" リーダーに必要なのは創造力だ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『リーダー に ひつよう なのは そうぞうりょく だ』
何かを指導する立場の人、
人にものを教える立場の人、
組織、集団の先頭に立って
人を導く人。
指導者に必要なのは
創造力なのだ。
型にはめられたことしか、
できないようではいけない。
盤石で揺るぎない
土台の上に
あるべきものが、
創造性なのだ。
創造力がない人、
発想力がない人の特徴は
失敗を恐れ、
物事を組み合わせる
発想がなく、
固定観念に囚われて、
時代の変化に鈍感であり、
物事を主観だけで判断する。
古い脆弱性のある
OS ( 考え ) を
アップデートできない人だ。
僭越ではありますが、
それを合氣道師範という
私の立場で申しますと、
型にはめられた
技の稽古ばかりしていると
ちょっとした変化に
反応できなくなるのだ。
もちろん、
合氣道の道場における
稽古は型稽古であるから、
その基本技を
正しく何度も反復練習する。
その上で、
もし相手が間違った方法で
技をかけようとしたら、
どうするのか。
その相手に
「それは間違っています」と
相手を正そうとする。
それはとても大切で
正しいことだと思う。
しかし、
それは道場でしか
通用しないことだ。
本来、
相手がどうしようが
相手の自由であるはずだ。
その自由を奪っておいて、
「相手の氣を尊重」
とはならないのではないか。
昨日、10月23日(水)の
キャナルタウン合氣道教室
大人一般クラスにおいて、
有段者にはそれを指導した。
例えば、
合氣道の基本技の中で
四方投げという技がある。
合氣道琴心館寺崎道場の
関節技は全て逆関節は
用いない。
順関節になるよう
相手を投げる。
でももしも、
受け( 投げられる人 ) の
腕が伸びてしまい
逆関節になった場合に
通常の後ろ受け身ではなく、
前受身をとることで
危険を回避できるのだ。
それは危機管理能力だ。
危険、危機というものは、
瞬間的に起こるものである。
従って、
そういうことも
やっておかないと、
瞬時には対応出来ない。
もちろん、初心者は
基本の順関節を練習する。
その基本の上にあるもの。
それが創造性だ。
立派な大木は
盤石な根の広がりを持ち、
太い幹から
枝はあらゆる方向に
伸びゆく。
そして、
たくさんの美しい花を
咲かせるのだ。
古くからある
伝統と文化は
大切にして
それを継承し、
それを尊重し、
日々、
真剣にそれと向き合い、
なにより、
お弟子さんの
進歩、向上のためだけを
考えていると、
自然と創造性、創造力は
芽生え、養われていく。
自分の考えというより、
天地大自然がそうさせて
くれるものである。
それが自然ということでは
あるまいか。
そのように
私は思いますけどね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 試される壁 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『ためされる かべ』
道場に入門して
様々なことを学ぶ。
姿勢、
心のあり方、
氣、
心の使い方、
身体の使い方、
技、
呼吸、
生き方。
学びは無限にある。
ある一定のところまで
進歩したら、
次の難題が用意される。
それを乗り越え、
また次と、
続いていくものだ。
乗り越えても
乗り越えても
次から次に壁が表れる。
しかし、必ず
どの壁も越えられる。
これを私は、
「壁が消えていく」と
表現している。
目の前に
「壁が表れた」ということは、
そこまで努力を続けたから
現れたのだ。
努力も何もしない
怠け者の前には、
壁は表れない。
壁が表れることは
自分が進歩、向上した証だ。
「よくここまで来たね」
「では、これを超えてごらん」
その壁とは
天地大自然が
用意してくださったものだ。
人生も然り、
辛いこと
悲しいこと、
困難や災難に
逢おうとも、
流転して止まない
天地大自然の姿と同様に
前に進まねばならない。
立ち止まってはいけない。
悲しみのどん底にあろうが、
打ちのめされようが、
天地大自然は止まらない。
立ち止まって
寄り添ってはくれないのだ。
倦まず弛まず、
努力を続ける。
そうすれば、
やがて
壁の方から
消えてなくなって
くれるものだ。
その時、
胆力が養われ
人として
一回りも二回りも
大きくなれるので
ありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" やるべきをやる、あとは任せる "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『やるべき を やる、あと は まかせる』
蒔いた種通りの
植物しか芽吹かない。
当たり前のことだ。
銀杏の種を蒔いても
桜にはならない。
ここに天地大自然の
絶対的な法則があるのだ。
人間が為すべきこと。
そして、
天地大自然が為すこと。
その植物が育ちやすい
場所に土壌を作り、
種を蒔き
肥料を与え、
水をやる。
雑草を抜く。
人間がすることは
ここまでである。
それから先は
天地大自然が与えて
くれるものである。
土から柔らかい芽が出て、
根を張り、
幹が伸びて
枝が分かれ、
葉が付き
蕾が膨らみ、
花が咲く。
見事な黄色に色付いた
銀杏も、
綺麗な桜の花も
人間が色を付けた
ものではない。
蒔かれた種通りに
天地大自然が
恵み施したものだ。
私達人間も
これと全く同様だ。
やるべきことをやる。
その先は
天地大自然に任せる。
どんな困難や災難も
慌てず、
臍下の一点に心を静め、
今できる最善の策を
全知全能をしぼり、
やるべきをやる。
とことんやる。
寝る時間が
短くなろうが、
食事をとる
時間が無くなっても、
今やるべきことをやる。
その先は我々人間の
領域ではない。
「なるようになる」
「ならないようにはならない」
やるだけやれば
天地大自然が
裁き、施してくれる。
蒔いた種通りに、
結果が表れる。
それを
楽しみながら、
見てみよう。
その結果、
表れたものが
氣に入らなければ、
反省し、改善する。
世の中は
単純で簡単だ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 緊褌一番 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『きん こん いち ばん 』
昨日、10月20日(日)は
" 秋の呼吸法と自己手当、心のあり方講習会 "を
開催いたしました。
「誰も来てくれないんじゃないか」
そう思っていましたが、
30人近くの
お弟子さんと
そのご家族、
少年部の
お母さん、お父さん方が
参加してくださり、
心から感謝いたします。
大人クラスで稽古する
小学6年生の4人も
参加してくれました。
ありがとうございます。
一般会員向けとしては
今回は第一回目の
講習会であったため、
呼吸法、
自己手当、
正しい姿勢、
心のあり方等、
全ての項目を
浅くなぞった
程度に過ぎません。
指導者育成講習会では
各項目を
深く掘り下げ、
実践しています。
一般会員向けと
指導者育成では
参加する側の
それぞれ
立場が違いますので、
内容の深さも少しは
違いも有ろうかと
思いますが、
健康で
生き生きとした、
氣を出す生き方に
おきましては、
一般も指導者も
関係ございません。
同じ人間です。
従いまして、
今後も一般会員向けの
講習会を第二回、三回と
継続して行っていきたいと
考えています。
今回は参加できなかった
会員の皆様方も
是非、次回は
参加してくださればと
思っています。
いつもながら、
皆さんの前に立てば、
皆さんのことが
よく見えます。
よく理解できます。
それは表情と姿勢に
顕著に表れます。
「なるほど」
日曜日の午前中という
貴重な時間に
会場まで足を運んで
くださった皆さん、
熱心に
呼吸法、自己手当の実践と
私の話を明るい表情で
お聞きくださいました。
わかりにくい点など
多々あったと思います。
これを反省し、
次回の講習会は
もっと良くしていきたい。
もっとわかりやすく
皆様方にお伝えできるよう、
今回より次回、その先と
回を重ねる事に
良くなるよう、
創意工夫していきたいと
思っております。
今回、参加された皆様方の
「熱心に学びたい」
という氣を
十二分に尊重して、
それを正しい方向に
導いていくことが
私の為すべき
責務でございます。
暁の朝に心を静め、
緊褌一番、
取り組まねばなりませぬ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 啐啄同時 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『そつ たく どう じ』
「啐啄」とは
啐に子をつけて「子啐」、
啄に母をつけて「母啄」。
つまり、子啐とは
雛が卵から出ようと
卵の内側からつつくことであり、
母啄とは
母鳥が外から卵の殻を
つつくことである。
この両者がつつく
タイミングが重要であり、
必ず同時でなければいけない。
早すぎてもいけない。
遅すぎてもいけない。
またとない好機のことだ。
「啐啄同時」
それは、
生きていく過程において
様々な場面で大切なことです。
絶好の氣の瞬間が
人は万事を決するのだ。
学ぼうとする者と
教え導く者。
導く者と導かれる者の
息が合って、相通じること。
合氣道師範である
私の立場で申しますと、
お弟子さんとの呼吸が
見事に一致する。
心の方向がピタッと合致したとき
私とそのお弟子さんともに
進歩、向上することができる、
絶好のタイミングであります。
導く側は
その時を見定め、
見誤ってはなりませぬ。
導かれる側は
その時を逃してはなりませぬ。
10年以上、
たくさんのお弟子さん方と
接する中で、
確かにそれは存在する。
素質は十二分にあるのに
心が硬い人、
言い換えれば
素直でない人は、
その好機を自ら逃してしまう。
非常に残念なことである。
心のあり方、
心が柔軟になるまで
指導者は待たねばいけない。
それは必ずや、
技にも表れてくるものだ。
一方で、
常に心が柔軟で
素直な人は、
師範の全てを学ぼうとする。
従って、入門して
早い段階で
師範と氣を合わせることができ、
啐啄同時となるのだ。
今現在も
今がその絶好の瞬間、
まさにこの時期という
お弟子さんが数名いる。
さあ、
その調子で、
その氣を出し続けて
天地の大道を
ともに歩んで参りましょう。
ともに歩める
お弟子さんこそが尊い。
心から感謝いたします。
「ありがとう」
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝