" 言葉が未来を創る。「〇〇できたらな」を今すぐやめるべき理由 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
秋分【しゅうぶん】初候
七十二候
第四十六候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
「雷乃収声」は9月23日~27日頃。
夏の間に激しく鳴り響いていた
雷の音が次第に収まり、静かになっていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ことば が みらい を つく る。 「〇〇できたらな」を いま すぐ やめ る べ き りゆう 』
「〇〇できたらな」ではなく「〇〇する」
私たちは無意識のうちに
「〇〇できたらいいな」
「〇〇になれたらいいな」といった
言葉を使ってしまいがちです。
しかし、
この言葉の奥には
「どうせ無理だろうな」
「できなくても仕方ないや」という
" 弱さ " や " 甘え " が隠れています。
この言葉には、
どこか他人事のような響きがあり、
自分の未来を他者に委ね、
できなかった時の
言い訳をしているかのように
聞こえます。
合氣道の稽古でも同じです。
技の習得には、
何度も失敗し、壁にぶつかります。
そんな時、
「いつかできるようになれたらいいな」と
漠然と考えているだけでは、
進歩は望めません。
自分の思い描いた
最高の結果を
「完了形」で強くイメージし、
言葉にする。
これが、
「潜在意識」に深く働きかける鍵です。
「〇〇する」「〇〇になる」と
断定的に言い切ることで、
心はもうすでに
その目標を
達成したかのように感じ始めます。
" 心は身体を動かす "
原動力ですから、
自然と自身の行動が
その方向へと向かい始めるのです。
「〇〇できたらなと思います」
「最善の準備をして最高の結果に終われたらな、と思います」
テレビのインタビューや、
日々の会話でよく耳にする言葉です。
謙虚で奥ゆかしい
日本の美徳のようにも聞こえますが、
この言葉の裏には
「心の弱さ」が見え隠れしているのです。
スポーツ選手の
試合前のインタビューで
「最高のプレイができたらな」という
言葉を耳にするたび、
私はとても残念に感じます。
" 言葉が未来を変える "
合氣道の道場でも同じです。
難易度の高い技を習うとき、
多くのお弟子さんが
「いつか先生みたいにできたらいいな」
と言います。
もちろん、
その氣持ちは大切です。
しかし、
それだけではいつまでも
「もしも」の未来のままです。
「〇〇できたらな」は、
「〇〇する」に言い換える。
これは、
自分自身に未来を託すのではなく、
「今、この瞬間から自分の未来を創る」と
決意することに他なりません。
" 潜在意識に働きかける言葉の力 "
私たちの心と身体は繋がっています。
切り離すことはできないのです。
心が「どうせ無理だ」と思えば、
身体は動かなくなります。
しかし、
心が「できる!」と信じれば、
身体は自然と
その目標に向かって動き出すのです。
自分の思い描いた
最高の未来を
「完了形」で強くイメージし、
言葉にする。
たとえば、
「昇級審査に合格する」という
目標があるなら、
「合格できたらいいな」ではなく、
「私は昇級審査に合格する」と
言い切りましょう。
すると、
潜在意識がその言葉を認識し、
自身の行動を
その方向へと導き始めます。
稽古への向き合い方、
日々の過ごし方、
すべてが変わり始めます。
これは魔法ではありません。
心と身体の繋がりと
潜在意識の性質を理解し、
その力を最大限に引き出すための、
活用法であり
「心の鍛錬」なのですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 己を磨く砥石 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
秋分【しゅうぶん】初候
七十二候
第四十六候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
「雷乃収声」は9月23日~27日頃。
夏の間に激しく鳴り響いていた
雷の音が次第に収まり、静かになっていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 おのれ を みが く といし 』
他者から聞くだけの知識は、
水に浮かぶ葉のようなものだと思います。
一時的には頭に入りますが、
すぐに流されて消えてしまいます。
それは、
教科書をただ読み、
先生の言葉をただ聞いているだけの状態。
頭の片隅に残ることはあっても、
いざという時に
あなたの血肉と
なってくれることはないでしょう。
一方で、
自ら問いを立て、
探求し、悩み、
そして
つかみ取った知識は、
" 己を磨く砥石(といし)" となります。
真の力は、
教わったことの表面を
なぞるだけでは決して身につきません。
自らが深く探求し、
葛藤し、
そこから得たものは、
自分自身の知性と精神を研ぎ澄ます
「砥石」です。
この砥石によって
磨かれた内なる力が、
困難な道をも
切り拓く鋭い刃となるのです。
それは、
稽古で何百回と
基本技を繰り返すうちに、
技の核心を
自ら見つけ出す過程に似ています。
誰かに「こうやれ」と
教わった形をなぞるだけでは、
ただの身体の動きにすぎません。
しかし、
なぜこの動きが必要なのか、
どうすれば相手の氣を導き、
技をかけることができるのかを
自ら考え抜いた時、
その動きは
本物の技へと昇華していくように思います。
合氣道には
「呼吸動作」という技があります。
他の流派では「坐技呼吸法」とも呼ばれ、
とても難易度の高い技の一つです。
私は、
その「呼吸動作」を習得するために
琴心館本部道場はもちろん、
自宅でも一人、壁に向かって
その動作を繰り返し、繰り返し、
相手が前にいるものと思い、
毎日稽古を続けました。
すると、そのうち、
「あっ!」これかな?と、
閃くことがあるのです。
そして、
実際に道場で
その閃いた身体の動きを
相手に手を持たせ実際に試みる。
しかし、
結果はこれまでと同じ。
全く相手を投げることができない。
それを
何千回、何万回と繰り返すこと、10年。
僭越ですが、
やっと、その奥義の入り口に
たどり着くことができました。
それ以降、
この「呼吸動作」で
相手とぶつかることもなく、
投げることができるようになりました。
道場での稽古も、
読書も、学びも、
そして日々の暮らしも同じです。
ただ教わるだけという
受け身の姿勢ではなく、
自らが能動的に学び、
行動すること。
その一歩一歩が、
" 己を磨く砥石 " となり、
強靭な心と身体を育むのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" その昔、追いはぎが出ると怖れられた坂道。見えない先に氣を配る。暗闇坂編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週も宜しくお願いいたします。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】末候
七十二候
第四十五候 玄鳥去(つばめさる)
「玄鳥去」は9月18日~22日頃。
春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終えて、南へと帰っていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 その むかし、おいはぎ が でる と おそれ ら れた さかみち。みえ ない さき に き を くば る。くらやみざか へん 』
今夏の東京出張は
主に麻布台にある道場で稽古をしました。
道場へ向かう道すがら、
私はよく元麻布にある「暗闇坂」を通りました。
この麻布十番周辺は
江戸から続く
由緒ある坂道がたくさん点在する場所です。
元麻布の
「 暗闇坂 くらやみざか 」は、
その名の通り、
かつては
昼間でも暗いほど
木々が鬱蒼と茂っていた
ことから名付けられた歴史ある坂です。
" 由来と歴史 "
坂名の由来は、
樹木が覆いかぶさるように生い茂り、
昼間でも
見通しが悪く暗かったことにあるそうです。
昔の宮村町を通っていたことから、
「宮村坂」とも呼ばれていたそうです。
また、
その暗さから
幽霊や妖怪の伝説も生まれ、
「幽霊坂」とも
呼ばれることがあり、
" 幽霊 " や " 追い剥ぎ " が出ると言われ、
人々から恐れられていました。
実際に
追い剥ぎなどが現れる
物騒な
場所でもあったと伝えられています。
追い剥ぎ(おいはぎ)とは、
人氣のない道で通行人を捕まえ、
着ている衣類や持ち物、金銭などを
強奪する盗賊・強盗のことを指します。
そのような言い伝えがある
「暗闇坂」も現在では、
周囲の宅地開発や
マンション建設が進み、
かつてのような鬱蒼とした
雰囲氣は失われ、
明るく整備された坂になっています。
急な坂の途中には
レンガ造りの美しい
オーストリア大使館があります。
坂を上りきると、
「一本松坂」、「大黒坂」、「狸坂」といった
他の坂と合流する地点に出ます。
「暗闇坂」は、
その名前の由来や、
かつての不氣味な伝説とは裏腹に、
現在は都心の閑静な高級住宅街を
つなぐ坂として、
元麻布の街の雰囲氣を象徴する
存在となっていますね。
" 麻布台道場へ向かう道、
元麻布「暗闇坂」の教え "
先人たちは
この真っ暗闇な坂で
見えない先に氣を配り、
時には危険な人物に
遭遇することに身構えながらも、
一歩一歩進んでいく。
それは
まさに現代の合氣道の稽古に通じます。
「目に見えるものばかりを追うな」
師からいただいた
この言葉を、
私はこの坂道を通るたびに
思い出します。
相手の動きの
表面だけを追うのではなく、
その奥にある
「氣」を感じ取り、先を読む。
暗闇の中で
五感を研ぎ澄ませて歩くように、
私たちは合氣道を通して、
見えない「氣」を感じ取る稽古をしています。
幸い、
現代ではこの坂道は整備され、
今は明るく見通しの良い坂道です。
時代の変化とともに形は変わっても、
その本質は変わりません。
合氣道もまた、
技や形は進化しても、
その精神は何も変わらない、
僭越ですが、私はそう思っています。
次の東京出張もまた、
この坂を上り、
お弟子さんと共に稽古に励むことでしょう。
そして、
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 利他を究める 技と心 それが成長への道 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】末候
七十二候
第四十五候 玄鳥去(つばめさる)
「玄鳥去」は9月18日~22日頃。
春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終えて、南へと帰っていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 りた を きわめ る わざ と こころ それ が せいちょう へ の みち 』
" 稽古の根底にある「利他」の精神 "
合氣道琴心館寺崎道場で
学ぶの技は、
自分の力を
誇示するものではありません。
相手の攻撃を
正面から受け止めるのではなく、
その力 (氣 )と調和し、
尊重して、それを導きます。
このプロセスは、
言い方をかえれば
まるで相手の力を借りて
自分も成長しているかのようです。
相手を
いかに安全に投げられるか、
いかにスムーズに技をかけるか、
常に
相手の " 氣の動き " や " 呼吸 " 、
そして
その相手の状態を深く観察し、
繊細な氣遣いをもって行います。
これは、ある意味
「自分のため」ではなく、
「相手のため」に
技をかけることに通じます。
" 全てにおいて向上する
「天地大自然の法則」"
自分が上達することだけを
考えていては、
いつまで経っても上達できません。
そうではなく、
組む相手が
どうすれば上達できるかを考え、
常に、
" 相手の成長を第一 " に稽古に臨む。
これは、
合氣道の世界だけに
通用する特別な教えではありません。
相手を尊重し、
相手の成長を助けることは、
巡り巡って
自分の成長に繋がるという、
" 天地大自然の普遍的な法則 "
なのです。
ただ、
頭ではそれを分かっていても、
本当にこの真理を理解し、
実践している人はごくわずかのように思います。
多くの人は、
自分の得になることばかりを追い求め、
目先の利益に囚われてしまいます。
それでは、
本当の意味での成長や向上は望めません。
相手を成長させ、
その動きを学び、自らの技を磨く。
この「利他」の精神こそが、
自分を真に向上させる道なのです。
今週もありがとうございました。
9月20日 (土) 、9月21日 (日) の
兵庫キャナルタウン合氣道教室のお稽古は
勉強会で師範不在のため、お休みです。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 東京の坂道巡り、技の深淵を学ぶ。狸穴坂編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】末候
七十二候
第四十五候 玄鳥去(つばめさる)
「玄鳥去」は9月18日~22日頃。
春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終えて、南へと帰っていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 とうきょう の さかみち めぐ り、わざ の しんえん を まな ぶ。まみあなざか へん 』
8月の夏期集中稽古、指導者育成練成指導。
その東京への
出張のもう一つの目的。
それは、
江戸の歴史が息づく坂道を巡ること。
今日は麻布にある
「狸穴坂(まみあなざか)」のお話です。
狸穴坂は、
東京都港区麻布にある坂です。
麻布台二丁目と
麻布狸穴町の境界に位置しており、
外苑東通りの
ロシア大使館の西側を南に下っています。
この坂は
「麻布七不思議」の一つに数えられ、
古くから
多くの物語が語り継がれてきました。
地元では昔、
このあたりに狸が出没し、
人を化かしたという言い伝えがあります。
ある時、
赤ん坊の泣き声に騙された人が、
抱き上げたものが石のお地蔵様だった、
という逸話には
思わず引き込まれました。
狸穴坂の名前の由来には
諸説あり、
最も有名なのは
「まみ(雌ダヌキ、アナグマなどの古語)」が
住む穴があったという説です。
また、
遥か昔に銅が産出した採鉱の穴、
間府穴 まぶあな(銅を採るために掘った穴)が
あったとも伝えられており、
採鉱の穴(まぶ)が、
語源という説もあるようです。
驚くべきことに、
この「狸穴」という地名は、
「麻布永坂町」とともに、
江戸時代からほとんど変わらずに
現代まで残っている貴重なものなのですね。
古の時代から続くこの坂を歩くと、
まるで先人たちの
息吹が聞こえてくるようでした。
坂道巡りの体験は、
私にとって
合氣道の稽古に強く通じるものがあります。
技の形を
ただ身体でなぞるだけでは、
本質にはたどり着けません。
その奥にある
合氣道の先人達が
残してくれた教えや知識。
その中から一つひとつの技が生まれた。
その背景に思いを馳せることで、
より深い学びが得られます。
今回の東京出張は、
坂の物語に触れることで、
改めて技の「深淵」を
追求することの
大切さを感じた、
素晴らしい学びの機会となりました。
今後も、
稽古を通じて
合氣道の奥深さを探求し、
お弟子さんと共に精進してまいります。
そして、
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝