2026-05-26 03:39:00

" 初夏の街並みと五月晴れ。ささやかな晴れ間に美を見出す「侘び」と「もののあわれ」 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

小満【しょうまん】次候

 

七十二候

第二十三候  紅花栄【べにばなさかう】

5月26日~30日ごろ。

あたり一面にベニバナが鮮やかな花を咲かせるころ。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

『 ​しょか の まちなみ と さつき ばれ。ささやかな はれま に び を みいだす「わび」と「もののあわれ」 』

 

 

 

 

昨日は湿氣も少なく、

どこまでも透き通るような

カラッとした快晴の一日でした。

 

頬をなでる風が

なんとも心地よく

 

街路樹の青葉が

初夏の陽射しを浴びて、

きらきらと輝いていました。

 

 

所用がありJR一駅分、

約一時間を徒歩で往復したのですが、

 

足取りもふわりと軽く

とても快適な

ウォーキングとなりました。

 

 

​街をすり抜ける風の清々しさに

半袖がちょうどいい

心地よさで、

 

夏本番も

このような天候であればと

願うばかりです。

 

 

 

さて、

このように

さわやかな青空が広がる五月。

 

 

現代を生きる私たちは

「五月晴れ」と聞くと、

 

このすがすがしい

快晴の空を思い浮かべます。

 

 

 

​しかし、

古の日本人が感じていた

「五月晴れ」は、

少し違った景色だったようです。

 

 

 

旧暦の五月といえば、

今の梅雨の時期にあたります。

 

 

​降り続く雨の合間にのぞく、

わずかな晴れ間を、

「五月晴れ」と呼んでいたそうです。

 

 

 

​旧暦から新暦へ、

明治の世に暦が変わって

百五十年余り。

 

 

 

 

​言葉の響きは

そのままに、

 

思い浮かべる

景色だけが

大きく移り変わりました。

 

 

 

 

​鬱々(うつうつ)とした

長雨のなかで、

雲の切れ間から差し込む一筋の光。

 

 

 

​そこに見出した

喜びや美しさこそが、

 

日本人の根底に流れる感性に

深く通じているようです。

 

 

 

​常に晴れ渡った

完全な状態を

よしとするのではなく、

 

 

不足しているものや

不完全なもののなかに、

 

心の豊かさを見出す

「侘び(わび)」の精神。

 

 

 

 

​長く続く雨の

鬱々とした状態があるからこそ、

 

束の間の晴れ間に

より一層の

美しさやありがたみを感じ取る。

 

 

そして、

その束の間の光の儚さや、

 

自然の移ろいに

心を寄せることは、

 

「もののあわれ」という

日本の美しい美意識でもあります。

 

 

 

すべてが晴れ渡る

完璧な青空ではなく、

 

雨に濡れた葉のきらめきや、

束の間の陽射しに

命の輝きを感じる日本人独特の感性。

 

 

 

深い陰があるからこそ、

光の尊さを知る。

 

 

古(いにしえ)を歩いた

先人たちの、

奥ゆかしい情景に心惹かれます。

 

 

 

 

​間もなく、恵みの雨が続く

梅雨の季節がやってまいります。

 

 

 

これからの時期にこそ、

先人たちの美しい心を

そっと日常に取り入れてみたいものです。

 

 

 

梅雨空にも

正しいリラックスをもって

 

深くゆったりとした呼吸で

空を見上げ、

 

 

心の雨模様の

向こうにある

小さな光を見つめて生きる。

 

 

 

​雨の季節も

天地大自然への感謝を怠らず、

 

日々を過ごして

いきたいものでありまする。

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

​合氣道琴心館寺崎道場が

大切にしているのは、

ただ技の形を追うことではありません。

 

 

日々の生活のなかで

心と身体の調和をはかり、

 

先ず自らが率先躬行して、

周囲の人の心に灯火を灯すような

 

豊かな生き方を

ともに探究していくことです。

 

 

先人たちの奥ゆかしい感性や

自然の理(ことわり)など、

 

現代の暮らしに活かすヒントが、

ここにあるかもしれません。

 

ぜひバックナンバーもご覧ください。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-05-25 03:29:00

" 【小満】万物の氣が満ちる季節。天地大自然の一員としてどう生きるか? "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

今週もよろしくお願いします。

 

 

本日は、二十四節氣

小満【しょうまん】初候

 

七十二候

第二十二候  蚕起食桑【かいこおきてくわをはむ】

5月21日~25日ごろ。

孵化した蚕が桑の葉を盛んに食べて成長するころ。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

『 ​【しょうまん】ばんぶつ の き が みちる きせつ。てんちだいしぜん の いちいん として どう いきるか? 』

 

 

 

 

​万物が

次第に満ち満ちて、

 

草木が実を結び始める

季節となりました。

 

 

小さな命が

盛んに活動を始めています。

 

 

すべての万物が

「氣に満ちる」この季節、

 

私たちも

「天地大自然の氣」を感じながら、

 

正しいリラックスをもって

心身を満たしてまいりましょう。

 

 

私たち人間もまた、

この遥か大宇宙の

「天地大自然」の一員です。

 

 

 

「生きとし生けるもの」の中で

万物の霊長たる人間として、

 

この世に生を享けたことに

深く感謝したいものです。

 

 

 

獣や虫たちとの違いは

人には思いやりの心や

慈しむ心などが、

備わっているということ。

 

 

 

 

そうした

心を持つ私たちは

 

自分の「存在価値」について、

静かに見つめ直すことができます。

 

 

 

​人は生きているだけで

そこにいるだけで、存在価値があります。

 

 

 

そのうえで、どう生きるのか。

 

 

 

そこがとても重要になると

私は思うのです。

 

 

 

 

​その「存在価値」を

より良いものにするため

 

自分に何ができるのか?

 

 

 

あらゆる可能性を持つのが人間です。

 

 

 

ゆったりとした

深く静かな呼吸とともに、

 

臍下の一点に心をしずめて

静かに問いかけてみましょう。

 

 

 

自分の暮らす地域のため、

故郷のため、

社会のため、

 

周囲の人のために、

決して大きなことでなくても

よいのです。

 

 

 

たとえ小さなことであっても、

自分にできる精一杯のことを

日々、積み重ねていくこと。

 

 

 

 

一人ひとりの

そうした意識と行動が

 

やがて大きな輪となり

よりよい社会へと

つながっていくのではないでしょうか。

 

 

 

 

​すべての万物が氣の満ちる

この「小満」の季節。

 

 

 

今以上に

世のため人のためになること

はじめてみませんか?

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

合氣道琴心館寺崎道場が

大切にしているのは

ただ技を極めることではありません。

 

 

日々の生活に活きる

心と身体の調和をはかり、

 

まず自分から

率先躬行の精神をもって

 

周囲の人の心に灯火を灯すような

社会の喜びに繋がる生き方を

ともに探究していくことです。

 

 

自然の理や

日々の稽古を通じた氣づきを

 

この道場長ブログ

『ぼくらの合氣道』でも発信しております。

 

 

より健やかな生き方や

良好な対人関係の築き方など、

 

現代の暮らしに活かすヒントが

ここにあるかもしれません。

 

ぜひバックナンバーもご覧ください。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟 

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-05-22 03:15:00

" 【圓光寺の静寂】 心の目で見る侘び寂び。枯山水に感性を磨く指導の道 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

小満【しょうまん】初候

 

七十二候

第二十二候  蚕起食桑【かいこおきてくわをはむ】

5月21日~25日ごろ。

孵化した蚕が桑の葉を盛んに食べて成長するころ。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

『 ​【えんこうじ の せいじゃく】 こころ の め で みる わび さび。かれさんすい に かんせい を みがく しどう の みち 』

 

 

 

 

昨日の続きとなります。

※一つ前のエントリーはコチラ

 

 

 

春の指導者育成練成稽古。

 

17日間に渡る

集中稽古の締めくくりの京都での2日間。

 

 

 

その中でひときわ

心打たれた時間がありました。

 

 

 

圓光寺 (えんこうじ) や

曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき) で、

 

静かに向き合った

枯山水 (かれさんすい) 庭園です。

 

 

 

 

​水を使わず、

石や砂だけで

大自然の山水を表現する。

 

 

一見すれば、

ただの白砂と岩の配置に過ぎません。

 

 

 

しかし、

その限られた空間に

広大な海や川のうねりを見る。

 

 

波の音さえも聴き取る。

 

 

 

海や物体を

すべて砂で表現する

この空間を見て、どう感じるか。

 

 

 

目に見えないものを、

想像力を限界まで

働かせて感じ取るのです。

 

 

 

そこには

削ぎ落とされた、

 

日本古来の

西洋にはない

 

日本人が持つ

独特の美意識である

侘び寂び (わびさび) の精神が

宿っております。

 

 

 

 

不完全さや質素さ、

無常や欠落、

 

時の経過による

老いや風化、

 

変化の中にこそ

美しさを見出す、日本独自の感性。

 

 

日本人には

この精神性があるからこそ、

心が無限に広がるのです。

 

 

 

この感性を

極限まで研ぎ澄ますこと。

 

 

 

それは合氣道において、

非常に重要な意味を持ちます。

 

 

 

たとえば、

他の人の技を見る時も、

全く同じことが言えるからです。

 

 

表面的な手の動きや、

足運びの形だけを見る人。

 

 

一方で、

その内側に隠れた

深い呼吸や、氣の流れ、

相手との結びを見ている人。

 

 

 

両者では、

技に対する理解の深淵さが

まるで違ってまいります。

 

 

 

 

技の形だけを見て

それをなぞることしかできない人は、

 

いつまで経っても

技の深淵にはたどり着けません。

 

はっきり申して、

上達はしないということなのです。

 

 

 

 

" 見えないものを観る力 "

 

 

 

 

特に私たち指導者には、

その深みが強く求められるのです。

 

 

 

 

圓光寺の

枯山水庭園を前にして、

 

合氣道寺崎道場の

東京、神奈川の

全道場と教室をまとめる

 

〈中島 小雪〉師範部長が

深く頷きながら口にしました。

 

 

 

「先生、枯山水は合氣道の理合いそのものですね」

 

 

「目に見える砂や石の奥に、広大な海を感じるように」

 

 

「私たちも目に見える技の形の奥にある、氣の流れを感じ取らねばなりません」

 

 

「頭を空っぽにして自然と和合した時、初めて見えないものが見えてきますね」

 

 

 

 

この日本女子のその言葉は、

まさに指導者として

一段階深く悟った証でありました。

 

 

 

 

今回の春の指導者育成練成稽古。

 

 

 

その最終の二日間を、

京都で締めくくりたいと

意向を示したのは彼女でした。

 

 

 

この一乗寺エリアを巡るのも、

彼女からの提案です。

 

 

 

 

きっと彼女自身が、

指導者としての

新たな引き出しを見つけるために、

ここを選んだのでしょう。

 

 

 

師範部長である

彼女にとっては、

 

私以外の参加者は皆、

自分の愛弟子でもあります。

 

 

 

その弟子たちにも、

この枯山水庭園の静寂を通じて

 

「何かを氣づかせたかった」

違いありません。

 

 

 

決して自分の考えを、

押し付けるのではなく。

 

 

 

言葉による

説明を削ぎ落とし、

 

ただ同じ空間と空氣を

共有することで、

 

自ずからの

心の奥底で悟らせる。

 

 

 

 

まさに

「不言の教え」をもって、

弟子を導こうとしたのでしょう。

 

 

 

 

このような素晴らしい

お弟子さんを持てたことに、

 

私は魂から

感謝したい氣持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

道場に集う

ご縁あるお弟子さん方は、

 

すべて皆、

それぞれ全く違う個性を持っています。

 

 

 

 

ある人には

見事に通用するアプローチが、

別の人には全く通用しない。

 

 

 

稽古のたびに、

そういった壁に直面いたします。

 

 

 

 

だからこそ指導者は、

自らの感性を研ぎ澄まし、

相手と深く和合しなければなりません。

 

 

 

 

​感性を磨けば、磨くほど

経験を重ねれば、重ねるほど。

 

私たち指導者の頭の中には、

無数の引き出しが作成されていきます。

 

 

 

 

それを、

目の前の人に応じて

瞬時に取り出すのです。

 

 

 

 

しかし、

中にはどの引き出しにも

当てはまらない人も出てきます。

 

 

 

 

​そんな時こそ、

決して焦ってはなりません。

 

 

 

 

時間を見つけて、

道場以外のところに目を向けるのです。

 

 

 

 

いかなる時も、

「執着」は百害あって

一利無し。

 

 

 

 

近くの海でも山でも、

神社仏閣でもどこでもいい。

ふと、行けるところに行ってみます。

 

 

私は映画館に行ったり、

寄席に行ったりもします。

 

 

できるだけ

最前列で鑑賞します。

 

 

頭を空っぽにして、

その物語に没頭します。

 

 

 

 

何が何でも探し出してやると

意氣込んで行くと、

 

かえって

何も見つからないものです。

 

 

 

 

一旦、頭をクリアにする。

 

 

 

何もかも放り出して、

その景色や空氣、風、

鳥や虫の鳴き声、

波の音などに心を完全に向けます。

 

 

 

 

すると、

新たな引き出しが

足元に落ちているのです。

 

 

 

 

​詩仙堂 (しせんどう) や

金福寺 (こんぷくじ) の日本庭園でも、

 

そうした心打たれる

静寂な時間がありました。

 

 

 

 

詩仙堂に響く、

「鹿おどし」のコンという乾いた音。

 

 

 

その音が静寂を際立たせ、

心がどこまでも澄み渡り、

雑念が消え去っていきます。

 

 

 

 

また、

松尾芭蕉、与謝蕪村ゆかりの地であり

 

小説「花の生涯」のヒロインである、

村山たか女(むらやまたかじょ)が

波乱の生涯を終えたお寺。

 

それが金福寺です。

 

 

サツキが咲きかけた、

美しい日本庭園。

 

 

ただそこにある

命の営みと同化する。

 

 

 

 

自然の懐に抱かれ、

全てを委ねた時にこそ、

見えなかったものが見えてきます。

 

 

 

 

日常のあらゆる場所に、

私たちが歩むべき

理合いは隠されているのですね。

 

御意。

 

 

​今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場が

大切にしているのは、

 

目に見える形だけにとらわれず、

本質を見極める感性を育むことです。

 

 

自然の理と深く結びつき、

日々の暮らしの中で

大自然と心身を一つに重ね合わせること。

 

 

あれこれと理屈を並べるのではなく、

まずは自分自身が正しい在り方を実践する。

 

 

その生き様を通じて、

ご縁ある方々の歩む道を

温かく照らし出す生き方を、

ともに探求していくことです。

 

 

大自然の理や、

日々の稽古を通じた氣づきを、

 

この道場長ブログ

『ぼくらの合氣道』でも発信しております。

 

健やかな日常を送るためのヒントが、

ここにあるかもしれません。

 

ぜひバックナンバーもご覧ください。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-05-21 03:04:00

" 曼殊院門跡に安置された幽霊の掛け軸。触れたくなる衝動と科学で証明されない世界 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

小満【しょうまん】初候

 

七十二候

第二十二候  蚕起食桑【かいこおきてくわをはむ】

5月21日~25日ごろ。

孵化した蚕が桑の葉を盛んに食べて成長するころ。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

『 ​まんしゅいんもんぜき に あんち された ゆうれい の かけじく。ふれたくなる しょうどう と かがく で しょうめい されない せかい 』

 

 

 

 

合氣道寺崎道場

春の指導者育成練成稽古は、

 

17日間に渡る集中稽古の

締めくくりの2日間を京都で行った。

 

 

 

昨日の続きになる。

※一つ前のエントリーはコチラ

 

 

​叡山電車の一乗寺駅から

徒歩で狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)へ。

 

下山したところにある

八大神社(はちだいじんじゃ)を参拝した。

 

そして

詩仙堂(しせんどう)、

金福寺(こんぷくじ)、

圓光寺(えんこうじ)を巡る。

 

その最後の

曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)に

到着したのは午後4時だった。

 

 

曼殊院門跡は

天台宗の由緒ある門跡寺院だ。

 

国宝の黄不動(きふどう)を有し、

枯山水(かれさんすい)の

美しい庭園で知られる名刹(めいさつ)。

 

 

皇室とのゆかりも深く、

格式高い歴史が息づいている。

 

 

 

 

午後5時で

完全閉館となるため、

 

入館時に受付の係の人から

念を押された。

 

 

遅くとも、

4時55分までには出てくださいと。

 

 

早速、

靴を脱いで館内を拝観する。

 

 

 

順路は決められているが、

途中ワープしたり

逆方向に行こうと思えば

いけなくもない構造だ。

 

 

 

館内は

写真撮影が一切禁止。

 

 

 

館内から

庭の写真だけが許されていた。

 

 

 

天皇皇后両陛下の

行幸啓(ぎょうこうけい)時の

写真などが飾られている。

 

 

 

 

土曜日とはいえ、

閉館間近という時間帯だ。

 

参拝者は

私たちと数名の観光客程度だった。

 

 

 

私たちは皆それぞれ

思い思いに見て回った。

 

 

 

​順路の途中で

座布団が2つ置いてある座敷があった。

 

 

 

 

風が通り、

庭園も眺められとても心地よい。

 

 

ここで少し休もう。

 

 

朝から歩き回ったおかげで、

私はその座敷で一人座っていた。

 

 

あまりの心地よさに

静坐のまま少し眠ってしまったようだ。

 

 

 

すると、

お弟子さんの一人に肩を叩かれ

目が覚めた。

 

 

 

「先生、 先生」

「そろそろ帰りましょうか」

 

「おっ もうこんな時間か」

閉館15分前だった。

 

 

4時55分に出れば良い。

 

 

「まだ10分あるわ、まだ見てない所があるから一通り回って出るわ」

 

 

 

そう伝えると、

麻布台教室を主宰する

〈円谷ひとみ〉先生が駆け寄ってきた。

 

 

やっと見つけた、といった表情だ。

 

 

 

先ほどの弟子と同じく

「帰りましょうか」と言う。

 

 

 

何だか私に

何かを隠しているような変な感じがした。

 

 

 

しかし、

氣にせず順路を進んだ。

 

 

 

​そろそろ、

一周回り切るころ。

 

 

 

突然進行方向の右側に

「幽霊の掛け軸」が二幅(にふく)現れた。

 

 

 

​一幅は

上半身のアップだったと記憶している。

 

 

もう一幅は

足のない少し小さめの女性の幽霊の

掛け軸だった。

 

 

 

 

顔は土氣色(つちけいろ)に

青ざめ生氣が全くない。

 

 

 

骨と皮ばかりにやせ細り、

深い怨念をまとった女性の姿だ。

 

 

 

まるで今にも、

掛け軸から這い出してきそうな

おぞましい霊氣を放っている。

 

 

 

厳しい撮影禁止の注意書きがあり、

「撮影されますと差し障りあることが起こることがあります」

といった警告が記されています。

 

 

 

曼殊院門跡 幽霊の掛け軸と

ネットで調べれば、

 

この幽霊の掛け軸の

恐ろしい逸話はいくつも出てくる。

 

 

 

この掛け軸は

手にした持ち主たちに

 

次々と原因不明の

不幸や災厄をもたらしたそうだ。

 

 

 

 

血も凍るような

恐怖に耐えきれなくなった

人々によって手放された。

 

 

 

そして

長い年月を回り回って、

 

ようやく

この曼殊院門跡へと辿り着いたらしい。

 

 

 

 

まるで

厳重な封印を施すように供養され、

 

この場所にひっそりと

安置され保管されることになったらしい。

 

 

 

 

そのような

謂れ(いわれ)を

聞くだけで背筋が凍りつく。

 

 

 

 

それにも関わらず、

撮影禁止を無視して

ネットにあげる人もいるのだ。

 

 

なんという

恐ろしいことをするのだろうか。

 

 

 

 

​さらに

この幽霊の掛け軸が

恐ろしいのはそこではない。

 

 

 

 

あの虚無の底のような

目と目が合うと、

 

金縛りにあったように

動けなくなるのだ。

 

 

 

 

後に私が検索したところ、

 

私と同じく

目と目が合ったまま

動けなくなったという投稿もあった。

 

 

 

別に恐怖で

動けないわけではない。

 

 

 

「なんでここにあるの」

 

 

そういう問いかけを

私自身が幽霊の掛け軸に

しているといった感じだった。

 

 

 

なぜ、

この美しく格式高い曼殊院門跡に

 

こんな、おどろおどろしい

幽霊の掛け軸があるのか。

 

 

 

何の関係があるのか。

 

 

 

それをわざわざ、

参拝者が必ず通るであろう

最後の出口付近に置いているのか。

 

 

 

なぜそれを

参拝者に見せなければならないのか。

 

 

 

 

ただただ、

私は立ちすくんでしまった。

 

 

 

​「そういうことだったのか」

 

 

 

先ほどの座敷での

二人の弟子の「帰りましょう」の

意味がやっと理解できた。

 

 

 

私がほんの少し

眠ってしまっていた間。

 

 

 

皆は一足先に

その前を通っていたのだ。

 

 

 

私にこの幽霊の掛け軸を

見せないほうが良い。

 

 

そう判断したのだろう。

 

 

 

 

そう考えている間も、

私は幽霊の掛け軸の

女性と目と目が合ったままだった。

 

 

 

 

私の魂を絡め取るように

掛け軸の奥から

じっと、見つめ返してくる。

 

 

 

​そのいわく付きの

幽霊の掛け軸の前で佇む私。

 

 

 

当然私一人だ。

 

 

 

この時、

館内には私一人だったようだ。

 

 

 

他の弟子たちは

既に出口で私を待っていたようだ。

 

 

 

​館内の展示品には

一切、手を触れることは禁止されている。

 

 

 

 

しかし、

私はこの幽霊の掛け軸だけは

 

どうしても

触れたいという衝動にかられた。

 

 

 

あの青ざめた女性の顔に。

 

 

 

怨念をまとった

やせ細ったその姿に。

 

 

 

無意識のうちに

何度も何度も

手を伸ばそうとしていたのだ。

 

 

 

もちろん

それは厳格な禁止事項である。

 

 

 

すんでのところで

理性が働き、

実際に触れることはなかった。

 

 

 

 

しかし、

向こうから

私の手を引き寄せているかのような。

 

 

私の中の何かが

掛け軸の奥へと吸い込まれていくような。

 

 

 

 

これまでの人生で

味わったことのない

本当に不思議で奇妙な感覚だった。

 

 

 

 

だからこそ、

そこからどうしても

離れることができなかったのだ。

 

 

 

 

​「先生 先生!」

「もうだめだって!帰りますよ」

 

 

 

 

狸谷山不動院の不動明王の前で

動けなくなった私、

 

あの時、

我に返らせてくれた

 

神奈川 辻堂教室を主宰する

〈一ノ瀬 尚〉先生が、

今度は強引に私の手を引っ張った。

 

 

 

「ダメです もう完全閉館時間です」

 

 

今でもはっきりと憶えている。

 

 

 

あの幽霊の掛け軸の

女性の底知れぬ寂しげな表情を…

 

 

 

 

世の中には

決して理屈では、

 

説明のつかないことが

確かに存在する。

 

 

 

 

現代の科学をもってしても、

証明されない出来事が数多くあるのだ。

 

 

 

我々の常識や

目に見えるものだけが全てではない。

 

 

 

 

禁止と分かっていながら、

触れようとしてしまったあの衝動。

 

 

 

そして、

私を惹きつけて

離さなかったあの眼差し。

 

 

 

それらが一体、

何を意味していたのか。

 

 

 

 

この広大な

天地大自然には、

 

人間の知恵など

及ばない深遠な世界が広がっている。

 

 

 

 

信じるか

信じないかはあなた次第だ。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

​合氣道琴心館寺崎道場が

大切にしているのは

ただ技を極めることではありません。

 

目に見えない不思議な縁や

出来事をも否定せず、

受け入れる器を養うこと。

 

 

自然の理や

日々の稽古を通じた氣づきを

この道場長ブログ

『ぼくらの合氣道』でも発信しております。

 

 

感性を磨き、

より健やかに生きるためのヒントが

ここにあるかもしれません。

 

ぜひバックナンバーもご覧ください。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-05-20 03:12:00

" 狸谷山不動院から奥の院へ。逃げ場のない山中で悟る自然の脅威と危機管理 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

立夏【りっか】末候

 

七十二候

第二十一候  竹笋生【たけのこしょうず】

5月15日~20日ごろ。

タケノコが生えてくるころ。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

『 ​たぬきだにさんふどういん から おくのいん へ 。にげば の ない さんちゅう で さとる しぜん の きょうい と ききかんり 』

 

 

 

 

​昨日の続きとなります。

一つ前のエントリーはコチラから。

 

 

京都市左京区一乗寺にある

狸谷山不動院 本堂での参拝を終え、

下山しようとした時のことです。

 

 

 

ふと、「奥の院」へと続く石段が、

私の目に留まりました。

 

 

 

入り口のきわには、

なぜか土のうが積まれております。

 

 

 

一見すると、

立ち入り禁止かと

思うような雰囲氣でした。

 

 

しかし、

それを明確に示す表記は

どこにもありません。

 

 

ただ一つ、

階段の手すりに

目を疑うような張り紙がありました。

 

 

「熊出没注意」

 

 

目撃日は、

令和5年9月30日と記されております。

 

 

 

私たちはこの時、

「奥の院」がどのような場所か

 

全く情報を

持ち合わせておりませんでした。

 

 

 

 

張り詰めた空氣の中、

十分に注意を払いながら

一段一段、階段を登って行ったのです。

 

 

 

​ほんの数段登っただけで、

そこはもう鬱蒼とした深い森の中でした。

 

 

 

少しひらけた場所に、

石碑のようなものが

ひっそりと佇んでおります。

 

 

 

その傍らの木に、

さらに2枚の

「熊出没注意」の張り紙がありました。

 

 

 

1枚は、先ほどと同じ日付。

 

 

もう1枚は、

令和6年5月8日となっております。

 

 

 

どうやら、

この場所すらも

まだ奥の院ではないようで、

 

矢印が、

「次はコチラ」と

先を指し示しております。

 

 

 

​その2番目のポイントは、

張り紙のある場所から辛うじて見えました。

 

 

 

そこにも石碑があり、

さらにその奥へと、

矢印は無情にも続いております。

 

 

 

しかし、

3番目の場所は、

鬱蒼とした木々に阻まれ、

ここからは全く見えません。

 

 

 

さらに深く、

山を登らなければならないようです。

 

 

 

 

見渡せば、

大木が倒れたまま放置され、

 

道なき道のような、

荒れた山の斜面が広がっておりました。

 

 

 

​その場で、

同行していたお弟子さんが、

 

すかさず

スマートフォンで検索してくれました。

 

 

 

そこで初めて、

私たちは「奥の院」の

全貌を知ることになります。

 

 

 

 

本堂からさらに山深く入った、

古くから修験者たちが

厳しい修行を積んだ神聖な霊場。

 

 

 

あの本堂の

鋭い眼光だった不動明王に仕える

三十六童子の像が、

 

険しい山道に沿って

祀られているとのこと。

 

 

 

三十いくつもの祠を巡りながら、

さらに30分から40分も、

山を登らなければならないというのです。

 

 

 

 

ネットの情報には

「整備されている道」とありましたが、

 

目の前の倒木や

急斜面を見る限り、

私には到底そうは思えませんでした。

 

 

 

ここで私たちは、

これ以上進むことを

きっぱりと断念いたしました。

 

 

 

もし今この瞬間、

本当に熊と遭遇したら

どうなるでしょうか。

 

 

 

木の根や落ち葉に

足を取られるような、

この極めて足場の悪い悪路です。

 

 

 

車に匹敵するスピードで

突進してくる熊から、

逃げ切ることなど不可能です。

 

 

 

張り紙はあくまで

「たまたま人が目撃した日」に過ぎません。

 

 

 

実際には、

もっと頻繁に

この辺りを徘徊しているはずです。

 

 

 

 

まだまだ

未来ある指導者と、

その道を志す弟子たちを

 

このような

危険な場所に連れ込んでしまった。

 

 

 

 

私は自らの判断を

深く反省し、

 

ただちに下山するよう、

皆に指示を出しました。

 

 

〈中島 小雪〉師範部長が、

「では、先生も降りましょう」と

声をかけてくれます。

 

 

 

「皆は早く降りて。私はもう数分、ここにいるから」

 

 

私がそう伝えると、

皆が一様に

「ええ〜」と、不安げな声を上げました。

 

 

 

すると、

隣にいた〈一ノ瀬 尚〉先生が、

 

「じゃあ、私も先生と一緒に残るから、皆は早く降りて」と、

背中を押してくれたのです。

 

 

 

皆が、

急ぎ足で下山していきました。

 

 

 

「こんな所でまた動けなくなったら、どうするんですか」

 ※一つ前のエントリーはコチラ

 

 

〈一ノ瀬 尚〉先生は、

静かにそう言って、私の身を案じてくれます。

 

 

 

本当に、

この日本女子の言う通りです。

 

 

 

私は、四方八方、

360度の景色を、じっと見渡しました。

 

 

 

私は合氣道のほかに、

かねてより「危機管理」や、

「テロ対策」について深く学んでおります。

 

 

 

「相手の氣持ちになって予測し、行動すること」

 

 

それが、

いかなる事態においても

「危機管理」、「テロ対策」の鉄則となります。

 

 

 

 

もし自分が、

誰かに危害を加えようとするなら、

どこに潜み、どう襲うか。

 

 

事を終えた後、

どこからどうやって逃走するか。

 

 

誰がやったか

見つからないためには、どうするか。

 

 

 

もちろん、

私自身が

そのような凶行に及ぶことは、

絶対にありません。

 

 

 

しかし、

その極限の視点を持つことこそが、

「危機管理能力」の極意なのです。

 

 

 

 

私はその道を専門分野とする

日本のみならず、

世界各国の専門家からも

 

高く評価される方から

直接学んでおります。

 

 

 

機密事項も多いため

これ以上は記せません。

 

 

 

麻布台教室を主宰する

〈円谷ひとみ〉先生、

 

東京、神奈川の各道場と

教室をまとめ、

自らも恵比寿教室を主宰する

〈中島 小雪〉師範部長、

 

そして、

神奈川辻堂教室を主宰する

〈一ノ瀬 尚〉先生も、

共にそれを学ぶ大切な同志です。

 

 

 

 

​一見すると、

私たちが学んでいる

合氣道と「安全保障」などは、

 

全くの別分野ではないか?と、

よく人から聞かれます、

 

 

 

しかし、私はそうは思いません。

 

 

 

安全保障、危機管理、テロ対策、

資源エネルギー、環境、経済、

AIやロボティクス、

そして正しい歴史認識。

 

 

 

すべては、

己を律し、他者と和合する

合氣道の精神と、

根底で深く繋がっております。

 

 

 

 

" 人間が生きる真の価値は、

人や社会のお役に立つことです "

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場の目的は、

武技の向上のみならず、

 

より良い社会のために

貢献できる人材を育成すること。

 

 

 

指導者たる私や、

錬成稽古に参加する先生たちが

 

これらを深く学ばずして、

どうしてお弟子さん方を導けるでしょうか。

 

 

 

 

​私が危険を承知で、

数分間この場に残った理由。

 

 

 

 

それは、

このような鬱蒼とした山中で

熊に襲われた際、

 

逃げ道など全くないという

圧倒的な危機感を、

自らの肌で知るためでした。

 

 

 

 

連日、熊の被害を伝える

悲惨なニュースを目にします。

 

 

 

その度に、

「なぜそこへ行ったのか」

「なぜ逃げられなかったのか」と、

つい想像してしまいがちです。

 

 

 

しかし、

今まさに私自身が、

 

その「逃げ場のない場所」

立っているのです。

 

 

 

 

見通しの良い場所なら

いざ知らず、

 

隠れ場所が無数にある

この斜面で、

命を守る術は極めて乏しい。

 

 

 

その冷酷な現実を、

深く胸に刻みました。

 

 

 

​もし、

私と隣にいる〈一ノ瀬 尚〉先生に、

 

まだこの世で

為すべき役目があるのなら、

 

天地の大いなる意思が、

必ず私たちを生かしてくれるでしょう。

 

 

 

「天ちゃん、頼んだで」

 

 

 

私は小さくそう呟きました。

 

 

 

恐怖も、不安も、

ありのままの景色も

すべてを丸ごと受け入れる。

 

 

 

ゆったりとした

「深い呼吸法」とともに、

心を「臍下の一点」に静めます。

 

 

 

そして、

正しいリラックスを保ちながら、

私たちは静かに下山を開始いたしました。

 

 

 

 

​その後、

周辺の寺社をいくつか巡り、

叡山電車の修学院駅へと向かいました。

 

 

 

 

土曜日の夕暮れ時、

穏やかな住宅街の風景が広がります。

 

 

 

夕食の買い物へ向かう

楽しげな親子や、

自転車で行き交う学生たち。

 

 

 

河原町や京都駅周辺ほどの

喧噪はありませんが、

 

多くの人々が行き交う、

ごく普通の生活の場です。

 

 

 

 

しかし、

その電信柱に、

 

またしても

「熊出没注意」の張り紙がありました。

 

 

 

複数の目撃日が、

生々しく記されております。

 

 

 

 

先ほどの

深い山中ならまだしも、

 

こんな人々の日常の

すぐそばにまで、

熊が足を踏み入れている。

 

 

 

その現実に、

私たちは思わず、目を疑いました。

 

 

 

 

山に餌がないからか、

人家の味を覚えてしまったのか。

 

 

人を恐れず、

冬眠しない熊が増えていると聞きます。

 

 

 

人間と大自然の動物たちが

本当に共存していくためには、

一体どうすればよいのか。

 

 

 

深く考えさせられる、

京都の夕暮れでありました。

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

​合氣道琴心館寺崎道場が

大切にしているのは、

ただ技を極めることではありません。

 

どのような状況下においても

周囲の状況を静かに察知し、

相手を思いやる配慮を育むこと。

 

そして、

いざという時にこそ

臍下の一点に心を静め、

 

真の危機管理能力を日々の生活の中で

探究していくことです。

 

 

 

大自然の理や、

日々の歩みを通じた氣づきを、

 

この道場長ブログ

『ぼくらの合氣道』でも発信しております。

 

 

健やかな生き方のヒントが、

ここにあるかもしれません。

 

ぜひ、バックナンバーもご覧ください。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝