2025-09-16 03:32:00

" 稽古の道すがら、江戸の坂道に学ぶ。二合半坂編 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

今週も宜しくお願いいたします。

 

 

本日は、二十四節氣

白露【はくろ】次候

 

七十二候

第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)

「鶺鴒鳴」は9月12日~17日頃。

 水辺に住むセキレイが鳴き始める頃。

 

 

 

 

 

 今日の " 道場長の一日一心 " 

『  けいこ の みち すがら、えど の さかみち に まな ぶ。にごうはんざか へん  』

 

 

 

 

 

​​8月1日から17日まで、

東京での夏の集中稽古と

指導者育成練成稽古のため、

出張しておりました。

 

 

 

連日の暑さの中、

集まったお弟子さんたちと

 

汗を流す日々は、

私自身にとっても貴重な時間です。

 

 

多忙な稽古日程の合間を縫って、

かねてより心に決めていた

もう一つの目的も少しは

果たすことができました。

 

 

 

それは、

由緒ある江戸の坂道を巡ることです。

 

 

 

今回訪れたのは、

千代田区富士見町1丁目にある

「二合半坂」です。

 

 

 

JR飯田橋駅から目白通りへ

少し歩いた大神宮通りに交差する

 

暁星学園小学校の横から、

フィリピン大使館前へと続くこの坂道。

 

 

 

 

なぜ「二合半」というのか、

その名の由来は諸説あり、

どちらも実に興味深いものです。

 

 

 

 

【 説1:見方を変える大切さ 】

 

​江戸時代の書物『再校江戸砂子』には、

この坂の上から

東に日光山が半分見えた、とあります。

 

 

なぜ日光山が

半分見えると二合半なのか?

 

 

それは、

富士山の高さを「一合」「二合」と

十分割で数える習慣に由来したそうです。

 

 

 

​この坂から見えた日光山は、

西側に望む富士山に比べて

半分の高さ(五合)に見え、

 

さらにその日光山を坂上から見ると

半分しか見えなかったため、

 

「富士山の半分の、そのまた半分」

 

すなわち

「二合半」と名付けられた、というのです。

 

 

 

 

【 説2:謙虚さの重要性 】

 

別の説では、

この坂があまりにも急で、

 

お酒を一合飲んで登ると、

二合半も飲んだかのように酔ってしまう、と

伝えられています。

 

 

 

 

" 稽古も人生も、坂道と同じ " 

 

 

 

合氣道の稽古も人生も、

この「二合半坂」のように、

 

一見しただけでは

分かりづらい側面や、

困難な道のりがあるものです。

 

 

 

「日光山が半分見える」

という視点は、

 

物事の本質を捉えるには、

表面的な部分だけでなく、

 

見方を変える工夫が

必要だと教えてくれているように思います。

 

 

 

合氣道の技の理合を

深く探求することで、

初めて見えてくる世界があるのです。

 

 

 

 

​また、

「急な坂道で酔ってしまう」

という話は、

 

自分の力を過信せず、

常に謙虚な氣持ちで向き合うことの

重要性を物語っているようです。

 

 

 

稽古においても、

力任せに相手とぶつかるのではなく、

 

相手の氣の方向、

相手が向かおうとする方向を尊重し、

 

自分の使う方向へと

導くことが大切になりますね。

 

 

 

 

​東京の街中に江戸時代から

ひっそりと佇むこれらの坂道は、

 

合氣道の道と通じる

多くの教えを毎回、私に与えてくれます。

 

 

 

肉体を鍛えることだけに執着せず、

物事を多角的に捉え、

 

柔軟に対応する

「素直な心」を養うこと。

 

 

 

 

何も考えずに通れば、

ただ通り過ぎるだけの坂道でも

 

学ぼうとする心さえあれば、

日常において

 

いくらでも、どこからでも、

学べるものです。

 

 

 

これこそが、

合氣道を日常に活かす「道」なのだと

改めて感じた一日でした。

 

 

 

私たちの

江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは

まだまだ続きます。

 

 

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↓↓↓

七面坂

雁木坂

中坂

檜坂

狸坂

冬青木坂

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝