" 貧すれば鈍する "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、
「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたり、桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころです。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『ひん すれ ば どん する』
人間の味覚は、
その時々の体調や氣分によって
微妙に変化するものですね。
「以前、あんなに美味しいと感じた食べ物が、今日はなぜかそれほどでもない…」
このような経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
少し前になりますが、
ある定食屋さんでカツ丼をいただきました。
「あれっ、こんな味だったかな?」
以前にも、同じお店で同じカツ丼を
いただいたのですが、
前ほど美味しいとは感じなかった。
そんなことを考えながら、
食べているうちに
「あっ!そういうことか」
あることに氣づいたのです。
そのカツ丼を以前に
いただいたときは、
とても空腹で、とにかく美味しかった。
でも今日はそれほど空腹ではなかった。
" 人は空腹の時には、本当の味が分からない "
ということに氣がつきました。
私たち人間は
あらゆる動植物の命をいただき
生かされていますので、
自分のために犠牲となった命に
「美味しくない」なとど、
とてもではないが言えません。
そのうえで、
空腹にまずいものなし
喉が渇けば水でさえ
「甘露の慈雨」というように、
極度に空腹であれば
どんな食事も美味しく感じ、
喉が渇いていれば、
ただの水さえも
極上の飲み物のように感じられます。
つまり、
極限状態では
味の良し悪しを正確に判断することが
難しいということです。
本当に味を判断するには、
適度な満腹感と潤いが必要であると思うのです。
これは、
「貧すれば鈍する」という言葉にも
通じるかもしれません。
つまり、
貧乏すると、
生活の苦しさのために
精神の働きまで愚鈍になるということです。
極度の空腹や渇きは、
味覚という人間の重要な感覚を
狂わせる可能性があるように、
経済的な困窮は
人の判断力を鈍らせ、
正確な行動ができないということ。
味覚や貧富は、
単に食べ物や飲み物の味を
感じるだけでなく、
私たちの心や体の状態を
映し出す鏡のようなものなのかもしれない。
何事も適度な余裕がなければ、
そのものを正しく評価することができない。
人生において、
困窮を極めるほどの貧困は
乏しい判断力などが災いして、
うまくいくことも、うまくいかず、
時に人の道に外れることも
大いにしてあるように思うのです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" お陰様という小さな心の破片 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、
「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたります。
桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころ。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『 おかげさま と いう ちいさ な こころ の はへん 』
小さな幸せに氣づく心が幸福への扉を開く。
日々の生活の中で、
私たちは様々な出来事に遭遇します。
その中には、
「おかげさまで」や「感謝」といった
小さな心の破片が散りばめられています。
その小さな破片を掴まえて、
素直に
「おかげさまで」、「ありがとう」と思える人と、
何事も「損得」や「好き嫌い」の感情で
判断し、恨みや愚痴ばかりを
口にしてしまう人とでは、
長い目で見た場合、幸福度に大きな開きが
生まれてくると思うのです。
人生は、楽しいことばかりじゃない。
ときには、
つらいことや大変なこともある。
そんなとき、
感謝する氣持ちを持つのは難しいかもしれない。
でも、
ピンチの中にこそ、
成長のチャンスが隠れているのです。
" つらいときこそ「ありがとう」"
楽しいことや嬉しいことなら、誰でも感謝できる。
でも、
つらいことがあったときに
「ありがとう」って思うのは、
なかなかできないこと。
しかし、
「この出来事には何か意味があるはず」って、
無理にでも
感謝する氣持ちを持つようにしてみよう。
そうすると、
不思議と早く問題が解決する。
" 世の中はそういうふうにできている " と思うのです。
毎日、小さなことでも
「嬉しいな」「楽しいな」って
感じる心を大切にしよう。
それが、
毎日を幸福に過ごすための第一歩だと思う。
感謝の氣持ちを持つと、心にも余裕ができる。
* つらいときこそ、成長のチャンス。
* 小さな幸せを見つけると、毎日がもっと楽しくなる。
* 感謝の氣持ちは、心に余裕がうまれて、人間関係も良くなる。
何事にも「感謝とおかげさまで」。
ありとあらゆる世の中の出来事に
散りばめられた、
その心の破片を見落とさず、掴むことができれば、
毎日はもっと楽しく
有意義な人生になると思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 子どもの目の前でそれをする "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、
「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたります。
桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころ。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『 こども の め の まえ で それ を する 』
たとえば、
野球、サーフィン、スキー、スノーボード、釣り...
これらのスポーツやレジャーに
共通することは何でしょう?
それは、
「用具を使うスポーツ、レジャー」である
ということです。
他にもいろいろあるでしょうが、
これらのスポーツやレジャーを
たのしむ上で、
用具は身体の一部と言っても
過言ではありませんね。
用具の扱いに習熟することで、
パフォーマンスが大きく左右されます。
そして、
用具を丁寧に扱い、
メンテナンスを怠らないことは、
スポーツやレジャーを楽しむ上で
非常に重要な要素です。
しかし、
それ以上に、用具の手入れは
子どもの「情操教育」に
大きな影響を与えるということを
考えたことがあるでしょうか?
「情操教育」とは、
物事に感動したり、
相手を思いやる氣持ちなど、
豊かな感受性や
自分で考えるために必要である、
道徳的な意識や価値観を
養うことを目的とした教育のことです。
子どもの目の前で用具を手入れすること。
「道具を大切にしなさい」
言葉でそう教えることは簡単なことです。
しかし、
子どもの心に響くのは、
「親が実際に用具を手入れする姿を見せることです。」
たとえば、
野球のグローブを丁寧に磨いたり、
スキー板のエッジを研いだり、
ワックスをかけたりする姿を
子どもに見せる。
わが家でも、
子どもたちがまだ小さかった頃、
サーフィンをするために、よく海へ連れていきました。
海から上がれば、
シャワーでボードの塩分を流し、
きれいに拭いてボードケースに入れる。
炎天下に放置しない。
「サーフボードはとても傷つきやすいものだからだ、こうして大切に扱うんだよ」
「こうやって道具を大事にするんだよ」
言葉で説明するだけでなく、
実際にやってみせることで、
子どもは道具への愛着や
感謝の氣持ちを自然と育みます。
手入れを通して育む、3つの大切な心。
①「物を大切にする心」
用具を丁寧に扱うことで、
物を大切にする心が育まれます。
これは、スポーツ用具に限らず、
日々の生活においても重要な姿勢です。
②「感謝の心」
用具の手入れを通して、
道具への感謝の氣持ちが生まれます。
道具があるからこそスポーツを楽しめる。
その感謝の氣持ちは、周りの人々への感謝へと繋がります。
③「集中力と丁寧さ」
用具の手入れは、
集中力と丁寧さを養います。
一つ一つの作業に集中して取り組むことで、
子どもは丁寧に行うことの大切さを学びます。
また、
用具の手入れは、
親子のコミュニケーションを深める
絶好の機会です。
「ここはどうすればいいの?」
「もっとこうすると、よくなるよ」
会話をしながら
一緒に手入れをすることで、親子の絆が深まります。
用具の手入れは、
単なるメンテナンスだけではなく、
子どもの心を育む、最高の「情操教育」です。
親は子どもの目の前で、
愛情を込めて用具を手入れする姿を
見せてあげてください。
きっと、
子どもたちの心に響く、
大切な教育となるはずです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 人からの提案は喜んで受け取る "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 初候
七十二候
蟄虫啓戸 すごもりむしとをひらく
第七候
「雨水」から「啓蟄」へと移り、
「蟄虫啓戸」は3月5日~9日くらいにあたります。
「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意味から、
啓蟄とは、冬ごもりしていた虫などが地上に這い出てくるころをいいます。
ひと雨ごとに暖かくなっていく時期です。
今日のお題
『 ひと から の ていあん は よろこん で うけとる 』
人の提案を喜ぶ。
弟子の提案を喜ぶ。
道場生が積極的に
稽古に取り組む道場を作るには、
指導者は道場生からの、
また道場生は指導者からの
提案を喜んで受け入れることが大切です。
たとえそれが、
すぐに実践できない提案であったとしても、
その意欲や熱意を評価し、受け入れる。
つまり、
指導者も道場生も積極的に提案できる
雰囲氣を作ることが重要だと思うのです。
その団体、組織の繁栄を心から願う
お弟子さんの提案に対して、
「それはダメだ」と否定したり、
何度も否定したりするようなことがあれば、
その弟子は
「提案しても無駄だ」と感じ、
指示されたことしか
やらなくなってしまうでしょう。
また、その反対もある。
道場生のなかには
自分で自ら進歩、成長を止めている者もいる。
それに一切、氣づいていない者。
いくら言っても、
まるで「のれんに腕押し」では
その道場生に対して、
指導者は何も言わなくなる。
それでは、
道場全体の進歩や向上は望めません。
やがてそのような団体は
衰退していくことは明らかだ。
それがその組織、団体にとって
プラスであるのか?
マイナスであるのか?
その組織、団体のトップは考える必要がある。
時に、指導者は
思い切った大胆な改革が
必要となるときもあるだろう。
ポイントとして、
指導者はお弟子さんの提案を
積極的に聞き、評価する姿勢を示す
「心の器」がなくてはならない。
一方で、お弟子さんは
指導者の提案に対して、
素直な心で聞く「心の器」が必要だ。
たとえ、その提案が実現しなくても、
提案したこと自体を
認め、感謝し、褒める「心の器」。
中には、
経験、知識の大きな違いから
「とんでもない提案」を聞くこともある。
そのような提案であっても
頭ごなしに否定するだけではなく、
その提案にまずは、感謝して、
建設的な意見交換を心がける。
指導者は否定的な意見を言う場合でも、
改善点や代替案を提示する。
指導者も道場生も
お互いの提案を積極的に取り入れることで、
新しい稽古方法やイベント、
さらには、
地域への合氣道の普及活動などが生まれ、
道場全体の活性化につながる。
指導者のみならず、
道場生一人一人が、
道場の運営に参加しているという
意識を持たせることで、
より主体的に稽古に
取り組めるようになるのではないか。
それが道場全体の成長に
つながるのではないだろうか?
指導者は道場生からの
道場生は指導者からの
提案に対して、
常に聞く耳を持ち、
それを積極的に受け入れ、
共に成長していく
道場を目指すべきではないのか。
これは何も
合氣道道場に限ったことではない。
稽古を「仕事」に、
団体、組織は「会社」に置き換えることができる。
指導者を「経営者、社長、上司、先輩」に置き換える。
道場生や弟子を「従業員や部下」に
置き換えて、考えることもできるだろう。
あらゆる
企業、会社、組織、団体も
すべては地域、社会、人のためにある。
だからこそ、
各々分野は違うが、
それが「世のため」、「人のため」になるのだと思う。
そうであるなら、
人はそれぞれの立場を乗り越えて、
可能な限り" 私心を捨て " 、
地域、社会に貢献するべきではないのか?
それが
私たち「人間の存在価値 」でありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 未来は過去の延長線上にある "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 初候
七十二候
蟄虫啓戸 すごもりむしとをひらく
第七候
「雨水」から「啓蟄」へと移り、
「蟄虫啓戸」は3月5日~9日くらいにあたります。
「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意味から、
啓蟄とは、冬ごもりしていた虫などが地上に這い出てくるころをいいます。
ひと雨ごとに暖かくなっていく時期です。
今日のお題
『みらい は かこ の えんちょう せんじょう に ある』
私たちは皆、
未来に希望を抱き、幸せを願っています。
しかし、
その未来はどこから来るのでしょうか?
" 何人もその過去より他に、将来は生まれて来ない " のです。
つまり、
過去の積み重ねが現在の自分を形成し、
それが未来を創り出すということです。
それが分かれば、生き方が変わるはず。
過去を変えることはできなくても、
現在の行動を変えることはできます。
それによって、
自分の未来は
変わってくるのではないでしょうか。
倦まず弛まず、
自分自身を鍛え磨き抜くことで、
より良い未来を
切り拓くことができると思うのです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝