" お金と呼吸の意外な共通点。手放すことで得られる豊かさとは? "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
雨水 (うすい) 末候
七十二候
草木萌動 そうもくめばえいずる
第六候
「雨水」次候から末候へと移り、3月1日~4日くらいにあたります。
氣温も少しずつ上がり、いよいよ日差しも春らしくなります。
木々の芽が膨らみはじめる芽吹きの季節。
あちこちで春先に萌え出る、草木の葉の色のような黄緑色の萌黄色(もえぎいろ)に色づく草木の芽を見かける頃。
確実に春が近づくことを実感できる季節ですね。
今日のお題
『 おかね と こきゅう の いがい な きょうつうてん。てばなす こと で えられる ゆたかさ とは? 』
お金も呼吸も同じ?
出し惜しみはNGです!
豊かさを呼び込む「吐く」習慣。
「息を吸うことと、お金がはいることは似ている。」
そんなことを考えたことはありますか?
「はぁ?全然違うじゃない。」
そう思われたかもしれません。
しかし、
私は呼吸法を続けているうちに、
" お金と呼吸には共通点がある " と感じました。
それは、
息は「吐く」からこそ、
「吸う」ことができるということです。
呼吸は、
息を吐くことによって
自然と吸うことができます。
しかし、
「たくさん吸い込みたい」と思って
吸うことばかり意識してしまうと、
なかなか息が入ってきません。
息は吐くことによって
入ってくるのですから、
吐くことが上手な人は、
吸うことも上手なのです。
ところが
「たくさん吸い込みたい」と、
吸うことからはじめると、
全然入らないのです。
これは、
お金の流れにも当てはまります。
お金も、
稼ぐことばかりを意識していると、
かえって
入ってこなくなることがあるのです。
呼吸もお金も行き詰まって滞ってしまいます。
呼吸の道もお金の道筋も
渋滞してしまうのですね。
呼吸法は
全身リラックスして、
出し惜しみなく
吐けるだけ息を吐き出すと、
次の瞬間には
吸おうと思わなくても、
自然に身体が息を吸えているのがわかります。
実際に正しく呼吸法ができる人は、
その感覚がよくわかると思います。
お金も呼吸も「出す」ことが大切なんです。
私は呼吸法を
もうかれこれ、13年近く続けていますが
初心者のころにはペース配分を考え、
よく息を出し惜しみしたことがあります。
しかし、
適当に息を吐いていると、
十分に入ってこなくなって、
とても呼吸が苦しくなるのです。
健康のためにする呼吸法が
苦しくなっては健康にはなりませんね。
つまり、巡りが悪くなるのです。
お金も出し惜しみばかりしていると、
巡りが悪くなってしまうのです。
大切なお金ですから、
出し惜しみをしてしまうことがあるかもしれません。
でも、
それでは入るものも入らなくなるのですね。
お金も呼吸も、
まずは「出す」ことが大切なのです。
「出す」ことで得られる豊かさ。
お金を「出す」ということは
損をするということではなく、
「生きたお金の使い方」をすることで、
巡り巡って自分のところに返ってきます。
それは、
まるで新鮮な空氣を吸い込むように、
清々しい氣持ちになることでしょう。
" お金 " も " 呼吸 " も、
しっかりと「出す」ことによって、
より豊かなものが巡ってくるのです。
" お金 " と " 呼吸 " は、
一見すると全く違うもののように思えます。
しかし、
「出す」ことによって、
より豊かなものが巡ってくるという点では、
共通しているのではないでしょうか。
" お金 " も " 呼吸 " も、出し惜しみせずに、
しっかりと「出す」こと。
「生きたお金の使い方」を実践することで、
より豊かな人生を
送ることができるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 自然界に学ぶ、自立した親子の関係とは? "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
雨水 (うすい) 末候
七十二候
草木萌動 そうもくめばえいずる
第六候
「雨水」次候から末候へと移り、3月1日~4日くらいにあたります。
氣温も少しずつ上がり、いよいよ日差しも春らしくなります。
木々の芽が膨らみはじめる芽吹きの季節。
あちこちで春先に萌え出る、草木の葉の色のような黄緑色の萌黄色(もえぎいろ)に色づく草木の芽を見かける頃。
確実に春が近づくことを実感できる季節ですね。
今日のお題
『 しぜんかい に まな ぶ、じりつ した おやこ の かんけい とは? 』
" 人は生まれてきたのも一人、死んでいくのも一人 "
この言葉は、
時に寂しく、時に力強く、
私たちに人生の真実を語りかけます。
「子が親の面倒を見なくなった」という
嘆きを耳にすることがあります。
しかし、
自然界に目を向ければ、
親と子がそれぞれの道を歩むのは、
ごく自然な摂理であることが分かります。
大自然の動物たちは、
親は子を懸命に育てますが、
子は成長すれば必ず巣立ちます。
親は親だけで、子は子だけで生きていく。
人間だけが、
子が親の面倒を見ることを
強要したり、期待したりする。
親はそれを当てにしたり、
子は親の財産を期待したりする。
自然界の掟に従えば、
子が成人したら、
親と子は別々に暮らすのが自然な形で、
いつまでも一緒にいる方が、
むしろ不自然と言えるかもしれない。
人間は、
生まれたときも一人であれば、
死ぬときも一人ですね。
この「当たり前」の覚悟を決め、
私たちはより強く、
そして自立して生きていかねば、
ならないのではないでしょうか。
もちろん、
親子の絆が断ち切れるわけではない。
物理的な距離が離れても、
心の繋がりはこれまで以上に
強く結ばれると思うのです。
大切なのは、
親も子もお互いを尊重し、
それぞれの人生を
応援し合うことではないでしょうか。
それが
「自然の摂理」と「人間の絆」で
あると思うのです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" それは自分の意志の範囲内か、範囲外か "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
雨水 (うすい) 次候
七十二候
霞始靆 かすみはじめてたなびく
第五候
「雨水」初候から次候へと移り、2月24日~28日くらいにあたります。
氣温も少しずつ上がり、日差しも春らしくなり、遠くの景色が淡くぼんやり見える日があります。
「霞がたなびく」とは、まさにそんな風景のこと。
霞は春に使われる言葉、またその現象を指し、春の霧のことを「霞(かすみ)」と呼ぶのですね。
また春以外では、霧や靄(もや)と呼ばれます。
今日のお題
『 それ は じぶん の いし の はんい ない か、はんい がい か 』
生きていると、
" どうしようもないこと " ってありますよね。
地震とか台風といった自然災害とか、
他人がどう思うかとか、過去の出来事とか。
でも、
そういう「自分の意志の範囲外」のことに
心を動かされても、
結局どうにもならないんです。
そういう
" 自分の力じゃどうにもならないこと " に、
いちいち心を乱されてたら、
心が疲弊してしまいます。
だから、
まずは「コントロールできること」と
「できないこと」を分けて考えよう。
たとえば、
コントロールできないこととは、
天災、他人の評価、過去の出来事など。
一方で、
コントロールできることとは、
自分の行動、考え方、努力など。
「自分のやるべきことをやろうとする」
これは自分の意志の範囲にあるものですね。
どうにもならないことは、
「ま、いっか!」くらいに
軽く受け流して、
自分にできることをするのが大事!
地震が起きたら、
地震そのものを止めることはできないけど、
防災グッズの準備はできるし、
家族で避難先の確認もできる。
他人の行動などは、
自分ではどうすることもできない。
でも、
" 人の振り見て我が振りなおす " ことはできる。
過去のことは変えられないけど、
そこから学んで次に活かすことはできる。
過去や未来のことを考えて、
不安になったり後悔したりするよりも、
「今、ここ」で
自分にできることだけをやろう!
今日やるべきことをやる。
人を喜ばすことをする。
自分の成長につながることをする。
自分にできることだけに集中すれば、
心が穏やかになって、
毎日がもっと楽しくなる。
" どうにもならないこと "
" 自分の意志の範囲にないこと " は
氣にしない。
一切、心を動かさない。
そして、自分にできることに集中する。
ただし、
それも容易なことでは到底ございませぬ。
徹底して、それをやる努力が要りまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 心を書き換えねば、願い通りにはならない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
雨水 (うすい) 次候
七十二候
霞始靆 かすみはじめてたなびく
第五候
「雨水」初候から次候へと移り、2月24日~28日くらいにあたります。
氣温も少しずつ上がり、日差しも春らしくなり、遠くの景色が淡くぼんやり見える日があります。
「霞がたなびく」とは、まさにそんな風景のこと。
霞は春に使われる言葉、またその現象を指し、春の霧のことを「霞(かすみ)」と呼ぶのですね。
また春以外では、霧や靄(もや)と呼ばれます。
今日のお題
『 こころ を かきかえ ねば、ねがい どおりには ならない 』
" よい運にめぐまれたい "
" よき師に出会いたい "
" よい人と結婚したい " …
私たちは、
日々さまざまな願いを抱いて生きています。
でも、もし自分の心の中が
ネガティブな感情や思考で
満たされていたら、どうでしょうか?
それは残念ながら、
自分の心の状態に合った現実を
引き寄せてしまうのではないでしょうか。
つまり、
心がネガティブであれば、
同じようにネガティブな出来事や人々を
引き寄せてしまうのです。
では、どうすれば良いのでしょうか?
それは、
願いを叶えるために、
自分の心の内容を
書き改める努力をすることです。
まずは、
自分の心の中にある
ネガティブな感情や思考を
洗い出してみましょう。
過去のトラウマ、コンプレックス、
嫉妬、怒りなど、
不要なものを手放すことで、
心にスペースが生まれます。
そして、
心のスペースができたら、
そこにポジティブな種を植えましょう。
感謝、愛情、希望、喜びなど、
ポジティブな感情や思考を
意識的に取り入れることで、
心が満たされていきます。
心がプラスで満たされ、
ポジティブな状態になると、
自然と良縁を引き寄せるアンテナが立ちます。
そして、
何か新しいことに挑戦したり、
読書をしたりすることで、
立てたアンテナに引き寄せられるように
次々と素敵な出会いが訪れるものです。
でも決して、
それは生易しいことではありません。
口でいうのは簡単ですが、
実際にやってみると、
そう容易くことは運びません。
なぜなら、
私たち人間の心というのは
常に外界からの影響を受けていますから、
ちょっとしたことでも、
心はマイナスになりやすい。
さらに
一日、二日は出来たとしても、
それを継続しなければ何も変わらない。
「絶対にこの弱い心を変えてやるんだ」
そう私は毎日思い続けて、
今この瞬間もそれを継続しています。
心の変化は、
すぐに目に見えるものではありません。
しかし、
あきらめずに努力を続けることで、
必ず良い方向へ進んでいきます。
自分を信じることです。
運命は、
自分の心次第で変えることができます。
自分の心が輝けば、
きっと素晴らしい出会いを
天地大自然は連れてきてくれますよ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" なぜ、それが起きたのかを考える人でありたい "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
雨水 (うすい) 次候
七十二候
霞始靆 かすみはじめてたなびく
第五候
「雨水」初候から次候へと移り、2月24日~28日くらいにあたります。
氣温も少しずつ上がり、日差しも春らしくなり、遠くの景色が淡くぼんやり見える日があります。
「霞がたなびく」とは、まさにそんな風景のこと。
霞は春に使われる言葉、またその現象を指し、春の霧のことを「霞(かすみ)」と呼ぶのですね。
また春以外では、霧や靄(もや)と呼ばれます。
今日のお題
『 なぜ それ が おきた のか を かんがえ る ひと で ありたい 』
" 道でばったり知人に会った "
" 欲しかったものがたまたま安く手に入った "
" 歩いていたら突然、横道から自転車が出てきてぶつかった " …
私たちは日常生活で、
このような「偶然」の出来事に
遭遇することがあります。
しかし、
本当にそれはただの偶然なのでしょうか?
私は、常日頃より
「人生に偶然の出来事はない」と
考えています。
なぜなら、
道で知人に偶然出会ったとしても、
それは
「自分がその道を歩いた」という
行動があったからこそ
生まれた出来事だからです。
もし家にいれば、
その知人に会うことはなかったでしょう。
横道から自転車が飛び出してきて、
転んでケガをしたとしても、
その時にその道を歩かなければ、
転んでケガをしなくて済んだ。
つまり、
「偶然」とは、
自分の行動や選択によって
「必然的」に生まれるものなのではないでしょうか。
それが、
「天地大自然の法則」であると私は思います。
私たちは、
この法則が支配する自然の中で
生まれ、生きて、生涯を過ごします。
つまり、
私たちの行動や選択は、
天地大自然の法則と密接に関わっており、
「偶然」にみえる出来事も、
実は「必然的」な結果として
起こっていると考えられるのです。
たとえば、
以下のようなことがいえます。
「出会い」とは
「偶然」出会ったようにみえる人も、
実は過去の行動や選択が
引き寄せた「必然的」な出会いである。
「出来事」とは
「偶然」起きたようにみえる出来事も、
実は自然の法則や過去の行動が
もたらした「必然的」な結果である。
このように考えると、
「偶然」という言葉で片付けていた出来事も、
違った意味を持って
みえてくるのではないでしょうか。
「偶然」という言葉で片付けるのではなく、
「なぜそれが起きたのか」、
自分の行動や選択と
どのように繋がっているのかを考えることで、
人生はより深く、
より豊かなものになるはずです。
自分の身の周りに起こった
マイナスの出来事でさえ、
プラスの出来事に変えて
次への教訓にすることも可能です。
同じ過ちを
二度、三度繰り返す人は、
身の周りに起こる出来事を
「ただの偶然」としか、捉えていない人なのです。
「天地大自然の絶対的大法則」に
則るならば、
「なぜ、それが起きたのか」
それを考えるべきでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝