" 努力の後は、潔く忘れ、「放った矢」を追いかけるな "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)初候
七十二候
第七十候 款冬華(ふきのはなさく)
1月20日~24日ごろ。
ふきのとうが顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 どりょく の あと は、いさぎよ く わす れ、「はなっ た や」を おいかけ る な 』
やるべきことを
やりきった
充実感の中で眠りにつく。
これこそが、
翌日の鋭氣を養う最良の「薬」です。
今日は「果報は寝て待て」
という言葉を、
合氣道の稽古に照らし合わせて
考えてみたいと思います。
時々、
道場に体験に来られた方から、
こんな質問を受けることがあります。
「先生、ここに入門したら、何年くらいで黒帯になれますか?」
目標を明確にしたい
という氣持ちはよく分かります。
しかし、
私はいつもこう答えることにしています。
「年月が経てば
黒帯になれるわけではありません。
大切なのは、あなたがどれだけ
稽古を積み重ねたか、その密度です」
この質問をする方は、
心のどこかで
「果報は寝て待て」を
勘違いしているのかもしれません。
ただ3年、5年と時間を過ごして
「待って」いれば、
自動的に黒帯という
果報がやってくると思っている。
しかし、
週に一度顔を出す人と、
毎日道場の雑巾がけから
始める人とでは、
同じ「一年」でも中身が全く違います。
種もまかず、
水もやらずに、
ただ畑の横で
寝て待っていても芽は出ません。
そんな
「棚からぼた餅」は、
残念ながら
合氣道琴心館寺崎道場には落ちていません。
「果報は寝て待て」
その本来の意味は、
「人事を尽くして天命を待つ」ことです。
汗をかき、
技を練り、
苦悩して、
日々の積み重ねという
「人事」を限界まで尽くした人だけが、
結果を待つ資格を持つのです。
カレンダーを眺めるのではなく、
今日一日の稽古を積み上げること。
それが全てです。
一方で、
やることはやったのに、
いつまでも心が定まらない人もいます。
一度手元から放たれた矢は、
もう自分のコントロールを離れています。
野球でピッチャーがボールを投げる、
バッターがボールを打つ。
その後のボールの行方は
そのボールに任せるしかありませんね。
それなのに、
ボールが飛んでいく最中に
「あ、右に逸れたかも」
「もっと強く打てばよかった」と
心のなかで叫んだり、
極端な話、
矢やボールを追いかけて
空中で軌道修正しようとしたりするのは、
滑稽であり、不可能です。
私たちの日常でも
同じことがありませんか?
大切なメールを返信した後、
あるいは
昇級、昇段審査を終えた後。
「あの動きでよかっただろうか」
「失敗したんじゃないか」と、
終わったことに対して
いつまでも心の中でじたばたしてしまう。
これは武道でいう
「残心(ざんしん)」とは違います。
残心とは、
油断なく結果を見届ける
心の構えであり、
過去の失敗に
執着して悔やむことではありません。
一度手放した「矢」に対して、
あれこれ思い悩むのは、
ご自身の心の平穏を妨げるだけです。
結果を取り戻せない
時間帯に入ったら、もうじたばたしないこと。
"「待てる」という強さ "
人事を尽くしたのなら、
後はふてぶてしいくらいの
余裕を持って「果報」を寝て待つ。
「やるだけやった。あとは野となれ山となれ」
そう開き直って
ぐっすり眠れる図太さもまた、
合氣道で練り上げるべき
「胆力(たんりょく)」の一つです。
徹夜で悩み続けて
結果が変わるなら
いくらでも悩みますが、
そうではありません。
それならば、
夜はゆっくりと寝て、
明日訪れる結果を、
静かな心で
受け止めようではありませんか。
積み重ねた自分を信じて。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 六本木の朝、古を歩く。【永坂編】 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)初候
七十二候
第七十候 款冬華(ふきのはなさく)
1月20日~24日ごろ。
ふきのとうが顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ろっぽんぎ の あさ、いにしえ を ある く。【ながさか へん】 』
年明けの東京出張での拠点は、
六本木にあるアパホテルでした。
近代的なビルが
立ち並ぶエリアですが、
ホテルを一歩出れば、
そこは江戸の地形が色濃く残る街。
ホテルのすぐそばに、
江戸時代から続く
由緒ある坂道がありました。
港区六本木と麻布十番を結ぶ
「永坂(ながさか)」です。
坂上と坂下ある木の標柱が、
静かにその名を告げています。
永坂の名の由来はシンプルで
「長い坂」であったからとも、
あるいは
この近くに住んでいた
「長坂氏」にちなむとも言われています。
東京都港区
麻布地域東部の歴史的地名である「飯倉」。
その飯倉の台地から
麻布の低地へと降りるこの長い坂は、
かつて多くの武士や町人が
行き交った交通の要衝でした。
ふと見上げれば
首都高速道路が空を覆っています。
しかし、
足元の坂道は、
数百年変わらずここに在り続けています。
永坂といえば、
食通の方なら
「更科そば」を
思い浮かべるかもしれません。
坂の途中でふと、
「永坂更科」の文字が目に入りました。
寛政元年(1789年)、
この坂の途中に
信州の布屋太兵衛が
蕎麦屋を開業したとされています。
「永坂更科」の発祥の地です。
かつての旅人たちも、
この急な坂を上り下りした後に、
蕎麦で身体を労ったのでしょうか。
そんな想像をするだけで、
景色に味わいが増します。
そんなことを思いながら
「永坂」を歩いていると、
懐かしい記憶が蘇ります。
以前、東京のお弟子さんが
「師範、ぜひここへ」と、
この永坂更科に
連れてきてくれたことがありました。
あの時、
お弟子さんと共に食べた
蕎麦の味と、坂道の風景。
この坂を歩く今の景色に、
そんな温かい記憶が重なり、
より一層味わい深く感じられます。
近代的で機能的、
快適この上ない
アパホテルで目を覚まし、
極寒の外へ出て、
数百年前から変わらぬ勾配を歩く。
このギャップこそが、
私にとって東京散歩の醍醐味なのです。
道場での稽古では、
心と身体の使い方や
理合いを追求しますが、
こうして
古(いにしえ)の道を
歩く時に必要なのは、
技術ではありません。
「かつて、ここで何万人もの人が地面を踏みしめたのだ」
そう感じる感性です。
頭上の首都高速道路や
周囲の超近代的ビル群といった
現代の景色を
あえて意識の外に置き、
足裏から伝わる
「土地の記憶」に意識を沈める。
アスファルトの下に眠る、
草鞋(わらじ)で踏み固められた
江戸の土を感じながら、
ただ静かに歩を進めるのです。
臍下の一点に心を静め、
呼吸を整え、
過去と現在が
交差する空間に身を委ねる。
それは、
言葉のない先人たちとの対話であり、
現代社会で
忘れがちな「心の静寂」を
自分の心身に取り戻す時間でもあります。
江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道には、
言葉では
表すことのできない
独特の「氣」が流れています。
皆さんも、
旅先や出張先で
ふと時間ができたなら、
その土地の歴史を
足裏で感じてみてください。
道場の中だけが、
稽古場ではありませぬ。
さて、次はどの坂へ向かいましょうか。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
↓↓↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 骨まで愛する、骨まで使い切る。合氣道と「二十日正月」の話 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)初候
七十二候
第七十候 款冬華(ふきのはなさく)
1月20日~24日ごろ。
ふきのとうが顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ほね まで あい する、ほね まで つか い きる。あいきどう と「はつかしょうがつ」の はな し 』
昨日のブログ
前回のエントリーでは、
一年で最も寒い「大寒」について触れました。
しかし、
昨日1月20日には
もうひとつ、
私たち日本人が
大切にしてきた節目がありました。
それが
「二十日正月(はつかしょうがつ)」です。
地域によっては、
正月の祝い納めの日とされています。
一夜明けてしまいましたが、
今日はこの「二十日正月」に込められた、
合氣道の核心にも通じる
" ある精神 " について書きたいと思います。
" 魚の骨までいただく「骨正月」"
かつて
日本の多くの家庭では、
正月の間に
「幸木(さいわいぎ)」と
呼ばれる懸け木に、
鰤(ブリ)や、
大根などのご馳走を吊るしていました。
それを
少しずついただき、
「二十日正月」の日には、
最後に残った魚の頭や中骨、
野菜の切れ端などを
全て鍋に入れて煮込み、
きれいに食べ尽くしたといいます。
これを別名
「骨正月(ほねしょうがつ)」とも呼びます。
飽食の現代では
あまり見られなくなった光景ですが、
「命あるものをいただいたのだから、骨の髄まで粗末にしない」
という、
先人たちの深い感謝、
命あるものへの深い感謝と、
あるものを使い切るという潔さがあります。
この
「あるもの全てを使い切る」という
精神は、
合氣道にも
通じるものがあると感じています。
合氣道の技は、
自分の筋力だけに頼るものではありません。
骨格の構造、
重力、
心、
そして相手の氣。
その場にある
すべての要素を無駄なく使い切り、
合理的に身体を運用することで、
小さな力で大きな効果を生み出します。
一方で、
無駄な力みや、
使い切れていない身体の部位があると、
技は滞ります。
頭のてっぺんから指先、
足の裏まで、
骨格の隅々を意識し、
身体のすべてと心を
余すところなく連動させる。
「骨正月」の教えは、
まさに「全身全霊」の在り方
そのものなのですね。
" 正月氣分に始末をつけて "
松の内が明け、
小正月が過ぎ、
「二十日正月」で
全てを食べ尽くして、
正月行事は
完全に終わります。
これは、
氣持ちに区切りをつける
「心の始末」でもあるように思います。
さあ、
私たちもしっかりと
氣持ちを切り替えていきましょう。
「大寒」一年で最も寒いこの時期。
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場の
各道場、教室は
空調が効いて快適ですが、
そこに甘えることなく、氣を出して。
自分の持てる力を
「骨まで」使い切るような、
密度の濃い稽古を
していきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【大寒】 寒の水、鉄を打つ "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)初候
七十二候
第七十候 款冬華(ふきのはなさく)
1月20日~24日ごろ。
ふきのとうが顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【だいかん】 かん の みず、てつ を う つ 』
本日、1月20日からは
二十四節氣の最後、「大寒(だいかん)」です。
文字通り、
一年でもっとも寒さが厳しくなる時期。
週間天気予報によると、
全国的に今日から約一週間は
厳しい寒さが続くようですね。
合氣道琴心館寺崎道場が
主宰する各地の道場、教室においては、
ありがたいことに、
すべて空調が完備されています。
" 快適な環境で、熱い稽古を "
外がいかに凍える寒さであっても、
道場の中は快適です。
「武道を志すもの、寒さに耐えよ」という
考え方もあるかもしれません。
けれど私は、
空調の効いた安全な環境だからこそ、
身体が縮こまることなく、
怪我のリスクを減らし、
純粋に技の精度を高め、
稽古に集中できると考えています。
一年でもっとも
寒さが厳しくなる時期ですが、
私が住む神戸の空を
ふと見上げれば、
冬至の頃よりも
確実に日は伸びています。
「春遠からじ」
厳しい寒さの向こうには、
必ず暖かい春が待っています。
合氣道の稽古においても同様です。
諦めずに地道に続けていれば、
不得意な技の苦悩が、
やがて、
その技の開眼につながります。
"「寒の水」のように腐らない心 "
昔から、
この大寒の時期に汲まれた水は
「寒の水(かんのみず)」と呼ばれ、
雑菌が少なく
腐らないと言われてきました。
味噌や醤油の仕込み、
そして酒造り。
さらには、
刀鍛冶が鋼(はがね)を打つ際の
「焼き入れ」にも、
この清冽 (せいれつ) な
水が重宝されたそうです。
余計なものが削ぎ落とされた、
純粋で強い水。
道場長である私も含め、
合氣道琴心館寺崎道場に通う
すべての門人もそうありたいものです。
雑念という菌を入れず、
練り上げられた技と心は、
決して腐ることがありません。
稽古というのは、
まさに自分自身の「焼き入れ」なのですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 六本木の芋洗坂を抜けて、次は饂飩(うどん)の坂へ "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
小寒(しょうかん)末候
七十二候
第六十九候 雉始雊(きじはじめてなく)
1月15日~19日ごろ。
雄のキジがメスに恋焦がれて鳴き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ろっぽんぎ の いもあらいざか を ぬけ て、つぎ は うどん の さか へ 』
1月15日の記事でご紹介した
その名の由来となった
芋問屋の賑わいや、
かつての川のせせらぎに
思いを馳せながら、
坂を下りきりました。
しかし、
お正月の東京・六本木、
夜の散策はまだ終わりません。
芋洗坂の興奮も冷めやらぬまま、
すぐ近くにもう一つ、
なんと食べ物の名前がついた
ユニークな坂があるのです。
その名は「饂飩坂(うどんざか)」
芋洗坂から
六本木交差点方面へ少し戻り、
外苑東通りへ上る路地を
入ったところに
ひっそりとその標柱は立っています。
「饂飩」と書いて「うどん」。
芋(いも)の次は饂飩(うどん)です。
かつての六本木は、
随分と庶民の食欲を刺激する
土地だったのかもしれませんね。
由来を紐解けば、
江戸時代中期
天明年間 (1781〜1788頃)、
松屋伊兵衛という人物が
ここでうどん屋を営み、
それが大評判だったことから
この名がついたとか。
ダイナミックな高低差を
感じさせる芋洗坂と比較すれば、
この「饂飩坂」は、緩やかで短めな、
当時の生活の中に溶け込んだ
少し親密な
空氣が漂っているように感じました。
かつては
能役者が住んでいたり、
古い地図には
「イモアライ」と混同して記されていたりと、
この一帯の歴史の層の厚さを感じさせます。
" 古の地図を足裏で感じる "
芋洗坂から饂飩坂へ。
きれいに
舗装されたアスファルトを歩けば、
わずか数分の移動に過ぎません。
しかし、
こうして由来を噛み締めながら歩くと、
それは単なる数分の移動ではなく、
江戸の町を「ハシゴ」しているような
感覚になります。
合氣道の稽古でも、
一つ一つの技、
一挙手一投足が
つながって流れを作るように、
江戸の街歩きもまた、
点(坂)と点(坂)がつながって
線(道)となり、
当時の土地の記憶が
浮かび上がってくるようです。
昔の人と同じように、
草鞋(わらじ)履きの氣分で、
この勾配を踏みしめてみる。
アスファルトの下にある
古(いにしえ)の土の感触を想像しながら歩く。
そんな「歴史との対話」こそが、
お正月の東京出張の
隙間に見つけた贅沢な時間でした。
皆さんも近くを訪れた際は、
ぜひ
「江戸時代から続く由緒ある坂道巡り」を
してみてはいかがでしょうか。
さて、次はどの坂へ向かいましょうか。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
↓↓↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝