2025-11-04 03:45:00

" 不完全さの美学。「侘び・寂び」の心で愛でる十三夜の月 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

今週もよろしくお願いします。

 

 

本日は、二十四節氣

霜降【そうこう】末候

 

七十二候

第五十四候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)

11月2日~11月6日頃。

野山の楓(かえで)や蔦(つた)の葉が、赤や黄に色づく頃という意味です。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ふかんぜん さ の びがく。「わび・さび」の こころ で め で る じゅうさんや の つき 』

 

 

 

 

先日11月2日の十三夜、

多くのお弟子さんから

 

「先生、先月の十五夜に続いて、ばっちりお月見ができましたよ」と、

 

美しい月の写真が

LINEで送られてきました。

 

 

毎月、

不肖私がこのブログ同様に

 

全身全霊で書く

合氣道琴心館寺崎道場

 

会員向け会報誌

「ぼくらの合氣道」を熱心に熟読し、

 

古くから伝わる

日本の風習を大切にしてくれる姿勢に、

心から感謝しています。

 

 

 

" 風に流された一瞬の美。神戸で見た十三夜 "

 

 

 

私の住む神戸では、

十三夜当日は風が強く、

全般に曇りがちの空模様でした。

 

 

​正直なところ、

「今夜のお月見は難しいかな」と

半ば諦めていたのです。

 

 

しかし、

ある商業施設の屋上駐車場から

ふと空を見上げた、そのほんの一瞬。

 

 

​強い風に流された雲がちぎれ、

そこから顔を出した十三夜の月を、

運良く拝むことができました。

 

 

 

十五夜の満月に比べて、

十三夜の月は満月の2日前という

わずかに欠けたその月は、

 

やはりどこか儚げで、

深い味わいがありました。

 

 

「一瞬でも見られたことの喜び」。

 

 

​この体験こそ、

合氣道の稽古や人生にも通じる

 

大切な教えを

運んでくれたように感じています。

 

 

 

"  十五夜だけでは「片月見」? 二夜の月見をする理由 "

 

 

 

​古来より、

日本には十五夜(中秋の名月)だけでなく、

 

その約一ヶ月後の

十三夜(後の月)も合わせて

二度お月見をする風習があります。

 

 

 

​十五夜が中国から伝わった

風習であるのに対し、

 

十三夜は

日本独自の風習とされています。

 

 

この二つの月見を

セットで行うことを

 

「二夜の月(ふたよのつき)」とも呼びます。

 

 

 

​なぜ二度か?

これにはいくつかの意味があります。

 

 

 

 

収穫への感謝

十五夜は芋などを供える

「芋名月」として収穫前の豊作を祈り、

 

十三夜は栗や豆を供える

「栗名月」「豆名月」として

 

収穫後の感謝を捧げるという、

秋の収穫祭としての意味合いがありました。

 

 

 

縁起担ぎ

どちらか片方の

お月見しかしないことを

 

「片見月(かたみつき)」と言い、

昔から縁起が悪いと

忌み嫌われました。

 

 

両方拝んでこそ、

正式な感謝とされ、

福を招くと考えられてきたのですね。

 

 

 

 

"  完璧ではない「十三夜の美」にこそ、合氣道の教えが宿る "

 

 

 

さて、

お弟子さんから送られてきた

十三夜の月は、

 

十五夜の満月に比べて、

少しだけ欠けていました。

 

 

私が見た、

雲の切れ間からの

十三夜の月も欠けていました。

 

 

この完璧ではない形にこそ、

私は深い意味があると感じます。

 

 

 

十五夜が

「完成」された満月ならば、

十三夜は「未完成」の月。

 

 

 

しかし、

このわずかな歪み、

 

満ち切らない美しさこそが、

私たち日本人が古くから愛する

 

「侘び・寂び」の心に

通じるのではないでしょうか。

 

 

合氣道の稽古もまた、

常に「未完成」の状態です。

 

 

​技に完璧はありません。

 

今日はできたと思っても、

相手が変われば、

次の瞬間には崩れるかもしれない。

 

 

もっと言えば、

心が落ち着く深度に100%はない。

行き着くところはないのです。

 

 

 

 

私たちは、

丸い満月のような

 

完成された状態を

目標としながらも、

 

欠けた月のような

未熟な自分を受け入れ、

 

その不完全さの中で、

たゆまず精進を続けることに

価値を見出します。

 

 

 

​完璧ではないからこそ、

次がある。

 

 

 

未完成だからこそ、

明日も道場へ向かう情熱が湧く。

 

 

 

 

"「今、ここ」の満ち欠けを受け入れる "

 

 

 

十五夜と十三夜、

形は違えど、

 

どちらの月も

私たちに秋の恵みと

静かな安らぎを与えてくれます。

 

 

この二つの月見は、

「完成と未完成」の両方を愛(め)で、

 

「今、ここ」にある

自分の満ち欠けを

 

受け入れることの大切さを

教えてくれているように思います。

 

 

お弟子さんたちが送ってくれた

見事な十五夜の月、

また完璧ではない十三夜の月。

 

 

その両方の写真を見るたびに、

私自身もまた、

 

 

この「二夜の月」の教えを胸に、

 

本日からの指導に

励もうと、襟を正しています。

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-10-31 03:17:00

" 「共に生きよう。」胸を打たれたアシタカの不動心に学ぶ "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

霜降【そうこう】次候

 

七十二候

第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)

10月28日~11月1日頃。ときどき小雨が降る頃。

小雨はすぐに止んでしまうような降っては止み、すぐに晴れるといった時雨(しぐれ)のことを指します。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 " とも に いき よ う " むね を うたれ た アシタカ  の ふどうしん に まな ぶ  』

 

 

 

『もののけ姫』

4Kデジタルリマスターが

期間限定でIMAX上映されています。

 

 

いまさらながら、

私はこれまで『もののけ姫』を

じっくり観たことがありませんでした。

 

 

 

次女から

「お父さんにちゃんと観てほしい」

そう誘われ、

 

昨日10月30日(金)、

『もののけ姫』IMAX上映を鑑賞しました。

 

 

 

私にとって人生初のIMAX体験です。

 

 

IMAXの圧倒的な音響と映像は、

 

森の神々や

巨大な動物たちの

息づかいを肌で感じさせ、

 

私を

深く作品の世界へと引き込みました。

 

 

『もののけ姫』は、

単なるファンタジーや

環境保護の物語ではなく、

 

私たち人間に突きつけられた

根源的な問いであり、

 

「生きる」ことの

全容を描き出した作品ですね。

 

 

 

"『もののけ姫』が私たちに訴えかけた、人間と世界の根源的な真実 "

 

 

 

​次女とのIMAX鑑賞体験を経て、

私は『もののけ姫』という映画が

 

私たちに

何を訴えようとしたのかを、

深く考え直しました。

 

 

 

この映画は、

私たちに二つの根源的な真実を

訴えかけているように思います。

 

 

一つ、

「憎しみ」の連鎖と、「共に生きる」道の困難さ

 

 

​『もののけ姫』の物語は、

森の神々、人間、動物たちが、

 

それぞれの「生きる」ための

正義やエゴをぶつけ合った結果、

 

「憎しみ」と「呪い」が

連鎖していく様を描いています。

 

 

人間は、

より豊かな生活、病者の救済、

 

差別からの解放という

「生きる」ための前進のために、

森を破壊する。

 

 

​森の神々・動物は、

人間の勝手な欲望に対し、

 

自らの「生」と

「居場所」を守るため、

激しい怒りと憎しみをぶつける。

 

 

この対立は、

どちらかが一方的に

「悪」ではないのですね。

 

 

 

どちらも

「生きたい」という

 

本能的な

欲求のために戦っているのです。

 

 

この映画が訴えるのは、

「どちらが正しいか」という

簡単な答えではなく、

 

「どうして人は争うのか」

「どうして憎しみは連鎖するのか」

という、

 

人類が文明を持つ

以前から抱える

 

根本的な

問いかけではないでしょうか。

 

 

 

そして、

この憎しみの連鎖を断ち切るには、

 

アシタカが示したような

「曇りなき眼」で、

 

相手の「生の尊厳」を認めるという、

 

困難な道しか

ないことを訴えかけているのですね。

 

 

 

 

二つ、

「生と死」は一体であり、

世界はつながっているという真実

 

 

この映画が

私たちに最も強く

 

訴えかけるテーマは、

「生と死の捉え直し」であると

私は感じました。

 

 

人間は、

自らの「死」を恐れ、

呪いを避け、

 

少しでも長く、

豊かに「生きたい」と願います。

 

 

しかし、

タタリ神の呪いも、

シシ神の圧倒的な生命力も、

 

 

※(この部分はネタバレになるので、削除しました。)

 

 

私たちに次のように語りかけます。

 

 

 

​「生」の裏には必ず「死」がある。

 

「死」は終わりではなく、

次の「生」を生み出す糧となる。

 

 

土に還り、命を育む。

 

 

 

天地大自然とは、

すべての命が絶えず生まれ、

死に、

循環しあう巨大な生命体である。

 

 

 

アシタカがサンに語る

 

「シシ神さまは死にはしないよ。生命そのものだから。生と死とふたつとも持っているもの」

 

という言葉は、

 

まさに合氣道が目指す

「天地と一体になる」、

 

つまり

「万物愛護」「万物育成」に通じる、

壮大な死生観なのですね。

 

 

 

『もののけ姫』は、

「人間は、自然や動物とは切り離された、特別な存在ではない」

という真実を、

 

凄まじい大迫力をもって

私たちに突きつけます。

 

 

 

そして、

この「繋がっている世界」の中で、

 

私たちは

「憎しみに身を委ねるな」

「共存の道を考え、それぞれの場所で生きろ」

 

というメッセージを受け取るのですね。

 

 

 

 

​​

私たちが

『もののけ姫』を観て、

 

遠いファンタジーだと

感じる一方で、

 

現実社会では、

アシタカたちが直面したような

 

「人間と獣の避けがたい対立」が、

今、深刻な形で起こっています。

 

 

 

特に今年は、

北海道や東北地方で、

 

クマが人間を襲う被害が

多発するという

 

痛ましい問題が

連日報道されています。

 

 

 

獣側の論理としては、

 

かつて森だった場所が

人間の生活圏となり、

 

餌場を失った熊が、

人間の世界に

踏み込まざるを得なくなっている。

 

そして、

ここに来れば

食べ物があるということを学んだ。

 

 

これは、

森を奪われた獣たちの

 

ある意味

「生きるための怒り」の表れとも

捉えられるのではないでしょうか。

 

 

 

 

人間側の論理としては、

 

命を守るため、

生活を守るため、

 

危険な個体を駆除せざるを得ない。

 

 

これは、

エボシ御前たちが

 

生存のために森を切り開いた

「やむを得ない業」と

同じ苦悩かもしれませんね。

 

 

映画で描かれた対立は、

まさしく現代の日本で起きている、

 

「共存の問題」

示していると言えます。

 

 

 

『もののけ姫』が

私たちに訴えかけたのは、

 

「共存は美しい理想郷ではない」という

厳然たる真実です。

 

 

 

​共存とは、

安易な「仲良しごっこ」ではなく、

 

互いの存在と、

それに伴う危険を認め合い、

 

互いの存在を尊重する。

 

「万物の霊長」として

生まれた人間にはその能力がある。

 

 

 

痛みと苦悩の中で、

 

 

それでも

「共に生きる道」

探し続けるという、

 

 

血の滲むような

覚悟を必要とすることなのです。

 

 

 

合氣道でいう「和合」とは、

単に調和するだけでなく、

 

対立する力を

すべて受け入れる

「器」を持つことなのです。

 

 

 

この映画は、

私たち現代社会を生きる

 

すべての人に、

自らの「生」と、

 

周囲のすべての

命との関係性を問い直し、

 

真の「共存の道」とは

何かを考えさせる、

 

決して簡単な道ではない、

不朽の問いかけなのですね。

 

 

 

「どうやった?お父さん」

「観て良かったやろ?」

 

 

次女からの問いかけに

「観て良かった。ありがとう!」

 

と素直に答えました。

 

 

 

「お父さんにちゃんと観てほしいねん」

 

 

 

この誘いがなければ、

 

もしかしたら、

この先も

観ることはなかったかもしれませぬ。

 

 

 

また、

ポップコーンが

こんなにも美味かったのかと思いました。

 

 

ワッハッハ。

 

 

 

 

 

 

今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-10-30 03:22:00

" 「下がる」から「飛べる」成長の法則 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

霜降【そうこう】次候

 

七十二候

第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)

10月28日~11月1日頃。ときどき小雨が降る頃。

小雨はすぐに止んでしまうような降っては止み、すぐに晴れるといった時雨(しぐれ)のことを指します。

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 「さが る」から「とべ る」せいちょう の ほうそく 』

 

" 良くなる前に「悪くなる」のは当たり前 "

 

 

この世の真理、

「天地大自然の法則」

 

理解していない人が

いかに多いか、と感じる日々です。

 

 

 

​私たちが

何か新しいことに挑戦する時、

 

あるいは

人生でこれまでと全く違った、

大きな道に進もうとする時。

 

 

必ず一度は

「反対の出来事」が起こります。

 

 

​良くなるためには、

その直前に一度、

 

その反対に

「悪くなる」現象を

経験せざるを得ません。

 

 

 

" 飛躍の直前には「ため」が必要 "

 

 

 

​これは

人生の中で、

 

自分が成長する過程において、

揺るぎない原理原則です。

 

 

​大きく飛躍し、

高く上がろうと思ったら、

 

一度、

深く膝を曲げ、

 

下に「下がらねば」

その反動で

大きく飛ぶことはできません。

 

 

この「下がる」局面を、

停滞や後退、

 

あるいは

失敗だと捉えてしまい、

 

手を止めてしまう人が

あまりにも多いように思うのです。

 

 

 

" 心と身体に起こる「好転反応」"

 

 

 

​特に、

「良くなる前には、一時的に悪くなる」

という現象は、

 

私たちの心身の営みの中で、

具体的なサインとしても表れます。

 

 

たとえば、

整体の施術などを

受けた後のことを考えてみてください。

 

 

長年の体の歪みを正し、

滞っていたエネルギーを

流し始めた直後、

 

一時的に体がだるくなったり、

痛みが増したりすることがあります。

 

 

​これを、

「好転反応(こうてんはんのう)」

呼びます。

 

 

身体は、

真に良い状態、「良くなる」ために、

 

一度、古い毒素や

悪い習慣によって

 

硬直した部分を

排出しようと

激しく活動を始めるのです。

 

 

この激しい

排出作用や調整期間を、

 

私たちは

表面的な感覚で

 

「悪くなった」

錯覚してしまいがちです。

 

 

人生や精神的な成長も全く同じです。

 

 

悪い習慣を断とうとする時の

強い葛藤や苦痛。

 

 

 

​新しい価値観を

受け入れた直後の、

一時的な人間関係の摩擦。

 

 

 

​これらは、

自分の心や人生が、

 

根本的に

「良くなろう」と必死で戦い、

身体をリセットしている証拠なのです。

 

 

 

合氣道を学ぶにも

入門時において、

 

 入会金を納め

道着を購入するといった、

 

初期投資が必要になりますね。

 

 

 

 

" 大飛躍を阻む「良くなりたい、悪くはなりたくない」という傲慢 "

 

 

 

​誰もが良くなりたいと強く願う。

 

しかし、

悪くはなりたくない、

 

わがまま、傲慢、怠慢な人は

辛い「好転反応」は受け入れたくない。

 

 

 

これは、

「天地大自然の法則」

真っ向から反する姿勢です。

 

 

 

このブログを毎日読んでくださる

賢者の皆さんなら、

 

「そんなこと、当たり前のことじゃないですか。」

 

そう思ってくださることでしょうね。

 

 

しかし、

そうではない人も多くいるのです。

 

 

 

実際に

私が合氣道を通じて、

 

その方の素質を評価して、

更なる成長、向上を願い、

 

ある提案を

させていただいた事があります。

 

 

そこで、その方に

「但し、軌道に乗るには少し時間もかかるし、少しの出費も必要になります」

 

そうお話したところ、

「そんな時間もお金もかかるなら、私はできません」

 

そう即答されました。

 

 

 

 

「痛みなくして成長なし」

 

 

 

痛みとは、

身体や心が新しいステージへ

 

移行する際の

摩擦熱のようなものです。

 

 

その摩擦から

逃げようとすれば、

 

熱は生まれず、

永久に現状維持のままです。

 

 

 

" 天地大自然の法則と合氣道の「受け身」の精神 "

 

 

 

​物理学的に見ても、

これは疑いようのない事実です。

 

 

上から物を下に落とせば、

地面に落ちて必ずはね返る。

 

 

 

​下がれば、必ず上がる。

 

 

 

​合氣道の稽古とは、

この法則を

「心と身体」で知ることでもあります。

 

 

 

​相手の「氣」が向かってきたとき、

力で押し返すのではなく、

 

あえて一度その「氣」

「沿って下がり(受け入れ)」、

 

その「下がる」という

運動の中に相手の力を飲み込み、

 

「臍下の一点」

増幅させてから、

 

その反動を利用して

「上げる(投げ返す)」のです。

 

 

 

 

"「反対の出来事」を歓迎する心 "

 

 

 

 

​もし今、

あなたの人生に、

 

あるいは

合氣道の稽古の中で、

 

望まない

「反対の出来事」や、

 

成長のための

「好転反応」が起こっているならば、

 

それは大きな飛躍の前の

「ため」だと捉えるべきです。

 

 

 

​不調や失敗は、

これまでのやり方を見直す

一時的な「沈み込み」の機会です。

 

 

辛い「好転反応」は、

心と身体が根本から改善に向かっている

確かなサインなのです。

 

 

 

​この原理原則を深く心に刻み、

「下がること」を恐れず、

 

「反対の出来事」を歓迎できる

心境こそ、

真の成長への道です。

 

 

 

 

​道場に来て、

失敗を恐れず、

何度でも転んで(下がり)ください。

 

転んだ分だけ、

必ず立ち上がり(上がり)、

 

大きく飛躍できるエネルギーが

必ず、蓄積されるのです。

 

 

 

上から物を落とせば

下に落ちる。

 

地面に落ちれば、

その反動ではね返って上がる。

 

 

 

この天地大自然の

絶対的大法則に

 

「ノー」と言える人は、

世界中で誰一人として、いないのでありまする。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2025-10-29 03:51:00

" 幕末の風情と合氣道、港区赤坂で感じる歴史の重み。「本氷川坂」編 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

霜降【そうこう】次候

 

七十二候

第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)

10月28日~11月1日頃。ときどき小雨が降る頃。

小雨はすぐに止んでしまうような降っては止み、すぐに晴れるといった時雨(しぐれ)のことを指します。

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

 

『 ばくまつ の ふぜい と あいきどう、みなとく あかさか で かんじ る れきし の おも み。「もとひかわざか」へん 』

 

 

 

​今夏の東京での

夏期集中稽古及び、

指導者育成練成稽古は、

 

港区赤坂にある

氷川武道場で締めくくりました。

 

 

この武道場は、

幕末の偉人である

 

勝海舟の邸宅跡という

歴史的な場所に建つ、

東京都港区立の施設です。

 

 

 

稽古に先立ち、

隣接する由緒ある

赤坂氷川神社を参拝しました。

 

 

ここは

かねてより参拝したかったお社です。

 

 

 

​赤坂氷川神社は、

天暦5年(951年)の創建から

1000年以上の歴史を誇る古社です。

 

 

 

御祭神は、

素盞嗚尊(すさのおのみこと)と

奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の

ご夫婦神、

 

そして

縁結びの神として知られる

大己貴命(おおなむぢのみこと)の三柱。

 

 

 

境内には

徳川八代将軍吉宗公によって

建立された社殿が、

 

幾多の震災や戦災を免れ、

江戸時代の姿を

そのままに今に伝えています。

 

 

都心とは思えないほどの

豊かな緑に囲まれた

静寂な空間は、

 

身も心も

清めてくれるかのようでした。

 

 

 

​参拝後は、

勝海舟が暮らした時代の面影を残す

 

「本氷川坂」(もとひかわざか)

歩きました。

 

 

 

「本氷川坂」は、

氷川神社の南西側を

 

アメリカ大使館宿舎に向かって上る、

ゆるやかにカーブを描く坂です。

 

 

 

かつて坂の途中の東側にあった

「本氷川明神」に由来し、

 

明治16年(1883年)に

この明神が赤坂氷川神社に

合祀された後も、

 

坂の名として

その歴史が刻まれ続けています。

 

 

 

勝海舟も

きっと何度もこの坂を

行き来したことでしょう。

 

 

その足跡を辿るように、

私たちを

古 (いにしえ) へといざなってくれました。

 

 

 

道場内に入ると、

勝海舟の旧邸宅跡という

歴史的背景に加えて、

 

複数の合氣道団体が

定期的に稽古に励む道場として、

 

武道の精神が

息づく空間となっていました。

 

 

 

この日の稽古は、

単に技を磨く場にとどまらず、

 

過去と現在が交錯する

特別な体験となりました。

 

 

 

​そして、

稽古の締めくくりには、

皆で静かに呼吸法を行いました。

 

 

 

技の鍛錬に加えて、

心身を整えるこのひと時は、

 

まさに

この場所が持つ

歴史の重みに身を委ねる時間となりました。

 

 

 

 

" 歴史に触れる "

 

 

 

本氷川坂を下ったところに、

勝海舟邸跡を示す標識がありました。

 

 

​海舟が最も華々しく活躍した

幕末から明治にかけて、

 

この地に

邸宅を構えていたのです。

 

 

 

幕末に作成された

古い住宅地図には、

 

氷川神社の隣地に

勝海舟の本名である「勝麟太郎」の

名前が記されているそうです。

 

 

 

また、

境内にある「四合稲荷」は、

 

勝海舟が四つの稲荷社を合祀し、

「しあわせ」

名付けたものだと言われています。

 

 

 

​歴史上の偉人が実際に住み、

行き来した場所に立つと、

 

まるで時空を超えたかのような

不思議な感覚に包まれます。

 

 

 

この日の稽古では、

歴史の重みに触れ、

 

心・技・体・氣を

さらに磨くことができたように感じます。

 

 

 

氷川武道場は、

ただ技を練磨するだけの

場所ではなく、

 

古に触れて、

先人が築いた歴史の上に

 

今、私たちが立っていることを

改めて感じました。

 

 

 

今後も、

稽古を通じて様々な学びを得て、

 

お弟子さんの皆さんと

分かち合っていきたいと思います。

 

 

 

令和7年の

夏期集中稽古及び、

指導者育成練成稽古の締めくくりに、

 

かねてより

私が巡りたかった「本氷川坂」、

 

ずっと参拝したいと思っていた

「赤坂氷川神社」

 

そして、

「氷川武道場」という場を

 

以心伝心、

 

私の想いを汲み取ってくれた

東京、神奈川の指導者たちに

心から感謝しています。

 

 

 

私などには

もったいない

 

こんな素晴らしい

お弟子さんたちと

 

また、

来年も稽古ができると思うと、

私は本当に幸せ者です。

 

 

 

 

そして、

私たちの

江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは

まだまだ続きます。

 

過去の坂巡りのエントリーはコチラから

↓↓↓

雁木坂

中坂

檜坂

狸坂

冬青木坂

七面坂

二合半坂

狸穴坂

乃木坂

大黒坂

鳥居坂

一口坂

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

 

2025-10-28 03:48:00

" 【道場長の警鐘】 親は見逃すな! 子どもの目にも宿る「心の無氣力」。合氣道で魂の輝きを取り戻す "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

霜降【そうこう】次候

 

七十二候

第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)

10月28日~11月1日頃。ときどき小雨が降る頃。

小雨はすぐに止んでしまうような降っては止み、すぐに晴れるといった時雨(しぐれ)のことを指します。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 【どうじょうちょう の けいしょう】おや は みのが す な!こども の め に も やど る " こころ の  むきりょく " 。あいきどう で たましい の かがやき を と り もど す 』

 

 

 

 

" 目に力がない(氣の流れの停滞)"

 

 

​大切な場面でも、

視線が虚空をさまよい、

 

まるで魂が

そこにないかのような

無氣力な目。

 

 

 

目力は、

その人の「生命力=氣」の表れです。

 

 

 

​人生や仕事に対する情熱が欠け、

他人への興味も無くなる。

 

といった「氣」が滞っている状態は、

共に何かを成し遂げようとする

力にはなりません。

 

 

 

その無氣力は、

周囲にも伝播し、

全体の活力を奪うことすらあります。

 

 

 

 

 

"「目に力がない」とは何か "

 

 

 

​ここで言う

「目に力がない」というのは、

 

単に内氣であったり、

疲労が溜まっているという

レベルの話ではありません。

 

 

それは、

その人の「生命の情熱」や

「他人への純粋な興味」といった、

 

心の内側にある

火が小さくなっている状態を指します。

 

 

 

こういった目を持つ人は、

人生に対する情熱が薄れ、

 

共に何かを

成し遂げようとする力が弱いものです。

 

 

 

重要な話をしている

にも関わらず、

 

その視線は虚空をさまよい、

まるで魂がそこにないかのように

感じられる。

 

 

その無氣力な態度は、

氣が停滞した状態であり、

 

周囲の活力を

吸い取ってしまうかのように

伝播してしまう危険性を持つのです。

 

 

 

 

 

"​【稽古の現場から】指導者が感じ取る子どもたちの「氣の停滞」"

 

 

 

​そして驚くことに、

この「目に力がない」サインは、

 

私が指導する

子どもクラスの稽古でも

時々、見られることがあります。

 

 

大人の場合は

「仕事や人間関係による疲労」や

「家庭や人生への不満」が

原因であることが多いように思います。

 

 

しかし、

どのような状況下においても

 

氣が滞って

問題が解決するようなことは

一切ないのです。

 

 

 

人生、生きていたら色々あります。

 

不満や心配事も

それはそれとして、

 

そんな時こそ、

無理矢理でも、楽しく愉快に

 

「氣を出す」ことを心がけましょう。

 

 

すると、

「あらっ、不思議」

 

心配事や不満の方が

勝手に何処かへ去ってしまいます。

 

 

 

 

ただ、

子どもの場合はより根深く、

 

「自発性の欠如」

「挑戦意欲の喪失」

原因である場合が少なくありません。

 

 

 

「しっかり目を合わせなさい」と

指導しても、

 

彼らの視線は

床や窓の外を彷徨います。

 

 

技の細かな注意や、

私が全身全霊で

 

伝えようとしている「心」が、

目のフィルターを通して

入っていかない。

 

 

それは、

私にとっても最も空しい瞬間です。

 

 

 

​一人の子どもの目が

輝きを失っていると、

 

その周辺にいる

子どもの集中力も

同時に落ちることも少なくありません。

 

 

 

道場全体の活氣、

「氣」の満ちた空間が、

 

その子の無氣力によって

乱されてしまうのです。

 

 

 

​この状態を放置することは、

道場に集まる

 

子どもたちの将来の情熱や、

挑戦する力を

奪うことにつながりかねません。

 

 

 

 

" 師範としての心得:目力を取り戻す指導 "

 

 

 

 

私たち指導者の役割は、

ただ技を教えるだけでなく、

彼らの心に再び火を灯すことです。

 

 

 

​まずは、

座学ではなく

 

身体を思い切り動かす

稽古を通じて、

 

停滞した「氣」を巡らせます。

 

 

大きな声を出し、

ぶつかり、

汗を流すことで、

 

身体から心に働きかけ、

無理やりにでも

生命の躍動を取り戻させます。

 

 

 

"「合わせる」ことの徹底 "

 

 

 

 

技の稽古だけでなく、

「相手の目を見る」

「指導者の目を見る」という

「合わせる」行為を徹底します。

 

 

 

目は心の窓です。

 

 

 

目を合わせることは、

他者への興味と敬意、

 

そして

自分自身の存在を

再認識させる重要な手段です。

 

 

 

目に力が宿るとき、

その子の生き方は、

 

再び情熱と好奇心に

満ちたものになるはずです。

 

 

私たち大人が、

まず目を輝かせ、

 

子どもたちの「氣」

呼び覚ます役割を担うことが

重要ではないでしょうか。

 

 

 

 

そして、

 

子どもたちの

 

「無氣力」や

「うつろな目」には

 

少なくとも

家庭環境が

 

影響している

ことを

 

親は

認識することです。

 

 

 

子どもはいつの時も

何らかのサインを発信しているのです。

 

 

それを見逃すな!

 

 

わが子が道場で

どのような表情で稽古しているのか?

 

 

「稽古に行っておいで」と言って、

 

親は子を放ってないで、

他人任せにして呆けてないで、

 

 

わが子の稽古を

しっかり見ることです。

 

 

心の状態を見るには

合氣道の技は

顕著にそれが表れます。

 

 

そこに " ごまかし " は一切ありません。

 

 

心の状態がそのまま

形や表情になって表れます。

 

 

 

私は合氣道指導者になって、

13年間、これを言い続けてきました。

 

 

 

しかし、

残念なことに

 

ありのままに申して、

 

それを

実践する親は

現在も皆無に等しいのです。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝