" 幸せは、あなたの心が決めるもの "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
芒種【ぼうしゅ】次候
七十二候
第二十六候 腐草為蛍【くされたるくさほたるとなる】
「芒種」は次候へと移りました。
「腐草為蛍」は6月10日~15日ころにあたります。
梅雨の時期、湿気が多くなり、
「腐った草が蒸れて蛍になる」という意味を表しています。
夏の夜を彩る蛍が飛び始める頃を告げる候として、日本らしい風情を感じさせます。
今日のお題
道場長の一日一心
『 しあわせ は、あなた の こころ が きめ るもの 』
" 逆境を乗り越える「不屈の魂」
ソウル・サーファーに学ぶ心のあり方 "
今日はある感動的な実話の映画から、
私たちが日々、向き合うべき
心の姿勢についてお話ししたいと思います。
2012年に劇場公開された映画
**「ソウル・サーファー」**を
ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
この映画は、
サーフィン中に
サメに襲われ片腕を失いながらも、
再びサーフィンへの情熱を燃やし、
世界中の人々に勇氣を与え続けた
実在のプロサーファー、
" ベサニー・ハミルトン " の実話の物語です。
" 諦めない心と常に前向きな心 "
13歳で片腕を失ったベサニーは、
まさに絶望の淵に立たされました。
しかし、
彼女は決して諦めませんでした。
そして、
何よりも驚くべきは、
その常に「前向きな心」です。
彼女は、
失ったものに目を向けるのではなく、
残された可能性に焦点を当てました。
" シャークアタックを乗り越えて、なぜ彼女は再び海へ向かうのか?"
後にベサニーはこう話しています。
サメに襲われた後、多くの人から
「なぜ、またサメがいる海に戻るの?」と
聞かれます。
そのたびに私は、
サメへの恐怖よりも、
海、そしてサーフィンへの
圧倒的な愛があるからだと答えます。
サメに襲われる確率は、決して高くはない。
実際、車の事故に遭う確率の方がはるかに高い。
そして、
私にとって海は単なる遊び場ではありません。
海は私の心を癒し、
活力を与えてくれる特別な場所です。
私が海に戻る理由は、ただ一つ。
「大好きなサーフィンを一生涯続けていきたい」という、
純粋な情熱があるからです。
一度の恐ろしい経験が、
この情熱を消し去ることはありません。
海は私にとって、
なくてはならない存在なのだから。
この姿勢は、
私たち合氣道を学ぶ者にとっても、
非常に重要な示唆を与えてくれます。
合氣道の稽古においても、
技がなかなか上手くいかない、
身体が思うように動かない、
また、
学生なら学校の宿題や部活動や塾、
社会人なら
仕事や残業といった
稽古に行きたくても
なかなか稽古に行けない、
そういう壁にぶつかることは
日常茶飯事です。
しかし、
そこで「もう無理だ」と諦めてしまえば、
それ以上の成長はありません。
ベサニーのように、
事故から学び、
次へと繋げる「諦めない心」と、
常に「もっとできることがある」
「やり方がある」と信じる、
「前向きな心」こそが、
私たちを次の段階へと導く原動力となるのです。
" 幸せは自分の心が決めるもの "
そして、
この物語が教えてくれる
最も大切なことの一つは、
「人は誰でも幸せになる権利がある。幸も不幸もない。それは自分の心が決めるもの」
という真理です。
ベサニーは片腕を失ったことで、
世間的には
「不幸」と見なされるかもしれません。
しかし、
彼女自身は、
その困難を乗り越え、
より強く、
「当たり前は当たり前ではない」という
より感謝の氣持ちを持って生きるようになりました。
彼女にとって、
片腕を失うことは、
幸せを阻むものではなく、
むしろ新たな人生の扉を開く
「きっかけ」となったのです。
私たちも、
日々の生活の中で様々な困難に直面します。
理不尽なこと、
不公平だと感じることもあります。
しかし、そこで
「自分は不幸だ」と決めつけてしまうか、
それとも
「この経験から何を学べるだろうか」と
前向きに捉えるかによって、
その後の人生は大きく変わります。
「幸せ」とは、
与えられるものではなく、
自らが見出し、創造するものなのです。
どんな状況であっても、
「諦めない心」を持ち、
常に「前向きな姿勢」でいること。
そして、
「幸せ」は「自分の心が決める」
ということを忘れないでください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 栴檀は双葉より芳し。自ら立つ心を育む道 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
芒種【ぼうしゅ】次候
七十二候
第二十六候 腐草為蛍【くされたるくさほたるとなる】
「芒種」は次候へと移りました。
「腐草為蛍」は6月10日~15日ころにあたります。
梅雨の時期、湿気が多くなり、
「腐った草が蒸れて蛍になる」という意味を表しています。
夏の夜を彩る蛍が飛び始める頃を告げる候として、日本らしい風情を感じさせます。
今日のお題
道場長の一日一心
『 せんだん は ふたば より かんば し。みずから た つ こころ を はぐく む みち 』
" 栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し "
という、ことわざがあります。
これは、
栴檀の木がまだ双葉のうちから
良い香りを放つように、
" 優れた人物は幼い頃から、その才能の片鱗を見せる "
という意味ですね。
私は、これまで
多くの少年少女を
合氣道を通じて
それぞれの成長を見守ってきました。
確かに、
幼い頃から飛び抜けた集中力を見せる子、
一度教えたことは
決して忘れない記憶力を持つ子、
あるいは、
まるで水が流れるように
自然な動きをする子など、
他よりも優れた資質を
早くから現す子どもたちがいるのは事実です。
彼らを見ていると、
「ああ、この子は将来きっと大きく花開くだろうな」と、
確信にも似た感覚を覚えることがあります。
一方で、
「大器晩成」という言葉があるように、
ゆっくりと、しかし着実に
成長していく子どもたちもいます。
技の覚えが遅かったり、
理解に時間がかかったりしても、
諦めずに稽古を続けるうちに、
ある日突然、
見違えるような成長を見せる。
そんな子たちの姿を見るたびに、
指導者として大きな喜びを感じます。
どちらが「良い」、「悪い」
ということは、決してありません。
早くから頭角を現す子も、
じっくりと
時間をかけて大輪の花を咲かせる子も、
それぞれが
素晴らしい個性と可能性を秘めています。
私が心から願うのは、
彼らが将来において、
「正直」で「謙虚」、
そして何事にも「諦めない心」を持った
大人に育ってくれることです。
稽古の中で、
あるいは道場での言動などを見ていると、
「この子は将来、少しばかり苦労するかもしれないな」と感じる子もいます。
不器用さや、技の理解に
苦しむ様子を目にすることもあります。
しかし、
そんな時こそ、
私はもちろんのこと、
先輩の大人が手を差し伸べ、
彼らが自らの力で乗り越えるための
「きっかけ」を与えてあげること。
それが大切であると私は思うのです。
苦労を経験することは、
将来において、
それが必ず自分の力になるのです。
それを乗り越えることで、
人はより強く、
よりしなやかに成長していくのです。
ただ、
私たちができること、
道場でできることは、
あくまで、その「きっかけ」を
作ってあげることしかできません。
これは子どもに限らず、大人も同様です。
どんなに優れた指導者がいても、
どんなに環境が整っていても、
本人が " 変わる努力 " をしない限り、
" 人は変わることはない " のです。
道場での稽古は、
その「きっかけ」の一つです。
技を覚え、
体幹を鍛えるだけでなく、
礼儀や忍耐、
困難に立ち向かう心を養う場でもあります。
私たちは、
子どもたちが自らの意思で
「もっと強くなりたい」
「もっとできるようになりたい」
と願い、
そのために努力を重ね、変わる姿を
信じて見守り続けます。
この合氣道琴心館寺崎道場で
共に汗を流す日本男子、日本女子たちが、
それぞれのペースで成長し、
やがて来るべき未来で、
それぞれの「花」を咲かせ、
人生の荒波をも
自らの力で乗り越えられるような、
「強く」、そして「優しい」
大人へと育ってくれることを心から願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 驚異の成長 ! 合氣道で見せた人間の可能性 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
芒種【ぼうしゅ】初候
七十二候
第二十五候 蟷螂生【かまきりしょうず】
二十四節氣は「芒種」初候へと移りました。「蟷螂生」は6月5日~9日ころにあたります。
この時期になるとカマキリの幼虫が卵から孵化し始めるのを見かけるようになります。
生まれたばかりのカマキリは非常に小さく、かわいらしい姿をしていますが、
夏の間にぐんぐん成長していきます。
今日のお題
道場長の一日一心
『 きょうい の せいちょう!あいきどう で みせ た にんげん の かのうせい 』
" 人間の可能性を信じる "
人間の可能性には、本当に驚かされます。
先日、入門してまだ半年のお弟子さんが、
ほんの二、三日前に
覚え始めたばかりの合氣道の技を、
目覚ましいほどに上達させました。
正直なところ、
私自身も驚きを隠せませんでした。
特に、この日の稽古でわずか15分ほど、
その技を深く探求したばかりだった
にも関わらず、
その見事な吸収力には
目を見張るものがありました。
合氣道の技は、どれも奥深く、
決して簡単なものはありません。
探求すればするほど、
さらにその奥には深淵が広がり、
まさに
「行き着くところがない」と感じさせられます。
これは、
合氣道の技がいかに
「心の状態が重要」であるかを
物語っているように思います。
相手を投げる前に、
まず自身の心を静めることが不可欠です。
その「心の静まり」には100%という状態はなく、
どこまで追い求めても終わりがありません。
だからこそ、
合氣道の技には
「究極がない」のではないでしょうか。
僭越ながら、私はそう確信しています。
そのような奥深い技において、
入門して半年という方が、
たとえ一つの技を
少しくらい会得したとしても、
それはまだ、修行のほんの入り口に
片足のつま先を差し入れたに過ぎません。
さはさりながら、
たった数日の、いや数分の間に、
これほどの進歩を遂げた
その日本女子の姿は、
まさに「人間の計り知れない可能性」を
雄弁に物語っていました。
そのお弟子さんの
歴史的な「進歩の瞬間」に立ち会えたことを、
師範として大変嬉しく思います。
そして、
この目覚ましい進歩には、
その日の稽古で丁寧に指導してくれた
有段者のお弟子さん、
また二、三日前に、
その技の基本を指導してくださった
有段者のお弟子さんの存在なくしては
ありえませんでした。
彼らの親切で的確な指導が
あったからこそ、
この日本女子も安心して
技を吸収できたのだと確信しています。
もちろん、
何よりも ** 彼女自身の強い「やる氣」** が
あったからこそ、
ここまで素晴らしい
進歩を遂げられたのでしょう。
人間は「やる氣」を出せば、
どこまででも「成長」できる。
合氣道師範として、
「人間は心が身体を動かす」という大原則に、
改めて、
揺るぎない確信を得た一日となりました。
" ありがとうございます " 。
私たちの道場
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場では、
このような一人ひとりの
「成長の瞬間」を大切にし、
それぞれの「やる氣」を
最大限に引き出す指導を心がけています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 稽古で培う「魂の道標」:合氣道から学ぶ、「転んだら立ちあがれ」"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
芒種【ぼうしゅ】初候
七十二候
第二十五候 蟷螂生【かまきりしょうず】
二十四節氣は「芒種」初候へと移りました。
「蟷螂生」は6月5日~9日ころにあたります。
この時期になるとカマキリの幼虫が卵から孵化し始めるのを見かけるようになります。
生まれたばかりのカマキリは非常に小さく、かわいらしい姿をしていますが、
夏の間にぐんぐん成長していきます。
今日のお題
道場長の一日一心
『 けいこ で つちか う「たましい の みちしるべ」:あいきどう から まな ぶ、「ころ んだら た ち あ が れ」 』
" 「魂の道標」の智慧を胸に "
私たちは皆、
人生という道のりを歩む中で、
足元をすくわれ、
転んだりすることがあります。
時に、大きくつまずき、
怪我をしてしまうこともあるでしょう。
しかし、
僭越ではありますが
不肖、私自身の経験からも確信しているのは、
その" つまずき " こそが、
「真の学び」と「成長の機会」であるということです。
合氣道の道場では、
技を通じて何度も受身をとります。
最初はうまくいかず、
立ち上がる時にバランスを崩したり、
少しばかり頭を打ったりすることも
あったかもしれません。
しかし、
その「失敗」から目を背けず、
なぜ " うまくいかないのか " を考え、
心と身体の使い方を修正していくことで、
やがて滑らかで柔らかく、力強い
受身の動きを身につけることができます。
"「魂の道標」からのメッセージ "
人生における「つまずき」も、
これと全く同じです。
仕事での失敗、人間関係の悩み、
目標達成への困難…
私たちは様々な逆境や挫折に直面します。
そして、その時、
胸の奥から込み上げてくる感情、
時に流す「涙」は、
決して無駄なものではありません。
むしろ、
その涙の先にこそ、
「魂の道標」と呼ぶべき、
本物の智慧が宿っているのです。
学力や表面的な知識だけでは
決して得られない、「生きた教訓」。
それは、
逆境を乗り越え、
自らの力で立ち上がった人にしか語れない、
" 説得力 " と " 深み " を持っています。
挫折を知らない人の言葉は、
たとえ、それがどれほど美しくても、
心に響かないことがあります。
しかし、
痛みを経験し、
それを乗り越えた人の言葉には、
不思議なほどの " 力 " があります。
それは、
困難を経験した者同士にしか
分からない共感と、
「未来への希望を与える力」だからです。
" つまずきを「プラス」に変える道 "
合氣道寺崎道場では、
「ただでは起きない」という稽古を
日々、実践しています。
投げられたら、
すぐに受身を取り、次の動きへと繋げる。
受身とは自分の身を守るためだけではなく、
次に向かうための「準備」です。
それは、
人生においても同様です。
逆境に直面した時、
ただ打ちひしがれるのではなく、
その経験から何を学ぶべきか、
どうすればそれを力に変えられるかを考える。
この
「つまずきをプラスに変える」
姿勢こそが、
私たちを心身ともにさらに強くし、
より人間的に成長させてくれるのです。
そして、
その「魂の道標」から授かった智慧は、
私たち自身のためだけにあるのではありません。
同じように
人生の岐路で立ち止まっている人、
困難に喘いでいる人がいるならば、
その経験を分かち合い、手を差し伸べてあげる。
自分の「つまずき」が、誰かの「助け」となる。
これほど、素晴らしいことはありませぬ。
人生は、「つまずき」の連続かもしれません。
しかし、
その一つ一つが、
私たちを真の強さへと導く
稽古であると私は確信しています。
「魂の道標」が教えてくれた智慧を胸に、
今日一日を、
そしてこれからの人生を、
共に力強く歩んでまいりましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 道場は小さな「共生」の宇宙 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
芒種【ぼうしゅ】初候
七十二候
第二十五候 蟷螂生【かまきりしょうず】
二十四節氣は「芒種」初候へと移りました。
「蟷螂生」は6月5日~9日ころにあたります。
この時期になるとカマキリの幼虫が卵から孵化し始めるのを見かけるようになります。
生まれたばかりのカマキリは非常に小さく、かわいらしい姿をしていますが、
夏の間にぐんぐん成長していきます。
今日のお題
道場長の一日一心
『 どうじょう は ちいさ な「きょうせい」の うちゅう 』
「あかの他人はいない」
〜合氣道が示す「無縁」の教え〜
「あかの他人」という
言葉を耳にすることがあります。
全く関係のない人、縁遠い人、
といった意味合いで
使われることが多いように思います。
でも、
本当に私たちは
誰とも「あかの他人」なのでしょうか?
小林一茶の句に、
「花のかげあかの他人はなかりけり」
という名句があります。
「花のかげ」とは、この世の中のこと。
つまり、
この世に生きる私たちは、
自分では意識していなくても、
どこかで必ず誰かと繋がっている。
「完全に縁のない人など、一人もいないのだ」という
深遠な意味がこの句に込められているのです。
この考え方は、
仏教でいう「無縁」という言葉にも
通じるそうです。
私たちが考える
一般的な「無縁」のイメージは、
「縁がない」というものかもしれませんが、
仏教における「無縁」の真の意味は、
実は「無条件の縁」を指すそうです。
遠い親戚や
友人の知人といった特定の条件なしに、
私たちは皆、普遍的な「縁」で結ばれている。
この「無縁の縁」こそが、
「あかの他人はない」という境地と合致し、
「共生(共に助け合いながら生きる)」の
精神へと繋がっていくのですね。
そう考えると、
合氣道の道場もまた、
この「無縁の縁」を肌で感じられる場所です。
道場には、
年齢も職業も、学歴や生い立ちも
全て異なる様々な人々が集い、
ともに氣を出し、
相手を尊重して投げたり投げられたりします。
最初は「あかの他人」だった者同士が、
稽古を通じてお互いの呼吸を感じ、
技を受け、学び合っていく。
相手の動きを感じ取り、
それに合わせて己の心身を使うことで、
まるで
" 相手の中に自分が生き " 、
" 自分の中に相手が生きている "
かのような一体感が生まれます。
この感覚は、
まさに「人間愛の芽生え」ではないでしょうか。
共に稽古する仲間への信頼と敬意、
そして感謝の氣持ちが自然と湧いてくる。
これは、
単なる技術の習得を超えた、
「人間としての成長」に他なりません。
道場という小さな空間で、
私たちは
「あかの他人」ではないことを実感し、
互いに支え合うことの大切さを
学んでいるのですね。
日々の稽古は、
目の前の相手との「一期一会」を大切にすること。
そして、
その一つ一つの出会いが、
実は「無条件の縁」によって
深く結ばれていることを教えてくれます。
私たちは皆、
大きな大きな
" 生命のネットワーク " の中で生きているのです。
稽古を通じて育まれる
「無縁の縁」の精神は、
道場を一歩出た
社会の中でも生きてきます。
見知らぬ人との出会いや、
予期せぬ出来事の中に、
必ず何らかの「意味」や「繋がり」を
見出すことができると思うのです。
「あかの他人」はいない。
この言葉は、
私たちの日常において、
感謝の氣持ちを満たしてくれるはずです。
まだ合氣道に触れたことのない皆さんも、
近々、道場へ体験に来られる方々も
合氣道の稽古を通して、
是非、この「無縁の縁」を共に体感してみませんか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝