" その昔、追いはぎが出ると怖れられた坂道。見えない先に氣を配る。暗闇坂編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週も宜しくお願いいたします。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】末候
七十二候
第四十五候 玄鳥去(つばめさる)
「玄鳥去」は9月18日~22日頃。
春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終えて、南へと帰っていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 その むかし、おいはぎ が でる と おそれ ら れた さかみち。みえ ない さき に き を くば る。くらやみざか へん 』
今夏の東京出張は
主に麻布台にある道場で稽古をしました。
道場へ向かう道すがら、
私はよく元麻布にある「暗闇坂」を通りました。
この麻布十番周辺は
江戸から続く
由緒ある坂道がたくさん点在する場所です。
元麻布の
「 暗闇坂 くらやみざか 」は、
その名の通り、
かつては
昼間でも暗いほど
木々が鬱蒼と茂っていた
ことから名付けられた歴史ある坂です。
" 由来と歴史 "
坂名の由来は、
樹木が覆いかぶさるように生い茂り、
昼間でも
見通しが悪く暗かったことにあるそうです。
昔の宮村町を通っていたことから、
「宮村坂」とも呼ばれていたそうです。
また、
その暗さから
幽霊や妖怪の伝説も生まれ、
「幽霊坂」とも
呼ばれることがあり、
" 幽霊 " や " 追い剥ぎ " が出ると言われ、
人々から恐れられていました。
実際に
追い剥ぎなどが現れる
物騒な
場所でもあったと伝えられています。
追い剥ぎ(おいはぎ)とは、
人氣のない道で通行人を捕まえ、
着ている衣類や持ち物、金銭などを
強奪する盗賊・強盗のことを指します。
そのような言い伝えがある
「暗闇坂」も現在では、
周囲の宅地開発や
マンション建設が進み、
かつてのような鬱蒼とした
雰囲氣は失われ、
明るく整備された坂になっています。
急な坂の途中には
レンガ造りの美しい
オーストリア大使館があります。
坂を上りきると、
「一本松坂」、「大黒坂」、「狸坂」といった
他の坂と合流する地点に出ます。
「暗闇坂」は、
その名前の由来や、
かつての不氣味な伝説とは裏腹に、
現在は都心の閑静な高級住宅街を
つなぐ坂として、
元麻布の街の雰囲氣を象徴する
存在となっていますね。
" 麻布台道場へ向かう道、
元麻布「暗闇坂」の教え "
先人たちは
この真っ暗闇な坂で
見えない先に氣を配り、
時には危険な人物に
遭遇することに身構えながらも、
一歩一歩進んでいく。
それは
まさに現代の合氣道の稽古に通じます。
「目に見えるものばかりを追うな」
師からいただいた
この言葉を、
私はこの坂道を通るたびに
思い出します。
相手の動きの
表面だけを追うのではなく、
その奥にある
「氣」を感じ取り、先を読む。
暗闇の中で
五感を研ぎ澄ませて歩くように、
私たちは合氣道を通して、
見えない「氣」を感じ取る稽古をしています。
幸い、
現代ではこの坂道は整備され、
今は明るく見通しの良い坂道です。
時代の変化とともに形は変わっても、
その本質は変わりません。
合氣道もまた、
技や形は進化しても、
その精神は何も変わらない、
僭越ですが、私はそう思っています。
次の東京出張もまた、
この坂を上り、
お弟子さんと共に稽古に励むことでしょう。
そして、
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 利他を究める 技と心 それが成長への道 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】末候
七十二候
第四十五候 玄鳥去(つばめさる)
「玄鳥去」は9月18日~22日頃。
春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終えて、南へと帰っていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 りた を きわめ る わざ と こころ それ が せいちょう へ の みち 』
" 稽古の根底にある「利他」の精神 "
合氣道琴心館寺崎道場で
学ぶの技は、
自分の力を
誇示するものではありません。
相手の攻撃を
正面から受け止めるのではなく、
その力 (氣 )と調和し、
尊重して、それを導きます。
このプロセスは、
言い方をかえれば
まるで相手の力を借りて
自分も成長しているかのようです。
相手を
いかに安全に投げられるか、
いかにスムーズに技をかけるか、
常に
相手の " 氣の動き " や " 呼吸 " 、
そして
その相手の状態を深く観察し、
繊細な氣遣いをもって行います。
これは、ある意味
「自分のため」ではなく、
「相手のため」に
技をかけることに通じます。
" 全てにおいて向上する
「天地大自然の法則」"
自分が上達することだけを
考えていては、
いつまで経っても上達できません。
そうではなく、
組む相手が
どうすれば上達できるかを考え、
常に、
" 相手の成長を第一 " に稽古に臨む。
これは、
合氣道の世界だけに
通用する特別な教えではありません。
相手を尊重し、
相手の成長を助けることは、
巡り巡って
自分の成長に繋がるという、
" 天地大自然の普遍的な法則 "
なのです。
ただ、
頭ではそれを分かっていても、
本当にこの真理を理解し、
実践している人はごくわずかのように思います。
多くの人は、
自分の得になることばかりを追い求め、
目先の利益に囚われてしまいます。
それでは、
本当の意味での成長や向上は望めません。
相手を成長させ、
その動きを学び、自らの技を磨く。
この「利他」の精神こそが、
自分を真に向上させる道なのです。
今週もありがとうございました。
9月20日 (土) 、9月21日 (日) の
兵庫キャナルタウン合氣道教室のお稽古は
勉強会で師範不在のため、お休みです。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 東京の坂道巡り、技の深淵を学ぶ。狸穴坂編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】末候
七十二候
第四十五候 玄鳥去(つばめさる)
「玄鳥去」は9月18日~22日頃。
春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終えて、南へと帰っていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 とうきょう の さかみち めぐ り、わざ の しんえん を まな ぶ。まみあなざか へん 』
8月の夏期集中稽古、指導者育成練成指導。
その東京への
出張のもう一つの目的。
それは、
江戸の歴史が息づく坂道を巡ること。
今日は麻布にある
「狸穴坂(まみあなざか)」のお話です。
狸穴坂は、
東京都港区麻布にある坂です。
麻布台二丁目と
麻布狸穴町の境界に位置しており、
外苑東通りの
ロシア大使館の西側を南に下っています。
この坂は
「麻布七不思議」の一つに数えられ、
古くから
多くの物語が語り継がれてきました。
地元では昔、
このあたりに狸が出没し、
人を化かしたという言い伝えがあります。
ある時、
赤ん坊の泣き声に騙された人が、
抱き上げたものが石のお地蔵様だった、
という逸話には
思わず引き込まれました。
狸穴坂の名前の由来には
諸説あり、
最も有名なのは
「まみ(雌ダヌキ、アナグマなどの古語)」が
住む穴があったという説です。
また、
遥か昔に銅が産出した採鉱の穴、
間府穴 まぶあな(銅を採るために掘った穴)が
あったとも伝えられており、
採鉱の穴(まぶ)が、
語源という説もあるようです。
驚くべきことに、
この「狸穴」という地名は、
「麻布永坂町」とともに、
江戸時代からほとんど変わらずに
現代まで残っている貴重なものなのですね。
古の時代から続くこの坂を歩くと、
まるで先人たちの
息吹が聞こえてくるようでした。
坂道巡りの体験は、
私にとって
合氣道の稽古に強く通じるものがあります。
技の形を
ただ身体でなぞるだけでは、
本質にはたどり着けません。
その奥にある
合氣道の先人達が
残してくれた教えや知識。
その中から一つひとつの技が生まれた。
その背景に思いを馳せることで、
より深い学びが得られます。
今回の東京出張は、
坂の物語に触れることで、
改めて技の「深淵」を
追求することの
大切さを感じた、
素晴らしい学びの機会となりました。
今後も、
稽古を通じて
合氣道の奥深さを探求し、
お弟子さんと共に精進してまいります。
そして、
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「坐」が教えてくれる心の稽古、それが呼吸法だ。"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】次候
七十二候
第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)
「鶺鴒鳴」は9月12日~17日頃。
水辺に住むセキレイが鳴き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 " ざ " が おしえ て くれ る こころ の けいこ、それ が こきゅうほう だ。 』
" 心を調え、技を磨く "
私は日々の稽古の中で、
お弟子さんには
肉体的な技だけでなく、
心のあり方も探求する重要性を説いています。
いつも言っていることですが、
合氣道琴心館寺崎道場の稽古は、
単に身体を動かすことだけではありません。
道場は、
自分自身の心と向き合う場所でもあります。
私は
道場での呼吸法に加えて、
日頃から
よく静かな場所で深く呼吸を整えます。
心を臍下の一点に静め、
口から吐けるだけを吐き、
鼻から吸えるだけを吸う。
決して力まず、より深く。
一呼吸は時間や長さではなく、
仙骨を起こしてリラックスすること。
それが
私たちが実践する「呼吸法」です。
この時間こそ、私の「一日一心」。
忙しい日々の中で、
心身の奥底へと意識を向け、
もう一人の自分と対話する
貴重な時間なのです。
この「静かに坐る」という行為は、
まるで自分の中にいる二人の自分、
" 感情に流されやすい自分と、
冷静に物事を見つめる
もう一人の自分が対話する "
ようなものだと、私は思います。
漢字の「坐」という字は、
土の上に二人の人が並んでいる形を
表しています。
これはまさに、
この二人の自分が向き合い、
対話している様子を象徴しています。
この対話を繰り返すことで、
私たちは感情の波に飲み込まれることなく、
心を平穏に
保つことができるようになります。
他人から
何かひどいことを言われて落ち込んだり、
逆に誰かの態度や言葉に
腹が立つという
氣持ちになったりすることも
少なくなっていきます。
ちなみに、
もう一つの「座」という漢字は、
「座標」「妻の座」「夫の座」のように、
場所や位置を表す名詞として使われます。
どちらも人が二人並んでいる形ですが、
その意味は少しずつ違いますね。
合氣道琴心館寺崎道場の
技の稽古は、
この「坐」を通して心を調え、
技を磨くことを目指しています。
心と技が一体となることで、
真の正しさへと繋がっていくのです。
外見では技は身体の動きですが、
その動きを司るのは「心」です。
どれだけ身体が強くても、
「心」が乱れていれば、技は必ず崩れます。
だからこそ、
私たちは技を通じて、
「心」という
見えない部分を鍛えているのです。
今日も、
道場で皆さんと
心、技、体、氣、一体の稽古が
できることを楽しみにしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 稽古の道すがら、江戸の坂道に学ぶ。二合半坂編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週も宜しくお願いいたします。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】次候
七十二候
第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)
「鶺鴒鳴」は9月12日~17日頃。
水辺に住むセキレイが鳴き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 けいこ の みち すがら、えど の さかみち に まな ぶ。にごうはんざか へん 』
8月1日から17日まで、
東京での夏の集中稽古と
指導者育成練成稽古のため、
出張しておりました。
連日の暑さの中、
集まったお弟子さんたちと
汗を流す日々は、
私自身にとっても貴重な時間です。
多忙な稽古日程の合間を縫って、
かねてより心に決めていた
もう一つの目的も少しは
果たすことができました。
それは、
由緒ある江戸の坂道を巡ることです。
今回訪れたのは、
千代田区富士見町1丁目にある
「二合半坂」です。
JR飯田橋駅から目白通りへ
少し歩いた大神宮通りに交差する
暁星学園小学校の横から、
フィリピン大使館前へと続くこの坂道。
なぜ「二合半」というのか、
その名の由来は諸説あり、
どちらも実に興味深いものです。
【 説1:見方を変える大切さ 】
江戸時代の書物『再校江戸砂子』には、
この坂の上から
東に日光山が半分見えた、とあります。
なぜ日光山が
半分見えると二合半なのか?
それは、
富士山の高さを「一合」「二合」と
十分割で数える習慣に由来したそうです。
この坂から見えた日光山は、
西側に望む富士山に比べて
半分の高さ(五合)に見え、
さらにその日光山を坂上から見ると
半分しか見えなかったため、
「富士山の半分の、そのまた半分」
すなわち
「二合半」と名付けられた、というのです。
【 説2:謙虚さの重要性 】
別の説では、
この坂があまりにも急で、
お酒を一合飲んで登ると、
二合半も飲んだかのように酔ってしまう、と
伝えられています。
" 稽古も人生も、坂道と同じ "
合氣道の稽古も人生も、
この「二合半坂」のように、
一見しただけでは
分かりづらい側面や、
困難な道のりがあるものです。
「日光山が半分見える」
という視点は、
物事の本質を捉えるには、
表面的な部分だけでなく、
見方を変える工夫が
必要だと教えてくれているように思います。
合氣道の技の理合を
深く探求することで、
初めて見えてくる世界があるのです。
また、
「急な坂道で酔ってしまう」
という話は、
自分の力を過信せず、
常に謙虚な氣持ちで向き合うことの
重要性を物語っているようです。
稽古においても、
力任せに相手とぶつかるのではなく、
相手の氣の方向、
相手が向かおうとする方向を尊重し、
自分の使う方向へと
導くことが大切になりますね。
東京の街中に江戸時代から
ひっそりと佇むこれらの坂道は、
合氣道の道と通じる
多くの教えを毎回、私に与えてくれます。
肉体を鍛えることだけに執着せず、
物事を多角的に捉え、
柔軟に対応する
「素直な心」を養うこと。
何も考えずに通れば、
ただ通り過ぎるだけの坂道でも
学ぼうとする心さえあれば、
日常において
いくらでも、どこからでも、
学べるものです。
これこそが、
合氣道を日常に活かす「道」なのだと
改めて感じた一日でした。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝