" 江戸の面影を歩く坂道巡り。東京北区「権現坂」"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
白露【はくろ】初候
第四十三候 草露白【くさのつゆしろし】
九月七日~十一日ごろ。
草に降りた露が、朝の光に白く輝いて見えるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 えど の おもかげ を あるく さかみち めぐり。とうきょう きたく「ごんげんざか」 』
今年の夏も
恒例の東京出張へ赴きました。
その折に、
合氣道琴心館寺崎道場内の
もう一つの会である
「江戸の坂道巡り同好会」の活動として、
いくつかの
江戸時代から続く由緒ある坂道を
巡ってまいりました。
この同好会の坂道記事は、
4月9日の「根津裏門坂」のご紹介以来となります。
実は、
その根津裏門坂巡りをきっかけに
新たに仲間が一人増えまして、
現在、
同好会のメンバーは3人となり、
和やかに活動を続けております。
今回の東京出張で歩いた
坂道の一つが、
東京都北区にある
「権現坂(ごんげんざか)」です。
この坂道は、
東京十社めぐりで有名な
「王子神社」のすぐ脇に位置しています。
古くは、
この王子神社が「王子権現」と
呼ばれていたことから、
そのまま
坂の名前として名付けられたそうです。
すぐそばを流れる
石神井川 (しゃくじいがわ) の渓流や緑とともに、
江戸の町民たちにとっても、
信仰と行楽を兼ねて多くの人々が行き交った、
大変賑やかな場所だったと伝えられています。
実際にその地を歩いてみますと、
現在の「権現坂」は
お店やマンションが立ち並び、
駅を行き交う人々で溢れる
すっかり現代の風景となっておりました。
しかし、
坂の緩やかな傾斜や
王子神社の木々を仰ぎ見る佇まいの中に、
かつて将軍や庶民たちが
同じように歩いた、
往時の面影が
確かに息づいているように感じます。
賑やかな日常の景色の中に
かつての江戸の面影を探すこと。
アスファルトの下に眠る
古い土の道に思いをはせながら、
ゆっくりと
古(いにしえ)を歩くひとときは、
私にとってかけがえのない時間です。
何百年も前に
この坂を行き交った人々の息遣いが、
時を超えて、
ふと風に乗って運ばれてくるような
不思議な感覚を覚えます。
私たちの江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
↓↓↓
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合氣道琴心館寺崎道場が大切にしているのは、
目に見える現代の景色だけでなく、
その土地に刻まれた歴史に思いをはせ、
古の知恵から
心と身体の調和をともに探究していくことです。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
周囲の人の心に灯火を灯すような、
穏やかに生きる
ヒントがここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 菊の香りに無病息災を祈る。9月9日「重陽の節句」"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
白露【はくろ】初候
第四十三候 草露白【くさのつゆしろし】
九月七日~十一日ごろ。
草に降りた露が、朝の光に白く輝いて見えるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 きく の かおり に むびょうそくさい を いのる。くがつ ここのか「ちょうよう の せっく」 』
気象台は
本日、午前3時13分に
レベル3土砂災害警報を神戸市に発表しました。
さらに昼過ぎにかけて、
線状降水帯が発生する
可能性があるとのことです。
合氣道琴心館寺崎道場においては
取り決め通り、
稽古時間の2時間前
(本日、9月9日 水曜稽古は16:30)に
警報が発令中の場合、お稽古はお休みとします。
さて、
本日9月9日は、
「重陽(ちょうよう)の節句」です。
古来より、
奇数は縁起の良い
「陽」の数字とされており、
一番大きな奇数である
「九」が重なるこの日は、
大変おめでたい日とされてきました。
また同時に、
邪気を払う日でもあったと言われています。
この時期に美しく咲く菊の花を飾り、
菊の香りを移したお酒を飲んで、
無病息災を願う風習があります。
現代を生きる私たちは、
日々慌ただしく動き回り、
無意識のうちに
氣を消耗してしまうことがあります。
そのような時こそ
静かに座り、
ゆったりとした
「深い呼吸法」を行うことで
消耗した氣を補給し、
自らの内側を静かに見つめ直す。
その正しい
リラックスの時間が、
心身の乱れと
自律神経を整えてくれます。
季節の変わり目であるこの時期、
先人たちの知恵に倣い、
自分自身の心と身体を
優しく労わる一日にしたいものです。
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合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
古くからの季節の節目を重んじ、
自然の理に寄り添って
心と身体の調和をはかるあり方を
共に探究していくことです。
日々の生活に活きる氣づきを
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健やかに日常を生きるヒントが
ここにあるかもしれません。
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 江戸の怪異。「置いてきぼり」の語源と本所七不思議のミステリー "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
白露【はくろ】初候
第四十三候 草露白【くさのつゆしろし】
九月七日~十一日ごろ。
草に降りた露が、朝の光に白く輝いて見えるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 えど の かいい。「おいてきぼり」の ごげん と ほんじょななふしぎ の みすてりー 』
今年の夏も
お盆の期間に約2週間、
恒例となっている
東京、神奈川への出張へ赴き、
関東のお弟子さんたちの指導にあたりました。
今年は神奈川では茅ヶ崎に
東京では豊島区と港区に宿泊しました。
昨年の同じ時期の
東京出張では両国に宿泊いたしました。
墨田区の下町情緒あふれる
江戸を感じる街並み。
夜になれば涼しい風が吹く
隅田川沿いを歩くのが私は大好きです。
ある日、両国の街を
のんびりと散策して歩いていた時のこと。
ふと、
日大一中・高の校門のすぐ隣に
妙な看板が建っているのを見つけました。
「本所七不思議 両国物語 置いてけ堀・御竹蔵跡」
そう書かれたその看板には
少し薄氣味の悪い、
幽霊のような絵が描かれていました。
その「御竹蔵(おたけぐら)」とは、
江戸時代に
幕府が竹や木材などの資材を保管していた
倉庫があった場所のことらしいです。
まさに看板が建っているこの辺りに、
その大きな御竹蔵があったということですね。
そして、
その御竹蔵の周囲に
ぐるりと巡らされていたお堀が、
この「置いてけ堀」の
舞台になったと伝えられています。
「本所七不思議(ほんじょななふしぎ)」とは、
江戸時代から
墨田区の本所地域に伝わる
七つの奇妙な怪談話のことらしいです。
その中でも有名なのが、
「置いてけ堀」。
夕暮れ時、
よく釣れるお堀で
魚を獲って帰ろうとすると、
水の中から
「置いてけ〜、置いてけ〜」と、
得体の知れない恐ろしい声が
どこからともなく響いてくるらしいです。
恐ろしくなって逃げ帰り
魚籠(びく)を見ると、
釣ったはずの魚がすべて消えているのだとか。
※魚籠(びく)とは、魚を入れるカゴのこと。
すぐ近くには
区立両国中学校や両国国技館をはじめ、
今年新たにリニューアルされた
江戸東京博物館や緑豊かな旧安田庭園、
そして車の行き交う
清澄(きよすみ)通りなどがある、
賑やかな東京都心の街中なのに…
このような江戸の怪異が、
今もひっそりと息づいていることに
私はなんとも言えない
不思議な感覚を覚えます。
さらに今年の夏も、
亀戸天神社へ参拝に行った際、
錦糸町駅からほど近い公園にも
この「置いてけ堀」に
ちなんだ河童の像がありました。
高層ビルが立ち並ぶ
大都会の片隅で、
江戸の怪談の記憶が
今もこの地を見つめているのですね。
私たちが日常で何氣なく使う、
人を置き去りにする
「置いてきぼり」という言葉。
実は、
この「置いてけ堀」の伝説が
語源になって生まれた言葉らしいです。
お堀から逃げる際に、
恐怖のあまり
仲間を置いて逃げてしまったことから。
あるいは、
「置いてけ〜」と
地の底から迫られる怪異そのものから。
いつしか言葉の形を変え、
現代の私たちの日常会話に
すっかり溶け込んでいます。
何百年も前の
姿形もない恐ろしい
江戸の怪異の記憶が、
言葉という形に姿を変えて
現代を生きる私たちの口から
無意識に発せられている。
そう思うと、
背筋が少し涼しくなるような
深いミステリーを感じずにはいられません。
東京という街は
近代的な風景のすぐ裏側に
こうした不思議な
歴史の残り香が潜んでいる場所が
多いように思います。
それもまた、
私にとっては「江戸」を感じる
大きな魅力の一つです。
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合氣道琴心館寺崎道場は
ただ技だけをなぞる道場ではありません。
私たちが大切にしているのは、
目に見える現代の景色だけでなく、
その土地に刻まれた
見えない歴史や不思議に心を寄せ、
物事の奥深さを共に探究していくことです。
自然の理(ことわり)や
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 秋の足音と「露けし」の風情 "
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第四十三候 草露白【くさのつゆしろし】
九月七日~十一日ごろ。
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今日の " 道場長の一日一心 "
『 あき の あしおと と「つゆけし」の ふぜい 』
処暑の時期が過ぎ去り、
暦の上では「白露」を迎えました。
また、七十二候も
「草露白(くさのつゆしろし)」へと
季節は進みます。
日が落ちて
夜が深まるにつれ、
ひんやりとした
空氣が辺りを包み込みます。
昔の人々は
このように水氣を含んで
しっとりとした夜の情景を
「露けし」と呼んで、
風雅に味わっていたらしいです。
まとわりつくような暑さも
ようやく和らぎ、
少しずつ、
秋の足音が近づいてくるのを
感じる季節となりました。
私自身も
朝の6時前くらいに外へ出ると、
近くに生えている草の葉に
朝露が結ばれているのを
見かけることがあります。
夜明け前の
静寂に包まれた時間、
草の葉の先に
まあるい水滴が、
今にもこぼれ落ちそうなほど、
たっぷりと結ばれている姿。
それは
人通りも少ない暗闇の中で
冷え込んだ空氣と
静けさが織りなした
天地大自然からの美しい贈り物です。
私たちの日々の行いも
これと同じかもしれませんね。
人知れず
見えないところで
淡々と静かに積み重ねた行いが、
やがて美しい露のように結実し
周囲の人の心に灯火を灯す光となります。
季節の移り変わりは
肌に触れる空氣の冷たさとして
静かに訪れます。
私たちも
日常のわずかな変化を見落とさず、
ゆったりとした
深い呼吸とともに、
心静かに
秋の訪れを受け入れたいものです。
―――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
他者にすがらず
見えないところで静かに自らを磨き、
季節の移ろいのように
自然の理と調和する生き方を
共に探究していくことです。
日々の生活に活きる氣づきを
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 荒れ狂う野分の中へ。心の中心にピーカンの青空を "
今朝も目覚めることができた。
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処暑【しょしょ】末候
第四十二候 禾乃登【こくものすなわちみのる】
九月二日~六日ごろ。
稲などの穀物が、ふっくらと実り始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あれくるう のわき の なか へ。こころ の ちゅうしん に ぴーかん の あおぞら を 』
先日、
「野分(のわき)」について
書かれた文章を目にしました。
台風のことを
昔は「野分」と呼んでいたそうです。
現代の私たちは「台風」と聞くと、
建物を壊すほどの被害や
恐ろしさばかりを
真っ先に思い浮かべてしまいます。
しかし昔の人々は、
秋の野原の草を
強く吹き分けていくこの風に、
恐れの中にも
どこか風雅な趣や、
季節の深い情緒を感じ取っていたらしいです。
自然の猛威すらも
味わいとして受け入れる。
昔の人の感性は
とても豊かなものですね。
その文章の中で
著者はご自身が
台風の目に入った時のことを
空は曇っていたと綴られておりました。
それを読み、
はるか昔の記憶がよみがえりました。
私が合氣道の道を歩む
ずーっと、ずーっと、前の若かりしころ。
波乗りの趣味が高じて、
高知県でサーファー向けの民宿を
営んでいた時期がございます。
高知は年間を通じて
よく台風が通過し上陸する土地です。
ある日、
建物が倒壊するのではないかと思うほどの、
猛烈な台風の直撃を受けました。
すさまじい
暴風雨が吹き荒れる中、
ちょうど
この地の上空を
台風の中心が進んできた時のことです。
それまでの轟音が
ピタリと止み、
風一つない
静けさに包まれました。
見上げれば
雲一つない
ピーカンの晴天が広がっていました。
ウソのように
静まり返った青い空。
その時間は
30分ほど続いたと記憶しています。
それが
私の経験した「台風の目の中」です。
その後、
再び猛烈な吹き返しにあい、
台風が通り過ぎた翌朝には、
向かいのお宅の軽四が、
ひっくり返っているほどの凄まじい惨状でした。
昔の人々が
荒々しい野分の中にも情緒を見出したように、
どれほど外側が荒れ狂っていても
自然には必ず、
風一つない青空が広がる
絶対的な静寂の中心があります。
これは私たちの
心のあり方にも通じるものがあります。
日々の生活の中で
嵐のような艱難辛苦に見舞われた時、
外部の強風に巻き込まれて
右往左往するのではなく、
自らの
「臍下の一点(せいかのいってん)」に
心を静め、
深く、ゆったりとした呼吸とともに
心の中に台風の目のような静寂を保つこと。
中心さえ
ブレることなく静まっていれば、
どのような嵐の中でも
物事をありのままに見つめることができますね。
自分への戒めです。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
―――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技だけを習得する場ではありません。
私たちが大切にしているのは、
外側の嵐に飲み込まれず
自らの中心にブレない軸を保ち、
心と身体の調和をはかるあり方を
共に探究していくことです。
日々の生活に活きる氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
人生の荒波にも
心穏やかに過ごすヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝