" あなたはどっち? 学ぶ姿勢でわかる「伸びる人、伸びない人」の決定的な差 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小満【しょうまん】 初候
七十二候
第二十二候 蚕起食桑 かいこおきてくわをはむ
二十四節氣は「立夏」から「小満」へと移りました。
「蚕起食桑」は5月21日~25日ころにあたります。
この時期は、蚕が卵から孵化し、桑の葉を盛んに食べ始める頃です。
今日のお題
『 あなた は どっち? まな ぶ しせい で わか る「のび る ひと、のび ない ひと」の けっていてき な さ 』
" 伸びる人と伸びない人を分ける、 たった一つの「学びの姿勢」"
日々、
多くのお弟子さんと向き合い、
合氣道の指導を始めて、
今年で13年になります。
最初の10年間は、
ひたすら人間観察に時間を費やしました。
その中で、
「この人は伸びるな」
「この人は伸びないな」
という傾向が見えてきたのです。
しかし、
それは固定されたものではありません。
本人の「学ぶ意識」が変わるだけで、
伸びると思っていた人が伸び悩んだり、
逆に伸びないと思っていた人が
大きく成長したりすることもあります。
では、一体何がその違いを生むのでしょうか?
" 学びを阻む「目線」と「理由」"
まず、伸びる人は、
私の話をよく聞き、
話を聞く時は私の方に顔を向けます。
真剣な眼差しで、
その話に集中しているのがわかります。
一方、伸びない人は、
目線が下がっていたり、よそ見をしています。
残念ながら、
その間は他のことを考え、
私の話が上の空で、
頭に入っていないのでしょう。
合氣道を学ぶために、
月会費を納め、稽古のために時間を作り、
交通費をかけて道場まで来ているのに、
なぜ肝心の話を聞かないのか?
私は理解に苦しみます。
ただ道場に来て、
私に言われた通り
稽古をするだけでは伸びません。
伸びるためには、
その人にとって
少し " ハードルを上げた行動 " をする
必要性があるのです。
したがって、
伸びる人には、道場の稽古以外にも
「こういうことをした方が良い」と
具体的な助言をします。
たとえば、
「後輩を指導する」
「指導者になって教室を持つ」
「師範に代わって代稽古をする」
「師範や先輩の袴をたたむ」など。
素直な人は、
その通りに行動に移します。
しかし、そこで止まってしまう人は、
「何かと理由をつけて、師の提案を断る」 のです。
これまで10年間にわたり
人間観察をした経験上、
断言しますが、
このような人は決して伸びません。
そのような人が成長したという
実績は一度もありませぬ。
繰り返しになりますが、
「合氣道を始めよう」という志のもとで、
兵庫県合氣道連盟に入会費を納め、
合氣道琴心館寺崎道場に
年会費を納め、
月会費を納めて
自身の人生の貴重な時間を
稽古に費やし、
交通費を払ってまで、
駐車場代を払ってまで、
また、ある者は
雨の日にはカッパを着てまで、
自転車で道場に来るというのに、
「成長を自ら拒む」という行動に
私は理解不能です。
"「継続」が成長を加速させる "
さらに、
師の助言通りに行動できる人の中にも、
大きく二つのタイプに分かれます。
一つは、
その行動に自ら期限を設けず、
師から「よくそこまでできたね。次はこうしてみては」と
言われるまで、ひたすらやり続ける人。
彼らは
まさに " 青天井 " で成長していきます。
もう一つは、
「もうこれだけやれば十分だ」と、
自分の " 浅はかな考え " で
行動を途中でやめてしまう人。
師から
「まだ続けてみては」と
助言しても、
「もう十分やりました」と答える。
これが、
" 自身の成長を止めている " ことに
全く氣づいていないのです。
率直に言えば、
素直さに欠け、
それは「傲慢」 と言わざるを得ません。
伸びないお弟子さんも含め、
全員を分け隔てなく、
伸びるように導くのが師の務めです。
しかし、
最終的に「伸びる」か「伸びない」かは、
他ならぬ、
自身の「学ぶ姿勢」にかかっているのです。
" 100人に1人の「真の成長者」"
師からの助言に
迷うことなく行動に移せる人は、
" 100人に10人 " ほどです。
そして、
それを継続できるとなると、
その " 10人の中でさらに1人。"
つまり、
本当にできる人は
" 100人に1人 " しかいないのが現状です。
これほどに
もったいないことはありません。
" 時間もお金も使って "
" 稽古に来る意味 " を、
もう一度深く考えてみれば、
このシンプルな真実に
賢者ならすぐに氣づくはずです。
あなたの成長は、
あなたの「学びの姿勢」にかかっています。
あなたが賢者であるなら、
今すぐ意識を変えてみてはいかがかな?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 聞く耳を持たない人に、何を言っても無意味。今すぐ意識を変えよう "
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 末候
七十二候
第二十一候 竹笋生 たけのこしょうず
「立夏」は次候から末候へと移りました。
5月15日~20日ころにあたります。
「竹笋生」はタケノコが地上に顔を出す頃。
今日のお題
『 き く みみ を もた ない ひと に、なに を いって も むいみ。いま すぐ いしき を かえ よ う 』
" 人生の貴重な時間だ、無駄にするな!"
日々、
たくさんのお弟子さんと関わる中で、
私の経験上、断言します。
「心に色付きフィルターを持つ人に、話しても何も響かない。」
熱心に誰かに話しかけた経験は、
誰にでもあると思います。
一生懸命、説明しているのに、
なんだか相手にきちんと
伝わっていない氣がする…。
もしかしたら、その相手は
心に「色の付いたフィルター」をかけて
その話を聞いているのかもしれません。
心のフィルターとは?
私たちは、
生きてきた中で、
様々な経験や価値観を
積み重ねています。
それは、
私たちを形作る大切な要素ですが、
時に、人の話を聞く上で
自身の " ちっぽけな経験や価値観 " が
邪魔をする「フィルター」のように
作用してしまうことがあるのです。
たとえば、
* 先入観
「あの人はいつもこうだから…」
「たぶん、こんな話なんだろうな…」
という思い込みがあると、
相手の言葉の真意を受け止められません。
* 自己中心的な考え
自分の考えが絶対だと思っていると、
相手の意見を聞き入れる
余裕がなくなります。
* 感情的な偏り
好き嫌いの感情が強いと、
相手の言葉を客観的に捉えられません。
このような
心の色付きフィルターを通して聞く人は、
相手の話をありのままに
受け止めることができません。
言葉は耳に入ったとしても、
自分のフィルターの色に染められて
解釈されてしまうのです。
素直な心は「無色のフィルター」
一方で、
心が素直で謙虚な人は、
自分の心に
色付きのフィルターを持っていません。
彼らの心はいつも無色透明なのです。
だからこそ、
相手の言葉もそのままの状態で、
まっすぐに心に届きます。
特に、
自分より知識や経験のある
「師」からの言葉は、
人生を豊かにする
" 貴重な学びの宝庫 " なのです。
素直な心を持つ人は、
師の言葉を " 真摯 " に受け止め、
正しく成長へと繋げることができます。
" 無駄な時間に氣づこう "
「人生の時間は有限」です。
貴重な時間を、
言葉が届かない人に費やすのは、
あまりにもったいないことです。
心のフィルターを通してしか、
人の話を聞けない人に、
いくら熱意を込めて語っても、
それは" 砂漠に水を撒く " ようなもの。
疲弊するだけで、何も生まれません。
師は、
素直な心で話を聞き、
成長しようとする人を大切にします。
なぜなら、
彼らは師の言葉を
しっかりと " 臍下の一点 " に収めて、
未来へと繋げようとするからです。
" 大切な時間を使うべき相手とは "
自分の貴重な時間を費やすべきなのは、
* 素直な心で耳を傾けてくれる人
* 謙虚に学びを受け入れようとする人
* 共に成長し合える人です。
もし、
誰かに何かを伝えたいと願うなら、
まずは相手が
「無色のフィルター」を
持っているかどうかを
見極めることが大切です。
そして、
もし相手が心のフィルターに
氣づいていないようであれば、
そっと距離を置くことも、
自分の貴重な時間を守るための
賢明な選択かもしれません。
そういう人は
" それまでの人 " なのですから。
あとは
天地大自然に任せてしまいましょう。
その言葉が、
「本当に届くべき人」には届くのですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 一つの道を極めれば、必ずや光は見えてくる "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 末候
七十二候
第二十一候 竹笋生 たけのこしょうず
「立夏」は次候から末候へと移りました。
5月15日~20日ころにあたります。
「竹笋生」はタケノコが地上に顔を出す頃。
今日のお題
『 ひとつ の みち を きわめ れ ば、かならず や ひかり は みえ て くる 』
" 一つの真理を深く掴めば、おのずと万象に通じる "
私は、合氣道師範として、
多くのお弟子さんたちを見守る中で、
この言葉の重みを何度も感じてきたものです。
今日、語るのは、
一人の不器用な弟子の話です。
彼女は、技の飲み込みが人より遅く、
いつも焦燥感を抱えていました。
「先生、私は皆のように上手く動けません。やはり、この道は私には向いていないのでしょうか…」と、
当時は何度も不安を口にしていました。
しかし、
私は彼女の稽古への
真摯な眼差しを見逃しはしませんでした。
派手な動きは不得手かもしれませんが、
基本動作の一つ一つを、
誰よりも丁寧に、
そして深く掘り下げようとしていました。
" 受け身の際の身体の使い方 "
" 体捌きの際の重心の移動 "
" 呼吸法の際の臍下の一点への意識の集中 "
それらは、
単なる反復練習ではなく、
相手の氣、その流れを、
全身で感じ取ろうとする、
真剣な探求だったのです。
そして、
それを日常生活に活かすことを
彼女は怠りませんでした。
「焦ることはない」と
私は彼女に、事あるごとに言いました。
「君のその地道な努力こそが、
何よりも貴重です。
技の表面をなぞるのではなく、
その奥にある理合いを、
心身で理解しようとしている。
それは、いずれ偉大な力となるはず。」
彼女は、私の言葉を信じ、
ひたすらに基本動作を繰り返しました。
最初は戸惑っていたようでしたが、
日を追うごとに、
彼女の動きには
微かな変化が表れ始めました。
相手のほんの僅かな
" 氣の変化 " を感じ取り、それに自然に対応する。
力任せではない、" 理にかなった動き " 。
それは、
まさに合氣道の真髄に触れ始めた証でした。
「先生、最近、少しだけ相手の動きがわかるような氣がします…」
彼女の言葉に、
私は深い喜びを感じました。
才能の有無ではない。
" 愚直なまでの継続こそが、真の洞察力を生むのです "
一つの基本を、
諦めずに磨き続けた彼女の努力が、
入門から四年近く経った頃に、
ようやく光を見せ始めたのです。
そして今や、
その日本女子は
三十人以上のお弟子さんを指導する
合氣道師範へと成長しました。
合氣道の道は、
一朝一夕に極められるものではないのです。
しかし、
一つの技、
一つの動きに深く向き合い、
その奥にある
「目には見えない理合い」を
体得しようと " 必死で努力 " すれば、
おのずと他の動き、
さらには武道の奥深さ全体が
見えてくるように思うのです。
弟子諸君!
その地道な歩みを、決して止めるな。
君たちが今、
懸命に磨いている " その一点 " こそが、
やがて光となり、
君たちの未来を照らしてくれると
私は心から信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【驚愕の真実】 教えなければ人間は〇〇と同じ!?"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 末候
七十二候
第二十一候 竹笋生 たけのこしょうず
「立夏」は次候から末候へと移りました。
5月15日~20日ころにあたります。
「竹笋生」はタケノコが地上に顔を出す頃。
今日のお題
『 【きょうがく の しんじつ】おし え なけれ ば にんげん は 〇〇 と おな じ!? 』
" 眠れる才能を開花させる唯一の方法 "
「人間は万物の霊長である」
確かに、
人間は他の動物には真似できない
思考力や創造性を持ち、
文明を築き上げてきました。
しかし、
ちょっと考えてみてください。
もし、
生まれたばかりの赤ちゃんを
誰一人として教えることなく、
ただ放置したらどうなるでしょうか?
言葉を覚えることもなく、
道具を使うことも知らず、
社会のルールも理解できない。
おそらく、
その子は「人間らしい」生活を
送ることはできないでしょう。
それは、
まるで「野獣」と
同じような状態かもしれません。
天才の陰に必ず存在する「教え」という光。
歴史に名を残す偉人たち、
たとえば、哲学者や科学者、芸術家。
彼らは皆、
生まれながらにして
特別な「才能」を持っていたのでしょうか?
いいえ、決して、そんなことはありません。
彼らもまた、
幼い頃には親や師、
先輩といった存在から様々な教えを受け、
導かれてきました。
その教えがあったからこそ、
彼らは自身の「才能」を開花させ、
偉業を成し遂げることができたのです。
もし、
その導きがなければ、
せっかくの「才能」も土の中で
眠ったままだったかもしれません。
教えること、それは未来を創る尊い使命。
「教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。」
この松下幸之助さんの言葉は、
" 教育の根幹 " を突いていると思うのです。
新しい「知識」、「技術」、
そして「人間としての生き方」。
それらは全て、
誰か、から、誰かへと
伝えられていくことで、
初めて形を成し、発展していきます。
" 教える " ことは、
単なる知識の伝達ではありません。
それは、
後輩に対する先輩の、
子どもに対する大人の、
人間としての大切な使命なのです。
私たちは、
この大切な務めを、
お互いに真摯な態度で、
そして、
深い愛情と熱意をもって
果たしているでしょうか?
未来への投資:教える情熱と学ぶ謙虚さ。
" もっと教えることに情熱を持ちたい。"
" 自分の持つ知識や経験を、出し惜しみなく次世代に伝えたい。"
そして、
" 教えられることに、もっと謙虚でありたい。"
" 師の言葉に耳を傾け、
真摯に学び、自身の成長の糧としたい。"
「教える情熱と学ぶ謙虚さ。」
この両輪があってこそ、
個人も社会も発展していくことが
できるのではないでしょうか。
眠れる才能を開花させる鍵は「教え」の中にある。
人間は素晴らしい
可能性を秘めて生まれてきます。
しかし、
その可能性を開花させるためには、
周囲からの温かい「教え」が不可欠です。
もし、
あなたが
先輩、指導する立場であるならば、
後輩、弟子の成長を真剣に願い、
情熱を持って教えてあげてください。
もし、
あなたが
後輩、弟子の立場であるならば、
先輩、師匠の知識や経験に耳を傾け、
謙虚な姿勢で学んでください。
「教え」という名の
光を灯し続けることこそが、
私たち人間がより良く生きるため、
そして、日本の未来を
創造していくための
唯一の方法なのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「心の貯金」を始めよう。未来を拓く知恵の積み立て "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 末候
七十二候
第二十一候 竹笋生 たけのこしょうず
「立夏」は次候から末候へと移りました。
5月15日~20日ころにあたります。
「竹笋生」はタケノコが地上に顔を出す頃。
今日のお題
『 こころ の ちょきん を はじめ よう。みらい を ひら く ちえ の つみたて 』
" 良質な書籍 " に触れ、
" ためになる話 " に耳を傾け、
心の引き出しを豊かにする。
" 蓄えた知恵 " が
いつ、どんな場面で
活きるかは予測できません。
しかし、
それはきっと
「自分の力」になる時が来ます。
目先の必要に
駆られて得るだけの知識、
いわゆる「パン学問」。
目先の必要のためにのみ得る知識を
ドイツ人は「パン学問」と
呼んだそうです。
「パンが手に入ればもう役に立たない」
ということ。
それは、
目的が達成されれば
その価値を失ってしまうということです。
だからこそ、
私たちは
どんな状況にも対応できる
普遍的な知識を、
日頃から意識して
蓄えていきたいものです。
そのために今日からできること。
* 良書を読むこと。
深い洞察や普遍的な真理が
詰まった本は、心の栄養となります。
* 有益な話を聞くこと。
経験豊かな人や知見のある人の言葉は、
新たな発見をもたらします。
* 自分以上の人と交わること。
異なる経験値や価値観、
崇高な考え方に触れることで、
自身の学びになり視野が広がります。
* 時には黙想すること。
得た知識や経験を深く咀嚼し、
心の蔵にしっかりとしまい込みましょう。
" 良書 " を読み解き、
" 有益な話 " から学びを得て、
自分よりも " 見識のある人 " と交流し、
時には静かに " 内省 " することで、
" 心に響いた事柄 " を
心の奥深くに大切にしまいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝