2024-09-30 04:25:00

" 道はまだまだ遠い "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『みち は まだまだ とおい』

 

 

今朝は悪夢で目が覚めた。

 

ここ数年、

悪い夢をみることが

なくなったのだが…

 

 

昔の職場の

嫌な上司がわざわざ

夢にまで出できたのだ。

 

「呼んでないよ」って

その場で追い返して

やれば良かったのだが、

 

夢の中にまで出できて、

嫌がらせをしてくる。

 

その様子は

当時そのままだった。

 

朝食も受け付けないほど、

氣分が悪い朝だ。

 

合氣道で着用する

袴の前紐が、

少し短くなってきたから、

 

腹を凹まそうと、

夜の食事を抜いている。

 

いつもなら、

腹が減って目が覚める。

 

ご飯に納豆、バナナ、

豆乳、パンと

16時間空けた

胃にはいくらでも

入るのだが、

 

今朝だけは

腹も減らない

目覚めだったのだ。

 

 

昔、読んだ

藤平光一翁の著書を

思い出す。

 

悪い夢をみるうちは、

まだまだ潜在意識に

マイナスの要素が

残っている証拠。

 

ライオンに襲われるような

夢をみる間は、

心の倉庫にマイナスが

たくさんある。

 

ライオンが出できても、

自分の前では

可愛い猫のように、

腹を撫でて

じゃれ合っている。

 

その様な夢を

いつもみることができれば、

潜在意識にプラスの要素が

多くなったということらしい。

 

潜在意識は

心の倉庫なのだ。

 

私達人間は

昼間、行動している間は

現在意識、顕在意識、

いわゆる自分が

自覚している意識が表に出る。

 

一方で

寝ている間は

潜在意識が表に出る、

 

というメカニズムなのだ。

 

したがって、

心の倉庫である

潜在意識にマイナスがあると、

悪い夢をみることになるのだそうだ。

 

 

合氣道師範として、

10年以上、

自己を鍛錬していく中で

 

日々、

プラスの行動、

プラスの言葉、

プラスの考えを

 

自分なりに意識して、

 

潜在意識に

たくさんあった

マイナスの要素を

 

プラスに書き換える

努力をしてきた。

 

それは今も続けている。

 

しかし、

まだまだ足りないのだ。

 

この古いOSを書き換え、

アップデート

しなければならない。

 

 

パソコンやスマホと同様に、

 

人間の心も

常に最新のOSに更新して

おかねば危ない。

 

古いOSは脆弱性がある。

 

そこから

悪意のあるウィルスが

入り込み、蔓延するのだ。

 

 

まだまだ、道の途中。

 

歩む道は、まだまだ遠い。

 

思い知らされました。

 

 

これも

天地大自然からの

お手紙だと思います。

 

ありがたく、

受け取り、

 

しっかり熟読いたします。

 

 

そして、

何十年ぶりに見た

それは酷い悪夢だ。

 

氣分が悪い。

 

それを

そのままにしていては、

いけない。

 

そのまま引きずれば、

今日一日、

ろくなことはない。

 

マイナスがマイナスを

呼び込んでしまうからだ。

 

 

徳に今日一日は、

人の喜ぶことをしよう。

 

昨夜、

娘達が食べたり

飲んだりした、

お皿やコップが

流しに浸けてある。

 

喜んで、

洗ってあげよう。

 

早朝、私が出かけた後、

家族がキッチンに入った時に

 

氣持ちの良い

キッチンにして、

 

少し歪んで

脱いであった

靴を揃えて、

 

氣持ち良く家を出た。

 

なんてありがたいことだ。

 

目覚めの

氣分の悪さとは真逆に、

 

とても幸せな氣分になれた。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-09-27 03:34:00

" 師匠ならどうしただろう "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『ししょう なら どうした だろう』

 

 

今日の書き込みは

長文になりそうです。

 

 

この2週間というもの、

実は苦悩の日でありました。

 

そして、

苦悩の中にも

人間力というものが

良く分かった2週間でした。

 

 

12年前、

合氣道師範として

お弟子さんを導く中で

 

どうしても

腑に落ちなかった

ことがありました。

 

それは

「人のために」

ということでした。

 

合氣道寺崎道場の

会報誌である

「ぼくらの合氣道」には

以前に書いたことがある

事柄なのですが、

 

私が合氣道を始めた頃、

藤平光一翁のご著書が

私の教科書でした。

 

その中に

「人のためとは自分のためだ」

著書そのままの言葉では

ありませんが、

私にはそのように

とれる言葉がありました。

 

人のために徳を積んでいると

いつかは自分に返ってくる。

 

だから、

人のために尽くして、

仮にその人が裏切るような

行動にあったとしても、

 

「あなたのためにしてあげたのに」

などというようなことを

思ってはいけない。

 

その人からは

何の恩恵やお礼を

受けられなくても

 

いつかは

廻り廻って、

自分のもとに返ってくる。

 

結局は自分が

一番徳をするのであるから、

「人のためとは自分のため」に

なるのだということである。

 

つまり、陰徳ということだ。

 

それはその通りである。

 

が、しかしだ、

 

然は然り乍ら、

そこが問題である。

 

天の理も陰徳も

理解できるのだが、

 

「人のためとは自分のため」

 

なんだ結局、

自分のためなのか。

 

それが12年間、

腑に落ちなかったことである。

 

 

月日は立ち、

縁あって、

 

自由民主党

参議院議員であり、作家の

青山繁晴先生の

講演会に参加するようになった。

 

講演会というより、

私にとっては勉強会だから、

私は勉強会と呼んでいる。

 

毎月ある勉強会も

隔月で東京と神戸で

実施され、

一回、5時間の

長尺の座学である。

 

毎回、熱心に

メモを取りながら

今も学ばせていただいている。

 

その勉強会に参加するうちに、

「人のために」という言葉が

腑に落ちてきたのだ。

 

青山繁晴先生が

「人のためとは人のためだ」

「人のために死ねるのが国会議員なんだ」

 

「脱私即的 (だっしそくてき)」

魂からの語りに、

 

私は思わず、「これや」と

膝を叩いた。

 

「脱私即的」とは

私心を捨て去り、

本来の目的に即き、

やるべきことをやる、

という意味で、

それは辞書にも載っていない。

 

なんと青山繁晴先生が

小学5年生の時に

思いついた言葉だそうです。

 

人のために死ねることが、

本当の人のためであり、

見返りも何も求めない。

私心を捨て、

やるべきをやる。

 

人のためとは、

自分のためではなく、

 

人のためとは、人のため、

なのだ。

 

その言葉を聴いた瞬間、

12年間のモヤモヤが

一氣に解消した。

 

それ以来、

私にとっては

青山繁晴さん、から

青山繁晴先生、になり

今では私の「師匠」だ。

 

もちろん、

私が勝手にそう思っているだけ。

 

でも、それで良い。

 

私の師匠は、

合氣道を教えてくださった

琴地茂先生、

そして、

生き方を教えてくださった

青山繁晴先生である。

 

もっと書きたいが、

冒頭の話が長すぎますね😁

 

なんと、

ここからが

今日のお題の話になります。

 

2週間の苦悩の日の始まりとは、

9月12日木曜日です。

 

その日は

自由民主党総裁選告示日で、

候補者推薦届出日でした。

 

メディアでは

一切、報道されませんでしたが、

 

青山繁晴先生は

2年前から

今回の総裁選に

立候補することを

宣言なさっていました。

 

今回の総裁選

立候補者9人のうち

事実上、

一番に手を挙げられています。

 

立候補するには

9月12日木曜日

10:00〜10:15の間に

推薦人20名の届出を

済まさなければなりません。

 

青山繁晴先生は

この推薦人の

引き剥がしが

活発に行われることも

何度も話されておられました。

 

案の定、

強烈な引き剥がしが

実際に行われ、

 

推薦人になっては、

引き剥がし。

 

なっては、引き剥がし。

 

とうとう、

タイムリミットとなり、

今回の総裁選立候補は

叶いませんでした。

 

20人まで

あと5人であったと

聞きました。

 

 

裏金問題で派閥解消、

それは表向きだけ、

裏では今も、

派閥の長老らの

影響力が存在している。

 

青山繁晴先生以外の

国会議員は

与野党問わず

誰も皆、

職業としての政治家だ。

 

仕事だから、

上司の言う事を聞かねば

自分の将来がなくなる。

 

簡単に言えば

そういうことだ。

 

青山繁晴先生以外、

誰も皆、自分のためのお仕事。

 

人のためには死ねないのだ。

 

だから、自分を守る。

 

こんなことでは

これからの日本は

良くはならない。

 

私達の代理人である

主権者から選ばれた

国会議員は何をするために

あるのか。

 

それは、

国益と国民を守るための

法律を作ることだ。

 

日本を良くすること。

 

国民が住みやすい、

安心できる日本にすること。

 

その法律を作ることに

何故、自分の利益など

関係あるのか…

 

 

私は青山繁晴先生に

生き方を教わり、

師匠と決めた。

 

師匠が立法府にいる限り、

青山繁晴事務所を通して、

自由民主党党員であり続ける。

 

したがって、

今回の総裁選も

私は総裁選選挙に

一票を投じる権利がある。

 

投票用紙に「青山繁晴」と

書くことができない。

 

どう考えても

他の9人の政策では

日本は変わらない。

 

中には

この人が総理になれば

日本は大変なことになる、

そんな人もいる。

 

投票しなければ無投票になる。

 

また投票用紙に

「青山繁晴」と書いて

投票しようか。

 

さぁ、そこから

苦悩の日々が続いた。

 

 

例によって

メディアでは報道されないが、

青山繁晴先生は党員獲得数

3年連続で1位であるから、

 

今回、

「青山繁晴」と書いて、

投票する人はかなりいると思う。

 

 

しかし、それは

事実上、無効となる。

 

それを死票という人もいるが、

私はそうは思わない。

 

強い決意の表れだ。

 

でも無効票で

あることには間違いない。

 

一体、どうすれば良いのか…

 

 

いくら、心を静めても、

5時間、6時間坐っても、

呼吸法をしても、

答えが出ない。

 

こんなとき、

師匠ならどうしただろう、と考えた。

 

師匠にしても同様だろう。

 

政策で任せられる

人がいないから、

自ら立候補の決意をされた。

 

その当本人にも

議員票がある。

 

 

師匠が直接、私たちの目を見て

話された、

これまでの数珠の言葉を

思い返してみる。

 

 「判断材料は提供する」

その上で、

「自分の頭で考えろ」

「人間のやることだ」

「結局は人間性だ」

 

そうか、人間性か。

 

そう考えたとたんに、

心が軽やかになってきた。

 

やるべきことを

きちんとやり、

責務を全うしよう。

 

党員票の締切は

9月26日木曜日だ。

 

秋分の日を挟んだ

三連休、21日は

合氣道の稽古があるが、

その翌日、翌々日は休みだ。

 

天地大自然から

ゆっくり考える時間を

いただけた。

 

22日と23日に

これまでの思い込みを

一旦、空にしてから、

 

立候補者9人の政策など、

ユーチューブ、テレビ、

自由民主党討論会、

党会報誌など、

徹底的に見直した。

 

そして、消去法をした。

 

まず、

拉致被害者を取り戻す

という決意の表れの

象徴である、

ブルーリボンバッジを

付けていない1名を消去した。

 

政策に拉致被害者救出が

ない候補者を消去。

 

総理大臣として

靖國神社に正式参拝を

しないと表明している

候補者を消去。

 

親中、媚中と

判断した候補者を消去。

 

洋上風力発電、

太陽光パネルに依存して

推進する候補者を消去。

 

増税やむ無しという

考えの候補者を消去。

 

最後に

不快な作り笑いが

目に付く候補者を消去。

 

これにより

私の中では2名に

絞られました。

 

あとは、

その2名の人間性を

しっかり観察しました。

 

その観察だけで

丸一日使いました。

 

 

もちろん、

会って話したことなどない人の

何が分かるというのか。

それも画面上で。

 

そう思われる人も

いらっしゃると思います。

 

その通りです。

 

でも、私には分かるのです。

 

それは

日々の合氣道の稽古の

賜でございます。

 

合氣道師範という

立場ですので、

普段から

伊達に人のこと見てませぬ。

 

心を静めて

100%その人だけに

心を向けて、

その人と一体になれば

すぐに見えてきます。

 

その人の本心が

身体中から

モクモク、メラメラと現れます。

 

私は絶対に見抜きます。

 

その力は

この12年間の

お弟子さん方に

つけていただきました。

 

嘘つきは、

この国のリーダーには

相応しくない。

 

いつか必ず、

我々国民をも

騙すことになる。

 

 

画面上では

候補者の身体の

上半身しか見えないため、

 

最終的には

上半身と顔に

力みがない

お一人を選びました。

 

嘘つきは、

身体と顔に

必ず力みが見られます。

 

 

23日夜、

近くのスーパー銭湯の

露天風呂で

2日間フル稼働した

心を癒やしてやりました。

 

この2日間で

外出したのは

この時だけでした。

 

そして、

昨日9月26日

党員票締切の約5時間前の

午後12時過ぎに、

 

自由民主会館にて

投書箱に

直接投票を済ませました。

 

ほとんどの党員票は

郵送とのことですが、

 

私は直接投票です。

 

自由民主党から送られてきた

党員投票用紙は

返信用はがきを

切り取って、

候補者の名前を書きます。

 

郵便配達員や

郵便局員を

疑うわけでは

全くごさいませんが、

 

第三者が名前を消して、

書き直すことも可能な

状態であるため、

 

私は直接投票をしました。

 

投票できて

心もスッキリです。

 

投票後に食べた

磯丸水産のマグロ丼の

なんと美味しかったこと。

 

ありがたいです。

 

師匠、

やるべきこと、

自分の責務を全うできましたよ。

 

師匠に届きますように。

 

 

次の総裁選は

迷わず、苦悩せず、

 

「青山繁晴」と

堂々と書きたいです。

 

 

長文にもかかわらず、

最後までお読みいただき、

感謝いたします。

 

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-09-26 04:30:00

" 行くに径に由らず "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『いく に こみち に よらず』

 

 

指導者育成稽古を終え、

8月の東京出張

全ての稽古を終了した。

 

 

東京駅まで

お弟子さんが車で

送ってくれることになった。

 

都心での移動は

電車が便利でスムーズだが、

 

4人のお弟子さん方が

見送ってくれるというので、

ありがたく

車に乗せてもらった。

 

けっこう道が渋滞している。

 

それでも

空いている方だと、

お弟子さんは言う。

 

乗車する新幹線の

時刻までには、

まだまだ余裕があるので、

安心して都心の街並みを

眺めていた。

 

助手席のお弟子さんが

「けっこう混んでるね、抜け道ないの」

 

運転しているお弟子さんが

「うん、結局ね、このまま走ったほうが良いんだよ」

 

そういう会話を

聞きながら、

「なるほどな」と思った。

 

 

抜け道はあるにはあるが、

結局、到着時間に

それほどの差はない。

 

ましてや、

抜け道は細く、

走りにくく、危険も多い。

 

動かないほどの

大渋滞なら

話は別だが、

 

この5車線の大通りを

走行するのが、

正解ということだ。

 

多少、

混んでいるように

見えても、

実は大した

渋滞ではないのだ。

 

 

『 行くに径に由らず (いくにこみちによらず) 』

という論語がある。

 

 

道を行くときは

少しばかり、

遠回りをしても

大きな道を

行きなさい、

という戒めの言葉だ。

 

 

『大道を行け』ということだ。

 

 

人生、生き方、

何事においても、

これと同様に、

 

人に隠れて

陰でコソコソと

裏道など行くのは

良くない。

 

一時的に

利益を手にして、

成功したかのように

思うことも

あるかもしれないが、

 

所詮は、

裏道、抜け道でしかない。

 

 

何事も、

堂々と大道を

歩きたいものだ。

 

天地の大道の

ど真ん中を

大手を振って、

 

この先も

歩まねばなりませぬ。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

 

2024-09-25 04:15:00

" 人が教えてくれる "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『ひと が おしえて くれる』

 

 

8月の終わり、

久しぶりに

ラーメン屋に入った。

 

そのお店は

細麺の博多ラーメン屋さんだ。

 

自宅からは

少し離れた場所にあるが、

近くに用事があったので、

帰りに寄ってみた。

 

「いらっしゃい」

「あっ、久しぶりやん」

 

そのお店の店長とは

顔見知りだ。

 

うん、

やっぱり、

細麺の博多ラーメンは

美味い。

 

スープに高菜漬けを

混ぜたら、

これがまた旨い。

 

帰りのレジで

お金を払う。

 

「美味しかったわ」

「ありがとう。また寄ってな」

 

「あ〜あ、白いTシャツに」と

店長の女性の視線が、

私の胸の辺りにあったので、

 

見てみると、

やらかしてしまった。

 

スープが白いTシャツに

飛んでいた…

 

やはり、

汁物を食べる時は

白い服はやめたほうが

いいですね。

これ教訓ですね。

 

 

人間は自分のことは

なかなか氣付かない。

 

でも、他人のことなら

すぐに氣付くものだ。

 

 

合氣道の組み技もそうだ。

いつも相手が教えてくれる。

 

力が入ってますよ。

方向が違いますよ。

 

 

自分の姿は見えない。

 

でも人は自分の姿は

よく見える。

 

 

見えるからこそ、

忠告してくれるのだ。

 

その忠告には

感謝しなければ

いけないのでは

なかろうか。

 

いつも

人が教えてくれる。

 

 

そして

天地大自然が

 

「己の姿をよく見ろ」

 

そう教えてくださって

いるのではないだろうか。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-09-24 04:28:00

" 結ぶ縁と結ばれない縁 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 

『むすぶ えん と むすばれ ない えん』

 

 

 

太陽は天空遥かにある。

 

地上には

草も木も川も海も

そこで育つ

生きとし生けるもの

全ての生命がある。

 

太陽と

全ての生命の

間にあるもの、

 

それを

つなぐ役割りを

果たすもの、

 

それが太陽の光だ。

 

つまりパイプ役になるのだ。

 

その太陽の光が

あるから

全ての生命が生かされる。

 

 

私達、人間の身体で

例えるなら、

 

足に肉離れを起こし、

筋肉が断裂したり、

神経が断裂すると

 

たちまち、

足はブラブラになり

歩くことすら

できなくなる。

 

何の役にも立たなくなる。

 

筋肉が再生するまで、

神経がつながるまで、

 

一時的に

その患部とは

縁が遮断されるのだ。

 

 

海に行けば

寄せては返す

波の音を聞け、

癒やされるが、

 

山に行けば

波の音は聞こえない。

 

 

サーフィン旅で

奄美大島に行った時、

1月というのに

セミが鳴いていた。

 

とても驚いた。

 

宿泊先のペンションの

オーナーに尋ねる、

 

「まさか…これってセミの鳴き声ですか」

 

「そうだよ。内地では鳴かないの」と返答された。

 

1月でも奄美大島では

セミの鳴き声が聞けるが、

本土にいては聞こえない。

 

 

波の音と

それを聞く人、

 

セミの鳴き声と

それを聞く人、

 

音声、音響、

響き、サウンド、

 

その両者の間には

音波が縁を結んでいる。

 

当然、

距離が離れていては

その音波は届かないのだ。

 

 

合氣道の組み技も

全く同様だ。

 

相手との

適切な距離がある。

 

離れすぎては

相手を投げることが

できなくなるのだ。

 

相手と自分の

間に存在する縁。

 

「 結びの縁 」

 

この世は全て

この結びの縁で

つながっているのでは

ないだろうか。

 

 

生命にしても

雄、雌、

男性と女性。

 

この両者があるから、

過去も、現代も

未来もある。

 

そのつなぎ役である

縁を大切にする。

 

 

そのためには

自分から相手に

寄っていかねばならない。

 

相手から寄ってくるのを

待っていたのでは、

 

永遠に

縁は結ばれない。

 

 

その結ばれない

縁の原因が、

 

頑固であり、

私利私欲であり、

わがままであり、

傲慢であり、

四角い心の持ち主だ。

 

素直な

丸い心の持ち主は、

いつも縁に恵まれて

幸運も寄ってくるが、

 

これらと

縁を切ったものには

幸運は逃げていく。

 

これが幸せとも

縁を切ることに

なるのではないかな…

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝