" 「立春」 春風が氷を解かすように、心身を整えましょう "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立春(りっしゅん)初候
七十二候
第一候 東風解凍(はるかぜこおりをとく)
2月4日~8日ごろ。
東から暖かい春風が吹いてきて、厚い氷をゆっくり解かし始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 「りっしゅん」 はるかぜ が こおり を とか す よう に、しんしん を ととの え ましょう 』
" 自然のリズムで整える、心と身体 "
寒い日が続いています。
連日の寒さで
縮こまっていませんか?
身体だけでなく、
心も萎縮していませんか?
さて、
今日から「立春(りっしゅん)」です。
暦の上では、
今日から春が始まります。
「二十四節氣」と「七十二候」って?
現代では当たり前のように
365日使っているカレンダーですが、
昔の日本人は、
太陽の動きや自然の変化を
もっと細かく見て暮らしていました。
二十四節氣(にじゅうしせっき):
1年を春夏秋冬、
4つの季節をさらに6つに分けて、
計24に分けた季節の呼び名。
そのスタート地点が、
今日の「立春」です。
七十二候(しちじゅうにこう):
それをさらに細かく、
約5日ごとに区切って、
その時期の
「自然の風景や動植物の様子」を
言葉にしたもの。
立春の最初の風景(初候)は、
「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」
です。
「東から暖かい春風が吹いてきて、
厚い氷をゆっくり解かし始める」という意味です。
美しい言葉ですね。
この「東風解凍」という言葉、
実は私たちの日常生活にも
当てはまります。
冬の間、
寒くて肩をすくめたり、
忙しさで歯を食いしばったり
していませんでしたか?
私たちの身体や心も、
冬の間に
知らず知らずのうちに
「氷」のようにカチコチに
固まっているかもしれません。
ガチガチの氷を
ハンマーで叩き割るのではなく、
温かい風を送って、
自然に水に戻してあげる。
そんなイメージを
大切にしましょう。
今日からできる、
春の「自分ほどき」を2つ紹介します。
"「吐く息」を少し長くする "
まずは溜まったものを出すことから。
冬の間の古い空氣を
すべて出し切るつもりで、
「はぁ~」と
長く息を吐いてみてください。
吐ききれば、
自然と新しい春の空氣が入ってきます。
"「ま、いいか」とつぶやく "
完璧を目指して張り詰めていた心に、
春風を送りましょう。
失敗してもやり直せばいい。
立春は「始まり」の時ですから、
何度でもやり直すことができます。
" 春は「張る」 "
「春」の語源の一つに、
草木の芽が
「張る(ふくらむ)」という
説があるそうです。
私たちの内側にある
「やる氣」や「元氣」も、
これからふくらんでいく時期です。
合氣道は、
運動神経や腕力は関係ありません。
道場は自然な自分に
戻るための場所です。
心身ともに
リラックスして、春を迎えましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【古を歩く】 誤読さえも愛された、陽だまりの坂道。 日向坂 編 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)末候
七十二候
第七十二候 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)
1月30~2月3日ごろ。
鶏が卵を産み始めるころ。
七十二候の最後、
つまり一年を締めくくる最後の候にあたります。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【いにしえ を ある く】ごどく さえ も あい さ れ た、ひだまり の さか みち。ひゅうがざか へん 』
お正月の東京出張、
江戸時代から続く由緒ある坂道巡り。
前回歩いた
「植木坂」の静寂を背に、
私たちは次なる坂へと足を向けました。
麻布十番の賑わいを抜け、
二の橋の交差点から
三田方面へと向かう道すがら。
ふと、
柔らかな陽射しが
降り注ぐような、
そんな名前の坂が現れます。
「日向坂(ひゅうがざか)」。
港区三田一丁目と二丁目の
境界にあるこの坂道。
その名の由来は、
江戸時代前期にさかのぼります。
坂の南側に、
徳山藩毛利日向守(もうりひゅうがのかみ)の
お屋敷があったことから、
そう呼ばれるようになったとされています。
しかし、
この坂にはもう一つ、
不思議な「縁」があります。
江戸の昔から、
「ひゅうがざか」ではなく
誤って「ひなたざか」とも
呼ばれていたというのです。
現代では、
あの人気アイドルグループの
名前の由来としても知られ、
「ひなたざか」の響きは
多くの人に愛されています。
本来の名と、
愛称のような誤読。
そのどちらもが
数百年の時を超えて
共存していることに、
日本人の「おおらかさ」を
感じずにはいられませんね。
坂の中腹あたりまで来たときでしょうか。
ふと、視界が開けるような
明るい氣配を感じました。
オーストラリア大使館です。
港区界隈を歩けば
多くの大使館とすれ違いますが、
場所によっては
厳重で人を寄せ付けないような
張り詰めた空氣を
纏(まと)っていることもあります。
しかし、
この場所は違いました。
とりわけ明るく、
開放的な感じがするのです。
建物から放たれる
おおらかで、ウェルカムな氣、波動。
これは、
広大な大地と海に囲まれた
オーストラリアという
お国柄、土地柄ゆえなのでしょうか。
「日向(ひなた)」という
坂の名前とも相まって、
まるで太陽の光を
身体いっぱいに呼吸しているような。
そんな心地よい感覚を覚えました。
" 坂道で磨く、合氣道の感性 "
合氣道は
「感性」が大切です。
技の形(かた)を
なぞるだけでは見えないものが、
心の目を開くことで見えてくる。
古(いにしえ)を歩くことも
また同じ。
ただの
アスファルトで舗装されたの坂道を、
「単なる移動経路」と捉えるか。
それとも、
かつてここを
武士が、町人が、
どのような想いで行き交ったのか。
そして今、この土地が
どんな「氣」を放っているのか。
それを肌で感じようとするか。
日向坂の
緩やかな勾配を登りながら、
足裏から伝わる土地の記憶と、
オーストラリア大使館から感じる
開放的なエネルギーに
意識を向けます。
かつての大名屋敷の威厳と、
現代の国際的な明るさが織りなす
独特の調和。
その中で、
臍下の一点(せいかのいってん)を保ち、
周囲の景色と一体になって歩く。
すると、
この東京都心の
大都会の喧騒の中にありながら、
不思議と心が
「凪 (なぎ) 」の状態になるのを感じます。
これこそが、
道場の畳の上だけでは得られない、
生きた「稽古」なのです。
「ひゅうが」の響きが持つ凛とした強さと、
「ひなた」の陽氣な温かさ。
その両方を身体いっぱいに浴びて、
私たちは足取りも軽くなりました。
次はどの坂が、
私たちを待っているのでしょうか。
古の江戸を歩く旅、
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 護るべきもの、繋ぐもの。大和撫子たちと誓った祇園の夜 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします😄
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)末候
七十二候
第七十二候 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)
1月30~2月3日ごろ。
鶏が卵を産み始めるころ。
七十二候の最後、
つまり一年を締めくくる最後の候にあたります。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 まも る べ き もの、つな ぐ もの。やまとなでしこ たち と ちかっ た ぎおん の よる 』
" 国の根幹を問う、
運命の2月。
極寒の京都、午前3時の独白 "
早いもので、
もう2月ですね。
昨日の2月1日 日曜日、
阪急河原町駅から最終電車に飛び乗り、
帰宅して一眠りしたところです。
(実際は横になった程度ですが😂)
まん丸の満月が
燦然と輝く午前3時です。
仮寝2時間の強行軍ですが、
不思議と目は冴え渡っています。
静寂の中、
こうしてスマホに向かい
道場長ブログ
" ぼくらの合氣道 " 「一日一心」を記しています。
昨日は、京都・西本願寺へ。
ご先祖様の永代経法要に参拝し、
連綿と続く命のつながりと、
今の自分が在ることへの感謝を捧げました。
その後、
「防衛シンポジウム2026 in 京都」に
参加してまいりました。
テーマは
「守るべきもの、繋ぐべきもの、大切なものは何ですか」。
このシンポジウムには、
東京からも6名のお弟子さんが
遠路はるばる駆けつけてくれました。
彼女たちの行動力と
国を想う純粋な心には、
師である私は
いつも襟を正される思いです。
2月8日の投開票が迫る衆院選。
各党、各候補者が
各地で熱弁をふるっていますが、
今回の選挙は
明らかにこれまでとは重みが異なります。
前代未聞の早期解散と、極めて短期間の選挙戦。
これに打って出た
高市総理大臣の姿に、
私は並々ならぬ覚悟を見ました。
高市総理は今、
国民一人ひとりに対し、
退路を断って
こう問いかけているように響きます。
「本当に、私でよろしいでしょうか」
それは、
単なる信任投票ではありません。
「もし、
私で良いとおっしゃってくださるなら、
これまで聖域とされ、
長年タブー視されてきた
憲法改正の議論を断行し、
国民投票まで持ち込む。
そうして、この日本を
真に自立した国家へと前に進めます」
という、
強烈なメッセージのように私は思います。
この選挙の争点として、
消費税の引き下げ、
外国人政策、
止まらない物価高などが挙げられています。
もちろん、
生活を守る上で全て重要です。
しかし、
" 外交と安全保障 " こそが
今まさに喫緊の課題ではないか、
と私は思います。
今回の選挙ほど、
私たち日本人にとって
「未来の存続」をかけた
大切な選挙はないのではないかと思うのです。
" 国防の最前線を知る、四人の識者、専門家 "
今回のシンポジウムでは、
陸・海・空、
まさに日本の防衛の任務を
背負ってこられた方々が登壇されました。
その重厚な言葉の一つひとつが、
私の胸に深く突き刺さりました。
- 河野 克俊 氏(元統合幕僚長) 海上自衛隊のトップを経て、自衛隊の最高責任者である統合幕僚長を歴任。9.11後のインド洋派遣や大規模災害対応など、激動の時代に指揮を執られた、まさに安全保障のプロフェッショナルです。
- 佐藤 正久 氏(元陸上自衛隊・元参議院議員) 「ヒゲの隊長」として知られ、イラク復興支援で現地部隊を指揮。政治家としても防衛・外交の実務に精通し、現場感覚と政策の両面から現実的な安全保障論を発信し続けておられます。
- 高島 辰彦 氏(元潜水艦隊司令官) 日本の防衛の要であり、最高機密とも言える潜水艦部隊。その指揮官として、海の底から静かに、しかし力強く日本を守り抜いてきた、海将の矜持を感じました。
- 志津 雅啓 氏(元航空自衛隊・基地業務群司令) 防衛政策や装備調達に携わり、スタンフォード大学での研究やデジタル変革も推進。昨年退官されたばかりで、最先端の技術と空の守りを知る、新時代の安全保障を担う専門家です。
" 自国を自国で守る氣概なき繁栄は、砂上の楼閣 "
この先生方が
語られたのは、抽象論ではありません。
著しく変化する世界情勢。
戦後、かつてないほどの日本の最大の危機。
それがこの先、起ころうとしています。
尖閣諸島周辺で
毎日のように行われる領海侵犯や、
レーダー照射。
これらを鑑みると
もう起こっている事実として捉えるべき、
「台湾有事」という差し迫った危機です。
習近平国家主席は
「祖国統一は歴史の大勢」と断言し、
2027年までの
軍事的解決も視野に入れています。
台湾有事は日本有事です。
なぜなら、
尖閣諸島や沖縄、
南西諸島が間違いなく戦時下になるからです。
もし他国に侵略されたり、
有事が勃発したりすればどうなるか。
消費税も、
教育も、物価高も
「へったくれ」も無くなります。
それどころではなくなるのです。
その上で、
より一層強固な日米同盟が必要なことは
論を俟(ま)ちません。
しかし、
「自国を自国が守らないでどうするのか」。
国が果たすべき役割は、
国民の命と生活、
そして
国土・領空・領海を守り抜くことです。
そのためには
国防費の増額、
そして何より
憲法9条の改正を、
国民投票を経て早急に実現すべき
だと私は考えます。
今日もこの後、
6名の愛弟子と道場で稽古します。
こうして合氣道の稽古に集中できるのも、
まだ今の平和が保たれているからです。
その平和が
" 砂上の楼閣 " であってはならないのです。
シンポジウムの後、
憂国の「大和撫子」たちが
私の先月の
64歳の誕生日を祝ってくれました。
場所は祇園の京料理店。
彼女たちは、
ただの弟子ではありません。
「私たちの子ども、
孫、子々孫々に至るまで
安心して暮らすことができる
国を残したい」
「日本人としての誇りを持ち、
合氣道を通して
地域のため、社会のために
役立つ人材を育てたい」
そう真剣な眼差しで語る
彼女たちは、
現代の「国士」であり、
志を持った立派な日本女子です。
この思いにおいて、
私たちは完全に一致しています。
こんなにも
素晴らしいお弟子さんを持てて、
私は感謝と幸せの氣持ちでいっぱいです。
昨夜は満月が青白く輝く、
極寒の京都の夜でした。
東京に出張しても、
こうして京都で集合しても、
志を同じくする
この日本女子たちと話していると、
いつも時間が経つのを忘れ、
帰れなくなるほどです(笑)。
高市総理が
「私でよろしいか」と問うならば、
私たちは
「行動」で応えねばなりません。
日本の行く末を真剣に考え、
選挙で意志を示す。
それが
今を生きる私たちの責任です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 誕生日の真の意味。「オギャア」と産声を上げた日、忘れてはいけないことがある "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)末候
七十二候
第七十二候 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)
1月30~2月3日ごろ。
鶏が卵を産み始めるころ。
七十二候の最後、
つまり一年を締めくくる最後の候にあたります。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 たんじょうび の しん の いみ。「おぎゃあ」と うぶごえ を あげ た ひ、わすれ て は いけな い こと が あ る 』
誰にも訪れる誕生日。
その日は、
プレゼントをもらい、
ご馳走を食べ、
「おめでとう」と家族や友人から祝福される日。
それもいいとは思います。
でも、本当にそれだけでしょうか?
" 私たちは、忘れてはならない事実があります "
私たちが
「オギャア」と産声を上げたその日、
その瞬間は、
母が人生で最も苦しみ
命がけで痛みに耐えた日なのです。
その母の
決死の覚悟と痛みの上に、
今の私たちの「生」がある。
それを忘れ、
「この日だけは自分が主役だ」と
言わんばかりに浮かれるのは、
あまりに幼く、
そして傲慢ではないだろうか。
母の痛みを忘れ、
ただ祝いを受けるだけの誕生日は、
一年に一度の特別な日を
「ただの値打ちのない日」にしてしまう。
私はこの1月で64歳になりました。
両親はすでに鬼籍に入っています。
私が中学3年生の時に、
父は39歳という若さで、
極楽浄土へ旅立たれました。
父が生きられなかった時間を
遥かに超え、
こうして
生かされていることの重みを、
年々強く感じています。
日々の合氣道の稽古を通じて、
私が辿り着いた
「命の理(ことわり)」があります。
命とは、
親が勝手に作ったものではなく、
「天」から授かったものです。
では親とは何か。
親とは、
天から降りてくる尊い命を
この世に迎えるために、
「天の代理」という
大役を引き受けてくれた
人たちのことではないでしょうか。
母はその身を裂くような
痛みをもって天命を果たし、
父はその命を
守るために生涯を捧げた。
だからこそ、
誕生日は「自分を祝うだけの日」ではない。
天の代理として
役目を果たしてくれた両親と、
命の源である天地に、
「生んでくれてありがとう」
そして、
「今日までこの命を生かしてくれてありがとう」
と、
ひたすらに
感謝をする日なのではないでしょうか。
私は誕生日には、先祖の墓参りをします。
今年も冷たい風の中、
墓石に向かい、
母の痛みに思いを馳せ、
父の恩愛を想う。
「父と母が天の代理として
繋いでくれたこの命、
64年目も大切に使わせていただきます」
そう誓う時間が、
どんなご馳走よりも
深く、
静かで、
値打ちのあるひとときだと
私は思うのです。
僭越ではありますが、
道場生の皆さん、
そしてこれを読む皆さん。
次の誕生日は、
ケーキのロウソクの火を吹き消す前に、
自身の「命の始まり」に
思いを巡らせてみませんか。
そこには、
母の痛みと、父の祈りがあったはずです。
その事実に氣づき、
深く感謝できたとき、
誕生日は初めて
「祝うに値する日」となり、
真の意味での
「誕生日」となるのではないでしょうか。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【古を歩く】文豪・島崎藤村が愛した静寂の地。植木坂 編 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大寒(だいかん)次候
七十二候
第七十一候 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)
1月25~29日ごろ。
沢の水さえも厚く張りつめ凍る、もっとも寒いころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【いにしえ を ある く】ぶんごう・しまざきとうそん が あい し た せいじゃく の ち。うえきざか へん 』
お正月の東京出張。
道場での指導で
お弟子さんと共に
汗を流すのも大切ですが、
私にとっての
もう一つの「稽古」は、
東京という街の
「古(いにしえ)」を歩くことです。
東京には、
江戸時代から続く由緒ある坂道が
今も数多く残っています。
アスファルトの下、
あるいは高層ビルの影に、
かつての人々の
息遣いが染み付いている。
そんな場所を
ただ静かに歩き、
土地の記憶を
足裏で感じることもまた、
私にとって大切な時間です。
今日は、
最新のランドマーク「麻布台ヒルズ」の
足元にひっそりと広がる、
「植木坂(うえきざか)」界隈を
歩いた記憶を綴ります。
" 谷底の記憶と、現代の摩天楼 "
この日の坂巡りは
午前の稽古を終え、
現代東京の象徴ともいえる
麻布台ヒルズから始まりました。
いつも
東京の坂道案内役を
買って出てくれる
「合氣道寺崎道場 江戸の坂道巡り同好会」の
一員でもある愛弟子が、
歩きながら
興味深い話を聞かせてくれました。
かつてこの地には、
威厳ある郵政省本庁舎(旧逓信省庁舎)や
麻布郵便局が鎮座し、
その足元には
「我善坊谷(がぜんぼうだに)」と呼ばれる、
木造家屋がひしめき合う
谷底の町が広がっていたそうです。
それが
平成元年(1989年)からの
三十余年という
長い歳月をかけた
街づくり計画後の再開発により、
風景は一変しました。
掲げられた
コンセプトは
「Modern Urban Village(モダン・アーバン・ヴィレッジ)」。
かつての
複雑な起伏と谷の記憶は、
今や豊かな植栽と
摩天楼が織りなす、
緑に包まれた
「人と人をつなぐ広場」へと昇華されています。
そんな
最新鋭の都市空間から
一歩路地へ入ると、空氣が変わります。
煌びやかな
麻布台ヒルズを背に、
人がようやく
すれ違えるほどの
細く急な
「鼠坂(ねずみざか)」へ足を踏み入れます。
前回の記事「鼠坂」のエントリーはコチラ。
その名の通り、
かつては鼠しか通れないような
細い道だったと言われます。
この薄暗く
細い坂を登り切り、
直角に右へ
曲がったところが、
今回の主役である
「植木坂」の坂下にあたります。
" まるで迷路のような折れ曲がった地形 "
現代の合理的な
都市計画では決して生まれない、
自然の起伏に寄り添った道筋に、
身体感覚が研ぎ澄まされます。
" 植木屋と菊人形の賑わい "
「植木坂」は、
麻布台三丁目四番地と
麻布永坂町との間を縫うように走る坂道です。
この風流な名の由来は、
かつてこの辺りに
多くの「植木屋」が
軒を連ねていたことにちなみます。
言い伝えによれば、
この地の植木屋たちが
最初に菊人形などを
始めたともいわれています。
江戸の人々が、
季節の花や見事な細工を楽しみに
この坂を行き交っていた風景が、
ふと目に浮かぶようです。
" 文豪・島崎藤村の旧居跡 "
そして、
この植木坂を歩く上で
外せないのが、
文豪・島崎藤村の存在です。
坂を上がりきった一角、
現在の麻布台3-4-10付近には、
かつて
藤村が住んだ旧居跡があります。
明治38年(1905年)、
小諸から上京した藤村は
ここに居を構え、
代表作『破戒』を書き上げました。
「私は飯倉の片町に住むことになった。
そこは植木屋の多い町で、静かな、
屋敷町の控へ地のようなところであった。」
(島崎藤村『飯倉だより』より)
藤村自身も
そう記している通り、
当時は緑深く、
創作に没頭できる
深い静寂があったのでしょう。
残念ながら
当時の建物は残っていませんが、
案内板の前に立ち、
藤村が見たであろう空を見上げると、
ここが
「近代文学の夜明けの地」で
あったことを
肌で感じることができます。
合氣道では、
相手の氣を尊び、
そして
その場と調和することを大切にします。
「江戸の坂道歩き」もそれに似ています。
ただ漫然と歩くのではなく、
かつてここを歩いた人々の
足音に耳を澄ませ、
その土地が持つ歴史の重みを感じながら
歩を進める。
そうすることで、
現代の喧騒の中でも、
心静かに「臍下の一点」が定まります。
植木坂から振り返れば、
そこにはかつての
「我善坊谷」の上に立つ
麻布台ヒルズがそびえ立っています。
過去と未来が同居する
それはそれは、
東京ならではの絶景でした。
さて、次はどの坂へ向かいましょうか。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長