" 慶應の杜を抜けて、古の防衛ラインを歩く【安全寺坂】編 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
雨水(うすい)初候
七十二候
第四候 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)
2月19日~23日ごろ。
雨が降り、
乾いていた大地がしっとりと潤い始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 けいおう の もり を ぬけ て、いにしえ の ぼうえい らいん を ある く【あんぜんじざか】へん 』
二十四節氣は
「立春」から「雨水」へと移りました。
雪や氷が解けて水になり、
雪が雨に変わるころ。
「三寒四温」の言葉が
ぴったりの季節ですね。
暖かい日差しに
春の訪れを予感したかと思えば、
翌日には真冬のような
寒さに震えることもあり、
体感温度のギャップに
驚かされます。
日を追うごとに
春めいてまいりますが、
この時期特有の
激しい寒暖差は
身体にこたえるものです。
どうぞ健やかに
お過ごしいただけるよう、
体調管理には十分ご留意ください。
さて、
昨日のブログでは
慶應義塾大学 三田キャンバスの
歴史ある学食「山食」へ
向かったお話でした。
その続きです。
一つ前のエントリーは こちら 。
慶應義塾大学「山食」の
ハヤシライスの
余韻に浸りながら、
私たちは
学食を後にしました。
そのまま
慶應義塾大学の正門を出て、
すぐ西側へ。
立ち寄ったのは、
「慶應義塾大学 三田インフォメーションプラザ」。
ここは、
慶應義塾の公式グッズなどが
販売されている場所です。
山食のハヤシライスも
とても美味しかったのですが、
お目当ての
「山食カレー」にはありつけなかった。
せっかくの機会、
ここでお土産として
「レトルトの山食カレー」を
購入しました。
余談ですが、
この「山食カレー」は
購入できます。
氣になる方は、ぜひ。
お土産を手に持ち、
私たちは目の前の大通り
桜田通りを渡ります。
その向こう側。
そこに、
今回のお正月の
東京出張における
港区エリア、
最後の目的地となる
坂道がありました。
その名は、
「安全寺坂(あんぜんじざか)」。
安珍坂、安楽寺坂、安泉寺坂とも
書かれたことが
あるそうですが、
その名の由来は、
江戸時代初期、
この坂の西側に
「安全寺」というお寺が
あったことにちなみます。
一歩、
その坂道に
足を踏み入れると、
先ほどまでの
大学の活氣や
大通りの喧騒が
嘘のように静まり返り、
そこには
独特の静寂な「氣」が
流れていました。
ふと、
このエリアの地図を
頭に思い描いてみます。
この周辺には
たくさんの
寺院が点在しています。
なぜ、
この地にこれほど多くの
寺院が集まっているのか?
江戸の坂道歩きの
水先案内人、
慶應義塾大学 塾員である
頼りになる日本女子の話によると、
それは単なる偶然ではなく、
江戸幕府による
「意図」があったと言われています。
東海道から
江戸に入る玄関口である
この「三田・高輪」エリア。
万が一の事変の際、
頑丈な石垣や
広い境内を持つ寺院を配置することで、
江戸城を守る
「防衛ライン」としての役割を
持たせていたのだとか。
つまり、
この坂道に流れる
あの深い静寂は、
かつて
江戸を守ろうとした
「祈り」と「武」の氣が
作り出しているもの
なのかもしれませんね。
かつて
「安全寺」という寺院が
あったとされる
この細い坂道。
それはまるで、
結界の中を
歩いているかのよう。
合氣道において、
「場」の氣を感じることは
とても大切です。
ただ静かなだけではない。
そこには、
数百年もの間、
この地を護ってきた
重厚な「意志」が満ちています。
その
古(いにしえ)の「残心」に
触れることで、
私たちの
背筋も自然と伸び、
呼吸が深く整っていくのを
感じました。
このすぐ近くには、
おそらく
東京の坂道では
一番有名であろう
三田の「幽霊坂」があり、
古刹(こさつ)の並ぶ
「聖坂」、「蛇坂」。
さらに
足を延ばせば、
白金、高輪地区には
有名な「伊皿子坂」や
「魚籃坂」など。
由緒ある坂道が
多く点在しています。
一氣に歩きたい
ところではありましたが、
この
「安全寺坂」をもって、
今回の東京出張での
港区の坂道巡りは
一区切りとなります。
江戸の南の守り、
三田の寺町を抜けて。
私たちの坂道巡りは、
いよいよ
江戸の中枢へ。
後日訪れた
新宿区、千代田区の
坂道へと
続いていきます。
場所が変われば、
そこに流れる「氣」もまた
変わるもの。
次なる古(いにしえ)との対話を
楽しみに。
さて、
次はどの坂が、
私たちを待っているのでしょうか。
古の江戸を歩く旅、
まだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
↓↓↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 道場を離れて学ぶ「氣の流れ」。慶應OGと行く伝統の学食 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立春(りっしゅん)末候
七十二候
第三候 魚上氷(うおこおりをいずる)
2月14日~18日ごろ。
冬の間、氷の下で静かにしていた魚たちが、
暖かさを感じて割れた氷の間から
飛び跳ねたり、
水面近くに顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 どうじょう を はなれ て まな ぶ「き の ながれ」。けいおう OG と ゆく でんとう の がくしょく 』
前の エントリー の続きになります。
麻布台ヒルズの
近代的な風景を背に、
私たちは
いくつかの江戸から続く
坂道を巡りました。
「綱の手引坂」、
そして「綱坂」を下り、
向かった先は
この坂の裏手に位置する
「慶應義塾大学 三田キャンパス」です。
ここ慶應義塾には、
合氣道琴心館寺崎道場に通う
数名のお弟子さん方が
塾生と塾員であり
また現在、私の家族が
学んでいる場所でもあることから、
少なからず
ご縁を感じる場所です。
そして、
この日、私を導いてくれた
お弟子さんも
その内の一人であり、
この学舎(まなびや)と
深く繋がっている人物です。
その日本女子は
合氣道琴心館寺崎道場
「江戸から続く由緒ある東京の坂道巡り同好会」
の一員であり、
麻布台教室を
主宰している指導者でもあります。
そして
慶應義塾大学文学部を卒業した
「塾員(卒業生)」でもあります。
慶應義塾では、
卒業生を親しみを込めて「塾員」、
在学生を「塾生」と呼ぶのですね。
港区が地元である彼女は、
この界隈の坂道巡りにおいて
非常に頼れる水先案内人です。
今回も事前に
私の体力等も考慮し、
最適なルートを提案してくれました。
歴史に名を残す
著名人の邸宅跡の解説から、
芸能ニュース、週刊誌
顔負けの裏話、
そして
ご自身の青春時代の思い出話まで。
この日本女子の話は
尽きることがありません。
合氣道には、
相手の「氣」を感じ取り、
尊重することで、
互いに導き、
導かれるという極意があります。
そして
そこには必ず、
澱みのない
「氣の流れ」が存在します。
彼女が作り出す
その心地よい「流れ」に任せる。
先を行く、
この日本女子の全身から
発せられる、
楽しげで
弾むような「氣」。
それに合わせ、
同調して歩むと、
不思議なことに
見慣れたはずの
この三田(みた)の街の景色が
いつもより鮮やかに、
色彩を帯びて
目に飛び込んでくるのです。
相手の氣の流れを尊重し、
素直に導かれること。
これもまた、
道場の外で行う
合氣道の稽古の一環と言えるでしょう。
そんな
温かな調和の中で
辿り着いたのは、
慶應義塾大学の学生食堂、
「山食(やましょく)」です。
実は以前から、
ここの名物である
「山食カレー」を是非また
食したいと
願っていました。
この「山食」、
創業はなんと昭和12年(1937年)。
まもなく90年を
迎えようかという、
長い歴史を持つ食堂です。
しかし近年、
この老舗もコロナ禍の影響を
大きく受け、
存続の危機に瀕しました。
その時、
「学生時代の思い出の味を無くしてはならない」と
立ち上がったのが、
全国の「塾員」たちでした。
クラウドファンディングで
集まった支援総額は、
なんと43,232,000円。
目標を遥かに上回る
この数字は、
いかに
この食堂が愛されているか、
そして
塾生、塾員たちの
結束という「氣」が
いかに強固であるかの
証明に他なりません。
彼らの熱意によって、
「山食」はその危機を見事に乗り切り、
今もこうして
伝統の釜を守り続けているのです。
そんな人々の
想いが詰まった食堂で、
私たちは
食券を買い、お盆を手に取り
カウンターへ並びました。
残念ながら、
訪れた日は
お目当てのカレーはお休み。
少々、
残念な氣はしましたが、
代わりにメニューにあった
「山食ハヤシライス」を
セルフサービスで
受け取り、席へと運びました。
テーブルに置き、
ハヤシライスと向き合います。
シンプルながらも
食欲をそそる香り。
ハヤシライス430円、
サラダ150円。
そして
ここに来たら外せない
名物のパイナップルは120円。
多くの塾員、塾生の
支援によって
護られたこの場所で、
変わらぬ味を
この価格で提供し続けていることには、
ただただ
頭が下がる思いです。
「いただきましょう」と
席を勧められ、
差し出された
この日本女子の手には、
道場での
凛とした姿とはまた違う、
柔らかな氣遣いが
感じられました。
お腹も満たされ、
足取りも軽く。
さて、
次はどんな「氣の流れ」が、
私たちを
どの坂道へと
導いてくれるのでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 鬼を斬った武人の魂。「綱町」に眠る千年の記憶【綱坂】編 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立春(りっしゅん)末候
七十二候
第三候 魚上氷(うおこおりをいずる)
2月14日~18日ごろ。
冬の間、氷の下で静かにしていた魚たちが、
暖かさを感じて割れた氷の間から
飛び跳ねたり、
水面近くに顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 おに を きった ぶじん の たましい。「つなまち」に ねむ る せんねん の きおく【つなざか】へん 』
2月10日の
ブログからの続きです。
この記事の
エントリーはコチラから。
お正月の東京出張。
稽古の合間の
「江戸から続く東京の由緒ある坂道巡り」
出発点は、
東京の「今」を象徴する麻布台ヒルズ。
空を突くような
最新鋭のビル群に背を向け、
私たちは古地図をなぞるように
歩き出しました。
目指すは、「江戸」、
いや「平安」の記憶が残る場所です。
鼠坂、植木坂、日向坂、神明坂。
次々と現れる
坂道を巡っていきます。
港区 麻布台から
三田(みた)という街は、
これほどまでに
起伏に富んでいるのかと
驚かされます。
坂の名前の一つひとつに、
かつてそこに暮らした
人々の生活や、
風景の断片が
閉じ込められているようです。
そして、
「綱の手引坂(つなのてびきざか)」へ。
なんとも謎めいた
名前の坂を経て、
辿り着いたのが
今回の目的地
「綱坂(つなざか)」です。
慶應義塾大学の裏手に
ひっそりと佇む、この「綱坂」は
前回の「綱の手引坂」と
同様に
平安時代の武将、
渡辺綱(わたなべのつな)に
由来します。
羅生門で
鬼の腕を切り落とした
鬼退治の伝説で知られる、
源頼光四天王きっての剛の者。
この地は彼が生まれた場所とも、
屋敷があった場所とも
伝えられています。
また、
この辺りはかつて
「三田綱町(みたつなまち)」と
呼ばれていたそうです。
坂のすぐそばには、
鹿鳴館の設計者としても知られる
ジョサイア・コンドル設計の
「綱町三井倶楽部」が、
その優美な姿を見せています。
「綱坂」、「綱の手引坂」、そして「綱町」。
麻布台ヒルズの
圧倒的な「高さ」と「新しさ」を
見た直後だったからでしょうか。
この一帯に
足を踏み入れた時、
強烈なコントラストを感じました。
現代の景色は
コンクリートに覆われていても、
この急な勾配と、
土地に刻まれた「綱」の名は、
千年前から変わらず
ここに在り続けています。
都市開発によって
建物がどれだけ変わろうとも、
地名そのものが持つ
「記憶」は消え去りません。
現代の地図の中に、
武勇を誇った一人の武人の魂が、
地名という形をとって
今なおこの地を
護っているかのようです。
合氣道においても、
目に見える動き以上に、
その奥にある
「見えない流れ」や「氣配」を
察知することが重要です。
最新の街並みを抜け、
坂という結界を越えて、
古(いにしえ)の伝説に触れる。
これこそが、
東京という街の深みであり、
古を歩く
醍醐味なのだと感じました。
先人の残した足跡は、
目には見えずとも、
確かにそこに在るのですね。
さて、
次はどの坂が、
私たちを待っているのでしょうか。
古の江戸を歩く旅、
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 万物は流転する――雪景色から水温む春、三寒四温の稽古場にて "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
立春(りっしゅん)末候
七十二候
第三候 魚上氷(うおこおりをいずる)
2月14日~18日ごろ。
冬の間、氷の下で静かにしていた魚たちが、
暖かさを感じて割れた氷の間から
飛び跳ねたり、
水面近くに顔を出し始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ばんぶつ は るてん する――ゆきげしき から みずぬるむ はる、さんかんしおん の けいこば にて 』
" 板の間で知る、春の足音 "
暦は七十二候の
「魚上氷(うおこおりをいずる)」を
迎えました。
氷が割れ、
そこから魚が跳ねる時期。
まさにその通りの変化を、
肌で感じる土日でしたね。
昨日の2月15日、日曜日の稽古。
場所はいつもの道場マットではなく、
フローリングの稽古場でした。
手にしたのは「杖(じょう)」。
朝から氣温はぐんぐん上がり、
15度を超えていました。
数回、
型稽古で杖を振っただけで、
額には汗が滲むほど。
窓から入る風も、
どこか温かみを
帯びた春の匂いがしました。
ふと、
ちょうど一週間前のことを
思い出しました。
先週の日曜日も、
同じこの場所で杖を振っていたのです。
しかし、
その日は神戸には珍しく、
朝から雪が積もる一日でした。
フローリングの床は、
裸足の裏が痛くなるほどに
冷え切っていました。
けれど、
子どもたちは寒さなどお構いなし。
稽古場の窓を
ガラリと開け放ち、
「キャーキャー」と歓声を上げて
雪景色に目を輝かせていました。
あの日、
足裏から突き刺さる
ようだった冷氣が、
たった七日で
汗ばむ陽氣に変わる。
そしてまた、
今週前半は
最低氣温が一桁の
寒い日が
二、三日続く予報。
まさに
「三寒四温」。
行きつ戻りつしながら、
季節は劇的に動いていますね。
一週間で
景色がこれほど変わるのです。
私たち自身の身体が
変わっていないはずがありません。
人間の身体を構成する
多くの細胞は、
日々、古いものが死に、
新しいものが生まれています。
生物学的にも、
「先週、足裏が凍てついていた私」と
「昨日、汗を流して杖を振った私」は、
厳密には別の存在とでも言いますか…
" 地球は回り続け、万物は流転する "
決して
止まることはありません。
私たちの命もまた、
その大きな流れの中にあります。
合氣道の稽古も同じです。
「今日は技が冴えた」
「昨日はうまくいかなかった」という
過去の感覚に
居着いて(固執して)しまえば、
今の動きは冴えず、
心身は淀んでしまいます。
日々新しく
入れ替わる細胞のように。
今の季節の
移ろいのように。
氷を割って
天へ跳ねる魚のように。
瑞々しい心と身体で
稽古に向き合いたいものです。
春はすぐそこ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 教科書が教えないなら、道場で教える。「日本ってどんな国?」 "
今朝目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立春(りっしゅん)次候
七十二候
第ニ候 黄鴬睍睆(うぐいすなく)
2月9日~13日ごろ。
春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれる
ウグイスが、春の到来を告げるように
山里で鳴き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 きょうかしょ が おしえ ない なら、どうじょう で おしえ る。「にほん って どんな くに?」 』
昨日と一昨日のブログでは
「建国記念の日」について触れました。
2月12日のエントリーはこちら。
11日のエントリーはこちら。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」
これが祝日法の定める
「建国記念の日」の目的です。
しかし、
今の日本において、
我が国がいつ・どのように
建国されたのか、
その歴史と伝統を
正しく認識している国民は、
どのくらいいるのでしょうか。
" 自国を知らずして、他国を尊べるか "
子どもたちに
学校で教えないから、
子どもたちは何も知りません。
また、
私も含めて
親の世代も教わっていないから、
子どもたちに
教えることもできません。
これが今の日本の現状です。
近年、
訪日外国人の増加や
移民政策など、
日本社会は
急速に国際化しています。
外国の方々と
仲良く共生するには、
その国の文化や風習を
尊ぶことが大事です。
しかし、
自国の歴史も建国のことも
知らないままで、
どうして他国の文化を
心から尊重できるでしょうか?
合氣道は日本発祥の武道です。
私が主宰する
「合氣道琴心館寺崎道場」は、
今年で13年目を迎えました。
僭越ながら私は、
単に合氣道の「技」や
「身体の使い方」だけを
指導するのでは
足りないと考えています。
日本の文化風習、
そして日本人としての誇りを持ち、
社会のため、
人のためになる人間を育てること。
その思いから
不肖私は、稽古の中で事ある毎に、
小学生から大人まで
全てのお弟子さんに
日本の歴史や文化を話しています。
「日本は今年で、何年の歴史がある国ですか?」
この問いに
あなたは即答できるでしょうか?
正解は、
「2686年」の悠久の歴史がある国です。
(2026年現在)
計算方法は簡単。
今の西暦に
「660」を足せばよいだけです。
西暦はキリストが生まれた年を
基準としていますが、
日本は初代・神武天皇が
即位された
紀元前660年を
「始まり」としました。
この出発点の違いは、
とても重要です。
道場を開いて13年。
最近ようやく、
小学生や中学生の一人二人が
「建国記念の日」という言葉を、
正確に言えるようになりました。
但し、
「けんこくきねんのひ」という言葉だけです。
でも、
以前はそれすらあやふやで、
「2月11日は何の日?」と
問いかけても、首を傾げるだけ。
答えることができても
「建国記念日」などと、
正確には知らなかった。
したがって、
これは確かな「一歩の前進」です。
さはさりながら、
言葉を知っているだけでは
まだ入り口に立ったに過ぎません。
大事なのは、
その先にある「中身」です。
「日本という国はどんな国ですか?」
子どもたちへの
この問いに対し、
即座に
こう答えられるようになってほしい。
「日本は神武天皇が
即位された日を紀元として、
2686年の歴史を持ち、
父系一系で途切れることなく
126代続いている皇位継承の国。
世界に燦然(さんぜん)と輝く
悠久の歴史を持つ、誇るべき国。
それが私たちの祖国です」
父方をたどれば
初代・神武天皇までつながるという、
世界で唯一の国柄。
これこそが、
日本の世界に誇れる根幹なのです。
かつて明治6年(1873年)、
神武天皇即位の日を
「紀元節」と定めましたが、
GHQ統治下の
昭和23年(1948年)に廃止されました。
その後、
主権回復を経て、
昭和41年(1966年)に
現在の「建国記念の日」として
復活した経緯があります。
次代を担う子どもたちが、
胸を張って
「日本はこういう国です」と
答えられるその日まで。
ささやかながら、
弛まず伝え続けてまいります。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝