" 朝の氣づき。私たちは繋がっている "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小暑【しょうしょ】初候
七十二候
第三十一候 温風至【あつかぜいたる】
二十四節氣は「夏至」から「小暑」へと移りました。
「温風至」は7月7日~11日ころにあたります。
今年はもう既に猛暑ですが、
暦の上ではその名の通り、氣温が上昇し、
夏の暑さが本格的に感じられるようになる頃です。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あさ の きづ き。わたし たち は つながって いる 』
" 私たちは一人では生きられない "
朝ぼらけに
ふと、こんな思いが胸をよぎりました。
「自分は一体どうやって生きているのだろう?」
日々、
自分のことは自分でこなし、
仕事も「世のため人のため」に役立つよう
一生懸命働いています。
そんな毎日の中で、
まるで自分ひとりで生きているかのように
錯覚してしまう時があります。
しかし、
今日の合氣道の稽古で
これから身につける
この道衣も、袴も、帯も、
これらはすべて私が作ったものでしょうか?
いいえ、決してそうではありません。
私たちが
普段何氣なく身につけている服も、
履いている靴も、
口にする食事も、
そして住んでいる家も、
すべては数え切れないほど
多くの人々の力が結集して成り立っています。
農家の方々が育てた作物があり、
それを加工する人がいて、
運ぶ人がいる。
服を作る人がいて、
それを販売する人がいる。
インフラを整備し、
社会を機能させている多くの人々が存在します。
私たちは、
まさに「繋がっている」のですね。
合氣道の稽古を通じて、
私たちは
常に相手との「繋がり」を意識します。
一人では技は成り立たないし、完結しません。
相手との呼吸、間合い、
そして心の通い合いがあって初めて技は活きます。
これは、
私たちの日常生活にも
通じるのではないでしょうか。
私たちは、
大勢の人々との関わり合いなくしては
生きていけません。
見知らぬ誰かの
労働の上に成り立っている生活があり、
支え合ってこそ社会は機能します。
この事実に
改めて氣づかされる時、
「感謝の念」とともに、
自分もまた誰かの「役に立ちたい」
という氣持ちが湧き上がってきます。
合氣道道場は、
人と人が触れ合い、
互いに学び、支え合う場です。
合氣道を通して、
私たちは「他者への敬意」や
「感謝の氣持ち」を育みます。
そして、
その繋がりの中でこそ、
真に豊かでより良い人生を
送ることができるのでありまする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「平和ボケ」は危機管理の敵? "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小暑【しょうしょ】初候
七十二候
第三十一候 温風至【あつかぜいたる】
二十四節氣は「夏至」から「小暑」へと移りました。
「温風至」は7月7日~11日ころにあたります。
今年はもう既に猛暑ですが、
暦の上ではその名の通り、氣温が上昇し、
夏の暑さが本格的に感じられるようになる頃です。
今日の道場長の一日一心
『 「へいわ ボケ」は ききかんり の てき? 』
" 危機管理能力の欠如に思う
〜「まさか」を「もしも」に変える視点〜 "
合氣道の指導にあたる中で、
お弟子さんたちの成長を日々
僅かながらも感じると同時に、
氣になっていることがあります。
それは、
「危機管理能力の低さ」です。
これは、
稽古への取り組み方や
健康管理、
さらには日々の生活全般にも通じる、
非常に重要なテーマだと感じています。
" 危機管理能力が低い人 " の特徴の一つに、
スケジュール管理の悪さがあります。
前もって計画を立てることが苦手で、
重要な業務や準備を
後回しにする傾向が見られます。
たとえば、
稽古に必要な準備を怠ったり、
体調管理を疎かにしたり。
その結果、
怪我や病で稽古を休むことになってしまう
ケースが後を絶ちません。
これはまさに、
危機管理の三原則の一つといわれる
「未然防止」が
おろそかになっている状態です。
それは、
突発的な事態に直面したときに
大きな問題となるのはもちろん、
日々の小さな不都合や怠りも
積み重なれば、
大きな停滞へとつながります。
" 平和ボケからの脱却を "
この " 危機管理能力の欠如 " は
私たち個人の問題に留まらず、
わが国、日本全体にも
当てはまるように思うのです。
ロシアとウクライナ、
イスラエルとイランの戦争。
これらの紛争を
まるで「よその惑星の話」で
あるかのように、
「日本は平和だ」などと
未だに思っている人が多くいるのでは
ないでしょうか。
しかし、
これは決して他人事ではありません。
日本は
中国、ロシアという核保有国と
北朝鮮のような実質的に核を保有している
国々と海を挟んで隣接しています。
にもかかわらず、
「日本は平和だ」という
思いがあるのはなぜでしょうか?
一つの要因として考えられるのが、
日本の地理的特性だと思います。
日本は島国であり、陸続きの国境がありません。
他のアジアの国々や
中南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東など、
その多くの国々が陸続きの国境を接し、
いつ隣国に " 侵略 " されるかわからない
という危機感を常に抱いています。
だからこそ、
" 自国は自国で守る " という意識、
すなわち「危機管理能力が高い」と
言えるのではないでしょうか。
それに比べて、
私たちは " 海に守られている " という
安心感から、
有事への想像力が
働きにくいのかもしれません。
しかし、
これは非常に危険な考え方です。
「日本は平和だ」という認識は、
近い未来のわが国日本の姿を
見誤る可能性が大いにあります。
島国であるからこその " 安全神話 " は、
「危機管理能力の低下」を招く
一因となっているように思えてなりません。
"「もしも」の視点を持つ大切さ "
今年で「終戦80年」です。
たった80年前まで日本は一度たりとも、
領土を侵略されたことはなかった。
幕末から明治維新にかけて、
日本は " 欧米列強 " の脅威に直面していました。
他のアジアの国々が欧米の植民地となり、
このままでは日本も植民地化される
恐れがあるという危機感から、
明治政府は国の独立を保ち、
欧米諸国と対等な立場になることを
目指しました。
その目標を達成するための
国家的なスローガンとして掲げられたのが
「富国強兵(ふこくきょうへい)」です。
国を豊かにし、
強い軍隊を作り、兵力を増強しました。
それにより
日本は急速な近代化を推し進め、
国際社会での地位向上に大きく貢献しました。
しかし、
「負けた時にどうするか?」
それを考えてはいなかったのです。
終戦80年という節目の年に、
私たちは今一度、過去の歴史から
学び直し、
これからの日本を子々孫々に
どう引き継いでいくのか?
それを一人ひとりが
真剣に考えなくてはなりません。
合氣道の稽古では、
予期せぬ動きに対応する
受け身の技術や、
常に相手の動きを予測し、
状況判断をする力を養います。
これはまさに、
「もしも」の事態に備え、
「早期対応」し、
「再発防止」へと繋げる
危機管理の三原則に通じるものです。
私たちが日々の生活や、
そして国家レベルで、
この「もしも」の視点を持つこと。
それが、
本当の意味での「未然防止」に
つながるのではないでしょうか。
合氣道の稽古を通じて、
心身を鍛えるだけでなく、
この「危機管理能力」を高めていくことこそが、
現代に生きる私たちにとって、
そして未来の日本にとって、
非常に大切なことではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 審査後が本番だ ! 君たちの真価はここから "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いいたします。
本日は、二十四節氣
小暑【しょうしょ】初候
七十二候
第三十一候 温風至【あつかぜいたる】
[七月七日~十一日頃]
二十四節氣は「夏至」から「小暑」へと移りました。「温風至」は7月7日~11日ころにあたります。
今年はもう既に猛暑ですが、暦の上ではその名の通り、氣温が上昇し、夏の暑さが本格的に感じられるようになる頃です。
今日の道場長の一日一心
『 しんさ ご が ほんばん だ ! きみ たち の しんか は ここ から 』
" 昇級審査、その先に問われる真の姿 "
6月29日に実施しました
令和7年 前期 昇級審査の合格発表を
本日、合氣道琴心館寺崎道場サイトにて、
行います。
ここ で発表しています。
先週の日曜日に行われた審査から、
あっという間に1週間が経ちましたね。
厳正な審査を経て、
合否の判断は審査日から
わずか2日後には決定していました。
では、
なぜ今日の発表になったのか?
その理由はただ一つ、
受験者一人ひとりの「心の姿勢」を
審査後まで見極めたかったからです。
" 審査後も変わらぬ熱意、真の成長を見せた門人たち "
今回の昇級審査を経て、
多くの受験者が氣を緩め、稽古を休んでしまう中、
3名だけが、審査後も何ら変わることなく
道場に足を運び、
熱心に稽古に打ち込んでいました。
彼らこそ、
まさに今回の昇級審査で
最も大きく「成長」した門人たちであると
私は断言します。
「氣が出ている」、「心が強い」とは
まさに彼らのことを指すのです。
合否という表面的な部分だけでなく、
合氣道を「道」と捉え、
ひたむきに精進し続けるその「心」に、
私は魂から
「良くやった、おめでとう!」と
伝えたい氣持ちでいっぱいです。
この中学生、高校生の若き3名が示した
「心の姿勢」こそが、
真の「強」さであり、
合氣道琴心館寺崎道場が目指す
人間形成の姿なのです。
彼らの揺るぎない探求心は、
きっと今後の道場を牽引していく
大きな力となるでしょう。
審査日までは高い意欲を持って
道場に通い詰めていた受験生たちの多くが、
審査が終わった途端に
「氣」が抜けてしまったように感じられます。
これは
道場長として非常に残念でなりません。
いかなる理由であれ、
稽古を休むという選択は、
あなたの「氣が抜けている」証拠に
他なりません。
いいですか?
もう一度、言います。
「いかなる理由」があっても
稽古を休むという選択は、
あなたの「氣が抜けている」のです。
これは今回の受験生に限らず、
合氣道琴心館寺崎道場の
全門人に向けた厳しい問いかけなのです。
中には、次回の昇級を
見送らざるを得ないと判断した門人もいます。
それは、
単に技の習熟度だけでなく、
日々の稽古への向き合い方、
そして「心の姿勢」が大きく影響しています。
" 合格のその先に広がる「歴然とした差」"
たとえ同じ「合格」という結果を
手にしたところで、
その先に生まれる差は歴然です。
休まず稽古に通い、
昇級審査後も基準となる技を
" 一度でも多く反復した者 " と、
" そうでない者 " 。
この両者の間には、
今は目には見えなくても
この先、確かな「成長の差」が生まれます。
それは、
合氣道の技が上達するという
見た目だけの表面的な違いに留まりません。
日々の鍛錬を通じて培われる
「精神的な強さ」や、
困難に打ち勝つ「忍耐力」、
そして明確な目標に向かって
「弛まず努力する」姿勢。
これらは、
合氣道が単なる武道ではなく、
「人」を育む「道」である所以であると
僭越ながら私は思います。
" 審査後こそ問われる「心の真価」"
昇級審査という区切りを迎え、
今この瞬間から、あなたの心の持ちようが
今後の成長を大きく左右します。
合氣道は、
一時的な成果を追い求めるものではありません。
日々の地道な稽古を通して、
心と身体を磨き続ける「道」なのです。
昇級審査は、
あくまでもあなたの成長を測る
「単なる通過点」に過ぎません。
真の成長は、
その後の「地道な積み重ね」と
「自己修練」、「 内面的な向上」に
よってこそ、揺るぎないものになるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 終を慎むこと始の如く "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
夏至【げし】末候
七十二候
第三十候 半夏生【はんげしょうず】
「夏至」は末候へと移りました。「半夏生」は7月1日~6日ころにあたります。
「半夏(はんげ)」という薬草が生え始める頃のことで、この頃までに田植えを終える目安とされてきました。
今日の道場長の一日一心
『 おわ り を つつし む こと はじ め の ごと く 』
" 終わりを「慎む」ことが、成功への道を開く "
合氣道師範として、
日々の生活、生き方、
稽古や道場運営に携わる中で、
また、
時に " 氣の抜けた弟子 " の
立ち居振る舞いや言動に触れるたびに、
いつも心に留めている言葉があります。
それは、
老子のこの言葉です。
「終を慎むこと始の如くなれば、事を敗ることなし」。
おわりをつつしむことはじめのごとくなれば、ことをやぶることなし。
物事の終わりを、
まるで始めたばかりのように
細心の注意を払って行うなら、
まず失敗することはない、という意味です。
この言葉は、
私たちの日常や仕事にも
深く通じることではないでしょうか。
嫌々、始めることは論外ですが、
自分の意思で、何かを始める時、
私たちは皆、誰もが
良い緊張感と情熱に満ち溢れています。
新しい挑戦への期待や成功への強い意志。
しかし、
時間が経つにつれ、
その熱意は徐々に薄れ、
慣れからくる油断や疲労によって、
つい氣が緩んでしまう。
老子は、
「人のすることを見ていると、とかく完成間近になって失敗することが多い。
終わりを心を引き締めてすること始めのようであるなら、失敗で終わることはない」と、
戒めています。
本当にその通りで、
私たちは、
九分九厘まで
成功や完成に近づきながらも、
最後の肝心な局面で
「終わりを慎むこと」ができずに、
すべてを台無しにしてしまう経験が
少なからずあるのではないでしょうか。
始めた物事が軌道に乗り、
" あと一歩 " というところで氣を緩め、
そのままフェードアウトしてしまう。
それは、
これまでの努力を自ら、壊し、
手放してしまうようなものです。
"「終わり」を大切にするための心構え "
では、
この「終わりを慎む」という教えを、
私たちはどのように
実践していけば良いのでしょうか。
* 初心を忘れない
始めたときの情熱や目標を常に意識し、
振り返る時間を持つことが大切です。
* 集中力を維持する
終わりが近づくほど、
細部への注意を払い、
集中力を高める努力が必要です。
* 「氣」を切らない
いつも「氣が出ている」から
次のステップにもスムーズに進めます。
* 手放す勇氣を持つ
状況に応じて、
不必要なものや関係性から
決別する決断も一つの「終わりを慎む」
行為であると思います。
合氣道の稽古においても、
この「終わりを慎む」という
意識は非常に重要です。
たとえば、
一つの技を習得する際、
最初は基本動作を丁寧に学びます。
そして、
技の形が整ってきた時こそ、
最後の極めや残心(技の後の心構え)まで
氣を抜かずに集中する。
それを繰り返し稽古することが、
真の習得に繋がります。
あなたの現在進行中の
「九分九厘」のプロジェクト、
今一度、「終わり」を意識して
取り組み直してみませんか?
一度きりのあなただけの人生です。
最後まで精一杯やり遂げましょう。
今週もありがとうございました。
よい週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 心の目、開いていますか? "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
夏至【げし】末候
七十二候
第三十候 半夏生【はんげしょうず】
「夏至」は末候へと移りました。「半夏生」は7月1日~6日ころにあたります。
「半夏(はんげ)」という薬草が生え始める頃のことで、この頃までに田植えを終える目安とされてきました。
今日の道場長の一日一心
『 こころ の め、あいて いますか? 』
" 見えるものの、その奥に "
私は、日々の稽古や生活の中で、
常に「目に見えるもの」の奥にある
「目に見えないもの」を感じ取るよう努めています。
私たちが認識する事実は、
具体的な現象や出来事として目に映るものです。
しかし、
その目に見える事実の底には、
常に「真理」が潜んでいます。
それはまるで、
湖面に映る景色が、
どんな花も咲いては散るように、
その湖の深奥にある
「すべては移ろいゆく」という
「真理」や、
" 自分 " というものは、
常に「変化し続けるものであり、決して一つにとどまらない」
という「真理」を映し出しているかのようです。
つまり、
この世のあらゆる「目に見える現象」は、
すべて「目に見えない真理の表れ」であると
私は思うのです。
" 言葉の奥に隠された真理 "
それは、
人との対話においても同様に重要です。
私たちは日頃、
家族であったり、友人であったり、
様々な人と話し、
様々な人の言葉を耳にします。
その言葉の
「表面的な意味」だけを捉えるのではなく、
その言葉の奥底に
どのような「真理が隠されている」のか、
それを「感じ取る力」が重要です。
これはまさに「心の鍛錬」です。
この鍛錬が不足している人は、
うわべの言葉だけを鵜呑みにしてしまい、
それ以上に深く考えようとしません。
結果として、
自分の都合の良いように、
あるいは傲慢に物事を解釈してしまいます。
それは残念ながら、
身体は大人になっても、
" 中身は低学年の子どものように幼いまま "
であるかのように映ります。
そういう人、みなさんの周りにも
たくさんいるのではないでしょうか。
この「心の鍛錬」こそが、
人間としての成長に不可欠であると
私は思うのです。
" 心を鍛える日々 "
いつも言っていることですが、
合氣道琴心館寺崎道場の稽古は、
単に技を磨く場ではありません。
相手の心の動き、呼吸、
そしてその奥底にある意図を深く読み取ることで、
私たちは
目に見えない真理を感じ取る力を養います。
これは、
日常生活における「人間関係」や、
様々な問題に対する「洞察力」にも繋がります。
目に見える事実の奥底にある真理を見抜く力。
それは、
日々の「稽古」と「心の鍛錬」によってのみ
培われるものです。
私たち
合氣道琴心館寺崎道場の修行者は、
この真理を探求する姿勢を
常に持ち続けることで、
心の目を開化させ、
人として成長し、
真に豊かな人生を送ることができるのだ、と
私は深く魂から信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝