2024-06-06 06:50:00

" 鉄のような、水のような、心でありたい "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

『てつ の よう な 、みず の よう な 、こころ で ありたい』

 

 

 

刀剣を作る際に

 

金属を打ち

 

鍛えて錬る。

 

 

 

鉄は堅いが、

 

鍛錬され形を変える。

 

 

 

 

 

私達人間も

 

同じように、

 

日頃の鍛錬により

 

心身ともに

 

強くなるのだ。

 

 

 

考え方や生き方も

 

鍛錬により、

 

いかようにも

 

変えることができる。

 

 

 

 

 

「頑固一徹(がんこいってつ)」とは、

 

 

 

かたくなに

 

考え方を変えず、

 

最後まで

 

押し通すさまのことである。

 

 

 

一見、

 

何事にもぶれない

 

一本筋の通っているさまで

 

あるかのようだが、

 

 

 

そういう人間は、

 

日々鍛錬していないだけの

 

人のことである。

 

 

 

心が弱い者ほど

 

変わらないのだ。

 

 

 

怖くて怖くて

 

変われない

 

弱虫だ。

 

 

 

 

 

真の心の強い者は、

 

自分の悪い行いは、

 

直ぐ改善しようとする

 

心身の鍛錬を怠らない。

 

 

 

その結果、

 

いかようにも

 

自分を変えることが

 

できるのだ。

 

 

 

 

 

水のように。

 

 

 

丸い器に入った水は、

 

そこに収まる。

 

 

 

四角い容器に入った水は

 

丸くはならずに、

 

その容器に収まる。

 

 

 

まさしく

 

柔軟そのものだ。

 

 

 

心も

 

柔軟でなければ

 

強くはならない。

 

 

 

 

 

打ち鍛えられた

 

鉄のように、

 

 

 

いかようにも

 

周りへ調和する

 

水のように、

 

 

 

私達も

 

少しずつでも

 

自己を向上させ、

 

前進していきたいもので

 

ありまする。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-06-05 09:57:00

" 分かる技でなく、楽しむ技でありたい "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

『わかる わざ でなく、たのしむ わざで ありたい』

 

 

 

技を深く研究し、

 

稽古することは

 

とても大切なことだ。

 

 

 

しかし、

 

難しいことだらけの

 

うんちくに

 

なってしまっては

 

つまらない。

 

 

 

深く追求し

 

習得した技なら、

 

 

 

それを楽しみながら、

 

 

 

味わいながら、

 

 

 

決してなぞらず、

 

 

 

極めていきたいものだ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-06-04 07:48:00

" 利他と利己 "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『りた と りこ』

 

 

 

他者を思いやり、

 

尊重し、尽くして

 

人のために生きる

 

利他の心。

 

 

 

 

 

一方で

 

 

 

自分さえ

 

良ければ良い、

 

他者の足を

 

ひっぱってでも、

 

引きずり落としてでも、

 

自分が得して

 

幸せになれれば良い

 

利己の心。

 

 

 

その相反する

 

二つの心が

 

私たち人間には

 

必ずある。

 

 

 

 

 

利己、

 

それは人間の

 

生まれ持つ

 

煩悩であり、

 

欲望であり、

 

本能なのかもしれない。

 

 

 

私達が

 

生きていく上で、

 

ある意味

 

仕方のない、

 

ある意味

 

必要な心なのでは

 

ないだろうか。

 

 

 

なぜなら

 

私達は、

 

あらゆる

 

動植物の命を

 

いただかなければ、

 

生きてはいけないからだ。

 

 

 

私たち

 

人間は

 

そういうふうに

 

天地大自然により

 

作られている。

 

 

 

そうであるなら、

 

この相反する

 

二つの心を

 

どう使えば

 

良いのだろうか。

 

 

 

真っ当な

 

人間として、

 

私たちが

 

できることは

 

なんだろうか。

 

 

 

考えてみる。

 

 

 

それは

 

利他の心が

 

有する割合を

 

最大限に多くして

 

最優先し、

 

 

 

利己の心を

 

できる限り少なくする

 

ことではないだろうか。

 

 

 

少しでも

 

利他の心を磨いて

 

世のため、

 

人のために、

 

 

 

人間として

 

向上、成長していきたいものだ。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-06-03 06:49:00

" 真人の息は踵を以ってし、 衆人の息は喉を以ってす "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

『しんじん の いき は かかと を もって し、 しゅうじん の いき は のど を もって す』

 

 

 

中国の思想家である

 

荘子によると、

 

どんなときも

 

冷静で公平な、

 

道理を悟った人のことを

 

「真人(しんじん)」と

 

呼ぶそうです。

 

 

 

 

 

今日のお題である、

 

" 真人の息は踵を以ってし、 衆人の息は喉を以ってす "とは

 

 

 

人々は常に呼吸しており、

 

その呼吸によって

 

「真人」を表現しています。

 

 

 

 

私たちは、

 

誰もが絶えず

 

息をしています。

 

 

 

一般人は

 

浅い呼吸を

 

喉元で行うため、

 

緊張したり

 

感情的になる

 

傾向がありますが、

 

 

 

真人は

 

かかとから

 

深く息を吸い、

 

頭まで氣をめぐらせ、

 

かかとから

 

静かに息を吐く。

 

 

 

 

このように

 

真人の呼吸は

 

極めて深い境地を

 

示すものとされています。

 

 

 

 

消極的な感情に

 

囚われた際には、

 

 

 

まず真人のように

 

深い呼吸をして

 

心を落ち着かせる

 

ことが重要ですが、

 

 

 

 

真人が

 

ここで説いていることは、

 

それだけではありません。

 

 

 

 

あなたは

 

そこに氣付いていますか?

 

 

 

 

「かかとから静かに吐く」

 

とは、

 

 

意識を身体の最下部に

 

置くということなのです。

 

 

 

意識を身体の最下部に

 

置くから、

 

心が静まるのです。

 

 

それを

 

「真のリラックス」

 

というのですね。

 

 

 

 

そこで

 

合氣道寺崎道場で行う

 

呼吸法が役に立つのです。

 

 

 

やり方は

 

とてもシンプルであり、

 

通常の呼吸の延長です。

 

 

 

まずはゆったりと

 

仙骨を起こして

 

座りましょう。

 

 

 

必ず吐くことから

 

始めます。

 

 

 

アイウエオの

 

「ア」の形に口を開け、

 

 

 

頭の先から

 

足の指先まで、

 

ゆっくりと少しずつ

 

吐いていきましょう。

 

 

 

吐ききったら、

 

口は開けたまま

 

少し上体が前傾します。

 

 

 

2~3秒の間、

 

口は開けたままです。

 

 

 

少し上体を

 

前傾させたまま、

 

口を閉じ

 

鼻から静かにゆっくりと

 

吸っていきます。

 

 

 

足先から少しずつ

 

上半身に上がっていき

 

肺に達しても、

 

そこで止めずに

 

首を通って

 

頭部の先まで

 

吸い込みましょう。

 

 

 

2~3秒の間、

 

静かに心を静めて、

 

また口から吐き出します。

 

 

 

 

初心者は

 

吸氣の際に上半身が

 

力みがちになるので、

 

 

 

短めの呼吸から

 

始めてみましょう。

 

 

 

 

身体の

 

全ての部分の重みを、

 

その最下部に置き、

 

 

 

 

正しく続ければ、

 

 

 

誰でも真人の説く、

 

 

 

究極の境地に

 

至ることが

 

できるのでありまする。

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-05-31 08:13:00

" 技には何が表れますか? "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『わざ には なに が あらわれ ますか?』

 

 

 

 

 

道場では事あるごとに

 

お弟子さんにお話しします。

 

 

 

「技が変われば心が変わる。心が変わると技が変わる。そして、生き方が変わる」

 

 

 

 

 

道場にみえる

 

大多数のお弟子さんは、

 

「今の自分より技が上達したい」

 

という思いを

 

持っておられます。

 

 

 

 

 

「合氣道の技が上手くなってどうしたいのですか?」

 

 

 

これまで

 

多数のお弟子さんに

 

質問してきました。

 

 

 

しかし、

 

この質問に

 

明確な答えを持つ人は

 

ほとんどいません。

 

 

 

過去12年間で

 

この質問に

 

直ちに答えることが

 

できた人は

 

数えるほどでした。

 

 

 

 

 

「技が上手くなりたい」

 

そう思うのは

 

道場に通う

 

お弟子さんにとって

 

自然な感情でしょう。

 

 

 

しかし、

 

「技の上達」だけが

 

人生の目標では

 

到底ないはずです。

 

 

 

現時点で

 

自分が

 

「技が上手くなりたい」

 

という欲求を

 

抱くことはあっても、

 

 

 

なぜ上手くなりたいのか…

 

 

 

その先を具体的に

 

イメージする方は

 

少ないようです。

 

 

 

 

 

人は目的を持てば、

 

それに向かって

 

前進するものです。

 

 

 

技が上達することの

 

背景にも

 

目的があるはずだと

 

私は考えます。

 

 

 

 

 

技が上手くなった後、

 

何がしたいのか。

 

 

 

上達してから、

 

どのように生きたいのか。

 

 

 

自己を活かすためには

 

どのような生き方が

 

理想的なのか?

 

 

 

「あれっ?」と

 

少しは氣づくことが

 

できたでしょうか。

 

 

 

 

 

「技が上手くなりたい」と

 

思うのは、

 

 

 

いついかなる時にでも

 

心を静めることのできる

 

強い心を活かし、

 

 

 

社会や他者のために

 

還元する喜びを

 

味わいたいからでは

 

ないでしょうか?

 

 

 

 

 

そして、

 

やがて自分の命が

 

終わる時には

 

 

 

「ありがとう。おかげさまで、いい人生だったよ」

 

 

 

そう感謝して、

 

この身を天地大自然に

 

お返しする。

 

 

 

私達はそのために

 

生まれてきたのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

人生とは、

 

その喜びを知るために

 

あるのだと

 

私は確信しています。

 

 

 

 

 

合氣道という

 

一つの武道の枠に囚われず、

 

 

 

「人のためになる」、

 

「社会のために役立つ」

 

 

 

という思いは、

 

少なからず

 

誰もが持っている、

 

 

 

天地大自然が

 

人にのみ、

 

与えてくださった

 

特別な心なのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

自らの人生の

 

最終目標に向かって

 

どう進むのか。

 

 

 

 

 

それが分からないまま、

 

時間が経過する中で、

 

 

 

一つの理解から

 

全てが

 

一氣に結びつくのです。

 

 

 

 

 

自らの人生の経験から、

 

人類、地球、宇宙、

 

 

 

そして未来へと続く

 

生き方が

 

見えてくるでしょう。

 

 

 

 

 

私達は皆が貴重な存在です。

 

 

 

皆が異なるものを

 

受け取りながら

 

この世に生まれ、

 

 

 

極めて貴重な

 

「あなた」として

 

存在しているのです。

 

 

 

 

 

そのことに

 

氣づき、感じ、慈しみ、

 

自分を受け入れましょう。

 

 

 

自己を自覚しなければ、

 

他者や自分を取り巻く

 

環境に対処することも

 

できません。

 

 

 

 

 

こうして、

 

自分の存在価値を理解し、

 

自らの目的を見出すことで、

 

 

 

他者との比較ではなく

 

自己を確立でき、

 

 

 

より良い、

 

楽しい人生を

 

歩めるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝