" 京都の清々しき神域と大和言葉「もっけの幸い」 "
10月22日のブログ更新が
夜分になってしまいました。
10月21日世界中でウェブサイトに
広く利用されているシステム(PHP)に
重大な脆弱性が発見され、
その予防措置として
世界各国の多くのウェブサイトが
一時的に遮断される事態が起きておりました。
その影響を受け、
当道場のサイトもアクセスが遮断され、
日中のブログ更新作業が
どうしてもできない状態となっておりました。
現在は無事に復旧し、
安全が確認されております。
何卒ご容赦くださいませ。
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】末候
七十二候
第五十一候 蟋蟀在戸【きりぎりすとにあり】
十月十八日~二十二日ごろ
キリギリスが戸口で鳴くころ。
今日の言の葉
『 もっけの幸い 』
10月21日は、
追手門学院大学教育後援会の
懇親会に出席するため、
京都へと足を運びました。
10月も中旬を過ぎたというのに
季節外れの暑さとなり、
氣温は30度を記録しておりました。
会場であります、
「鮒鶴(ふなつる)京都鴨川リゾート」へと
向かう道すがら。
阪急河原町駅から
木屋町通を歩き、
まだ少しばかり
時間がございましたので、
鴨川沿いのベンチに腰を下ろしました。
30度という暑さではございますが、
そこはやはり10月の後半。
川沿いを吹き抜ける南風が、
思いのほか
心地よく感じられたのでございます。
その心地よい風に吹かれながら
京都の景色を眺めておりますと、
ふと、同じ京都に鎮座する
「北野天満宮」へ、
はじめて参拝した時のことが
思い起こされました。
鳥居をくぐる私の胸の内には、
深い畏怖の念が渦巻いておりました。
いわれなき罪によって
大宰府へと追いやられた菅原道真公。
そのご逝去ののち、
京の都を立て続けに襲った
凄絶なる天変地異。
古の人々はそれを
「無念の御魂の荒ぶり」と深く恐れ、
その強大な力を鎮めるために
建立されたのが、
この北野天満宮であるという歴史。
その奥深き由縁を思いますと、
目に見えぬ怨念や、
恐ろしい祟りの痕跡が
色濃く残っているのではないかと。
畏れ多くも、
足を踏み入れることに
微かなおののきを感じていたのです。
さはさりながら、
いざ手水を使い
御本殿へと向かい
静かに手を合わせてみますと、
そこには
荒ぶる氣配など微塵もございませんでした。
ただただ、
澄み切った秋空のように
清廉(せいれん)で、
清々しい氣に満ちた、
静謐なる神域が広がっていたのです。
人間のしでかした
理不尽な悲劇すらも、
見えざる力を畏れ敬い
真摯に祈りを捧げ続けることで、
これほどまでに清らかな場へと
昇華されてゆくものなのだと
深く心を打たれました。
はるか昔、
この国に生きる人々は、
吉凶のすべてを
「人間の浅知恵では計り知れない、
目に見えない大きな存在の働き」として
受け止めておりました。
過ぎ去りし懐かしい
昭和の面影が残る頃まで
日常の中に溶け込んでいた、
「もっけの幸い」という
美しい大和言葉もその一つでございます。
「もっけ」とは、
文字にいたしますと
「物怪」や「勿怪」と書き表します。
宮崎駿監督の映画
『もののけ姫』でも
広く知られるようになった。
目に見えぬ不思議な存在
「物の怪(もののけ)」から
転じた言葉なのだそうです。
不意に降りかかる災いも、
思いがけぬ吉事も、
すべては人知を超えた
「物の怪」からの働きかけであると。
常に謙虚な
畏敬の念を抱いていた古の日本人。
ですから、
思いがけない嬉しい出来事に巡り合ったとき、
現代のように
「ラッキー」などと、
単なる偶然や
己の手柄として片付けるのではなく、
「これは見えない存在からの
ありがたい贈り物かもしれない」と。
そう心に留めながら
「もっけの幸い」とそっと口にしてみる。
すると、
何氣ない日常の景色の中に
見えざる力との繋がりを感じて
おのずと笑みがこぼれる。
温かで奥深い彩りが
生まれるような氣がいたします。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技のみを学ぶ場ではありません。
私たちが大切にしているのは、
目に見える結果や己の力ばかりを
過信することではございません。
人知を超えた大きな力に対して
常に謙虚な姿勢を忘れず、
日常に訪れる小さな幸運に感謝しながら、
心豊かな生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
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" 華やかなホテル群から江戸の魔界へ。高輪「洞坂」編 "
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『 諸行を受け入れ、淡々と歩む 』
東京出張の折、
稽古の合間を縫って歩みを重ねる
「江戸時代から続く由緒ある東京の坂道巡り」。
前回の港区高輪4丁目
「イチョウ坂」からの続きでございます。
エントリーはコチラ。
品川駅高輪口のほど近く、
多くの人が行き交う
「品川プリンスホテル」の敷地を抜け、
さらに歩みを進めますと、
「グランドプリンスホテル高輪」や
「ザ・プリンス さくらタワー東京」といった
見事な日本庭園を抱く、
壮麗なホテル群が連なっております。
光あふれる現代の
華やかな景色を楽しみながら、
高輪の閑静な住宅街へと
さらに北へ向かいますと、
やがて、幕末に
最初のイギリス公使館が置かれた
由緒あるお寺「東禅寺」の
緑豊かな佇まいが見えてまいります。
その東禅寺の脇から
直角に折れ曲がりながら
急な斜面を上っていく細い道。
それが、今回の目的地である
「洞坂(ほらざか)」でございます。
先ほどまでの
光り輝く大通りの喧騒が嘘のように、
一歩足を踏み入れますと
そこはまるで別世界。
しんと静まり返った
得体の知れない
古の空氣が満ちております。
かつてこの辺りは
鬱蒼と草木が生い茂り、
昼間でも薄暗く、
まるで洞(ほら)の中へと
迷い込むようであったとか、
法螺貝(ほらがい)が出たとも、
底知れぬ窪地であったとも
語り継がれるこの場所は
まさに「江戸の魔界」と
呼ぶにふさわしい
妖しい魅力に包まれております。
華やかな表通りから一転して、
こうしたミステリアスな異空間へと
迷い込むのも、
江戸の坂道巡りの
奥深い醍醐味でございます。
私たちは古の魔界に
深く浸りながら、
急な斜面を
一歩一歩踏みしめて上りました。
禍々しい氣配や
見通しの悪い
曲がりくねった道にあっても、
ただ、臍下の一点にすっと心を静め、
正しいリラックスを保ったまま
未知なる空間の氣配に
逆らうことなく、
しなやかに身体を運んでゆく。
私たちの人生の歩みもまた
時として、
光あふれる表通りから
先が見通せない暗がりへと
迷い込むことがありましょう。
そのような時こそ、
焦らず、怖れず、悲しまず。
無理に光を求めて抗うのではなく、
暗闇のなかでも
あるがままに変化を受け入れる
自然(じねん)の心が、
確かなる安らぎを
もたらすのだと感じますね。
私たちの江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道巡りはまだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはこちらから
↓↓↓
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単に技のみを学ぶ場ではありません。
私たちが大切にしているのは、
先が見通せない曲がりくねった道にあっても、
今この瞬間の歩みを
確かに踏みしめることでございます。
澄み渡った水面のような心で、
周囲の人の心に
そっと灯火を灯すような生き方を
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" 【東京十社参り】結願の亀戸天神社。過去、現在、未来を繋ぐ朱き橋を渡る "
今朝も目覚めることができた。
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十月十八日~二十二日ごろ
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今日の言の葉
『十の社を巡り、今ここに心を洗う 』
季節は少し遡り、
本年八月、お盆の時期のことでございます。
私は東京出張へと赴いておりました。
出張の折には
熱心なお弟子さんとともに稽古に励み、
その合間を縫って、
「江戸の坂道巡り同好会」の活動として、
都内の古き良き
江戸時代から続く由緒ある坂道を歩いております。
そして、もう一つ、
東京出張のたびに
長らく続けてまいりましたのが、
東京の鎮守である十の神社を巡る
「東京十社参り」でございます。
北区にある王子神社での
静謐な参拝を終え、
( 10/8に投稿した王子神社の記事はコチラ )
十社巡りの
いよいよの締めくくりとして、
亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)へと向かいました。
今年の夏、東京での滞在中は、
どうにも空模様が不安定でございました。
時折、空が急に暗くなったかと思えば、
激しい雨に見舞われることもしばしば。
JR総武線の錦糸町駅からの
行き帰りの道すがらも
容赦のない土砂降りに遭い、
雨宿りをしながらの歩みとなりました。
すっきりとは晴れ渡らぬ、
厚い雲に覆われた空模様ではございましたが
いざ、大鳥居の前に立ち
その下をくぐりますと、
そこには、
このお社ならではの
見事な情景が待っておりました。
幾星霜(いくせいそう)の祈りを見守ってきた、
美しい鳥居。
そのすぐ背後に、
現代の象徴たる東京スカイツリーが
天を突くようにそびえ立っております。
古の祈りの風景と
現代の塔が一つに溶け合う。
時代を超えた見事な調和に
思わず目を奪われました。
歩みを進めますと、
目の前には満々とした水をたたえる
心字池(しんじいけ)が広がります。
そこに架かるのは
鮮やかな朱色が美しい三つの橋。
手前の大きな太鼓橋は
「男橋」と呼ばれ過去を表し、
真ん中の平らな橋は
「平橋」で現在を、
奥の太鼓橋は「女橋」といい、
未来を表しているのだそうです。
これら三つの橋を順に渡りゆくことは、
心が浄化されることを意味しております。
これまでの己の歩みを静かに振り返り、
今ここにある命に深く感謝し、
一点の曇りもない清らかな心で
これから先の未来へと向かう。
一歩一歩、
そのように心を清めながら、
己の心身と向き合うように
歩みを進めました。
池のほとりには、
見事な藤棚が張り巡らされておりました。
八月の青々とした葉の
隙間からこぼれる光が、
雨上がりの水面をきらきらと照らす様は
誠に風雅なものでございました。
さらに奥へと進み、
手水舎(ちょうずや)へ。
こちらは亀戸の地名にちなみ、
石造りの亀の口から
清らかな水がとめどなく流れ出ております。
その冷たい水で
両手と口をそっと清めます。
不安定な天候のなか
手水を使うその瞬間、
ふっと肩の力を抜き、
天地大自然と一体となるべく
全身が静かに溶け込んでゆくのを感じました。
臍下の一点に、すっと心を静め、
威風堂々たる本殿の前に立ち
無事に十社を巡り終えた
結願(けちがん)の感謝を祈りました。
参拝の後にいただいた御朱印は、
流れるような筆運びと、
鮮やかな朱の印が響き合う
息を呑むほどに美しいものでございました。
東京出張の度、
稽古の合間を縫っての道のり。
決して急ぐことなく、
何年もかけて
一つひとつのご縁を大切に
歩みを重ねてまいりました。
過去から現在、
そして未来へと続く橋を渡るように、
目まぐるしく変わる
慌ただしい日常の中でも、
常に己の心身と静かに向き合い
中心を見失わずにいること。
流れに逆らわず、
悠然たる構えが
現代の暮らしに確かなる安らぎを
もたらすのだと感じております。
――――――――――――――――――
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ただ技のみをなぞる場ではございません。
私たちが大切にしているのは、
過去に感謝し、未来を憂うことなく、
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周囲の人の心にそっと灯火を灯すような生き方を
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道場長 拝
" ささやかな声に和し、今を生きる "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】末候
七十二候
第五十一候 蟋蟀在戸【きりぎりすとにあり】
十月十八日~二十二日ごろ
キリギリスが戸口で鳴くころ。
今日の言の葉
『夜闇の道で出会った、小さな命たちが奏でる一期一会の調べ 』
長月の末の金曜日。
この日は合氣道の教室も
コベカツの指導もなく、
久しぶりに訪れた休日でございました。
ずっと前から
この日にはここへ行こうと
心に決めていた場所がございました。
神戸市北区、
アウトレットのほど近くにある温泉処です。
自宅からは一般道をのんびりと走り、
一時間半ほどかかります。
しかし、
それだけの時間をかけても
足を運ぶ価値のある
素晴らしい湯浴みの場でございます。
お昼どきに到着し、
秋の陽が西へ傾き
辺りがすっかり薄暗くなるまで
豊かに湧き出る湯に身を委ね、
心身の澱(おり)を静かに洗い流す。
そのような、至福の時を過ごしました。
帰路につくころには、
すっかり日が落ちておりました。
街灯もまばらな
山あいの田舎道を車で走らせます。
車内ではSpotifyで
お氣に入りの音楽を流しておりましたが、
ふと、
それをかき消すほどの
力強い響きに氣づきました。
窓の外から聞こえてくる
秋の虫たちの声でございます。
私は流れていた音楽を止め、
車の窓をすべて全開にいたしました。
途端に暗闇の底から
湧き上がるような、
虫たちの壮大な大合唱に
すっぽりと包み込まれました。
漆黒の夜の帳のなかを
ただただ、
その音色に浸りながら走ります。
Spotifyの音楽ならば、
いつでも聴くことができます。
しかし、
この小さな命たちが織りなす
一期一会の美しい調べは、
今、この瞬間にしか
味わうことのできない
かけがえのない響きなのでございます。
あれから、一ヶ月、
季節はさらに深まり
現在は七十二候の
「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」の
時期を迎えました。
いよいよ、
晩秋の深い風情が
漂い始めるころでございます。
この「蟋蟀」という漢字、
現代ではコオロギと読みますが、
古の日本では、
コオロギのことを
「キリギリス」と呼んでいたのだそうです。
はるか昔、
万葉集が編まれた時代から
私たちの祖先は
秋の野原へと足を運び、
涼やかな虫の音に
じっと耳を傾ける「虫聞き」という、
風雅な愉しみを持っておりました。
9月の夜道で包み込まれた
あの力強い大合唱。
広い野原で元氣に
鳴き声を響かせていた虫たちも、
日に日に
冷え込みが厳しくなるにつれて、
少しでも温かい場所や
人の暮らすほのかな明かりを求めて、
私たちの家の軒先や、
戸口のすぐ近くまで身を寄せてまいります。
夜が更け、
寒さが深まるほどに
そのかすかな鳴き声は
どこか物寂しく、
か細いものに変わっていきます。
それはまるで、
迫りくる己の最期の時を
静かに受け入れながら、
残された命の限りを尽くして、
美しい調べを奏でているかのようです。
そのか弱くも透き通った音色に
そっと耳を澄ませておりますと、
どんな小さな命にも、
懸命に生き抜く
氣高い輝きがあることに氣づかされますね。
―――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
ただ技を習得する場ではございませぬ。
私たちが大切にしているのは、
巡りゆく季節の微かな音色に耳を澄ませ、
限りある命の尊さを
静かに慈しむことでございます。
足元にある小さな命の営みから、
自然の理(ことわり)を
皆様とともに探究していく所存です。
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 一人の人間が切り開く道。私なりの「合氣の道」を次代へ託す "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
寒露【かんろ】次候
七十二候
第五十候 菊花開【きくのはなひらく】
十月十三日~十七日ごろ。
キクの花が開くころ。
本日の道場長の 一日一心
『万物一如。すべては繋がる』
「国民教育の師父」森信三氏。
氏の遺した言葉に
このようなものがございます。
「一人の人間がその生涯をかけて
切り開いた道というものは、
単にその人一人にとどまることなく、
後からくる幾多の人々が
その恩恵に浴するのであります」
この言葉に触れるたび、
私は心身統一合氣道を確立された
藤平光一翁(おう)のことを想います。
もともと、私は武道というものに
一切の興味を抱いておりませんでした。
しかし、ご縁があって、
藤平光一翁のご著書を
数冊拝読する機会に恵まれました。
ページをめくるうちに、
これは当時まだ小学校低学年だった
二人の娘たちに学ばせたほうが良い。
そして何より、
私自身が学んだほうが良いと、
強く感じたのでございます。
私がその高著を手にしたとき、
すでに、藤平光一翁は
この世を去っておられました。
しかし、
翁が生涯をかけて切り開かれた道は
私の心に深い影響を与え、
それがきっかけとなり、
現在こうして、
合氣道琴心館寺崎道場を
主宰するにまで至っております。
まさに、
森信三氏のお言葉の通りでございます。
私のような未熟者ではございますが、
僭越ながら、自分にしか練り上げ
次代へ託せないものがあると感じております。
それは、
合氣の技だけではございません。
合氣道の「和合」とは
端的に申しますと、
相手を深く尊重し、相手の心を知り、
相手と一体になることでございます。
しかし、
翻って今の日本を見つめますと、
自国に対する正しい歴史認識も持たず、
テレビや、再生数稼ぎの出鱈目な世界情勢に
踊らされている現状がございます。
現在の世界における日本の立ち位置。
隣国がもたらす脅威の重大さ。
外国資本による、国土の買収問題。
資源エネルギー。
何十年もの間、大切な同胞が
北朝鮮に拉致されたままでありながら
取り返しに行くことすらできない、
この国の現実。
そして、
憲法九条を改正する事の真の意義。
内憂外患を取り上げれば
キリがございませんが、
何よりも重要なことは
日本の確かなる根っこである
「皇位継承」について、
私たちは誰からも
正しく教わっていないという事実でございます。
国の根幹を知らずして、
どうして、自国に誇りを持てるでしょうか?
己の国に誇りを持てずして、
どうして、他国の文化や習慣を
心から尊重することができるでしょうか?
自分のことはどうでもいいから、
相手のことだけを思いやれ?
果たして、
そのような根無草のようなあり方で、
真の和合(平和)と言えるのでしょうか?
各分野において
本当に信頼できる専門家の方々は、
決してテレビなどには出演なさいませんし、
再生数稼ぎの動画などを
投稿することもございません。
私はそうした
真のその分野における専門家の方々から
皇位継承、安全保障、危機管理、
資源エネルギー、スパイ防止関連法、
表層の奥底に流れる
世の理を深く学んでおります。
一見いたしますと、
こうした国を憂う学びと武道の稽古とは
全く無関係に思えるかもしれません。
しかし、
己の確かなる軸(自国への誇り)を
打ち立ててこそ、
はじめて他者(他国)を真に尊重し、
手を取り合うことができる。
この国家のあり方と、
目の前の相手と一体になる合氣の理合いは
実は、まったく同じものなのでございます。
人間の心と身体が
ひとつに結ばれているように。
世の成り立ちもまた、
すべては目に見えぬ糸で繋がっております。
この部分は無関係だとか。
これとこれは、切り離して考えるとか。
そのようなものは
私たちの日常には
一切存在しないのでございます。
すべては、
円を描くように繋がり合っております。
だからこそ私は、
先人たちが遺してくださった合氣の教えと、
世の理を説く、
この幾多の学びとをひとつに結び合わせたい。
武の技のみにとどまらず、
先人たちの知恵と
いまを生きる私たちの暮らしを
美しく織りなし、
私なりの
新たな合氣の道を練り上げてゆきたい。
藤平光一翁が
その生涯をかけて道を切り開かれたように、
私もまた、微力ながらも己の命を注ぎ、
次なる世代の助けとなるような
一本の道。
その道は、
必ずやこの手で拓いてまいります。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
―――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場道場は
ただ技を習う場ではございませぬ。
私たちが大切にしているのは、
己の確かなる軸を持ち、
自国への誇りとともに
他者を真に尊重する心を持つことでございます。
表面的な事象にとらわれず、
目に見えない繋がりを深く見つめ
次代へ託すべき「真の平和」の道を
皆様とともに探究していくことでございます。
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