2025-06-27 03:19:00

" 「稽古照今」で本質を見極める "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

夏至【げし】次候

 

七十二候

第二十九候  菖蒲華【あやめはなさく】

「夏至」は次候へと移りました。「菖蒲華」は6月26日~30日ころにあたります。

 

あやめの花が咲き始める時期を指します。

初夏に紫や白の花を咲かせ、初夏の訪れを告げる象徴ですね。

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

『 「けいこしょうこん」で ほんしつ を みきわめ る 』

 

 

 

稽古照今  けいこしょうこん。

 

 

稽古の「稽」という字は、

「考える」という意味を持ちます。

 

稽古の「古 (いにしえ) 」は、昔を考える。

 

 

つまり、

「古 いにしえ (昔) 」を考え、今を学ぶということです。

 

 

 

 

 

"「古」から学ぶということ "

 

 

 

 


「古を考える」とは、

単に昔を懐かしむことではありません。

 

 

 

「稽古照今」

合氣道に照らし合わせて考えると、

 

 

それは、

合氣道の「基本」を改めて

深く見つめ直すということなのです。

 

 

 

 

 私たちは、ついつい、

新しい技を学ぶことに焦点を当てがちですが、

 

 

本当に大切なのは、

その技を構成する

「重心の移動」といった基本動作です。

 

 

 

これらは、

合氣道の黎明期 (れいめいき) から

受け継がれてきた、

 

まさに「古き」先人の

知恵と技術の結晶と言えるのではないでしょうか。

 

 

 


"「稽古」の語源と合氣道 "

 

 

 


「稽古」という言葉の語源には

諸説ありますが、

 

 

芸事において

基本を徹底的に習得することから

生まれたという考え方があります。

 

 

 

どのような分野においても、

表面的な技術だけでなく、

 

その根底にある「基本」

丹念に反復することで、

真の習得へとつながるのです。

 

 

 

 

" 合氣道における「稽古照今」の実践 "

 

 

 

 


合氣道においても、

この「稽古照今」の精神は不可欠です。

 

 

 

僭越ではありますが、

 

流派が違えば、

その技の考え方も変わりますが、

 

 

私たちは、

日々の稽古の中で、

 

開祖・植芝盛平翁が築き上げられた

基本の技、体捌き、呼吸に立ち返る

ことも大切なことなのではないでしょうか。

 

 


* 体捌き一つをとっても、なぜその角度で、なぜその足運びをするのか。

 


* 呼吸一つをとっても、なぜそのタイミングで息を吸い、吐くのか。

 

 

 

これらを深く考え、

「今」の自分の動きと照らし合わせることで、

 

新たな氣づきが

生まれることも大いにあります。

 

 

 

基本に忠実であればあるほど、

応用技も自然と身につくようになるのです。

 

 

 

 

 

" 稽古は「今」を照らす羅針盤 "

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場に通う皆さんは、

この「稽古照今」の精神に沿って

稽古しているでしょうか?

 

 

 

もしかすると、

 

ただ何となく道場に来て、

師範や先輩の動きをただ真似している

だけになってはいませんか?

 

 


もちろん、

道場に来て心身を動かすこと自体は

素晴らしいことですし、

 

最初は誰でも、

どのような分野でも

師や先輩の真似から始めます。

 

 

 

しかし、

せっかくの時間と労力を費やすなら、

 

さらに深い学びを得てほしいと

私は願っています。

 

 

 

「稽古照今」とは、

単なる反復練習ではなく、

 

一つひとつの動きに意識を向け、

その意味を問い続けることです。

 

 

 

基本を疎かにせず、

常に「なぜ?」という

問いを持ちながら稽古に取り組むことで、

 

合氣道の奥深さをより深く理解し、

自己の成長へと繋げることができると思います。

 

 

 

日々の稽古の中で

「稽古照今」の精神を

今一度、意識してみてください。

 

きっと新たな発見があるはずですよ。

 

 

 

 

 

今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-26 03:43:00

" 「頑張る」を手放せば、道は拓ける "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

夏至【げし】次候

 

七十二候

第二十九候  菖蒲華【あやめはなさく】

「夏至」は次候へと移りました。

「菖蒲華」は6月26日~30日ころにあたります。

 

あやめの花が咲き始める時期を指します。

初夏に紫や白の花を咲かせ、初夏の訪れを告げる象徴ですね。

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

 

『  " がんば る " を てばな せ ば、みち は ひら け る 』

 

 

 

 

私は、決して

人に「がんばれ」とは言いません。

 

また、人にも「がんばって」とは

言われたくありません。

 

 

 

なぜなら、

「がんばらない」からです。

 

 

 

 

私たちは日常生活の中で、

無意識のうちに

 

「頑張る」「頑張れ」「頑張ります」

といった言葉を口にし、また耳にしています。

 

 

 

しかし、私自身は

この「頑張る」という言葉には、違和感があり、

 

" 良くない言葉 " として認識しています。

 

 

 

 

"「頑張る」とは何か? " 

 

 

 

 

「頑張る」という言葉の語源には

諸説ありますが、

 

その一つに「我を張る」という

意味があります。

 

 

 

 

文字通り、

 

自分の主張を押し通す、

あるいは無理に力を込めて耐え忍ぶ、

 

といったニュアンスが

含まれているように感じます。

 

 

 

 

" あなたは一生、「頑張り続ける」ことができますか? "

 

 

 

何かの目標に向かって努力すること、

困難に立ち向かうことは非常に大切です。

 

 

 

 

しかし、

「頑張る」という言葉が伴う時、

 

私たちの心身には

知らず知らずのうちに力み ( りきみ )が

生じていないでしょうか。

 

 

この力みこそが、

時に私たちを疲れさせ、

心身のバランスを崩す原因になることが

あるのです。

 

 

 

人間は24時間、あるいは一生、

「頑張り続ける」ことは不可能です。

 

 

 

 

私自身、

合氣道琴心館寺崎道場での

指導を通じて、

 

また稽古を通じて、

このことを痛感しています。

 

 

 

 

"「頑張る」が自分を弱くする "

 

 

 

合氣道の技の中で「頑張る」ことは、

 

いかに自分自身を " 疲れ " させ、

" 弱い状態 " であるかを

相手によって明確に教えられます。

 

 

 

相手の力に逆らって

「頑張ろう」とすればするほど、

 

心身は硬直し、

動きはぎこちなくなり、

 

結果として技はかからず、

自分自身が崩されてしまうのです。

 

 

 

これは、

合氣道の稽古の中だけでなく、

 

私たちの日常にも

当てはまるのではないでしょうか。

 

 

 

仕事や人間関係で

「頑張らなければ」と思いすぎると、

 

肩に力が入り、

柔軟性を失い、

 

かえって良い結果を

生み出しにくくなることが多々あります。

 

 

 

 

"「頑張る」のではなく、「励む」ことの大切さ "

 

 

 

私が「頑張る」という言葉よりも

大切にしているのは、

 

「励む (はげむ)」という言葉です。

 

 

 

「励む」には、

ある目標に向かって、

 

意欲的に、

そして自発的に取り組む、

という意味合いが強いと感じています。

 

 

 

そこには、

無理に力を込める「頑張る」ような

心身の力みはありません。

 

 

 

 

真に力を発揮するためには、

力みではなく、

 

むしろ

「正しくリラックスすること」が不可欠です。

 

 

 

 

"「正しくリラックスする」とは? "

 

 

 

ここで言う

「正しくリラックスする」とは、

 

決して寝転んでテレビを見るような、

ただ「心身が虚脱」した状態を指すのではありません

 

 

 

 

合氣道の稽古では、

常に「重力に逆らわず、重みは下にある」という感覚を養います。

 

 

つまり、

不必要な力みを抜き、

 

「臍下の一点」へその少し下にある、

身体の中心に心を静めます。

 

 

 

自身の上半身の重みを

「臍下の一点」に預けることで、

 

心と身体、全体が柔軟になり、

安定した状態を保つことができるのです。

 

 

 

この状態こそが、

技のキレや相手との調和を生み出す

源となります。

 

 

 

「臍下の一点」は唯一、

心と身体が一体となる場所です。

 

そればかりか、

「臍下の一点」

遥か大宇宙を含めた

天地大自然と一体となる重要な場所なのです。

 

 

それは、すなわち

「心と身体と天地が一体となる」ことを意味します。

 

 

 

 

最後に、

 

だからこそ、

私は決して「頑張ります」とは言いませんし、

 

人に「頑張れ」と言うこともありません。

 

 

 

 

私は、

道場に集まる皆さんが

 

それぞれに「励み」

 

そして「正しくリラックス」することで、

 

 

真の力を引き出し、

心身ともに健やかな日々を送れることを

心から願っています。

 

 

 

このことが、

皆さんの日々の生活において、

少しでもお役に立てれば幸いです。

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場では、

 

この「正しくリラックスする」

という感覚を、

 

常に稽古の中で探求し続けています。

 

 

 

興味を持たれた方は、

ぜひ一度、道場へ足をお運びください。

 

 

心身の調和を共に探求していきましょう。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-25 03:12:00

" 天地大自然に任せる健康術 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

夏至【げし】初候

 

72星座

第二十八候  乃東枯【なつかれくさかるる】

二十四節氣は「芒種」から「夏至」へと移りました。

「乃東枯」は6月21日~25日ころにあたります。

 

乃東は「夏枯草」とも呼ばれる「ウツボグサ」の別名。

他の植物が夏の日差しを浴びて青々と生い茂る中で、

ウツボグサは冬至の頃に芽を出し夏至に花穂を枯らす姿が、

昔の人々の目に留まり、七十二候の一つとして選ばれたのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

『 てんちだいしぜん に まかせ る けんこう じゅつ 』

 

 

 

" 自然治癒力の源は、「天地大自然に生かされている」ということ " 

 

 

 

 

「生かされている」という感覚こそが、

私たちの持つ自然治癒力の基本にあると、

私は常々感じています。

 

 

 

私たちは

日々の生活の中で、

 

とかく自分の力で

全てをコントロールしようとしがちですが、

 

時にはその手放す感覚と言いましょうか、

 

そういう感覚が心身を健やかに保つ上で

非常に重要になると思うのです。

 

 

 

 

それは、

まるで大海の大きな潮の流れに

身を任せるように、

 

自分の命を

「天地大自然に預けている」と感じること。

 

 

 

そうすることで、

 

驚くほど体調が安定し、

良い精神状態を保つことができるです。

 

 

 

 

これは、

私たち人間は天地大自然の一部であり、

 

その中に

「生かされている存在」だからです。

 

 

 

自然治癒力とは、

まさに大自然からの恵みそのものです。

 

 

 

 

私たち人間が

「天に生かされている自分」

感じたときにこそ、

 

この素晴らしい力が

働き出すのかもしれませんね。

 

 

 

 

合氣道の稽古においても、

 

力んで技をかけようとするのではなく、

相手の氣の動き、

 

重力に逆らわず、

宇宙の摂理に身を委ねることで、

真の力が発揮されるのです。

 

 

 

 

これは、

日常生活における

自然治癒力の発動と非常に似ています。

 

 

 

無理に何かをしようとするのではなく、

あるがままを受け入れ、流れに身を任せる。

 

 

 

その時、

私たちの内なる力が最大限に引き出される、

そのように私は思うのです。

 

 

 

 

この感覚は、

日々の喧騒の中で忘れがちですが、

 

意識的に持ち続けることで、

心身ともにリラックスでき、

充実した日々を送れるようになるのです。

 

 

 

 

合氣道の稽古を通して、

この

「天地大自然に生かされている」

という感覚を、

 

皆様と共に深めてまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-24 03:31:00

" 子どもたちの伸びしろは「聞く耳」から "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

夏至【げし】初候

 

七十二候

第二十八候  乃東枯【なつかれくさかるる】

二十四節氣は「芒種」から「夏至」へと移りました。

「乃東枯」は6月21日~25日ころにあたります。

 

乃東は「夏枯草」とも呼ばれる「ウツボグサ」の別名。

 

他の植物が夏の日差しを浴びて青々と生い茂る中で、

ウツボグサは冬至の頃に芽を出し夏至に花穂を枯らす姿が、

昔の人々の目に留まり、七十二候の一つとして選ばれたのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

 

『 こども たち の のびしろ は「き く みみ」から 』

 

 

 

 

" 成長の兆し、心構えが未来を拓く "

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場には、

最近、目覚ましい成長を遂げている

" 中学生 " や " 高校生 " が多くいます。

 

 

 

彼らの中には、

" 小学生低学年 " から、

 

いや、もっと幼い " 年中 " から

道場に通い始めた子も少なくありません。

 

 

 

この子たちに加え、

道場に通い始めて二、三年、

 

また、

数ヶ月にも関わらず、

著しく成長している小学生もいます。

 

 

 

師として、

これほど喜ばしいことはありません。

 

 

 

 

" 小さな差、大きな未来。

成長を分ける「心の姿勢」 " 

 

 

 

しかし、

同じくらいの年齢から

合氣道を始めた子どもたちの間に、

 

少しずつですが、

「明確な差」が見られるようになってきました。

 

 

 

それは、「話の聞き方」です。

 

 

 

その「心の姿勢」に違いが現れるのです。

 

 

 

 

私が同じ話をしても、

いつも " 初めて聞く " かのように、

 

「謙虚な姿勢」

真摯に耳を傾ける子どもたちがいます。

 

 

 

彼らは、

たとえ以前に聞いたことのある話でも、

 

そこから

何か「新しい発見」を得ようと集中します。

 

 

 

一方で、

「また同じ話か」とばかりに、

 

" よそ見 " をしたり、

" 上の空 " で聞いている子もいます。

 

 

 

 

このわずかな差は、

現時点では

些細なものに見えるかもしれません。

 

 

 

しかし、

この「心の姿勢」の違いは、

 

これからの彼らの " 成長 " に、

 

そして人生において、

" 大きな差 " となって表れることでしょう。

 

 

 

 

「学ぶ心」「素直さ」

そして、「謙虚さ」といった

内面的な資質が、

 

彼らの未来を拓く

鍵となると私は確信しています。

 

 

 

 

" 合氣道が育む、未来につながる力 " 

 

 

 

 

いつも言っていますが、

 

合氣道は、

単に技を習得するだけではありません。

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場では、

 

礼儀作法、集中力、

 

 

そして何よりも

「心を磨く」ことを重んじています。

 

 

 

道場での時間は、

技の鍛錬だけでなく、

 

「人としての土台を築く場」であるのです。

 

 

 

 

私はこれからも、

子どもたちが技だけでなく、

 

話を " 聞く姿勢 " や、

困難に立ち向かう " 心構え " など、

 

生きていく上で、

本当に大切な力を育んでいけるよう、

 

心を込めて

指導し続けていきたいと思います。

 

 

 

彼らが

それぞれの未来で、

 大きく羽ばたいてくれることを

 

 

鳥たちがさえずり始めた、

曙の空に、魂から願ってやみませぬ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-06-23 03:04:00

" 「積ん読」も悪いばかりではない。未来への種 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

夏至【げし】初候

 

七十二候

第二十八候  乃東枯【なつかれくさかるる】

二十四節氣は「芒種」から「夏至」へと移りました。

「乃東枯」は6月21日~25日ころにあたります。

 

乃東は「夏枯草」とも呼ばれる「ウツボグサ」の別名。

 

他の植物が夏の日差しを浴びて青々と生い茂る中で、

ウツボグサは冬至の頃に芽を出し夏至に花穂を枯らす姿が、

昔の人々の目に留まり、七十二候の一つとして選ばれたのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

『 " つんどく " も わる い ばかり では ない 。 みらい への たね 』

 

 

 

 

"「積ん読」の価値と「おかげさま」の循環 "

 

 

 

 

どんなに忙しい日でも、

私は必ず本を手に取り読みます。

 

寝る前に1ページ、

いや、たった1行の日もあります。

 

 

 

良書との出会いは

心を豊かにし、

 

時に「あっ、そうだったのか!」と

新たな氣づきを与えてくれます。

 

 

 

 

だからこそ、

良い本と出会えば、迷わず購入します。

 

 

古書店で見かければ、すぐに手に入れます。

 

 

 

 

こうして私の手元には、

良い本がたまっていく一方です。

 

 

世に言う「積ん読」の状態なのです。

 

 

 

しかし、

私はこの「積ん読」を

悪いことばかりだとは考えていません。

 

 

 

 

"「積ん読」が未来へ繋ぐ「知の遺産」 "

 

 

 

 

「この本、良いから読んでごらん」と

勧めても、

 

なかなか

手に取ろうとしない " わが家の娘たち " 。

 

 

 

 

しかし、

そのうち私がこの世を去り、

 

娘たちも年を重ねた時、

 

あるいはその先の孫たちが

学ぶ機会を得た時、

 

これらの「積ん読」が、

娘や孫たちにとっての

「良き師」となることを願っています。

 

 

 

 

本棚に並んだ本が、

未来の誰かの知的好奇心を刺激し、

成長を促すきっかけになるかもしれない。

 

 

 

そう考えると、

「積ん読」もまた、

未来への投資と言えるのかもしれません。

 

 

 

 

 

" 道場に活きる「積ん読」:知識の共有と「おかげさま」の連鎖 "

 

 

 

 

さらに、

この「積ん読」は、

 

私が主宰する

合氣道琴心館寺崎道場でも

有効活用されています。

 

 

 

「読みたい人は持って帰って読んでみて」と、

 

 

道場の一角に

私の「積ん読」を並べています。

 

 

すると、

子どもから大人まで、

 

お弟子さんたちが自然と手に取り、

読んでくれています。

 

 

 

ある本がきっかけで、

道場でお弟子さん方に

新しい会話が生まれたり、

 

誰かの悩みが解決したり

することもあるかもしれません。

 

 

 

 

僭越ですが、

不肖私一人が持っている知識や感動が、

こうして多くの人へと伝わっていく。

 

 

 

ほんの少しの工夫で、

「積ん読」は単なる本の山ではなく、

 

知識を共有し、

人と人との繋がりを深めるツールへと

変わるのですね。

 

 

 

 

良書から教えていただいた

「おかげさま」

 

 

人から与えてもらった

「おかげさま」

 

 

そして、

天地大自然から学んだ

「おかげさま」

 

 

 

 

これらの恩恵は、

自分の中でとどまることなく、

 

次へと順送りに

伝えていくべきものであると思うのです。

 

 

 

 

合氣道の稽古を通して、

 

また良い本を通して、

 

 

様々な形で

「おかげさま」の心を拡げてまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝