" 命にかかわる日常の「隙」をなくす。心と身体の調和をはかる一挙手一投足 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】初候
七十二候
第十六候 葭始生【あしはじめてしょうず】
4月20日~24日ごろ。
暖かくなり水辺の葭が芽吹き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 いのち に かかわる にちじょう の「すき」を なくす。こころ と からだ の ちょうわ を はかる いっきょしゅいっとうそく 』
道場では
姿勢にしても技にしても、
何事においても
基本を身につけなければならないと、
お弟子さんたちへ
日々、繰り返し指導しております。
稽古に励む
お弟子さんを拝見しておりますと、
ふと、
氣にかかることがございます。
それは
「無駄な動き」が多いことです。
技だけでなく、
何氣ない所作にも
必要以上の動作が見え隠れする。
" それは心身が隙だらけの状態なのであります "
道場での稽古中であれば、
たとえ隙だらけでも
命にかかわるようなことは
ないかもしれません。
しかし、
私たちの真の「本番」は日常なのです。
学校での学びや
友との触れ合い、
職場での責務、
そしてご縁のある方々とのお付き合い。
そうした
日々の営みのなかで
ふと生じた隙は、
時に取り返しのつかない事態を
招くかもしれません。
だからこそ、
日常生活において
どれだけ
隙のない姿勢であらゆる事に当たるか。
それは
身体のありようも
心の在り方も同じです。
大きな事案でも
ささいな出来事でもです。
これは道場に通う人に限らず
誰であれ、
私たちの暮らしにおいても同じことで
ありましょう。
隙がないということは、
決して身構えて
身体をガチガチに
固めることではありません。
一切の力みを手放し、
「正しいリラックス」を心がけるのです。
ゆったりとした
呼吸とともに、
「臍下の一点」に静かに心を鎮める。
そうすることで
自然と無駄のない動きが生まれます。
いかなる事態にも
自由自在に対応できる、
それこそが真に隙のない自然体なのです。
相手と争わず
自然と和合する精神も、
こうした隙のない
自然体から育まれていくのです。
私たちは道場で
日々、それを学んでいるのです。
それを日常生活で
活かすことに
大きな意味と価値があるのです。
――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
単に道場の中だけで
通用する技を練ることではありません。
日常という本番において、
いかなる時も隙のない
自然体でいるための
「心と身体の調和」をはかることです。
一切の力みを手放し、
あらゆる出来事に柔軟に向き合える
健やかな心身の在り方を探究することが、
やがては周囲との和合を生み、
人々の喜びに繋がっていくと信じております。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
より健やかな生き方、
良好な対人関係の築き方など
現代の暮らしに活かす
ヒントがここにあるかもしれません。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【二十四節氣・穀雨】 天地大自然の一部として生きる 〜葭の力強さと氣のめぐり〜 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
穀雨【こくう】初候
七十二候
第十六候 葭始生【あしはじめてしょうず】
4月20日~24日ごろ。
暖かくなり水辺の葭が芽吹き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【にじゅうしせっき・こくう】 てんちだいしぜん の いちぶ として いきる 〜あし の ちから づよさ と き の めぐり〜 』
春の最後の節氣、
「穀雨(こくう)」を迎えました。
地上に生きるたくさんの命へ、
天からの贈り物である雨が
しっとりと降り注ぐ季節になりました。
春の雨には、
美しい名が数多くあります。
草木を優しく潤す
「甘雨(かんう)」、
穀物を豊かに育む
「瑞雨(ずいう)」、
長く降り続く
「春霖(しゅんりん)」、
花々の開花を促す
催花雨(さいかう)、
そして、
一面に菜の花が咲くころに
しとしとと降る春の長雨を
菜種梅雨(なたねづゆ)と呼ぶのですね。
どの名にも
自然の恵みを敬い、
共に生きてきた
人々の息遣いが感じられます。
「立春」から「清明」へと
至る日々では、
春の風が吹き大地が目覚めました。
また、
虫や鳥が動き出し
すべてが生き生きと輝く季節を経て、
その総仕上げのように、
命の源が
降り注ぐのが今の時期なのですね。
水辺では
葭(あし)が力強く芽吹き始めます。
水面から真っ直ぐに飛び出す若芽、
その鋭い先端はまるで角のようです。
天に向かって、
伸び伸びと
命の「氣」を
発しているようにも見えます。
合氣道におきましても、
木剣を扱う稽古がございます。
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場では、
木刀を「氣刀(きがたな)」、
あるいは「氣形」と捉えます。
葭の若芽が天へ向かうように
木刀の切っ先からも
真っ直ぐで力強い「氣」が、
放たれるのをイメージするのです。
春の雨に打たれ、
すくすくと伸びる葭のたくましさは
天地大自然の
圧倒的な生命力を感じます。
あるがままの自然体で
静かに春の雨音に耳を澄ませて、
天からの恵みの雨に
心からの感謝を捧げる。
そうすることで
私たち自身もまた、
天地大自然の一部なのだと
氣づかされます。
天地大自然と一体となり、
満ち足りたひとときを
日々の暮らしの中で大切にしたいものです。
――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技の形をなぞることではありません。
天地大自然の恵みに感謝し、
春の雨が草木を豊かに育むように
内なる自然と静かに向き合い
心身を養うこと。
天へ真っ直ぐに伸びる葭のごとく、
自らがプラスの氣を発して歩む。
その歩みが
やがて周囲の人々の心をも優しく潤す、
恵みの雨のような
生き方へと繋がっていくと信じております。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
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『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
現代の暮らしに活かせる
健やかな生き方のヒントが
ここにあるかもしれません。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 人の氣づかないものを見つける力:日常と合氣道の稽古に活きる視点 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
清明【せいめい】末候
七十二候
第十五候 虹始見【にじはじめてあらわる】
4月14日~19日ごろ。
春が深くなるにつれ空氣が潤い、美しい虹がかかるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ひと の きづかない もの を みつける ちから。にちじょう と あいきどう の けいこ に いきる してん 』
ハンガリーの生化学者である
セント・ジェルジ・アルベルトは、
このような言葉を残しています。
「発見とは
人と同じものを見ながら、
人の氣づかないものを
見つけることである。」
木から落ちるリンゴを見て
万有引力の法則を見出した
ニュートンの逸話も、
まさに、これと同じでしょう。
誰もが当たり前のように
見ている現象の中にも、
常識や先入観にとらわれず
視点を変えることで、
世界を変えるような
大きな発見が潜んでいるのですね。
この観点は、
合氣道の稽古にも深く通じています。
道場では、まず師範の私が
お弟子さんの前で
技の見本(型)を見せます。
この時、
ただ全体の型だけを
漫然と眺める弟子と、
一方で
細かな足捌きや手の動き、
そして
師範の呼吸や
臍下の一点の使い方まで
見逃すまいと観察する者とでは、
得られる学びの
深さが全く違ってくるのです。
さらに、
技をかける際に
一人のお弟子さんを前に呼びます。
そのお弟子さんは
実際に師範の手を取り、
肩を掴んだりして技を体感します。
実はこの時、
師範の動きや
氣の方向や強さ等を
一番よく実感できるのは、
手を取ったその弟子自身なのです。
しかし、
ここでも違いが生まれます。
ただ呼ばれたから
前に出て、
手を取り投げられるだけの者と、
触れた瞬間の氣の伝わり方や
呼吸の合わせ方など、
一挙手一投足から
何かを掴み取ろうとする者。
前に呼ばれたら、ただでは帰らない。
一つでも
新たなことを学ぼうと、
学びに
貪欲になる姿勢を持っている者。
そのような
お弟子さんは必ず伸びていきます。
同じ体験をしながらも、
見えている世界はまるで異なるのです。
私はありがたいことに、
自身の師匠である
合氣道琴心館館長・琴地茂先生の受けを
数多く務めさせていただきました。
自ら受けを取らなければ
絶対に見えてこない、
技の深い淵があります。
琴地先生の手を取り、肩に触れ
投げられる中で、
私はその深淵を
全身で学ばせていただきました。
その尊い学びと
氣づきがあったからこそ、
今こうして
合氣道琴心館寺崎道場に集う
お弟子さんを
正しく導くことができるのです。
私たちは日常の中でも、
同じ景色を見ながら、
数多くの大切なものを
見落としているのかもしれません。
ただ周囲と同じように
眺めているだけでは、
真の氣づきは得られないものです。
いつもの見方や先入観を一度手放し、
ほんの少し視点を変えてみる。
その柔軟な見方を持つことこそが、
今まで氣づかなかった
新しい道を開く、
大きな鍵となるはずです。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
――――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技の形をなぞることではありません。
人と同じ景色の中からも、
自ら進んで新たな氣づきを見つけ出そうとする。
その主体的な学びの姿勢を養うことです。
道場で培った「自ら氣づく力」は、
日常のあらゆる場面で道を切り拓く、
確かな指針となってくれるはずです。
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 春の初鰹|旬の恵みに触れ、天地大自然の命に感謝する "
今朝も目覚めることができた。
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本日は、二十四節氣
清明【せいめい】末候
七十二候
第十五候 虹始見【にじはじめてあらわる】
4月14日~19日ごろ。
春が深くなるにつれ空氣が潤い、美しい虹がかかるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 はる の はつがつお|しゅん の めぐみ に ふれ、てんちだいしぜん の いのち に かんしゃ する 』
先日、
初鰹を大変美味しくいただきました。
さっぱりとした春の初鰹は、
やはり"たたき" でいただくのが
一番ですね。
たっぷりの薬味とともに
頬張ると、
口いっぱいに
爽やかな香りが広がります。
鰹の旬は、
春と秋の二回あります。
春から初夏にかけて
黒潮に乗って北上する「初鰹」。
そして秋に南下してくる、
脂の乗った「戻り鰹」です。
それぞれに
異なる味わいがあり、
季節の移ろいを
舌で感じさせてくれます。
旬のものを
いただく意味は、
単なる
美味しさだけではありません。
その季節が持つ
天地大自然の「氣」を、
身体に取り入れることであります。
自然の巡りとともに
育まれた尊い命を、
自らの血肉となるべく
ありがたく頂戴するのです。
『いただきます』
手を合わせて
「臍下の一点」に心を静め、
目の前の食事に向き合い、
天地大自然の恵みに深く感謝する。
私たちの命は
この地球上の
すべての命に生かされていることを、
静かに感じ入る
ひとときでございました。
―――――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
天地大自然から
授かった命に手を合わせ、
私たちが無数の命に支えられて
生かされているという、
深い感謝を胸に
日々の暮らしを歩むことです。
自然の理や、
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 誰があなたを護るのか。天地大自然に護られる生き方とは? "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
清明【せいめい】末候
七十二候
第十五候 虹始見【にじはじめてあらわる】
4月14日~19日ごろ。
春が深くなるにつれ空氣が潤い、美しい虹がかかるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 だれ が あなた を まもる のか。てんちだいしぜん に まもられる いきかた とは? 』
来たる4月29日は、
第27回兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会が執り行われます。
自宅のトイレには、
過去の大会の神戸新聞の記事を
切り抜いて貼っております。
「今年も、演武大会が近づいてきたな」と、
一部一部の記事に
目をやっておりました。
その中に他の道場から参加した
子どものインタビューが
目にとまりました。
「合氣道は自分を守る動きが学べる」
その言葉を目にして
ふと、考えたのです。
自分より強くて
動きも数段優れた相手と
相対した時、
はたして
自分の力や技だけで
本当に身を守り切れるものでしょうか。
あくまで
私の結論から言うと、
自分が自分を
守り切ることはできません。
なぜなら、
「合氣道は自分を守る動きが学べる」
ということは、
道場でしか、
それが通用しないのなら
全く意味がないからです。
その自分を守る動きが学べて
それを自身が会得して、
道場以外の
あらゆる状況下において、
自分を守ることができなければ
意味がありません。
たとえば、
飛行機に乗っていて
墜落したら
自分を守ることができるでしょうか?
そのような状況下におかれても
奇跡的に生存するというのは、
まさに、
私たち人間の人智を超えた
何者かに助けられたと
言わざるを得ません。
そうであるなら、
本当に自分を守れるのは
自分の力ではなく「天地」なのです。
では
天地に護ってもらえる生き方、
天地大自然に
応援してもらえる生き方とは
どのようなものでしょうか。
それは
日頃の言動、行い、
その一挙手一投足に至るまで
天地大自然の理(ことわり)に
逆らわず誠実に生きていくことです。
自分のためだけでなく
周囲の人の喜びを願って行動すること。
困っている方がいれば
そっと、温かな手を差し伸べること。
自分の利益ばかりを
追い求めるのではなく、
私欲を手放して
社会が少しでも
明るくなるよう動くこと。
私たちが生かされている
この地球の自然環境を
敬い守っていくこと。
人のために
社会のために
地球のために、
自らが、
お役に立てる生き方を
日々、実践していくのです。
そうした
誠実な行いの積み重ねが、
天地の心に通じる道となります。
お天道さまにも、心があります。
日々の行いを見て
「お前さんは、放ってはおけないね」と、
天地大自然が
思わず手を差し伸べたくなるような
人間になれるよう、
奢(おご)ることなく、弛まず
日々、歩みを進めることです。
そのように
生きていれば、
何があっても
天地が護ってくれます。
いざという時には
「天ちゃん、頼むで」と、
全てを天地に委ねて
思いっ切り、
目の前の出来事に
飛び込んで行けばよいのです。
もし、それでダメだったのなら
「ああ、まだまだ修行が足らなかった」と
潔くその結果を受け入れればよいのです。
私は
合氣道琴心館寺崎道場の師範として、
お弟子さんたちを
日々、そのように導き
共にその道を歩んでおります。
僭越ではありますが、
不肖私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場が
皆様にお伝えしたいのは、
単なる
技の学びという枠を超えた、
この
「生き方の理(ことわり)」なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技を競うことではありません。
小さな「個」の力に執着せず
広く天地の心と響き合いながら、
目の前の誰かや
私たちが住むこの世界のために、
自ら進んで真心を尽くしていく在り方を
探求することです。
そうした日々の積み重ねの中にこそ、
天地に護られる安らぎと
本当の意味での
強さがあると信じております。
自然の理や、日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
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現代の暮らしに活かせる
健やかな生き方のヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝