2025-06-09 03:58:00

" 驚異の成長 ! 合氣道で見せた人間の可能性 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】初候

 

七十二候

第二十五候  蟷螂生【かまきりしょうず】

 

二十四節氣は「芒種」初候へと移りました。「蟷螂生」は6月5日~9日ころにあたります。

この時期になるとカマキリの幼虫が卵から孵化し始めるのを見かけるようになります。

生まれたばかりのカマキリは非常に小さく、かわいらしい姿をしていますが、

夏の間にぐんぐん成長していきます。

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

道場長の一日一心

『 きょうい の せいちょう!あいきどう で みせ た にんげん の かのうせい 』

 

 

 

 

" 人間の可能性を信じる " 

 

 

 

人間の可能性には、本当に驚かされます。

 

 

先日、入門してまだ半年のお弟子さんが、

ほんの二、三日前に

覚え始めたばかりの合氣道の技を、

目覚ましいほどに上達させました。

 

 

 

正直なところ、

私自身も驚きを隠せませんでした。

 

 

特に、この日の稽古でわずか15分ほど、

その技を深く探求したばかりだった

にも関わらず、

 

その見事な吸収力には

目を見張るものがありました。

 

 

 

 

合氣道の技は、どれも奥深く、

決して簡単なものはありません。

 

 

 

探求すればするほど、

さらにその奥には深淵が広がり、

 

まさに

「行き着くところがない」と感じさせられます。

 

 

 

これは、

合氣道の技がいかに

 

「心の状態が重要」であるかを

物語っているように思います。

 

 

 

相手を投げる前に、

まず自身の心を静めることが不可欠です。

 

 

 

その「心の静まり」には100%という状態はなく、

どこまで追い求めても終わりがありません。

 

 

 

だからこそ、

合氣道の技には

「究極がない」のではないでしょうか。

 

僭越ながら、私はそう確信しています。

 

 

 

 

そのような奥深い技において、

入門して半年という方が、

 

たとえ一つの技を

少しくらい会得したとしても、

 

それはまだ、修行のほんの入り口に

片足のつま先を差し入れたに過ぎません。

 

 

 

 

さはさりながら、

たった数日の、いや数分の間に、

 

これほどの進歩を遂げた

その日本女子の姿は、

 

まさに「人間の計り知れない可能性」を

雄弁に物語っていました。

 

 

 

そのお弟子さんの

歴史的な「進歩の瞬間」に立ち会えたことを、

師範として大変嬉しく思います。

 

 

 

 

そして、

この目覚ましい進歩には、

 

その日の稽古で丁寧に指導してくれた

有段者のお弟子さん、

 

 

また二、三日前に、

その技の基本を指導してくださった

 

有段者のお弟子さんの存在なくしては

ありえませんでした。

 

 

彼らの親切で的確な指導が

あったからこそ、

 

この日本女子も安心して

技を吸収できたのだと確信しています。

 

 

 

もちろん、

何よりも ** 彼女自身の強い「やる氣」** が

あったからこそ、

 

ここまで素晴らしい

進歩を遂げられたのでしょう。

 

 

 

 

人間は「やる氣」を出せば、

どこまででも「成長」できる。

 

 

 

 

合氣道師範として、

「人間は心が身体を動かす」という大原則に、

 

改めて、

揺るぎない確信を得た一日となりました。

 

 

 

 

" ありがとうございます " 。

 

 

 

 

私たちの道場

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場では、

 

このような一人ひとりの

「成長の瞬間」を大切にし、

 

それぞれの「やる氣」を

最大限に引き出す指導を心がけています。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-06 03:50:00

" 稽古で培う「魂の道標」:合氣道から学ぶ、「転んだら立ちあがれ」"

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】初候

 

七十二候

第二十五候  蟷螂生【かまきりしょうず】

 

二十四節氣は「芒種」初候へと移りました。

「蟷螂生」は6月5日~9日ころにあたります。

 

この時期になるとカマキリの幼虫が卵から孵化し始めるのを見かけるようになります。

 

生まれたばかりのカマキリは非常に小さく、かわいらしい姿をしていますが、

夏の間にぐんぐん成長していきます。

 

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

道場長の一日一心

 

『 けいこ で つちか う「たましい の みちしるべ」:あいきどう から まな ぶ、「ころ んだら た ち あ が れ」 』

 

 

 

 

" 「魂の道標」の智慧を胸に " 

 

 

 

私たちは皆、

人生という道のりを歩む中で、

 

足元をすくわれ、

転んだりすることがあります。

 

 

時に、大きくつまずき、

怪我をしてしまうこともあるでしょう。

 

 

 

しかし、

僭越ではありますが

不肖、私自身の経験からも確信しているのは、

 

 

その" つまずき " こそが、

「真の学び」「成長の機会」であるということです。

 

 

 

 

合氣道の道場では、

技を通じて何度も受身をとります。

 

 

最初はうまくいかず、

立ち上がる時にバランスを崩したり、

 

少しばかり頭を打ったりすることも

あったかもしれません。

 

 

 

しかし、

その「失敗」から目を背けず、

 

なぜ " うまくいかないのか " を考え、

心と身体の使い方を修正していくことで、

 

やがて滑らかで柔らかく、力強い

受身の動きを身につけることができます。

 

 

 

 

 

 

"「魂の道標」からのメッセージ "

 

 

 

 

 

人生における「つまずき」も、

これと全く同じです。

 

 

 

仕事での失敗、人間関係の悩み、

目標達成への困難…

 

 

私たちは様々な逆境や挫折に直面します。

 

 

 

そして、その時、

胸の奥から込み上げてくる感情、

 

時に流す「涙」は、

決して無駄なものではありません。

 

 

 

むしろ、

その涙の先にこそ、

 

「魂の道標」と呼ぶべき、

本物の智慧が宿っているのです。

 

 

 

学力や表面的な知識だけでは

決して得られない、「生きた教訓」

 

 

 

 

それは、

逆境を乗り越え、

 

自らの力で立ち上がった人にしか語れない、

" 説得力 " と " 深み " を持っています。

 

 

 

 

挫折を知らない人の言葉は、

たとえ、それがどれほど美しくても、

心に響かないことがあります。

 

 

 

 

しかし、

痛みを経験し、

 

それを乗り越えた人の言葉には、

不思議なほどの " 力 " があります。

 

 

 

 

それは、

困難を経験した者同士にしか

分からない共感と、

「未来への希望を与える力」だからです。

 

 

 

 

 

 

" つまずきを「プラス」に変える道 " 

 

 

 

 

 

合氣道寺崎道場では、

「ただでは起きない」という稽古を

日々、実践しています。

 

 

 

投げられたら、

すぐに受身を取り、次の動きへと繋げる。

 

 

 

受身とは自分の身を守るためだけではなく、

次に向かうための「準備」です。

 

 

 

 

 

それは、

人生においても同様です。

 

 

 

逆境に直面した時、

ただ打ちひしがれるのではなく、

 

その経験から何を学ぶべきか、

どうすればそれを力に変えられるかを考える。

 

 

 

この

「つまずきをプラスに変える」

姿勢こそが、

 

 

私たちを心身ともにさらに強くし、

より人間的に成長させてくれるのです。

 

 

 

 

そして、

その「魂の道標」から授かった智慧は、

 

私たち自身のためだけにあるのではありません。

 

 

 

同じように

人生の岐路で立ち止まっている人、

困難に喘いでいる人がいるならば、

 

その経験を分かち合い、手を差し伸べてあげる。

 

 

 

自分の「つまずき」が、誰かの「助け」となる。

 

 

 

これほど、素晴らしいことはありませぬ。

 

 

 

 

人生は、「つまずき」の連続かもしれません。

 

 

 

しかし、

その一つ一つが、

 

私たちを真の強さへと導く

稽古であると私は確信しています。

 

 

 

 

「魂の道標」が教えてくれた智慧を胸に、

 

今日一日を、

そしてこれからの人生を、

共に力強く歩んでまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-05 03:28:00

" 道場は小さな「共生」の宇宙 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】初候

 

七十二候

第二十五候  蟷螂生【かまきりしょうず】

 

二十四節氣は「芒種」初候へと移りました。

「蟷螂生」は6月5日~9日ころにあたります。

 

この時期になるとカマキリの幼虫が卵から孵化し始めるのを見かけるようになります。

 

生まれたばかりのカマキリは非常に小さく、かわいらしい姿をしていますが、

 

夏の間にぐんぐん成長していきます。

 

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

道場長の一日一心

 

『 どうじょう は ちいさ な「きょうせい」の うちゅう 』

 

 

 

 

「あかの他人はいない」

〜合氣道が示す「無縁」の教え〜

 

 

 

「あかの他人」という

言葉を耳にすることがあります。

 

 

全く関係のない人、縁遠い人、

といった意味合いで

使われることが多いように思います。

 

 

でも、

本当に私たちは

誰とも「あかの他人」なのでしょうか?

 

 

 

小林一茶の句に、

「花のかげあかの他人はなかりけり」

という名句があります。

 

 

 

「花のかげ」とは、この世の中のこと。

 

つまり、

この世に生きる私たちは、

 

自分では意識していなくても、

どこかで必ず誰かと繋がっている。

 

 

「完全に縁のない人など、一人もいないのだ」という

深遠な意味がこの句に込められているのです。

 

 

 

 

この考え方は、

仏教でいう「無縁」という言葉にも

通じるそうです。

 

 

 

 

私たちが考える

一般的な「無縁」のイメージは、

「縁がない」というものかもしれませんが、

 

 

仏教における「無縁」の真の意味は、

実は「無条件の縁」を指すそうです。

 

 

 

 

遠い親戚や

友人の知人といった特定の条件なしに、

私たちは皆、普遍的な「縁」で結ばれている。

 

 

 

この「無縁の縁」こそが、

「あかの他人はない」という境地と合致し、

 

「共生(共に助け合いながら生きる)」の

精神へと繋がっていくのですね。

 

 

 

 

そう考えると、

合氣道の道場もまた、

 

この「無縁の縁」を肌で感じられる場所です。

 

 

 

道場には、

年齢も職業も、学歴や生い立ちも

全て異なる様々な人々が集い、

 

ともに氣を出し、

相手を尊重して投げたり投げられたりします。

 

 

 

 

最初は「あかの他人」だった者同士が、

稽古を通じてお互いの呼吸を感じ、

技を受け、学び合っていく。

 

 

 

相手の動きを感じ取り、

それに合わせて己の心身を使うことで、

 

 

まるで

" 相手の中に自分が生き "

" 自分の中に相手が生きている "

かのような一体感が生まれます。

 

 

 

 

この感覚は、

まさに「人間愛の芽生え」ではないでしょうか。

 

 

共に稽古する仲間への信頼と敬意、

そして感謝の氣持ちが自然と湧いてくる。

 

 

 

これは、

単なる技術の習得を超えた、

「人間としての成長」に他なりません。

 

 

 

 

道場という小さな空間で、

 

私たちは

「あかの他人」ではないことを実感し、

 

互いに支え合うことの大切さを

学んでいるのですね。

 

 

 

 

日々の稽古は、

目の前の相手との「一期一会」を大切にすること。

 

 

 

 

そして、

その一つ一つの出会いが、

 

実は「無条件の縁」によって

深く結ばれていることを教えてくれます。

 

 

 

 

私たちは皆、

大きな大きな

" 生命のネットワーク " の中で生きているのです。

 

 

 

 

稽古を通じて育まれる

「無縁の縁」の精神は、

 

道場を一歩出た

社会の中でも生きてきます。

 

 

 

見知らぬ人との出会いや、

予期せぬ出来事の中に、

 

必ず何らかの「意味」や「繋がり」を

見出すことができると思うのです。

 

 

 

 

「あかの他人」はいない。

 

 

この言葉は、

私たちの日常において、

 

感謝の氣持ちを満たしてくれるはずです。

 

 

 

まだ合氣道に触れたことのない皆さんも、

近々、道場へ体験に来られる方々も

 

合氣道の稽古を通して、

 

是非、この「無縁の縁」を共に体感してみませんか?

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-04 03:54:00

" 師を伸ばす弟子:合氣道で学ぶ「言行一致」"

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

小満【しょうまん】 末候

 

七十二候

第二十四候  麦秋至【むぎのときいたる】

 

二十四節氣「小満」は末候へと移りました。

「麦秋至」は5月31日~6月4日ころにあたります。

 

冬に種をまいた麦が大きく実り、畑一面が黄金色に輝く頃を指します。

初夏の爽やかな風が吹き渡り、豊かに実った麦が収穫を待つ、

そんな日本の美しい情景がこの「麦秋至」という言葉に込められているのですね。

 

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

道場長の一日一心

 

『 し を のば す でし:あいきどう で まな ぶ " げんこう いっち " 』

 

 

 

 

今月末に控えた令和7年 前期 昇級審査。

 

 

各教室では

審査対象者の練習が熱を帯びています。

 

 

 

そんな中、

ある一人の中学生の女子生徒の

 

「本氣」には、

ただただ胸を打たれるばかりです。

 

 

 

「先生、今回の昇級審査で必ず昇級します。」

 

 

 

この言葉を聞いたとき、

私は彼女の並々ならぬ「覚悟」を感じました。

 

 

 

彼女は決して覚えの早いタイプでは

ありません。

 

 

それを彼女自身が一番良く知っています。

 

 

" 自分は覚えが人より遅い分、

人より多く稽古をしないといけない "

 

 

ということを、よく分かっているのです。

 

 

 

 

二時間の稽古中も

一切、休むことなく技に取り組み、

 

その日に指導をお願いした

有段者の先輩から

 

「少し休憩する?」と聞かれても、

「いえ、続けてやらせてください」と即答する。

 

 

 

その顔つき、目つき、

そして全身から発せられる「氣」は、

 

「人間が本氣になったら、ここまで変わるのか」と、

 

まだまだ、中学生の彼女から

教えてもらったような氣がしました。

 

 

 

こんな素晴らしいお弟子さんを持てて、

私は本当に幸せ者であると、

心からそう思います。

 

 

 

 

 

"「理解」と「行動」の不一致 " 

 

 

 

 

私たちは

「人間は心が身体を動かす」

という大原則を、

 

合氣道を通じて深く学んできました。

 

 

 

 

五年、十年と稽古を続ける者であれば、

 

この原則を深く理解しているはずだと、

私は長年、信じてきました。

 

 

 

しかし、

残念ながら

必ずしもそうではありませんでした。

 

 

 

彼らは口々に「理解しています」と言う。

 

 

 

しかし、

その「理解」と「行動」が

全く一致しない場面を何度も目にします。

 

 

 

 

それは、

果たして本当に理解していると

言えるのでしょうか。

 

 

 

" 天地大自然の理 " から

遠く離れているとしか私には思えません。

 

 

 

 

「できるか」、「できないか」は、やってみないと分からない。

 

 

 

これが「人生の真理」ではないでしょうか。

 

 

 

 

「やったからできた」あるいは

「やったらできませんでした」となるのが

自然な流れです。

 

 

 

「できたらやります」

「できそうならそうします」

「行けそうなら行きます」といった言葉は、

 

 

自身の都合で

「やらない」言い訳を探しているに過ぎません。

 

 

 

こういうタイプの人間って、多いんですよね。

 

 

 

短い、アッという間の大切な人生の時間を

このようなタイプの人間との

時間に取られたくないですね。

 

 

 

 

 

"「やらない」選択肢を捨てる人間の基本的精神 " 

 

 

 

 

私が言いたいのは、

「そんな日本語は存在しない」

ということです。

 

 

 

自分の都合で勝手に言葉を作り、

自分の行動を制限する。

 

 

 

 

それは、

自らの可能性を閉ざすことと同じです。

 

 

それは、

本当に " 心の弱い人間 " であると私は思います。

 

 

 

" 自分の弱い心を強くしたい " 

 

そう願って合氣道を始め、

 

それを実現するために稽古を重ね、

 

それとは真逆の道を歩もうとする。

 

 

 

まさに「主客転倒」でありまする。

 

 

 

 

 

あの稽古に励む

中学生の日本女子の「氣」の出し方。

 

 

 

それはまさに

「できるか、できないか」ではなく、

 

「やる」という選択肢しかないという姿勢。

 

 

 

 

彼女のその「本氣」から、

私たちは " 学ぶべきこと "

たくさんあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

" 師を伸ばす弟子、師匠となる弟子 " 

 

 

 

 

「こんなお弟子さんを持てて、幸せだ」。

 

 

 

師匠に

そう思わせることのできる弟子は、

 

" 師匠自身をも成長させてくれる存在 " です。

 

 

 

それは、

私自身を成長させてくれる

存在であるから、

 

私にとっては「師」でもあるのです。

 

 

 

 

合氣道の道は、

技の技術を磨くだけではありません。

 

 

 

心を磨き、

言葉と行動を一致させ、

 

真摯に物事に向き合う姿勢を学ぶ場なのです。

 

 

 

 

「やります」と即答できる潔さと、

 

それを

成し遂げるための「本氣」の精神こそが、

 

 

合氣道の真髄であり、

より良い人生を生きていく「本質」でありまする。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-03 03:17:00

" 君は「臭い大根」になっていないか?私が思う合氣道修行の真髄 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

小満【しょうまん】 末候

 

七十二候

第二十四候  麦秋至【むぎのときいたる】

 

二十四節氣「小満」は末候へと移りました。

「麦秋至」は5月31日~6月4日ころにあたります。

 

冬に種をまいた麦が大きく実り、畑一面が黄金色に輝く頃を指します。

初夏の爽やかな風が吹き渡り、豊かに実った麦が収穫を待つ、

そんな日本の美しい情景がこの「麦秋至」という言葉に込められているのですね。

 

 

 

 

 

今日のお題

 

道場長の一日一心

 

 

 

 

 

『きみ は「くさ い だいこん」に なって いない か?わたし が おも う あいきどう しゅぎょう の しんずい』

 

 

 

 

 

たった二、三年稽古を続けただけで、

たった五、六年稽古を重ねただけで、

身につけた技や知識を " ひけらかす " 。

 

 

そのような人を見かけることがあります。

 

 

 

 

しかし、

それは合氣道の真髄からは

大きくかけ離れたものです。

 

 

 

 

技の形をいくつか覚えたばかりの者、

部分的な知識を得たばかりの者は、

 

とかく、それを鼻にかける傾向があります。

 

 

 

 

まるで

「恐ろしき愛宕、鞍馬の天狗よりもなお恐ろしき里の小天狗」

 

 

少しばかり合氣道に触れただけで、

すぐにそれを誇示したがるのが

心浅き、傲慢な愚者の行動です。

 

 

 

 

 

" 学びの深さと謙虚さ " 

 

 

 

 

昔の賢人は

 

「学問は臭いものである。ちょうど大根を煮るのと同じで、煮れば煮るほど臭くなるが、完全に煮尽くせば臭みがなくなる」

 

と説きました。

 

 

 

これは合氣道の稽古にも通じる真理です。

 

 

 

表面的な技や知識は、

時に「傲慢、思い上がり」という

「臭み」を伴うことがあります。

 

 

 

そこで慢心して、

立ち止まってしまえば、

「ただの臭い者」で終わってしまう。

 

 

 

 

しかし、

稽古を深め、技と心と身体が

天地大自然と一体になった時、

 

その「臭み」は消え去り、

真の境地へと

到達するものではないでしょうか。

 

 

 

 

 

" 真の境地に至る者とは " 

 

 

 

 

 

勝ち負けだけにこだわり、

生半可な氣持ちで稽古を続ける者は、

 

とかく大層な態度をとったり、

世間から超越したかのように振る舞い、

 

周囲を不快にさせることがあります。

 

 

 

 

 

しかし、

真に合氣道の道を究めようとしている者、

 

あるいは、

すでにその道を歩んでいると

思われる者は、

 

いたずらに自分を誇示することはありません。

 

 

 

 

彼らは

普段と変わらないように

淡々と稽古に励み、

 

その言動もまた、

ごく自然で穏やかなのです。

 

 

 

 

しかし、

注意深く観察し、耳を傾ければ、

 

彼らの目つきや声には、

どこか常人とは異なる

 

深みがあるように感じます。

 

 

 

 

 

その立ち居振る舞いは

大地に根を張ったかのように揺るぎなく、

 

静かで洗練された動きを見せます。

 

 

 

彼らの言動には、無駄がなく、

あかぬけした「趣」が感じられます。

 

 

 

 

 

もちろん、

このような境地は

 

合氣道のみに

限定されるものではありません。

 

 

 

 

どのような道であれ、

深く追求し、

真摯に修行を重ねれば、

 

必ず同じ高みに到達できると

私は信じています。

 

 

 

合氣道の稽古を通して、

 

私たちは技を磨くだけでなく、

 

人間としての奥深さを追求し、

心身を錬磨していきたい。

 

 

 

そのような人たちと、

ともに向上していきたいものです。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝