" 【道場長の警鐘】 親は見逃すな! 子どもの目にも宿る「心の無氣力」。合氣道で魂の輝きを取り戻す "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
霜降【そうこう】次候
七十二候
第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)
10月28日~11月1日頃。ときどき小雨が降る頃。
小雨はすぐに止んでしまうような降っては止み、すぐに晴れるといった時雨(しぐれ)のことを指します。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【どうじょうちょう の けいしょう】おや は みのが す な!こども の め に も やど る " こころ の むきりょく " 。あいきどう で たましい の かがやき を と り もど す 』
" 目に力がない(氣の流れの停滞)"
大切な場面でも、
視線が虚空をさまよい、
まるで魂が
そこにないかのような
無氣力な目。
目力は、
その人の「生命力=氣」の表れです。
人生や仕事に対する情熱が欠け、
他人への興味も無くなる。
といった「氣」が滞っている状態は、
共に何かを成し遂げようとする
力にはなりません。
その無氣力は、
周囲にも伝播し、
全体の活力を奪うことすらあります。
"「目に力がない」とは何か "
ここで言う
「目に力がない」というのは、
単に内氣であったり、
疲労が溜まっているという
レベルの話ではありません。
それは、
その人の「生命の情熱」や
「他人への純粋な興味」といった、
心の内側にある
火が小さくなっている状態を指します。
こういった目を持つ人は、
人生に対する情熱が薄れ、
共に何かを
成し遂げようとする力が弱いものです。
重要な話をしている
にも関わらず、
その視線は虚空をさまよい、
まるで魂がそこにないかのように
感じられる。
その無氣力な態度は、
氣が停滞した状態であり、
周囲の活力を
吸い取ってしまうかのように
伝播してしまう危険性を持つのです。
"【稽古の現場から】指導者が感じ取る子どもたちの「氣の停滞」"
そして驚くことに、
この「目に力がない」サインは、
私が指導する
子どもクラスの稽古でも
時々、見られることがあります。
大人の場合は
「仕事や人間関係による疲労」や
「家庭や人生への不満」が
原因であることが多いように思います。
しかし、
どのような状況下においても
氣が滞って
問題が解決するようなことは
一切ないのです。
人生、生きていたら色々あります。
不満や心配事も
それはそれとして、
そんな時こそ、
無理矢理でも、楽しく愉快に
「氣を出す」ことを心がけましょう。
すると、
「あらっ、不思議」
心配事や不満の方が
勝手に何処かへ去ってしまいます。
ただ、
子どもの場合はより根深く、
「自発性の欠如」や
「挑戦意欲の喪失」が
原因である場合が少なくありません。
「しっかり目を合わせなさい」と
指導しても、
彼らの視線は
床や窓の外を彷徨います。
技の細かな注意や、
私が全身全霊で
伝えようとしている「心」が、
目のフィルターを通して
入っていかない。
それは、
私にとっても最も空しい瞬間です。
一人の子どもの目が
輝きを失っていると、
その周辺にいる
子どもの集中力も
同時に落ちることも少なくありません。
道場全体の活氣、
「氣」の満ちた空間が、
その子の無氣力によって
乱されてしまうのです。
この状態を放置することは、
道場に集まる
子どもたちの将来の情熱や、
挑戦する力を
奪うことにつながりかねません。
" 師範としての心得:目力を取り戻す指導 "
私たち指導者の役割は、
ただ技を教えるだけでなく、
彼らの心に再び火を灯すことです。
まずは、
座学ではなく
身体を思い切り動かす
稽古を通じて、
停滞した「氣」を巡らせます。
大きな声を出し、
ぶつかり、
汗を流すことで、
身体から心に働きかけ、
無理やりにでも
生命の躍動を取り戻させます。
"「合わせる」ことの徹底 "
技の稽古だけでなく、
「相手の目を見る」
「指導者の目を見る」という
「合わせる」行為を徹底します。
目は心の窓です。
目を合わせることは、
他者への興味と敬意、
そして
自分自身の存在を
再認識させる重要な手段です。
目に力が宿るとき、
その子の生き方は、
再び情熱と好奇心に
満ちたものになるはずです。
私たち大人が、
まず目を輝かせ、
子どもたちの「氣」を
呼び覚ます役割を担うことが
重要ではないでしょうか。
そして、
子どもたちの
「無氣力」や
「うつろな目」には
少なくとも
家庭環境が
影響している
ことを
親は
認識することです。
子どもはいつの時も
何らかのサインを発信しているのです。
それを見逃すな!
わが子が道場で
どのような表情で稽古しているのか?
「稽古に行っておいで」と言って、
親は子を放ってないで、
他人任せにして呆けてないで、
わが子の稽古を
しっかり見ることです。
心の状態を見るには
合氣道の技は
顕著にそれが表れます。
そこに " ごまかし " は一切ありません。
心の状態がそのまま
形や表情になって表れます。
私は合氣道指導者になって、
13年間、これを言い続けてきました。
しかし、
残念なことに
ありのままに申して、
それを
実践する親は
現在も皆無に等しいのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 稽古は人生にあり、心を乱す相手との「間合い」の取り方、その一 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十二候 霜始降花(しもはじめてふる)
10月23日~10月27日頃。
だんだんと北国や山間部で霜が降り始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 けいこ は じんせい に あり、こころ を みだ す あいて と の「まあい」の とり かた、その いち 』
" 合氣道で培った智慧を人生最大の稽古場(人間関係)で活かす "
合氣道師範である
私の信念は、
「道場での稽古」と
「人生での立ち居振る舞い」は
不可分であるということです。
合氣道の技を磨くことは、
すなわち人生を
より良く生きるための
「心のあり方」を練ること。
そして、
その核心にあるのが
「間合い(まあい)」の取り方です。
道場を一歩出た
「人間関係」という
人生最大の稽古場においても、
この「間合い」の取り方を
間違えれば、
私たちの心は
疲弊し、
最悪の場合は、
心身を痛めるトラブルに
巻き込まれてしまうことがあります。
そして、私は
心が乱れている人が発する
「不吉な無言のサイン」を
感じ取るようになり、
その後の展開は、
ほぼ私の予感通りとなります。
" 心が乱れた人が発する「不吉な無言のサイン」"
長年、
多くのお弟子さんや
人々と接する中で、
私は無意識のうちに
自然と「人間観察」という智慧を
養ってきました。
心に何か
強い「わだかまり」を持った人には、
たとえ道場以外、
道端で会ったとしても、
また、
実際に会わなくても
LINEやメールの文面からも
私は非常に強い違和感を感じます。
それは、
心が澄んでいる人とは
明らかに違う
ありのままに申して、
とても氣持ち悪い
「不吉な無言のサイン」なのです。
私は、
「心の乱れは、必ず身体や表情、特に視線に表れる」
と確信しています。
私が感じ取る
数あるサインのうち、
今日は二つを取り上げ、
私なりのその
「間合いの心得」をお話します。
一つ、
心の和合を拒む「否定から入る人」
このタイプは、
対話を「協力」ではなく
「勝ち負けの戦い」と捉えています。
彼らにとって、
相手の言葉は
受け入れるべき情報ではなく、
打ち負かすべき「敵」の攻撃なのです。
その動作や顔の表れには
「怒りに満ちた目」を感じます。
自分の意見が通らない時や、
相手を言い負かした瞬間に、
目が猛禽類のように
鋭く光るのが特徴です。
その目の奥には、
常に戦いを求める苛立ちが
宿っているのです。
相手の言葉を
理解しようとする前に、
「いや、それは違う」
「でも、現実は」と
否定から入るのが常です。
常に相手の提案の「粗探し」をし、
マウントを取ることで
自己を保とうとします。
常に戦いを求め、
和合を拒む相手と深く関わることは、
自分自身の平穏を
奪われることに他なりません。
彼らと戦う必要はありません。
自分の「中心」を崩さぬよう、
静かに距離を置くのが
賢明であると私は思います。
こういう心の持ち主に
育てられた子どもは
一体、
どんな大人に
育っていくのでしょうか?
つい最近も、
そのような人は
ご自分のご意思で
退会なされました。
そのご意思を尊重して、
私はお天道さまの良き計らいに
感謝しています。
二つ、
不誠実さを隠す「核心で泳ぐ視線の人」
視線は言葉よりも雄弁に、
その人の本質、心の度合いを語ります。
動作・顔の表れには
核心での「視線回避」があります。
真実や重要な約束事、
あるいは自身にとって
不利な事実など、
「核心」に触れる瞬間に、
視線が定まらずに泳ぐ、
あるいは
露骨に目を逸らします。
視線が定まらないのは、
心に「後ろめたさ」や
「隠し事」がある動かぬ証拠です。
口では流暢な言葉を並べても、
また、張り子の虎のように
「うんうん」と頷いていても、
視線は言葉の裏にある
「不誠実さ」や「嘘」を物語っています。
相手を
欺(あざむ)こうとする心は、
自身の「氣」を停滞させ、
それが視線の動きとして現れます。
誠実な「氣」を
持たない相手とは、
深い信頼関係を築くことは不可能です。
どれほど良い条件や
口上があっても、
この「視線」という
非言語サインを私は唯一信用します。
言葉の表面に惑わされず、
自分の心のセンサーを最優先することです。
" 究極の自己防衛と危機管理 "
私は、
自分の心が「違和感」を覚えたら、
それは天地から与えられた
「最高の智慧」という
心のセンサーであると信じています。
相手の「乱れ」に引きずられ、
その氣の渦に巻き込まれてはなりません。
常に、
自分の中心「臍下の一点」を
崩さぬよう、
心身統一を保つことが大切です。
そして、
違和感を感じたら、
適切な「間合い」を取ること。
これが、
人間関係のトラブルを
未然に防ぐ
「究極の自己防衛術」であり
「危機管理能力」です。
" 普段の何氣ない会話にこそ、その人の心の闇が顕著に表れる "
道場での何氣ない会話や、
街でたまたま出会った際の
「こんにちは」の挨拶にも、
私は、
その智慧という
センサーは弛まず働かせます。
そして、
度重なるように
とても氣持ち悪い
「不吉な無言のサイン」
を感じ取った人とは、
「今はその人とは接するべきではない」と判断し、
その相手と間合いをとった後の
「人間関係」、
「お付き合い」は、
ことさら意図的な行動は起こしません。
全てを
天地大自然の
良き計らいにお任せするのみです。
ご縁が「繋がる」も「切れる」も
私はお天道さま任せです。
最後までお読みいただき、ありがとうございますございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 今日できることは今日やる。明日もできる保証はない。 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十二候 霜始降花(しもはじめてふる)
10月23日~10月27日頃。
だんだんと北国や山間部で霜が降り始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 きょう でき る こと は きょう や る。あす も でき る ほしょう は な い。 』
野球界の偉人、
長嶋茂雄氏は生前、
現役時代に
ヘルメットが飛ぶほどの
フルスイングで三振した理由を問われ、
こうお答えになったそうです。
「 球場に何万人もの
お客さんが観戦する中で、
一生に一回しか
見に来ない人もいる。
その人の前で、
元氣のない長嶋を見せたくない。
人間、
好調の時ばかりじゃなくて、
不調の時だってあるでしょう。
ダメならダメなりに、
長嶋は打てなかったけど、
一所懸命やっていたと
思って帰ってもらいたいから、
たとえ当たらなくても
思いっ切り振る。
そうすると、
偶然当たったりするんだよ 」
私は
この言葉に深く感銘しました。
プロとしての
あり方の教訓ではないでしょうか。
僭越にならぬよう
申し上げなければなりません。
それを承知の上で、
私もプロの合氣道師範として、
これまで
数えきれないほどの稽古を重ね、
お弟子さんの指導にあたるため
道場に立ち続けてきましたが、
その中で
「今日できることは今日しかできない。明日もできる保証はない。」
という思いで、
私は常に道場に立っています。
特に年齢を重ねてからは、
体力の衰えも感じますし、
身体が昔のように
思うように動かないこともあります。
また、
身近な人が天へ旅立つ経験もしています。
だからこそ、
「この稽古が、また、この指導が私にとって最後の稽古かもしれない」
という覚悟で、
恥ずかしくないよう、
出し惜しみせず、
全身全霊で
合氣道の道を歩んでまいりました。
これからも、
この姿勢を貫いていきます。
この長嶋氏の言葉は、
私たち合氣道指導者、
また、
学ぶ者にとっても、
非常に重要な教えを含んでいます。
合氣道の稽古は、
まさに「一期一会」です。
その日、その日の稽古に、
全身全霊を込めて臨むこと。
たとえ体調が優れなくても、
悲しいことがあったとしても、
技が思うようにいかなくても、
その瞬間にできる
精一杯を出し切ること。
それが、
自身の成長に繋がり、
そして、
ともに汗を流す
道友への範ともなります。
長嶋氏の言葉にある
「元氣のない長嶋を見せたくない」
というプロ意識は、
道場に立つ師範として、
また稽古に励むお弟子さんにも
通じるのではないでしょうか。
合氣道琴心館寺崎道場に
来てくださる全てのお弟子さん方、
そして、
ともに合氣道を追求する
先輩、後輩、道友たちに、
常に最高に氣が出た自分で接したい。
僭越ながら、
不肖私、その一心で、
日々精進を重ねてまいります。
「惜しまず、出し切る、絞りきる」
それは、
合氣道の「残心」の
精神にも深く繋がります。
技が終わった後も、
心と身体の集中を保ち、
「臍下の一点」を失うことなく
その相手に氣を送り、
次の動きに備える。
それは、
その瞬間、瞬間に
全力を尽くし、
一切の出し惜しみを
しないことの表れです。
人生においても、
仕事においても、
そして
合氣道の稽古においても、
私たちは
「今日」という
一度きりの時間を生きています。
明日、何が起こるか
分からないからこそ、
今この瞬間に全力を尽くす。
後悔のないよう、
出し惜しみせず、
一所懸命に生きる。
長嶋氏の言葉が教えてくれる
「惜しむな、出し切れ」の
精神を胸に、
私もまた、
道場長として、
そして一人の人間として、
「一日を精いっぱいやり切る」の
精神で
日々、
歩んでいきたいと思います。
今日という日を大切に、
精一杯生きていきましょう。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長;拝
" 一つを励み、究めれば、すべてが変わる "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
霜降【そうこう】初候
七十二候
第五十二候 霜始降花(しもはじめてふる)
10月23日~10月27日頃。
だんだんと北国や山間部で霜が降り始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ひとつ を はげ み、きわめ れ ば、すべて が かわ る 』
「あれも覚えなさい。この技も間違わずにやりなさい。」
指導者育成はそうであっても、
一般のお弟子さんに、
私がそう指導したら、
「そんなにたくさんできません」と
諦めてしまう人や、
やるにはやるけれども、
どれも中途半端に終わってしまう人も
いると思います。
合氣道の稽古においても、
人生の学びにおいても、
この
「すべてやろうとして、何も身につかない」
という現象は
往々にして起こります。
私は、
長年の師範としての経験から、
そして自身の継続的な実践から、
この問題に対する
明確な答えを見つけました。
それは、
「一つを励み究めれば、すべてが変わる」
という真理です。
" 一点を深掘りすることの驚くべき効果 "
あれもこれもしようとして、
どれも中途半端に終わるくらいなら
「これならやれる」
「これをとことんやってやろう」
というものを一つ選んで、
それを徹底して
やり込むように
お弟子さんに指導します。
但し、
それは一般のお弟子さんに対する
指導方です。
一方で、
指導者育成は
あらゆる分野を同時進行で
一つも抜けることなく
奥深く追求し、
自分のものになるよう
稽古を続けます。
ここに
一般のお弟子さん向けの稽古と
指導者育成稽古の
大きな違いがあるのです。
話を元に戻します。
「この技だけは誰にも負けない」と
心から思えるくらい、
一つの技を深掘りしてみる。
それを実践し続ける。
不思議なことに、
この「一点集中」を
徹底してやるうちに、
次のような変化が
起こり始めるのです。
一つ、集中の深化
選んだ一つを深く追求する過程で、
真の集中力が養われます。
二つ、学びのコツの体得
その分野における本質や、
効率的な上達の
「型」が自然と身につきます。
三つ、自信の確立
「一つを究めた」という
揺るぎない自信が、
他のすべてへの挑戦の土台になります。
やがて、
その深掘りした
学びのコツが横展開され、
以前は難易度が高すぎると
感じていた他の技まで、
驚くほどスムーズに
できるようになるのです。
学びの本質を知り、
自信がついたからこそ、
次の新たな挑戦が可能になるのです。
" 継続が人生を豊かにする "
私自身の人生もまた、
「一点集中」
によって劇的に変化しました。
今から二年半ほど前、
私は「道場長の一日一心」という
このブログの制作を始めました。
月曜から金曜の平日、
午前三時から一日も欠かさず、
書き続けています。
朝三時に起きて書き始め、
ひたすら推敲に推敲を重ね、
その日の「一心」を文章にする。
また、
合氣道琴心館寺崎道場の会員向けに
毎月、会報誌
「ぼくらの合氣道」を発行しています。
どちらも
決して、簡単な作業ではありません。
手を抜くこともいたしませぬ。
全身全霊でその文章に
魂を注ぎ込みます。
毎日の睡眠は四時間弱、
当然、命が削られます。
しかし、
心は晴れ晴れとするのです。
そして、
この道場長ブログと会報誌を
継続するうちに、
私自身の人生が
大きく変わってきたと実感しています。
特に大きいのは
「氣づく力」が育てられたことです。
毎日の題材探しをするうち、
「今日は何を書こうか」と
意識を研ぎ澄まし、
日常のささいな出来事や
稽古の一瞬一瞬を
深く見つめる習慣がつきました。
その結果、
「氣づく力」が育ち、
見るもの聞くこと
すべてが興味深くなりました。
人生とは、
「氣づき」の連続です。
その「氣づき」が増えるほど、
人生は豊かで楽しくなる。
これは、
一つのことを徹底して
継続したからこそ得られた、
天地からの最大の恩恵です。
合氣道の稽古であれ、
仕事であれ、趣味であれ、
「あれもこれもしなきゃ」と
焦る必要はないと思います。
まずは、
心から「これだ」と思える
一つを見つけ、
それを
誰にも負けないくらい
徹底的にやり込んでみてください。
その一つを究めることこそが、
自身の人生すべてを、
想像もしなかった
豊かなものへと
変えていく鍵となるのですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「安定」は成長の敵 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
寒露【かんろ】末候
七十二候
第五十一候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
10月18日~10月22日頃。
秋の虫たちが戸口で鳴きはじめる頃。
キリギリスは、昔はコオロギのことを指していたそうです。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 " あんてい " は せいちょう の てき 』
これは、
私自身のこれまでの人生と
合氣道の修行を通じて、
そして、
道場長として多くの人を見てきて、
確信していることです。
私たちは、
つい「安定」を求めがちです。
但し、
ここで言う「安定」とは、
心身の落ち着きや、
盤石な姿勢といったものではありません。
ここで言う「安定」とは、
たとえば、
安定した生活、安定した収入、
安定した関係などを指します。
こと
自己成長と人生の充実に限っては、
この「安定」は、
最も警戒すべき状態なのです。
" 合氣道の「居着き」が示すもの "
合氣道の稽古で、
「居着く」という言葉があります。
これは、
相手の動きや状況に
思考や身体がとらわれ、
心がそこに「執着」して、
一瞬でも動きが止まってしまうこと。
居着いた瞬間、
その者は相手の攻撃を受け、
技は決まりません。
人生も同じです。
「もう大丈夫」
「これで十分」と現状に満足し、
精神が居着いた状態こそが、
この「安定」の正体です。
居着いた心は、
新しい挑戦や学びを拒否します。
「面倒だ」
「リスクがある」と変化を恐れ、
成長を止めてしまう。
成長が止まった人間は、
時代の変化という名の攻撃に、
抵抗できなくなってしまいます。
それは、
生きているのに、
精神的には死んでいる状態。
これこそが
人生の「負け」であると、
私は思います。
では、
どうすれば
「負け」から逃れられるのか?
それは、
意識的に自分を「不安定」な
状態に置き続けることです。
" 新しい技術や知識への挑戦 "
稽古のたびに
「一つでも新しい発見をする」
たとえば、
あえて不慣れな動きや、
自分が苦手な相手と組む。
私なら
「この指導法は最適か?」
「道場運営はこれで良いか?」と、
毎日、
自分のやり方に疑いの目を向け、
改善点を探します。
" 読書と学びの継続 "
「安定」した
思考を打ち破るため、
常に異分野の知恵を取り込み、
視野を広げます。
新たなことや
未経験の分野に
一歩踏み出すたびに、
時に心はざわつき、
失敗を恐れることもあります。
しかし、
この「不安定」な状態こそが、
精神を研ぎ澄まし、
真の「安定」
(どんな変化にも対応できる能力)を
生む源となるのです。
道場長として、
お弟子さんのみなさんに
伝えたいことは、
人生の「安定」は、
心地良いぬるま湯で
居心地が良いかもしれません。
しかし、
そのぬるま湯は、
あなたの活力をゆっくりと奪い、
やがてあなたを「居着かせ」ます。
本当に
心が強くなりたいのなら、
意図的に
不安定な場所へ踏み出しましょう。
日常の生活において、
たとえば、
今まで
話さなかった人に声をかけてみたり、
仕事で
一歩先の役割を引き受けたり。
その一歩一歩が、
自分自身を「居着き」から解放し、
人生という名の試合に
勝ち続ける力となるはずです。
さあ、
今日から
「安定」を打ち破る挑戦を
ともにしてまいりましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝