2025-04-22 03:24:00

" 逃れられない繋がり "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節氣 穀雨 (こくう) ・初候

 

七十二候 

葭始生 あしはじめてしょうず

 

第十六候

二十四節氣は「清明」から「穀雨」へと移りました。

「葭始生」は4月19日~24日ごろに相当します。

水辺の葦(あし)が芽を吹き始める頃です。

葭は、「葦 」とも書き、軽く丈夫で葦簀 (よしず) などに利用されます。

 

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

『 のがれ られ ない つなが り 』

 

 

 

 

何か問題が起きたとき、

すぐに「あれは誰かのせいだ」と

考えるのは、

ある意味とても容易いことです。

 

 

全ての責任を他者に押し付け、

「自分は関与しない」という立場を取る。

それはとても氣楽なことでしょう。

 

 

 

しかし、

もし誰もがそのような態度を取り、

責任のなすりつけ合いばかりを

" 知らぬ " 、" 存ぜぬ " などと

するようになったら、

この社会はどうなってしまうでしょうか?

 

 

 

 

責任を逃れるための言い訳や理屈は、

探せばいくらでも見つかるものです。

 

 

法的な観点からも

" 無関係 " 、

" 自分には関係がない " 、

" 責任はない " 、

という場合もあるかもしれません。

 

 

 

しかし、

私たちは理屈や法律だけで

生きているわけではありませんね。

 

 

 

 

人と人が協力し、

支え合って生きる社会において、

 

 

「自分は一切関係ない」

「自分には何の責任もない」などと

いうことは " 一切あり得ない " のです。

 

 

 

 

一見すると

無関係に思える出来事でも、

様々な繋がりを通して、

 

いつか自分自身に

影響が及ぶ場合がほとんどです。

 

 

 

その繋がりがある限り、

私たちはそれぞれが深く自己反省し、

 

強い責任感を持つ必要が

あるのではないでしょうか。

 

 

 

 

全てを「他人のせいにしてしまいたい」

という氣持ちは、

人間の中にはあることかもしれません。

 

 

 

しかし、それは

" 勇氣がない " 、 " 心が弱い姿 " とも言えます。

 

 

 

そのような人ばかりの社会では、

自分自身の成長も、

日本の真の繁栄や平和も生まれませぬ。

 

 

 

 

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-04-21 03:15:00

" 楽しさは自分の心がつくるもの "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節氣 穀雨 (こくう) ・初候

 

七十二候 

葭始生 あしはじめてしょうず

 

第十六候

二十四節氣は「清明」から「穀雨」へと移りました。

「葭始生」は4月19日~24日ごろに相当します。

水辺の葦(あし)が芽を吹き始める頃です。

葭は、「葦 」とも書き、軽く丈夫で葦簀 (よしず) などに利用されます。

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

『 たのしさ は じぶん の こころ が つくる もの 』

 

 

 

私たちは日々の生活の中で

「楽しい」と感じる瞬間が

どれくらいあるでしょうか?

 

 

そして、その「楽しい」は、

どこからやってくるものなのでしょうか?

 

 

 

 

美味しいものを食べたとき、

欲しかったものを手に入れたとき、

誰かに褒められたとき…。

 

 

 

もちろん、これらも楽しい瞬間です。

 

 

 

 

しかし、

江戸時代に「寛政の改革」を

行った人物として知られる

松平定信(楽翁)は、

このような言葉を残しています。

 

 

 

「楽しいと思っていると、楽しくなるものだ。楽しさを心の外に求めてはならない。」

 

 

 

約200年前のこの言葉には、

現代を生きる私たちにも通じる、

大切な人生のヒントが

隠されているように思います。

 

 

 

 

「楽しいと思っていると楽しくなるものだ」

という部分に注目してみると、

 

 

これは、私たちの心のあり方、

つまり「思考」や「認識」が、

現実の受け止め方や感じ方に

大きな影響を与えることを示しています。

 

 

 

たとえ客観的に見て特別な出来事が

何も起きていないとしても、

 

自分が「これは楽しいな」「面白いな」と

思って物事に取り組んだり、

日常の一コマを捉えたりすることで、

実際に心が弾み、楽しくなってくる。

 

 

 

心の持ち方ひとつで、

目の前の景色は全く違って見えるのですね。

 

 

 

 

次に、

「楽しさを心の外に求めてはならない」

という言葉です。

 

 

これは非常に深く、

現代社会において

特に考えさせられる部分ではないでしょうか。

 

 

 

私たちはついつい、

幸せや楽しみを

自分の外側にあるものに求めがちです。

 

 

 

物質的な豊かさ、

他者からの評価、

SNSでの「いいね」の数、

流行りのエンタメ…。

 

 

 

これらを得ることで、

一時的な喜びや満足感を得られることも

あるとは思いますが、

 

それらは常に変化し、

時には失われてしまう可能性もあります。

 

 

 

外にあるものに依存した楽しみは、

脆く、不安定なものではないでしょうか。

 

 

 

 

松平定信は、そうではなく、

楽しみは自分の「心」の内側に

見出すべきだと説いています。

 

 

 

 

自分の興味や関心に従って

何かを探求する喜び、

 

目標に向かって

努力する過程そのものの充実感や、

 

身近な人との温かい繋がりから生まれる

安心感や幸福感。

 

 

 

これらは、外部の状況に左右されにくく、

自分自身の中から湧き上がってくる、

より根源的な楽しみと言えます。

 

 

 

 

情報過多の現代だからこそ、

松平定信のこの言葉には

重みがあるように思います。

 

 

 

 

周囲との比較や、

流行に流されるのではなく、

 

自分の心と向き合い、

" 自分の感性を磨く " ための時間を

持つことが、

とても重要であると私は思うのです。

 

 

 

 

自分はどんなことに

時間を使っているときが一番心地よいか?

 

どんなことについて

考えているとワクワクするか?

 

 

 

季節の移ろい、

美味しい一杯のコーヒー、

思わぬ人との会話など、

 

見過ごしがちな日常の中にも

楽しみの種はたくさんあります。

 

 

 

 

「楽しいと思っていると楽しくなる」

という言葉は、単なる氣休めではなく、

 

 

私たちの心の状態は、

行動を促し、人間関係を形成し、

やがて

現実を創り上げていく力を持っています。

 

 

 

 

幸せや楽しみの源泉は、

他でもない自分自身の心の中にあります。

 

 

 

外側にばかり目を向けるのではなく、

自分の内なる声に耳を澄ませ、

 

心のあり方を整えることで、

私たちはより豊かで満たされた

「楽しい」人生を

自らの手で創り上げていくことが

できるのではないでしょうか。

 

 

自分の心の声が求める「楽しみ」を見つけ、大切に育てていきましょう。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-04-18 03:08:00

" 心の偏食をやめよう "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節氣 清明 ( せいめい ) ・末候

 

七十二候 

虹始見 にじはじめてあらわる

 

第十五候

「清明」は次候から末候へと移りました。「虹始見」は4月14日~18日ごろに相当します。

春が深まり、空氣中の湿度が高まるにつれて、雨上がりに虹が見られる機会が増えることを示しています。

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

『 こころ の へんしょく を やめよう 』

 

 

 

 

心の偏食をやめて。

反対意見は新たな発見の宝庫!

 

 

 

誰にでも、自分の考えがあります。

 

 

 

もちろん、それは大切なものです。

 

 

 

しかし、

その考えに固執して、

反対する人を敵みたいに思ったり、

嫌な氣持ちになったりしたという経験は

誰にでもあると思うのです。

 

 

 

 

でもそれは、

まるで好き嫌いが多い偏食の子ども

みたいなものではないでしょうか。

 

 

 

自分の好きなものしか受け入れられない。

 

 

 

 

自分の考えを一生懸命、

相手に伝えるのは素晴らしいことです。

 

 

 

でも一方で、

相手の反対意見にも耳を傾けることは、

すごく面白いことだと思います。

 

 

 

 

なぜなら、

その反対意見の中にこそ、

自分が今まで氣づかなかった

新しい発見や、もっと深く考えるヒントが

隠されていることがよくあるのです。

 

 

 

 

自分の意見と、それと反対の意見。

 

 

 

 

上があれば下もある。

表があれば裏もある。

長所があれば短所もある。

 

 

 

見方によれば " どちらも正しい " のです。

 

 

 

この相反する二つの相対的な世の中に、

私たちは生かされているのですね。

 

 

 

 

この二つをしっかりと受け止めて、

良いところを組み合わせることができたら、

きっと " 世のため " 、" 人のために " 、

揺るがない強い自分になれるはず。

 

 

 

 

これというのは、

私たち一人ひとりの

話だけではないと思うのです。

 

 

 

私たちの祖国、日本も同じ。

 

 

 

日本はみんなで意見を出し合って

物事を決める民主主義の国です。

 

 

 

独裁国家ではないのです。

 

 

 

 

自分の意見がいつも正しいとは限らない。

 

 

 

 

時には、

自分と違う意見の中にこそ、

大切な価値があることを見つける

「心の余裕」と「賢さ」を持つことが

大切ではないでしょうか。

 

 

 

それこそが、

より良い社会を切り開く

力になるのではないでしょうか。

 

 

 

 

反対する相手を敵とみなすのではなく、

その人の良さを見つけ、

成長を助け、時には許す。

 

 

 

これは、

合氣道の根幹にある考え方であると

私は思います。

 

 

 

 

そして、

そこに私たち自身の生きる道、

成長していく道があるのかもしれません。

 

 

 

 

さあ、今日から

少しだけでも、心の偏食をやめましょう?

 

 

 

そこには、きっと、

新しい発見と豊かな世界が待っているはず。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-04-17 03:40:00

" 嵐の中の瞑想 - 雹と露天風呂と合氣道 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節氣 清明 ( せいめい ) ・末候

 

七十二候 

虹始見 にじはじめてあらわる

 

第十五候

「清明」は次候から末候へと移りました。「虹始見」は4月14日~18日ごろに相当します。

春が深まり、空氣中の湿度が高まるにつれて、雨上がりに虹が見られる機会が増えることを示しています。

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

『 あらし の なか の めいそう - ひょう と ろてんぶろ と あいきどう 』

 

 

 

 

先日、合氣道の稽古がお休みの日に、

かねてから訪れたかった

スーパー銭湯へ足を運びました。

 

 

平日の午後の早い時間帯だったためか、

露天風呂には私ともうお一人だけ。

 

 

静寂に包まれた空間は、

まさに至福のひとときでした。

 

 

 

その日は風が強く、

大氣の状態は不安定という予報が出ていました。

 

 

 

露天風呂に浸かっていると、

予報通り冷たい風が強まり、

空の色が、だんだんと暗くなってきたその時。

 

 

「バタバタ」という激しい音とともに、

突然、雹 (ひょう) が降り始めたのです。

 

 

 

もう一人の方は

すぐに内風呂へと避難されました。

 

正しい判断です。

 

 

 

もちろん、

危険な状況を推奨するわけではありません。

 

 

 

しかし、

降ってきた雹は勢いはあったものの、

それほど大きな塊ではありませんでした。

 

 

 

私は、あえてそのまま

露天風呂に浸かり続けることにしたのです。

 

 

「これも自分の修行の一環」

 

 

いつでも素早く、避難できるように

「心を静め」、「リラックス」して

天地大自然に身を委ねることにしました。

 

 

 

 

私たちは、

普段の生活の中で

穏やかで順境な日々が続くと、

その存在を忘れがちになります。

 

 

 

 

 

 

私の職業は「合氣道師範」です。

お弟子さんへの日々の指導や稽古は

道場という室内で行われます。

 

 

 

合氣道には様々な流派があり、

それぞれの団体で違いはありますが、

 

 

私が所属する

兵庫県合氣道連盟、

 

私が主宰する

合氣道琴心館寺崎道場、

 

その稽古の大きな目的の一つに

 

「自分の心と身体が天地大自然と一体になること」があります。

 

 

 

 

それは、

単に身体の重みをどこに置くか、とか、

心の置きどころを意識したり

するだけではありません。

 

 

心と身体、

そして私たちを取り巻く

天地大自然が完全に調和し、一体となること。

 

 

 

生きとし生けるもの、

命あるものはすべて、

宇宙の中にあるこの広大な天地大自然の一部なのです。

 

 

 

 

 

私たちは

それを頭では理解していても、

日々の忙しさの中で、

その感覚を忘れてしまうことも

多々、あるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

合氣道が私の生活の一部となる以前、

10代の終わりから50代前半まで、

私はサーフィンに没頭していました。

 

 

 

海の上では、

雨が降っても傘をさすことはできません。

 

 

ウエットスーツは進化しましたが、

冬の海は容赦なく冷たい。

 

 

波の力は、

人間など簡単に吹き飛ばしてしまいます。

 

 

ライディングを誤れば、

まるで人間洗濯機のように波に巻かれ、

水の中では息をすることもできません。

 

 

風や予測不能な潮流に流され翻弄する。

 

 

 

まさに、それは

天地大自然の脅威を

全身で受け止めなければならない場所でした。

 

 

 

だからこそ、

私は天地大自然の力を信じることができたのです。

 

 

 

「天地大自然と一体であること」

私は、それを海から学ばせていただきました。

 

 

 

人間は、

決して " その力に勝つことはできない " と悟りました。

 

 

そして、

畏敬 (いけい) の念を抱くことができるのです。

 

 

 

それは、

頭で理解するのではなく、

実際に身体で受け止めなければ

決して分からない感覚です。

 

 

 

 

昨今、

世界では「この世で人間が一番だ」と

傲慢に考える人々が多いように感じます。

 

 

 

自分の力で

地球をどうにでもできると錯覚し、

 

他国の領土や資源を強奪する行為を

正当化するような国のリーダーも存在します。

 

 

 

もし、そのような人物を

一度、台風で荒れ狂う海に

放り出してみたらどうなるでしょうか。

 

 

誰も助けない状況で、

溺れ死ぬか、

 

もし奇跡的に陸に生還できた時、

初めて自分ではどうすることもできない

天地大自然の営みや脅威を、

身を持って理解するのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

話をスーパー銭湯に戻すと、

 

内風呂から数人の方が、

外の様子を見に出てきました。

 

 

激しく降りつける雹に打たれながら、

露天風呂に悠然と浸かっている

私と目が合います。

 

 

 

もしかしたら、

「こんな雹が降る中、露天風呂に入り続けるバカもいるもんだ」と

 

SNSに投稿されるかもしれません。

 

 

 

 

しかし、私は勝海舟の言葉が大好きです。

 

 

 

「行いはおれのもの、批判は他人のもの、おれの知ったことじゃない」

 

 

 

自分の行動は自分で選択し、

制御することができます。

 

 

しかし、

それに対する他人からの評価や批判は、

自分の力ではコントロールできません。

 

 

ならば、

他人の目を氣にせず、

自分が良いと思うことを思う存分やればいい。

 

 

 

 

約10分間、

雹に打たれ続けた露天風呂での時間は、

まさに、何にも代えがたいものであり、

 

 

「心と身体と天地大自然が一体」となった、

 

 

" 真のリラックス " を体感させていただけた

最高の至福の瞬間でした。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-04-16 03:36:00

" お守りを持たないということ "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節氣 清明 ( せいめい ) ・末候

 

七十二候 

虹始見 にじはじめてあらわる

 

第十五候

「清明」は次候から末候へと移りました。「虹始見」は4月14日~18日ごろに相当します。

春が深まり、空氣中の湿度が高まるにつれて、雨上がりに虹が見られる機会が増えることを示しています。

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

『 おまもり を もたない と いう こと 』

 

 

 

 

昔の知人で多くのお守りを

身につけている人がいました。

 

旅行のお土産には、

必ずと言っていいほど

神社仏閣のお守りをいただくのです。

 

 

それ自体を否定するつもりはありません。

 

 

 

しかし、経験的に、

多くのお守りを持つ人ほど、

病氣や災難に見舞われるように感じるのです。

 

車のダッシュボードに

お守りをいくつもぶら下げている車ほど

よく事故を起こすという話も聞きます。

 

 

 

 

私は、常日頃お守りを持ちません。

 

ただ一つ、

靖國神社のお守りを財布に入れています。

 

それは、

まだ見ぬ私たちのために

命をかけて祖国を守ってくださった

英霊の御霊と共にありたいという、

感謝の思いからです。

 

 

 

 

神社に参拝に行けば、

境内でお守りが売られているのは

当たり前の光景です。

 

お寺にだって、

置いていないお寺を探す方が難しいくらい。

 

 

 

その姿も昔ながらのお札の形から、

おしゃれなキーホルダータイプ、

氣軽に貼れる可愛いシール状のものまで、

実にバリエーション豊かです。

 

 

期待できる効果も様々ですよね。

 

 

受験や恋愛の成就を願うもの、

日々の安全を祈るもの、

厄除けや病からの回復を願うものなど、

 

私たちの様々な願いや不安に寄り添ってくれます。

 

 

 

でも、ふと立ち止まって考えてみる。

 

 

それらのお守りの力を、

私たちは本当に

心の底から信じているのでしょうか?

 

 

 

もし願いが叶わなかったとしても、

「お守りのせいだ!」と

販売元の神社仏閣に

クレームをつける人なんて、

まあ、いないのではないでしょうか。

 

 

 

私たちは心のどこかで、

お守りが一種の心の支え、

氣休めに過ぎないと

感じているのではないでしょうか。

 

 

 

そう理解しながらも、

ついつい手を伸ばしてしまい、

いつの間にかそれが習慣、

 

いや、もしかしたら

依存にすらなっているのかもしれません。

 

 

 

たとえば、

「交通事故に遭ったのは、あの日お守りを持ち忘れたからだ」とか、

 

「商売がうまくいかないのは、開店日の運が悪かったからだ」とか、

 

「最近不幸続きなのは、自分の名前の画数が悪いせいだ」とか。

 

 

 

私たちは、

" 何か問題が起こると、
その原因を自分の外に探しがちです。"

 

 

 

そして、

より効果のあるお守りを求めて彷徨ったり、

占いや根拠のない迷信に

頼ったりしてしまうのです。

 

 

 

 

自分にとって

都合の良いことばかり追い求め、

都合の悪いことを避けようとするのは、

人間の本能なのかもしれません。

 

 

 

しかし、

良いことばかりを追いかける生き方は、

裏を返せば

悪いことを極度に恐れる心を生み出します。

 

 

 

そして、

悪いことが続くと、

最終的には自分の人生そのものを否定し、

呪うようになってしまうのです。

 

 

 

 

どんな状況に置かれたとしても、

私たち自身の人生は、

誰の人生とも交換できません。

 

 

それは同時に、

誰とも交換する必要のない、

唯一無二の、かけがえのない人生なのです。

 

 

 

 

 

私がお守りを持たないという選択は、

単なる「持たない」という行為を超えて、

 

良し悪しといった相対的な二元論を超え、

目の前に広がる現実をありのままに受け止め、

 

その中で精一杯生きていこうとする、

力強い意思表示なのでありまする。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝