" 日本に息づく古の教え:「子ども叱るな来た路じゃ」再考 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小満【しょうまん】 末候
七十二候
第二十四候 麦秋至【むぎのときいたる】
二十四節氣「小満」は末候へと移りました。
「麦秋至」は5月31日~6月4日ころにあたります。
冬に種をまいた麦が大きく実り、畑一面が黄金色に輝く頃を指します。
初夏の爽やかな風が吹き渡り、豊かに実った麦が収穫を待つ、
そんな日本の美しい情景がこの「麦秋至」という言葉に込められているのですね。
今日のお題
『 にほん に いきづ く いにしえ の おし え:「こども しか る な きた みち じゃ」さいこう』
「子ども叱るな来た路じゃ、年寄り笑うな行く路じゃ」。
この日本の古いことわざをご存知でしょうか。
ずいぶん昔に読んだ本で
出会ったこの言葉が、
今、私の心に深く響いています。
" 「来た路」と「行く路」に自分を見る "
この言葉は、
単に「相手の身になって考える」という、
発想とは一線を画します。
子どもの未熟さや、
老人の衰えを、
まるで自分の過去の姿や、
やがて来る未来の姿として捉えるのです。
「ああ、これは私だ!」と
心から合点がいった時、
子どもへの接し方や、
高齢者への思いやりは、
きっと大きく変わるのではないでしょうか。
私自身、この言葉を思い出した時、
ハッとさせられました。
私が主宰する
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場には、
子ども親子クラスや
中高齢者向けクラスがあります。
日々の稽古で
子どもたちと向き合い、
また、人生の先輩方と接する中で、
この言葉はまさに、
私自身への戒めであると思うのです。
" 稽古は人生の縮図 "
合氣道の稽古は、まさに人生の縮図です。
子どもたちは、
時に集中力を欠いたり、
思うように身体が動かせなかったりします。
そんな時、
自分が子どもの頃もそうだったと
顧みることで、
感情的に叱るのではなく、
どうすれば彼らが成長できるかを
考えることができる。
また、
中高齢者の方々が、
身体の変化と向き合いながらも
真摯に稽古に取り組む姿を見る時、
私も今年で63歳ですので、高齢者なのですが…
やがて
自分も同じ道を歩むのだと想像します。
その時、
彼らの努力を心から尊重し、
稽古を通して共に高め合える関係を
築くことができるのではないでしょうか。
" 今、この言葉を思い出す意味 "
ずいぶん昔に読んだ本の言葉を、
" 今、このタイミング " で
思い出したことにも、
何か深い意味、
そして天地大自然からの
メッセージなのではないかと思います。
" 慌ただしい日々の中で忘れがちになる、人としての根源的な姿勢 " 。
それを、
このことわざが
改めて教えてくれているのだと感じています。
日々の合氣道の稽古の中で、
この言葉の真髄を胸に刻み、
「一日一心」、
子どもたち、そして人生の先輩方と共に、
天地大自然から
「お前はよくやったね。もういいよ。」
そう言われる時まで、
人として成長し続けていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 激動の合氣道師範人生:最高の感動と深い落胆 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小満【しょうまん】 次候
七十二候
第二十三候 紅花栄【べにばなさかう】
二十四節氣「小満」は次候へと移りました。
「紅花栄」は5月26日~30日ころにあたります。
紅色の染料や食用油の原料となる紅花が、鮮やかに咲き誇る頃のこと。
今日のお題
『 げきどう の あいきどう しはん じんせい:さいこう の かんどう と ふか い らくたん』
" 新たな始まりと合氣道師範の道 "
昨日、
何十年もの間、
私の心を覆っていたものに、
ついに、
本当にケリをつけられました。
それが何かは、
私の個人的なことなので、
ここでは伏せさせていただきますが、
この節目を迎えるにあたり、
手を差し伸べてくれた友には、
心から、深く感謝しています。
これで、
もう何も思い残すことはありません。
私にとって、
令和7年5月29日は、
まさに残り少ない
" 人生の再出発の日 " なのかもしれません。
" 天地大自然と合氣道師範という選択、そして壮絶な葛藤と比類なきやりがい "
すべきことはすべてやった。
そう思うと、
もうこの辺で極楽浄土に
行っても良いような氣さえしてきます。
しかし、
こればかりは
自分で決めることなどできません。
すべては
天地大自然がお決めになること。
それに従うほか、
私たちに方法はないのです。
なぜ私は、
僭越ながら合氣道師範という道を
選んでしまったのでしょうか。
" 人を天地大自然の法則に則って正しく導く "
口で言うのは簡単ですが、
この道は常に途方もない
「困難」と絶え間ない「葛藤」の連続です。
人の成長を促すことの難しさ、
それぞれの個性を見極め、
時に厳しく、時に優しく寄り添う
適切な導きを与えることの「重責」。
自分の未熟さに
歯がゆい思いをすることも、
一度や二度ではありません。
もし、
この道を選ばずに
普通に仕事をしていたら、
こんな悩みは決してなかったはずだと、
ふと、いや、しばしば考えてしまいます。
しかし、
この重責だからこそ
味わえる「比類なきやりがい」も、
またこの道には存在します。
稽古生が長年の壁を乗り越え、
目覚ましい成長を遂げた
瞬間の圧倒的な感動。
その瞬間にそこに立ち会えたことの喜び。
それは、
他の仕事では決して味わえない、
まさに" 魂が震える " ような、
言葉にならない喜びです。
一方で、
自分の指導力不足を痛感し、
深く落胆することもあります。
良い意味でも悪い意味でも、
これほどまでに感情を、
全身全霊で揺さぶられる経験は、
私の人生において
他に一切ありませんでした。
これほど深く、
激しい「感動」と「落胆」を
味わうことができたこと。
それが自分の人生にとって
良いことなのか、悪いことなのか、
今の私には計り知れません。
ただ、
この道を歩んだからこそ得られた、
他に代えがたい
唯一無二の経験であることは
紛れもない事実です。
" 私の「天地大自然の理」に根差した生き方 "
私は突出した才能が
あるわけではありませんが、
**「正直」「謙虚」「行動」**という
3つのことには
揺るぎない自信を持っています。
私の言う「謙虚」とは、
決して人に媚びへつらう
ことではありません。
常に天地大自然の法則に則った
真理を追求し、
それを「素直」に学び、
取り入れる姿勢を指します。
そして、
真に正しいと確信すれば、
迷わず「行動」に移す。
その結果が、今の私を形作っています。
これまで、
天地大自然の理を説く
多くの偉人の書物を読み漁ってきました。
表現は異なれど、
彼らの教えは一つの真理に集約されます。
「自身の身体の重さを感じないのは、天地大自然の御心であり摂理である。ならば、自ら進んで重荷を背負うべし」
先人たちのこの言葉を信じ、
自ら進んで重荷を背負い
私は合氣道師範の道を歩んでいます。
"「伝える」と「教える」:合氣道指導者としての信念 "
合氣道師範には、
「伝える」師範と「教える」師範の
二種類があると考えています。
私が師事する
兵庫県合氣道連盟会長、
合氣道琴心館館長である
琴地茂先生から学んだ教えを、
そのまま弟子に引き継ぐことは
「伝える」ことにあたります。
しかし、
私が目指すのは
その先、「教える」師範です。
師から授かった教えを、
私の中で何度も反芻 (はんすう) し、
深く掘り下げ、
咀嚼することで新たな理を見出す。
その理が腑に落ちるまで探求し、
自分の腕を切れば、血液の代わりに、
その思いが溢れ出すよう自身の血肉とする。
そして、
その研ぎ澄まされた真理を
弟子たちに教授することこそが、
「教える」ことです。
僭越ながら、
この「教える」ことができる、
あるいはそう努力する者を
真の「指導者」であると私は思います。
その真の「指導者」にのみ、
天地大自然は「感動」と「落胆」を
味わせるものであると、私は信じています。
" 「一日一心」の教えと、その先へ "
やるべきことはもう全てやった。
だから、
いつ極楽浄土へ行っても構わない。
それでもなお、
生かされるのであれば、
その日、一日一日のすべきことを
ただ淡々と、
しかし、目の前のことに全力で
心を込めてやっていくだけ
なのかもしれません。
これはまさに " 一日一心 " 。
今日のこの日から、
新たな氣持ちで日々を大切に、
精一杯生きていこうと、
強く決意しています。
この私が
持っているもの、背負っているもの、
その何もかもをサッと手放し、
いずれ訪れる
極楽浄土への日を心待ちにしながら、
残された日々を
精一杯生きていこうと思います。
その日がいつになるのか?
今日でも明日でも、
私には何の悔いもございませぬ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 御朱印一期一会 〜授ける心、受ける心〜 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小満【しょうまん】 次候
七十二候
第二十三候 紅花栄【べにばなさかう】
二十四節氣「小満」は次候へと移りました。
「紅花栄」は5月26日~30日ころにあたります。
紅色の染料や食用油の原料となる紅花が、鮮やかに咲き誇る頃のこと。
今日のお題
『 ごしゅいん いちごいちえ 〜さずけ る こころ、うけ る こころ〜』
日々、
多くの参拝者が訪れる神社仏閣。
その中で、
参拝の証としていただく御朱印は、
参拝者にとって特別なものです。
墨の香り、筆の運び、
そして神仏への敬意が込められた
美しい文字。
それはまさに、
書かれる方の「心の静まり」が
映し出された
芸術とも言えるのではないでしょうか。
道場では、
常に「一期一会」を旨とし、
合氣道の稽古を通して
自身の心と向き合います。
御朱印を書く方もまた、
一筆一筆に集中し、
雑念を払い、
清らかな心で向き合っているはずです。
だからこそ、
多くの御朱印が私たちを感動させ、
その美しさに息を呑むのです。
神社仏閣に参拝する時期によって、
参拝者は御朱印をいただくために
1時間近く列に並ぶことも少なくありません。
お正月の伊勢神宮など
5時間並ぶことさえ、ざらにあると聞きます。
参拝者にとっては、
そこでいただく御朱印が
「人生で一度きり」のものになるかもしれないのです。
しかし、
残念ながら、
ごく稀に「心の波紋」を感じさせる
御朱印に、私は出会うこともあります。
これは私が実際に体験した、
京都 八坂神社にほど近い
ある有名なお寺に参拝した時の実話です。
お釣りのやり取りは
些細なことかもしれませんが、
そこで垣間見える態度は、
時に私の心をざわつかせます。
お釣りを投げるように返す、
無言でそっけなく渡す…
そんな瞬間に、
御朱印を授与する方の「心の苛立ち」が
透けて見えるような氣がするのです。
私たち参拝者も、
お釣りのないように準備するなど、
心遣いをすることは当然の務めです。
しかし、
予期せぬことで
お釣りが必要になる場面もあるでしょう。
そんな時、
お互いが氣持ちよくやり取りできることが、
何よりも大切なのではないでしょうか。
また奈良のある有名な神社では、
朱印の押し方に
明らかに「心のざわつき」を感じさせる
非常に残念な御朱印を
いただいたこともあります。
御朱印は、
単なるスタンプではありません。
それは、
神仏とのご縁を結び、
参拝の記憶を形に残す「非常に尊いもの」です。
そして、
そこに宿る「書き手の心」は、
受け取る私たちに大きな影響を与えます。
心の静寂が紡ぎ出す
「美しい御朱印」は、
私たちに安らぎと感動を与え、
一方で、
「心の波紋が広がる御朱印」は、
残念ながら
その記憶に影を落とすかもしれません。
私はまだまだ未熟者ではありますが、
不肖、私、
僭越ながら
合氣道師範として、
常に「心」のあり方をお弟子さんに説いています。
御朱印もまた、
その「心」が凝縮されたもの。
どうか、
御朱印を通して、
書き手と参拝者、
お互いの「心」が通じ合う、
穏やかで、厳か謹厳な「氣の交流」が
これからも続いていくことを
私は願ってやみませぬ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" リフレクション写真から学ぶ 〜心の静まり〜 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小満【しょうまん】 次候
七十二候
第二十三候 紅花栄【べにばなさかう】
二十四節氣「小満」は次候へと移りました。
「紅花栄」は5月26日~30日ころにあたります。
紅色の染料や食用油の原料となる紅花が、鮮やかに咲き誇る頃のこと。
今日のお題
『 りふれくしょん しゃしん から まな ぶ 〜こころ の しずま り 〜 』
桜の季節に
世界遺産・姫路城を訪れた際、
帰り際のお堀で、
たまたま撮れたリフレクション(反射)写真。
水面に映し出された
「お堀」と「桜」の被写体が、
まるで、
その水面に実物があるかのように鮮明に、
そして美しく写っている光景でした。
水たまり、池、湖、海、お城のお堀…
水面が静かに澄み切っているからこそ、
その「もう一つの世界」は
完璧な姿を現します。
しかし、
もしその時、
強い風が吹いていたらどうでしょうか?
水面はさざ波立ち、
被写体の姿は歪み、ぼやけて、
とても鮮明とは言えません。
美しいリフレクション写真は、
水の「静けさ」が作り出す奇跡なのです。
素晴らしい、幻想的なリフレクション写真。
自分で撮りためた写真以外にも、
インスタグラム等、SNSには
水面やガラスに映り込んだ
世界が幻想的な表現を生み出している
投稿がたくさんあります。
その素晴らしい写真を見て、
私は " 人間の心も同じだ " といつも感じるのです。
" 心の波立ちと正しい判断 "
私たちの心も、水面とよく似ています。
心が静かで落ち着いていれば、
物事をありのままに捉え、
正しい判断を下すことができます。
それは、
まるで静かな水面が
被写体を正確に映し出すように、
冷静な心は真実をクリアに映し出します。
しかし、
不安や怒り、
焦りといった感情の波が立っている時、
私たちの心は
水面が風に揺れるようにざわつき、
曇ってしまいます。
感情に囚われた心は、
物事を歪めて捉え、
誤った判断へと導かれがちです。
まるで、波立つ水面が
被写体を歪めるように、
「波立つ心」は「真実を歪め」てしまいます。
" 合氣道と「心の静まり」"
合氣道の稽古や呼吸法は、
まさにこの
「心の静寂」を養うことにも通じます。
相手の動きに慌てず、
自分の軸を保ち、心を平穏に保つ。
技をかける際も、
焦りや力みに囚われるのではなく、
相手の動きを受け止め、冷静に、
そして自然体で対応することが求められます。
この「心の静まり」こそが、
合氣道、呼吸法の
真髄の一つと言えるのではないでしょうか。
私たちが
日常生活で直面する
様々な出来事も同じです。
予期せぬ困難に直面した時、
感情に流されず、
いかに心を静かに保ち、
冷静に対処できるか。
そこに、
より良い「解決策」や
「進むべき道」が見えてくるはずです。
" 心の静寂を取り戻すために "
美しいリフレクション写真を撮るために、
風が止むのを待つように。
私たちも、
心が波立っていると感じた時は、
無理に答えを出そうとせず、
" 心を静めて " から " 考えてみる " ことが必要です。
* 呼吸法をする
* 静かな場所で瞑想する
* 自然の中で過ごす
* 合氣道の稽古に打ち込む
これらの習慣は、
心の波を鎮め、
澄み切った水面を
取り戻す手助けとなるはずです。
心が静まれば、
真実が映し出され、
進むべき道が
より鮮明に見えてくるはずです。
私の経験上、申しますと、
心が静まれば、
それまでムキになっていたことも
「なんだ、そんなことか」
「どうでもいいや」
ムキになっていた自分が
バカバカしくなり、
笑顔で対処できることも
少なくありません。
今日も生活の中で、
「心の静まり」を意識してみてください。
その澄んだ心には、
きっと美しい未来が映し出されますよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" ダーウィンの言葉に学ぶ!合氣道と「一意専心」の極意 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小満【しょうまん】 次候
七十二候
第二十三候 紅花栄【べにばなさかう】
二十四節氣「小満」は次候へと移りました。
「紅花栄」は5月26日~30日ころにあたります。
紅色の染料や食用油の原料となる紅花が、鮮やかに咲き誇る頃のこと。
今日のお題
『 ダーウィン の ことば に まな ぶ!あいきどう と「いちいせんしん」の ごくい 』
今日は、
合氣道の稽古にも
人生にも通じる大切な " 心の態度 " 、
「一意専心」についてお話ししたいと思います。
" 「頭のよさ」より大切なこと "
チャールズ・ダーウィンの
こんな言葉をご存知でしょうか?
彼は
「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」
と言ったそうです。
これはまさに、
日々の稽古の中で
合氣道師範として、
僭越ではありますが
痛感することと重なるのです。
学校の成績や知識の量だけが、
本当に価値ある人生を
送るために必要なものでしょうか?
ダーウィンの言葉は、
「そうではない」と語りかけているように感じます。
真に大切なのは、
学問的な「頭のよさ」だけではなく、
物事を深く考え、
一つのことに集中して取り組む
「真剣な心の態度」なのではないでしょうか。
" 合氣道と「一意専心」 "
合氣道の稽古は、
まさにこの「一意専心」を
養う場であると私は考えます。
技を習得するためには、
一つ一つの動作に集中し、
自分の心を「臍下の一点に静める」
必要があります。
心が静まるから、
相手の「氣の動き」を読みとることができるのです。
雑念を払い静め、
" 今この瞬間 " に心を集中することで、
初めて技は身体に染み込み、
より深い理解へと繋がります。
" 日常生活に活かす「一意専心」"
これは稽古に限った話ではありません。
仕事でも、趣味でも、家事でも、
どんなことでも、
目の前のことに心を込めて
取り組むことで、
見えてくる世界が変わります。
心を " そこ " に集中することで、
より効率的に、
より深く物事を理解し、
結果として
大きな充実感を得ることができます。
「一意専心」とは、
ただ一つのことに集中することだけを
指すのではありません。
それは、
今、自分が取り組んでいることに対して、
" 真摯に向き合う "
「心の態度」そのものなのです。
" 稽古と人生を豊かにする心の姿勢 "
ダーウィンの言葉が示すように、
私たちの人生を豊かにするのは、
生まれ持った
才能や知識の量だけではありません。
むしろ、
目の前のことに
どれだけ真剣に向き合い、
一途に取り組むことができるか、
その「心の態度」こそが、
私たちの成長と充実した人生を
形作るのだと私は信じてやみません。
合氣道の稽古を通して、
技を磨くだけでなく、
この「一意専心」の心の態度を養い、
合氣道琴心館寺崎道場の
会員の皆さんの人生が
より豊かになることを願っています。
さて、
あなたは、今日、
何に「一意専心」しますか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝