" 合氣道と江戸の坂道巡り、麻布七不思議 ! 「狸坂」編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
処暑【しょしょ】初候
七十二候
第四十候 綿柎開(わたのはなしべひらく)
「綿柎開」は8月23日~8月27日頃。
二十四節氣は「立秋」から「処暑」に移りました。
綿を包むガクが開き始め、白い綿が顔を出す頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あいきどう と えど の さか みち めぐ り、あざぶ なな ふしぎ !「たぬきざか」へん 』
この夏は、
8月1日から17日まで東京に出張していました。
連日、厳しい暑さが続きましたが、
充実した稽古の日々を過ごすことができました。
前半は
主に若手の一般のお弟子さんたちと
集中稽古に励み、
後半は
指導者育成のための練成稽古が主となりました。
神戸に戻った今も、
東京での熱氣が残っているようです。
さて、
もう何度もこのブログで書いている通り、
東京出張には、
もう一つの目的があります。
それは、
かねてから興味を抱いていた、
由緒ある江戸の坂道巡りです。
(過去の坂巡りのエントリーはこの記事の最後にリンクを貼ってますので、宜しければ、ご覧ください。)
稽古の合間のわずかな時間を使い、
歴史と趣のある坂道をいくつか歩いてきました。
今回は、
その中から特に印象に残った
「麻布七不思議」の一つに関連する
「狸坂」について
ご紹介したいと思います。
" 狸坂:麻布に残る狸の伝説 "
ある日の午前集中稽古が終わった直後に、
つぶらやひとみ という女子が
「師範、今日の夜間の指導者練成稽古の前に坂巡りなさいますか?」と、
聞いてきたので、
「もちろん」と私が答えると、
「では、麻布の狸に化かされに行きますか」と
言うので、
面白そうだから、
「じゃ、案内してよ」
「御意」
ということで、
夜間稽古の約2時間前に
麻布十番で待ち合わせることになった。
以前、このブログで記したとおり、
「江戸の坂道巡り同好会」が発足した。
とはいえ、
未だ部員は私とつぶらや ひとみの
2名だけである。
今流行の呼び方をすると、
「江戸の坂道歩き界隈」だとか…
その日、
私たちが訪れたのは、
麻布二丁目と三丁目の間にある「狸坂」。
この坂は、
急な坂道として知られ、
近くには
「狐坂」もあり、
かつては狸と狐が互いを化かし合っていた
という伝説が残っています。
「狸坂」という名前の由来は、
この辺りに古くから狸が出没し、
人々を化かして
困らせていたからだそうです。
つぶらや ひとみが言うには
『麻布区史』にも
その記述が残されているとのこと。
また、
「麻布七不思議」の
一つにも関連した坂である。
特に興味深いのが、
狸の悪戯を伝えるこんな話です。
昔、このあたりは
木々がうっそうと茂る
寂しい場所で、
なんと、捨て子が多くいたらしい。
ある晩、
坂を通った人が赤ん坊の泣き声を聞き、
哀れに思って
抱き上げて家に帰ろうとしました。
しかし、
何度歩いても
元の場所に戻ってきてしまいます。
そのうち、
抱いている赤ん坊がどんどん重くなり、
不思議に思ってよく見ると、
なんと " 石の地蔵 " だったというのです。
「狸坂」の狸は、
石のお地蔵様を集める
変わった習性が
あったと伝えられているのです。
また、
麻布にはもう一つ、
この後に訪れた
「狸穴坂 (まみあなざか) 」という坂があり、
その周辺には
雌狸が住む大きな穴があったと言われています。
「狸坂」の近くにも、
大きな榎の木の根元に
狸の親子が住んでいたという
話が残っており、
この一帯に多くの狸が
生息していたことは確かなようです。
" 狸坂に感じた合氣道とのつながり "
歴史ある坂道を歩いていると、
ただの道ではない、
そこに暮らした人々の息吹や、
語り継がれてきた物語を感じます。
道場での稽古もまた同じで、
先人たちが築き上げてきた歴史の上に、
今の我々が立っているのだと
改めて実感しています。
この麻布の「狸坂」のように、
一見ただの坂道でも、
そこに秘められた
物語や教訓があります。
合氣道においても、
基本の技の一つ一つに、
先人の知恵や工夫が詰まっています。
表面的な部分だけでなく、
その奥に隠された真意を
探求することが、
稽古の本質に通じると感じました。
東京出張での稽古と坂道巡り。
二つの目的を通して、
見えないものの中に真実を見出す、
そんな大切な学びを得ることができた
今年の東京出張となりました。
しかし、
「麻布七不思議」、興味深いですね。
私たちの江戸の坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝