2026-02-11 07:50:00

" 建国記念の日 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 

今日は2月11日、

「建国記念の日」です。

 

 

「建国をしのび、国を愛する心を養う」

という趣旨の下に、

 

更なる国の発展を願う

国民の祝日です。

 

 

今日は

全国各地の神社で

「紀元祭(きげんさい)」

祭典が執り行われます。

 

 

 

 

「紀元祭」とは、

初代天皇である神武天皇が

即位された日を祝い、

国の安泰を祈るお祭りです。

 

 

 

神武天皇が

お祀りされているのは、

 

奈良県の

「橿原(かしはら)神宮」。

 

 

 

​この日、

宮中や全国の神社では、

 

この橿原神宮の

方角に向かって拝礼する

 

「遥拝(ようはい)」

行われます。

 

 

 

 

遠く離れていても、

想いをその場所へ馳せ、

深く頭を下げる。

 

 

 

これは、

私たちの国が始まった

「原点」を確認することでもあります。

 

 

 

 

​私たち

合氣道を学ぶ者にとっても、

 

この「遥拝」の心

非常に通じるものがあります。

 

 

 

道場に入り、礼をする。

お互いに礼をする。

 

 

 

その所作の一つひとつは、

単なる形ではなく、

感謝と敬意の表現です。

 

 

 

 

​今日は「国の礎(いしずえ)」、

奈良の橿原の方角を意識してみましょう。

 

 

 

自分がいま

立っているこの場所と、

 

遥か昔から続く

歴史の原点が、

 

一本の線で

繋がっている感覚。

 

 

 

その繋がりを感じることで、

身体の軸(中心)もまた、

自然と整います。

 

 

 

「国を愛する心を養う」

という言葉。

 

 

 

 

「繋がりを大切にする心」

 

 

 

先人との繋がり、

自然との繋がり、

そして目の前の稽古相手との繋がり。

 

 

 

相手と争うのではなく、

和合する。

 

 

 

 

その合氣道の精神

そのものが、

 

日本の風土が育んだ

「和の心」であり、

 

国を愛することの

実践だと私は思います。

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-02-10 03:28:00

" 【古を歩く】 伝説の武将が歩いた道。 綱の手引坂 編 "

今朝目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 

本日は、二十四節氣

立春(りっしゅん)次候

 

七十二候

第ニ候 黄鴬睍睆(うぐいすなく)

2月9日~13日ごろ。

春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれる

ウグイスが、春の到来を告げるように

山里で鳴き始めるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

​『 ​​​【いにしえ を あるく】 でんせつ の ぶしょう が あるい た みち。 つなのてびきざか  へん 』

 

 

 

 

 

※前回の記事はコチラ

 

さて、お正月の東京出張

坂道巡りの続きです。

 

 

東京という街は、

コンクリートのジャングルの

ように見えて、

 

一歩路地に入ると

江戸の骨格が

 

そのまま

残っていることに驚かされます。

 

 

 

​以前から、

私がどうしても訪れたかった場所。

 

 

 

それが

港区三田 (みた) にある

 

「綱の手引坂(つなのてびきざか)」です。

 

 

​地下鉄都営三田線三田駅、

JR田町駅から徒歩約3分ほど、

 

港区三田一丁目四と

二丁目六の間にある坂道です。

 

 

 

平安時代の勇猛な武将、

源頼光の四天王の一人である

 

「渡辺綱(わたなべのつな)」

由来するこの坂。

 

 

 

渡辺綱は

鬼の腕を切り落としたなど、

 

英雄伝説として

名を残した武将ですね。

 

 

 

この「綱の手引坂」という

ユニークでインパクトのある

坂名の由来は、

 

彼がこの地で生まれ、

幼少の綱が、

 

姥に手を引かれて

この坂を行き来したことから

名付けられたとか。

 

また「姥坂(うばざか)」と

呼ばれていたという説もあります。

 

 

 

大都会 東京の真ん中、

オーストラリア大使館、

綱町三井倶楽部の道沿いに

ひっそりと佇むこの坂道。

 

 

 

 

一歩足を踏み入れると、

そこだけ空氣が

凪 (な) いでいるような、

不思議な静けさがありました。

 

 

 

その静かな坂道を

ただ景色を眺めて

歩くのではありません。

 

 

 

 

かつて

この急坂 (きゅうはん) を、

 

踏みしめた

人々の身体感覚を想像するのです。

 

 

 

現代の私たちが履く靴は、

特に指先に意識を置かなくても

脱げることはありません。

 

 

 

しかし、

その結果、

 

私たちの姿勢が

踵よりの不安定な姿勢を

 

作り出した原因でもあると、

私は思っています。

 

 

 

 

 

話を元に戻すと、

 

当時の

雪駄や下駄、

草鞋といった履物は

 

常に指先に意識がなければ

簡単に脱げてしまう。

 

 

 

おそらく、

臍下の一点を据え、

重力に逆らわず、

 

全身の重みが

自然と軽く母趾球にかかり

大地を踏みしめていたはず。

 

 

 

 

そして何より、

この「手引き」という名前。

 

 

 

 

これこそ、

人生にも合氣道にも通じる

極意ではないかと感じ入りました。

 

 

 

 

​馬であれ、鬼であれ、

何かを「引く」時。

 

力任せに引っ張れば、

相手は抵抗し、綱は切れます。

 

 

 

相手の心を感じ、

氣を合わせ、

 

抵抗させないように

導くことで

 

はじめて、

重いものも動かすことができる。

 

 

 

まさに「導き」です。

 

 

 

 

 

そんなことを考えながら、

私たちがこの急坂を下っていた、

ちょうどその時のことです。

 

 

 

​一台の自転車が

風のように私たちを追い抜き、

坂を下っていきました。

 

 

お母さんです。

 

続いて、

小学低学年くらいの男の子が、

 

小さな自転車で

一生懸命に後を追っていきます。

 

 

 

​先を行くお母さんは、

坂の下まで降りきったところで

自転車を止め、

 

振り返って

じっとお子さんを待っていました。

 

 

 

やがて

追いついた少年と、

 

ふたこと三こと、

言葉を交わす二人。

 

 

 

 

お母さんの眼差しが、

見えない糸で

少年をふわりと引き寄せ、

 

安全な場所へと導いた、

そんな温かな光景でした。

 

 

 

 

 

二人はまた軽やかに、

ペダルを漕いで

走り去っていきました。

 

 

 

​その

あまりに自然な阿吽の呼吸。

 

 

 

 

隣で

案内をしてくれていたお弟子さんと、

思わず顔を見合わせました。

 

 

 

「まるで、姥(うば)が幼い綱の手を引いているようですね…」

 

 

 

一千年の時を超え、

目の前の親子の姿が、

 

この坂の名の由来と

完全にリンクした瞬間でした。

 

 

 

 

形は見えずとも、

そこには確かな

「手引き (導き) 」があった。

 

 

 

 

古の伝説が、

現代の日常の中にふと蘇る。

 

 

その不思議な巡り合わせに、

私たちは静かな感動を

覚えずにはいられませんでした。

 

 

 

 

​何百年、何千年も前の

武将、侍、庶民が、

 

この坂で何を感じ、

どう「心と身体」を使っていたのか。

 

 

 

 

石垣の苔や、風、

場に流れる氣、

足裏から伝わる地面の凹凸。

 

 

 

そういった情報

すべてを五感で受け止めること。

​感性を磨くこと。

 

 

 

​道場の畳やマットの上だけが

稽古場ではありません。

 

 

 

 

歴史ある坂道を歩き、

先人の息吹に

耳を澄ませることもまた、

 

合氣の心を養う

大切な時間なのだと、

この坂は教えてくれました。

 

 

 

皆さんも、

近くにある「古」を探して

歩いてみてはいかがでしょうか。

 

 

きっと、

新しい感性が開くはずですよ。

 

 

 

 

 

 

さて、

次はどの坂が、

私たちを待っているのでしょうか。

 

 

 

 

​古の江戸を歩く旅、

まだまだ続きます。

 

 

 

 

​過去の坂巡りのエントリーはコチラから

↓↓↓

雁木坂 中坂 檜坂 狸坂 冬青木坂

七面坂 二合半坂 狸穴坂 乃木坂

大黒坂 鳥居坂 一口坂 本氷川坂

芋洗坂 饂飩坂 永坂 於多福坂 鼠坂

植木坂 日向坂 神明坂

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-02-09 03:50:00

" 喝采の影にある「一憂」に、心を澄ませているか "

今朝目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

今週もよろしくお願いします。

 

 

 

本日は、二十四節氣

立春(りっしゅん)次候

 

七十二候

第ニ候 黄鴬睍睆(うぐいすなく)

2月9日~13日ごろ。

春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれる

ウグイスが、春の到来を告げるように

山里で鳴き始めるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

​『 ​​​かっさい の かげ に ある「いちゆう」に、こころ を すませて いる か 』

 

 

 

 

 

先の衆議院選挙。

 

 

街頭で候補者の演説に

耳を傾ける機会がありました。

 

 

候補者は、

自分の信じる正義を、本心を、

 

全身全霊で

聴衆に向けて熱弁していました。

 

 

 

その氣迫に呼応するように、

集まった大勢の支持者からは

 

「そのとおりだ!」と

大きな拍手が湧き起こる。

 

 

 

熱狂と一体感。

 

 

 

その場は、

強烈な「陽」のエネルギー (氣) に

満ちていました。

 

 

 

しかし、

ふと周囲を見渡した時です。

 

 

 

 

大勢が「一喜」するその隣で、

複雑な心境で

 

その話しを聞いている

人の姿が目に留まりました。

 

 

 

昨今、社会問題になっている

大声で叫びながら

 

演説の妨害をする輩とは

明らかに違う。

 

 

 

 

 

真剣にその候補者の話を聴いて、

 「それは少し違うのではないか」

 

 

言葉には出さずとも、

その表情、立ち姿からは、

 

周囲の熱狂とは異なる

「一憂」の氣配が漂っていました。

 

 

 

ごく少数かもしれない。

 

たった一人かもしれない。

 

 

 

 

でも、

その人が抱える違和感もまた、

 

その人にとっては

紛れもない真実なのです。

 

 

 

 

​場が熱狂に包まれた

拍手喝采の中で、

 

 

ふと空を見上げると、

 

 

 

 

「こういうことにも、

きちんと心を向けなさいよ」

 

 

 

 

そう、天地が

私に教えてくれたように感じました。

 

 

 

 

私たちが生きる

この世の中は「相対的」な世界です。

 

 

 

 

合氣道では一つの技で

 

入身(いりみ)と

転換(てんかん)という

 

二通りの投げ方を学びます。

 

 

 

それを

「表(おもて)」と「裏(うら)」と

呼ぶように、

 

物事には必ず両面があります。

 

 

 

 

強い光が当たれば、

必ず濃い影ができる。

 

 

プラスがあれば、

マイナスがある。

 

 

 

 

そのどちらか一方が

正しいのではなく、

 

日なたも日陰も、

どちらもが等しく「世界の真実」です。

 

 

 

 

どうしても私たちは、

自分に賛同してくれる人、

 

拍手を送ってくれる

「光」の側に心を奪われがちです。

 

 

 

 

けれど、

合氣道の求道者として、

あえて問いたい。

 

 

 

 

熱狂の中で

かき消されそうになる、

 

その小さな「一憂」に、

どれだけ寄り添うことができるだろうか。

 

 

 

それはとても難しいことです。

 

 

 

 

さはさりながら、

難しいからこそ、

 

その微かな氣配にも心を配れる

「心の余裕」が必要なのだと思います。

 

 

 

 

​大勢の拍手よりも、

一人の沈黙に耳を澄ませる。

 

 

 

 

そんな自分への戒めを、

選挙の喧騒と2月の冷たい風の中で、

強く感じた一週間でした。

 

 

 

 

道場での稽古も同じです。

 

 

 

 

投げと受け。

 

 

 

その目に見える

表層的なことだけでなく、

 

その奥に隠された

部分まで包み込めるような、

 

そんな『ぼくらの合氣道』を

共に探求していきたいものです。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-02-06 03:33:00

" 感性は「鬱屈」の中にこそ宿る。弟子に伝えた感性の磨き方 "

今朝目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

立春(りっしゅん)初候

 

七十二候

第一候 東風解凍(はるかぜこおりをとく)

2月4日~8日ごろ。

東から暖かい春風が吹いてきて、

厚い氷をゆっくり解かし始めるころ。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

​『 ​​​かんせい は「うっくつ」の なか に こそ やどる。でし に つたえた かんせい の みがき かた 』

 

 

 

 

 

不肖私が抱く

合氣道哲学の根底にあるもの。

 

 

 

それは、

 

「合氣道とは、闘争技術ではなく、

人間としての『感性』

磨き上げるための道である」

 

という確信です。

 

 

 

私が心から敬愛し、

仰ぎ見る大先輩は

深淵な感性をその身に宿しておられます。

 

 

その大先輩にとって合氣道とは、

道場の中だけで完結するものではなく、

 

人生そのものの在り方として

昇華されているのです。

 

 

 

​一方で、

技の形状――いかにして投げるか、

 

いかにして関節を極めるか―

のみに固執する人はどうでしょうか。

 

 

彼らの眼には往々にして

「相手を倒してこそ」という、

 

勝敗や優劣に囚われた

刹那的な景色しか

映っていないように見受けられます。

 

 

 

 

先月、東京へ出張した際のことです。

 

 

 

 

ある日の稽古の終わりに、

私はその日道場に集まった

 

お弟子さん方に

向けてこう話しました。

 

 

​「合氣道というものは、感性を磨くことで上達するものです」

 

 

​その日の稽古が終わり、

皆が着替えを済ませて

帰り支度をしている時のことです。

 

 

一年ほど前に入門した

ある熱心な二十代の

女性のお弟子さんが、

私の元へ歩み寄ってきました。

 

 

 

彼女は真剣な眼差しで、

こう質問を投げかけてきたのです。

 

 

「先生、どうしたら

その感性を磨く稽古ができますか?

普段の生活で

何をすれば良いのか教えてください」 ​

 

 

 

なんて素直な

お弟子さんでしょうか。

 

 

 

経験上、

こういう「素直さ」

持っている人は、必ず伸びます。

 

 

 

学びを吸収する

心のスポンジが柔らかいからです。

 

 

 

そこで私は、

実際に私が長年実践していること、

 

そして私が大切にしている

「生き方」そのものを、

彼女に包み隠さず教えました。

 

 

 

「感性」とは何か ​。

 

 

 

そもそも感性とは、

印象を受け入れる能力であり、感受性。

 

また、感覚に伴う

感情・衝動や欲望のことです。 ​

 

 

 

 

合氣道の組技の稽古は

相手がいます。

 

 

その相手の表情や

立ち居振る舞い、

 

また相手に手を持たせたとき、

持ったときに

 

ほんの微細なことを

感じ取れるか。

 

 

 

 

私ごときが

僭越ではございますが、

 

それを感じ取れて

初めて相手の氣を

導くことができると私は思っています。

 

 

では、その感性を磨く稽古は

道場だけでするものでしょうか?

 

 

 

もちろん道場においても

少しづつ深めて行くことができますが、

 

やはり道場以外の

日常において

 

どれだけその稽古をするか

ではないでしょうか。

 

 

 

" 私流・日常を「稽古場」にする方法 "

 

 

私が実践している

具体的な「日常の稽古」は、

 

想像力を働かせ、

勝手にストーリーを作ることです。 ​

 

 

 

たとえば、

東京出張の際の新幹線の車内。

 

隣近所の人を見て想像します。

 

「この人は今からどこへ何をしに行くのか」と。

 

 

 

車窓から見える

風景も稽古相手です。

 

 

信号待ちをしている

車の運転手、

 

スーパーに出入りする

自転車や歩行者を見て、

 

「ああ、この人たちは何を買うのだろうか?今晩の食材か?」

 

「育ち盛りの子どもに明日持たすお弁当の食材を買ってきたのか?」

 

 

「自転車でこれからどこに行くのか?」

 

「仕事へ行くのか?帰宅するのかなあ?」

 

 

 

 

そうやって自分なりに

勝手にストーリーを作ってみるのです。 ​

 

 

 

 

また、

文化に触れることも大切です。

 

 

 

色んな分野の

色んな著者の本をたくさん読む。

 

色んな分野の

アーティストの音楽を聴く。

 

好む好まざるに関わらず、

あらゆるジャンルの映画を観る。

 

落語を聴きに寄席に行く。

 

 

 

そして、

ただ見るだけではありません。

 

 

氣に入ったドラマや

映画の俳優の台詞や言い回し、

表現の仕方を

 

誰かと会話する時に

実際に使ってみるのです。

 

 

氣に入った映画等で

実際に使われた場所に

行ってみることもあります。

 

 

俗に言う

「聖地巡礼」とは少し違います。

 

 

その場所で

今度は自分が映画監督に

なったつもりで

 

自分のオリジナルストーリーを作って、

そのワンシーンを

思い浮かべるのです。

 

人の真似ではダメ。

 

あくまで

完全オリジナルストーリーです。 ​

 

 

 

 

ほんの一部ですが、

こんなことも実践しています。

 

私は子どもの頃から

「怪談」が大好きでした。

 

人一倍怖がりのくせに

怖い話は聴きたくなるのです。

 

 

ただ大人になるにつれ

「怪談=怖いだけの話」だと思い、

 

怪談なんて子どもじみた

ものだと思って

見聞きもしなくなっていました。 ​

 

 

 

それが数年前に

" 宇津呂鹿太郎 " 

(うつろ しかたろう)さんという

 

怪談作家のツイートが

X(旧Twitter)で

タイムラインから流れてきました。

 

 

その投稿にはこうありました。

 

 

 

「怪談はただの怖い話ではなく、それは日本の文化だ」

 

 

 

なるほど!

素直な(笑い)私は早速、

宇津呂鹿太郎さんをフォローし、

 

何冊か著書も拝読し

数回怪談のイベントにも足を運びました。

 

 

怪談というのは

感性を磨くのに適しているのです。

 

 

話を聞くだけの

想像であるからです。

 

 

見えないものを観る力、

氣配を感じる力。

 

 

これは合氣道に通じます。

 

 

 

この「あっ、そうか!」と

素直にすぐに

行動することが大事なのです。

 

 

 

 

そしてもう一つ。

 

 

 

それは、

現在ご覧いただいている

 

このブログ

「ぼくらの合氣道」の執筆です。

 

 

 

下書き保存も含めれば、

その数は800件(令和8年2月現在)を

超えました。

 

 

 

たとえ睡眠時間が

1時間しか取れない

過酷な状況であっても、

 

私は平日の毎日、

午前3時に身を起こし、

スマホに向かいます。

 

 

漆黒の静寂の中で、

己の感覚を言葉として刻み込む。

 

 

 

この孤独な

作業の積み重ねは、

 

道場の畳の上だけでは

決して到達し得ない

 

精神の領域を

私に教えてくれています。 ​

 

 

 

 

また、

私は常日頃、

 

物事を深く

突き詰めて考える性分(しょうぶん)です。

 

 

 

それゆえ、

独りになった時、

 

ふと得体の知れない

「鬱屈 (うっくつ)」

 

苛まれる (さいなまれる)

ことがあります。

 

 

 

誤解しないで

いただきたいのは、

 

これは氣が枯渇 (こかつ) している

わけではありません。

 

 

 

氣は満ち満ちている

にも関わらず、

 

心に重い霧が

かかったように

物憂げ (ものうげ) になるのです。 ​

 

 

 

 

私は

今も未熟者ではありますが、

 

さらに未熟であった

若き日の私は、

 

そのような自身の弱さを

情けないと恥じていました。

 

 

 

不肖私、

道場や人前では

決してそのような影は見せません。

 

 

 

鬱屈が訪れるのは、

決まって孤独な刻(とき)です。 ​

 

 

 

しかし、

今になって

ようやく氣づいたのです。

 

 

 

 

光が強ければ

影もまた濃くなるように、

 

そうした

物憂げな心のひだに

触れる時間こそが、

 

「感性」を研ぎ澄ます

砥石になるのではないか、と。

 

 

 

孤独を知り、

己の弱さと対峙するからこそ、

 

他者の痛みを

我がことのように感じ取り、

 

相手の立場を

真に尊ぶことが

できるのではないでしょうか。 ​

 

 

 

 

私は、

傲慢 (ごうまん) で

独りよがりな、

 

わがままで

あつかましい人間にだけは

なりたくない。

 

 

人様の厚意に甘え、

あぐらをかくような人間にだけは、

死んでもなりたくない。

 

 

 

 

あの一人の

時間の鬱屈や物憂げは、

 

私がそうならないための、

神様が与えてくれた

 

「戒め」であり

「人生の稽古」なのです。

 

 

 

 

そうであるならば、

清濁 (せいだく) あわせ飲み、

 

私はただやるべきことを

淡々と遂行するのみです。

 

 

 

 

 

その日、

稽古の後に質問をしてきた

お弟子さんを含め、

 

6名のお弟子さん方が

帰らずに道場に残ってくれました。

 

 

 

私たちは、

差し入れにいただいた

熱々の「たい焼き」を頬張りながら、

 

車座 (くるまざ) になって

語り合いました。

 

 

 

甘い餡の香りが漂う、

道場での

 

とても貴重で

温かな時間でした。

 

 

 

 

 

​このブログは

不特定多数の方に向けて

発信しているため、

 

私の実体験

すべてを詳らか (つまびらか) に

ここに記すことはできません。

 

 

しかし、あの日道場で、

私は自身の泥臭い実体験や、

 

心の葛藤も

ありのままに吐露 (とろ) しました。

 

 

 

ここに残ってくれた

お弟子さん達には、

 

合氣道の技を超えた、

 

私の「生き様」そのものを

伝授するのが

 

師としての

責務だと感じたからです。

 

 

 

 

​私がその時に

話せるすべてを語り終えた時、

 

ふと見ると、

最初に質問をしてきた

 

あの女性のお弟子さんが、

ハラハラと涙を流していました。

 

私の拙い (つたない) 言葉の

何かが、

 

彼女の琴線 (きんせん) に

触れたのでしょう。

 

 

 

 

その清らかな

涙の姿は、

 

今も私の網膜に

焼き付いています。

 

 

​この日本女子は

もう既に、

素晴らしい「感性」の持ち主です。

 

 

 

その感受性をさらに磨き上げ、

やがては良き指導者として

 

後進を導く

光となっていただきたい。 ​

 

 

 

 

感性を磨く道に、

唯一絶対の正解はありません。

 

 

 

「私のやり方を真似しろ」などと

強制するつもりも夢ございませぬ。

 

 

 

 

あくまで

不肖私の実践経験を

一つの道標として、

 

「なるほど、そういう磨き方もあるんだな」と

捉えていただければ幸いです。 ​

 

 

 

そして、

ご自身なりの

「感性の磨き方」を発見し、

 

それを弛(たゆ)まず

実践していっていただきたい。

 

 

 

その日々の

積み重ねの先にこそ、

 

合氣道、いや

「生きるとはこういうことなんや」

 

という人生の真髄に

触れる瞬間が訪れることを、

 

僭越なから

私は切に願ってやみません。

 

 

 

 

 

今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝

2026-02-05 03:52:00

" 【古を歩く】 千年の祈りを包む、現代の社。 神明坂 編 "

今朝目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

立春(りっしゅん)初候

 

七十二候

第一候 東風解凍(はるかぜこおりをとく)

2月4日~8日ごろ。

東から暖かい春風が吹いてきて、

厚い氷をゆっくり解かし始めるころ。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

​『 ​​​【いにしえ を ある く】 せんねん の いのり を つつむ、げんだい の やしろ。 しんめいざか へん 』

 

 

名は体を表し、

歴史は坂に宿る。

 

その声を聴くのも

稽古のひとつ。

 

 

静けさの中にこそ

本当の強さは宿る。

 

​中心となる臍下の一点に

心を鎮めて。

 

 

 

 

お正月の東京出張、

江戸の面影を追う坂道巡り。

 

 

 

​麻布台ヒルズの摩天楼を見上げ、

「鼠坂」で身を屈めるような

古の氣配を感じ、

 

「植木坂」を経て、

 

「日向坂」

オーストラリア大使館からの

開放的な陽の氣を浴びました。

 

 

 

その陽だまりの余韻を感じながら、

私たちは次なる場所、

 

 

 

「神明坂(しんめいざか)」へと

歩みを進めました。

 

 

港区三田一丁目。

 

 

日向坂を登り切った先、

オーストラリア大使館と

 

三井倶楽部の間の交差点を、

北へと下る坂道。

 

 

 

この坂の名は、

坂の途中にある神社、

「元神明宮(もとしんめいぐう)」

(天祖神社)に由来するといわれています。

 

 

坂を下り、

そしてまた上るような地形。

 

 

その中腹に、

不思議な空間が現れました。

 

 

一見すると、

現代的なコンクリートの建築物。

 

 

 

しかし、

そこから漂う空氣は

紛れもなく「神域」のそれです。

 

 

「元神明宮」。

 

 

 

その歴史は古く、

創建は平安時代、寛弘二年(1005年)。

 

 

一千年以上の

時を刻む古社であり、

 

かつては

武将・渡辺綱(わたなべのつな)も

祈りを捧げた場所とされています。

 

 

「神明(しんめい)」とは、

天照大御神(あまてらすおおみかみ)のこと。

 

 

 

なぜ、ただの「神明宮」ではなく

「元(もと)」が付くのか。

 

 

 

そこには、

この坂の名の重みとなる

歴史のドラマがありました。

 

 

 

江戸に入府した

徳川家の命により、

 

神宝・御神体が

飯倉神明(現在の芝大神宮)に移される際、

 

古くから

この地を守ってきた

 

氏子、崇敬者たちは、

これに応じませんでした。

 

御神体を隠し奉り、

昼夜を徹して警護し続け、

 

この地が

信仰の「元(オリジン)」であるとして

守り抜きました。

 

 

その強い熱意は、

現代的な社殿となった今も

変わらずここに在ります。

 

 

 

コンクリートの

モダンな外観の中に、

 

大切に包み込まれた

伝統的な木造の本殿。

 

 

 

それはまるで、

時代の変化の中でも

 

決して失ってはいけない

「中心」を

静かに抱いているかのようです。

 

 

 

合氣道で大切にしているのは、

相手と力で争うことではありません。

 

無理に力を込めて

踏ん張ることでもありません。

 

 

大切なのは、

自らの根底にあるもの (中心) を

守り崩さぬこと。

 

 

 

臍下の一点(せいかのいってん)に

心を静める。

 

ただそれだけで、

心身は統一され、

 

何事にも動じない

「不動心」が生まれます。

 

 

 

元神明宮の氏子たちが、

権力に対して

 

力で対抗したのではなく、

「守るべきもの」に

心を寄せ続けたように。

 

 

 

私たちもまた、

外からの力に反応して

身体を固めるのではなく、

 

自分の中心にある一点に

静かに心を置くことが大切です。

 

 

 

この「神明坂」の、

新しさと古さが同居する

景色の中を歩くとき、

私たちの足裏は何を感じているか?

 

 

アスファルトの下に眠る

千年前の土の記憶。

 

 

そして、

一点を守り抜いた人々の

揺るぎない強さ。

 

 

 

 

近代的な

ビルの谷間にあっても、

 

ここには

清冽 (せいれつ) な

氣が流れています。

 

 

 

外側が

いかに変わろうとも、

 

臍下の一点さえ

静まっていれば、

 

私たちは

どんな時代でも

調和していける。

 

 

 

元神明宮の佇まいから、

そんな「生き方」の極意を

 

改めて

教わったような氣がします。

 

 

 

麻布台ヒルズから始まり、

鼠坂、植木坂、日向坂、

そして「神明坂」へ。

 

 

東京という大都会の

レイヤー(層)の深さを味わった、

 

新年の素晴らしい

稽古となりました。

 

 

 

古を歩くことは、

己の「元」を確かめること。

 

 

皆さんも、

東京の坂道で

 

静かなる歴史の声に

耳を澄ませてみませんか?

 

 

 

 

 

【追記】

" 神様からの予期せぬギフト "

 

 

元神明宮で参拝を終え、

清々しい氣持ちで御朱印を拝受しました。

 

ふと、

「おみくじを引いてみようか」

という流れに。

 

今回、

忙しい合間を縫って

案内してくれた弟子と二人、

心を静めて箱に手を伸ばします。

 

手渡された紙を

そっと開くと……

 

なんと、

二人揃って「大吉」。

 

示し合わせたわけでもないのに、

同じ場所で、

同じ運氣を引き寄せる。

 

これもまた、

互いの氣が響き合い、

波長が合っている証拠なのでしょう。

 

「迷わず、その道を行け」

 

神様から、

そんな力強いエールをいただいたようで、

 

思わず顔を見合わせて

喜びの笑みがこぼれました。

 

ありがとうございます。

 

 

幸先の良い、

一年の始まりです。

 

 

 

 

さて、

次はどの坂が、

私たちを待っているのでしょうか。

 

 

 

 

​古の江戸を歩く旅、

まだまだ続きます。

 

 

 

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝