" 人間到る処青山あり "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
処暑【しょしょ】次候
七十二候
第四十一候 天地始粛(てんちはじめてさむし)
「天地始粛」は8月28日~9月1日頃
「処暑」は次候へと移りました。
まだまだ暑い日が続いていますが、
暦の上では暑さがようやくおさまってくる頃とされています。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 にんげん いた る ところ せいざん あり 』
" 人生はどこにいても修行の場 "
「人間到る処青山あり」
にんげんいたるところせいざんあり
という " ことわざ " があります。
これは、
大望を成し遂げるために、
どこにでも行って活躍しよう、
という氣概を表す
とても勇ましい言葉ですね。
「志を立てて故郷を出た者は、
骨を埋める場所は故郷には限らない」
という意味で、
「人間」は世間のことで
「じんかん」とも読みます。
「青山」とは墓地のことを指し、
「せいざん」と読みます。
死んで骨を埋める場所はどこにでもある。
狭い故郷にこだわらず
活動の場を世界に求めようということ。
人は故郷を離れても、
どこにでも志を遂げ、活躍できる場所がある。
そして、
その場所で生涯を終える覚悟を持てる
という意味合いで使われます。
これは、
単に「どこでも生きていける」というような
薄っぺらな表層的な意味ではなく、
「どんな場所でも自分にとっての修行の場であり、全力を尽くす覚悟を持つべきだ」
という深い心構えを
示していると私は考えています。
私にとって、
この青山は、合氣道の道場を指します。
私の地元である
神戸で指導を始めた頃、
この神戸の道場で
一生を終える覚悟で稽古に励み、
指導に当たっていました。
そして今、縁あって
東京と神奈川の地で愛弟子たちが道場を開き、
この場所でも神戸と同様に
私は骨を埋める覚悟で日々精進しています。
東京の道場も、
神奈川の道場も、
神戸の道場も、
どちらも私にとっての大切な青山です。
死に場所はどこにでもある、
そうであるなら、
どう生きるかだけを考えればいい。
場所がどこであろうと、
合氣道を通して自分を磨き、
目の前の弟子たちと向き合い、
ともに向上していく。
まず、
私たちが日本人としての
誇りを持ち、
片時もそれを忘れず、
後世に伝えていくこと。
それが私の使命であり、
私たちの生き様です。
どこにいても、
どんな環境でも、
その場所で全身全霊を傾けてこそ、
本物の道が開けると信じて、
歩むほか道はないのでありまする。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 見知らぬ次の誰かのために、トイレ掃除と英霊が教えてくれること "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
処暑【しょしょ】次候
七十二候
第四十一候 天地始粛(てんちはじめてさむし)
「天地始粛」は8月28日~9月1日頃
「処暑」は次候へと移りました。
まだまだ暑い日が続いていますが、
暦の上では暑さがようやくおさまってくる頃とされています。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 みしら ぬ つぎ の だれか の ため に、トイレ そうじ と えいれい が おしえ て くれ る こと 』
私が日々の生活の中で
大切にしている習慣の一つに、
トイレ掃除があります。
ある著書で
「トイレを使い終わったら、入った時よりきれいにして出る。そうすれば良いことがある。お金が入ってくる」
という一節を読みました。
その著者は
私のお気に入りの人なので、
この教えをすぐに
私は実践するようになりました。
正直なところ、
「良いことがある」「お金が入ってくる」
といった言葉を
鵜呑みにしているわけではありません。
なんの根拠があるのか
不明ですし、
科学的な実証性が
あるわけではないですから。
では、
なぜこの習慣を私が続けているのか。
それは、
「次に使う誰かのためになる」、と
心から思うからです。
自宅のトイレはもちろん、
道場のトイレでも、
駅のトイレでも、
商業施設のトイレでも、
入ったときにきれいなトイレは、
誰もが氣持ちよく感じるものです。
便器周りを拭いたり、
床に落ちているゴミや
トイレペーパーを拾ったり、
近くに清掃用のブラシなどがあれば
それで便器の中をゴシゴシ磨きます。
ほんの少しの手間をかけるだけで、
次に使う人が清々しい氣持ちになれる。
その小さな思いやりが、
巡り巡って
自分の心も
清らかにしてくれるのです。
この考え方は、
先の大戦で命を捧げられた
「英霊の姿」と重なります。
まだ見ぬ私たちのために、
日本の未来のために、
欧米列強といわれた、
アジアの国々を植民地支配から解放させ、
アジア諸国の真の独立のために
未来の平和のために、
自らの命を顧みず戦い、
散っていかれた英霊たち。
彼らは自分のために戦ったのでしょうか?
何か見返りを求めたのでしょうか?
そうではなくて、
ただただ、
自分たちの子孫が
平穏に暮らせる未来を願い、
その尊い命を投げ出されました。
私はその英霊たちの思いと
トイレ掃除も同じではないか、と思うのです。
次に使う人の顔も知らない。
どこの誰かも知らない。
けれど、
その人が氣持ちよく過ごせるように、
という純粋な思いで行う。
それは、
見返りを求めない「無私の精神」であり、
英霊が私たちに残してくれた
偉大な心の遺産に
通じるのではないでしょうか。
良いことが起こるからやる。
お金が入ってくるからやる。
そんな理由を超えたところに、
真の道がある。
無私の心で誰かのために行動する。
その姿勢は、
合氣道の稽古にも通じるものです。
相手を活かし、相手と調和すること。
トイレ掃除を通じて、
私たちはその精神を日常の中で
体現しているのかもしれませんね。
皆さんはどうでしょうか?
今日トイレを使う時、
少しだけ意識して行動してみませんか?
あなたのその小さな一歩が、
誰かの、
そしてあなた自身の
心を明るく照らす光となるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 休むことで、心は強くなりますか? "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
処暑【しょしょ】初候
七十二候
第四十候 綿柎開(わたのはなしべひらく)
「綿柎開」は8月23日~8月27日頃。
二十四節氣は「立秋」から「処暑」に移りました。
綿を包むガクが開き始め、白い綿が顔を出す頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 やす む こと で、こころ は つよ く なりますか? 』
今日もこのブログを
午前3時に起きて書きはじめています。
まだまだ猛暑は続きそうですが、
二十四節氣 暦の上では、
もうすでに秋なのですね。
そういえば、
午前5時でも外は暗いです。
季節は確実に進んでいますね。
ふと氣がつけば、5月のGWに
ほんの数日休ませてもらってから
今日まで1日も休まずに仕事を続けています。
6月末には昇級審査があり、
8月の東京出張の間は
神戸の道場は休みになるため、
その分7月も休みはなかった。
情けないかな、
神戸の道場は私が不在の時に
代わりに立てる人が一人もいない。
いや、
人のために立とうとする志のある人が
一人もいない、が正しい表現だ。
今後の若手の台頭に期待するしかない。
そして8月は、東京での指導。
神戸に帰ってきても、
休むことなく稽古は続いている。
特にお盆前の
神戸と東京を往復する日々はきつかった。
一週間、
ほぼ仮眠しか取れない日が続いた。
「起き上がりたくない」
怠けた心に活を入れ、連日新幹線に乗り込んだ。
しかし、
その間も私の指導を
楽しみに待ってくれている
東京、神奈川のお弟子さん
一人ひとりの顔を思い浮かべるたび、
不思議と力が湧いてくる。
己の身体の疲弊など、
指導のクオリティを落とす
言い訳にはならない。
合氣道は、
自分のすべてを注ぎ込んで
初めて伝えられるものだ。
だから、
どんなに疲れていても、
指導の質だけは
絶対に下げてはいけないと心に誓っている。
世間一般のお盆休みや週末以外、
このブログの更新も休まなかった。
たった1分で
読み終えられるような短い文章でも、
書いては推敲を繰り返し、
数時間かけてようやく世に出せる。
毎日午前3時に書き始めて、
完成するのは午前7時過ぎだ。
ここにも全身全霊を注ぎ込んでいる。
こんな人もいる。
「無理はしない」
「疲れたから休もう」
「身体が不調だから休もう」
「リフレッシュしたいから休もう」
「自分の時間が欲しいから休もう」。
本当に、
それで心身ともに健康になれるだろうか?
休むことで、リフレッシュしましたか?
休養することで心は強くなりましたか?
そんな人はそんなことを一生繰り返し、
また何れ、身体に不調が現れる。
あっちが痛い。
ここが痛い。
この繰り返しだ。
私の場合は、
休みがないほうが健康になるのだ。
なぜなら、
常に「氣」を
出し続けているからだ。
「あなたと私、どちらが氣を出しているだろう?」
もし、
私の方が強く氣を出せているなら、
休んでリフレッシュするあなたより
仕事も稽古も一日も休まない私の方が、
よっぽど健康体ということになる。
休みはなくても、
心はいつも晴れやかだ。
身体は疲弊するかもしれないが、
それに打ち勝つ強い心が、
真の健康を築き上げていくと信じている。
この道場に集う皆さんが、
心身ともに健やかでいられるよう、
私はこれからも「休みなし」で、
道を歩み続ける。
これが一流の健康体の生きた見本だ。
賢者はこの後ろ姿をよく見て、精進せよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 合氣道と江戸の坂道巡り、麻布七不思議 ! 「狸坂」編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
処暑【しょしょ】初候
七十二候
第四十候 綿柎開(わたのはなしべひらく)
「綿柎開」は8月23日~8月27日頃。
二十四節氣は「立秋」から「処暑」に移りました。
綿を包むガクが開き始め、白い綿が顔を出す頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あいきどう と えど の さか みち めぐ り、あざぶ なな ふしぎ !「たぬきざか」へん 』
この夏は、
8月1日から17日まで東京に出張していました。
連日、厳しい暑さが続きましたが、
充実した稽古の日々を過ごすことができました。
前半は
主に若手の一般のお弟子さんたちと
集中稽古に励み、
後半は
指導者育成のための練成稽古が主となりました。
神戸に戻った今も、
東京での熱氣が残っているようです。
さて、
もう何度もこのブログで書いている通り、
東京出張には、
もう一つの目的があります。
それは、
かねてから興味を抱いていた、
由緒ある江戸の坂道巡りです。
(過去の坂巡りのエントリーはこの記事の最後にリンクを貼ってますので、宜しければ、ご覧ください。)
稽古の合間のわずかな時間を使い、
歴史と趣のある坂道をいくつか歩いてきました。
今回は、
その中から特に印象に残った
「麻布七不思議」の一つに関連する
「狸坂」について
ご紹介したいと思います。
" 狸坂:麻布に残る狸の伝説 "
ある日の午前集中稽古が終わった直後に、
つぶらやひとみ という女子が
「師範、今日の夜間の指導者練成稽古の前に坂巡りなさいますか?」と、
聞いてきたので、
「もちろん」と私が答えると、
「では、麻布の狸に化かされに行きますか」と
言うので、
面白そうだから、
「じゃ、案内してよ」
「御意」
ということで、
夜間稽古の約2時間前に
麻布十番で待ち合わせることになった。
以前、このブログで記したとおり、
「江戸の坂道巡り同好会」が発足した。
とはいえ、
未だ部員は私とつぶらや ひとみの
2名だけである。
今流行の呼び方をすると、
「江戸の坂道歩き界隈」だとか…
その日、
私たちが訪れたのは、
麻布二丁目と三丁目の間にある「狸坂」。
この坂は、
急な坂道として知られ、
近くには
「狐坂」もあり、
かつては狸と狐が互いを化かし合っていた
という伝説が残っています。
「狸坂」という名前の由来は、
この辺りに古くから狸が出没し、
人々を化かして
困らせていたからだそうです。
つぶらや ひとみが言うには
『麻布区史』にも
その記述が残されているとのこと。
また、
「麻布七不思議」の
一つにも関連した坂である。
特に興味深いのが、
狸の悪戯を伝えるこんな話です。
昔、このあたりは
木々がうっそうと茂る
寂しい場所で、
なんと、捨て子が多くいたらしい。
ある晩、
坂を通った人が赤ん坊の泣き声を聞き、
哀れに思って
抱き上げて家に帰ろうとしました。
しかし、
何度歩いても
元の場所に戻ってきてしまいます。
そのうち、
抱いている赤ん坊がどんどん重くなり、
不思議に思ってよく見ると、
なんと " 石の地蔵 " だったというのです。
「狸坂」の狸は、
石のお地蔵様を集める
変わった習性が
あったと伝えられているのです。
また、
麻布にはもう一つ、
この後に訪れた
「狸穴坂 (まみあなざか) 」という坂があり、
その周辺には
雌狸が住む大きな穴があったと言われています。
「狸坂」の近くにも、
大きな榎の木の根元に
狸の親子が住んでいたという
話が残っており、
この一帯に多くの狸が
生息していたことは確かなようです。
" 狸坂に感じた合氣道とのつながり "
歴史ある坂道を歩いていると、
ただの道ではない、
そこに暮らした人々の息吹や、
語り継がれてきた物語を感じます。
道場での稽古もまた同じで、
先人たちが築き上げてきた歴史の上に、
今の我々が立っているのだと
改めて実感しています。
この麻布の「狸坂」のように、
一見ただの坂道でも、
そこに秘められた
物語や教訓があります。
合氣道においても、
基本の技の一つ一つに、
先人の知恵や工夫が詰まっています。
表面的な部分だけでなく、
その奥に隠された真意を
探求することが、
稽古の本質に通じると感じました。
東京出張での稽古と坂道巡り。
二つの目的を通して、
見えないものの中に真実を見出す、
そんな大切な学びを得ることができた
今年の東京出張となりました。
しかし、
「麻布七不思議」、興味深いですね。
私たちの江戸の坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
↓↓↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 長州藩中屋敷から東京ミッドタウンへ 赤坂「檜坂」編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いいたします。
本日は、二十四節氣
処暑【しょしょ】初候
七十二候
第四十候 綿柎開(わたのはなしべひらく)
「綿柎開」は8月23日~8月27日頃
二十四節氣は「立秋」から「処暑」に移りました。
綿を包むガクが開き始め、白い綿が顔を出す頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ちょうしゅうはん なかやしき から とうきょうミッドタウン へ あかさか「ひのきざか」へん 』
" 由緒ある坂道巡り
赤坂「檜坂」を訪ねて "
東京での夏の集中稽古と
指導者育成練成稽古のため、
8月1日から17日まで出張していました。
稽古の合間を縫って、
かねてからの東京出張において
もう一つの目的であった
由緒ある江戸の坂道巡りもしてきました。
宜しければ このエントリー もご覧ください。
4年前、
港区赤坂のホテルに宿泊するご縁があり、
夜間散歩していた時に
近くで見つけた「檜坂」が、
私の江戸の坂道巡りのきっかけです。
その歴史の深さに惹かれ、
今回の出張でも再訪しました。
" 檜屋敷から軍用地、防衛庁、そして東京ミッドタウンへ "
「檜坂」は、
赤坂六丁目と九丁目の境、
東京ミッドタウン・ガーデンの東裏を
北東に下り檜町公園の前へ出る
急勾配の大きく曲がった坂道です。
かつてこの坂の周辺は、
現在の防衛省を含む驚愕の広大な
長州藩毛利家の中屋敷であったとされています。
屋敷内にヒノキの老木が
多数茂っていたことから、
人々は「檜屋敷」と呼び、
これが坂の名前の由来となりました。
この場所は、
幕末の動乱で大きな歴史を刻みます。
文久3年(1863年)、
政変で京都を追われた長州藩は、
翌年、勢力回復を目指して兵を率いて上京。
しかし、
蛤御門 (はまぐりごもん) の変で敗北し、
幕府から長州征討を受けることになります。
その際、
江戸にあった長州藩邸も
取り潰しの対象となり、
この檜屋敷も打ち壊されました。
2万坪にも及ぶ
広大な屋敷の解体作業には、
連日多くの人足が動員されたと
伝えられています。
明治維新後、
この地は軍用地となり、
歩兵第一連隊の兵営が置かれました。
第二次世界大戦後にはGHQに接収され、
1954年には防衛庁が建設されました。
そして2007年、
防衛庁 (現在の防衛省) が新宿区市ヶ谷へと
移転した跡地に、
大規模複合施設
「東京ミッドタウン」が誕生し、
今日に至ります。
" この壮大な歴史の坂道を私は今、歩いている "
一本の坂道にも、
これほど壮大な歴史があることに
改めて驚かされるとともに
とても感慨深いものがあります。
道場の稽古で技を磨くのと同じように、
歴史もまた深く掘り下げることで、
新たな発見や学びがあります。
今回の赤坂「檜坂」巡りは、
過去の出来事が
現在の風景にどう繋がっているのか、
その流れを肌で感じさせてくれました。
これは、
技の系譜だけではなく、
合氣道寺崎道場を主宰する
私の大切な指導者たちとの
「師弟関係」の繋がりを
学ぶことにも深く通じるものがありました。
稽古も歴史も、
地道な探求こそが重要なんだ。
しみじみ、
そう思いながら
夕暮れ近い赤坂「檜坂」から
その日の稽古場である
麻布台教室へと向かいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝