2024-06-20 04:46:00

" 守りたくても守れない "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『まもり たくても まもれ ない』

 

 

 

私達の身体は

 

生まれる前から

 

出来上がっている。

 

 

 

 

 

まだ生まれる前、

 

まだ人間になる前から、

 

 

 

お母さんの胎内で10ヶ月

 

すでに身体は

 

組み立てられている。

 

 

 

 

 

見るために眼と、

 

聞くために耳と、

 

食べるために口と舌と、

 

呼吸するために鼻と、

 

働くために手と足と、

 

内蔵も出来上がっていた。

 

 

 

 

 

こちらから

 

「お願いいたします」

 

などと

 

頼んでもないのに。

 

 

 

願ってもないのに、

 

祈ってもないのに、

 

考えもしないのに、

 

 

 

生まれてから

 

必要なものは

 

全て揃っていた。

 

 

 

生きてる間中、

 

心臓は動き続け、

 

血液は循環する。

 

 

 

一瞬たりとも止まらない。

 

 

 

 

 

今更

 

そのような当たり前の

 

話をしてどうするんだ。

 

そう思われるかも知れない。

 

 

 

しかし、

 

そのことを考えてみる。

 

 

 

その当たり前のことに

 

真理があるからだ。

 

 

 

 

 

私達人間の

 

生みの親は

 

天地大自然である

 

ということだ。

 

 

 

 

 

「この子は私達の子」であると

 

両親が言っても、

 

その両親が

 

手も足も口も耳も眼も

 

内蔵も作ってあげたのではない。

 

 

 

勝手に備わったのだ。

 

 

 

そうであるなら、

 

私達人間は皆、

 

 

 

天地大自然に

 

生命を守られて産まれ、

 

今も生きていることが

 

自覚できる。

 

 

 

従って、

 

「我が身は守る必要はない」のだ。

 

 

 

自分で自分のことを

 

守りたくても

 

守れないのだ。

 

 

 

なせなら、

 

その必要がないからだ。

 

 

 

 

 

その真理を

 

分かろうともせず、

 

 

 

自分のことを

 

守ろうとするから、

 

心身が弱くなるのだ。

 

 

 

守れば守るほどに

 

弱くなるのだ。

 

 

 

それを「無理」というのだ。

 

理に適っていない

 

ということである。

 

 

 

 

 

従って、

 

天地大自然の

 

大恩に感謝して、

 

これに報いる道は

 

 

 

自分にできることを

 

精一杯やる。

 

命の限りやり尽くす。

 

 

 

他者のために

 

持てる知恵と力を

 

しぼりきる。

 

 

 

出し惜しみするな。

 

 

 

あっという間の人生だ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-06-19 04:13:00

" 塵も積もれば "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『ちり も つも れ ば』

 

 

 

"塵も積もれば山となる"

 

という諺がある。

 

 

 

ごくわずかのものでも、

 

積もりに積もり

 

重なれば

 

大きな結果に

 

つながることの

 

例えだ。

 

 

 

 

 

小さな違いが

 

やがて

 

ものすごく

 

大きな違いになる。

 

 

 

これは

 

歳を重ねるに

 

したがって

 

実感としてわかる。

 

 

 

 

 

中学生や

 

高校生の時は

 

みな誰しも

 

似たようなものだが、

 

 

 

五十代や

 

六十代、

 

七十代の頃に

 

同窓会に出席してみれば

 

愕然とするものだ。

 

 

 

 

 

"塵も積もれば山となる"

 

 

 

これは

 

学ぶことにおいても、

 

日常の行いにおいても、

 

 

 

当てはまる

 

教訓でありまする。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-06-18 04:11:00

" 切れば血の代わりに、思いが溢れ出てくる "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『きれ ば ち の かわり に おもい が あふれ でて くる』

 

 

 

願いや思いを

 

成し遂げるためには、

 

ただなんとなく

 

思ったのでは無理だ。

 

 

 

 

 

生半可なレベルではなく、

 

寝ても覚めても

 

四六時中、

 

 

 

強烈な願望として、

 

物事を思い続け、

 

考え抜く

 

心の姿勢がなければ

 

成し遂げることはできない。

 

 

 

 

 

例えば

 

「姿勢が良くなりたい」と

 

思えば、

 

 

 

朝起きた瞬間から

 

意識せず自然に、

 

それが頭に浮かんでくる。

 

 

 

そして

 

そうなるために、

 

一日中

 

それを実践実行する。

 

 

 

ほんの僅かな

 

心の緩みもない。

 

 

 

一日中

 

そのことばかりを

 

考え抜く。

 

 

 

それを

 

最低二年間、

 

寝食を忘れ没頭する。

 

 

 

それが

 

スタートラインだ。

 

 

 

 

 

頭の先から

 

つま先まで

 

全身

 

その思いを

 

充満させて、

 

 

 

腕を切れば

 

血液の代わりに

 

「その強烈な思い」だけが

 

流れ出てくる。

 

 

 

それほどまでに、

 

ただひたむきに、

 

ひたすら強く

 

一心に

 

思い続けること。

 

 

 

それが

 

物事を成就させる

 

起爆剤となるのだ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-06-17 04:19:00

" あんた、なんのために生きてんのや。よう考えや "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『あんた、なん の ため に いきて ん のや。よう かんがえ や』

 

 

 

 

 

地球上に存在する以上、

 

地球を構成するために

 

必要なものだ。

 

 

 

もっと言えば、

 

 

 

今ここに存在する以上、

 

宇宙を構成するために

 

必要なものだ。

 

 

 

 

 

存在する

 

全てのものは

 

必然として

 

存在しているのです。

 

 

 

太陽も水も空氣も

 

砂も石も草も木も

 

虫も動物も。

 

 

 

そして

 

私達人間も。

 

 

 

 

 

従って、

 

存在するからには

 

何かしら、

 

役割があるはずだ。

 

 

 

役割。

 

存在する意味。

 

 

 

 

 

存在する

 

値打ちがなくなれば、

 

もういらなくなる。

 

 

 

命あるものは

 

死ぬということだ。

 

 

 

 

 

存在するからには

 

責務があるはずだ。

 

 

 

せっかく

 

人間として

 

生まれてきたのに、

 

それを考えようともしない。

 

 

 

バカもいる。

 

自分のことしか

 

考えることができない

 

大バカものだ。

 

 

 

自分のことは

 

可愛くて可愛くて

 

しかたがない。

 

 

 

でも

 

自分で自分を守れない。

 

 

 

強くなりたくて

 

仕方がない。

 

 

 

でも

 

強くなれない。

 

 

 

 

 

あんたな、よう考えや。

 

 

 

 

 

この世に

 

存在する値打ちを。

 

 

 

責務をよう考えや。

 

 

 

それは

 

世のためになることや。

 

人のためになることや。

 

 

 

それが

 

できるようになったら、

 

あんたの願いは

 

叶えられるわ。

 

 

 

まあ、

 

せいぜい

 

生きてるうちに

 

やることやな。

 

 

 

 

 

自分のことには

 

人は力を

 

あまり出せないのや。

 

 

 

でもな、

 

人のためやったら、

 

ゴジラ並みのパワーが

 

出せるのや。

 

 

 

それが人間なんや。

 

 

ついでにな、

 

私も遠い昔は

 

大バカものやったんや。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-06-14 04:33:00

" それも自分の人生の一部なのだ "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう

 

 

 

 

 『それ も じぶん の じんせい の いちぶ なの だ』

 

 

 

 

自分の思いや願い通りに

 

完璧に人生を全うする

 

ことができる人なんていない。

 

 

 

思い通りにいかなくて

 

苦しんだり、

 

辛い思いをしたり、

 

失敗したり、

 

絶望したり、

 

打ちのめされたり、

 

かっこが悪かったり、

 

負けたり、

 

誹謗中傷されたり、

 

人間関係が

 

上手くいかなかったり、

 

人に誤解されたり、

 

失望したり、

 

生きていたら色々ある。

 

 

 

 

 納得いかないことも、

 

自分に非があると

 

思えないことも、

 

 

 

 

 

そのような

 

ありとあらゆることも

 

全部、

 

現実のものとして

 

しっかり受け止めよう。

 

 

 

 

 

「それも我が人生の大切な一部なんだ」

 

 

 

「生きているとはそういうことなんだ」

 

 

 

 

そう理解して、

 

心に固く誓って、

 

笑いとばして、

 

平然と受け止める

 

大きな心の器を持とう。

 

 

 

 

大切なことは、

 

その出来事によって、

 

次にどう行動するかだ。

 

 

 

辛いからと言って

 

嘆いても何も変わらない。

 

 

 

それで全てが

 

終わってしまうことなどない。

 

 

 

見方、捉え方を変えて、

 

その経験を活かして

 

次に進もう。

 

 

 

今がいつも出発点だ。

 

 

 

 

 

これは

 

子育てにも

 

同じことが言える。

 

 

 

親は、

 

子どもを

 

深く思いやり、

 

 

 

苦労をさせず、

 

望むように生きさせ、

 

幸せな人生を

 

歩ませたいと願う。

 

 

 

親なら誰でも、

 

そう願う。

 

 

 

しかし、それは

 

「親の欲望であり願望」

 

であることと

 

理解することが重要だ。

 

 

 

過度な習い事をさせるのも、

 

どうだろうか。

 

 

 

親が自らの欲望を認識し、

 

その欲望に

 

振り回されてはいけない。

 

 

 

 

親が子どもを

 

甘やかし、

 

苦労をさせないように

 

しすぎると、

 

 

 

わがままな子、

 

甘える子、

 

ひ弱な子に育つ。

 

 

 

 

我が子であろうと、

 

人は完璧な人生を

 

送ることはできない

 

ことを認識し、

 

 

 

成長には

 

苦難や失敗、

 

恥や、挫折、

 

負けや苦しい経験が

 

絶対に不可欠であることを

 

心にしっかりと

 

留めておくべきだ。

 

 

 

嫌なことも

 

辛いことも、

 

 

 

何もかも全部、

 

そこから学ぶために

 

天地大自然が

 

与えてくださった

 

貴重な出来事なのだ。

 

 

 

そういう

 

心の稽古を

 

日頃からしておく。

 

 

 

その心の稽古は、

 

やがて自分の潜在意識に

 

深く浸透していき、

 

人を強くするのだ。

 

 

 

そういう稽古を

 

いっぱい

 

してきた人は、

 

他人にも

 

優しくなれるのだ。

 

 

 

そういう中心軸を持とう。

 

 

 

「それがどうした」

 

「それくらいのことでへこたれないわ」

 

 

 

誰にも負けない

 

真の心の強さを

 

磨いてゆかねばいけない。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝