" 狸谷山不動院から奥の院へ。逃げ場のない山中で悟る自然の脅威と危機管理 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏【りっか】末候
七十二候
第二十一候 竹笋生【たけのこしょうず】
5月15日~20日ごろ。
タケノコが生えてくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 たぬきだにさんふどういん から おくのいん へ 。にげば の ない さんちゅう で さとる しぜん の きょうい と ききかんり 』
昨日の続きとなります。
一つ前のエントリーはコチラから。
京都市左京区一乗寺にある
狸谷山不動院 本堂での参拝を終え、
下山しようとした時のことです。
ふと、「奥の院」へと続く石段が、
私の目に留まりました。
入り口のきわには、
なぜか土のうが積まれております。
一見すると、
立ち入り禁止かと
思うような雰囲氣でした。
しかし、
それを明確に示す表記は
どこにもありません。
ただ一つ、
階段の手すりに
目を疑うような張り紙がありました。
「熊出没注意」
目撃日は、
令和5年9月30日と記されております。
私たちはこの時、
「奥の院」がどのような場所か
全く情報を
持ち合わせておりませんでした。
張り詰めた空氣の中、
十分に注意を払いながら
一段一段、階段を登って行ったのです。
ほんの数段登っただけで、
そこはもう鬱蒼とした深い森の中でした。
少しひらけた場所に、
石碑のようなものが
ひっそりと佇んでおります。
その傍らの木に、
さらに2枚の
「熊出没注意」の張り紙がありました。
1枚は、先ほどと同じ日付。
もう1枚は、
令和6年5月8日となっております。
どうやら、
この場所すらも
まだ奥の院ではないようで、
矢印が、
「次はコチラ」と
先を指し示しております。
その2番目のポイントは、
張り紙のある場所から辛うじて見えました。
そこにも石碑があり、
さらにその奥へと、
矢印は無情にも続いております。
しかし、
3番目の場所は、
鬱蒼とした木々に阻まれ、
ここからは全く見えません。
さらに深く、
山を登らなければならないようです。
見渡せば、
大木が倒れたまま放置され、
道なき道のような、
荒れた山の斜面が広がっておりました。
その場で、
同行していたお弟子さんが、
すかさず
スマートフォンで検索してくれました。
そこで初めて、
私たちは「奥の院」の
全貌を知ることになります。
本堂からさらに山深く入った、
古くから修験者たちが
厳しい修行を積んだ神聖な霊場。
あの本堂の
鋭い眼光だった不動明王に仕える
三十六童子の像が、
険しい山道に沿って
祀られているとのこと。
三十いくつもの祠を巡りながら、
さらに30分から40分も、
山を登らなければならないというのです。
ネットの情報には
「整備されている道」とありましたが、
目の前の倒木や
急斜面を見る限り、
私には到底そうは思えませんでした。
ここで私たちは、
これ以上進むことを
きっぱりと断念いたしました。
もし今この瞬間、
本当に熊と遭遇したら
どうなるでしょうか。
木の根や落ち葉に
足を取られるような、
この極めて足場の悪い悪路です。
車に匹敵するスピードで
突進してくる熊から、
逃げ切ることなど不可能です。
張り紙はあくまで
「たまたま人が目撃した日」に過ぎません。
実際には、
もっと頻繁に
この辺りを徘徊しているはずです。
まだまだ
未来ある指導者と、
その道を志す弟子たちを
このような
危険な場所に連れ込んでしまった。
私は自らの判断を
深く反省し、
ただちに下山するよう、
皆に指示を出しました。
〈中島 小雪〉師範部長が、
「では、先生も降りましょう」と
声をかけてくれます。
「皆は早く降りて。私はもう数分、ここにいるから」
私がそう伝えると、
皆が一様に
「ええ〜」と、不安げな声を上げました。
すると、
隣にいた〈一ノ瀬 尚〉先生が、
「じゃあ、私も先生と一緒に残るから、皆は早く降りて」と、
背中を押してくれたのです。
皆が、
急ぎ足で下山していきました。
「こんな所でまた動けなくなったら、どうするんですか」
※一つ前のエントリーはコチラ。
〈一ノ瀬 尚〉先生は、
静かにそう言って、私の身を案じてくれます。
本当に、
この日本女子の言う通りです。
私は、四方八方、
360度の景色を、じっと見渡しました。
私は合氣道のほかに、
かねてより「危機管理」や、
「テロ対策」について深く学んでおります。
「相手の氣持ちになって予測し、行動すること」
それが、
いかなる事態においても
「危機管理」、「テロ対策」の鉄則となります。
もし自分が、
誰かに危害を加えようとするなら、
どこに潜み、どう襲うか。
事を終えた後、
どこからどうやって逃走するか。
誰がやったか
見つからないためには、どうするか。
もちろん、
私自身が
そのような凶行に及ぶことは、
絶対にありません。
しかし、
その極限の視点を持つことこそが、
「危機管理能力」の極意なのです。
私はその道を専門分野とする
日本のみならず、
世界各国の専門家からも
高く評価される方から
直接学んでおります。
機密事項も多いため
これ以上は記せません。
麻布台教室を主宰する
〈円谷ひとみ〉先生、
東京、神奈川の各道場と
教室をまとめ、
自らも恵比寿教室を主宰する
〈中島 小雪〉師範部長、
そして、
神奈川辻堂教室を主宰する
〈一ノ瀬 尚〉先生も、
共にそれを学ぶ大切な同志です。
一見すると、
私たちが学んでいる
合氣道と「安全保障」などは、
全くの別分野ではないか?と、
よく人から聞かれます、
しかし、私はそうは思いません。
安全保障、危機管理、テロ対策、
資源エネルギー、環境、経済、
AIやロボティクス、
そして正しい歴史認識。
すべては、
己を律し、他者と和合する
合氣道の精神と、
根底で深く繋がっております。
" 人間が生きる真の価値は、
人や社会のお役に立つことです "
合氣道琴心館寺崎道場の目的は、
武技の向上のみならず、
より良い社会のために
貢献できる人材を育成すること。
指導者たる私や、
錬成稽古に参加する先生たちが
これらを深く学ばずして、
どうしてお弟子さん方を導けるでしょうか。
私が危険を承知で、
数分間この場に残った理由。
それは、
このような鬱蒼とした山中で
熊に襲われた際、
逃げ道など全くないという
圧倒的な危機感を、
自らの肌で知るためでした。
連日、熊の被害を伝える
悲惨なニュースを目にします。
その度に、
「なぜそこへ行ったのか」
「なぜ逃げられなかったのか」と、
つい想像してしまいがちです。
しかし、
今まさに私自身が、
その「逃げ場のない場所」に
立っているのです。
見通しの良い場所なら
いざ知らず、
隠れ場所が無数にある
この斜面で、
命を守る術は極めて乏しい。
その冷酷な現実を、
深く胸に刻みました。
もし、
私と隣にいる〈一ノ瀬 尚〉先生に、
まだこの世で
為すべき役目があるのなら、
天地の大いなる意思が、
必ず私たちを生かしてくれるでしょう。
「天ちゃん、頼んだで」
私は小さくそう呟きました。
恐怖も、不安も、
ありのままの景色も
すべてを丸ごと受け入れる。
ゆったりとした
「深い呼吸法」とともに、
心を「臍下の一点」に静めます。
そして、
正しいリラックスを保ちながら、
私たちは静かに下山を開始いたしました。
その後、
周辺の寺社をいくつか巡り、
叡山電車の修学院駅へと向かいました。
土曜日の夕暮れ時、
穏やかな住宅街の風景が広がります。
夕食の買い物へ向かう
楽しげな親子や、
自転車で行き交う学生たち。
河原町や京都駅周辺ほどの
喧噪はありませんが、
多くの人々が行き交う、
ごく普通の生活の場です。
しかし、
その電信柱に、
またしても
「熊出没注意」の張り紙がありました。
複数の目撃日が、
生々しく記されております。
先ほどの
深い山中ならまだしも、
こんな人々の日常の
すぐそばにまで、
熊が足を踏み入れている。
その現実に、
私たちは思わず、目を疑いました。
山に餌がないからか、
人家の味を覚えてしまったのか。
人を恐れず、
冬眠しない熊が増えていると聞きます。
人間と大自然の動物たちが
本当に共存していくためには、
一体どうすればよいのか。
深く考えさせられる、
京都の夕暮れでありました。
――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技を極めることではありません。
どのような状況下においても
周囲の状況を静かに察知し、
相手を思いやる配慮を育むこと。
そして、
いざという時にこそ
臍下の一点に心を静め、
真の危機管理能力を日々の生活の中で
探究していくことです。
大自然の理や、
日々の歩みを通じた氣づきを、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
健やかな生き方のヒントが、
ここにあるかもしれません。
ぜひ、バックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 京都・一乗寺:斜面に立つ狸谷山不動院の懸造りと、名高き不動明王の眼光 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏【りっか】末候
七十二候
第二十一候 竹笋生【たけのこしょうず】
5月15日~20日ごろ。
タケノコが生えてくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 きょうと・いちじょうじ:しゃめん に たつ たぬきだにさん ふどういん の かけ づくり と、なだかき ふどうみょうおう の がんこう 』
昨日の記事の続きとなります。
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京阪電車
祇園四条駅から出町柳駅、
そして叡山 (えいざん) 電車で
京都市左京区 一乗寺駅。
ラーメン街道で昼食を済ませ、
狸谷山不動院
(たぬきだにさんふどういん) へと、
徒歩で向かいました。
5月16日の京都は、
すでに30℃近くまで
氣温が上がっておりました。
強い日差しの中を
歩み進めます。
静かな住宅街を抜け
山へと近づいていきます。
次第に傾斜が
きつくなってまいります。
事前にこの日の参拝ルートを
調べてくれていた、
〈中島 小雪〉 師範部長が
教えてくれました。
この先には、
250段もの階段が待っていると。
きつい坂道が続きます。
その中で、
ひときわ意氣揚々と
闊歩する者がおります。
麻布台教室を主宰する
〈円谷 ひとみ〉という生粋の江戸娘です。
実は合氣道寺崎道場の
「江戸の坂道巡り同好会」
発足のきっかけは、彼女でした。
3年前の東京での
指導者育成練成稽古。
稽古の合間に
この日本女子が主宰する
麻布台教室の
道場予定地を見に行きました。
その道中にあった坂道が
港区の雁木坂だったと記憶してます。
雁木坂は独特の石段を持つ、
風情ある江戸の坂道です。
当時、
都市開発著しい麻布台で
昔の姿が残ったのは奇跡に近い。
彼女はそう、
熱く語っておりました。
その時初めて、
彼女が江戸の坂道マニアだと
知ったのです。
「先生、東京には江戸から続く由緒ある坂道が、約700もあるんです」
彼女の言葉を聞き、
思い出したことがありました。
そのさらに数年前の
東京出張の際に
Googleマップで見つけた興味深い坂。
その名は、「幽霊坂」です。
私は合氣道師範の傍ら、
「怪談師」になりたいという夢を
実は密かに今も持ち続けております。
「幽霊坂」に行ってみたいと
ずっと思っておりました。
私の「幽霊坂」への興味と、
この江戸娘の坂道愛が交差しました。
それが「雁木坂」をきっかけとした
「江戸の坂道巡り同好会」結成へと、
繋がったのです。
翌年には、
念願の「幽霊坂」へもたどり着けました。
この恐い
「三田の幽霊坂」のお話は、
またの機会にいたしましょう。
話を
狸谷山不動院への道に戻します。
延々と続く、急な坂道に
私たちは苦悶しておりました。
しかし、
〈円谷 ひとみ〉だけは違いました。
「この曲線が美しすぎます」
「青々とした新緑と、この坂道は天国のよう」
そう言いながら、
軽やかに登っていきます。
この江戸娘こそ、
正真正銘の坂道を愛する人です。
私は、
江戸の坂道以外は
あまり興味がないのですが😅…。
やがて、
250段の階段が
目の前に立ちはだかります。
山の急傾斜に沿うように、
石段がうねりながら続いております。
その階段の途中には、
様々なお社や、
石碑が建ち並んでおりました。
険しい地形の起伏を、
そのまま活かした配置です。
自然の摂理と
見事に調和した景色を眺めながら
登っていきます。
ここで、
無駄に力を入れてはいけません。
正しいリラックスを、
心がけます。
ゆったりとした
呼吸を保ちつつ、
臍下の一点から
一段一段、歩みを進めます。
そうして、
息を乱さず
本堂の下へ到着いたしました。
ふと見上げると、
山の急斜面にせり出すように
本堂がそびえ立っております。
懸造り(かけづくり)と
呼ばれる、
清水寺のような壮大な舞台造りです。
険しい自然の地形の
斜面に寄り添い、
共に立つような美しい建築の姿。
そこにも、
大自然と和合する理合いを
深く感じました。
頂上では
手水舎で手を清め、
道順通りに参拝を進めます。
宮本武蔵が修行したとされる、
滝もあります。
入山料500円を納めて、
本堂へと入りました。
私たち以外にも
数名の参拝者がおりましたが、
本堂内は、
私たちだけになりました。
靴を脱いで、
静かに参拝いたします。
ふと正面を見ると、
大きな不動明王が祀られてありました。
鋭い眼光で、
こちらを見据えております。
堂内は、薄暗く。
外の暑さとは裏腹に
凛とした、
厳かな空氣に包まれます。
その鋭い眼光の前で
私はしばらく、
動けなくなりました。
これほど凄まじい眼力に
出会ったことはありません。
薄暗闇の中で、
その眼光だけが
光り浮き上がって見えます。
ただただ
凄いと、圧倒されました。
「いつまで座ってるんですか、行きますよ」
私の手を掴んだ
〈一ノ瀬 尚〉の声で、
ハッと我に返ることができました。
その間が
永遠のように、長く感じられました。
威厳に満ちた怖さの奥に、
何とも言えない安らぎがある。
何とも
不思議な体験でありました。
「あまり先生は、こういう場所には来ないほうがいいですよ」
そう笑う
神奈川、辻堂教室を主宰する
〈一ノ瀬 尚〉先生は、
合氣道に出会う
ずっとずっと前からの友人です。
私のことを一番よく知る、
弟子の一人でもあります。
思えば、
靖國神社へはじめて参拝した時も
そうでした。
あの威風堂々とした、
第一鳥居の前に立った時のことです。
見上げた瞬間、
目に見えない巨大な氣に、
圧倒されました。
英霊たちの鎮まる、
その神々しくも、重厚な空氣。
まるで、
古を歩くような
時間の感覚が
消え去る不思議な感覚でした。
ずっと来たかった場所。
「やっと念願が叶いました」
「感無量です」
感極まり、
私はその場に釘付けになり
一歩も、動けなくなってしまったのです。
周囲の音が遠のき、
ただただ、立ち尽くす私。
その時、
スッと私の手を取ってくれたのが
〈一ノ瀬 尚〉でした。
「行きますよ」と、
全く力みなく
自然体で導いてくれたのです。
境内の奥へと
私をゆっくりと、引っ張ってくれました。
そういう神々しい場所、
氣の満ちる場所では
私のことをいつも良く見てくれています。
私がその場に
取り込まれそうになるのを、
いつも敏感に察知してくれるのです。
動けなくなった私を
現実の世界へと、
そっと引き戻してくれます。
本当に、ありがたい存在です。
臍下の一点に心をしずめ、
和合の心で人に接する。
それを理屈ではなく、
ごく自然に行ってくれるのです。
後で知ったことですが、
この狸谷山不動院の不動明王は
その凄まじく「鋭い眼光」で、
大変有名なのだそうです。
ネットで検索すれば、
すぐ出てきます。
怒りの表情の奥にある
深い慈悲に、
多くの参拝者が、
圧倒されるといいます。
その眼光は、
決して単なる
威圧ではありませんでした。
迷いを断ち切り、
すべてを見透かす。
まるで、
静かな鏡のようでありました。
御意。
本堂を出て、
下山しようとした時のことです。
「奥の院」へと続く階段が、
目に止まりました。
実はそこは、
" 熊の目撃情報 " が多数ある
場所だったのです。
この暑さの中、
長く急な坂と
階段を上がり続けて、
やっと、ここまで登ってきたのです。
合氣道修行者としては
当然、「奥の院」へも行ってみたい。
その先に待ち受けていた恐怖とは。
続きは、
また次回にお話しいたします。
―――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技を極めることではありません。
周囲の状況を
静かに察知する配慮を育むこと。
力みなく自然体で人に寄り添い、
周囲の人の心にそっと灯火を灯す生き方を
ともに探究していくことです。
大自然の理や、
日々の歩みを通じた氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
健やかな歩みのヒントが、
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 春の指導者育成稽古を締めくくる京都・一乗寺での2日間|すべては弟子の成長に繋がる "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
立夏【りっか】末候
七十二候
第二十一候 竹笋生【たけのこしょうず】
5月15日~20日ごろ。
タケノコが生えてくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 はる の しどうしゃ いくせい けいこ を しめくくる きょうと・いちじょうじ での ふつか かん|すべて は でし の せいちょう に つながる 』
5月1日からおこなっておりました、
合氣道寺崎道場
春の恒例行事「指導者育成練成稽古」。
昨日、17日に
無事終えることができました。
この集中稽古は
春、夏、冬と
年に3回、毎年行っております。
指導者と
それを目指す者のための
大切な時間です。
今回は特に、
これから指導者を目指す
お弟子さんの
著しい成長を
感じることができました。
以前は
技の形にとらわれ、
心身に力みが
見られることもありました。
しかし今回は
相手の動きに逆らわず、
上半身の力を抜いた
正しいリラックスを
保つことができていたのです。
深い呼吸とともに、
臍下の一点に心が
すっと鎮まっておりました。
相手と争わず、
和合する。
その精神が、
技の端々から自然と溢れ出るような
見事な成長ぶりでした。
この集中稽古では
技の基本と正確さを
繰り返し確認し、
深淵を深めていきます。
しかし、
それにとどまりません。
指導者としての心得も
しっかりと再確認していくのです。
私か主宰する
合氣道寺崎道場の
指導者育成練成稽古では、
道場以外の場での学びも
また大切な稽古時間となります。
集中稽古期間中は、
食事も何度も共にします。
お酒を交わし、
心を結ぶその場も
かけがえのない
貴重な学びのひとつであります。
さて、
この集中稽古の最終2日間。
東京と神奈川の
全道場と教室をまとめる、
中島 小雪 師範部長の提案により
京都の地でおこないました。
16日の土曜日は、
京都市左京区
一乗寺エリアの神社仏閣を巡りました。
お仕事などの都合もあり、
私を含め
指導者とそれを目指す弟子10人中、
6名が集いました。
これもまた、
重要な稽古の一環です。
同じ景色を眺め、同じ空氣を味わう。
この静謐 (せいひつ) な時の中で、
何を思い、何を感じたか。
それを
それぞれの道場、教室に戻って
自身のお弟子さん方にどう活かすか。
これは
私の合氣道指導者としての持論ですが、
指導者というものは、
何を見ても
弟子の成長を願うものでなければ
本物ではありません。
何を感じても、
弟子の向上。
何を経験しても、
すべては弟子のため。
その感性を研ぎ澄ますための
大切な稽古なのです。
京都は
ラーメン激戦地として知られます。
一乗寺エリアは、
そのなかでも京都一の激戦区であります。
私たちも
そのラーメン街道にて
昼食を共にいたしました。
ただ、
うまいラーメンを食するだけでは
指導者として失格です。
開店前から
全国の観光客だけでなく、
地元の人々が行列するお店。
そのスタッフの方々の
温かな対応や所作、
店内に流れる氣の交流、
活氣ある雰囲氣。
そこに
客として集まる人々の「氣」。
それらを見逃さず
何もかも全部、
合氣道の指導へと
つなげていくのです。
今年の春の集中稽古を
締めくくるこの2日間は、
ことのほか
危機管理能力、感性において
内容の濃い時間となりました。
その詳細につきましては、
またこのブログでお話ししてまいります。
17日 (日) は
この指導者育成練成稽古で
最終日恒例となりました
「座学」と「氣の呼吸法」で
締めくくり、
祇園の京料理にて
皆で打ち上げをおこないました。
次回、8月の東京でおこなう
夏の集中稽古での再会を約束して、
新幹線で東京、神奈川へと
愛弟子たちは帰っていったのです。
日常のあらゆる場面に
指導者としての「学びの種」があります。
心を静め、
周囲の出来事をありのままに受け止める。
和合の精神から得た
その氣づきが、
それぞれの道場、教室に集う
愛するお弟子さんたちの
確かな「成長の糧」となるのです。
私たちのすべての経験は
それぞれの弟子たちの笑顔と向上のために。
―――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
ただ技を極めることではありません。
日々の生活に活きる
「争わない心」を育み、
自らが「率先躬行」の姿勢で
学び続けることで、
愛する弟子たち、
そして「周囲の人の心に灯火を灯す」ような
社会や人々の喜びに繋がる生き方を、
ともに探究していくことです。
自然の理(ことわり)や
日々の稽古を通じた氣づきを、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
より健やかな生き方、
良好な対人関係の築き方など
現代の暮らしに活かすヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 合氣道は答えの見つからないことを考える学問であり、哲学だ 。"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏【りっか】末候
七十二候
第二十一候 竹笋生【たけのこしょうず】
5月15日~20日ごろ。
タケノコが生えてくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あいきどう は こたえ の みつからない こと を かんがえる がくもん で あり、てつがく だ。 』
何事も真似からはじまります。
今から十四年ほど前のこと。
私は、合氣道琴心館の末席に
加えていただきました。
それからというもの
ひたすら師である
琴心館 館長 琴地 茂先生の
真似をいたしました。
技はもちろんのこと。
姿勢、所作、立ち居振る舞い。
そして、
話し方や言葉の選び方に至るまで。
真似をしたからといって、
それがすぐに身について
会得できるわけではありません。
しかし、
師の真似からはじめなければ、
何もはじまらないのです。
そうして
長年かけて身に付けた基礎。
そこに、
自分自身の経験や探究が加わります。
そうして初めて、
オリジナリティが
確立されるのだと思います。
表面的な形だけをなぞって
終われば、
それはただの真似事に過ぎません。
しかし、
稽古を重ね、
真似をしていく中で
大きな壁に当たります。
どうしても、
師の心身の繊細な動きが
真似できないのです。
実は、そこからが
最も深く大切な学びとなるのです。
その大切な学びの答えは、
いくら調べても見つかりません。
どのような本を読んでも
書いてはおりません。
誰に聞いても
教えてはもらえません。
現代のように、
ネットやAIで検索しても
答えは出てこないのです。
ありとあらゆる方法を駆使しても、
答えが出ないこと。
その見えない答えを
深く深く考えること。
それこそが、
「学問」なのだと私は思います。
そして、
それは「哲学」でもあります。
合氣道は
常に相手が存在します。
手を持たせたとしても、
相手が変わればすべてが変わります。
だからこそ、
絶対的な正解など存在しないのです。
ただ一つ、
確かなことがあるとすれば、
それは、
臍下の一点に心を静めること。
重力に逆らわず、
自然に落ち着くということです。
つまり、
正しいリラックスをするということ。
物体の重みが、
落ち着くべきところに落ち着く。
それを「落ち着き」と呼びます。
この心身の
「落ち着き」を土台にしてこそ、
私たちはさらに深く
真の問いに向き合うことができるのです。
調べても、探しても、
誰に聞いても
答えは見つからないことを、
懸命に考える。
それこそが、
学問でございます。
合氣道とは、
単に相手を投げる、投げられる。
あるいは、技が効く、効かない。
そのようなものでは決してないと、
僭越ですが、私は考えています。
ただ身体を動かすだけでは、
到底たどり着けない。
見えない答えを永遠に探究し続け、
己の在り方を問い続けること。
目に見える形を超えて、
深く理合いを探究していくこと。
それはまさに
一つの哲学であると、
不肖私はそのように思うのでありまする。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
――――――――――――――――――――
合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
単に技の形を学ぶことではありません。
臍下の一点に心を静め、
揺るぎない心身の落ち着きをはかること。
そして、答えのない問いに
自ら向き合うその探究の姿勢が、
確固たる自己の確立へと繋がっていくと信じ、
ともに歩んでいくことでございます。
自然の理や、
見えない答えを探す日々の稽古の氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
常に揺れ動く現代社会において
自分自身の軸を確立し、
健やかに生きるためのヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【指導者育成の深淵】導く者こそ最も深く学んでいる。練成稽古で知る「弟子は我が師匠」 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏【りっか】次候
七十二候
第二十候 蚯蚓出【みみずいずる】
5月10日~14日ごろ。
冬眠していたミミズが土の中から出てくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【しどうしゃ いくせい の しんえん】みちびくもの こそ もっとも ふかく まなんでいる。れんせいけいこ で しる「でし は わが ししょう」 』
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場
春の恒例
指導者育成練成稽古。
この場に集うのは
すでに一般の道場生を導く指導者や、
それを目指す10名の日本女子たちです。
彼女らの技の正確性をさらに高め
より良き指導者へと導くための稽古は、
一般のお弟子さんたちとの稽古とは、
はるかに次元が異なります。
日々、修練を積んだ彼女らの心身は
非常に研ぎ澄まされております。
私が彼女らを導こうとする際、
己の内にほんのわずかでも
我の力みが生じれば、
彼女らの鋭敏な感覚は
瞬時にそれを察知し、
技の軌道は途端に
相手とぶつかってしまうのです。
全身から強い氣を発する
高次元の弟子たちを導くためには
私自身が常に
「正しいリラックス」を体現し、
さらなる深みへと至らねばなりません。
臍下の一点に心を静め、
微動だにせぬ静寂を保つ。
己の未熟な部分や
心のわずかな揺らぎを
熟練の弟子たちの心身が
容赦のない鏡となって、
見事に、そして正確に、
映し出してくれます。
彼女らを導いているようでいて、
実は私自身が己の技と心を
より高い次元へと
引き上げてもらっているのです。
高みを目指して
真剣なまなざしで稽古に励む弟子は、
私にとっての
「尊い師匠」でもあるのです。
この深い和合の理合いは
組織の中で優れた人材や、
次世代のリーダーを導く際にも
通じるものではないでしょうか。
指導者もお弟子さんも
互いを高め合う尊い存在です。
相手の持てる力を
自然な形で最大限にまで
引き出していくこと。
その働きかけこそが、
自分自身を
より深く進歩向上させることに
繋がるのでありまする。
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合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
一方的に技や知識を教えることではありません。
師と弟子が
互いを映す鏡となりながら、
果てしなき「心と身体の落ち着き」を
共に探究していくことです。
上に立つ者こそが
自らの生き方をもって、
「率先躬行」の道を歩むこと。
その揺るぎない一挙手一投足が
やがて社会を照らし、
「周囲の人の心に灯火を灯す」という
真の喜びに繋がっていくと信じております。
稽古を通じた深い氣づきや
自然のことわりなど
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
より健やかな生き方、
次代のリーダーを導くためのヒントが、
ここにあるかもしれません。
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合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝