" 「素直さ」それは合氣道から学んだ人生訓 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 春分・次候
七十二候
桜始開 さくらはじめてひらく
第十一候
「春分」は、初候から次候へと移りました。
「桜始開」は、3月25日~29日くらいにあたります。
桜の花が咲き始める頃という意味です。
待ちに待った桜の開花は、
春の訪れをより一層感じさせてくれます。
この時期は、
各地でお花見のイベントが開催され、
多くの人が桜の美しさを楽しむことができますね。
今日のお題
『 " すなおさ " それ は あいきどう から まなん だ じんせいくん 』
子どもでも大人でも、
素直な人と接すると、
その純粋さに心を打たれます。
まるで、
曇りのない水晶のように、
その人の内側から
輝きが溢れ出ているかのようです。
「素直さ」とは、
相手の意見に「はい、はい」と
聞くことではなく、
" 考えがひねくれていない " ことであり、
盲目的に従うことではありません。
それは、
自分の考えに固執せず、
他者の意見を柔軟に受け入れる
「心の姿勢」です。
たとえば、
誰かから意見をもらった時、
「なるほど、そういう考え方もあるのか。
それを取り入れれば自分の考えは、
もっと良くなるかもしれない」と、
ポジティブに捉えることができるかどうか。
一方で、
「自分の考えが攻撃された」と受け止め、
必死に防御しようとすれば、
人間関係はぎくしゃくしてしまいます。
開き直ったり、
不貞腐れたりして、
「あなたの意見は絶対に受け入れない」
という態度では、
誰もが心を閉ざしてしまうでしょう。
これは、
単なる処世訓ではありません。
合氣道の奥義にも通じる、人生の深い真理なのです。
合氣道では、
相手の力とぶつかり合うことなく、
その相手を行きたい方向に導き、投げます。
この技を体得している人は、
大体、心がシンプルで、
物事を柔軟に捉えることができる人です。
難しい技の説明も、
その発想を聞いてみると、
「なーんだ、そういうことか」と
拍子抜けするほど単純明快だったりします。
合氣道師範として、
私は常に「素直さが一番」という
信念を大切にしてきました。
合氣道の経験が全くない人のように、
固定観念にとらわれず、
自由な発想で技 ( 物事 ) を考えること。
しかし、
それを形にするには、
プロとしての深い知識と熟練した技術が不可欠です。
この「素直さ」を
日常生活や人間関係に活かそうとしても、
中途半端な知識や技術では、
そう簡単に上手くはいきません。
合氣道も人生も、
発想はシンプルで
受け止め方は「素直」であるべきです。
それを邪魔するのは、
生半可な知識や、
「自分は知っている」という傲慢な心です。
また、
真のプロフェッショナルとは、
自分の知識や技術に常に疑問を持ち、
" 向上心 " を持ち続けられる人です。
時には、
自分が築き上げてきた実績を
捨てる勇氣も必要なのです。
それは、
常に自分自身を成長させるために、
意識し続けなければならないことです。
本当の意味での
「素直さ」とは、
そのような " 謙虚さ " と " 向上心 " を
持ち合わせた人のことを
言うのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「おあし」の語源が示すもの "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 春分・次候
七十二候
桜始開 さくらはじめてひらく
第十一候
「春分」は、初候から次候へと移りました。
「桜始開」は、3月25日~29日くらいにあたります。
桜の花が咲き始める頃という意味です。
待ちに待った桜の開花は、
春の訪れをより一層感じさせてくれます。
この時期は、
各地でお花見のイベントが開催され、
多くの人が桜の美しさを楽しむことができますね。
今日のお題
『 " おあし " の ごげん が しめす もの 』
お金のことを
" 御足 (おあし) " と呼ぶことがあります。
「なぜ、こんなに働いているのに、いつもお金に困るんだろう?」
その唯一の解決策は
貧乏を嫌うより、
「貧乏に縁のない人間」に
なることではないだろうか。
「貧乏はいやだ!」
「お金が欲しい!」と強く思うほど、
お金は逃げていくもの。
お金がないことを
嘆くのではなく、
まずは
お金に愛される人に変わることだ。
不思議なことに、
お金は
「お金持ち」のところに集まりやすく、
「貧乏」なところからは
逃げていく傾向があるのだそうです。
言われてみれば、なるほどと思う。
これは、
お金が「仲間」を求める性質を持っているから。
つまり、
お金持ちは
さらにお金持ちに、
貧乏な人は
ますます貧乏に
なりやすいということです。
" 貧乏とつり合う人間には
お金は絶対に集まらない " ということだ。
お金のことを
「御足 おあし」と呼ぶのも
そういうことなのだろう。
これは、
お金に「足」があるかのように、
" お金は自ら動き、集まる場所を選ぶ "
ことを示唆しているようです。
お金に「逃げられない」ためには、
お金が「居心地が良い」と
思えるような人になることが大切ですね。
「カネがない!カネがない!」と
嘆いている人には
カネは絶対に寄ってはくれない。
その証拠に、
そう嘆く人は
自分は何も変わろうとはせず、
何年間も、同じことを言って嘆いているのだ。
お金は「心」に集まるものです。
お金は、
単なる「モノ」ではなく、
人の「心」に集まるもの。
お金に愛される人になるために、
まずは自分の「心」を豊かにして、
生き方を変えることから始めてみることだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 持ち物は身体の一部だ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 春分・初候
七十二候
雀始巣 すずめはじめてすくう
第十候
「啓蟄」から「春分」へと移りました。
「雀始巣」は、3月20日~24日くらいにあたります。
雀が巣を作り始める頃です。
春の暖かさの中で、雀たちが繁殖の準備を始める様子を表しています。
今日のお題
『 もちもの は からだ の いちぶ だ 』
合氣道には
剣 ( 太刀 ) や杖、短刀などを使う稽古があります。
「ものを持った時、そのものの先端にまで氣が通うこと」
それが合氣道琴心館寺崎道場での、
その稽古の目的の一つであるのです。
私たちは、
日常的に様々な「持ち物」を使用しています。
鞄、リュックサック、日傘、
スマートフォン、イヤホンなど、
多岐にわたります。
しかし、
これらの「持ち物」を、
あたかも " 自分の身体の一部 " であるかのように
認識している人は、
残念ながら少ないのではないでしょうか。
たとえば、
混雑した電車内で、
大きなリュックサックを
背負ったままの人をよく見かけます。
彼らは、
リュックサックが周囲の人々の迷惑に
なっていることに氣づいていないようです。
また、狭い歩道で、
周囲に配慮することなく
日傘を差している人もいます。
彼らにとって、
日傘は単なる「日光を避ける物」であり、
周囲への影響を考慮する必要はない
という認識なのかもしれません。
しかし、
本来、「持ち物」は、
" 私たちの身体の延長線上にある " と捉えるべきです。
鞄は、私たちの腕や手の延長であり、
リュックサックは、私たちの背中の一部です。
日傘も、私たちの頭上を覆う屋根の延長と
考えることができます。
もし、
多くの人々が
「持ち物」を自分の身体の一部であると認識していれば、
公共の場で、
それらを振り回したり、
周囲にぶつけたりすることは少なくなるはずです。
自分の腕や足を、
故意に他人にぶつける人がいないように、
自分の「持ち物」も、
他人を傷つけたり、迷惑をかけたりする
道具にはならないはずですね。
公共の場は、
様々な人が共有する空間です。
私たちは、
自分の「持ち物」が、
" 周囲の人々にどのような影響を与えるか " を常に意識し、
互いに氣持ちよく過ごせるように
配慮する必要があると思います。
そのためには、
学校教育や社会教育において、
「持ち物」と「身体」の関係性について
学ぶ機会を設けることが
重要ではないかと思うのです。
合氣道琴心館寺崎道場では、
その学びの一環として
剣 ( 太刀 ) や杖、短刀などを使う稽古があるのです。
「持ち物」も常に進化し、
私たちの生活を
豊かにしてくれる便利な道具です。
しかし、
その使い方を誤れば、
周囲の人々を不快にさせ、
社会全体の快適性を損なうことにもなりかねません。
私たちは
「持ち物」は「身体」の延長線上にある
ということを認識し、
公共の場における
意識改革の必要性があるように思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 期待と成長、優勝劣敗の摂理 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 春分・初候
七十二候
雀始巣 すずめはじめてすくう
第十候
「啓蟄」から「春分」へと移りました。
「雀始巣」は、3月20日~24日くらいにあたります。
雀が巣を作り始める頃です。
春の暖かさの中で、雀たちが繁殖の準備を始める様子を表しています。
今日のお題
『 きたい と せいちょう、ゆうしょうれっぱい の せつり 』
「優勝劣敗」とは
" まさった力をもつものが勝ち、 劣っているものが敗れる "
という意味です。
弱肉強食という
厳しい世界を想像させる言葉ですが、
世の中というのはそのようなもので、
決して甘いものではありませんね。
「優勝劣敗」
それは単に力関係だけではなく、
「心の領域」、「氣」であると、私は捉えています。
" 周囲から期待されるのは良いことだが、
期待過多は重圧となり、
その人を潰してしまう " という考え方があります。
しかし、
それは単なる
" 甘やかし " ではないでしょうか。
" 人はどんどん期待されるべきである " と
私は思うのです。
たとえば、
ある日本代表選手がオリンピックで
その種目に優勝できなかったら、
その選手が " 怠慢だったから " だと
非難されるぐらい
期待されてしかるべきであると思います。
それでも勝てなかったのなら、
その選手には
" その程度の力しかなかった " ということなのです。
「真の実力」とは、
厳しい重圧の中でこそ発揮される。
「期待という名の試練」を与えることで、
実力のない者はふるい落とされる。
それが
「優勝劣敗の摂理」なのです。
合氣道でも
「できる人」には 私は大いに期待します。
そして、
そのうえで最も大切なことは
いくらふるい落とされても、
何度落っこちても、転んでも、
また立ち上がればいいのです。
何度でも「氣をだして」起き上がればいい。
そういう人は必ずものになり、
強い心の持ち主になる。
その強い心があるからこそ、
他人には優しくなれるのです。
心の器の狭い、心の弱い者は
心に余裕がないのです。
したがって
人には優しくなれません。
あきらめ、くじけたら、そこで止まってしまう。
仮に奈落の底へ落ちたとしても、
自力で這い上がらなければいけないのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 休日でも心は遊ばせない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 末候
七十二候
菜虫化蝶 なむしちょうとなる
第九候
「啓蟄」は次候から末候へと移り、「菜虫化蝶」は3月15日~19日くらいにあたります。
冬を越した菜虫(青虫)が美しい蝶へと羽化する頃を意味します。
日差しが暖かくなり、春の訪れを感じられます。
自然の美しさと生命の力強さを感じることができる素晴らしい時期ですね。
今日のお題
『 きゅうじつ でも こころ は あそばせ ない 』
合氣道寺崎道場の指導者育成講習で
私が指導者の皆さんにいつも話すことは、
「その道で一流になろうと思うなら、
休みなく常に思考を巡らせ、
自己を成長させ続けなければならない。」
ということです。
これは指導者や組織、団体のトップという
立場以外の人にも
十分当てはまることなのです。
もちろん、
それは365日、1年中休みなく、
常に仕事に没頭するということではありません。
適度な休息や娯楽は、
心身の健康を保つ上で重要です。
たまには映画や温泉、釣りや旅行といった
趣味などにリフレッシュできる
時間を設けることも必要なことです。
しかし、
大事なことは
" 肉体を休ませ、
娯楽に興じていたとしても、
心も遊ばせ精神まで安息させてはならない。"
ということです。
温泉の湯煙から、
滴り落ちる一滴の水さえ、
新たな着想を得るように、
映画のワンシーンに
仕事への思いを重ねるように、
常に思考を働かせるべきであります。
人間の心というものは、
一日でも放っておけば
いくらでも、怠けるのです。
" どのようなときも、心は遊ばせてはいけません。"
休日、休養日を遊びに興じ、
思考停止に陥るような人は、
その道の一流には不適格で、
二流、三流であると言わざるを得ない。
また、
そのような指導者、リーダーからは
二流、三流の部下しか生まれないのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝