" 人間は鍛錬しないと怠けるよ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
大寒 (だいかん) 初候
七十二候
款冬華 ふきのはなさく
第七十候
1月20日~24日頃までは大寒の初候にあたり、ふきのとうのつぼみが地面から顔を出しはじめるころです。大地は春の準備を進めています。
今日のお題
『にんげん は たんれん しない と なまける よ』
人間は
毎日毎日、
鍛錬しないと怠けます。
面倒、厄介、わずらわしい、
飽きる、億劫、嫌氣がさす。
そういう
" 心の芽 " が出たら、
瞬時に
切り捨てねばなりません。
「まぁ、これ位ならいいか」
" これ位なら "
その " これ位 " を
放っておくと、
やがて
" これ位 " の
許容範囲が
みるみる拡がっていく。
そして、
怠け心が
本領を発揮しだすのだ。
さらに
齢 ( よわい ) を
重ねるほど、
それが凄まじくなるから、
ほんの小さな
" 怠け心 " であっても
即座に切り捨てることだ。
決して、決して、
油断してはなりませぬ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 感慨無量 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
小寒 (しょうかん) 末候
七十二候
雉始雊 (きじはじめてなく)
第六十九候
1月15日~19日頃までは小寒の末候にあたり、雉(きじ)のオスがメスを求めて、甲高い声で鳴くころです。
今日のお題
『かんがいむりょう』
あと1時間ほどで
5時46分になる。
30年前の
阪神淡路大震災は
震災関連死を含め、
6,434人にのぼった。
その中には友人も1名いる。
静かに黙祷を捧げる。
今年は
天皇皇后両陛下が
1.17 のつどい
阪神淡路大震災30年追悼式典に
御臨席され、
1月16日(木)から17日(金)まで、
神戸市に行幸啓になられた。
昨日は
私の自宅から
徒歩数分の
沿道での奉送迎が
行われるということで、
まずは
天皇皇后両陛下が
ご視察なさる
兵庫津ミュージアムまで
出かけた。
どの沿道で
奉送迎が行われるのか
知らされていないから、
皆、思い思いの
沿道に人が立っている。
ようやく、
沿道に多くの警察官が
配置に着きはじめ、
「この場所では天皇皇后両陛下をお迎えすることができません」
警察官に移動させられ、
手荷物検査、ボディチェック、
金属探知機による
セキュリティチェックを受け、
指定の場所で
天皇皇后両陛下を
奉送迎するまでの間、
警察官から
色々な注意点の説明があった。
注意点は
" 物を投げない " とか
" 追いかけない " など
常識的なことだ。
この日
沿道で警護につく
警察官は
通常の制服ではないらしく、
式典でしか着用しない
制服を着用している
とのことだった。
見た目には
そう違いはないように
思ったが…
「もうまもなく天皇皇后両陛下がお通りになられます」
沿道は人で埋め尽くされている
にも関わらず、
静寂に包まれた。
" 3 " と書かれたパトカーが
通り過ぎる。
天皇皇后両陛下
通過まで3分の合図だ。
" 2 " 2分前
" 1 " 1分前
1分間隔で
3台のパトカーが
通り過ぎたあと、
黒塗りのSPの車、
2台の白バイ、
黒塗りのSPの車、
その次が
天皇皇后両陛下が
お乗りになるセンチュリーだ。
ゆっくり走行しながら
私の前を一瞬にして
通り過ぎていかれた。
沿道に向かって
天皇皇后両陛下が
手を振ってくださった。
ほんとに一瞬ではあったが、
私の心の琴線に触れ、
深く感動した。
沿道の人々も皆、
深く感動していた。
残された私の人生で
一生に一度、
しかも
自宅から徒歩数分の圏内に
天皇皇后両陛下が
行幸啓になられたのだ。
ご自身やご家族のことは
一切祈らず、
ただただ、
私達日本国民の幸せと
世界の平和を
毎日、祈ってくださるご存在。
天皇皇后両陛下の
ご存在の偉大さを
改めて感じた。
とてもとても
大きなご存在なんだ。
そして、
私達日本国民にとって
心安らぐご存在なんだ。
『感慨無量』
胸の前で " 日の丸 " の旗を
振りながら、
涙が出るほど感動した。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 語彙力を高める "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
小寒 (しょうかん) 末候
七十二候
雉始雊 (きじはじめてなく)
第六十九候
1月15日~19日頃までは小寒の末候にあたり、雉(きじ)のオスがメスを求めて、甲高い声で鳴くころです。
今日のお題
『ごいりょく を たかめる』
" 語彙 " とは、
その人が知っていて
使える言葉のことです。
" 語彙力 " は簡単に言うと、
知っている言葉の数と、
それらの言葉を
使いこなす能力のことです。
具体的には、
たくさんの
言葉を知っていて
言葉の意味を正しく
理解している。
状況に合わせて
適切な言葉を選び、
言葉を使って
自分の考えを
相手に伝えられる
といった能力です。
" 語彙力 " が高いと、
表現が豊かになり、
自分の考えをより的確に
相手に伝えられます。
また、
難しい文章も
理解しやすくなり、
コミュニケーション能力や
思考力や創造力も
高まります。
特に氣になるのが、
若い人達が話す言葉です。
「やばい」や「うざい」、
「キモい」とか「だるい」、「エグい」
そのような
限られた言葉しか
使ってないように感じます。
いつでも簡単に使えるから、
その言葉で
相手に通じるから
といって、
日々、決まった言葉だけで
過ごしていると、
自分の思いや
考え、感情も
決まった言葉でしか
表現できなくなってしまいます。
語彙力を高めるには、
とにかく
小さな子どものうちから
たくさんの本を読むことです。
小学生の間に
たくさんの本を読み、
" 読書をする " という
習慣がない人は
語彙力が高まらない、
ということを
聞いたことがあります。
私は子どものころ
読書が嫌いで、
全く本を読みませんでした。
たくさんの本を読むように
なったのは、
40代になってからなのです。
従って、
私の場合は
" 語彙力 " を高めることは
もう手遅れなのです。
このブログも
月曜から金曜まで
毎朝、執筆していますが、
表現する言葉が
出てこないのです。
自分の" 語彙力 " の無さを
痛感する毎日です。
「こんなことなら、子どものころに本を読んでいれば良かった」
過ぎ去った日々を
取り戻すことはできません。
しかし、
嘆いても仕方ありません。
今からでも
少しでも" 語彙力 " を
身につける努力をする
しかないのですね。
" 語彙力 " を高めるには
語源を学び、 辞書を引き、
色々な言葉を
言い換えてみることです。
言い換えることで、
色々な表現の仕方が
身についてきます。
毎日、
少しずつでも
積極的に色々な言葉に
触れるように
心がけることですね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 刻石流水 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
小寒 (しょうかん) 末候
七十二候
雉始雊 (きじはじめてなく)
第六十九候
1月15日~19日頃までは小寒の末候にあたり、雉(きじ)のオスがメスを求めて、甲高い声で鳴くころです。
今日のお題
『こくせきりゅうすい』
受けた恩義は
どんな小さくても
心の石に刻み、
忘れないようにしよう。
人に施したことは
水に流し、
忘れてしまおう。
人からいただいた愛は
決して
忘れないようにしよう。
人に与えた愛は
忘れてしまおう。
なぜなら、
それはその人への
自分からの贈り物だ。
その贈り物は
もう、
その人のものであって、
自分のものではない。
人からもらった
形あるもの、形ないもの
全てに感謝して、
自分が与えてあげたものは
何もかも
きれいさっぱり手放そう。
人間は
人から受けた恩には鈍感で
してもらったことを
忘れてしまいがちだ。
一方で、
誰かにしてあげたことは
ほんの小さなことでも
いつまでも
覚えているものだ。
「誰かのためにしてあげた」とか、
「あの人のためにやってあげた」と
よく言いますが、
本当のところは
「自分が勝手にしてあげた」
だけのことではないだろうか。
自分が勝手にしたことなら、
その相手に
見返りを求めることは
おかしなことである。
人から受けた恩は
心の石に刻み、
人にかけた情は水に流す。
それなら、
「させていただいてありがとう」と
感謝の言葉しか、
出てこなくなるのではないだろうか。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 心を無視してはいけない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
小寒 (しょうかん) 次候
七十二候
水泉動 (しみずあたたかをふくむ)
第六十八候。
1月10日から1月14日頃までは小寒の次候にあたり、地中で凍っていた泉が動き出すころです。
今日のお題
『こころ を むし して は いけない』
人間の
「心と身体」の関係とは、
切ることができず、
離すこともできない。
「心と身体」を
川に例えると、
水が上流から
下流に流れるように
上流すなわち川上は
" 心 " にあたる。
一方で、
下流である川下は
" 肉体 " にあたるのだ。
そういうことに
氣付かないから、
川下である " 身体 " ばかり
氣にして、
鍛えたり、労ったりする。
どんな名トレーナーに
鍛えられようが、
どんなに素晴らしい
名医にかかろうが、
どんなに良いストレッチを
毎日しようが、
身体は
決して強くもなれない、
柔らかくもなれない。
心が弱い間は
身体も弱いのだ。
心が硬い間は
身体も硬いのだ。
それを
分かろうとしない
考えようともしない人は、
身体に病が出てくれば
一目散に病院に行く。
それ注射だ、やれ薬だ。
それでもって入院だ。
仕事も休むは
氣を出すことも忘れるは、
それ温泉療養だ、
あれこれ手を尽くして
何も効かなくなると、
お札だ、お守りだ、
お坊さんだ、
神社だ、寺だ。
慌てふためき、
やがて本当の
「病氣」のなるのだ。
なんとも、
お氣の毒な
哀れな人になる。
こういう人、
ほんと多いですよ。
これまで
たくさん見てきた。
本当に身体が丈夫に
なりたかったら、
まず、
心を鍛錬することです。
川上を毎日、
綺麗に掃除するから
川下は自然に綺麗になるのだ。
手を付けるところが
間違っているんだよ。
それが分かれば、
心というものは
どんな状況下にあろうと、
いつも積極的で
なければならないことに
氣が付くだろう。
消極的な心は肉体にも影響する。
あなたが
賢者であるなら、
一日でも早く
これに氣付き、
あらゆる事において
心を主体に考え、
行動するべきでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝