" 【大寒】 寒の水、鉄を打つ "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)初候
七十二候
第七十候 款冬華(ふきのはなさく)
1月20日~24日ごろ。
ふきのとうが顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【だいかん】 かん の みず、てつ を う つ 』
本日、1月20日からは
二十四節氣の最後、「大寒(だいかん)」です。
文字通り、
一年でもっとも寒さが厳しくなる時期。
週間天気予報によると、
全国的に今日から約一週間は
厳しい寒さが続くようですね。
合氣道琴心館寺崎道場が
主宰する各地の道場、教室においては、
ありがたいことに、
すべて空調が完備されています。
" 快適な環境で、熱い稽古を "
外がいかに凍える寒さであっても、
道場の中は快適です。
「武道を志すもの、寒さに耐えよ」という
考え方もあるかもしれません。
けれど私は、
空調の効いた安全な環境だからこそ、
身体が縮こまることなく、
怪我のリスクを減らし、
純粋に技の精度を高め、
稽古に集中できると考えています。
一年でもっとも
寒さが厳しくなる時期ですが、
私が住む神戸の空を
ふと見上げれば、
冬至の頃よりも
確実に日は伸びています。
「春遠からじ」
厳しい寒さの向こうには、
必ず暖かい春が待っています。
合氣道の稽古においても同様です。
諦めずに地道に続けていれば、
不得意な技の苦悩が、
やがて、
その技の開眼につながります。
"「寒の水」のように腐らない心 "
昔から、
この大寒の時期に汲まれた水は
「寒の水(かんのみず)」と呼ばれ、
雑菌が少なく
腐らないと言われてきました。
味噌や醤油の仕込み、
そして酒造り。
さらには、
刀鍛冶が鋼(はがね)を打つ際の
「焼き入れ」にも、
この清冽 (せいれつ) な
水が重宝されたそうです。
余計なものが削ぎ落とされた、
純粋で強い水。
道場長である私も含め、
合氣道琴心館寺崎道場に通う
すべての門人もそうありたいものです。
雑念という菌を入れず、
練り上げられた技と心は、
決して腐ることがありません。
稽古というのは、
まさに自分自身の「焼き入れ」なのですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 六本木の芋洗坂を抜けて、次は饂飩(うどん)の坂へ "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
小寒(しょうかん)末候
七十二候
第六十九候 雉始雊(きじはじめてなく)
1月15日~19日ごろ。
雄のキジがメスに恋焦がれて鳴き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ろっぽんぎ の いもあらいざか を ぬけ て、つぎ は うどん の さか へ 』
1月15日の記事でご紹介した
その名の由来となった
芋問屋の賑わいや、
かつての川のせせらぎに
思いを馳せながら、
坂を下りきりました。
しかし、
お正月の東京・六本木、
夜の散策はまだ終わりません。
芋洗坂の興奮も冷めやらぬまま、
すぐ近くにもう一つ、
なんと食べ物の名前がついた
ユニークな坂があるのです。
その名は「饂飩坂(うどんざか)」
芋洗坂から
六本木交差点方面へ少し戻り、
外苑東通りへ上る路地を
入ったところに
ひっそりとその標柱は立っています。
「饂飩」と書いて「うどん」。
芋(いも)の次は饂飩(うどん)です。
かつての六本木は、
随分と庶民の食欲を刺激する
土地だったのかもしれませんね。
由来を紐解けば、
江戸時代中期
天明年間 (1781〜1788頃)、
松屋伊兵衛という人物が
ここでうどん屋を営み、
それが大評判だったことから
この名がついたとか。
ダイナミックな高低差を
感じさせる芋洗坂と比較すれば、
この「饂飩坂」は、緩やかで短めな、
当時の生活の中に溶け込んだ
少し親密な
空氣が漂っているように感じました。
かつては
能役者が住んでいたり、
古い地図には
「イモアライ」と混同して記されていたりと、
この一帯の歴史の層の厚さを感じさせます。
" 古の地図を足裏で感じる "
芋洗坂から饂飩坂へ。
きれいに
舗装されたアスファルトを歩けば、
わずか数分の移動に過ぎません。
しかし、
こうして由来を噛み締めながら歩くと、
それは単なる数分の移動ではなく、
江戸の町を「ハシゴ」しているような
感覚になります。
合氣道の稽古でも、
一つ一つの技、
一挙手一投足が
つながって流れを作るように、
江戸の街歩きもまた、
点(坂)と点(坂)がつながって
線(道)となり、
当時の土地の記憶が
浮かび上がってくるようです。
昔の人と同じように、
草鞋(わらじ)履きの氣分で、
この勾配を踏みしめてみる。
アスファルトの下にある
古(いにしえ)の土の感触を想像しながら歩く。
そんな「歴史との対話」こそが、
お正月の東京出張の
隙間に見つけた贅沢な時間でした。
皆さんも近くを訪れた際は、
ぜひ
「江戸時代から続く由緒ある坂道巡り」を
してみてはいかがでしょうか。
さて、次はどの坂へ向かいましょうか。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 昔の人の「骨休め」と知恵、藪入りと合氣道 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小寒(しょうかん)末候
七十二候
第六十九候 雉始雊(きじはじめてなく)
1月15日~19日ごろ。
雄のキジがメスに恋焦がれて鳴き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 むかし の ひと の「ほねやすめ」と ちえ、やぶいり と あいきどう 』
"「休む」と「ダラける」は似て非なるもの "
お正月の
東京出張から戻って一週間。
息つく暇もなく、
明日1月17日からは
今年二度目の東京出張です。
まさに「師走」ならぬ
「師睦月(しむつき)」と
いったところでしょうか(笑)。
さて、
本日1月16日は、
昔から
「藪入り(やぶいり)」
と呼ばれる日です。
かつて、
奉公に出ている丁稚や女中、
あるいは
嫁いだお嫁さんたちが、
実家に帰って
骨休めをすることが
許された貴重な休日、
それが「藪入り」でした。
小正月(1月15日)は
「女正月」とも呼ばれ、
正月の激務をこなした
女性たちを労う日でもありました。
主人は
奉公人にお小遣いを持たせ、
芝居見物や
帰省を楽しませたといいます。
" 人生における「休息」の定義 "
この「骨休め」について、
一つ勘違いしてはいけないことがあります。
「緩める」「休む」ことと、
「氣を抜く」ことは全く別物です。
稽古でも
「上半身の力を抜きましょう」
「リラックスしましょう」と言いますが、
これはペシャンと潰れてしまう
「虚脱状態」のことではありません。
氣を抜いてしまえば、
それは単に「ダラけている」だけ。
心身の統一は解け、
隙だらけの状態になってしまいます。
これでは
本当の意味で疲れは取れませんし、
有事に対応することもできません。
「氣を出して、緩める」
「氣を繋げたまま、休む」
これこそが、
本当の意味での
心身の安らぎ(回復)になります。
張り詰めた糸を
プツンと切るのではなく、
張りを持たせたまま、
しなやかに撓(たわ)ませるイメージ。
それが
人間の「自然体」であり、
休息の極意です。
さて、
明日の17日から再び東京へ向かいます。
お正月の稽古の準備や
道場運営を支えてくれている
東京・神奈川の
女性のお弟子さんたちに、
私なりの「藪入り」の労いを用意しました。
昔の主人は
小遣いを渡しましたが、
私は神戸の
とびきり美味しいお菓子を厳選し、
手土産に持参しようと思います。
稽古でしっかりと
「氣を出して」汗を流したあと、
稽古後には甘いもので
「氣を出しながら緩める」
時間を共有しましょう。
明日からの東京での稽古、
皆さんの澄んだ「氣」に触れるのを
楽しみにしています。
追伸:1.17によせて
明日1月17日は、
私たち神戸の人間にとって
決して忘れることのできない日、
阪神・淡路大震災から
31年を迎える日でもあります。
月日は流れましたが、
あの日の記憶は
今も鮮明に心に残っています。
出発の前に、
犠牲となられた方々に
深く黙祷を捧げたいと思います。
鎮魂の祈りを胸に、東京へ向かいます。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 江戸の記憶を歩く。坂道巡り【芋洗坂編】 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小寒(しょうかん)末候
七十二候
第六十九候 雉始雊(きじはじめてなく)
1月15日~19日ごろ。
雄のキジがメスに恋焦がれて鳴き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 えど の きおく を ある く。さかみち めぐ り【いもあらいざか へん】 』
お正月の東京出張。
華やかな大都会の景色も良いですが、
私が心惹かれるのは、
その足元に残る「江戸の記憶」です。
東京には、
江戸時代から続く
由緒ある坂道が数多く残されています。
今回は、
その中から六本木の
「芋洗坂(いもあらいざか)」を
歩いた時のお話です。
" 六本木の喧騒と、静かなる歴史 "
六本木交差点、
アマンドの脇から
麻布十番方面へと下るこの坂道。
その長い坂を下るとテレビ朝日が見えてきます。
煌びやかな看板や
行き交う人々の
賑わいに目を奪われがちですが、
ふと足元を見れば、
そこには
江戸時代から続く坂道が存在しています。
「芋洗」という名の由来は、
かつて坂の周辺で芋が売られていたとも、
坂下を流れる川、
現在では地下に設けた水路である
暗渠 (あんきょ) で
芋を洗っていたからとも言われています。
1700年代には
すでにその名が記されており、
この一帯には
長門長府藩主・毛利家の
上屋敷があったとされる。
赤穂浪士のうち、
武林 隆重 (たかしげ) 通称は唯七(ただしち)ら、
10人の武士がこの屋敷で
切腹したと伝えられる歴史的な場所です。
"「古(いにしえ)」と同じ地を踏むということ "
合氣道に限らず
「稽古」という言葉には、
「古(いにしえ)を稽(かんが)える」
という意味があります。
昔のことに思いを馳せ、
今を生きる指針とする。
今回の「芋洗坂」に限らず、
この「江戸時代から続く由緒ある東京の坂道」を
歩くとき、
「かつての人々と同じ地を踏んでいる」
という感覚をいつも大切にしています。
現在では
舗装こそされていますが、
その土地の起伏は
数百年前と同じなのかもしれません。
かつての武士や町人たちも、
この勾配を上り下りし、
四季の風を感じていたのでしょう。
私たちが歩く靴音の奥に、
草鞋(わらじ)が土を踏みしめる音や、
当時の人々の息遣いが
重なって聞こえるような氣がします。
道場だけが稽古場ではありません。
時代が移ろい、
景色がどれほど変わろうとも、
土地に刻まれた記憶は消えません。
「東京都港区六本木」という
商業施設、オフィスビル、
大使館などが集まる国際的なエリア。
その煌びやかで変化の激しい街だからこそ、
変わらない坂道の存在が、
より一層「不動のもの」として心に響きます。
ただ静かに、歴史ある道を歩く。
それだけで、
先人たちと意識を同調させる
(結ぶ)ことができる。
これもまた、
合氣道 師範としての
精神を養う大切な時間だと感じています。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 麻布十番のコーヒーが教えてくれた『調和(アイ)』の味 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小寒(しょうかん)次候
七十二候
第六十八候 水泉動(しみずあたたかをふくむ)
1月10日~14日ごろ。
地中では凍っていた泉が溶け動き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あざぶじゅうばん の こーひー が おしえ て くれ た ちょうわ(あい)の あじ 』
合氣道寺崎道場には、
一昨年の春に
「江戸の坂道巡り同好会(仮)」が発足しました。
しかし、
残念ながら発足以来、
メンバーが増える氣配が全くありません(笑)。
今も変わらず、
麻布台教室を主宰する
日本女子と私の二人きりです。
東京には、
江戸時代から続く
由緒ある坂道が今も数多く残っています。
かつて
武家屋敷が並んだ高台と、
人々がひしめき合った低地を繋ぐ坂道は、
いわば歴史の断層。
そこを歩くことは、
地形に刻まれた
古 (いにしえ) の「氣」を感じ取り、
今の自分と響き合わせる、
私にとって
道場外での大切な稽古でもあります。
昨年の夏、
東京出張の折に、
この同好会メンバーである彼女と
麻布十番周辺の坂道を巡りました。
夜とはいえ、
湿氣を帯びた
夏の熱氣が身体に纏わりつきます。
「先生、少し休憩しませんか。
あそこのローソンでコーヒーを買って、
パティオへ行きましょう」
彼女の提案に乗り、
マチカフェコーヒーのカップを手に
麻布十番商店街にほど近い
『パティオ十番』へと向かいました。
『パティオ十番』は、
麻布十番商店街の象徴的な広場です。
石畳が敷き詰められた
欧州風の佇まいの中に、
童謡『赤い靴』のモデルとなった
少女「きみちゃん像」が静かに立っています。
ここは周辺の大使館から漂う
国際的な洗練さと、
長い歴史を持つ
商店街の活氣が
見事に溶け合う、
不思議と心が安らぐ空間です。
その石段に腰掛け
一口、コーヒーを口に含んだ瞬間、
私は思わず声を上げました。
「……ん? なんだこれは。こんなに美味かったか?」
いつも飲んでいる
ローソンのコーヒーとは、
明らかに奥行きが違うのです。
「麻布十番のコーヒーは格別だな」と
驚く私に、
彼女は不思議そうに首を傾げました。
「えっ、そうですか? いつもの美味しいマチカフェですよ。……
でも、確かにこの石畳とこの街の空氣が
味わい深くするのかもしれませんね」
神戸に戻り、
地元のローソンで
同じコーヒーを飲んでみましたが、
やはり
あの時の味には及びません。
神戸のお弟子さんに
この話をすると、
「師範、『氣』のせいじゃないですか?」と
笑われてしまいました。
確かに
その通りなのかもしれません。
そこで
今年のお正月、
真実を確かめるべく
再び同じ場所を訪れました。
冬の澄んだ空氣の中、
同好会メンバーの日本女子と二人、
また同じ場所で
マチカフェを手に取りました。
「……やはり、美味い。これは氣のせいじゃないな」
私が確信を持って言うと、
彼女も今回は少し深く頷きました。
「師範、もしかしたら
この場所の『氣』が、私たちがコーヒーを味わう
五感を開かせているのかもしれませんね」
人間は「氣の持ちよう」一つで、
身体の強さも、柔軟性も、
そして世界を
どう捉えるかさえも劇的に変わります。
合氣道の「合(アイ)」は、
「愛(アイ)」でもあります。
それは、
対象を否定せず、
すべてを受け入れ、
調和(アイ)すること。
この麻布十番の
洗練された景観、
きみちゃん像が見守る
パティオ十番の静謐 (せいひつ) 、
そして
江戸から続く街の呼吸。
それらが
渾然一体 (こんぜんいったい) となった
場のエネルギー(氣)を、
心が真っ直ぐに受け入れたとき、
私の中に「調和(アイ)」が生まれました。
心が周囲と調和し、
余計な力みが抜ければ、
五感は
最も純粋な状態へと導かれます。
「味が違う」と感じたのは、
コーヒーの成分が変わったからではなく、
受け取る側の
私の「氣」が整い、
この街と調和(アイ)した結果だったのです。
「美味い」と感じる
心の中にこそ、真実がある。
200円足らずの
一杯のコーヒーを通して、
合氣の理(ことわり)を
再確認した、
東京の冬の昼下がりでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝