" 任すべきこと "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『まかす べき こと』
人間は自分の自由意思で
選ぶことが出来ない
ことがある。
それは
「生きること」と
「死ぬこと」である。
まだ自分は「生きたい」
そう思っていても
死ぬ時は死ぬ。
一方で
もう「死にたい」と
思っていても死ねない。
自ら自決しようとするも
死ねない人や
大惨事に見舞われても
生き残る人もいる。
決して自分の意思では
決めることが出来ない。
「何故生きているのか」だとか、
「いつ死ぬのか」だとか、
どうにもならないことを
思い悩んではいけない。
それは
「生と死」だけのことではない。
世の中には
いくら考えても
どうにもならないことが
多くある。
いくら考えても
どうにもならないことは
人間の考える分野ではなく、
天地大自然の分野である。
天地大自然の役割り分野に
人間が加担するほど、
天地は愚かではない。
人間の意思で
どうにかなる部分だけを
しっかり考えろということだ。
天地大自然の役割り分野は
それはそれは偉大だ。
人間では手の施しようがない。
手の施しようのないことは、
どんなことをしても
手が施せない。
それを「無理」というのだ。
天地大自然の理に適ってないのだ。
「無理」なことは
悩んではいけない。
悩みに悩み、
思い考えた結果、
知恵となり力となる
ことも確かにある。
しかし、
どれほど悩み考えても
絶対に解決しないことは、
天地大自然に " 任せれば良い " 。
全て
天地大自然が解決してくれる。
「未解決というのも一つの解決だ」
そう藤平光一翁は生前説かれた。
「生と死」、
そして
手の施しようのないことは、
受け入れるより
他に出来ることはない。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" やれない理由探しは退化の始まり "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『やれない りゆう さがし は たいか の はじまり』
前のエントリーと
重複するが、
何事も
無理、出来ない。
そう思った瞬間から
何も出来なくなる。
時間が、距離が、仕事が、
年齢が、疲れる、
面倒くさい、やりたくない…
出来ない理由は
探せばいくらでもある。
いくらでも出てくる。
それを自ら肯定する。
その結果、
道は閉ざされる。
成るものも成らなくなる。
出来ない理由を探して、
それを自ら肯定した。
その瞬間から
その人は退化の道を歩むのだ。
人間劣化の道を歩むのだ。
心の劣化は
廃人を意味する。
やろうと思えば、
いくらでも工夫して
それなりに出来るものだ。
その氣になれば、
いくらでもやりようがある。
本当に
やりたいことであれば、
やる努力はするものだ。
時間的に、仕事に
家庭に、肉体的に
制約がある
厳しい状況下であっても、
本当に好きなことなら
何としてでもやるはず。
それが出来ないのは
「やる氣がないから」
「その氣がないから」
ただそれだけ。
「行けませんでした」
「出来ませんでした」
やる氣がないだけ。
人の言動見ていたら
すぐ分かりますよ。
分からないふり
氣付かないふりを
してやっているだけですよ。
見窄らしい下下の言い訳も
理解してもらったとでも
思っているのかねぇ?
愚かなことだねぇ…
いくら肉体的に
疲れようが、
一日やるだけやった。
出し切った。
色んな制約のある中で
絞り尽くした。
その結果、
身体は疲労困憊になる。
しかし、
心は晴れ晴れとする。
だから健康でいられる。
それが一番尊いのだ。
「出来ませんでした」
「行けませんでした」
「無理です」
そんな事を
言っている人の
心はいつも曇っている。
言い訳して
心が晴れるはずがないだろ。
人のために尽くせば
世の中のために尽くせば、
" しんどい " だとか、
" 無理 " だとか、
" 遠い " とか、
" 時間がない "
" 金がない " とか、
責任持って
私が言い切ってやる。
そのような言葉は
絶対に出てこない。
「ありがとう」
感謝の言葉しか出てこない。
口では " 人のため "
などと言いながら、
所詮、自分本位の考えだ。
そんな人は
人のためには尽くせない。
その器も資格もない人だ。
やれない理由探しは
退化、劣化の始まりだ。
人間の存在価値とは
「人のために生きる」
ことだ。
賢者はいち早く
それに氣付くが、
愚者は永遠に氣付かない。
あんたはどっちや?
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 思わない限り実現しない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『おもわない かぎり じつげん しない』
何かをしようとする時、
まず最初に
思うことから始まる。
思わない限り、
何も実現はしない。
「何だかやる氣になってきたな」
「よしそうと決めたらやってみるか」
そこから何事も始まるのだ。
近くに美味しい
中華料理屋があるとする、
そこは日本全国から
客が訪れ、
連日長蛇の列だとしよう。
自宅のすぐ近くだから、
行こうと思えば
いつでも行ける。
でも中華料理が
嫌いな人は行かない。
永遠に行かない。
いくら近くの店でも
嫌いなものを
わざわざ食べに行こう
とは思わない。
それはその人が
" 食べる氣がないから " である。
その氣がないから
永遠に実現しない。
ものごとは何でもそうだ。
嫌い、
行きたくない、
無理、
遠い、
疲れる、
年齢的にしんどい、
仕事が、
時間が…
いくらでも
" やれない理由 " はある。
できない、できない。
無理、無理。
そう思った瞬間から
何もできなくなる。
出来るものも、
出来なくなる。
成るものも、
成らなくなる。
「よし、やってみるか」
「一度、食べてみるか」
そう思えば、
道は開けるのでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 出しきらないと力はつかない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『だしきらないと ちから は つかない』
力は出しきるから
力がつくのだ。
勇氣も出さないと
勇氣は出ない。
呼吸も吐かないと
息は吸えない。
氣は出せば
入ってくる。
なんでも
出せば入ってくる。
ためたら腐る。
学んだことは
自分のものだけに
してはいけない。
惜しみなく
人に教えれば、
また新たなことが学べる。
もったいないなどと
貯め込んで
自分だけのものに
したりすると、
それ以上は学べなくなる。
より学びたければ、
より力をつけたければ、
より氣を出したければ、
より多く息を吸いたいなら、
空っぽになるまで
出し切ることだ。
会得したものを
全て手放すことだ。
今日も一日やり切った、
出し切った、
何もかも手放したら、
ぐっすり眠れる。
出した以上のものを
天地大自然が
与えてくれる。
まことに
ありがたいことでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 日本の未来は明るい "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『にっぽん の みらい は あかるい』
兵庫県知事選挙は
斎藤前知事が
2回目の当選を果たした。
投票率55.65%だった。
55%を超えたら
斎藤前知事の勝利、
60%を超えると
斎藤前知事の圧勝の予想だった。
20:00の投票締切と同時に
斎藤前知事の当選確実と
サンテレビが報じた。
組織票には限界がある。
超巨大な組織票も
投票率が上がれば、
一票の濃度が薄くなるのだ。
これが現実ですね。
組織票より民意が勝った。
そして、
マスメディアは地に落ちた。
マスメディアはSNSを
軽んじた。
世論は大きく変わった。
最近、政治に興味がある若者が
多くなっているように感じる。
今回の兵庫県知事選での
斎藤前知事や立花孝志さんの
街頭演説には
多くの若者の姿があった。
明らかにまだ選挙権を有しない
中高校生の姿も見かけた。
合氣道寺崎道場の
学生のお弟子さん達も
興味を持っているようだ。
還暦を過ぎた私達の時代に
比べて圧倒的に
その数は多いと思う。
日本の未来を考える上で、
若者の政治的スタンスが
今後、大きく影響することは
間違いない。
保守的な
立場を取る若者は、
日本の伝統や文化を守り、
一方、
リベラルな若者は
多様性な社会のあり方を重視する。
日本には
このような極端に偏らない
視点があることが、
独裁国家ではない証拠だ。
日本の民主主義にとって
それは非常に重要なことだ。
なぜなら、
違う意見が共存することで、
よりバランスの取れた
政策が形成される
可能性が高まるからだ。
どんなものにも中心があり、
左に偏り過ぎず、
右に偏り過ぎず。
そのバランスを欠いたら
あらゆるものは崩れる。
若者が積極的に政治に参加し、
自分たちの意見を
発信することで、
日本の未来は
より明るく、多様性に
富んだものになる。
日本の未来のためには
若者の政治参加を
さらに促進させるため、
教育や情報提供が重要だ。
学校やコミュニティでの
議論を通じて、
政治に関する知識を深め、
正しい歴史認識を養う機会を
増やすことが
求められると思う。
また、
新聞やテレビなどの
マスメディアの偏向報道に
惑わされることがないよう、
SNSや
オンラインプラットフォームを
活用して、
若者が自分の意見を
広く発信できる環境を
もっと増やして
整えることも重要です。
さらに、
市政、県政、都政における
政策立案者、政治家が
若者の意見を
積極的に取り入れる
姿勢を示すことが、
信頼関係の構築につながっていく。
若者が
自分たちの声が
政策に反映されていると
感じることで、
政治への関心と参加意欲が
高まることが期待できる。
こうして、
多様な声が反映された
政策が実現することが
望ましいのではないだろうか。
日本の未来は明るい。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝