" 若者言葉「オツー」から紐解く、美しい日本語の奥ゆかしさ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
霜降【そうこう】次候
七十二候
第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)
十月二十八日~十一月一日ごろ。
時々、小雨が降るころ。
今日の言の葉
『 低音の艶、臍下に通ず 』
先日、駅の改札で耳にした会話です。
若者が「オツー」「オツです!」と
挨拶を交わしていました。
どうやら、
「お疲れ様」を短くした言い方のようですね。
言葉は時代の風を受けて、
少しずつ形を変えてゆくものかもしれません。
さはさりながら、
「おつ」という言葉には本来、
しゃれているとか、
ありきたりではない
粋で味わい深く
情趣に富んでいることを意味する言葉でした。
「おつ」を漢字で書くと「乙」。
「乙」の使い方は
たとえば、こんな場面です。
「乙な計らいをしてくれたものだね」
「この漬物、乙な塩加減だね」
大げさに褒めるのではなく、
通の人がそっと目を細めるような
控えめな称賛です。
ところで、昔は評価を
甲・乙・丙・丁(こう・おつ・へい・てい)と
並べていました。
ならば「乙」は二番手で
「甲」のほうが上ではないかと
思われるかもしれません。
ですが、
この言葉の由来は
その順位とは別のところにあるようです。
それは日本の古典芸能や伝統音楽です。
邦楽では、
高く張った音を「甲(かん)」、
それより低く落ち着いた音を
「乙(おつ)」と呼びます。
「かん高い声」という言い方に
その名残がありますね。
低い音には、
しっとりとした艶と深みがあります。
その響きの魅力が
やがて「洒落ている」「風情がある」という
意味へ広がっていったのだそうです。
この言葉が人々に好まれたのは、
江戸から明治の世にかけてのこと。
「乙なことをするじゃないか」と
言われれば、
最高の誉め言葉でした。
いまの暮らしでも
ちょっとした心遣いに添えてみる。
「乙なはからいですね」と
伝えるだけで、
会話にほのかな日本の趣が灯ります。
古(いにしえ)の日本語の
言い回しを紐解けば、
ひとつの言葉の裏に
これほど豊かな物語が潜んでいるのですね。
この「乙」の話を
日々の合氣道の稽古の場に重ねてみます。
派手で見栄えの良い技だけが
美しさではありません。
その奥に隠された
一段低いところに
人の心を打つ深みが宿ります。
そこで思い浮かぶのが
臍下の一点です。
臍下の無限小の一点に心を静め、
重心をすっと沈める。
すると、
身体は揺るがず
心もおのずと凪いでゆきます。
心がしんと静まれば、
若者の言葉づかいを正す方法も違ってきます。
合氣道は争わず、
相手の氣を受け入れて
正しい方向へと導く武道です。
まず、相手の言葉に込められた
親しみの氣持ちを受けとめます。
そのうえで、
「じつは、こんな由来があるのですよ」と
そっと添えてみる。
これこそ、
「乙」の心に通じる
在り方ではないでしょうか。
――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技をなぞる場ではありません。
私たちが大切にしているのは
稽古を通して
「和の心」を育むことです。
それが、やがて
周囲の人の心に灯火をともす生き方へと
育ってゆく。
言葉も所作も
まずは自分から示してゆく。
率先躬行の姿勢で
日々を歩んでまいりましょう。
日常のふとした氣づきを
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
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道場長 拝
" 【文字・活字文化の日】秋の夜長に先人の知恵と向き合い心を養う "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十ニ候 霜始降【しもはじめてふる】
十月二十三日~二十七日ごろ。
北国から初霜が降り始めるころ。
今日の言の葉
『声なき師と静かに語らう』
本日10月27日は
「文字・活字文化の日」でございます。
そして本日から
文化の日を挟んだ
2週間は「読書週間」となります。
「読書の秋」とも呼ばれますが、
なぜこの季節がこれほどまでに
読書にふさわしいのでしょうか。
それは、夏の賑わいに向いていた
心が穏やかに静まり、
季節とともに自然と静けさを
求めるようになるからかもしれませんね。
賑やかだった
夏の蝉時雨は遠ざかり、
日暮れが早まるとともに
夜の静寂(しじま)が深まってまいります。
澄んだ空氣の中で
虫の音だけがかすかに響く秋の夜長。
その心地よい静けさが
日々の喧騒を忘れさせ、
一冊の本を開き、
己の心と静かに向き合うための
最適な環境を
整えてくれるからではないでしょうか。
そして、日本において
この季節の「読書週間」が始まったのは
終戦直後の1947年だそうでございます。
「本を読む力によって、平和で文化的な国を創ろう」
そんな先人たちの
祈りにも似た切なる願いから、
出版社や図書館などが
手を取り合い始まったのだとか。
近年はスマートフォンなどを通じて、
次々と流れてくる
断片的な情報にばかり
触れる機会が増えました。
画面をなぞるだけで
手軽に答えが手に入る便利さのなかで、
じっくりと活字に向き合う時間から
遠ざかる人が増えているのが現状です。
手軽で表面的な情報を
ただ次から次へと目で追うばかりではなく、
時間をかけて著者の深い言葉を味わい
丁寧に読み解く。
そうした読書がもたらす
豊かな効用が
今、改めて見直されております。
私たちの心というものは、
日々の暮らしの中で
何に触れるかによって、
少しずつ形を
変えていくものでございます。
心打たれる美しい言葉。
あるいは、
真摯に人生を歩んだ先人たちの生き様。
そうした本物の言葉や教えに
触れ続けることが、
より良い人生を歩み
自らの運命を切り拓いていくための
確かな土台を育んでくれるのでございます。
書物は時を超えて
語りかけてくれる声なき師でございます。
文字を追う時間は
単なる知識の吸収にとどまらず、
自らの心と静かに向き合う
内なる対話の時間でもあります。
慌ただしい日々に
流されそうになったときこそ、
一冊の本を開き、
善き言葉に触れる
ひとときを持ってはいかがでしょうか。
――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技だけを習得する場ではございませぬ。
先人たちの知恵に学び、
日々の生活に活きる
自らの心を養うことでございます。
美しい言葉に触れて
己の心に静寂を取り戻し、
周囲の人々の心にも
ささやかな明かりを灯す生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
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" 表層にとらわれず、見えない氣を感じる "
今朝も目覚めることができた。
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本日は二十四節氣
霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十ニ候 霜始降【しもはじめてふる】
十月二十三日~二十七日ごろ。
北国から初霜が降り始めるころ。
今日の言の葉『 心をほどき、たおやかに 』
二十四節氣の「霜降」は
秋を締めくくる最後の節氣でございます。
暦の上では
冷たい霜が降りるころとされておりますが、
現実の私たちの
暮らしにおきましては、
日中はまだ
汗ばむような暖かさが残る日もございます。
そのため、
「もう霜が降りる季節なのか」と
少し不思議な氣分にもなりますね。
さはさりながら、
暖かい空氣や日差しの下では
氣づきにくくとも、
朝晩の風の中には
確実に次の季節へと向かう
かすかな移ろいが混じり始めております。
表面的な暖かさにばかり
氣を取られておりますと、
目には見えぬところで
たゆみなく巡る天地大自然の営み。
その確かな季節の移ろいを
見落としてしまうのであります。
実は合氣道の稽古におきましても
これと同じ理(ことわり)がございます。
相手と向き合ったとき、
私たちはつい、相手の動きや
目に見える表層的な技の形ばかりに
氣を取られがちです。
しかし、
本当に大切なのは
相手の動きの奥にある
目に見えない氣の動きや
わずかな心の変化を感じ取ることでございます。
そのためには、
自らの余分な力みを手放し、
己の心身と静かに向き合いながら
「正しいリラックス」を心がけること。
そして、臍下(せいか)の一点へ
スッと心を静める。
そうして己の心を
さざ波ひとつ立てず
静かな水面のように保つことで、
はじめて、
天地大自然の営みや
相手の微細な動きを
あるがままに受け取ることができるのですね。
―――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技のみをなぞる場ではありません。
表面的な出来事や
目に見える結果だけで
物事を判断することなく、
天地大自然の移ろいを感じるように
日常においても余計な力みを手放し、
まずは自らが日々の暮らしの中で実践し、
「周囲の人の心に灯火を灯す」
そのような生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
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道場長 拝
" 京都の清々しき神域と大和言葉「もっけの幸い」 "
10月22日のブログ更新が
夜分になってしまいました。
10月21日世界中でウェブサイトに
広く利用されているシステム(PHP)に
重大な脆弱性が発見され、
その予防措置として
世界各国の多くのウェブサイトが
一時的に遮断される事態が起きておりました。
その影響を受け、
当道場のサイトもアクセスが遮断され、
日中のブログ更新作業が
どうしてもできない状態となっておりました。
現在は無事に復旧し、
安全が確認されております。
何卒ご容赦くださいませ。
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十ニ候 霜始降【しもはじめてふる】
十月二十三日~二十七日ごろ。
北国から初霜が降り始めるころ。
今日の言の葉
『 もっけの幸い 』
10月21日は、
追手門学院大学教育後援会の
懇親会に出席するため、
京都へと足を運びました。
10月も中旬を過ぎたというのに
季節外れの暑さとなり、
氣温は30度を記録しておりました。
会場であります、
「鮒鶴(ふなつる)京都鴨川リゾート」へと
向かう道すがら。
阪急河原町駅から
木屋町通を歩き、
まだ少しばかり
時間がございましたので、
鴨川沿いのベンチに腰を下ろしました。
30度という暑さではございますが、
そこはやはり10月の後半。
川沿いを吹き抜ける南風が、
思いのほか
心地よく感じられたのでございます。
その心地よい風に吹かれながら
京都の景色を眺めておりますと、
ふと、同じ京都に鎮座する
「北野天満宮」へ、
はじめて参拝した時のことが
思い起こされました。
鳥居をくぐる私の胸の内には、
深い畏怖の念が渦巻いておりました。
いわれなき罪によって
大宰府へと追いやられた菅原道真公。
そのご逝去ののち、
京の都を立て続けに襲った
凄絶なる天変地異。
古の人々はそれを
「無念の御魂の荒ぶり」と深く恐れ、
その強大な力を鎮めるために
建立されたのが、
この北野天満宮であるという歴史。
その奥深き由縁を思いますと、
目に見えぬ怨念や、
恐ろしい祟りの痕跡が
色濃く残っているのではないかと。
畏れ多くも、
足を踏み入れることに
微かなおののきを感じていたのです。
さはさりながら、
いざ手水を使い
御本殿へと向かい
静かに手を合わせてみますと、
そこには
荒ぶる氣配など微塵もございませんでした。
ただただ、
澄み切った秋空のように
清廉(せいれん)で、
清々しい氣に満ちた、
静謐なる神域が広がっていたのです。
人間のしでかした
理不尽な悲劇すらも、
見えざる力を畏れ敬い
真摯に祈りを捧げ続けることで、
これほどまでに清らかな場へと
昇華されてゆくものなのだと
深く心を打たれました。
はるか昔、
この国に生きる人々は、
吉凶のすべてを
「人間の浅知恵では計り知れない、
目に見えない大きな存在の働き」として
受け止めておりました。
過ぎ去りし懐かしい
昭和の面影が残る頃まで
日常の中に溶け込んでいた、
「もっけの幸い」という
美しい大和言葉もその一つでございます。
「もっけ」とは、
文字にいたしますと
「物怪」や「勿怪」と書き表します。
宮崎駿監督の映画
『もののけ姫』でも
広く知られるようになった。
目に見えぬ不思議な存在
「物の怪(もののけ)」から
転じた言葉なのだそうです。
不意に降りかかる災いも、
思いがけぬ吉事も、
すべては人知を超えた
「物の怪」からの働きかけであると。
常に謙虚な
畏敬の念を抱いていた古の日本人。
ですから、
思いがけない嬉しい出来事に巡り合ったとき、
現代のように
「ラッキー」などと、
単なる偶然や
己の手柄として片付けるのではなく、
「これは見えない存在からの
ありがたい贈り物かもしれない」と。
そう心に留めながら
「もっけの幸い」とそっと口にしてみる。
すると、
何氣ない日常の景色の中に
見えざる力との繋がりを感じて
おのずと笑みがこぼれる。
温かで奥深い彩りが
生まれるような氣がいたします。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場は
単に技のみを学ぶ場ではありません。
私たちが大切にしているのは、
目に見える結果や己の力ばかりを
過信することではございません。
人知を超えた大きな力に対して
常に謙虚な姿勢を忘れず、
日常に訪れる小さな幸運に感謝しながら、
心豊かな生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
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" 華やかなホテル群から江戸の魔界へ。高輪「洞坂」編 "
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寒露【かんろ】末候
七十二候
第五十一候 蟋蟀在戸【きりぎりすとにあり】
十月十八日~二十二日ごろ
キリギリスが戸口で鳴くころ。
今日の言の葉
『 諸行を受け入れ、淡々と歩む 』
東京出張の折、
稽古の合間を縫って歩みを重ねる
「江戸時代から続く由緒ある東京の坂道巡り」。
前回の港区高輪4丁目
「イチョウ坂」からの続きでございます。
エントリーはコチラ。
品川駅高輪口のほど近く、
多くの人が行き交う
「品川プリンスホテル」の敷地を抜け、
さらに歩みを進めますと、
「グランドプリンスホテル高輪」や
「ザ・プリンス さくらタワー東京」といった
見事な日本庭園を抱く、
壮麗なホテル群が連なっております。
光あふれる現代の
華やかな景色を楽しみながら、
高輪の閑静な住宅街へと
さらに北へ向かいますと、
やがて、幕末に
最初のイギリス公使館が置かれた
由緒あるお寺「東禅寺」の
緑豊かな佇まいが見えてまいります。
その東禅寺の脇から
直角に折れ曲がりながら
急な斜面を上っていく細い道。
それが、今回の目的地である
「洞坂(ほらざか)」でございます。
先ほどまでの
光り輝く大通りの喧騒が嘘のように、
一歩足を踏み入れますと
そこはまるで別世界。
しんと静まり返った
得体の知れない
古の空氣が満ちております。
かつてこの辺りは
鬱蒼と草木が生い茂り、
昼間でも薄暗く、
まるで洞(ほら)の中へと
迷い込むようであったとか、
法螺貝(ほらがい)が出たとも、
底知れぬ窪地であったとも
語り継がれるこの場所は
まさに「江戸の魔界」と
呼ぶにふさわしい
妖しい魅力に包まれております。
華やかな表通りから一転して、
こうしたミステリアスな異空間へと
迷い込むのも、
江戸の坂道巡りの
奥深い醍醐味でございます。
私たちは古の魔界に
深く浸りながら、
急な斜面を
一歩一歩踏みしめて上りました。
禍々しい氣配や
見通しの悪い
曲がりくねった道にあっても、
ただ、臍下の一点にすっと心を静め、
正しいリラックスを保ったまま
未知なる空間の氣配に
逆らうことなく、
しなやかに身体を運んでゆく。
私たちの人生の歩みもまた
時として、
光あふれる表通りから
先が見通せない暗がりへと
迷い込むことがありましょう。
そのような時こそ、
焦らず、怖れず、悲しまず。
無理に光を求めて抗うのではなく、
暗闇のなかでも
あるがままに変化を受け入れる
自然(じねん)の心が、
確かなる安らぎを
もたらすのだと感じますね。
私たちの江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道巡りはまだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはこちらから
↓↓↓
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合氣道琴心館寺崎道場は
単に技のみを学ぶ場ではありません。
私たちが大切にしているのは、
先が見通せない曲がりくねった道にあっても、
今この瞬間の歩みを
確かに踏みしめることでございます。
澄み渡った水面のような心で、
周囲の人の心に
そっと灯火を灯すような生き方を
皆様とともに探究していくことです。
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