2024-04-03 08:07:00

" まず準備。頭を空っぽにして心の窓を開けよう "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『まずじゅんび。あたまをからっぽにしてこころのまどをあけよう』

 

 

 

映画を観る時、

 

その映画の内容にもよるが、

 

ノンフィクションや

 

ドキュメンタリー映画は

 

頭を空にしなければ楽しめない。

 

 

 

その映画監督の視点や考え方で

 

内容の感じ方は大きく異なる。

 

 

 

自分の偏見や知識で

 

頭一杯になっていては、

 

折角の映画も楽しめなくなる。

 

 

 

お金を払って、

 

限りある大切な時間を使って

 

映画館に足を運ぶのであるから、

 

楽しまなくてはもったいない。

 

 

 

自分の考えとは違っていても

 

「そういう見方もあるのか」

 

それで良い。

 

 

 

 

 

本を読む時も同様です。

 

 

 

その著者の世界に

 

一度はどっぷりと浸かってみる。

 

 

 

意見の違いや考えの違いはあるにせよ、

 

一つぐらいは必ず学べるところがある。

 

 

 

同じ読むなら

 

一つ位は賢くなろう。

 

 

 

 

 

人の話しを聞く時も同じです。

 

 

 

頭を空っぽにするから、

 

その人の話も入ってくる。

 

 

 

器の水が

 

元々溢れるくらい入っていたら、

 

いくら水を足しても

 

溢れるばかりで入ってこない。

 

 

 

 

 

まずは心を開いて、

 

全てを受け入れることから

 

始めなければなりません。

 

 

 

 

 

そして

 

空っぽの頭が一杯になったら、

 

いらないものを捨てる。

 

 

 

 

 

自分にとって

 

必要な学ぶべきことは、

 

しっかり頭に入れて、

 

 

 

出逢えたご縁に感謝し

 

 

 

取捨選択をすることが

 

重要でありまする。

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-04-02 07:13:00

" 皮肉な巡りあわせ "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

「ひにくなめぐりあわせ」

 

人は力めば力むほど

 

何故か自分の思いとは

 

逆の方向に向かってしまう。

 

 

 

私達の身体も

 

力むほど動きが悪くなり、

 

何処かが故障する。

 

 

 

 

 

頑張れば頑張るほどに

 

効果は得られない。

 

 

 

 

 

予想していたこととは

 

異なる結果になる。

 

 

 

まさしく皮肉なことである。

 

 

 

 

 

常に

 

「リラックスすること」

 

 

 

これを日々の合氣道の稽古に

 

おいても指導している。

 

 

 

稽古生は皆、

 

道場のみならず日常においても

 

実践出来るように、

 

このリラックスの仕方を学んでいる。

 

 

 

学んでいるにも関わらず、

 

実践出来ていない人が

 

よく怪我をする。

 

風邪をひく。

 

どこが痛い。

 

ここが痛い。

 

 

 

数日稽古を休む。

 

 

 

やがて身体が回復して

 

稽古に来るが、

 

休んだ分を取り返すかのように

 

必死のパッチで頑張る。

 

 

 

頑張るから動きが鈍く重い。

 

 

 

頑張るから、

 

また身体が故障する。

 

 

 

 

この様な悪循環を繰り返す人には

 

心から氣の毒に思うね。

 

 

 

いつになったら氣付くのだろう。

 

 

 

その氣付きのヒントは

 

今日もあなたの日常にあるはずですよ。

 

 

 

 人間はリラックスしているのが、

 

自然な状態ですから

 

あなたにも必ず出来ますよ。

 

 

 

最後まで読んでいただき

 

ありがとうございました😊

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-04-01 07:04:00

" たどり来て未だ山麓 "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

『たどりきていまださんろく』

 

何事も10年続ければ

 

賢は賢、愚は愚なりにものになる。

 

 

 

しかし、

 

あたかもその道を

 

極めたかのように

 

傲慢になるようでは

 

それ以上の進歩は望めない。

 

 

 

それどころか退化劣化してしまう。

 

 

 

天地大自然は

 

傲慢を嫌い、

 

謙虚を応援してくれる。

 

 

 

 

 

やってもやってもまだまだ。

 

 

 

日々学び続けて、

 

いつも謙虚さを忘れてはならない。

 

 

 

「たどり来て未だ山麓」

 

自らの教訓としたい。

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-03-29 06:48:00

" どんな出来事の中にも一つだけよかったと思えるものを見つけよう "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

今から約140年前まで

 

夜はランプやローソクの灯りで

 

生活していたので

 

暗いものだと決まっていた。

 

 

 

やがてトーマス・エジソンが

 

発明した白熱電球により

 

人類の生活は一変しました。

 

 

 

 

 

電球を完成させるのに

 

5000回も失敗を繰り返したという。

 

 

 

しかし、

 

トーマス・エジソンは

 

「5000回も失敗した?それは違う。うまくいかない5000通りの方法を発見するのに成功したんだ」

 

 

 

これは有名な名文句ですね。

 

 

 

 

 

前向きに行動した結果

 

それがうまくいかずに、

 

たとえ失敗したとしても

 

 

 

自分の捉え方次第で

 

大きく変わってきますね。

 

 

 

 

 

失敗があるから成功に至る。

 

 

 

人の成長も同じですね。

 

 

 

失敗失くして人は成長出来ない。

 

 

 

 

 

失敗をプラスに捉えたら次に進めます。

 

「氣を出す」とは

 

そういうことですね。

 

 

 

同じ出来事でも

 

失敗をマイナスに捉えてしまえば、

 

挫折と諦めの道を

 

歩むことになるのです。

 

 

 

 

 

あなたはどちらを選びますか。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-03-28 06:58:00

" 君は本当のラッキーを知っているか "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

他人の成果を

 

ラッキーだったと云う人は

 

本当のラッキーを知らない。

 

 

 

どの様なことであっても、

 

良い結果や成果を出すには、

 

日々の弛まぬ

 

正しい努力と修練が不可欠だ。

 

 

 

 

 

本当のラッキー、

 

運の良さとは

 

「人事を尽くして天命を待つ 」

 

 

 

 

 

一生懸命やるべきことをやり、

 

持てる力を最大限に

 

発揮した後に

 

 

 

天地大自然の意思に任せ、

 

焦らずに結果を待つ。

 

 

 

 

 

その結果が

 

「運が良かった」とか

 

「あれはラッキーだった」

 

というのです。

 

 

 

 

 

全ては

 

自分の行いの結果であり、

 

どのような種まきをしたか

 

ということの

 

 

 

天地大自然の配剤でありまする。

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝