2024-08-21 04:05:00

" 無いから出来ないは、あっても出来ない "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『ない から できない は、あって も できない』

 

 

 

無いから出来ない、

 

でも、あれば出来る。

 

 

 

何かをしたいけど、

 

金がないから

 

何も出来ない

 

という人は、

 

 

 

金があっても

 

何も出来ない人なのです。

 

 

 

確かに

 

金がなければ

 

出来ないことも

 

社会にはある。

 

 

 

しかし、

 

金が無いのは

 

今現在の

 

自分の現状なのです。

 

 

 

その現状を

 

変えようと

 

努力してないだけのこと。

 

 

 

世の中それほど

 

甘くはない。

 

 

 

自分自身で

 

何も変えようと

 

しない人には

 

天地大自然は

 

絶対に応援しない。

 

 

 

今日、金が無い。

 

だから

 

明日も金が無い。

 

来月も金が無い。

 

来年も金が無い。

 

 

 

その状況が当たり前に

 

なってしまって、

 

そこから

 

抜け出そうとしていない。

 

 

 

まずは、

 

それに自分自身が

 

氣付かないといけない。

 

 

 

地球は太陽の周りを

 

休むことなく

 

回り続けている。

 

 

 

私達の身体も同じだ。

 

 

呼吸は休むことなく続く。

 

生きている間は

 

心臓は休むことなく動いている。

 

 

 

これが

 

天地大自然の

 

絶対的な大法則だ。

 

 

 

その法則に従わないから、

 

何事もうまくいかないのだ。

 

 

 

世の中は常に動いている。

 

変化している。

 

 

 

これに従えば、

 

今日は金が無くても、

 

明日も無いとは限らない。

 

 

 

全く同じ日なんて

 

絶対にないのだから。

 

 

 

金がないなら、

 

金を調達する努力を、

 

行動をすれば

 

良いだけのこと。

 

 

 

昨日と同じ状態を

 

今日も受け入れて

 

いてはいけない

 

 

 

出来ない理由がある所に

 

解決方法などはない。

 

 

 

出来ない理由などを

 

嘆く暇があったら、

 

行動することだ。

 

 

 

それが解決方法だ。

 

 

 

人はあっという間に死ぬ。

 

ぼやぼやしている間に

 

死んでゆく。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-08-20 04:03:00

" 食の危機管理能力 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『しょく の ききかんり のうりょく』

 

 

先日の東京出張で

渋谷区恵比寿にある

 

観光客は殆ど知らない、

知る人ぞ知るという

定食屋さんに行ってみた。

 

 

そのお店の

常連のお弟子さんに

聞いてみた。

 

「何がオススメかな?」

 

「先生の大好物の唐揚げ定食か、チキン南蛮がおすすめですよ」

というので、

 

迷わず

唐揚げ定食を注文した。

 

 

なるほど

サクサクジューシーな

唐揚げは

とても美味しく大満足だ。

 

 

その横で

お弟子さん達が

何やらヒソヒソ話を

しているではないか。

 

 

どうやら

定食のご飯の量が、

 

以前より

少なくなっている

とのことらしい。

 

 

私はもちろん

初めてのお店なので

分からなかったのだが、

 

 

地元でよく通う

定食屋の半分位の

ご飯の量だったことは確かだ。

 

 

まぁ東京なので、

渋谷区恵比寿だし、

 

少し、おハイソなのか

とも思っていたのだが、

 

以前はそうでは

なかったらしい。

 

 

 

そういえば、

地元のスーパーも

陳列から米が無くなっている。

 

 

私は必ず、

地元以外の場所に行けば、

 

近くのスーパーに

立ち寄ることにしている。

 

 

どこにでもあるような

大手スーパーではなく、

 

地元密着型というか、

個人経営に近いような

スーパーに行くのだ。

 

 

そこには

地元の神戸には

無いような

食品や日用品などを

見つけることがある。

 

そこでしか買えない

地ビールとか、お菓子とかを

探すのが楽しい。

 

 

また地元と比較して

価格帯や

並べてあるものなどを見れば、

 

おおよそ、

その地域の生活水準も分かる。

 

 

それにしても、

どこのスーパーも

米が無くなっている。

 

 

当時は地震の影響で

水も2リットルお一人2本までと

張り紙が貼ってあった。

 

 

 

何れにしても

世間は米不足なのだそうだ。

 

 

 

昨年の猛暑の影響や

インバウンド客の

米の消費などが

理由というが、

 

本当のところは分からない。

 

 

秋には

新米が出回るから

それまでの我慢だというが、

 

今年の猛暑は

昨年以上なのだから、

 

その理由が本当なら、

来年も米不足は

確実ということに

なるのではないのか。

 

 

外国人観光客が

1週間から10日

滞在したとして、

 

その多くが

1日3食

米を食べるとは

考えられない。

 

 

確かに東京や京都で

観光地のご飯屋さんで

外国人観光客を

見ない日はなかった。

 

 

それでも

マクドナルドや

イタリアン、

パスタやピザ店も

インバウンド客で

大繁盛していたのだ。

 

 

そういう事実を

目の当たりにしたら、

 

とても米不足の原因が

インバウンドの増加で

需要が増えたため、

 

とは

私は思えない。

 

 

 

何か国民には

知られてはまずい

事情でもあるのではないか。

 

 

政府と

マスメディアが

結束して

 

本当のことを

国民に知らせないことは、

 

日本は本当に多い。

 

 

どうして?

 

それは

既得権益に

しがみつくためだ。

 

 

 

我が家は

お陰様で

米不足の影響は

今のところ全くない。

 

値上がりもしていないし、

 

販売店から

注意喚起すら全くない。

 

 

それは

農家と直接契約している

販売店から購入しているからだ。

 

 

 

例えば、

野菜にしても

 

生産過剰分や

形や色が悪くて

出荷できないものを

毎月お任せで購入している。

 

 

お任せだから、

何が届くか分からない。

 

でも

農家が出荷できない

困ったものを購入するから、

当然安い。

 

 

「また大根か、またきゅうりが届いた」

 

毎月こんな調子だが、

農家も助かる。

 

 

常に需要と供給の

バランスが安定しているから、

何の影響もない。

 

 

農家も助かるが、

我が家も

助かっているのだ。

 

 

世間は

米不足という時にでも、

 

値上げもしないで、

いくらでも売ってくれる。

 

 

 

まだ子ども達が

小学生の頃に、

 

田植えから収穫までの

体験会に

家族で参加したことがある。

 

 

完全無農薬なので

雑草が生えるから、

それを取り除く。

 

 

夏の炎天下にも関わらず、

普段の農家の人達の

苦労もよく分かった。

 

 

子ども達にとっても

非常に良い経験に

なったと思う。

 

 

 

「非常事態には優先的に供給します。それが私達の繋がりです」

 

 

その米農家さんが

仰っておられた。

 

なんて

有り難いことなのだろう。

 

 

 

少しでも安いもの。

あのスーパーのほうが

安いからと

 

目先のことだけに

囚われていると、

 

緊急事態には

対応できないものだ。

 

 

「食」は生きていく上で

最も重要なこと。

 

 

だからこそ、

 

「もしも」に備えて

普段から準備しておかねば

いけないのではないだろうか。

 

 

バランスを考えて。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

道場長 拝

2024-08-19 04:55:00

" 心の糧と身体の糧 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『こころ の かて と からだ の かて』

 

 

 

今年の夏は例年より

 

少し長めの東京出張と

 

お盆恒例の京都での

 

勉強会を終えた。

 

 

 

それにしても

 

東京も京都も

 

インバウンドでいっぱいだ。

 

 

 

時折聞こえる

 

日本語にホッとした

 

氣持ちにもなったものだ。

 

 

 

歩くたび

 

多くの道行く人とすれ違った。

 

 

 

多くの人達と

 

新幹線や地下鉄、JR、阪急等で

 

同じ車両に乗り合わせた。

 

 

 

食事に行くたびに、

 

多くの人達と同じお店で

 

飲み食いもした。

 

 

 

もしかしたら、

 

この人達の中にも

 

世の中の厄介者である

 

怠け好きな人が

 

あるかもしれない。

 

 

 

若い人で

 

働くことの嫌な人がある。

 

 

 

地球規模で見ても、

 

ほんの小さな

 

存在でしかない

 

私という一人の人間が

 

少し国内を動くだけで、

 

 

 

これほど多くの人達と、

 

すれ違うのである。

 

 

 

中には

 

若くても心の病等に苦しみ、

 

働きたくても

 

働けないという人も

 

いるだろう。

 

 

 

しかし、

 

そのような状況に

 

あったとしても、

 

 

 

世のため、人のために

 

自分の出来ることを考え、

 

実行しよう。

 

 

 

一個人の力は微力でも

 

一人が十人、十人が百人、

 

千人となれば大きな力となる。

 

 

 

怠けていてはいけない。

 

 

 

いつも

 

心身の糧を

 

とることを

 

忘れてはいけない。

 

 

 

どんなに力に充ちた

 

魂を持った人でも、

 

 

 

心の糧を

 

とることを忘れたら、

 

魂もやつれてゆく。

 

 

 

世の中は厳しいものだ。

 

仕事も同様だ。

 

 

 

些細なことで

 

泣き言を云うようでは、

 

身体もどんどん

 

弱くなる一方だ。

 

 

 

力も出せなくなれば、

 

みるみるやつれる。

 

小石にもつまずいて

 

倒れるようになる。

 

 

 

まずは

 

心の糧をとることを

 

最優先することが大切だ。

 

 

 

人間の主体は

 

肉体ではなく心だ。

 

 

 

心が主体で、

 

心が身体を動かすのだ。

 

 

 

心にやる氣を起こさせたら、

 

身体はその通りに

 

動いてくれる。

 

 

 

それが

 

「氣を出す」

 

ということである。

 

 

 

心に糧がなくなれば

 

苛立ってくる。

 

暗くもなる。

 

 

 

心が苛立ってくれば

 

運命も波立つ。

 

 

 

運命が波立てば、

 

小石のような

 

小さな事件や、

 

ちょっとした不幸にも

 

つまずいて倒れてしまう。

 

 

 

一生を誤り、

 

取り返しの

 

つかないことにも

 

なりかねない。

 

 

 

自分の思いや

 

行いだけで

 

運は変わってゆく。

 

 

 

自分次第だ。

 

 

 

将来に希望を持ち、

 

私利私欲ではなく、

 

世のため、人のために

 

伸びゆく人は

 

 

 

日夜、刻々、

 

心の魂の糧を

 

とることを怠ってはならない。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-16 05:15:00

" 至福の眠り "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『しふく の ねむり』

 

 

 

2024年

 

夏の東京出張 最終日は

 

呼吸法と自己手当の

 

講習会がある

 

南青山スタジオに向かった。

 

 

 

都営大江戸線 大門駅からだと

 

赤羽橋、麻布十番、

 

六本木、青山一丁目と4駅である。

 

 

 

青山一丁目駅から徒歩10分で

 

南青山スタジオに着くから、

 

 

 

大門駅から35分もあれば

 

十分なのだが、

 

浜松町を昼過ぎに出た。

 

 

 

 

 

青山一丁目駅から

 

南青山スタジオへ

 

少しだけ反対方向に

 

歩いたところにある

 

落ち着いたカフェで

 

 

 

寺崎道場の会報誌

 

" ぼくらの合氣道 8月.9月 合併号 " の

 

執筆作業を

 

しなければならない。

 

 

 

また、

 

この連日の炎天下では

 

夕方になっても

 

10分も歩いたら、

 

もう汗だくだ。

 

 

 

それにまして、

 

東京は坂が多い。

 

 

 

額から汗を流しながら

 

時間ギリギリに

 

会場入りするのは、

 

あまりスマートではない。

 

 

 

時間には

 

充分余裕を持ちたいものだ。

 

 

 

 

 

それにしても

 

早すぎるではないか。

 

 

 

 

 

ふと麻布十番駅で降りた。

 

 

 

麻布十番から青山一丁目まで

 

歩くことにした。

 

 

 

この辺りも坂が多い。

 

 

 

 

 

東京には江戸時代に

 

命名された坂が約500、

 

明治以降に命名された坂が

 

約140もあるらしいのだ。

 

 

 

とても興味深く、

 

今回の東京出張においても

 

そのいくつかの坂を巡ってみた。

 

 

 

今後も" 東京坂巡り "を

 

続けてみたい。

 

 

 

話を元に戻そう。

 

 

 

 

 

麻布十番駅を出て、

 

鳥居坂を登り切ったら、

 

案の定もう汗だくだ。

 

 

 

麻布十番から

 

僅か2駅なのだが、

 

徒歩で約20分。

 

 

 

この炎天下だ。

 

きつい。

 

かなり後悔した。

 

 

 

それでもこの苦を

 

何とか楽しむ方法はないか。

 

そのためにどうすれば良いか。

 

 

 

そんなことを

 

考えながら歩いていた。

 

 

 

その途中で

 

道路工事をやっていた。

 

 

 

 

 

そこで働く人が

 

昼休みで眠っている。

 

 

 

工事のために

 

掘り返された土の上が、

 

ちょうどイチョウの木で

 

陰になっている。

 

 

 

その土の上で眠っている。

 

 

 

3人の寝姿に

 

思わずほほ笑んだ。

 

 

 

枕もいらない。

 

敷布団もタオルケットも

 

畳もベッドもいらない。

 

 

 

道行く人も皆、

 

その寝姿にほほ笑んでいる。

 

 

 

道行く人の笑いも、

 

話し声も、

 

何と思われようとかまわない。

 

 

 

ただ

 

安らかな

 

いびきをかいている。

 

 

 

東京1400万人の中で、

 

一番幸せな

 

眠りなのだろうと思った。

 

 

 

 

 

何もいらない。

 

 

 

何をどう思われようと

 

かまわない。

 

 

 

そのままでよいのだ。

 

 

 

とにかく一眠りなんだ。

 

 

 

 

 

その人達を見た時、

 

これが本当の

 

健康な人の姿なんだと思った。

 

 

 

 

 

この炎天下の都心で

 

なんて良いもの

 

見せてもらったんだ。

 

 

 

これも

 

お天道様が

 

導いてくださったのか。

 

 

 

麻布十番駅で

 

降ろされたことも

 

 

 

天地大自然の

 

粋な計らいなのか。

 

 

 

 

 

そう思いながら、

 

この3人の寝顔を見ていたら、

 

なんだか涙が溢れてきた。

 

 

 

他人の寝顔を見て

 

涙が出ることなんてあるのか。

 

 

 

 

 

豪邸に住んで

 

泣く人、病む人、

 

眠れない人を

 

ずいぶん見てきた。

 

 

 

掴みすぎ、持ち過ぎ、

 

取り込み過ぎでは

 

あるまいか。

 

 

 

空腹はかえって健康に良い。

 

腹が減ったら何でも美味い。

 

 

 

何でも

 

有り難く食べることの

 

出来る人こそ尊い。

 

 

 

食べ過ぎ、飲み過ぎ、

 

休み過ぎ 、儲け過ぎ、

 

取り過ぎ、貯め過ぎが

 

不健康のもとに

 

なりやすいのだ。

 

 

 

「破れたる衣はきても足ることを知ればつづれの錦なりけり」

 

 

 

毎日の仕事が、

 

生活が、

 

ただただ有り難い。

 

 

 

全身全霊を

 

出し尽くし、

 

しぼりつくすから、

 

 

 

今日も快眠だ。

 

 

 

それだけでいい。

 

それが有り難いのだ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-15 07:27:00

" 英霊の日 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

『えいれい の ひ』

 

 

 

8月15日は

 

戦没者を追悼し

 

平和を祈念する日だ。

 

 

 

 

 

世の中はバランスが大事だ。

 

 

 

どちらかに偏っては

 

うまくいかない。

 

 

 

だから

 

色んな意見が

 

あっていいと思う。

 

 

 

でも

 

これだけは

 

忘れてはならない。

 

 

 

 

 

「終戦の日」とは、

 

侵略戦争の反省にたって、

 

日本が自由や、

 

民主主義を基本にする

 

戦後近代国家へと改心した、

 

そのような

 

記念日なのではない。

 

 

 

 

 

その以前にまず、

 

英霊の魂への

 

鎮魂と感謝と

 

慰霊の日であることを

 

忘れてはならない。

 

 

 

 

 

私は

 

今年も8月上旬に

 

靖國神社に参拝した。

 

 

 

昨年よりも暑い夏、

 

酷暑のなか九段の坂を登り、

 

 

 

どの季節にも

 

巌としてそびえる

 

第一鳥居をくぐる頃には、

 

もう汗だくになっていた。

 

 

 

大手水舎で手水を取り、

 

境内へ向かうと

 

 

 

森閑とした境内には

 

明らかに俗世と異なる

 

時間と空氣が流れていた。

 

 

 

しんと静まり返った

 

拝殿で英霊の御霊に

 

感謝を捧げた。

 

 

 

英霊のお陰で

 

今、私達はこうして、

 

守られて生きている。

 

 

 

「守られているという感覚を持ち帰りたいものだ」

 

 

 

そう思うと

 

自然と背筋が伸びた。

 

 

 

 

 

日本の安全保障は

 

自衛隊と日米同盟に

 

守られていることは、

 

 

 

様々な

 

意見があるとしても

 

確かなことだ。

 

 

 

 

 

しかし、

 

忘れてはならないことは

 

 

 

英霊に日本の戦後は

 

守られていることだ。

 

 

 

その思いを

 

再度深く胸に刻み、

 

 

 

厳かな心持ちで

 

拝殿からさがった。

 

 

 

 

 

英霊の日の今日も

 

私はいつもと変わらず、

 

 

 

いつも通りに、

 

心を静めて

 

英霊の御霊に

 

感謝して手を合わす。

 

 

 

今年も8月15日正午が近い。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

道場長 拝