" 〜春の巣立鳥のように〜 共に成長する合氣道指導者育成の道 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】初候
七十二候
第十六候 葭始生【あしはじめてしょうず】
4月20日~24日ごろ。
暖かくなり水辺の葭が芽吹き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 〜はる の すだちどり の ように〜 ともに せいちょうする あいきどう しどうしゃ いくせい の みち 』
春も深まり、
初夏を迎えるころ
雛が大きく育って
巣を離れると、
「巣立鳥(すだちどり)」と呼ばれます。
まだ羽も生えそろわぬ
か弱き雛鳥たちであっても
命の歩みは、確かなものです。
ヒバリの子であれば、
卵からかえって、わずか十日あまり。
ツバメの子であっても
二十日ほどが過ぎれば、
いよいよ、巣立ちのときを迎えます。
とはいえ、
巣の外へ出たからといって
ただちに、あの広い空を
自由に舞うことができるわけでは
ないそうです。
ヒバリの若鳥などは
巣を離れてみても、
羽ばたきは覚束(おぼつか)なく
よちよちと、
地面を歩き回るばかりです。
親鳥たちもまた、
我が子のそんな姿を
決して急かすことなく
少し離れたところから
あたたかく見守っております。
そして、
折に触れては
そっと、
命の糧を分け与えるのです。
ツバメの若鳥に至っては、
せっかく飛び立ったというのに
慣れ親しんだ古巣へ
舞い戻ってくることさえ
あるそうです。
そのようにして
未熟な巣立鳥たちは、
いろんな経験を
幾度も繰り返しながら、
少しずつ
自らの羽に力を蓄え、
成長を重ねて
やがて、
頼もしい一人前の鳥へと
育っていくのですね。
さて、
来たる五月には
ゴールデンウィーク期間中を含め、
合氣道寺崎道場恒例の
指導者育成練成稽古を
十五日間にわたり行います。
すでに
たくさんのお弟子さんを持ち
立派な指導者となっている
弟子もいれば、
まだまだ、
指導歴一年未満の
若葉マークの指導者もおります。
そして、
これから指導者を目指そうとする
弟子たちも参加いたします。
彼らは皆、
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場の目的である
「人や社会のために役立つ」という、
尊い志を持った弟子たちです。
道の途上で
時に迷い、
立ち止まることもあるでしょう。
そのような時も、
決して急かすことなく
親鳥が
雛の羽ばたきを待つように、
私は静かに
その歩みを見守ります。
弟子たち同士もまた
共に道を歩む道友として、
互いの今の姿を
大切に尊重し合いながら、
同じ場に集い
ともに氣を合わせることで、
それぞれが
自らのペースで、
確かな成長を遂げていくのです。
巣立鳥と同じように、
彼らもまた
道場や日常生活での
たくさんの尊い経験を経て、
やがて立派な指導者として、
「天地の大道」を歩んでいくのですね。
このような
素晴らしい
弟子たちをたくさん持てたこと。
そして
私自身もまた
彼らとともに
投げて、投げられ、
一緒に汗を流しながら
同じ道を歩めることに
心からの感謝を抱いております。
これは
指導者や指導者を目指す者だけでは
ありません。
日々、道場に通う
一般のお弟子さんたちも含めて、
合氣道琴心館寺崎道場に集う
すべての仲間が、
私にとって、
かけがえのない存在です。
合氣道という「道」で結ばれた
この尊いご縁を
何よりも大切にしながら、
これからも
こ素晴らしいお弟子さん方と共に
この道を
歩んでまいりまする。
――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技のみを極めることではありません。
日々の生活に活きる健やかな心身を養い、
社会や周囲の人々の喜びに繋がる生き方を
ともに探究していくことです。
自然の理(ことわり)や、
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
より豊かな生き方、
良好な対人関係の築き方など
現代の暮らしに活かすヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 専門外の学びから氣を読む〜資源エネルギー勉強会と藤の花〜 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】初候
七十二候
第十六候 葭始生【あしはじめてしょうず】
4月20日~24日ごろ。
暖かくなり水辺の葭が芽吹き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 せんもんがい の まなび から き を よむ。しげんえねるぎー べんきょうかい と ふじ の はな 』
先週末は二日間にわたり、
京都にて
勉強会に参加してまいりました。
今回は【資源エネルギー】について、
深く学んでまいりました。
えっ、
「合氣道と何の関係があるの」と、
疑問に思われる方も
少なくないかもしれません。
しかし、
これだけ世界の国々が
資源を巡って、
対立する世の中であります。
合氣道の師範が
ただ、道場で技だけを
指導していれば良いという時代では
もはやなくなっていると、
私は考えております。
もちろん、
これは私個人の考えにすぎません。
ですが、
このような時代だからこそ
専門分野以外のことも、
積極的に学ぶことが大切なのです。
広い視野を持つことによって
何もかもが繋がってきて、
本当の意味での
「相手の氣」を読み取ることができると、
私は、
身をもって実感しております。
こうした感覚は、
ただ言葉を聞くだけでは、
到底、
理解できるものではありませぬ。
あらゆる事象を、
肌で感じ取ることが必要なのです。
さて、
勉強会の合間に、
宇治にある
「平等院」を参拝いたしました。
ここは、
「藤の花」の名所として知られております。
桜が散ると、
藤の季節がやってまいります。
藤の花は、
藤棚や盆栽に美しく仕立てられ、
垂れ下がるように咲き誇ります。
その垂れ下がった花が
まるでお辞儀をして
客を迎えているように見えるため、
「歓迎」という
花言葉がつけられております。
この美しく垂れ下がった姿から
私はふと、
ある合氣道の技が頭に浮かびました。
合氣道には
まさにお辞儀をして
相手を導く技があるのです。
たとえば、
「両肩取り前方投げ(お辞儀)」という技。
相手に
両肩をしっかりと持たせます。
そして
相手の向いている方向に
自らがすっと転換し
一氣に深く、お辞儀をして投げるのです。
臍下の一点に心をしずめ、
頭を深く下げて、礼をするだけ。
それだけで、
相手はふわりと宙に浮くのです。
この技を学ぶことで
相手と決して争わずとも、
自由自在に
お互いを活かし合う
関係性を築けることを実感できます。
「礼」や、「お辞儀」という
日常の所作ひとつが、
そのまま技として活きてくるのです。
専門外の学びも、
一見無関係に思える花々の姿も、
すべては、
私たちの生き方へと繋がっております。
―――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ道場のなかで、
技の形を極めることではありません。
合氣道以外の学びにも、
素直な心で耳を傾け、
自分自身の視野を広げ続けること。
そして、
藤の花が優しく頭を垂れるように、
相手を柔らかく迎え入れる姿勢を
日々の生活のなかで、
実践していくことであります。
自らが深く頭を下げる
そのゆったりとした心の余裕が
対立を生まずに
お互いを活かし合う関係性を
育んでいくと信じております。
自然の理(ことわり)や
日々の学びを通じた氣づきを、
この道場長ブログ
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争いの絶えない現代において
相手の氣を読み、
自由自在に相手を正しい方向へと
導くためのヒントが、
ここにあるかもしれません。
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 命にかかわる日常の「隙」をなくす。心と身体の調和をはかる一挙手一投足 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】初候
七十二候
第十六候 葭始生【あしはじめてしょうず】
4月20日~24日ごろ。
暖かくなり水辺の葭が芽吹き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 いのち に かかわる にちじょう の「すき」を なくす。こころ と からだ の ちょうわ を はかる いっきょしゅいっとうそく 』
道場では
姿勢にしても技にしても、
何事においても
基本を身につけなければならないと、
お弟子さんたちへ
日々、繰り返し指導しております。
稽古に励む
お弟子さんを拝見しておりますと、
ふと、
氣にかかることがございます。
それは
「無駄な動き」が多いことです。
技だけでなく、
何氣ない所作にも
必要以上の動作が見え隠れする。
" それは心身が隙だらけの状態なのであります "
道場での稽古中であれば、
たとえ隙だらけでも
命にかかわるようなことは
ないかもしれません。
しかし、
私たちの真の「本番」は日常なのです。
学校での学びや
友との触れ合い、
職場での責務、
そしてご縁のある方々とのお付き合い。
そうした
日々の営みのなかで
ふと生じた隙は、
時に取り返しのつかない事態を
招くかもしれません。
だからこそ、
日常生活において
どれだけ
隙のない姿勢であらゆる事に当たるか。
それは
身体のありようも
心の在り方も同じです。
大きな事案でも
ささいな出来事でもです。
これは道場に通う人に限らず
誰であれ、
私たちの暮らしにおいても同じことで
ありましょう。
隙がないということは、
決して身構えて
身体をガチガチに
固めることではありません。
一切の力みを手放し、
「正しいリラックス」を心がけるのです。
ゆったりとした
呼吸とともに、
「臍下の一点」に静かに心を鎮める。
そうすることで
自然と無駄のない動きが生まれます。
いかなる事態にも
自由自在に対応できる、
それこそが真に隙のない自然体なのです。
相手と争わず
自然と和合する精神も、
こうした隙のない
自然体から育まれていくのです。
私たちは道場で
日々、それを学んでいるのです。
それを日常生活で
活かすことに
大きな意味と価値があるのです。
――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
単に道場の中だけで
通用する技を練ることではありません。
日常という本番において、
いかなる時も隙のない
自然体でいるための
「心と身体の調和」をはかることです。
一切の力みを手放し、
あらゆる出来事に柔軟に向き合える
健やかな心身の在り方を探究することが、
やがては周囲との和合を生み、
人々の喜びに繋がっていくと信じております。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
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より健やかな生き方、
良好な対人関係の築き方など
現代の暮らしに活かす
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【二十四節氣・穀雨】 天地大自然の一部として生きる 〜葭の力強さと氣のめぐり〜 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】初候
七十二候
第十六候 葭始生【あしはじめてしょうず】
4月20日~24日ごろ。
暖かくなり水辺の葭が芽吹き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【にじゅうしせっき・こくう】 てんちだいしぜん の いちぶ として いきる 〜あし の ちから づよさ と き の めぐり〜 』
春の最後の節氣、
「穀雨(こくう)」を迎えました。
地上に生きるたくさんの命へ、
天からの贈り物である雨が
しっとりと降り注ぐ季節になりました。
春の雨には、
美しい名が数多くあります。
草木を優しく潤す
「甘雨(かんう)」、
穀物を豊かに育む
「瑞雨(ずいう)」、
長く降り続く
「春霖(しゅんりん)」、
花々の開花を促す
催花雨(さいかう)、
そして、
一面に菜の花が咲くころに
しとしとと降る春の長雨を
菜種梅雨(なたねづゆ)と呼ぶのですね。
どの名にも
自然の恵みを敬い、
共に生きてきた
人々の息遣いが感じられます。
「立春」から「清明」へと
至る日々では、
春の風が吹き大地が目覚めました。
また、
虫や鳥が動き出し
すべてが生き生きと輝く季節を経て、
その総仕上げのように、
命の源が
降り注ぐのが今の時期なのですね。
水辺では
葭(あし)が力強く芽吹き始めます。
水面から真っ直ぐに飛び出す若芽、
その鋭い先端はまるで角のようです。
天に向かって、
伸び伸びと
命の「氣」を
発しているようにも見えます。
合氣道におきましても、
木剣を扱う稽古がございます。
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場では、
木刀を「氣刀(きがたな)」、
あるいは「氣形」と捉えます。
葭の若芽が天へ向かうように
木刀の切っ先からも
真っ直ぐで力強い「氣」が、
放たれるのをイメージするのです。
春の雨に打たれ、
すくすくと伸びる葭のたくましさは
天地大自然の
圧倒的な生命力を感じます。
あるがままの自然体で
静かに春の雨音に耳を澄ませて、
天からの恵みの雨に
心からの感謝を捧げる。
そうすることで
私たち自身もまた、
天地大自然の一部なのだと
氣づかされます。
天地大自然と一体となり、
満ち足りたひとときを
日々の暮らしの中で大切にしたいものです。
――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技の形をなぞることではありません。
天地大自然の恵みに感謝し、
春の雨が草木を豊かに育むように
内なる自然と静かに向き合い
心身を養うこと。
天へ真っ直ぐに伸びる葭のごとく、
自らがプラスの氣を発して歩む。
その歩みが
やがて周囲の人々の心をも優しく潤す、
恵みの雨のような
生き方へと繋がっていくと信じております。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
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現代の暮らしに活かせる
健やかな生き方のヒントが
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 人の氣づかないものを見つける力:日常と合氣道の稽古に活きる視点 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
清明【せいめい】末候
七十二候
第十五候 虹始見【にじはじめてあらわる】
4月14日~19日ごろ。
春が深くなるにつれ空氣が潤い、美しい虹がかかるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ひと の きづかない もの を みつける ちから。にちじょう と あいきどう の けいこ に いきる してん 』
ハンガリーの生化学者である
セント・ジェルジ・アルベルトは、
このような言葉を残しています。
「発見とは
人と同じものを見ながら、
人の氣づかないものを
見つけることである。」
木から落ちるリンゴを見て
万有引力の法則を見出した
ニュートンの逸話も、
まさに、これと同じでしょう。
誰もが当たり前のように
見ている現象の中にも、
常識や先入観にとらわれず
視点を変えることで、
世界を変えるような
大きな発見が潜んでいるのですね。
この観点は、
合氣道の稽古にも深く通じています。
道場では、まず師範の私が
お弟子さんの前で
技の見本(型)を見せます。
この時、
ただ全体の型だけを
漫然と眺める弟子と、
一方で
細かな足捌きや手の動き、
そして
師範の呼吸や
臍下の一点の使い方まで
見逃すまいと観察する者とでは、
得られる学びの
深さが全く違ってくるのです。
さらに、
技をかける際に
一人のお弟子さんを前に呼びます。
そのお弟子さんは
実際に師範の手を取り、
肩を掴んだりして技を体感します。
実はこの時、
師範の動きや
氣の方向や強さ等を
一番よく実感できるのは、
手を取ったその弟子自身なのです。
しかし、
ここでも違いが生まれます。
ただ呼ばれたから
前に出て、
手を取り投げられるだけの者と、
触れた瞬間の氣の伝わり方や
呼吸の合わせ方など、
一挙手一投足から
何かを掴み取ろうとする者。
前に呼ばれたら、ただでは帰らない。
一つでも
新たなことを学ぼうと、
学びに
貪欲になる姿勢を持っている者。
そのような
お弟子さんは必ず伸びていきます。
同じ体験をしながらも、
見えている世界はまるで異なるのです。
私はありがたいことに、
自身の師匠である
合氣道琴心館館長・琴地茂先生の受けを
数多く務めさせていただきました。
自ら受けを取らなければ
絶対に見えてこない、
技の深い淵があります。
琴地先生の手を取り、肩に触れ
投げられる中で、
私はその深淵を
全身で学ばせていただきました。
その尊い学びと
氣づきがあったからこそ、
今こうして
合氣道琴心館寺崎道場に集う
お弟子さんを
正しく導くことができるのです。
私たちは日常の中でも、
同じ景色を見ながら、
数多くの大切なものを
見落としているのかもしれません。
ただ周囲と同じように
眺めているだけでは、
真の氣づきは得られないものです。
いつもの見方や先入観を一度手放し、
ほんの少し視点を変えてみる。
その柔軟な見方を持つことこそが、
今まで氣づかなかった
新しい道を開く、
大きな鍵となるはずです。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
――――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技の形をなぞることではありません。
人と同じ景色の中からも、
自ら進んで新たな氣づきを見つけ出そうとする。
その主体的な学びの姿勢を養うことです。
道場で培った「自ら氣づく力」は、
日常のあらゆる場面で道を切り拓く、
確かな指針となってくれるはずです。
自然の理や、
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
現代の暮らしに活かせる
健やかな生き方のヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝