" 美しい感情、美しい佇まい、美しい人 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大雪【たいせつ】初候
七十二候
第六十一候 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
12月7日~10日ごろ。
重たい灰色の雲が空を覆い尽くし、天と地が塞がれたように真冬が訪れるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 うつくし い かんじょう、うつく しい たたずまい、うつくし い ひと 』
今日のキーワードは
" 佇まい (たたずまい) " です。
「美しい佇まい」とは、
人や建物などが
静止している時の姿や様子が、
見た目の美しさだけでなく、
内面からにじみ出る
品格・調和・落ち着き・趣(おもむき)
といった要素を含めて、
全体的に魅力的で
心惹かれる状態を指します。
単なる外見の
綺麗さ(麗しさ)だけでなく、
その背景にある
設計思想、素材の質、周囲との調和、
さらには人の場合は
立ち振る舞いや内面性まで含んだ、
深みのある美しさを表す言葉ですね。
道場でお弟子さんたちと稽古をし、
また日常で多くの人と接する中で、
ふと感じることがあります。
ただ
その人の隣に座っているだけで、
言葉を交わさずとも、
何とも言えない心地よさや、
陽だまりのような
温かさを感じることがあるのです。
まるで、
その場の空氣が
柔らかく澄んでいくような感覚。
そういう「氣」を
自然と発することができる人は、
個性が輝き、
感情の美しい人なのだと思います。
内面の静けさと豊かさが、
そのまま外へと滲み出ているのでしょう。
一方で、
なぜか心がざわつく、
なんとなく
居心地が悪いと感じさせる空氣もあります。
それは往々にして、
心に余裕がなく、
自分本位な感情が
渦巻いている時に生じる
「不協和音」のようなものかもしれません。
ありのままに表現すると、
わがまま、傲慢、自分勝手、あつかましい、
周りの空氣が読めない、ふてぶてしい。
そのような人であります。
合氣道の技で言うところの、
相手とぶつかってしまっている状態です。
私たち
合氣道を学ぶ者が目指すべきは、
強さだけではありません。
技の稽古を通じて
自身の角を取り、心を丸く磨いていくこと。
「あの人のそばにいると、なぜか元氣が湧いてくる」
「あの人がいるだけで、場が和む」
そんな、
美しい感情を周囲に灯せる人間に、
私はなりたい。
美しい感情、美しい佇まい、
美しい人でありたい。
そして、
そんな人を友に持ち、
互いにそうありたいと願う
友垣(ともがき)と、
この先も
歩んでいきたいと切に願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【師範の視点】 道場長は見抜いている。稽古後の「その一言」で変わる若者たちの未来 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大雪【たいせつ】初候
七十二候
第六十一候 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
12月7日~10日ごろ。
重たい灰色の雲が空を覆い尽くし、天と地が塞がれたように真冬が訪れるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【しはん の してん】 どうじょう ちょう は みぬ い て いる。けいこ ご の「その ひとこと」で かわ る わかもの たち の みらい 』
" 何にでも興味を持つことが、人生の「深み」をつくる "
今年も
残りわずかとなりましたが、
合氣道琴心館寺崎道場の
全ての道場、教室を見渡すと、
20代、30代の若者たちや
中学生、高校生たちの
目覚ましい成長に驚かされます。
日々、
この日本男子、
日本女子らと共に汗を流し、
そのひたむきな姿を見ることは、
師範として何よりの喜びであり、
誇りでもあります。
技のキレ、体捌き、呼吸……。
しかし、
私がもっとも注目しているのは、
実は「稽古以外の時間」にあります。
多くの若者を見ていて、
はっきりと
二つのタイプに
分かれることに氣づかされます。
一つは、
「自分の興味があることだけを学ぼうとする人」。
もう一つは、
「何にでも興味を持ち、深く学ぼうとする人」です。
これは何も
若者だけに限ったことではありません。
何歳になっても同じことです。
道場に通う人たちの
誰がどちらのタイプか、私にはすぐに分かります。
それは、
道場での私の話、
いわゆる
話を聞く時の
「態度」と「眼差し」に出るからです。
前者のタイプは、
自分が関心のない話題になると、
フッと視線が下がります。
あるいは目は開いていても、
焦点が合っていない。
「心ここに在らず」の状態です。
自分のフィルターにかからない情報は、
無意識に遮断してしまっているのでしょう。
一方で、
後者のタイプは違います。
どんな話題であっても、
私の目を真っ直ぐに見つめ、
一言一句を
吸収しようとする氣迫があります。
そして
何よりの違いは、
稽古が終わった後の行動です。
「先生、さっきの話ですが、もう少し詳しく教えてください」
「もっとそのことを知りたいです」
「私もそこへ行きたいです」
そうやって、
貪欲に食らいついてくるのです。
合氣道の技だけでなく、
一見関係なさそうな
世間話や旅先の話
また、哲学的な話であっても、
そこに
学びの種を見つけようとする姿勢。
私は確信しています。
何にでも興味を持ち、
そこから何かを掴み取ろうとする
後者のような人こそが、
圧倒的に
「人間に深みがある人」へと育っていくのだと。
「好き嫌い」で情報を選り好みせず、
森羅万象に師を求める。
その好奇心こそが、
やがて大きな知恵となり、
その人の
人生を豊かに支える土台となります。
伸びゆく若者たちには、
技を磨くと同時に、
その「心の眼」も
大いに養ってほしいと願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 冬の静寂(しじま)、針供養の日に想う「道具への愛」 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
大雪【たいせつ】初候
七十二候
第六十一候 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
12月7日~10日ごろ。
重たい灰色の雲が空を覆い尽くし、天と地が塞がれたように真冬が訪れるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ふゆ の しじま、はりくよう の ひ に おも う「どうぐ へ の あい」 』
暦の上では、
二十四節氣の大雪(たいせつ)、
その初候である
「閉塞成冬(そらさむく ふゆとなる)」に入りました。
空は重たい雲に覆われ、
真冬の氣が天と地を塞ぐころ。
" 冬の静寂の中で「氣」を練る "
動物たちが
冬眠で命を守るように、
私たちもまた、
自身の中心である
「臍下の一点」に心を静め、
春の芽吹きに向けて力を蓄える、
そんな時期でもあるのかもしれませんね。
寒さで身体が縮こまる時こそ
氣を出して、
無理に動くのではなく、
静かに呼吸法で内側から熱を作る。
派手な技の稽古よりも、
基本動作や呼吸法を見直すのに、
適した季節でもあります。
そして本日、
12月8日は「針供養」の日です。
( 関東では2月8日に行うところもあるようです )
折れたり曲がったりした針を、
豆腐やこんにゃくといった
柔らかいものに刺して供養し、神社に納めます。
硬い布地と格闘し、
働き続けた針を、
最後は柔らかい場所で休ませてやる。
これは、
合氣道を学ぶ
私たちの心にも通じる氣がしてなりません。
道場、教室、
稽古着や帯、袴や足袋、
木剣、短刀、杖など。
己の身を守り、
高めてくれる道具に対し、
「お疲れ様、いつもありがとう」と
労う心を持つこと。
それは、
技の稽古で
相手を尊重する「礼」の精神と同じです。
" 道具を愛で、己を磨く "
使い古した道具には、
使い手の魂が宿ると言われます。
針一本、
木剣一本、
そして道場の雑巾一枚に至るまで。
物言わぬ道具たちへの
感謝を忘れた時、
私たちの技は荒れ、心は乱れます。
寒さが厳しくなるこれからの季節。
自分の身の回りの
小さな道具たちに思いを馳せてみましょう。
そして道場では、
寒さに負けぬ
熱い「氣」で、共に汗を流しましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 悩みや迷いは夜に断つな、朝の光で解け "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小雪【しょうせつ】末候
七十二候
第六十候 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)
12月2日~6日ごろ。
橘の実がだんだん黄色く色づき始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 なやみ や まよい は よる に たつな、あさ の ひかり で とけ 』
合氣道は
相手と争わず、相手の氣を尊重し、天地のリズムに合わせます。
これは私たちの毎日の生活も同じこと。
朝起きた瞬間の
心のありようが、
その日一日の運命を
左右すると言っても過言ではありません。
" 天地の理(ことわり)に逆らわない "
みなさんの中には
「夜の方が調子が出る」という方も
いらっしゃるかもしれませんね。
ある時、
お弟子さんに
「いつが一番、心身が充実していますか?」と問うと、
時折、
「深夜です。静かで集中できますから」と
答える人がいます。
現代社会の
複雑な時計に合わせれば、
それも一つの真理かもしれませんし、
ついつい夜更かしをしてしまう氣持ち、
よくわかります。
でも、
私たちの身体、
そして脳の仕組みから見ると、
やはり
「朝」が一番、
力を発揮できるようにできているようです。
私たちの脳には
「やる氣」や「元氣」の
源になる成分があるのですが、
これは
私たちがぐっすり眠っている間に、
脳の中でせっせと作られ、
貯金されています。
そして朝、
目が覚めると同時に、
その貯金がチャリンと下ろされて、
身体中にエネルギーとして行き渡るのです。
寝ている間に「天地の氣」が
心身に充満して修復しているのですね。
つまり、
夜は「エネルギーを貯める時間」、
朝は「エネルギーを使う時間」。
この自然のリズムに逆らって、
充電コードをつないだまま
走るような生活をしていては、
いつか心がガス欠を起こしてしまいます。
それが
「心身の病み」につながるのです。
" 夜の「もやもや」は、朝に溶ける "
昔から
「朝のひとときは、晩のふたときに当たる」と言われます。
これは、
朝の1時間は
夜の3時間分くらいの価値がある、
という意味です。
みなさんも経験がありませんか?
夜、疲れた頭で悩み事をしていると、
悪い方へ悪い方へと考えてしまい、
答えが出ないまま
不安だけが募っていくことが。
でも、
一晩寝て、
朝の光の中で同じことを考えると、
「あれ? なんであんなに悩んでいたんだろう」と、
不思議なくらい
心が軽くなっていることがあります。
これは、
夜の間に脳が整理整頓され、
朝の新鮮な
「やる氣」が満ちてくるおかげです。
夜に無理やり
ひねり出した答えより、
朝のコーヒーを飲みながら
ふと思いついたアイデアの方が、
ずっと素敵で、
前向きなことが多いものですよ。
そういう意味でも
私は毎朝、3時に起きて
このブログを執筆しています。
" 早起きは、自分への小さなプレゼント "
「早起きは三文の徳」という言葉がありますね。
昔の「三文」は、
今で言えばごくわずかな小銭のこと。
「たったそれだけ?」と
思うかもしれませんが、私はこう解釈しています。
「ほんの少し早く起きるだけで、心に余裕というお釣りがくる」ということ。
人間が本来持っている
リズムを思い出してあげること。
夜はしっかりと心身を休めて
「元氣の素」を蓄え、
朝は
そのエネルギーを氣持ちよく解き放つ。
これだけで、
滞っていた川の水が
さらさらと流れ出すように、
物事がスムーズに進み始めます。
明日の朝は、
いつもより5分だけでも早く起きてみましょう。
そして
早く起きた5分を
有効に使って深く「呼吸法」をする。
ただ、吐けるだけを吐き、
吸えるだけを吸う。
吐きに任せて、吸うに任せる。
その氣持ちよさが、
自分の一日を、
そして運氣を、
きっと良い方向へ運んでくれるはずですよ。
それでは、
今日も良い一日を。
そして、
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 午前3時の教訓 「原稿消失」痛恨のミスを噛み締め、今日を楽しむ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小雪【しょうせつ】末候
七十二候
第六十候 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)
12月2日~6日ごろ。
橘の実がだんだん黄色く色づき始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ごぜん さんじ の きょうくん 「げんこう しょうしつ」つうこん の ミス を かみしめ、きょう を たのし む 』
" 道場長の痛恨事と「裏目の時期」を楽しむ心構え "
月曜から金曜日の平日の
毎朝午前3時。
静寂の中でスマホに向かい、
この道場長ブログ
" ぼくらの合氣道 "「道場長の一日一心」の
執筆を始めるのが私の日課です。
この時間は、
文字通り「一心」となって
文章と向き合える、
私にとって最も大切な稽古の一つです。
しかし、
今日は思わず笑ってしまいました。
書き始めから
2時間をかけて推敲を重ね、
公開という直前。
スマートフォンの操作で
手が滑ってしまい、
ブログの下書きが
すべて消えてしまったのです。
「あ〜あ、やってもた」
そう声に出して笑ってしまいました。
ブログシステムを
使う上での基本中の基本。
更新するまでは
「下書き保存」をしなければ、
せっかく紡いだ
言葉たちが一瞬で消え去ってしまう。
この痛恨のミスは、
何度も経験しているはずなのに。
長文になればなるほど、
一字一句、同じ文章は二度と書けません。
その時の心境や空氣感は、
その瞬間にしかないからです。
" 生きていればこそ、「裏目」の時期もまた貴重な稽古 "
実は、
今の私は
この夏あたりから、
やることなすこと、
少しずつ
裏目に出ることが増えています。
稽古の指導、
人間関係、
そして今回のブログ原稿消失。
思い描いた通りに進まない。
もちろん、
生きていれば、
良いことばかりが
続くわけではありません。
一方で、
悪いことばかりでもない。
しかし、
人生という長い道を歩む中で
何をやっても上手くいかない、
停滞しているように見える
「裏目の時期」というのは、
誰の身にも訪れるものと思います。
この裏目の時期こそ、
私は「貴重な人生の稽古」だと
捉えるようにしています。
良いことも悪いことも、
全て自分の人生の一部です。
合氣道では、
相手の攻撃を「悪」として遮断するのではなく、
その力や氣、動きを活かして(捌いて)
技につなげます。
人生も同じではないでしょうか。
上手くいかない出来事、
消えてしまった文章、
思い通りにならない状況。
これらを嘆くのではなく、
しっかりと噛み締めて、
その経験を楽しめば良い。
「悪いこともしっかり噛み締めて楽しめば良い」
そう心で唱えると、
不思議と力が湧いてきます。
今日の痛恨事は痛い。
しかし、
このブログのタイトルが示す通り、
私の人生は「一日一心」です。
消えてしまった文章に
固執しても仕方がありません。
まだ日付が変わって、
3時間しか経っていません。
新しい一日の始まりです。
夜が明け、
太陽が昇れば、一旦リセット。
また明日は一から、
新しい氣持ちで文章に取り組める。
この
「裏目の時期」を通り過ぎたとき、
きっと今の経験が、
誰かの役に立ち、
合氣道の指導の深みとなり、
また、
私の人生を
豊かにしてくれると信じています。
そして、
この " ぼくらの合氣道 "「道場長の一日一心」を
日々読んでくださる大切な皆さまへ。
もし今、
何をやっても上手くいかない、
人生が「裏目」に出ていると
感じている方がいれば、
私と同じく
笑い飛ばしてしまいましょう。
裏目の時期は、必ず終わりが来ます。
私たちは皆、
常に成長し続けています。
その「次の成長」へ向かうための、
大切な「準備期間」として、
この時期を前向きに受け入れ、
じっくりとご自身の心身と
向き合ってみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝