2025-06-18 03:43:00

" 一事を究めれば全てに通ず、簡単な日々の実践 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】末候

 

七十二候

第二十七候  梅子黄【うめのみきばむ】

 

「芒種」は末候へと移りました。

「梅子黄」は6月16日~20日ころにあたります。

 

青かった梅の実がだんだんと黄色く色づき始める頃を指します。

これは、梅が収穫の時期を迎えるサイン。

 

梅干しや梅酒、梅のジャムなど、日本の夏には欠かせない、

梅の加工品づくりが盛んになる季節の到来を告げる候です。

 

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

 

 

 

 

『 いちじ を きわめ れ ば すべて に つう ず、かんたん な ひび の じっせん 』

 

 

 


「一事を究めれば全てに通ず」

 

 

この言葉は、

私が日々の稽古や生活の中で

痛感する真理です。

 

 

 

たとえば、

合氣道で基本の型を極めれば、

 

その心身の使い方や呼吸は、

他の技にも応用できます。

 

 

 

私が主宰する、

合氣道琴心館寺崎道場では、

 

技は、書道と同じく基本の型(楷書)から

始まり、徐々に

行書、草書へと進んでいきます。

 

 

基本の型に熟達するには、

ひたすら繰り返し稽古を重ね、

 

身体に動きを

染み込ませるしかありません。

 

 

熱心に継続すれば、必ず上達しますが、

 

肝心なのは、

心が結果や相手への執着から離れ、

 

「自分の技を磨く」

という覚悟を持つことです。

 

 

 

 

何をするにしても、

「本物」を目指すことは、

 

そのまま

「精神修養」に繋がると私は信じています。

 

 

 

そして、

今取り組んでいることが「本物」であれば、

 

その学びはあらゆる側面に波及し、

それ以外のことも

すべてのものが「精神修養」に役立つのです。

 

 

 

 

たとえば、

合氣道琴心館寺崎道場の

 

" 子ども親子クラス " では、

稽古の前にみんなで雑巾がけをします。

 

 

 

同じ雑巾がけでも、

丁寧にする子と雑な子がいます。

 

 

雑な子には

「もっと丁寧に拭こうね」と促しますが、

悪い癖はなかなか簡単には直りません。

 

 

一つの悪い癖がいつまでも直らないのは、

 

きっと、その子が雑巾がけ以外のことも

雑にしている証拠なのだと思うのです。

 

 

 

食べること、歩くこと、歌うこと、

なんでもいい、

どんなことでも「本物」になりさえすれば、

 

その姿勢は

必ず他の様々なことにも良い影響を及ぼします。

 

 

 

 

なぜなら、

 

" 何事にも共通する「原則」が存在する " からです。

 

 

 

 

いわゆる「極意」と呼ばれるものは、

まさにこの「原則」であり、

 

すべてのことに通じる

普遍的な教えなのだ、と私は考えます。

 

 

 


だからこそ、

 

一度、志を立てたなら、

脇目も振らずに「一心に邁進」すること。

 

 

 

 

決して

途中で諦めず、

たゆまず努力し続けることが大切です。

 

 

 

たとえ障害が目の前に現れても、

 

それを乗り越え、

たとえ転んでしまっても、

再び立ち上がって前へ進む。

 

 

 

そうすれば、

必ずや「極意」に到達できるはずです。

 

 

 

そして、

一つのことの「極意」に達しさえすれば、

 

それは他のあらゆる分野にも

応用できるようになる、と思うのです。

 

 

 

 

 

" 簡単で「ほんの少しだけ苦労」することを選ぶ "

 

 

 

 

「継続する心」を養う上で大切なのは、

 

最初から

立派なことや難しいことを選ばないことです。

 

 

私たち凡人が、

いきなり崇高な目標を立てても、

 

往々にして「続かない」という

失敗に終わるのではないでしょうか。

 

 

 

むしろ、「簡単」で、

かつ「少しだけ苦労だな」

感じるくらいのことを選び、

 

それを「継続」することで、

継続力を鍛錬するのが

賢明なやり方だと、私は思います。

 

 

 

 

 

たとえば、

私自身が日課にしている例を挙げると、

 

 

* 食事の前には作り手の方に感謝する。


* 食事の際に手を合わせ「いただきます」「ごちそうさまでした」と言う。


* 脱ぎ散らかされた履き物を見れば、必ず揃える。


* 毎日のウォーキングは呼吸法をしながら歩く。


* 毎朝、決めた道に落ちているタバコの吸い殻を拾う。


* 平日は毎朝3時に起きる。


* 起床後すぐに、このブログを書く。


* Instagramのストーリーの更新に使う画像や動画は、その日のブログ記事と関連付ける。


* 家のトイレであれ、公衆トイレであれ、自分が使ったトイレは、入った時よりきれいにしてから出る。


* 月に一度は神社にお参りする。


* 両親の命日、月命日には花を捧げる。


* 神仏には感謝を捧げるだけで、お願い事は一切しない。

 

* 一日、一行でも本を読む。

 

* 一冊の本は三日で読み終える。

 

* 寝る前にその日の反省をする。

 

 

 

これらは、

私の日課のほんの一例ですが、

 

一見すると何でもないことのように思えます。

 

 

しかし、

実は少しだけ、

 

「苦労だな」と感じるくらいの

「やりにくさ」が、

この一例の中にはいくつかあるのです。

 

 

 

でも、

こういったことを繰り返し行うことが、

「継続力を育む土台」となるのではないでしょうか。

 

 

 


地道な繰り返しこそが、

「継続」「習慣」へと変え、

 

一つのことに熟達した経験が、

 

やがて、

他のあらゆることにも応用されるようになる。

 

僭越ながら、私はそう確信するのでありまする。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-17 03:00:00

" 刀に学ぶ「平和」の心 : 合氣道に通じる武士道の真髄 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】末候

 

七十二候

第二十七候  梅子黄【うめのみきばむ】

「芒種」は末候へと移りました。

「梅子黄」は6月16日~20日ころにあたります。

 

青かった梅の実がだんだんと黄色く色づき始める頃を指します。

これは、梅が収穫の時期を迎えるサイン。

梅干しや梅酒、梅のジャムなど、日本の夏には欠かせない、

梅の加工品づくりが盛んになる季節の到来を告げる候です。

 

 

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

 

 

 

 

『 かたな に まな ぶ「へいわ」の こころ : あいきどう に つうじ る ぶしどう の しんずい 』

 

 

 

 

" 刀に宿る武士の魂と合氣道の「和」の心 " 

 

 

 

 

合氣道は、

争いを避け、「和を尊ぶ」ことを

根幹とする武道です。

 

 

 

この精神は、

古くから武士たちが重んじてきた

 

「武士道」と深く相通じるものがあると、

私は思います。

 

 

 

 

 

武士と聞けば、多くの方が

「刀」を思い浮かべるのではないでしょうか。

 

 

 

刀は単なる武器ではなく、

「刀は武士の魂」とまで言われたように、

 

武士の生き様そのものを象徴する、

かけがえのない存在でした。

 

 

 

 

 

" 幼少期からの武家の「教育」:端午の節句に息づく伝統 " 

 

 

 

 

武家の子どもは、

幼い頃から刀との深い関わりが始まり、

 

わずか5歳で武士の装束をまとい、

本物の刀を腰に差すことを許されたと

伝えられています。

 

 

 

これは、

単に剣術を学ぶだけでなく、

 

刀の扱い方、

ひいては武士としての正しい立ち居振る舞いを、

 

心身両面から

徹底的に叩き込まれることを意味しました。

 

 

 

 

この習わしは、

現代の日本にも「端午の節句」として

色濃く残っているのですね。

 

 

 

5月5日に

男の子の成長を願うこの行事では、

 

鎧兜 (よろいかぶと) や

刀、弓矢などを飾り、鯉のぼりを立てます。

 

 

 

これらは、

かつて武士が

戦場で身を守るために用いた武具であり、

 

「強く、たくましく、そして正しく成長してほしい」

という「親の願い」が込められています。

 

 

 

 

まさしく、

幼い頃から武士としての

「自覚」と「心構え」を育んだ、

 

当時の「武家の教育」の精神が、

形を変えて受け継がれている証と

言えるのではないでしょうか。

 

 

 

15歳で「元服」の儀式を経て

一人前の武士と認められるまで、

 

彼らにとって刀は、

まさに「一心同体」とも呼べる存在だったのでしょう。

 

 

 

 

 

" 刀が教える「真の勝利」とは " 

 

 

 

 

武士は、

その魂ともいえる刀を最大限に尊重しました。

 

 

刀に対する不敬は、

持ち主への侮辱に等しいとされ、

決して容認されませんでした。

 

 

 

同時に、彼らは軽々に

刀を抜くことを潔しとしませんでした。

 

 

真の武士は、

刀を使うべき「時と場」を心得ていたのです。

 

 

 

常に武力の象徴である

刀を身につけていた武士だからこそ、

彼らは深く理解していました。

 

 

 

 

「真の勝利は、暴力の先に存在するものではない。」

 

 

 

そして、

血を流さずに争いを収めることこそが、

最善の道であると。

 

 

 

 

なぜなら、

彼ら武士が追い求めた究極の理想は、

他ならぬ「平和」だったからです。

 

 

 

 

 

" 現代の言葉に息づく「武士道精神」 " 

 

 

 

 

 

武士と刀の関係性から生まれた

伝統や精神は、

現代社会にも脈々と受け継がれています。

 

 

 

 

私たちの日常会話にも、

その名残を見出すことができます。

 

 

 

 

たとえば、

 

 「抜き打ち」とは、

事前の予告なしに行動することであり、

 

 「付け焼刃」とは、

一夜漬けの知識や急場しのぎの対応のこと、

 

 

 また「反りが合わない」とは、

性格や意見が食い違い、しっくりこない様であり、

 

 「鎬(しのぎ)を削る」とは、

激しい競争を繰り広げること、

 

 

さらに「元の鞘(さや)に収まる」とは、

揉め事が解決し、元の良好な関係に戻ることなど…

 

 

 

 

これらの表現は、

すべて武士と刀の深い関わりから

生まれたものです。

 

 

 

言葉の端々に、

彼らの生きた時代と精神が息づいている、

 

そう思うと、感慨深いものがありますね。

 

 

 

 

 

" 合氣道に宿る武士の「和」の心 " 

 

 

 

 

合氣道もまた、

相手を打ち負かすことではなく、

 

相手との調和を図り、

争いを鎮めることを目指します。

 

 

 

これは、

刀を携えながらも「平和」

究極の理想とした

 

武士の精神と、

まさしく軌を一にするものであると

私は思います。

 

 

 

 

僭越ではありますが、

私たち合氣道を学ぶ者は、

 

現代において、

物理的な刀を持たずとも、

 

「武士道精神」を体現する存在で

ありたいものです。

 

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場に集う

お弟子さん一人ひとりが、

 

日々の稽古を通じて、

単に技を磨くだけでなく、

 

心身を鍛錬し、

平和を尊ぶ「和」の心を

育んでもらいたいと願っています。

 

 

 

 

合氣道に少しでもご興味を

お持ちいただけましたら、

 

ぜひ一度、道場へ足をお運びください。

 

心よりお待ちしております。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

 

2025-06-16 03:55:00

" 失って氣づく、物事の重み "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】末候

 

七十二候

第二十七候  梅子黄【うめのみきばむ】

 

「芒種」は末候へと移りました。

「梅子黄」は6月16日~20日ころにあたります。

 

青かった梅の実がだんだんと黄色く色づき始める頃を指します。

これは、梅が収穫の時期を迎えるサイン。

梅干しや梅酒、梅のジャムなど、

日本の夏には欠かせない

梅の加工品づくりが盛んになる季節の到来を告げる候です。

 

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

道場長の一日一心

『 うしな って きづ く、ものごと の おも み 』

 

 

 

 

「喪うことは不幸だが、その不幸によって、物事の存在の重みを知ることになるのだ。」

 

 

どこかのお寺でこの言葉を目にし、

「ほんと、そうだな…」と、深く心を打たれました。

 

 

 

私たちは日々の生活の中で、

多くのものを当たり前のように享受しています。

 

 

 

 

しかし、

その存在が当たり前でなくなった時、

 

初めて、その「かけがえのなさ」に

氣づかされるものです。

 

 

 

 

 

" 稽古に見る「失う」に似た感覚 " 

 

 

 

 

合氣道の稽古においても、

この「失う」に似た感覚は重要です。

 

 

 

たとえば、

相手の攻撃を捌く際、

 

私たちは自分の「臍下の一点」に

中心を保持しながら、

 

自分自身の心身の力みや執着などを

「失う」かのように相手の力を導き、

 

そこから新たな次の体勢を築きます。

 

 

 

もし、

頑なに自分の体勢を維持しようと

そこに「執着」や「力み」が生ずれば、

 

それはかえって

中心を崩す原因となるでしょう。

 

 

 

 

また、

技をかける際も同様です。

 

 

相手とぶつかるのではなく、

一度相手の力を全て受け入れ、

 

その力を「行きたい方向」に導くことで、

流れるような技が生まれます。

 

 

 

 

これは、

自分の意図や力を押し付けるのではなく、

 

相手の「氣の動きを尊重」し、

 

調和の中から新たな関係性を築く

という合氣道の理念に通じます。

 

 

 

 

 

" 日常への応用:感謝と氣づき " 

 

 

 

この

「喪うことで存在の重みを知る」という教えは、

 

道場を離れた日常にも

多くの示唆を与えてくれます。

 

 

 

健康、家族、友人、師、仕事、

そして穏やかな日常。

 

 

これらすべては、

私たちにとってかけがえのない存在です。

 

 

 

 

しかし、

日々の忙しさに追われる中で、

 

つい、その「ありがたみ」を忘れがちになります。

 

 

 

 

体調を崩して、

初めて健康の「ありがたみ」を知り、

 

大切な人との別れを経験して

初めてその「存在の大きさ」に氣づく。

 

 

 

時にそれは辛く、悲しい経験でもあります。

 

 

 

しかし、

その経験を通して

 

私たちは、これまで見過ごしてきた

大切なものの価値を再認識し、

 

 

深く感謝する心を育むことができます。

 

 

 

 

 

"「当たり前」の中にこそ価値がある " 

 

 

 

 

私たちは、時に

「失う」ことを恐れるあまり、

 

目の前のものに

「執着」しすぎることがあります。

 

 

 

しかし、

本当に大切なことは、

 

 

「失う」ことを恐れることではなく、

 

「今あるものに感謝」し、

 

 

その価値を

日々かみしめることではないでしょうか。

 

 

 

 

合氣道の " 相手の「氣を尊重」する " 

という考え方も、これに通じるように思うのです。

 

 

 

相手の「氣を尊重」する。

相手の「思いや考えを尊重」することで、

 

 

円滑な人間関係が築けるように、

 

 

私たちは日々起こる

出来事や出会いに対して、

 

それに柔軟に対処し、

その中に潜む価値を見出すことができます。

 

 

 

「喪う」ことは、

確かに辛い側面を持つかもしれません。

 

 

 

 

しかし、

それは同時に、

 

私たちにとって、本当に大切なものが

何であるかを教えてくれる、

「貴重な機会」でもあると思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-13 03:27:00

" 声優女子の「やります!」に宿る真の謙虚さ "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】次候

 

七十二候

第二十六候  腐草為蛍【くされたるくさほたるとなる】

 

「芒種」次候へと移りました。

「腐草為蛍」は6月10日~15日ころにあたります。

 

梅雨の時期、湿気が多くなり、

「腐った草が蒸れて蛍になる」という意味を表しています。

 

夏の夜を彩る蛍が飛び始める頃を告げる候として、日本らしい風情を感じさせます。

 

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

道場長の一日一心

『 せいゆう じょし の「やります!」に やど る しん の けんきょ さ 』

 

 

 

 

「こんな私にできるかな」

「私などには…」

 

 

誰かに、

何か新しい挑戦を打診された時、

 

ついこんな

マイナスの言葉が頭をよぎる人は

少なくないのではないでしょうか。

 

 

 

 

しかし、

今日ご紹介する25歳のMさんは、

 

そんな、

ネガティブな反応とは一線を画していました。

 

 

 

彼女は東京の大学を卒業後、

大手レコード会社に就職しました。

 

仕事で多忙な日々を送りながらも、

幼い頃からの夢である声優になるため、

日夜レッスンに励んでいます。

 

 

 

そんな、

Mさんと出会ったのは、

 

数年前に

私が指導する東京で行われた

特別集中稽古でのこと。

 

 

 

彼女の、

他とは違う真剣な眼差しと、

オーラのある澄んだ雰囲氣に、

 

私は何か特別な可能性を

感じずにはいられませんでした。

 

 

 

稽古の後、

私はMさんに尋ねました。

 

「声優を目指しながら、合氣道の指導者としてもやってみないか?」

 

 

私の問いかけに対し、

Mさんから返ってきたのは、

 

迷いのない

**「やります」** という一言でした。

 

 

 

顔色変えず、

驚くほど即座の返答に、

 

私は思わず彼女にその理由を尋ねました。

 

 

 

 

「せっかく先生が言ってくださるのだから、やるという選択肢しか私にはありません。」

 

 

 

 

彼女の言葉は、私の心に深く響きました。

 

 

 

 

" 言い訳は「やりたくない」心の表れ " 

 

 

 

一方で「できません」とか、

「今は忙しいので」とか、

 

中には

「分かりました、やります」と

返事しながら、結局やらない人もいます。

 

 

 

 

これは、

単に「できない」のではなく、

「忙しいから」なのでもなく、

 

 

ただ「やりたくない」という心の表れです。

 

 

ただそれだけです。

それ以外の何ものでもありません。

 

 

 

 

何かを始める前から、

自分で限界を決めつけてしまう。

 

 

 

それは、

せっかく目の前に差し出された機会を、

自ら手放してしまうことと同じです。

 

 

 

目先にばかり囚われていて、

先の景色を見ようとしない人とでも

言いましょうか…

 

 

 

 

 

"「遠慮」もまた「傲慢」である "

 

 

 

 

 

そして、

私がここで最も言っておきたいことは、

 

 

「遠慮」もまた

「傲慢」の一つだということです。

 

 

 

「遠慮」と「傲慢」を誤って捉えるな!

 

 

 

 

たとえば、

感謝の氣持ちを示すために

差し出した菓子折りに対し、

 

「いえいえ、そんなの」と返す行為は、

一見すると謙遜や遠慮のように見えます。

 

 

しかし、

これは時に「傲慢」と受け取られても

仕方がない場合があります。

 

 

 

 

 

" なぜ傲慢に映るのか " 

 

 

 

 

 

贈り物は、

相手への感謝や敬意を示す行為です。

 

 

それを「そんなの」と一蹴することは、

 

「あなたの氣持ちは必要ない」

「それほど大したことではない」と、

 

贈る側の心遣いを

軽んじている印象を相手に与えかねません。

 

 

 

 

相手が差し出してくれたら、

「恐縮ですが、お心遣いありがとうございます」と

受け取るのが丁寧な作法です。

 

 

 

平たく断り続けるのは、

 

相手に「氣を遣わせた」という負い目や、

「私の感謝は受け入れられないのか」

という不快感を与えてしまいます。

 

 

 

 

真の「謙遜」とは、

相手の心遣いを無下にせず、

 

受け取った上で

感謝の意を伝えることではないでしょうか。

 

 

 

 

 

" それが「謙虚」ではなく「傲慢」なのだ " 

 

 

 

 

話を元に戻すと、

 

「こんな初心者レベルの私が、先生になどなれるわけがない」と考えること。

 

 

 

これは、

一見「謙虚」に見えて、

 

実は

「傲り高ぶり・うぬぼれ・傲慢」に

他なりませぬ。

 

 

 

「自分にはその資格がない」と

決めつけることで、

 

知らず知らずのうちに、

与えられた可能性や成長の機会を

拒否しているのです。

 

 

 

 

 

本当に「謙虚」であるとは、

素直に、目の前の流れに従うこと。

 

 

 

 

このМさんは、

 

たとえ周囲から

「力がない」「実力が足りない」と

言われるかもしれないという覚悟を持って、

それでも指導者としての道を進んでいるのです。

 

 

 

Mさんの「やります」という即答には、

まさにその「真の謙虚さ」

宿っていました。

 

 

 

 

私は彼女を心から尊敬しています。

 

 

 

 

Mさんは、

合氣道の指導者としての道を歩み、

 

自身が主宰する

合氣道教室の設立という次の目標に向かって、

 

日々、

仕事と声優のレッスンと合氣道に

励んでいます。

 

 

 

 

夢に向かって、

ひたむきに進むMさんの姿は、

 

きっと、

多くの他の道友の心に響き、

 

「真の謙虚」とは、

こういうことだと教えられたことでしょう。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-12 03:33:00

" 「過程」こそが大事。昇級審査に臨む心構え "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】次候

 

七十二候

第二十六候  腐草為蛍【くされたるくさほたるとなる】

 

「芒種」次候へと移りました。

「腐草為蛍」は6月10日~15日ころにあたります。

 

梅雨の時期、湿気が多くなり、

「腐った草が蒸れて蛍になる」という意味を表しています。

 

夏の夜を彩る蛍が飛び始める頃を告げる候として、日本らしい風情を感じさせます。

 

 

 

 

 

 今日のお題

 

 

 

 

道場長の一日一心

 『 「かてい」こそ が だいじ。しょうきゅうしんさ に のぞ む こころ がま え 』

 

 

 

 

 

" 昇級審査、その「本氣」とは? "

 

 

 

令和7年 前期 昇級審査が6月29日に迫り、

各道場、教室全体が

昇級審査の稽古に熱を帯びています。

 

 

 

子どもから大人まで、

約30名の審査対象者が

 

それぞれの昇級に向かって

稽古に励んでいます。

 

 

 

 

昇級審査は、

日頃の稽古の成果を試す大切な機会です。

 

 

 

もちろん、

合格して昇級するという目標は重要ですが、

 

私が何よりも重きを置いているのは、

そこに至るまでの「過程」です。

 

 

 

 

 

"「本氣」の温度差 " 

 

 

 

 

昇級審査を目前に、

稽古への取り組み方は人それぞれです。

 

 

週3回休まず道場に来る者。

 

必ず週2回稽古する者。

 

教えられた基本を忠実に守る者。

 

合氣道ノートをつけて、

その日の稽古内容を書き留める者。

 

 

 

一方で、

よく所用で休む者。

 

言われたことしかできない者。

 

返事は良いが全く行動が伴わない者。

 

 

 

 

今回の審査対象者の中で、

私が「本氣」を感じられるのは

残念ながら3名ほど。

 

 

 

残りの27名には、

「あなたの本氣とはその程度のものですか?」と

問いかけたくなるほどの温度差を感じます。

 

 

 

 

" 昇級審査の先にあるもの " 

 

 

 

 

昇級審査は

あくまで一つの通過点であり、

 

合格点に達すれば昇級できます。

 

 

 

しかし、

本当に大切なのは、

 

その過程でどれだけ自分と向き合い、

"「本氣」で稽古に取り組んだか " です。

 

 

 

 

「本氣」で稽古した者と

そうでない者とでは、

 

この先の成長に

大きな差が必ず生まれるでしょう。

 

 

 

適当に稽古して昇級した者には、

いずれ天地大自然から

 

厳しい「しっぺ返し」が待っていると

私は断言します。

 

 

 

 

 

" 可能性を信じる " 

 

 

 

 

私は、

「本氣」で稽古に取り組む

お弟子さんの可能性を最大限に引き出し、

 

さらに

「伸ばしてあげたい」と強く願っています。

 

 

 

 

彼らが合氣道を通して、

技だけでなく、精神も磨き、

 

人として大きく

成長していく姿を見ることが、

 

私の喜びであり、

師範としての使命だと感じています。

 

 

 

 

今回の昇級審査が、

それぞれのお弟子さんにとって、

 

自身の「本氣」と向き合い、

 

さらなる高みを目指す「きっかけ」

なることを心から願っています。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝