" 【啐啄同時】反復稽古が引き出す弟子の成長と、指導者冥利に尽きる喜び "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏【りっか】初候
七十二候
第十九候 蛙始鳴【かわずはじめてなく】
5月5日~9日ごろ。
冬眠から目覚めた蛙が元氣に鳴き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【そったくどうじ】はんぷくけいこ が ひきだす でし の せいちょう と、しどうしゃ みょうり に つきる よろこび 』
昨日のブログでも少し触れました、
(※一つ前のエントリーはコチラから)
4月29日に開催された
兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会のことです。
この大会に向けて
3月からの2ヶ月間、
演武する技を繰り返し、繰り返し、
お稽古いたしました。
同じことを反復して練習する。
これにより、
子どもから大人までお弟子さんの技は、
驚くほど大きく進歩したのです。
そして、
技だけではありません。
礼の仕方。
真っ直ぐな姿勢。
道場での立ち居振る舞いや、
美しい所作。
これらも
見違えるほど向上いたしました。
一つの動作を丁寧に繰り返すこと。
それは心と身体を一つに結び、
自己と静かに向き合う
尊い時間でもあるのです。
現代の慌ただしい日常生活では、
つい結果ばかりを求めてしまいがちです。
しかし、
同じことを淡々と繰り返す
その過程にこそ
本当に大切なものが宿ります。
焦らず、
一つひとつの動作を味わうように生きる。
そのていねいな
積み重ねの先に、
確かな変化が見えてまいります。
昨年まで
できなかったことができるようになる。
人が進歩向上するとは
まさに、こういうことなのでしょう。
私自身も
今回の演武大会におきまして、
指導部演武という
大役がございました。
回を重ねるうちに
次第と臍下の一点に心が静まり、
落ち着いて
演武ができるようになりました。
これは、ほんの僅かであっても
少しは成長した
ということなのでしょう。
その事実は素直に認めつつ、
でも、それ以上に
やはり、
お弟子さんの成長のほうが
比べものにならないほど嬉しいのです。
演武大会が、
無事に終わった後のことです。
私が合氣道琴心館(きんしんかん)の
門を叩いた時には
すでに、ご自身の道場を主宰され、
長年にわたり立派に後進を
導いてこられた、
兵庫県合氣道連盟の
大変尊敬申し上げる大先輩の先生から
お声がけをいただきました。
「寺崎先生、ちょっとこれ見てくれへん。
率直にどう思う?」
見せてくださったのは、
その先生の道場の中学生のお弟子さんが
演武している動画でした。
私は動画を拝見し、
率直にこうお答えいたしました。
「一つの技の後に道着を触る癖が
あるようですが、中学生らしい伸び伸びと
溌剌とした演武ですね」
すると、大先輩は
とても嬉しそうに目を細められました。
「そうやろ、この子な、よう練習した子やねん」
そのお言葉を伺い、
私は深く共感いたしました。
僭越ですが、
やはり指導者というものは皆、同じなのだと。
目の前のお弟子さんを
少しでもあらゆることにおいて、
進歩向上させてあげたい。
この思い一心で
日々真剣に
向き合っている指導者ならば、
誰もが皆、
自分自身の成長よりも
お弟子さんの成長が
何よりも嬉しいものなのです。
できなかったことが、
できるようになった瞬間の
晴れやかな表情。
背筋がすっと伸び、
迷いなく動く姿。
その過程を
一番近くで、見守ることができる。
これほどの喜びは
他にはございませぬ。
私がいかに未熟者であろうと
お弟子さんたちの日々の歩みが、
私の心に温かい感動を
もたらしてくださるのです。
本当に喜ばしく、
ありがたいことでございます。
だからこそ、
お弟子さんの皆さんご自身で
静かに自分の心に問いかけてみて
いただきたいのです。
この2ヶ月間で身につけたことを
今後、どうしていくか。
それが何よりも大事なのです。
演武大会が終わってからも
歩みを止めず、道場に通い、
変わらず、
いや、これまで以上に
氣を出し、
もっと成長しようと探究する者。
一方で、
せっかく身につけた
技や美しい所作も、
忘れ去ってしまったかのように
ただ、流されるままに、
なぞるだけのお稽古をする者。
両者の間には、
この先の未来に
とても大きな差が生まれます。
ご自身の進歩を、
ここで止めてしまうのか。
それとも、
今以上に高め深めていくのか。
君は、どちらですか?
――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技を極めることではありません。
日々の反復稽古で培った
感覚を日常のあらゆる場面に活かし、
現状に満足することなく、
自らをより高め深めようとする
姿勢を持ち続けることです。
そうした地道な歩みの中で
他者と敬い合い、
ともに進歩向上し合える
和合の道を探求していくことです。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
より健やかな生き方、
良好な対人関係の築き方など
現代の暮らしに活かすヒントが、
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
良い週末を。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【兵庫県合氣道連盟 演武大会】「紺屋の白袴」で駆け抜けた日々。伝統の復活と次なる始動 "
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第十九候 蛙始鳴【かわずはじめてなく】
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今日の " 道場長の一日一心 "
『 【ひょうごけんあいきどうれんめい えんぶたいかい】「こうや の しろばかま」で かけぬけた ひび。でんとう の ふっかつ と つぎなる しどう 』
ゴールデンウィークの連休中、
ブログの更新をお休みしておりました。
再開にあたり
書きたいことは山ほどございますが、
まずは4月29日に開催されました
「第27回兵庫県合氣道連盟 合氣道演武大会」のことについて、
お話ししたいと思います。
私にとって、
今年の演武大会は
準備期間から
大会が終わるまでの数カ月間、
とにかく頭を休みなく、
フル回転させた日々でございました。
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場からも
子どもたちから大人まで、
たくさんのお弟子さんたちが参加いたしました。
3月から2ヶ月間、
皆、この大会に向けて
真摯に稽古を重ねてまいりました。
指導において
当道場を取り仕切る私のするべきことは、
各道場や教室の
誰と誰を組ませるか
どのような技を行うかを見極めることです。
その次に
身体にその技を染み込ませること。
ある程度
それができるようになれば、
技の終わりや受身の後の姿勢や静止。
そして、
礼などの立ち居振る舞い。
演武大会が数日後に迫るなか
突如として、
あらゆる理由で
出場できなくなる人も出てまいりました。
この空いた穴を誰が埋めるのか。
当日の体調不良等、
欠席者にはどう備えるのか。
大会が始まる数時間前まで、
考えを巡らせておりました。
2ヶ月間にも及ぶ稽古において、
出場するお弟子さん一人ひとりに
少しでも進歩、向上していただきたい。
その思いで臨んでおりましたが、
私自身も指導部演武という
とても重大な役割がございます。
しかし、
「紺屋の白袴 (こうやのしろばかま)」とは
よく言ったもので、
自分自身の稽古をする時間など、
皆目見当たりませんでした。
氣がかりは、
それだけではございませんでした。
先のコロナ禍によって、
5年もの間、
開催されなかったこの演武大会。
一昨年に一度復活したものの
昨年は諸事情により、
無念の延期となっておりました。
このままでは、
兵庫県合氣道連盟の演武大会が、
永久になくなってしまうかもしれない。
そのような危機感すらありました。
そこで、
兵庫県合氣道連盟に所属する
指導者たちが集い、
役員会議を開き
和合の精神をもって議論を重ねました。
会場確保から、
企画、進行、役割分担と、
あらゆることを進めていったのです。
正直なところ、
大会終了時には
どっと、それまでの疲れが噴き出しました。
脳が「休ませてほしい」と、
訴えかけておりました。
2ヶ月間、いや、2年間、
フルに酷使した
頭を休めてあげようと思いました。
しかし、演武大会終了後も
関東から8名のお弟子さんが、
寺崎道場恒例の
GW期間中を含め、2週間にわたる
指導者育成練成稽古に訪れておりました。
翌30日、
1日だけ完全な休日をお許しいただき、
近くのスーパー銭湯で、
岩盤浴と温泉に丸一日つかりました。
張り詰めた氣を解き放ち、
心身を深く休ませていただきました。
僭越ではありますが、
私にとって
2年間にも及ぶ様々な思いが詰まった
第27回の兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会。
終わりはいたしましたが、
来年へ向けて、
反省点や課題は山積みです。
その鮮明な記憶が残っているうちに
それらをすべて漏れなく書き留めたのち、
私の頭の中から、
第27回大会のすべてのデータを、
静かに削除いたしました。
過去への執着を手放し
臍下の一点に心を静め、
2年間の思いの全部を
静かに吐き出し、
今ここから、
また新たな呼吸を始めるためです。
すでに、
来年へ向けての歩みは始まっております。
最後に、
早朝から会場に駆けつけ
設営作業を手伝ってくださった皆様、
当日、寒い中、
受付をしてくださった方々、
合氣道琴心館寺崎道場の
中学生以上のお弟子さんたち、
そして、共に汗を流してくださった
親御さんたちへ。
休日の貴重なお時間であったはずです。
それにも関わらず、
子どもたちを陰から見守るだけでなく、
率先して重い畳やテーブルを運び、
場を整えてくださるお姿がありました。
皆様のその無償の支えと
温かなお力添えがなければ、
この大会が無事に
幕を開けることはございませんでした。
その美しい在り方に、
魂から深く感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技の形を追うことではありません。
一度途絶えかけたものを
再び紡ぎ出すためには、
個人の力だけでは到底及びません。
困難な壁に直面したときこそ、
「正しいリラックス」を保ち
他者と氣を合わせる。
そして
ひとつの大きな事を成し終えたなら、
そこにとどまらず
執着を手放して心を静かに空にする。
そうした淀みない氣の巡りこそが
日々の生活をより豊かにし、
次なる新たなスタートへの
原動力となるのだと、
今回の大会を経て改めて感じております。
一つの終わりを、
次なる始まりへと結んでゆく。
そのような淀みなき生き方を、
皆様とともに探究していくことです。
自然の理 (ことわり) や
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
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健やかな日々を送るためのヒントが、
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 大舞台で問われる臍下の一点。兵庫県合氣道連盟 演武大会が教えてくれること "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】次候
七十二候
第十七候 霜止出苗【しもやんでなえいずる】
4月25日~29日ごろ。
春の暖かな陽氣によって、ようやく霜が降りなくなり、稲の苗が健やかに育ち始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 おおぶたい で とわれる せいかのいってん。ひょうごけん あいきどう れんめい えんぶ たいかい が おしえて くれる こと 』
いよいよ明日(※28日執筆)、
4月29日の昭和の日は
13時30分より
明石市立中崎公会堂にて、
第27回 兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会が開催されます。
私が主宰を務める、
合氣道琴心館寺崎道場が所属する
兵庫県合氣道連盟の
合氣道には、
試合という概念がありません。
年に一度の
この合氣道演武大会は
勝敗や優劣を競う場ではなく、
自身の 心身統一の深浅 を知ることを
大きな目的としております。
この晴れの舞台に向けて
当道場におきましても
三月頃から約二ヶ月間にわたり、
二人組で披露する
技の研鑽(けんさん)を重ねてまいりました。
その間、
熱心に稽古に向き合ったお弟子さんは
当然のことながら、
技の熟練度も深まってまいります。
普段、通い慣れた
いつもの道場での稽古であれば、
泰然として、
投げも受けも
こなすことができるでしょう。
しかし、
この兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会は、
兵庫県全域の
数多の道場や教室から
幼児を含む
高齢者まで大勢の方が参加されます。
来賓の方々や大会役員、
出場者やそのご家族なども合わせますと
数百人が
一堂に会する大舞台となります。
当然、
普段の慣れ親しんだ道場とは
集う人も、景色も、空氣も
全く異なります。
そのような
独特の緊張感の中に身を置いても、
普段通りの
静かな心の状態で
演武を完遂することができるかどうか。
そこが問われるのです。
兵庫県合氣道連盟の
合氣道の目的は
いついかなる状況下においても
臍下の一点に心を静め、
心身を統一して
落ち着きを深めること。
もし、
大会本番の空氣に呑まれ
普段通りの心の静寂を
保つことができなかった人は、
その時の己の心の揺らぎを
しっかりと記憶に留めておくことです。
そして、
来年の演武大会において
どれほど落ち着いて
演武に臨めたかを振り返るのです。
もし、
今年よりも
静謐(せいひつ)な心で舞台に立てたのなら、
「ああ、一年の稽古で少しは進歩したな」と、
自らの成長を
素直に受け止めればよいのです。
一方で、
普段の平常心を保てなかったのであれば、
「まだまだ臍下の一点が足りないな」と、
また真摯に稽古に向き合えばよいのです。
もちろん
大勢の人が出場されますから、
熟練者や高段者の
洗練された技や立ち居振る舞いは、
大いに参考になりますので
そこから学べばよいでしょう。
しかし、
兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会とは本来、
他人ではなく
自分の進歩を教えてくれる場であると、
私はそう思っております。
人と比べるのではなく、
過去の自分と比べる
これを私は、
「縦の比較」と呼んでおります。
この「縦の比較」という
最も尊い学びは、
自ら演武大会に出場しなければ
決して得られるものではありませぬ。
本当に自分自身を向上させたいと
願うのであれば、
年に一度の演武大会に
毎年、積極的に出場することです。
「来年にならなければ出場できるかどうか分かりません」
などと言っているような者などは、
この最も大事な学びを
残念ながら学ぶことはできません。
それほど多くの氣づきを
無言で私たちに与えてくれる。
兵庫県合氣道連盟 合氣道演武大会とは、
そういう場なのです。
最後にお知らせとなりますが、
明日4月29日から5月6日までの連休期間は
この道場長ブログ『ぼくらの合氣道』を
お休みさせていただきます。
もしかしたら、
ふらりと更新するかも😆
それでは皆様、
充実したGWをお過ごしください。
――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技の形を追求することではありません。
他者と争うことなく、
自分自身と静かに向き合い
いかなる時も己の軸と平常心を保つこと。
そして、その日々のたゆまぬ自己研鑽が
結果として、社会や人々の喜びに繋がるような
生き方をともに探究していくことです。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 若者の可能性を摘まないために。霜止出苗に学ぶ指導者の「待つ」修行 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】次候
七十二候
第十七候 霜止出苗【しもやんでなえいずる】
4月25日~29日ごろ。
春の暖かな陽氣によって、ようやく霜が降りなくなり、稲の苗が健やかに育ち始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 わかもの の かのうせい を つまない ために。しもやみてなえいずる に まなぶ しどうしゃ の「まつ」しゅぎょう 』
季節は、
霜の心配がなくなる時期を迎えました。
ふと、
思い出すことがございます。
わが家の娘たちが、
まだ小さかったころのことです。
食べものへの感謝の心を
育むために、
ある農家で無農薬のお米作りを
田植えから収穫まで、
お手伝いしたことがございました。
その農家の方から
直接伺ったのが
まさにこの時期の苗のお話です。
農家の方々にとって、
春先のこの苗の管理というものは、
片時も氣の抜けない
一大事であると教わりました。
古くから、
「苗代半作(なわしろはんさく)」
という言葉があります。
手塩にかけて育てた苗が
無事に育つかどうか、
お米の出来栄えの半分は
この苗作りの段階で
すでに決まってしまうという意味です。
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場には
たくさんの中高生や、
十代、二十代の若者が所属しております。
道場で
彼ら、彼女らの真剣な眼差しを
見るにつけ、
この「苗代半作」という言葉が
深く、私の胸に響きます。
彼らはまさに今、
人生における「苗代」の時期です。
人間としての土台を作る
極めて大事な、
かけがえのない時を過ごしています。
早く上達してほしい。
もっと立派になってほしい。
そう願うあまりに
私自身が焦ってしまっては
いけないのだと、
強く自分に言い聞かせております。
成長を急かし
無理に苗を引き抜こうとすれば、
か弱い根は切れ、
たちまち枯れてしまいます。
教える側の
功焦り(こうあせり)が、
彼らの可能性を
摘んでしまうことのないよう、
「待つ」こともまた、
私自身に課せられた修行でありまする。
私がなすべきことは
彼らが自らの力で
しっかりと大地に根を張れるよう、
道場という土壌を豊かに保つこと。
冷え込む朝には風をよけ、
暖かな日差しのもとで
ただ静かに、
その僅かな成長を慈しみ守ること。
いつか彼らが
道場という苗代から
社会という広い大地へと移り、
しっかりと根を張る時が来ます。
しかし、そこでご縁が
途切れるわけではございません。
やがて、
彼らが立派な社会人になっても、
この合氣道という道を通じて
生涯、ともに学び、
成長し合える関係でありたいと
私は、心から願っております。
その豊かな未来へと
繋ぐために、
今という、
大切な土台作りの時期を、
師範として責任を持って、
焦らず静かに
見守りながら
共にあゆんでまいりまする。
――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が大切にしているのは、
ただ技を極めることではありません。
日々の生活に活きる
「揺るぎない自己の確立」をはかり、
「社会という大地にしっかりと根を張り、他者を支える生き方」を
ともに探究していくことです。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを
この道場長ブログ
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良好な対人関係の築き方など
現代の暮らしに活かすヒントが
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 挨拶から始まる「率先躬行」。子どもの自発性を育む道場の日常 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】初候
七十二候
第十六候 葭始生【あしはじめてしょうず】
4月20日~24日ごろ。
暖かくなり水辺の葭が芽吹き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あいさつ から はじまる「そっせんきゅうこう」。こども の じはつせい を はぐくむ どうじょう の にちじょう 』
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場には、
たくさんの小学生や中学生が
日々、稽古に通ってきております。
純粋な瞳を持つ子どもたちと
道場で向き合う中で、
ひとつ、
氣にかかることがございました。
それは、
「挨拶」を苦手とする子が、
多いということです。
もちろん
大きな声でハキハキと、
「おはようございます」
「さようなら」と
元氣に言える子もおります。
しかし、
たとえ声を出せたとしても
聞こえるか
聞こえないかのような
弱々しい声で「挨拶」をする子が、
数多く見受けられました。
私は子どもたちと接する中で、
常に心がけ、
実行していることがございます。
それは決して頭ごなしに
「挨拶をしなさい」と、
言葉をぶつけないことです。
なぜなら、
大人が一方的に
命令を押し付けたとしても、
子どもたちの心には
真に響くことはないからです。
その場では
「分かりました」と答えても、
自発的な
行動には結びつきません。
一回言って聞かせて、
届かなければ二回、十回、百回と。
子どもたちが自らの内なる意思で
自然と動けるようになるまで、
根氣強く、
同じことを伝えていきます。
挨拶をする意味は何でしょうか?
どうして挨拶は大切なのでしょうか?
それは、
「私はあなたを認めています」
という心の表れです。
「目の前にいるあなたを私は受け入れています」という、
他者への深い敬意の証なのです。
自他の境界を溶かし
氣を交流させる、
大切な第一歩でもあります。
それが無ければ、
豊かな人間関係を築くことはできません。
私は事ある毎に
子どもたちに、こう問いかけます。
「君たちは道場で、
目の前の人に無視されるほうが好きかな?」
すると皆、
「ううん」と首を横に振ります。
「じゃあ、笑顔で挨拶されたほうが嬉しいかな?」
そう聞くと、
「うん」と皆がうなずくのです。
それならば
大人も子どもも関係なく、
道場で出会う
全ての人に対して、
自分から
氣持ちよく挨拶をしてみよう。
自らが先に
光となり行動で示すこと。
それが「率先躬行」でありまする。
師範である
私自身がまず行動で示し、
事ある毎に
何度も言って聞かせ
ようやく
八割ほどの子どもたちが
できるようになってきました。
しかし、まだ全員が
出来ているわけではありません。
皆が、自らの意思で
自然体で挨拶ができるようになるまで、
潜在意識の深い部分、
つまり臍下の一点にしっかりと根付くまで。
これからも
子どもたちの真っ直ぐな成長を
静かに見守り
続けてまいりたいと思います。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
―――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技を習うことではありません。
日々の生活の中で
自身の内なる敬意と、
他者への自然な振る舞いが
一つに調和することをはかり、
まずは自らが率先して実行することで
周囲の人の心に温かな灯火を灯すこと。
そのような社会や周囲の人々の
喜びに繋がる生き方を、
ともに探究していくことです。
日常の些細な振る舞い、
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを
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現代の暮らしに活かすヒントが、
ここにあるかもしれません。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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