" 正義と公平、そして決断 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『正義と公平、そして決断』
昨日、
兵庫県知事選挙の
期日前投票に行ってきた。
" 県選挙管理委員会は
知事選告示翌日の
1日から10日までの
10日間の期日前投票の状況は
県内の投票者数は38万3694人で、
有権者数 (選挙人名簿登録者数)の
7.4%となり、
令和3年の前回選の
同時期と比べると
約10万5千人多い "
とネットニュースは報じている。
今回の県知事選は
異常な混乱の中の
選挙であることは否めない。
一方で、これほど
県民の関心が高い、
熱を帯びた県知事選は
なかったのではないだろうか。
関心は私達
兵庫県民にとどまらず、
日本中が注目している県知事選だ。
本来、選挙とは
立候補者の政策を基準に
私達、有権者は一票を投じる。
しかし、
今回の県知事選では
政策よりも
" デマ、捏造 、誹謗中傷 "で
大混乱している現状だ。
有権者は
どう判断すれば良いのか。
何が起こっていて、
何が真実なのか。
その真実をテレビ、新聞は
報じれば良いだけ。
真実は一つだけだ。
それをありのままに教えてくれよ!
有権者が求めているのは
それだけなんだよ!
選挙が終わってからじゃ、
遅いんだよ!
マスコミは
" 公平無私 "
一方に偏らず平等で、
私的な感情や利益を交えない、
公平無私な態度であるべきだ。
それとも何か
有権者に知られては
マズイことや
自分たちが不利益に
なることでもあるのか?
また兵庫県議会も腐っている。
公用パソコンのデータを
公表すべきだ。
百条委員会で
片山副知事とみられる男性が、
元局長が使用していた
公用パソコンに保存されていた
内容について、
「倫理的に問題がある文書」の
説明に入ると、
百条委の奥谷委員長と
みられる男性の声で
片山氏の発言を
かき消すかのように
証言を中止するよう求めた。
斎藤元彦前知事の
パワハラが元局長の自殺の
原因であるかのように
連日、テレビ、新聞は報じた。
もう有権者の多くは
「それは違う」と
分かっているぞ。
何故、
公用パソコンに保存されていた
「倫理的に問題がある文書」や
データを公表できないのか。
それはプライベートであるというが、
そもそも、
公用パソコンをプライベートで
使って良いのか。
その中身が何なのか。
兵庫県議会もマスメディアも
わかってるんだろ。
子どもに見せることができ
ないような画像やデータが
入ってるんだろ。
不倫日記って一体何ですか!
違うと言うなら公表してくださいよ。
兵庫県民と有権者を
馬鹿にしすぎではないのか。
テレビ、新聞のマスメディアは
嘘はつかない。
でも、
真実を隠す。偏向、隠蔽する。
都合の悪いことは報道しない。
今や若者の多くが
テレビ、新聞は見ない。
私は還暦を過ぎたとこだが、
私達の世代が居なくなれば
このマスメディアは
もっと衰退することは確実だ。
衰退ならまだましか。
消滅するかもしれないですよ。
今からでも遅くはないよ。
真実をありのままに報道する
テレビ、新聞に生まれ変わったら
また視聴者も増えるよ。
オールドメディア、
明日なき産業、
マスゴミなどと、
揶揄されなくなるよ。
国民の目線に立って
国民のためのメディアに
なることしか、
生き残れる道はないと思うよ。
閑話休題、
公用パソコンなんでしょ?
公用であるなら、
それは兵庫県民のものですよ。
私達、兵庫県民の税金ですよ。
私物ではありませんよ。
公用なら私達兵庫県民は
その問題のパソコンのデータの
中身を知る権利はあるだろ。
それを包み隠さず、
一切を公表してから
選挙をすべきだ。
それが公平な選挙だ。
そうでなければ
斎藤前知事が
あまりにも不利益だ。
私は斎藤前知事の
支持者ではありません。
でもね、
どこの政党、企業、団体の
支持も受けられず、
ひとりぼっちで
朝の須磨駅に立って、
深々と県民の皆さんに
頭を下げる姿を
テレビで見たとき、
" 勇氣のある人だな " と思ったよ。
それをテレビ、新聞は
哀れな姿というような
報道をしていた。
そして知事失職後も
再び、県知事選に
立候補すると知った時に、
これは何かあるなと思ったよ。
テレビ、新聞の報道に
隠された何かがあるなと思った。
だって、普通はもう辞めるよ。
あそこまで叩かれて、
再び選挙で勝てるはずないよ。
組織票がゼロなんだから。
誰だってわかるよ。
それでも、
自分がやってきたことに
何ら間違いはない、
改革の道半ばで、
失職せざるおえなかった、
まだまだ、やるべきことがある。
だから再び、立候補したんだよ。
斎藤前知事の
神戸大丸前の街頭演説に
行ってみた。
それは、それは凄い人の数だった。
元町商店街側と
神戸大丸側に
凄まじいほどの聴衆だった。
党の支援がないから、
動員かけてない。
動員かけずに
これだけの人が
斎藤前知事の街頭演説を
聴くために集まってきた。
これが民意なんだと思うよ。
それを11月15日
今朝のネットニュースでは
その聴衆も加工した疑惑がある、
あたかも膨大な聴衆に
見せかけている、
などと報道している。
もうほんとに
恥ずかしくないのかね。
そこまでして
県議会、22人の兵庫県の市長、
マスメディアは
斎藤=悪であるとのイメージを
県民に植え付けたいのか。
N党の立花孝志さんの
街頭演説も動員かけずに、
神戸ハーバーランドの
神戸新聞本社前での
街頭演説も凄い人の数だった。
有権者のみんなが
自分の自由意思で集まってきた。
私も含めて、
兵庫の有権者が
聞きたかったこと、
知りたかったことが
そこにあるから、
みんな集まったのだ。
みんな
本当のことを知りたい。
それだけなんだよ。
そして、
選挙はフェアでなければ
いけないんだよ。
正義って一体なんなんだ。
本当のことを知って、
あとは有権者がどう判断するかだ。
斎藤前知事を擁護する
デマや捏造がネット上に
流言飛語しているとの
大手各社のネットニュースとは違い、
この東スポの記事は
良心的で
ありのままに事実を報道している。
東スポさん、
本当のこと報道してくれて
ありがとう。
どんな戦いであろうと、
まるで " 孫子の兵法 " 如く
勝って戦うだとか、
戦わずして勝つとか、
私はこれに反対だ。
そんな中国の戦い方なんぞ、
真似しなくても
日本人は
正々堂々と真正面から
思い切り戦えよ。
誹謗中傷や
相手を見下すようなことをせず、
お互いに尊重して、
戦いが終わればノーサイド。
意見の違いはあっても
一致点を見つけて
兵庫県のために
皆が持てる能力と力を
100%発揮してほしいんだよ。
地位や私利私欲で
行動している場合じゃない。
もうそんなことはやめよう!
テレビ、新聞とは正反対に
ネットには多くの
ありのままの情報が流れている。
ただ、匿名で誰でも
好き勝手なことを
言える環境であることは
否定できない。
その情報を発信する人が
本当に信頼できる人なのか、
実名で堂々と発信しているのか、
過去の発信も遡って良く確認し、
自分の頭で考えよう。
そして発信するなら、
自分の足でその現場に行き、
それを手で触り、
舐めて味を確認してから
発信することがモラルだ。
最後に、
人間の財産は
「運」が良いことと、
素晴らしい
「出逢い」に恵まれることだ。
運と出逢いは、
その瞬間を感じる心で決まる。
一瞬、早からず
一瞬、遅からず。
感じたら、すぐ動くからこそ、
絶妙のタイミングで
「感動」を味わえるのだ。
斎藤元彦さんの勇氣と
兵庫県民と有権者は
本当のことを知るべきである、
そのためだけに立候補された
立花孝志さんの志と、
何のしがらみもない、
自由意思を持った
兵庫県の有権者の民意の強さに
感動しました。
今回の県知事選を通じて、
また一つ、
勉強させていただきました。
また一つ、
心の糧にもなりました。
ありがとう。
巨大な組織票 VS 民意の戦い。
さあ、どうなるのか。
天地大自然のみぞ知る。
11月17日は必ず、選挙に行こう。
長文にも関わらず、
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" この世は生かし合いだ "
今朝も目覚めることができた、ありがとう。
『この よ は いかしあい だ』
紙に文字を書くには
ペンと紙がいる。
そのどちらかが欠けたら、
文字は書けない。
ペンを生かすものは紙であり、
紙を生かすものはペンである。
ご飯を炊くにも
味噌汁を作るにも、
水と火がいる。
この両方が
それぞれの特性を
生かし合い、調和して
美味しいご飯も味噌汁も
いただける。
これが天地大自然の
絶対的法則だ。
それは
私達人間も同じだ。
男性と女性。
大人と子ども。
自分とは考えの違う人。
明るい人と暗い人。
喜ぶ人と悲しむ人。
その相反する二つのもの。
相反する両者が
融合して、混ざり合う。
自分に足りないもの、
自分にないものを尊ぶ。
お互いにそれを活かす。
人間だけが
天地大自然の法則に
抗っているから、
生きにくい世の中に
なっているのではないだろうか。
この世は
全て生かし合いでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 分からないことは考えない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『わからない こと は かんがえ ない』
明日はどうなるのか。
今週末はどうなるのか。
一週間以内にどうなるのか。
色々、色々考える。
その結果、
本来やるべきことができない。
手につかない。
これは良くないことだ。
必ず、" なるようになる "
一方で
絶対に、" ならぬようにはならない "
明日はどこに行こうか。
南に行くべきか。
北に向かうべきか。
それは自分が考える分野だ。
しかし、
明日は晴れるのか。
雨なのか。雪なのか。
これはいくら考えても
分からない。
いくら天氣予報の
精度が高くても、
それは天地大自然の
分野であるから、
明日にならなければ、
本当のことは分からない。
いくら考えても
分からないことは
考えない。
氣にしない。
" どちらでも良い "
先のことが
分からないことは、
自分が考える分野では
ないのだから、
全部、
天地大自然にお任せして、
" どちらでも構わないよ "
" その時に考えるから "
そう腹に据えて、
氣にせず
しっかり働いて、
ぐっすり眠れば良いだけだ。
" 氣にしない "
" 考えない "
やはり
世の中というものは
簡単なことですね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 徳を頂いた "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『とく を いただいた』
先つ日、
自宅を出て
駅へ向かう途中で、
車椅子に乗る
70代位の男性が
前方から来た。
私は道を譲ろうと、
少し横へ寄ろうとしたが、
こちらに笑顔で
近寄って来られた。
顔見知りでもなければ
知り合いでもないのだが、
2年ほど前から、
自宅からほど近い
兵庫キャナルタウン合氣道教室で
週3回稽古していることもあり、
最近では
私が存じ上げない人でも
「合氣道の先生ですね」
というふうに
ご近所さんから
声をかけられることも
少なくないから、
その車椅子の方も
そう思ったのだが、
そうでは無さそうでした。
笑顔で近寄ってこられ、
ご自身の
上着のファスナーを指差され、
「閉めてもらえないでしょうか」と
仰られました。
どうやら、
手の指が不自由な方のようだ。
私は「はい、良いですよ」と
喜んで上着のファスナーを
閉めてあげました。
「助かりました。ありがとうございました」と
車椅子の男性も
喜ばれて行かれました。
実はその時、
私の前には一人の女性が
私と同じ方向に
歩いていたのですが、
その車椅子の男性は
その女性には見向きもせず、
私の方に寄って来られた。
車椅子の男性にしてみれば、
もしかしたら
その女性に頼むことに
遠慮され、
同性の私に
頼んだのかもしれない。
それはさておき、
「ありがとうございました」と去ってゆく、
その男性の後ろ姿に
「こちらこそ、ありがとうございました」と、感謝した。
おそらく、
この方は私以外の人とも
すれ違っているはずである。
私の自宅から駅へ向かう
その道は
平日の昼間とはいえ、
そこそこ人通りもある。
その中から、
私を選んでくださった。
なんという、
ありがたいことなのだろう。
感謝するのは私の方だ。
" してくれてありがとう "
" させていただいてありがとう "
私はこの車椅子の男性から
徳を頂きました。
天地大自然には
そのご縁を頂きました。
その日は終日、
ほのぼのとした
心が安らぐ一日でした。
人間はお互いに
他者を尊ぶ
" 感謝の心 " があれば、
争いごとは起こらない。
" 平和 " とは
こういうことなんだろうね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 無用の長物 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『むよう の ちょうぶつ』
無用の長物とは
あっても役に立つどころか、
かえって邪魔になるもの。
あっても益のないもの。
という意味だ。
それは人の心では
執着、傲慢、
わがまま、氣兼ね、
思い込み、思い過ごし、
偏向、偏見、先入観、
自惚れ、思い上がり、
アップデートできない頭。
人間の肉体では
余分な力み。
日常生活では
時間潰し、
新聞、テレビなどの
偏向、隠蔽報道する
マスメディア、
発信元が定かでない
SNSの情報。
その他にも
まだまだあると思うが、
さっと考えただけで
これだけある。
あっても意味がない、
役立ちもしない、
かえって邪魔に
なるものなら、
さっさと取っ払ってしまおう。
合氣道の稽古とは、
この無い方が良い
余計なものを
毎回、取り除く
稽古をしているのだ。
特に心身においては
一回の稽古で
" 薄皮を剥いでいく"
ようなものだ。
それが
たとえ一枚の薄皮であっても、
半年経てば半年分の
一年経てば一年分の
不要な薄皮は
確実に剥がれていく。
この不要なものを
取り除けば、
その分だけ心身ともに
軽やかになる。
その軽やかになった心身に
心の静まりが加われば、
正しく物事を判断する
能力が養われる。
その結果、
世間に溢れる
おびただしい
情報の中から
正しい情報だけを
選別できる。
つまり、
" 自分の頭で考える " ことが
できるようになる。
無用の長物には
用がないのでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝