行こうと思えば
いつでも行ける。
でも中華料理が
嫌いな人は行かない。
永遠に行かない。
いくら近くの店でも
嫌いなものを
わざわざ食べに行こう
とは思わない。
それはその人が
" 食べる氣がないから " である。
その氣がないから
永遠に実現しない。
ものごとは何でもそうだ。
嫌い、
行きたくない、
無理、
遠い、
疲れる、
年齢的にしんどい、
仕事が、
時間が…
いくらでも
" やれない理由 " はある。
できない、できない。
無理、無理。
そう思った瞬間から
何もできなくなる。
出来るものも、
出来なくなる。
成るものも、
成らなくなる。
「よし、やってみるか」
「一度、食べてみるか」
そう思えば、
道は開けるのでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 出しきらないと力はつかない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『だしきらないと ちから は つかない』
力は出しきるから
力がつくのだ。
勇氣も出さないと
勇氣は出ない。
呼吸も吐かないと
息は吸えない。
氣は出せば
入ってくる。
なんでも
出せば入ってくる。
ためたら腐る。
学んだことは
自分のものだけに
してはいけない。
惜しみなく
人に教えれば、
また新たなことが学べる。
もったいないなどと
貯め込んで
自分だけのものに
したりすると、
それ以上は学べなくなる。
より学びたければ、
より力をつけたければ、
より氣を出したければ、
より多く息を吸いたいなら、
空っぽになるまで
出し切ることだ。
会得したものを
全て手放すことだ。
今日も一日やり切った、
出し切った、
何もかも手放したら、
ぐっすり眠れる。
出した以上のものを
天地大自然が
与えてくれる。
まことに
ありがたいことでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 日本の未来は明るい "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『にっぽん の みらい は あかるい』
兵庫県知事選挙は
斎藤前知事が
2回目の当選を果たした。
投票率55.65%だった。
55%を超えたら
斎藤前知事の勝利、
60%を超えると
斎藤前知事の圧勝の予想だった。
20:00の投票締切と同時に
斎藤前知事の当選確実と
サンテレビが報じた。
組織票には限界がある。
超巨大な組織票も
投票率が上がれば、
一票の濃度が薄くなるのだ。
これが現実ですね。
組織票より民意が勝った。
そして、
マスメディアは地に落ちた。
マスメディアはSNSを
軽んじた。
世論は大きく変わった。
最近、政治に興味がある若者が
多くなっているように感じる。
今回の兵庫県知事選での
斎藤前知事や立花孝志さんの
街頭演説には
多くの若者の姿があった。
明らかにまだ選挙権を有しない
中高校生の姿も見かけた。
合氣道寺崎道場の
学生のお弟子さん達も
興味を持っているようだ。
還暦を過ぎた私達の時代に
比べて圧倒的に
その数は多いと思う。
日本の未来を考える上で、
若者の政治的スタンスが
今後、大きく影響することは
間違いない。
保守的な
立場を取る若者は、
日本の伝統や文化を守り、
一方、
リベラルな若者は
多様性な社会のあり方を重視する。
日本には
このような極端に偏らない
視点があることが、
独裁国家ではない証拠だ。
日本の民主主義にとって
それは非常に重要なことだ。
なぜなら、
違う意見が共存することで、
よりバランスの取れた
政策が形成される
可能性が高まるからだ。
どんなものにも中心があり、
左に偏り過ぎず、
右に偏り過ぎず。
そのバランスを欠いたら
あらゆるものは崩れる。
若者が積極的に政治に参加し、
自分たちの意見を
発信することで、
日本の未来は
より明るく、多様性に
富んだものになる。
日本の未来のためには
若者の政治参加を
さらに促進させるため、
教育や情報提供が重要だ。
学校やコミュニティでの
議論を通じて、
政治に関する知識を深め、
正しい歴史認識を養う機会を
増やすことが
求められると思う。
また、
新聞やテレビなどの
マスメディアの偏向報道に
惑わされることがないよう、
SNSや
オンラインプラットフォームを
活用して、
若者が自分の意見を
広く発信できる環境を
もっと増やして
整えることも重要です。
さらに、
市政、県政、都政における
政策立案者、政治家が
若者の意見を
積極的に取り入れる
姿勢を示すことが、
信頼関係の構築につながっていく。
若者が
自分たちの声が
政策に反映されていると
感じることで、
政治への関心と参加意欲が
高まることが期待できる。
こうして、
多様な声が反映された
政策が実現することが
望ましいのではないだろうか。
日本の未来は明るい。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 正義と公平、そして決断 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『正義と公平、そして決断』
昨日、
兵庫県知事選挙の
期日前投票に行ってきた。
" 県選挙管理委員会は
知事選告示翌日の
1日から10日までの
10日間の期日前投票の状況は
県内の投票者数は38万3694人で、
有権者数 (選挙人名簿登録者数)の
7.4%となり、
令和3年の前回選の
同時期と比べると
約10万5千人多い "
とネットニュースは報じている。
今回の県知事選は
異常な混乱の中の
選挙であることは否めない。
一方で、これほど
県民の関心が高い、
熱を帯びた県知事選は
なかったのではないだろうか。
関心は私達
兵庫県民にとどまらず、
日本中が注目している県知事選だ。
本来、選挙とは
立候補者の政策を基準に
私達、有権者は一票を投じる。
しかし、
今回の県知事選では
政策よりも
" デマ、捏造 、誹謗中傷 "で
大混乱している現状だ。
有権者は
どう判断すれば良いのか。
何が起こっていて、
何が真実なのか。
その真実をテレビ、新聞は
報じれば良いだけ。
真実は一つだけだ。
それをありのままに教えてくれよ!
有権者が求めているのは
それだけなんだよ!
選挙が終わってからじゃ、
遅いんだよ!
マスコミは
" 公平無私 "
一方に偏らず平等で、
私的な感情や利益を交えない、
公平無私な態度であるべきだ。
それとも何か
有権者に知られては
マズイことや
自分たちが不利益に
なることでもあるのか?
また兵庫県議会も腐っている。
公用パソコンのデータを
公表すべきだ。
百条委員会で
片山副知事とみられる男性が、
元局長が使用していた
公用パソコンに保存されていた
内容について、
「倫理的に問題がある文書」の
説明に入ると、
百条委の奥谷委員長と
みられる男性の声で
片山氏の発言を
かき消すかのように
証言を中止するよう求めた。
斎藤元彦前知事の
パワハラが元局長の自殺の
原因であるかのように
連日、テレビ、新聞は報じた。
もう有権者の多くは
「それは違う」と
分かっているぞ。
何故、
公用パソコンに保存されていた
「倫理的に問題がある文書」や
データを公表できないのか。
それはプライベートであるというが、
そもそも、
公用パソコンをプライベートで
使って良いのか。
その中身が何なのか。
兵庫県議会もマスメディアも
わかってるんだろ。
子どもに見せることができ
ないような画像やデータが
入ってるんだろ。
不倫日記って一体何ですか!
違うと言うなら公表してくださいよ。
兵庫県民と有権者を
馬鹿にしすぎではないのか。
テレビ、新聞のマスメディアは
嘘はつかない。
でも、
真実を隠す。偏向、隠蔽する。
都合の悪いことは報道しない。
今や若者の多くが
テレビ、新聞は見ない。
私は還暦を過ぎたとこだが、
私達の世代が居なくなれば
このマスメディアは
もっと衰退することは確実だ。
衰退ならまだましか。
消滅するかもしれないですよ。
今からでも遅くはないよ。
真実をありのままに報道する
テレビ、新聞に生まれ変わったら
また視聴者も増えるよ。
オールドメディア、
明日なき産業、
マスゴミなどと、
揶揄されなくなるよ。
国民の目線に立って
国民のためのメディアに
なることしか、
生き残れる道はないと思うよ。
閑話休題、
公用パソコンなんでしょ?
公用であるなら、
それは兵庫県民のものですよ。
私達、兵庫県民の税金ですよ。
私物ではありませんよ。
公用なら私達兵庫県民は
その問題のパソコンのデータの
中身を知る権利はあるだろ。
それを包み隠さず、
一切を公表してから
選挙をすべきだ。
それが公平な選挙だ。
そうでなければ
斎藤前知事が
あまりにも不利益だ。
私は斎藤前知事の
支持者ではありません。
でもね、
どこの政党、企業、団体の
支持も受けられず、
ひとりぼっちで
朝の須磨駅に立って、
深々と県民の皆さんに
頭を下げる姿を
テレビで見たとき、
" 勇氣のある人だな " と思ったよ。
それをテレビ、新聞は
哀れな姿というような
報道をしていた。
そして知事失職後も
再び、県知事選に
立候補すると知った時に、
これは何かあるなと思ったよ。
テレビ、新聞の報道に
隠された何かがあるなと思った。
だって、普通はもう辞めるよ。
あそこまで叩かれて、
再び選挙で勝てるはずないよ。
組織票がゼロなんだから。
誰だってわかるよ。
それでも、
自分がやってきたことに
何ら間違いはない、
改革の道半ばで、
失職せざるおえなかった、
まだまだ、やるべきことがある。
だから再び、立候補したんだよ。
斎藤前知事の
神戸大丸前の街頭演説に
行ってみた。
それは、それは凄い人の数だった。
元町商店街側と
神戸大丸側に
凄まじいほどの聴衆だった。
党の支援がないから、
動員かけてない。
動員かけずに
これだけの人が
斎藤前知事の街頭演説を
聴くために集まってきた。
これが民意なんだと思うよ。
それを11月15日
今朝のネットニュースでは
その聴衆も加工した疑惑がある、
あたかも膨大な聴衆に
見せかけている、
などと報道している。
もうほんとに
恥ずかしくないのかね。
そこまでして
県議会、22人の兵庫県の市長、
マスメディアは
斎藤=悪であるとのイメージを
県民に植え付けたいのか。
N党の立花孝志さんの
街頭演説も動員かけずに、
神戸ハーバーランドの
神戸新聞本社前での
街頭演説も凄い人の数だった。
有権者のみんなが
自分の自由意思で集まってきた。
私も含めて、
兵庫の有権者が
聞きたかったこと、
知りたかったことが
そこにあるから、
みんな集まったのだ。
みんな
本当のことを知りたい。
それだけなんだよ。
そして、
選挙はフェアでなければ
いけないんだよ。
正義って一体なんなんだ。
本当のことを知って、
あとは有権者がどう判断するかだ。
斎藤前知事を擁護する
デマや捏造がネット上に
流言飛語しているとの
大手各社のネットニュースとは違い、
この東スポの記事は
良心的で
ありのままに事実を報道している。
東スポさん、
本当のこと報道してくれて
ありがとう。
どんな戦いであろうと、
まるで " 孫子の兵法 " 如く
勝って戦うだとか、
戦わずして勝つとか、
私はこれに反対だ。
そんな中国の戦い方なんぞ、
真似しなくても
日本人は
正々堂々と真正面から
思い切り戦えよ。
誹謗中傷や
相手を見下すようなことをせず、
お互いに尊重して、
戦いが終わればノーサイド。
意見の違いはあっても
一致点を見つけて
兵庫県のために
皆が持てる能力と力を
100%発揮してほしいんだよ。
地位や私利私欲で
行動している場合じゃない。
もうそんなことはやめよう!
テレビ、新聞とは正反対に
ネットには多くの
ありのままの情報が流れている。
ただ、匿名で誰でも
好き勝手なことを
言える環境であることは
否定できない。
その情報を発信する人が
本当に信頼できる人なのか、
実名で堂々と発信しているのか、
過去の発信も遡って良く確認し、
自分の頭で考えよう。
そして発信するなら、
自分の足でその現場に行き、
それを手で触り、
舐めて味を確認してから
発信することがモラルだ。
最後に、
人間の財産は
「運」が良いことと、
素晴らしい
「出逢い」に恵まれることだ。
運と出逢いは、
その瞬間を感じる心で決まる。
一瞬、早からず
一瞬、遅からず。
感じたら、すぐ動くからこそ、
絶妙のタイミングで
「感動」を味わえるのだ。
斎藤元彦さんの勇氣と
兵庫県民と有権者は
本当のことを知るべきである、
そのためだけに立候補された
立花孝志さんの志と、
何のしがらみもない、
自由意思を持った
兵庫県の有権者の民意の強さに
感動しました。
今回の県知事選を通じて、
また一つ、
勉強させていただきました。
また一つ、
心の糧にもなりました。
ありがとう。
巨大な組織票 VS 民意の戦い。
さあ、どうなるのか。
天地大自然のみぞ知る。
11月17日は必ず、選挙に行こう。
長文にも関わらず、
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝