" 英霊の日 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『えいれい の ひ』
8月15日は
戦没者を追悼し
平和を祈念する日だ。
世の中はバランスが大事だ。
どちらかに偏っては
うまくいかない。
だから
色んな意見が
あっていいと思う。
でも
これだけは
忘れてはならない。
「終戦の日」とは、
侵略戦争の反省にたって、
日本が自由や、
民主主義を基本にする
戦後近代国家へと改心した、
そのような
記念日なのではない。
その以前にまず、
英霊の魂への
鎮魂と感謝と
慰霊の日であることを
忘れてはならない。
私は
今年も8月上旬に
靖國神社に参拝した。
昨年よりも暑い夏、
酷暑のなか九段の坂を登り、
どの季節にも
巌としてそびえる
第一鳥居をくぐる頃には、
もう汗だくになっていた。
大手水舎で手水を取り、
境内へ向かうと
森閑とした境内には
明らかに俗世と異なる
時間と空氣が流れていた。
しんと静まり返った
拝殿で英霊の御霊に
感謝を捧げた。
英霊のお陰で
今、私達はこうして、
守られて生きている。
「守られているという感覚を持ち帰りたいものだ」
そう思うと
自然と背筋が伸びた。
日本の安全保障は
自衛隊と日米同盟に
守られていることは、
様々な
意見があるとしても
確かなことだ。
しかし、
忘れてはならないことは
英霊に日本の戦後は
守られていることだ。
その思いを
再度深く胸に刻み、
厳かな心持ちで
拝殿からさがった。
英霊の日の今日も
私はいつもと変わらず、
いつも通りに、
心を静めて
英霊の御霊に
感謝して手を合わす。
今年も8月15日正午が近い。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" その喜びを味わえるようになれ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『その よろこび を あじわえる ように なれ!』
2024年 夏期 指導者育成稽古
自分の経験を元に話そう。
いざ、
人前に立って
後進を指導することは
決して容易いことではない。
ついつい、
その日の稽古で
やろうと決めて
準備しておいた技に
囚われてしまう。
それこそ
"必死のパッチ" で
その日の稽古時間を
準備した技で費やす。
あっと言う間に
その日の稽古は終わる。
どっと疲れる。
座る。
横たわる。
当分
動けないほど疲れる。
これが遠い昔の
私自身の姿である。
指導者なら誰もが
似たりよったりの経験を
したのではないだろうか。
これは
準備した技だけを
費やした結果だと思う。
「費やす」とは
「疲れ弱らせる」という
意味もある。
そのような
指導をしている時は、
集まってくれる
お弟子さんが
人間として
立派に育って貰いたいと
祈ることを忘れやすい。
人に技を教えるよりも
自分の身心を清めること、
日々実践し、
その体験を
身につけること、
自分自身が
その道の先達となる
自覚を持つこと。
これが一番大切である。
お弟子さんに
技を教えることを
第一に考える。
だから
中身がなくなるのだ。
そのお弟子さんを
人間として
より立派に
育って貰うために
奉仕するのが
指導者である。
その喜びを味わえるようになれ!
これが
自分自身の
育った姿なのだ。
天地大自然が
喜んで下さる
姿であるのだ。
そう思えば
全心全力を
出し切るだけで良いんだ。
人より技が
優れていたとしても、
それがどうした。
たとえ
立派な教えを説いても、
自分自身が
なっていなかったら、
冷汗が出るほど
恥ずかしくもなるはずだ。
でも
だからといって
落ち込んではいられない。
幾度
失敗しても
弛まず立て直したい。
倒れても
また立ち上がりたい。
そうした
弛みなき努力を積み上げる。
鍛練と実践によって
一日一日、
一年一年、
少しずつでも向上する。
常に顧み反省して、
ほほ笑みのわく、
おおらかな人間に
なりたいと思う。
なんの要求も願いもいらない。
ただやるべき努めを楽しむ。
そんな人間になりたいと
常に思っている。
その結果、
知らぬ間に
人がついて来て下さる。
それが
本当の
指導者の姿である。
羨ましい。
あんな心に
なってみたいと思う。
とにかく
導いて下さいと
すがりつかれる。
やがて
それが
その道に波動して
映って行く。
離れがたい人になる。
この一つの小さな波が、
いくつもの
小さな波へと伝わり重なり、
やがて
大きな波へと変化を生む。
その
感激こそが、
本当の指導ではないだろうか。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 天地大自然の配剤 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『てんちだいしぜん の はいざい』
午前の集中稽古を終え、
慶應義塾大学
三田キャンパスの
「山食」へと向かった。
三田伝統の味、
山食カレーで有名な
学食「山食」だ。
その午前の稽古に参加した
お弟子さんの一人が
慶應のOGであったことから、
ランチを食べに
港区三田へと向かった。
慶應義塾では
慶應義塾大学の卒業生を
「塾員」と呼んでいる。
そして、
塾員、塾生、教職員、
塾生の保護者の方々を
「義塾社中」と呼ぶらしい。
社中とは、
コーポレーションのことを
さしたもので、
義塾はいかにも
私学であるが、
決して
個人の私有物ではなく、
義塾社中の
共有のものであり、
公共のためにこそ
つくすべきだ
という考えが
明治元年に示されたそうだ。
私は塾員ではないが、
家族が塾生であることから
義塾社中となるのだろうか。
そういう意味では
私にとっても
少なからず
縁のある場所と言える。
横浜市港北区にある
慶應日吉キャンパスには
訪れたことがあるが、
三田キャンパスに来たのは
今回が初めてだ。
その山食も
学食であるから、
とにかく安い。
人氣の山食カレーは
390円で食べられる。
その他、
山カツ定食550円や
麻婆丼500円、
ビーフシチュー550円、
ハンバーグ定食460円など。
さらに、
たまごサラダ150円、
そのたまごサラダに
200円プラスで、
カップに山食カレーが
たっぷり入った
カップカレーと
味噌汁とご飯がつく
ヘルシーセットや、
甘〜いパイナップル120円
などもメニューにあるのだ。
全てのメニューを
制覇したいが、
私は当然、
山食カレーだ。
山食カツカレーの
食券590円を購入し、
受け取りカウンターで
50円足して、
大盛りにした。
皿からカレールーが
溢れるから
当然、統一体で持ち、
席まで運ばねばいけない。
食べるときも、
何するときも
24時間稽古だ。
塾員のお弟子さんは
「懐かしい〜」と
終始笑顔で
塾生時代の思い出を
語ってくれた。
夏休み期間とあって、
程よく空いていた
学食「山食」であったが、
コロナ禍により
一時は経営が
困難になったそうだ。
今年で
創業87年になるのかな、
昭和12年(1937年)に
三田の山に誕生し、
第二次世界大戦も
経験した「山食」だが、
コロナ禍の
影響を受けて
売り上げは
80%減の状況だったそうだ。
コロナ禍により
オンライン授業が
主流になり、
キャンパスに塾生が
少なくなったことなどが
原因らしい。
当時、
山食の歴史と伝統
「これまでの83年間が、途絶えてしまうのは寂しい」との思いから、
三代目山食代表の
谷村忠雄さんが
山食を存続させるために
クラウドファンディングを募った。
4,109人の支援により
43,232,000円の
資金援助があり、
この最大の危機を
乗り越えたそうだ。
これだけ
安くて美味しい
「山食」であるから、
私など、もし
東京都港区三田周辺に
暮らしていたら
毎日でも通いたい食堂だ。
ここでも例外なく
天地大自然の配剤が
行われているとしか
私は思えないのだ。
ラグビー部、
アメリカンフットボール部などの
体育会の夏期合宿には
部員の食事を
支えるために
谷村さん自ら
山中湖の山荘に出張し、
49年間にわたり
合宿の食事の
お世話をされたと聞く。
また、
山食は「歴史と伝統」を
守りながら
塾生にとって
「第二の家庭」でありたい、
そして大盛でも、超大盛でも、
野菜増しでも、
メニューに無いものでも、
塾生のわがままに
できる限り
応えていきたいという、
谷村さんの
強い念が
天地大自然に感應し、
天地大自然が
味方をしてくれたのでは
ないだろうか。
僭越ながら
私はそう思う。
世のため、人のために。
それは
天地大自然が
最も好むこと
なのでは
ないだろうか。
山食カレーを
いただきながら、
そう強く
実感したのでありまする。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 氣を配る "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『き を くばる』
指導者育成稽古中に
皆の携帯から
一斉に緊急地震速報が
鳴り響いた。
その夜、
Xのタイムラインから
「また緊急地震速報、地球さん、少しは休んでよ」
という投稿が
リアルタイムで流れてきた。
でも
地球は1秒も
休まないし、
天地大自然の営みは
これからも
連綿と続いていく。
もし、
1秒でも止まれば、
地球もろとも、
そこに存在する
全てのものは
なくなるのだろう。
太陽を中心として
1秒も止まらないから、
私達は
生きていけるのだ。
話を本題に戻そう。
東京出張に出かける
準備の際に、
荷物をできるだけ
少なくしたいので、
着替えも最小限にした。
今年は昨年より
酷暑というから、
たくさん着替えを
持っていきたかったのだが、
その結果
いつも大荷物になるのだ。
しかし現実は
洗濯が追いつかなかった。
仕方なく
人混みの銀座に
行くことにした。
前回の東京出張で
銀座は懲りた。
あの人混みに
わざわざ入っていくのは、
相当疲れる。
しかし
懲りもせずに
世界最大の
ユニクロ銀座店に
足を運んだ。
客の殆どが外国人だった。
それにしても
凄い人混みだ。
ごった返すとは
正にこのことだ。
8階だったか
メンズの階で
Tシャツを2枚選び
レジへ向かうも
レジが無い。
仕方なく
9階だったと思うが
1つ階を上がると、
そこのレジは
長蛇の列だった。
そして、
その列に並んでいた。
おそらく
日本人は
私一人のようだった。
店全体が
外国人の客で
賑わっているので、
この光景も
違和感はなかったのだが…
自分の番まで
あと10人位になった時、
「お客様」という
レジで対応する
店員の声が聞こえた。
「お客様、お客様」
列の客は
外国人ばかりなので
皆、
自分のことでは
ないという顔をしている。
えっ、まさか、
「えっ!私」と
その声をかけてくる店員に
自分で自分を指さしたら、
「お客様、宜しければ、1つ上の階のレジをご利用くださいませ」
その長蛇の列は
"TAX FREE" と
書かれたレジだったのだ。
「穴があれば入りたい」とは
このことだ。
娘にLINEすると
"老害" と
返ってきた(笑)。
それにしても、
あの声掛けしてくれた
女性の店員は
大したものだ、
これこそ
プロの対応というのだろう。
おそらく、
私のように
TAX FREEの
レジに並ぶ人も
少なくないのだろう。
だから
普段通りの
対応なのかもしれない。
それにしても、
次から次にレジへ来る
客の対応をしながら、
常に
並んでいる他の客にも
氣を配っているからこそ、
このような
行き届いた
神対応ができるのだ。
間違って
レジに並ぶのは
客の不注意であって、
その客が
自分の番に来た時に、
「このレジはTAX FREEのお客様専用でございますので、他のレジをご利用ください」
でも良いのだ。
しかし、
いち早く
その事態に素早く
対応できる
優れたスキルは
素晴らしいと、
一人感心した。
まさしく
この優れた
丁寧な女性の店員を
「一流」と呼ぶのだろう。
その女性の店員から
学ばせていただいた。
ありがたいことだ。
そして
この世には
偶然はないのだ。
全て必然。
もう二度と
行かないだろうと
思っていた、
人混みの銀座へ、
また再び
行かなくては
ならなくなり、
世界最大の
ユニクロ銀座店で
学ぶよう、
天地大自然に
導かれたのだろう。
「氣を配る」
それは
私に足らないことの
一つなのだ。
教えてくださって
ありがとう!
一流の
ユニクロ店員さん。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 天地大自然に身を委ねる "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『てんちだいしぜん に み を ゆだねる』
朝から照りつけた
太陽に熱せられた
アスファルトからの熱と、
蒸し暑い都心の夜に
すれ違った4人家族から
こんな会話が聞こえた。
中学生とおぼしき男子
「ねぇお母さん、うちに帰ってもう一回買い出しに行くの」
「そうだね、ついに来たよね、まだまだ足りない物あるんだから、あんた男の子でしょ、しっかり持ちなさい」
それぞれの手には
トイレットペーパーやら
紙おむつなど
両手いっぱいに
持っていた。
昨日夕方に発生した
日向灘を震源とする
マグニチュード7.1の
地震を受け、
気象庁は午後7時15分、
次の巨大地震に
注意を呼びかける
「南海トラフ地震臨時情報」を
発表した。
おそらく、
巨大地震に備えての
買い出しではないだろうか。
このお母さんの
「ついに来たね」の
言葉からそう推測した。
2日前の
今日の一言に
「危機管理」と題した
書き込みを
したところだ。
できる時に
できる事を
しておかねばいけない。
巨大地震が
起きてからでは
遅いのだ。
今のうちに
色々な事態を想定して、
シュミレーション
しておくことも
大切なことだ。
家族間での
打ち合わせや、
決め事も
しっかりしておくべきだ。
ただ
想定通りには
いかないと思う。
たぶん
これまで
経験したことのない
巨大地震なのだろう。
これも
天地大自然の営み
であるから
仕方のないことだ。
私達には
どうにも
することができない。
天地大自然から見れば、
地球も
生きているから
単なる
地球の
深い深呼吸
程度のこと
なのかも知れない。
それ自体に
良いも悪いもなく、
ただの
天地大自然の
営みなのだ。
あまりにも
その営みが
巨大で
想像すら
できないほどの
力を持っているため、
私達人間には
脅威なのだと思う。
この天地大自然の中で
生きているからには、
それも
受け入れなければ
ならない。
いついかなる
状況においても、
人間は
落ち着いているのが
当たり前なのだ。
重力の影響を
常に受けて、
私達は
生きているのだから、
物体の重みは下にある。
それが
天地大自然の中で
生きる
大法則なのであり、
落ち着きなのだ。
合氣道の稽古では、
いつも
その落ち着きを
稽古している。
合氣道寺崎道場の
門人においては、
子どもも
大人も、
それが
試されるときなのだ。
従って、
本日の
夜間稽古も、
お盆休み明けからの
稽古も、
今までと同様に
落ち着きの稽古を
しなければならない。
門人においては、
これまで以上に熱心に
稽古しなければならない。
巨大地震が
いつどこで
起こったとしても、
もし、
自分がこの世で
まだすべき重要なことが
あるのなら、
天地大自然は
自分を守ってくださる。
私はそう確信している。
常日頃から
自分のすべきことは
世のため、
人のためにあり。
それを
実践するならば、
安心して
天地大自然に
身を委ねよう。
それしかないのでは
あるまいか。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝