2025-11-26 03:58:00

" 【試練】100日墓参りが終わりに近づいたころ、私は生きる意味を問われた "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

小雪【しょうせつ】初候

 

七十二候

第五十八候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)

11月22日~26日ごろ。

まだ本格的な積雪になるほどではないが、冬の訪れを実感する時期で虹が見えなくなるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 【しれん】ひゃくにち はか まいり が おわ り に ちかづ い た ころ、わたし は いき る いみ を とわれ た 』

 

 

 

 

 

" 毎日が修行、道程は平坦ではない "

 

 

 

 

 

一つ前のエントリー からの続きです。

 

自宅から墓園までは

車で15分から20分という距離。

 

 

正直、

「これくらいなら毎日簡単だろう」

「終わった時の達成感も味わいたい」

などと、

 

軽い氣持ちで始めた

百日墓参り」でしたが、

そうは簡単なものではありませんでした。

 

体調が優れない日や、

どうしても

外せない指導や用事と重なった日。

 

時には家族が車を使うため、

バスと徒歩で向かう日もありました。

 

 

 

百日間、

欠かさずやり遂げるには、

 

想像以上の

困難と覚悟がつきまとうものでした。

 

 

 

まさに、

合氣道の稽古と同じく、

「継続は力なり」を試されている日々でした。

 

 

 

 

"「やり始め」に襲いかかった暗雲 "

 

 

 

 

そして、

この百日墓参りを始めたころから、

 

私たち家族は

予期せぬ大きな混乱というか、

事件に巻き込まれました。

 

 

 

​日に日に

その実態が明らかになっていきました。

 

 

警察、司法書士、弁護士、

専門家への相談や関係機関との協議…。

 

 

解決に向けて

相当な時間とお金と労力を費やし、

私たち家族は皆、相当疲弊しました。

 

 

 

10月になる頃には

一応の収束を見ましたが、

 

この間の

家族の精神的な消耗は計り知れません。

 

 

 

当時私は、

この解決への道のりこそが、

 

日々の百日墓参り、

すなわち

ご先祖様への感謝と自分自身の内省が

導いた結果だと信じていました。

 

 

 

これでようやく、

良い方向へ向かっていくだろうと、

心からそう思っていたのです。

 

 

 

 

 

"「終わりに近づくころ」に訪れた最大の試練 "

 

 

 

 

​しかし、

「終わり良ければすべて良し」とは

いきませんでした。

 

 

 

​百日墓参りが

終わりに近づくころ、

 

今度は

私自身に重大な出来事が起こったのです。

 

 

 

 

​内容は

伏せさせていただきますが、

 

それは私自身の信念と、

人間としての存在意義さえも

 

根底から揺るがすほどの、

あまりに重い心の傷でした。

 

 

今も

この深い傷は癒されることはありません。

 

 

 

私は、

常に自分自身の欲を

可能な限り捨て、

 

世のため、人のため、

地域のため、

未来の子どもたちのために、

 

自らの命を削ってでも

全身全霊で

お弟子さんの前に立とうと生きてきました。

 

 

 

 

​来年の9月から始まる

私たちの活動である

 

「コベカツクラブ」(※)の運営にも

関わるこの出来事は、

 

そのすべてを

全否定されたような、

非常に不条理な心の重傷です。

 

 

 

(※)コベカツクラブとは:

神戸市が全国に先駆けて行う

中学部活動の地域連携・外部委託を担い、

各団体の指導を通じて

地域の子どもたちの健全育成を支援する活動です。

 

 

 

 

世の中には

努力しても報われないことも多々あります。

 

 

命をかけて

したことであっても

評価されないこともあるのです。

 

 

 

それは重々承知してます。

 

 

 

 

報われなくても、

評価されなくても構いません。

 

 

 

しかし、

合氣道琴心館寺崎道場として

「コベカツに参入できなくなる」ことは、

 

私の合氣道師範としての

使命を果たす上での

 

私の存在価値すら無くなるほどの

大きなものであると痛感しました。

 

 

「百日墓参りの終わりに近づくころとは、こういうことなのか…」

 

 

 

 

知り合いは皆、

私とは真逆で

終わりに近づくころに良くなったというのに…

 

 

なぜ私だけが、

こんなにも足を引っ張られるのか。

 

 

 

 

百日目の11月24日、

私は一人、

 

お供えした

線香が燃えるのをぼんやり眺めながら、

 

墓園までの道中で車から流れていた

アデル『Rolling in the Deep』

 

本日のインスタグラムのストーリーの曲も

『Rolling in the Deep』です。

@aikido.terasakidojoからどうぞ。

 

 

 

この曲が

私の頭のバックグラウンドで

リピート再生を続けていました。

 

激しい怒りをぶつける歌詞ですね。

 

 

 

 

私もまた、

ただその理不尽さや

 

何故、この局面で

こんなにも

足を引っ張られなければならないのか?

 

 

それを心の中で問い続けていました。

 

 

 

 

百日墓参りを始めたころに

期待していた、

 

終わった時の清々しい達成感など、

微塵も感じられません。

 

 

それは

この記事を書いている今現在でも

感じません。

 

 

 

" 線香の火が教えた「飛躍の法則」"

 

 

 

 

いくら考えても、

堂々巡り、

現状が大幅に変わることはありません。

 

 

 

​ならば、

この残された限られた、

 

困難な環境の中で、

やれるだけのことをやる以外に道はない。

 

 

ダメでもともと、

また一から始めれば良い。

 

 

 

​線香が燃えるのを眺めるうち、

ふと一つの思いが脳裏をよぎりました。

 

 

 

 

「良くなる前には、一度、大きく悪くなる」

 

 

 

 

大きく

上に飛び上がろうとしたら、

 

一度深く膝を曲げ、

下へ沈まねばなりません。

 

 

下がるからこそ、

その反動で大きく飛躍できる。

 

 

 

「これだったのか!」

 

 

 

百日墓参りで

私がご先祖様、

そして天地から教えられたのは、

 

 

「身を引き締め、この状況を突破しなさい」

 

 

という

メッセージだったのかもしれません。

 

 

 

「終わったからといって、油断するなよ」

という戒めなのかもしれません。

 

 

そうか、

これが私の「突破すべき壁」なんだ。

 

 

 

この困難を

乗り越えることができたら、

絶対に道は拓け、願いは成就する。

 

 

 

 

コベカツクラブはじめ

私が行おうとしていることが、

 

天地のご意思に適っていることならば、

きっと天地は応援してくれるはず。

 

 

 

その思いを胸に、

今日も私は

道場に立つほか道はないのでありまする。

 

 

 

 

こんなとき、

師匠ならどうするだろうか?

 

 

今すぐにでも

永田町の議員会館に行って

ご指導を賜りたい氣持ちですが、

 

そんなこと

実現するはずもありませぬ。

 

 

でも、

こんな言葉を残してくださっています。

 

 

 

怒り、悲しむより、

他人のせいにするより、

 

まずは

全部自分に引き寄せて、

全部受け止めて、

 

大笑いしてから憤激しよう。

 

それなら

余裕を持って立ち上がれる。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

 

2025-11-25 03:50:00

" 【衝撃体験】100日連続お墓参りを完遂したら人生が変わる? "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

今週もよろしくお願いします。

 

 

本日は、二十四節氣

小雪【しょうせつ】初候

 

七十二候

第五十八候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)

11月22日~26日ごろ。

まだ本格的な積雪になるほどではないが、冬の訪れを実感する時期で虹が見えなくなるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 しょうげき たいけん】ひゃく にち れんぞく おはか まい り を かんすい した ら じんせい が かわ る? 』

 

 ​

 

 

"「百日墓参り」って知っていますか? "

 

 

今年の7月に

ある著書で、

わずか二行の文章に出会いました。

 

「百日間続けてお墓参りをすれば、何か良いことがあるよ」

 

 

​どのような

「良いこと」があるのかは曖昧でしたが、

 

この言葉が

私の心に深く刺さりました。

 

 

 

同じ頃、

家内の知人が実際に

 

「百日墓参り」

実践していたという話を聞き、

俄然興味が湧いたのです。

 

 

 

 

"「終わりに近づくころ」に何が起こるのか?"

 

 

 

 

そして、

今年の夏、

 

私は「百日墓参り」

やってみようと決意しました。

 

 

 

8月、

集中稽古で東京へ出張した際、

 

あるお弟子さんに

その話をすると、

驚きの答えが返ってきました。

 

 

​「あっ!それ、昔、私の故郷の兄がやりました」

 

「へぇ〜、それで何か良いことあったの?」

 

 

 

​すると、

彼女もまた、

知人も、

 

そしてネットのわずかな情報源も、

皆が口を揃えて

同じようなことを言うのです。

 

 

 

「それがですね、百日墓参りが終わりに近づくころ… 」

 

 

 

​具体的な内容は

プライベートなことなので、

ここではお伝えできませんが、

 

 

 

どうやら

この「終わりに近づくころ」に、

 

人生を揺るがすような

出来事や変化が訪れるらしいのです。

 

 

それは

人それぞれ

違うことは想像できますが、

 

この共通点が

私を強く惹きつけたのでした。

 

 

 

 

"【実践報告】100日間の挑戦がもたらした衝撃 "

 

 

 

 

​そして、

私は東京出張から神戸に帰った

翌日の令和7年8月17日から

「百日墓参り」を実践しました。

 

 

そして、

昨日、11月24日、

 

一日も欠かさず、

ついに100日間の挑戦を

完遂することができました!

 

 

 

 

​私の場合は、

挑戦を「やり始めたころ」と、

噂通り「終わりに近づくころ」に、

 

 

やはり人生において

大きな衝撃的な出来事が起こりました。

 

 

 

さすがに

「人生の岐路」とまでは

言い過ぎかもしれませんが、

 

それでも私にとっては

心に深く刻まれるほどの大きな出来事です。

 

 

 

 

" 100日間で私が体験したこと "

 

 

 

百日墓参りの期間中、

本当に様々なことが起こりました。

 

 

 

不思議な出来事

今まで感じたことのない

強いご縁を感じたり、

物事が急に動き出したり...。

 

 

感動した体験

ご先祖様との

繋がりを深く感じ、

心が洗われるような

感謝の念に包まれました。

 

 

見たことのない景色

精神的な変化だけでなく、

お参りの道中に

空や自然の美しい一瞬に

何度も出会いました。

 

 

 

ちょっと怖かったこと

誰もいない墓地で

感じたゾクッとするような氣配も、

今となっては貴重な体験です。

 

 

 

 

​これらの出来事の一つひとつが、

私の人生観を揺さぶり、

 

大きなたくさんの

「氣づき」を与えてくれました。

 

 

 

 

​私にとっての

「百日墓参り」は、

 

ご先祖様との繋がりを見つめ直し、

自分自身の潜在意識と向き合い、

 

「これがお前の最大の欠点であり、弱さだ」

 

それをご先祖様と天地から教えられた

100日間の旅でした。

 

 

 

​私に一体、何が起こったのか?

 

具体的な体験談は、

このブログで話せる範囲で

 

これから一つひとつ

詳しくお話ししていきますので、

ぜひ、興味がある方はご期待ください!

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-11-21 03:55:00

" 天から与えられた仕事をしているか? "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】末候

 

七十二候

第五十七候 金盞香(きんせんかさく)

11月17日~21日ごろ。

寒い冬の訪れとともに、可憐で香りの良い水仙が咲き始めるころ。

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 てん から あたえ られた しごと を している か? 』

 ​

 

 

「天から与えられた仕事をしているか?」

 

「その仕事が天職であると思えるか?」

 

「それが世のため人のためになっているか?」 ​

 

 

 

道場長として

毎日、道場に立つ時、

 

私は常に

この三つの問いを自らに課しています。

 

 

不肖私が主宰する

合氣道琴心館寺崎道場は、

単に技を教えるだけの道場ではありません。

 

 

 

 

僭越ではございますが、

私はこの道場での指導こそが、

 

まさに天から与えられた仕事「天職」

あると確信しています。

 

 

 

 

 

" 未来の子どもたちのための「人間教育」"

 

 

 

 

​現代社会、

特に学校教育の場では、

 

知識やスキルを

学ぶ機会は豊富にあります。

 

 

 

しかし、

私たちが

最も大切にしなければならない

 

「核」となる部分が、

置き去りにされがちではないでしょうか。 ​

 

 

 

私が

合氣道の指導を通じて、

未来の

子どもたちに伝えたいのは、

 

 

以下の四つの柱です。

 

 

一つ、

美しい所作と言葉

相手を敬う姿勢、

場を清める動作、

そして心ある言葉遣い、

日本人として世界に誇れる礼儀作法。

 

二つ

心と身体の使い方

合氣道の技の理合いから学ぶ、

無理のない効率的な身体の使い方。

感情に流されない強い心の持ち方。

 

 

三つ、

日本人としての誇り

伝統文化への理解と、

先人たちが築いてきた精神性への敬意。 ​

 

 

四つ、

どう生きるか

困難に立ち向かう姿勢、

自己と他者への向き合い方。

人生の「道」を切り開く指針。 ​

 

 

 

これらは、

子どもたちが

これから生きていく上で、

 

どんなスキルよりも

深く、長く、

 

自分の人生を支える

人間としての土台となります。

 

 

 

 

 

" 収入ゼロでも、私は同じことをやれるか " 

 

 

 

道場運営は、

決して楽な道ではありません。

 

 

それでも、

なぜこの活動を続けるのか。 ​

 

 

 

それは、

たとえ、ほんの僅かでも

 

「世のため、人のため、地域のためになっている」という

強い確信があるからです。

 

 

 

 

 

子どもたちが目を輝かせ、

「ありがとうございました」と

深く一礼する姿、

 

 

また、

内氣だった子が

自信を持って発言できるようになる瞬間。

 

 

 

それこそが、

私にとって

何物にも代えがたい報酬なのです。

 

 

 

したがって、

もし、この活動が

 

一切の収入がない

ボランティアになったとしても、

 

私は命の続く限りやり続けます」 ​。

 

 

 

 

私が伝えているのは、

合氣道の技を超えた「生きる道」です。

 

 

 

 

この真髄を

未来ある子どもたちに継承すること、

 

彼らが自信と誇りをもって

生きていくための「種」を蒔くこと。

 

 

 

それが

私の「天命」であり、

私にとっての「合氣道」なのです。

 

 

 

 

​私たちは皆、

他者との関係性の中で生きています。

 

 

合氣道を通じて育む「調和の心」は、

必ずや

社会全体をより良いものに

変えていくと信じています。

 

 

 

​今日も明日も、

その信念をもって

私はお弟子さんの前に立ち続けます。

 

 

今週もありがとうございました。

良い週末、三連休を。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-11-20 03:38:00

" 無意識の所作、親の「躾」と子の「未来」 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】末候

 

七十二候

第五十七候 金盞香(きんせんかさく)

11月17日~21日ごろ。

寒い冬の訪れとともに、可憐で香りの良い水仙が咲き始めるころ。

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 むいしき の しょさ、おや の「しつけ」と この「みらい」 』

 

 

 

 

先日、

所用でとあるお店に立ち寄りました。

 

 

目的の鞄売り場のすぐ前が、

店舗の試着室スペースになっていました。

 

 

 

​そこで、

目を覆いたくなるような

光景を目にしました。

 

 

 

 

一人の男性(40~50歳くらい)が

試着室にズボンを持って入ろうとした際、

 

脱いだ履き物(サンダル)を

あたり構わず脱ぎ散らかして

そのままにしてしまったのです。

 

 

それは、

試着室の前を通る人を

塞ぐかのように散乱していました。

 

 

本来、

履き物を脱ぐという行為には、

わずかな時間であっても、

 

「次に履く時のこと」

「その場を使う人のこと」を考える、

一種の作法が伴うはずです。

 

 

 

それは

合氣道の道場における

「履物を揃える」という、

ごく基本的な所作と全く同じです。

 

 

 

" 履き物を揃える、一つの教え "

 

 

 

​合氣道琴心館寺崎道場では、

この「履物を揃える」という

所作を非常に重んじます。

 

 

 

これは、

単に見た目の美しさや

整頓のためだけではありません。

 

 

 

 

それは「心」の整頓です。

 

それは「次の人」への配慮です。

 

​それは「自分」を律する修業です。

 

 

 

 

履き物が

バラバラに散らかった状態は、

 

そのまま

その人の「心の乱れ」を象徴しています。

 

 

 

自己中心的な振る舞いであり、

「公」の場における

「道」の欠如と言わざるを得ません。

 

 

 

まことに見苦しく、

一日本人として、

とても恥ずかしく思いました。

 

 

 

 

" 躾は連鎖する。

親の「行い」は子の「未来」"

 

 

 

​この男性は、

おそらく幼少期に

 

「履き物を揃える」という

基本的な躾を

受ける機会がなかったのでしょう。

 

 

そして、

もしこの男性に

子どもがいるとすれば、

 

その子どもたちも、

親である彼の「行い」を

無意識のうちに学んでしまいます。

 

 

 

注意する

親の姿を見ていないのですから、

 

彼らもまた、

同じように

履き物をバラバラにしてしまうでしょう。

 

 

 

 

「躾」とは、

「身を美しく」と書きます。

 

 

 

親から子へ、

目上から目下へと

受け継がれていくものです。

 

 

 

 

" 常に「道場」の意識を持つ "

 

 

 

​私たちは、

道場を一歩出た場所でも、

 

常に

「道場にいるのと同じ心」を

持ち続けるべきです。

 

 

 

 

​試着室の前であっても

お風呂屋さんのトイレであっても、

 

「履物を揃える」という

たった一つの行いが、

その人の「人間性」を映し出します。

 

 

 

他者への配慮、

自らを律する心。

 

 

 

 

この当たり前の「道」を、

 

私自身も日々の稽古と

生活の中で実践し続け、

 

お弟子さんたち(特に子どもたち)に

伝えていきたいと改めて強く誓いました。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-11-19 03:15:00

" 学びは役割を引き受けた後に始まる "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 本日は、二十四節氣

立冬【りっとう】末候

 

七十二候

第五十七候 金盞香(きんせんかさく)

11月17日~21日ごろ。

寒い冬の訪れとともに、可憐で香りの良い水仙が咲き始めるころ。

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

 

『 まなび は やくわり を ひきうけ た あと に はじま る 』

 

 

 

 

" 即断即行!「快諾力」が人生を拓く "

 

 

 

​人生の質、

そして人間的な深みは、

 

誰と時間を共にするかで

劇的に変わってきます。

 

 

 

​私が心から信頼し、

ずっと

一緒にいたいと願う人物像。

 

 

それは、

どんな困難な

仕事や役割を頼まれても、

 

即座に

「それ得意です!」

「私にやらせてください!」

快く引き受けられる人です。

 

 

 

 

"「やります!」が先、学びは後 — 師範自身の体験 "

 

 

 

 

 

大切なのは、

引き受けた時点で

 

「得意である」必要は

全くないということです。

 

 

 

​これは、

何を隠そう

私自身の歩んできた道でもあります。

 

 

 

 

​私自身、

合氣道を始めたのは

五十歳という遅いスタートでした。

 

 

にもかかわらず、

 

私の師匠である

兵庫県合氣道連盟会長

合氣道琴心館館長の

 

琴地 茂先生から

「明日から大学へ指導に行きなさい」

 

そう命ぜられ、

 

合氣道琴心館の

末席に加えていただいた

わずか一年後には、

 

大学の合氣道部で

指導を任されることになりました。

 

 

 

当時の私の級は四級。

 

 

対して、

指導する立場の学生たちは

皆、二級でした。

 

 

経験も技も、

そして級も、

私より彼らの方が上だったのです。

 

 

 

​その指導の場では、

数多くの苦い思いも経験しました。

 

 

 

しかし、

その時「指導者」という役割を快諾し、

引き受けたからこそ、

今の私がある。

 

 

 

 

​多くの人は、

技を深く習得し、

 

知識を積み重ねてから

「師範」という

立場になると考えるでしょう。

 

 

 

しかし、

私の場合は、

 

まず師範という

役割になってから、

 

文字通り

合氣道を一から学びました。

 

 

 

 

「教える」という

責任を負ったことで、

 

否応なく

 

誰よりも深く、

誰よりも真剣に

 

稽古に

打ち込まざるを得なくなったのです。

 

 

 

 

" 快諾力の後に秘められた成長のサイクル "

 

 

 

 

「やります!」と手を挙げた後、

その役割を果たすために

必死に学び、調べ、

知識や技術を身につけていく。

 

 

 

この

「まず引き受ける→すぐに学ぶ・実行する」という

 

サイクルこそが、

人間を最も早く、

そして深く成長させる原動力なのです。

 

 

 

これは成長のための大原則です。

 

 

 

​にもかかわらず、

それを分かってない人が多くいます。

 

 

 

 

しかし、

そんな中で

 

私の弟子たちの中にも、

この快諾力を持った若者、

志を持った日本女子が3人、4人といます。

 

 

 

彼女らと一緒にいると、

本当に楽しく、場が明るくなります。

 

 

 

そして何より、

その前向きな姿勢、

貪欲な学びの姿勢からは、

 

私自身も

「まだまだだな」と襟を正す

多くの学ぶべき点があるのです。

 

 

 

 

彼女らは、

道場、

そして社会にとって

 

不可欠な存在へと

確実に成長していくでしょう。

 

 

 

 

 

" 信頼とチャンスを遠ざける姿勢 "

 

 

 

 

​一方で、

残念ながらその対極にいる人もいます。

 

 

 

​声をかけられても、

 

うつむき、

手も上がらず、声も出ず、

 

私と

目を合わすことすらできない人。

 

 

 

不安からか、

挑戦を避け、

 

自分を小さな枠に

閉じ込めてしまうような人です。

 

 

 

​このような

受動的な姿勢では、

 

人生において

チャンスも、

重要な役割も、大きな仕事も、

 

決して

回ってくることはありません。

 

 

 

なぜなら、

他者からの

信頼関係の構築ができないからです。

 

 

 

 

​大事な局面で

「この人に任せても大丈夫だろうか?」

という疑念が生まれてしまう。

 

 

一緒にいても場が重くなり、

共にいる喜びを感じることが難しい。

 

 

 

結果として、

人望も信頼も得られず、

成長の機会から遠ざかってしまうのです。

 

 

 

合氣道の稽古は、

人生という舞台で、

 

いかに積極的に、

主体的に生きるかを学ぶ場であります。

 

 

 

​人生は人選びで大きく変わります。

 

 

 

​私たちは、誰と共に生きていくか。

 

 

 

​そして、

自分自身は、

 

誰かに「一緒にいたい」と

思われる人間であるか。

 

 

 

 

「快く引き受け、後に必死で学ぶ」

という姿勢は、

 

合氣道の

「受け」の精神にも通じます。

 

 

相手の技を正面から受け入れ

そこから次の自分の動きを生み出す。

 

 

 

この

「まず受け入れる」

精神こそが、

人生を切り開く鍵となります。

 

 

 

「それ、私にやらせてください!」

 

 

 

​その一言が、

 

あなたの人生をより深く、

より楽しいものへと導く

最初の一歩となるでしょう。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝