" 【警告】「自分は大丈夫」が生む致命的な危機管理の隙 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小雪【しょうせつ】末候
七十二候
第六十候 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)
12月2日~6日ごろ。
橘の実がだんだん黄色く色づき始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【けいこく】 「じぷん は だいじょうぶ」が うむ ちめいてき な ききかんり の すき 』
"「平和ボケ」が招く危機管理の欠如。道場長が説く「心の隙」"
昨日、
外出のため
自宅マンションのエレベーターに乗りました。
先に乗っていた一人の女性は、
扉が開いて私が乗り込んでも、
こちらに目を向けることはありません。
彼女の意識は、
手のひらの中の
小さな画面に完全に奪われていました。
どうやら、
スマホに文字を打ち込むことに
熱中しているようでした。
誰もが利用するエレベーター。
たった数秒間、逃げ場のない密室となります。
もし私が、
最悪な人間だったら
どうするつもりだったのでしょうか?
そこにあるのは、
現代社会において致命的とも言える
「危機管理意識の欠如」です。
「自分に限って事件や事故など起こらない」
という 油断 の中にいるのでしょう。
これが、
私たちが一番警戒すべき
「心の隙」になってしまうのです。
合氣道の教えの中に、
「残心(ざんしん)」という言葉があります。
これは、
相手を投げ終わった後でも、
相手に氣を向け、
油断せず、
相手や周囲に意識を配る
「心の余裕」を持つことです。
日常において、
「常に周囲を疑え」と言っているのではありません。
しかし、
自分の命や安全を守るためには、
エレベーターの扉が開いた瞬間に、
顔を上げて一瞬でも、相手を見て確認すること。
ときどき
スマホから視線を外し、
周囲の状況をチラッと確認すること。
たったこれだけのことが、
立派な日常の危機管理となり、
あなた自身の安全を守る結界になります。
道場での「残心」の稽古は、
日常生活における
究極の危機管理であると言えるでしょう。
" 日常の「危機管理」に役立つ具体的な方法 "
普段の生活の中で、
少し意識を変えるだけで
安全性が高まる
具体的な行動をいくつかご紹介しましょう。
1. エレベーター内での立ち位置
エレベーターに乗る際は、
できる限り
操作盤の近くに立つように心がけましょう。
これにより、
もしもの時に緊急ボタンを押す、
あるいは全ての階のボタンを押すなどの
行動が取りやすくなります。
また、
人間は真後ろは見えません。
人に対して背中を見せず、
やや斜め方向に立ち、
常に他者の状況が目に収まるようにしましょう。
2. 「目と耳を盗まれる」行動を避ける
歩行中、
スマートフォンを操作したり、
イヤホンで音楽を聴いたりすることは、
自分の目と耳という
二つの重要な警戒器官を
停止させているのと同じです。
特に
夜道や人通りの少ない場所では、
目と耳は解放しておきましょう。
これは、重要な「危機管理の鉄則」です。
3. 鍵を出すタイミング
自宅に到着してから
バッグの中を探して鍵を出す行為は、
最も 無防備 な時間帯を作ってしまいます。
家や車の扉に近づく前に、
必ず鍵を手に握っておく。
この小さな準備が、
不審者に「隙がない」と
思わせる重要な要素となります。
4. 視線の使い方
向かってくる人に対し、
不必要に目をそらさず、
軽く 一瞥(いちべつ)する習慣 をつけましょう。
これは
「あなたを認識している」という意思表示です。
犯罪者は、
自分の存在を意識していない相手を狙います。
自分自身の日常の中に、
危機管理上の「心の隙」がないか、
今一度チェックしてみましょう。
安全は、
誰かが与えてくれるものではなく、
自ら守り育むものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「いや、今さらな」を「そら、今からやろ!」に変えよう "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小雪【しょうせつ】末候
七十二候
第六十候 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)
12月2日~6日ごろ。
橘の実がだんだん黄色く色づき始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 「いや、いま さら な」を「そら、いま から やろ!」に かえ よ う 』
「それ、やってみたら?」
何かを人に勧めたら、
必ず二つの声が返ってきます。
一つは、
過去を振り返り、行動をためらわせる声。
「いや、今さら、始めても遅いのではないか」
という言葉です。
これが、
私たちを立ち止まらせる
「過去の縛り」であり、
人生のエネルギーを奪う「停滞の氣」です。
そしてもう一つは、
今日を最高の始点にしようとする言葉です。
「今からな!はじめてみる」
という、未来への決意です。
しかし、
多くの人が、
この「今さらな」という
過去への後悔の念に囚われ、
大切な今日という一日を、
決断の先延ばしで
消費しているように思うのです。
しかし、本当にそれで良いのでしょうか。
" 70歳を超えた禅師の教え "
私は、
このテーマについて語る時、
ある禅師の話をよく思い出します。
大正時代、
70歳を超えてから英和辞典に向かい
学んでいた禅師が、
弟子に「今さら」と笑われたとき、
穏やかにこう答えたと言います。
「一日に一字を学んでいくと、今度生まれてきた時、それだけ勉強が楽だからな」
これは、
生まれ変わりの話をしているのではないと
私は思います。
「死ぬまで、欠かさず毎日一歩を進める」という、
人生の最後まで
学び続ける今日の覚悟を示しています。
「今さら」と
諦める心からは、何も生まれません。
しかし、
「今からな!」という
新鮮な一歩の勇氣こそが、
未来を創るエネルギーになるのです。
"「軸を定める」生き方 "
人生における困難や変化は、
私たちを簡単に揺さぶります。
仕事、
人間関係、
恋愛、
健康、
予期せぬ出来事。
私たちの心が
過去の失敗や後悔に囚われていると、
人生の「軸」は不安定になり、
ちょっとした力で倒れてしまいます。
「今からな」という決意は、
この不安定な軸を「今、ここ」という
最も確かな一点に定め直す作業です。
大切なのは、
自分がどれほどの経験を持っているか、
何歳であるかではありません。
今日、この瞬間の決意です。
過去の失敗を、「次の一歩」の力に変える。
昨日より今日、ほんの少しでも成長する。
「今さら」とささやく自分に、
「今からだ!」と声をかける。
これこそが「一日一心」。
今日一日の人生に真摯に向き合い、
今日を新しい人生の始点として
生きる心構えです。
過去の「縛り」から心を解き放ち、
「今からな」という決意をもって、
一歩を踏み出してみましょう。
自分の人生は、
過去の物語ではなく、これから始まる物語です。
最高のスタートラインは、
いつも「今」ここにあります。
「そら、今からやろ!」
この言葉を口癖にして、
潜在意識に深く刻みましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 師走こそ整えるべき「自律神経」と呼吸法 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
小雪【しょうせつ】次候
七十二候
第五十九候 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
11月27日~12月1日ごろ。
「朔風(さくふう)」とは北風のことで、冷たい北風(木枯らし)が吹き、木の葉をすっかり払い落としてしまうころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 しわす こそ ととのえ る べき「じりつしんけい」と こきゅう ほう 』
今年も早いもので、
今日から12月、師走に入りました。
この「師走(しわす)」という言葉は、
「師(僧侶など)」も走り回るほど忙しい、
という意味から
来ていると言われています。
年の瀬を迎え、
仕事納めや大掃除、
新年の準備など、
誰もが
心身ともに余裕を失いがちな時期です。
この時期は
毎年、焦りや氣の緩みから来る
事件や事故が増加する傾向にあります。
しかし、
この慌ただしい師走だからこそ、
私たちは
「心を平穏に保つ稽古」を、
日常の中で
意識的に行う必要があると思うのです。
" 合氣道の教え:乱れた時こそ、中心を意識する "
合氣道では、
相手の攻撃や予期せぬ事態に直面した時、
まず
自分自身の姿勢を整え、
「中心」を崩さず
冷静に対応することを技の中で学びます。
心身の中心が乱れると、
技も乱れ、
相手を投げることができません。
また、
無用な怪我にも繋がります。
師走の「忙しさ」は、
たとえるなら
周囲からの波や攻撃のようなもの。
その波に
飲まれないためにも、
自分の内側、
つまり心身の土台である
「自律神経」を調えることが不可欠です。
" 自律神経を調える「究極の呼吸法」"
自律神経は、
私たち自身の意思ではコントロールできない、
心臓の動きや
消化器の働きを司る重要な神経です。
この自律神経こそが、
心身の平穏と深い関わりを持っています。
自律神経には、
活動時に優位になる「交感神経」と、
リラックス時に優位になる
「副交感神経」があります。
乗り物にたとえるなら、
交感神経がアクセルで、
副交感神経がブレーキのようなものでしょうか。
そして、
この二つのバランスを
意図的に整えることができる
一つの方法が、「呼吸法」なのです。
長く静かに息を吐く時
副交感神経が優位になり、
リラックス・心身の平穏につながります。
一方で、
ゆっくり深く息を吸う時
交感神経が優位になり、
集中力・活動力につながります。
" 師走に実践すべき「心の安定呼吸」"
呼吸法で大切なのは、
「吐きに任せ、吸いに任せる」
ことです。
そして、
もう一つ大切なことは「姿勢を正す」こと。
姿勢が乱れていては深く長い呼吸はできません。
椅子に座っている時でも、
仙骨を起こし、上半身の力を抜きます。
長く吐く(最重要)
口をあいうえおの「あ」または
はひふへほの「は」、に開け、
遠くに吐き出すように、
体の中の悪い氣をすべて出し切るイメージで、
時間をかけて
ゆっくりと息を吐き切ります。
自然に吸う(吸うに任せる)
吐き切ったら、
力まず自然と鼻から
空氣が入ってくるのを待ちます。
自然に任せ、入ってくるだけ吸います。
但し、力んではいけません。
吐くときも吸うときも
無理に長くしようと思うと、
自然に心身は力んでしまいます。
これでは、
せっかくの呼吸法も
効果は少なくなってしまいます。
まずは、
自分自身の吐ける範囲で、
吸える範囲で実践してみましょう。
呼吸法は
吐きではじめて、吐きで終わる
ようにしましょう。
慌ただしいこの時期、
意識的に
副交感神経を優位にすることで、
緊張や焦りが和らぎ、
心身ともに健康体で
この慌ただしい時期を乗り越える
土台ができます。
" 新たな年を迎えるために "
「呼吸」は、
私たちが生まれてから死ぬまで、
一瞬も
欠かすことのない生命活動そのものです。
この最も欠かすことのできない
生命の営みをを
意識的に
コントロールすることで、
私たちは
自分の心のあり方をコントロールできます。
事件や事故を未然に防ぎ、
充実した年の瀬を過ごすために。
今日から
一つ一つの呼吸を大切に、
そこに意識を向け、心を平穏に保ちましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【感謝の縁】卒業50年目のクラス会で体感した「氣」の円 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小雪【しょうせつ】次候
七十二候
第五十九候 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
11月27日~12月1日ごろ。
「朔風(さくふう)」とは北風のことで、冷たい北風(木枯らし)が吹き、木の葉をすっかり払い落としてしまうころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【かんしゃ の えん】そつぎょう ごじゅう ねん め の くらす かい で たいかん した「き」の えん 』
" 卒業から半世紀、記念すべき「50年目の節目」"
先日の11月23日、
中学時代のクラス会 (3年4組クラス会) に
出席しました。
昨年と同じ日、
同じ場所、
同じ部屋での開催でした。
しかし、
今回は特別な重みがありました。
それは、
当時(卒業時)から数えて
50年目という、
人生の大きな
節目を迎えるクラス会だったからです。
このクラス会は、
私たちが中学を卒業した直後、
「オリンピックが開催される年に皆で会おう」
という約束のもと始まりました。
以来、
50年間、コロナ禍による中止を除き、
連綿と続いてきた私たちの歴史そのものです。
当時の私たちは中学3年生。
その私たちは、
すでに還暦を数年前に超え、
当時の担任の先生も、
傘寿(80歳)をすでに超えられた
ご壮健なご年齢となられました。
会の開催頻度も、
当初の「4年に1回」から「2年に1回」になり、
さらにこの数回は
「1年に1回」と、
皆の思いが強まるにつれ、頻度が上がってきました。
卒業して半世紀。
この長い年月を経て
再び集うということ自体、
実に尊い「ご縁」だと改めて感じます。
今回のクラス会は、
私が今まで参加した中で、
間違いなく
過去一最高のクラス会 でした。
"「氣」の同調が作り出した温かな円 "
今回の参加者は、
当時の担任の先生と私たち9名。
長方形のテーブルを囲んでの湯葉の懐石でした。
席には、
昨年は欠席だったが
今年は出席してくれた人もいました。
また、
残念ながら
日程的に欠席になった人もいました。
その参加者の変化もまた、
時の流れであり、
この日の「氣」を作る重要な要素でした。
通常、
長方形のテーブルは、
どうしても
席によって会話の中心から外れたり、
隔たりが生まれがちです。
しかし、
この日のテーブルには、
席順や形を超越した、
まるで一つの大きな輪のような、
温かな空氣が流れていました。
それは、
参加者一人ひとりの「思い」が、
その場の「氣」と共鳴し、
互いに調和し合っていたからに他なりません。
まるで、
長方形の四隅の角が自然と削り取られ、
美しい
楕円形の円として繋がっているようでした。
これは
合氣道の稽古で私たちが目指す境地、
「和合(わごう)」の心 に通じる
ものでありまする。
"「過去一」の価値は一期一会にある "
今回、
この上なく温かい会となりました。
しかし、
今回のクラス会が
過去一だったからといって、
次回も
同じようになる保証はどこにもありません。
参加者が変わり、
日が変わり、
場所が変われば、
その場の「氣」は当然変わる。
だからこそ、
この日の、
このメンバーでの、
この空間で生まれた
「和合」の瞬間は、
二度と繰り返されない、唯一無二の価値あるもの。
まさに「一期一会」ですね。
" 幹事の「力み」を消した試練と合氣道の理 "
今回の私は、
幹事としてやるべきことが山積みでした。
時代の変化に対応し、
今後のクラス会運営の在り方を
根本から変えるための提言と、
皆の意見を聞き、
まとめることが私の責務でした。
・アナログからデジタル化へ(連絡手段のLINE化)
・手書きのクラス会ノートの廃止
・個人情報の観点からの卒業生住所録の破棄
・案内状の郵送の可否
・繰越金の廃止と、現金の徴収をデジタル化(PayPay)へ
これらを当日、
皆に意見を聞き、
決定する
重要な進行役を担っていました。
本来なら、
二、三日前から資料をまとめ、
進行をシミュレーション
しなければならないほどの準備が必要でした。
しかし、
私はクラス会前日になっても、
進行のこと、
皆をどうまとめるかということ、
何も考えることができませんでした。
それは、
クラス会とは全く関係のない、
何の前触れもなく
突然襲ってきた
私の存在価値さえ揺るがすほどの
他者からの背信行為という、
個人的な試練に見舞われていたからです。
心に大きな衝撃を受け、
まだまだ
未熟な心身がその出来事に引きずられ、
正直、
クラス会のことに
意識を集中させる余裕がありませんでした。
※よろしければ
関連する直近のエントリーをご覧ください。
↓↓↓
しかし、
結果として、
それが良かったのかもしれないと、
今、振り返って強く思っています。
なぜなら、
順調な日々であれば、
私の性格から言って、
クラス会前日はあれこれと考え、
どう進行するか、
どう皆をまとめるかと、
必死に頭を巡らせたことでしょう。
それは
その場を取り仕切る幹事としての
やるべき責務ですから。
さはさりながら、
その思考と準備が、
知らず知らずのうちに
無意識の「心の力み」になるのです。
幹事である私の心に「力み」があれば、
その場の「氣」にも
そのままその力みが伝わり、
ギクシャクさせる要因になりかねません。
何も考えることが
できなかったからこそ、
当日、心身ともに
何の「力み」もなく、
自然体で臨むことができました。
参加者の皆の温かい言葉や、
先生の笑顔を、
ただ受け止め、
流れに身を任せて進行する。
この「力みのなさ」こそが、
この場を温め、
長方形のテーブルを
円形の「和合」へと導いた
要因の一つで
あったと僭越ながら確信しています。
それはまさに、
合氣道そのものの 理(ことわり)です。
力で対抗せず、
相手の「氣」を受け入れ、無心で流れに乗る。
この日、
私はクラス会という場で、
「合氣道の神髄」を体現し、
学ばせてもらったように感じています。
" 次へ繋ぐ「心」"
皆の心が一つになり、
この「最高のクラス会」という
結果を生み出したこと。
これは、
私の心の力みが消えたことと、
皆の温かい
心と響き合った証だと信じたいです。
この「和合」の氣を、
次期幹事に引き継ぎ、
2年後の再会に向け、
さらに素敵な
クラス会となるよう願っています。
合氣道琴心館寺崎道場が
目指すことの一つは、
生涯を通じて
技、生き方ともに「円」を追求します。
この日のクラス会で、
私は「人生の円と縁」 、
「心の円と縁」の美しさを、
同級生たちから
教えてもらったような氣がします。
この「氣」を大切に、
また日々の稽古と生活に活かすよう励みます。
今回のクラス会参加者、
そして担任の先生に、心より感謝申し上げます。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【感動】100日墓参りで私が見た「命の移ろい」 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小雪【しょうせつ】次候
七十二候
第五十九候 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
11月27日~12月1日ごろ。
「朔風(さくふう)」とは北風のことで、冷たい北風(木枯らし)が吹き、木の葉をすっかり払い落としてしまうころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【かんどう】ひゃくにち はか まい り で わたし が み た「いのち の うつろい」 』
" 試練の旅路:酷暑の中で始まった百日 "
一つ前のエントリーからの続きになります。
8月17日。
世間がお盆休みを終え、
日常に戻り始めた頃、
私は東京出張から神戸に帰った翌日から
「百日墓参り」を始めました。
一日も欠かさず、
毎日続けて百日間墓参りをする
この旅の始まりは、試練の連続でした。
前半は、
突然家族に降りかかった
深刻な事件と
混乱への対応に追われる日々。
そして
終わりかけには、
あることがきっかけで
私自身の
存在意義を揺るがすほどの
深い心の傷を負うことになりました。
まさに、
人生の谷間に
立たされたような100日間。
しかし、
この困難な旅路を振り返ると
悪いことばかりではなく、
心に残る
大きな感動と深い氣づきがありました。
それは、
毎日お参りした
墓園の景色が教えてくれた、
「命の移ろい」です。
" 蝉時雨から紅葉まで、毎日変わる景色。困難の中で色づいた100日の日々 "
墓園のある山々は、
8月半ばの時点では鮮やかな緑一色でした。
酷暑の音(8月)
突き刺さるような日差しの中、
ミーンミーンと鳴くアブラゼミや、
シャーシャーとけたたましいクマゼミの
「蝉時雨(せみしぐれ)」が毎日のお供でした。
その熱氣と騒がしさこそが、
当時の私の
心の混乱を表しているようでした。
秋の訪れ(9月)
まだまだ酷暑が残る9月ですが、
やがて、
力強い蝉の鳴き声は
ツクツクボウシやヒグラシへと静かに変わり、
氣づけば日陰の草むらからは、
コオロギやスズムシの
控えめで美しい音色が聞こえ始めました。
この頃、
私の家族に降りかかった混乱も
一応の収束を迎え、
心のなかに静けさが戻りつつありました。
色づく山(10月〜11月)
そして、
いよいよ山の緑が少しずつ色づき始めます。
毎日見ているからこそ氣づける、
その微細な変化。
夕陽を背景に黄金に輝くイチョウ、
真っ青な空に燦然と輝く
赤茶色に染まる雄大なメタセコイア、
真っ赤に燃える紅葉の樹木。
そのコントラストは圧巻でした。
私にとって、
これほどまでに季節の移ろいを毎日、
ゆっくりと、
少しずつ眺める経験は初めてのことでした。
" 自然が教える「時」と「受け入れ」"
100日間、
同じ場所へ通い続けることで、
私は大自然から多くを学びました。
大自然は、
酷暑や嵐といった
「困難」を乗り越えたからこそ、
あんなにも
「見事な色」を世界に見せてくれるのです。
そして、
どんなに美しい紅葉も、
やがては葉を落とし、雪の季節を迎えます。
これは、
人生の試練と同じではないでしょうか。
何の前触れもなく
突然のように、
私に降りかかった
大きな危機や心の傷も、
その時期にはあまりに辛く、
不条理に感じました。
まだ死んではいないので、
「輪廻転生」があるのか?ないのか?
それは分かりませんが、
もし、あるとするなら
「もう二度と人間には生まれたくない」
「人間って一体、何なんだ?」
詐欺や背信の中で生きていたら、
人間なんて信用できなくなる。
そんなことも思いました。
しかし、
それら詐欺や背信行為も
もしかすると、
「師範として、人間として、さらに大きく飛躍するために必要な、心の葉が色づく前の試練」
だったのかもしれません。
「受け入れ、耐え、そして時が来れば、必ず景色は変わる」
今はそう信じて、
前を向いて歩いていこう。
この100日間、
自然が私に教えてくれたのは、
まさにこの「道の理」でした。
そして、
その美しい紅葉の景色は、
困難な時期を乗り越えるための、
ご先祖様からの
「よく続けたな」という
静かな励ましと
ご褒美のように感じられたのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝