2024-09-09 04:18:00

" 大器晩成 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『たいきばんせい 』

 

 

もの覚えが遅い人がいる。

 

何を隠そう。

私がそれだ。

 

私は昔から

もの覚えが人より遅かった。

今でもそうだ。

 

だから、人の10倍やる。

人の10倍やらねば、

人並みにはなれないのだ。

 

それを自分で

分かっているから、

何事も人の10倍やる。

 

 

10代後半の頃、

趣味で始めたサーフィンも

同時期に始めた

仲間に比べて、

上達しなかった。

 

向いてないとも思った。

でも週末に

仲間と海に行くことが

楽しくて続けた。

 

20代中頃には、

仲間の殆どが

サーフィンをやめていた。

 

私はというと、

趣味で始めたサーフィンに

心底のめり込み、

30代になって

海の近くで民宿を経営し

毎日、サーフィンした。

 

一番上達しなかった私が、

最終的には一番上達したのだ。

 

それは続けたから。

 

 

合氣道寺崎道場に通われる

お弟子さんにも

もの覚えが遅い人もいる。

 

もの覚えが早い人は

次から次へと技も

覚えていく。

 

でも、そういう人は

短期間で辞めてしまう人が

多いことも事実なのだ。

 

なんでも、すぐに

覚えることができるから、

飽きてしまうのだろうか。

 

反対に、

もの覚えが遅い人は

長く続くのだ。

 

まぁ、時々、例外で、

もの覚えは悪いは、

数年で辞めてしまうわ…

という

話にならないような

人もいるが…

 

 

話を元に戻そう。

 

 

もの覚えが遅い。

遅いから、

人の10倍稽古する。

 

合氣道でも

サーフィンでも同じだ。

 

稽古量、練習量だ。

 

それが多ければ多いほど

上達するのは、

当たり前のこと。

 

人の10倍やれば

人の10倍身に付く。

 

人の10倍やらねば

人並みにはなれない。

 

でもやった分だけ、

確実に身に付く。

 

努力して

身に付けたことは

決して忘れない。

 

人より少しくらい

遠回りしたほうが、

色んな景色も見れて

楽しいものだ。

 

 

「大器晩成」

 

大きな器は

早くは完成しない。

大人物となる人間は、

普通より遅く大成する。

 

 

簡単に出来ないことを

するのが努力だ。

 

倦まず弛まず、

その努力をすることだ。

 

決して諦めず。

 

 

プラスもマイナスも

表裏一体だ。

 

相反する二つのことから

世の中は成り立っているのだ。

 

 

もの覚えが遅い。 

 

しかし、

その裏には、

努力すれば必ず身に付く

ということが

保証されて

いるようなものだ。

 

もの覚えが遅い。

 

それほど強力な

武器はない。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝

 

 

 

 

 

 

2024-09-06 04:03:00

" 生涯書生 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『しょうがい しょせい』

 

 

1日は24時間だ。

誰にでも平等に与えられる時間だ。

 

この時間をどう使うかによって

将来、差が出てくる。

 

1日の仕事が8時間だとする。

その8時間は仕事に没頭する。

 

残りの16時間をどう使うか。

 

睡眠時間に6〜8時間

使ったとすると、

残りは8〜10時間だ。

 

買い物、家事、食事、

子育て、家族の団欒 等、

人それぞれでしょう。

 

そのそれぞれの中に、

「学び」があれば、

その時間がとても有意義なものになる。

 

 

「学ぼうとする心」が必要だ。

 

 

例えば、

近くのスーパーに

買い物に行って、

レジに並んでいる。

 

そのレジの店員さんから

たくさんのことを

学ぶことができる。

 

できれば、

ある一定期間は

毎日、同じ店員さんの

レジに並ぶことだ。

 

時間帯や、天候により、

買い物客の数も

変わってくる。

 

今日は、この店員さん

忙しそうだな。

少し暇そうだな。

 

その違いにより、

振る舞いも変わる

場合が多いのだ。

 

比較的客数が少なく、

余裕がある時には

買い物客の一人ひとりに

丁寧に接するが、

 

レジが長蛇の列の時、

いつもの丁寧さが

欠けることが

往々にしてあるのだ。

 

 

一度に二人は対応できない。

いつでも一人にしか

対応できない。

一人の客のレジが

終わらなければ、

次の客には対応できない。

 

それなら、

いくらレジが

大行列になろうが、

一人ひとりに丁寧に

対応できるはずである。

 

それができないのは、

一人の客の対応をしながら、

心は次の客に向いている

からなのだ。

 

常に一人の客に

心を100%向ける。

 

そして、機敏に

レジ対応する。

 

常に一人、

そしてまた一人と

その連続である。

 

このように、

世の中のことというのは、

簡単なことがほとんどだ。

 

それを難しく、

困難にしているのは

他の誰でもなく、

自分自身なのだ。

 

 

これで分かるように、

人は心の状態が

身体に表れる。

 

心が主体で身体を動かす。

 

「心が身体を動かす」のだ。

 

 

日常における、

ほんの一例を挙げてみたが、

 

このように、

何事も学ぼうとする

心さえあれば、

 

いつでも、どこでも

大切なことを学ぶことが

できるのだ。

 

しかも、無料なのだ。

 

私はこれを12年間続けている。

 

 

その毎日の積み重ねが、

やがて将来において、

大きな差が生まれるのだ。

 

賢となるか、

愚となるか、

あなた次第でありまする。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-09-05 04:43:00

" 努力 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

『どりょく』

 

 

 「努力が実る」とか

「あの人は努力家だ」

よく見聞きする言葉だ。

 

ネット辞書によると

努力とは

「力を尽くして励むこと」とある。

 

少し付け加えるなら、

 

努力とは

「 できないことを一所懸命すること 」

である

 

 

簡単にすぐできるような事を

したからといって、

それを努力とは言わない。

 

何度、失敗しようが、

打ちのめされようが、

人になんと言われようが、

 

やると決めたら、

淡々とやる。 

 

 

まだまだ、できたのではないか?

 

決して慢心、満足せず、

日々、寝る前に反省する。

 

 

困難な事であっても

それを努力と思わないこと。

 

それこそが、

本当の努力なのではなかろうか。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝

 

2024-09-04 04:27:00

" 心にモヤモヤ、そんな時は身体から "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

『こころ に モヤモヤ、そんな とき は からだ から』

 

自分のことなら

" なるようになる " から

何も心配などしない。

 

天地大自然に生かされる間は

やるべきことを

一所懸命やるだけ。

簡単だ。

 

とても

シンプルで

いつも簡単なはずなのだ。

 

でも、

つくづく思う。

 

心身ともに調子の良い時は

簡単だが、

 

調子の悪い時でも

簡単か?

 

特に、

心の調子の悪い時には

そういうわけには

いかない時もある。 

 

いつもお弟子さんにも

自分にも言い聞かせている

言葉がある。

 

それは

何事も上手くいくときは、

誰でも氣が出る。

 

しかし、

上手くいかないとき、

調子の悪いときこそ

氣を出さねばいけない

ということだ。

 

氣というものは心の領域だ。

 

何か心配事や、不安なことがあるとき、

氣を出そうと思っても、

なかなか出すことが

できないときもある。

 

そんなときは、

焦ってはいけない。

 

氣を出そう、出そうと

思えば思うほど、

出せないときもあるのだ。

 

「氣は出そう」と思うより、

「氣は出ている」と思ったほうが、

本当に氣は出るのだ。

 

それがすぐにできれば良いが、

できないとき、

どうすれば良いのか?

 

 

そのようなときは

身体から入ることだ。

 

上記に記した通り、

氣というものは心の領域なのだ。

 

その心を上手く

調えることができないときは、

身体から調えることで解決する。

 

最も簡単な方法は

「仙骨」を起こすことだ。

 

仙骨さえ起きていれば、姿勢は整う。

 

仙骨 ( 背中 ) を丸めていれば、

正しく見えるものも

見えなくなる。

正しい判断もできなくなる。

 

目の前の幸運も逃げ出す。

 

最低限、仙骨さえ起きていれば、

姿勢が調い、やがて心も調ってくる。

見た目にも良い。

 

幸運をつかむ、

良き人生を歩む、

 

世のため、人のために

役立つ生き方をする、

 

その第一歩は

姿勢を正すことから始まるのだ。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-09-03 04:58:00

さらに推敲しました。" そんな事も分からんのか、 明日なき産業 "

今朝も目覚めることができた。ありがとう。

 

 

 

『そんな こと も わからん のか、あす なき さんぎょう』

 

 

藤平光一翁のご著書には

 

合氣道の根幹である " 氣 " を

学ぶ者は少々の事では

決して、軽々しく

腹を立ててはいけない。

 

大したことでもないのに、

腹を立てることは

まだまだ未熟者である証だ。

 

いついかなる状況にあっても

心を臍下の一点に静め、

 

「明鏡止水」

風止んだ水面の如く、

穏やかでなければならない。

 

その上で、

またこのようにも

記されてある。

 

 

「怒るときは国家のために怒れ」

 

 

今から約12年前に

その著書を読んだ時、

 

正直、「国家のために怒る」

 

一体それはどのような時に

怒れと言っているのだろう?

 

 

当時、

今よりさらに

未熟者であった私には、

理解できなかった。

 

 

「国家のために怒れ」って

 

あまりにも私には

僭越すぎて、

 

一生、自分は

国家のために

怒ることなどないだろう。

 

そう思っていた。

 

 

でも、しかし、

 

合氣道を始めて12年、

合氣道指導者になり、

10年が過ぎた。

 

 

この10年間というもの、

本当にたくさんの事を

天地大自然から学ばせて

いただくご縁に恵まれました。

 

これまでの人生において、

これほど、生き方というものを

真剣に考え、学んだ時はなかった。

 

 

偉人と呼ばれる人の著書も

たくさん読み、

 

生きる意味、生き方、考え方等、

 

生きる上での根幹となる

大切なことを教えていただいた。

 

 

偉人と呼ばれる著者の方々の

共通点は

 

生きることも、仕事をすることも

それは全て

世のため、人のため

 

それだけに尽力すること。

 

自分のことは後回し、

脇に置く、

私利私欲を捨て去る

ということだ。

 

 

もちろん、

私などは、今も修行中で

未熟者ではありますが、

 

不肖、私

僭越ながら、

 

今こそ、国家のために怒ります!

 

 

なぜ、

新聞各社、テレビ等、

マスメディアは

正確な事を国民に

報じないのか?

 

なぜ、隠す必要があるのか?

 

 

この秋、9月の

自由民主党の総裁選で、

既に総裁選に立候補を

表明している、

 

青山繁晴 参議院議員の

名前すら報道されないのだ。

 

 

ユーチューブや、

XなどのSNSで

 

「いくらなんでも、それはおかしいだろう」と

たくさんの方々が問題視され、

SNS、ユーチューブに投稿された。

 

SNSで「青山繁晴」と検索すれば

たくさんの投稿が更新されている。

 

そして、今現在では

時折、青山繁晴氏の名前くらいは

報道機関に出てくるが、

 

SNS等で、

もし誰も何も呟かなかったら

今だに無視し続けて

いたのではないのか?

 

私はそう思う。

 

マスメディアというものは、

国民にありのままに、

事実を報道する義務が

あるのではないのか?

 

 

他の候補者とは違って、

青山繁晴議員は政策も

分かりやすく説明、

公表しているにも関わらず、

一切報道されない。

 

 

今や新聞の定期購読は

50代は無に等しいと言われる。

 

60代、70代以上の

人達だけが、新聞存続の支えだ。

 

それは即ち、

「明日なき産業」なのだ。

 

60代、70代以上の読者に

離れられたら終わりなのだ。

 

だから、反日、左派、

リベラルな記事を書く。

 

何故なら、

私も含めその年代の人達は

 

皆、むかし日本は酷いことをしたと、

教えられているのだ。

 

南京大虐殺も従軍慰安婦も

とにかく酷いことをした。

 

だから、

中韓には謝り続けなくてはならない。

 

そう教育されてきた。

 

真実を捻じ曲げて、

日本は悪者なんだ。

 

そう教育されてきた。

 

 

だから、それに合わせる。

そこに合わせていれば、

その年代の人は購読してくれる。

 

 

真実よりも私利私欲。

利益、自らの存続が

優先される。

 

 

テレビ局も同様だ。

 

バラエティー番組で

コメディアンが話す内容なら

いざ知らず、

 

報道番組は

正確に真実を分かりやすく

国民に伝える義務がある。

 

そこに嘘、捻じ曲げられた真実、

存在すら否定するような

報道をして、

 

我々国民は、一体、

何を信じれば良いのか。

 

 

これこそが

オールドメディアの衰退だ。

 

それを衰退とも感じないで

 

ハムスターの回し車のように

 毎日毎日、この先も

 同じ所をぐるぐる回っているだけ。

 

 

明日なき産業といわれる所以。

 

そのような

報道機関は全て、やがて、

滅びることになるだろう。

 

 

青山繁晴氏は昨年から

今秋の自由民主党総裁選に

立候補を表明しており、

 

自由民主党 党員数が

3年連続で1位という

事実があるのだ。

 

 

にも関わらず、

完全無視同様の対応だ。

 

 

本当に報道機関は

それで良いのか?

 

 

 

青山繁晴という

参議院議員の存在すらを

無きものにしている。

 

 

そんな

子どもじみた無視や、

イジメ同様のことをして

 

恥ずかしくないのか?

 

 

報道では

イジメはいけないなどと、

言っておきながら、

 

他人事のように

あからさまなイジメは

政治家にならして良いのか?

 

政治家も同じ人間だぞ。

 

 

各新聞社、各局、

報道デスク、色んな

思惑も、思想も、考えも、

好き嫌いもあるだろう。

 

 あって当然だ。

人間のすることなのだから。

 

 

しかしだ、

良いことも、悪いことも、

好む、好まざるではなくて、

 

「事実を正確に国民に伝える

 

それこそが、報道機関の

責務なのではないのか?

 

 

そうやって、

同じ利益構造の中を

ぐるぐる回っているだけ。

 

 

そんな事を続けているから、

明日なき産業などと揶揄され、

落ちぶれていくんだよ!

 

 

「そんなことも分からんのか」

 

 

自由民主党の

長老が主役の総裁選も

全く同じだぞ。

 

表向きは、若手の台頭などと言って、

実は裏では長老が支配している。

 

 

政治資金パーティー収入の

裏金問題で形だけ派閥を解消して、

 

裏ではモクモクと

今でも派閥は存在し、

 

全ては長老の思惑通りになる、

私利私欲にまみれた

立候補者を乱立させている。

 

 

長老の言いなりにさえ

なれば誰が総理総裁に

なっても良いのか。

 

 

政治家は国民の代表ではない、代理だ。

 

日本の主人公は誰ですか?

 

総理大臣でもなく、

閣僚、官僚でもなく、

衆議院議員、参議院議員でもなく、

 

我々、国民ですよ。

 

国民一人ひとりが

日本の主人公ですよ。

 

 

青山繁晴議員は

まず、減税だと公表している。

 

減税を実行するための政策も

はっきり打ち出している。

 

その上で、

財務省と真っ向から

対峙する。

 

そう表明している。

 

 

自分の保身しか考えのない、

他の立候補者の

誰がそんな事を言える?

 

 

自分の立場や行く末を心配して

誰もが保身に偏る。

 

 

国家国民のため

そう言いながら、

腹の底は保身しかない。

 

 

だが、

青山繁晴議員が

もし総理総裁になれば、

 

国益と国民のために

ならないことなら

間違いなく

長老の言うことであっても

聞かない。

 

 

「人のために死ねるのが政(まつりごと)だ」

 

 

地位も名誉も金も命も要らぬ。

 

危機管理の専門家でありながら、

自分のことは一切守らない。

 

自分の命は天に任せた。

 

そんな人、

青山繁晴氏、以外に

他にいるか?

 

 

今までの

既得権益、利益構造を

壊されることが

そんなに怖いのか?

 

 

自分を守ることしかしないから

恐れるんだよ。

 

臆病になるんだよ。

 

 

国民をバカにするのも

ほどほどにしておかないと

いけないね。

 

 

野心なく野望なく

 

ただただ

国益と国民のためにだけ

 

総裁選に出馬する

青山繁晴 参議院議員の

生き方を

 

少しは

見習ったらどうだ。

 

 

世のため、人のためとは

そういう生き方だろ。

 

 

醜い私利私欲のかたまり、

地位も名誉も、

 

そんなもの

 

報道機関や政治には一切、

必要がないんだよ。

 

 

報道機関に必要なことは

 

ただ一つだけ、

 

ありのままに、

事実を分かりやすく、

国民に伝えること。

 

 

政治とは政 ( まつりごと ) 。

 

まつりごとに必要なことは、

 

国益と国民を守り、

国民の暮らしを豊かにする。

 

ただそれだけ。

 

 

違うか?

 

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝