" 一回の稽古はいつ終わるのか "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
大雪 (たいせつ) 末候
七十二候
鱖魚群(さけのうおむらがる)
七十二候の第六十三候で、
鮭が産卵のために群れをなして川を上っていく頃です。
本日のお題。
『いっかい の けいこ は いつ おわる のか』
毎年恒例となりました
12月の2週目から年末まで
約3週間にわたる
指導者育成、錬成 集中稽古。
その稽古法は
1回3時間の稽古のうち、
2時間が技の稽古で、
残りの1時間は
座学と呼吸法の稽古です。
人に教える立場の指導者は
技の向上が重要なことは
言うまでもありませんが、
最も重要なことは
心のあり方、考え方です。
" 人を教える " ということは
並大抵のことではありません。
指導者の理解度に対して
お弟子さんの理解度は、
大きくかけ離れています。
一所懸命、理解して
それを体得するべく
努力する
お弟子さんもいれば、
全く真逆のお弟子さんも
少なからず、いるものです。
人前に立って指導すると
お弟子さんのことが
よく分かります。
指導者と言えども
一人の人間ですから、
感情というものが
あるのは当然のこと。
しかし、
感情だけで指導しては
決してうまくいきません。
前に
この道場長ブログ
" ぼくらの合氣道 " にも
書き込みましたが、
王貞治さんの格言
「プロは自分のことを人間だなんて思っちゃいけない」
この境地に至るのは
至難のことです。
先頭に立つ私を筆頭に
ここに集まった
7名の指導者と
それを目指す者は
私を含め、
まだまだ皆、未熟者です。
この王貞治さんの格言が
身につくまで、
さらなる人間磨きを
やらねばなりません。
その上で
昨日、12月19日の
夜間稽古の座学から
その内容をここに記します。
人前に立って
お弟子さんを指導する。
大人、親子、
少年部の子ども達に指導する。
今、不肖私は
ここに立っている。
指導者と指導者を目指す
皆さんの前に立って
指導者育成、錬成稽古を行っています。
" この一回の稽古が
終了する時は
いつか知っていますか? "
それは皆さんが
寝る前に
「先生の言っていたことは、このことだったのか」、
夜道を歩きながら、
夜空を見上げ、
「あの時、先生が言っていたこと、やっと今、分かりましたよ」
一人のお弟子さんが
そう思った時、
その時、初めて、
その一回の稽古が終わるんだ。
私の師匠である
琴地 茂 先生から
教わった言葉が
「寺崎さん、指導者は忍耐ですよ」
その言葉が
私の心身の隅々まで
染み渡っています。
お弟子さんというものは
自分の思い通りになりません。
自分が思うように
伸びてもくれません。
無我夢中でやる人など
無に等しい。
指導者である
あなた方の思いや理解と、
お弟子さんのそれとは
大きくかけ離れる。
そこに絶対に悩んだりするな。
" そんなものだ " と思え。
そのお弟子さんが
氣付くまで、
氣長に待つことです。
氣付かずに
辞めていく者も
必ず出てくる。
そんなことで
クヨクヨするな。
指導者は
失敗と挫折の連続だ。
でも、
その失敗や挫折も
自分を磨くために
天地大自然が与えてくれたもの。
それを有り難く
笑顔で受け取れ。
悲しい顔は決して
お弟子さんに見せるな。
家族や友人にも見せるな。
泣くなら、
誰もいないところで
思いっきり一人で泣け。
その姿を
天地大自然は
必ず見てくれている。
そして、
それが天地の理に
則ったことなら、
誰に遠慮などいらない。
堂々と天地の大道を行け。
一回や二回の
失敗や挫折で
指導者辞めると言う人が
いるとしたら、
私など1万回以上も
指導者を辞めてますよ。
何回も合氣道辞めてますよ。
私達がやっていることって、
すぐに結果が出るものではない。
十年後、二十年後に
結果が出るものですよ。
" 人を教える " って
そんなものだ。
以上。
これは
指導者のための座学の
内容ではありますが、
この " 指導者と弟子 " という
関係を " 親と子ども " に
置き換えることも
できるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 顕在意識と潜在意識 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
大雪 (たいせつ) 末候
七十二候
鱖魚群(さけのうおむらがる)
七十二候の第六十三候で、
鮭が産卵のために群れをなして川を上っていく頃です。
本日のお題。
『けんざいいしき と せんざいいしき』
一つ前のエントリーに
関連する内容ですので、
宜しければ
このエントリーをご覧ください。
人間の意識には
顕在意識と潜在意識がある。
顕在意識とは、
普段、私たちが
認識している意識のこと。
モノを考えたり、
何かを判断したり、
何かを希望したり
するときの意識のことです。
また
潜在意識とは、
「無意識」とも呼ばれる、
本人が自覚していない
意識のことです。
私たちは日常において、
自覚せずとも
潜在意識の影響を
受けて生活しています。
なぜなら、
潜在意識とは
" 心の倉庫 " なのです。
私達は
何かを判断したり
考えたりする時、
必ず、この潜在意識から
判断することになるのです。
例えば、
レモンを見ただけで
実際に食べなくても、
食べると
「酸っぱい」という
判断をすることができます。
これは以前に
レモンを食べたことが
あるからなのです。
食べれば
「酸っぱい」という意識が
潜在意識に入っているから、
顕在意識が
そう判断するのです。
ですから、
食べたことがないものは
どの様な味なのか
判断できないのです。
潜在意識にないものは
判断できない。
普段、
私達はこの心の倉庫である
潜在意識という、
心の引き出しから
その過去の事情を取り出して
考えたり、判断します。
従って、
この心の倉庫である
潜在意識にマイナスの要素が
たくさん入っていると、
考えや判断も
常に消極的になるのです。
一方で
潜在意識にプラスの要素が
いっぱい入っている人は
いつも積極的な
考え、判断をすることが
できるのです。
そして、
重要なことは
人間は起きている間は
顕在意識が表面に表れ、
寝ている間は
逆に潜在意識が
表面に表れるのです。
その証拠に
何かに追われるような
恐ろしい夢や、悲しい夢を
よく見る人は
心にマイナスの要素が
たくさん入っていることに
なるのです。
私も
合氣道に出会うまでは、
よく悪夢に
うなされたものでした。
しかし、
少しづつ、
心の倉庫にプラスの要素を
たくさん入れるように
心がけた結果、
楽しい夢を多く見るように
なったのです。
眠りに入ってから
起床するまで、
顕在意識が隠れて
潜在意識が表面に表れる。
この天地大自然による
人間の意識の法則を
上手く活かすことが
できれば、
心の倉庫も
書き換えることが
可能になるのですね。
賢明な
" ぼくらの合氣道 " の
読者の皆様なら
もうお分かりですよね。
" 寝る前には断じて、
マイナスの要素を
取り入れてはなりませぬ "
その一つの方法として、
私は毎日22:00以降に
メールやLINEや
X ( 旧Twitter ) 等は
一切に見ないようにしてます。
放ったらかしにしておきます。
アプリの通知音が
いくら鳴ろうが
関係ありません。
まるでそれが
他人の通知音で
あるかのように、
一切相手にしません。
それらのメッセージは
必ずしも、
プラスの言葉や内容である
という保証はないからです。
その結果、
翌朝には
LINEの未読メッセージが
三桁なんてことも
ザラにありますが…
翌朝になってから
一件づつ、
対応すれば良いのです。
人間は
見ないものには
関心はないが、
一度、見てしまうと
あれこれ考えるものです。
就寝時は
天地大自然に身を委ね
完全に任せきり、
まるで幼児が
母親に抱きかかえられて
安心して眠るように
天地大自然に
抱きかかえられて
眠るのです。
これが
私の" 健康法 " の一つです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 就寝は人間の領域ではない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
大雪 (たいせつ) 末候
七十二候
鱖魚群(さけのうおむらがる)
七十二候の第六十三候で、
鮭が産卵のために群れをなして川を上っていく頃です。
本日のお題。
『しゅうしん は にんげん の りょういき では ない』
人は生きている間、
いくら自分が
明るく正しく
生きていようとしても、
日常の荒波は、
どうしたって
防ぐことが出来ない。
それが人生だ。
けれども、
就寝時は
一切、昼間の出来事と
心を関係付けない努力をする。
どんな辛い、悲しい、
腹の立つことが
あったとしても、
それがまるで
他人事であるかのように
放っておく。
それをどうしても
考えずにいられないなら、
明日の朝、
起きてから
考えるようにすることだ。
寝ることと
考えることを
同時にしたら、
眠れなくなる。
人間は一度に
二つのことを
考えも出来なければ、
おこなうことも出来ない。
立つことと座ることを、
同時に出来ない。
外へ出かける時に
行きと帰りを
同時にすることは出来ない。
人間は一度に、
たった一つのことしか
出来ないのだ。
寝るなら寝る。
就寝というのは、
眠るために布団に入るはず。
考えるために
布団に入るのではない。
就寝に考えごとは無用だ。
一日のうちに
消耗した氣は
" ぐっすり眠る "
ことによってまた蘇る。
天地大自然から
疲れた心身に
蘇る力を与えてもらえる。
その天地の力を
受けようとする前に、
恨んだり、妬んだり、
泣いたりすることは
してはいけない。
就寝とは
人間がどうこうする
領域ではなく、
天地大自然の領域だ。
例えば、
車で言うなら
汚れたエンジンオイルの交換や、
消耗したバッテリーの充電、
明日一日を
十分に走れるだけの
燃料の給油などを
天地大自然がしてくれている。
その修繕が
不十分であれば、
事故や故障に
つながることは
当たり前なのだ。
それを私達人間に
置き換えてみると、
よく分かるはず。
天地大自然は
誰にでも
分け隔てなく、公平に
私達の心身の修繕を
就寝の間にしてくれる。
それを
ありがたく感謝して、
素直に受けよう。
それを
受け入れるための準備は
自分でしなければいけない。
それが私達人間がする領域だ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 幸運のGOOD LUCK "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
大雪 (たいせつ) 末候
七十二候
鱖魚群(さけのうおむらがる)
七十二候の第六十三候で、
鮭が産卵のために群れをなして川を上っていく頃です。
本日のお題。
『こううん の ぐっどらっく』
道場長ブログ
" ぼくらの合氣道 "
12月10日の
このエントリー には、
実はまだ続きがあるのです。
宜しければ、ご覧ください。
駅近くのコンビニで
コーヒーマシンが清掃中のため
コーヒーが買えなかった、
その続きです。
それでもやっぱり
コーヒーが飲みたくて、
駅のホームの自販機で
缶コーヒーを
ICカード乗車券
ICOCAで購入した。
そして、
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館本部道場に
向かうため、
JR明石駅の改札に
そのICOCAをかざしたら、
な、なんと!
乗車券代金の支払済
ICOCA残高が
777円 と自動改札機が
表示したのです。
これには
ほんとに驚いた。
" 今日はついている "
さる12月9日は
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館本部道場において
不肖、私は合氣道四段の
昇段審査を受ける日でした。
もし、
電車に乗る前に
駅近くのコンビニで
通常通りコーヒーが
買えていたなら、
ICOCAの残高が
777円にはなっていなかった。
また、
駅ホームの自販機で
ICOCAで支払わず、
現金で支払っていても
777円にはならなかった。
くどいようだが
もう一つ言いたい。
当たり前の事だが、
どうしてもコーヒーが
飲みたくなかったとしたら、
777円にはならなかった。
ほんと、
このブログの
読者の皆様にしたら
「まぁ、それくらいの事で大げさな」
その様に思われるかもしれません。
でも、
世の中で起こる事は
偶然などではなく
全て必然である。
それが信念の
私は大いに感動しました。
これから
四段の昇段審査を受験する
私にとっては
天地大自然からの
贈り物であり、
メッセージであると
思いました。
「大丈夫だ、リラックスして精一杯やりなさい」
その様に天地大自然が
支えてくださっている。
天地が応援してくださっている。
僭越過ぎることでは
ありますが、
そう強く感じました。
そして、
その日の早朝には
兵庫県合氣道連盟の
指導者で
私の大先輩でもある
T先生が
LINEメッセージで
" GOOD LUCK " の
一言を送ってくださいました。
魂から
「ありがとうございます」
たかだか、私ごときのために、
その私の昇段審査を
忘れず覚えていてくださった。
他人の昇段審査ごときで
なかなか、
できるようなことでは
ございません。
T先生には
技も多く教わりました。
また、技だけではなく
" 指導者としての心得 " を
たくさん学ばせて
いただきました。
その恩師の
" GOOD LUCK " の
メッセージと
天地大自然の計らいに
後押しされ、
勇氣をいただいて、
合氣道四段の末席に
加えさせていただきました。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" ちりも積もれば "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節気
大雪 (たいせつ) 末候
七十二候
鱖魚群(さけのうおむらがる)
七十二候の第六十三候で、
鮭が産卵のために群れをなして川を上っていく頃です。
本日のお題。
『ちり も つも れ ば』
その日その日に
積もるほこりは
微々たるものです。
しかし、
その微々たるほこりに
油断して、
一週間、三ヶ月、
一年も放っておいて
掃除をしなかったら、
ひどく汚れて
大変なことになる。
「ちりも積もれば」
塵 (ちり) とは
ネット辞書によると、
ほこり。小さなごみ。
この世のわずらわしさ。
世のけがれ。
ほんのわずかなこと。
という意味だ。
その日一日の
僅かな不徳、罪、
他人への迷惑、言動、
わがまま。
それが積もり積もって
一家、家族の不運をつくる。
それくらい、
これくらいのことは
" 自分だけではない、
みんなやっているではないか "
そういうことが
わが身、一家の
身の破滅になる原因だ。
一方で、
微々たる善行、
僅かな徳であっても
それが
一家、家族に
幸運をもたらす。
毎日の善行と
感謝と報恩。
その振る舞いを
日々、大切にしたい。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝