" あなたはウサギ? それともカメ? "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたります。
桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころ。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『 あなた は ウサギ? それとも カメ? 』
足の速いウサギと
足の遅いカメが競争をします。
ウサギは自分の足の速さに自信を持ち、
途中で昼寝をしてしまいます。
一方、
カメはゆっくりと着実に進み続け、
最終的にウサギよりも
先にゴールにたどり着き、競争に勝利します。
この「ウサギとカメ」は、
イソップ寓話の一つとして知られるお話ですね。
たとえば、
合氣道の技をすぐ覚えて上手な子に
アドバイスをすると
何をやってもすぐできるようになる。
一方で、
下手な子はなかなか思うようにいかない。
ところが、
できるようになったうまい子が、
いつの間にか、
その練習をやめてしまうのに対し、
下手な子は粘り強くそれを続け、
いつかはできるようになる。
そして、
継続することの大切さを知っている彼らは、
できるようになった後も
なお練習を続けるため、
結局は、
前者よりも力をつけることが多いのです。
私もこれまでの人生を振り返れば、
どちらかというと下手な子のタイプで、
「ウサギとカメ」でいうなら、当然カメなのです。
私は人の10倍やらなければ、
人並みにはなれないのです。
合氣道も然り、
今まで全ての物事において、
何をしてもそうでしたから。
「それだけは今でもそうなんだ」と
自分でよく分かっている。
それと、
自分にできることは
何事も粘り強く継続できること。
仕事でも毎日、
同じ作業をコツコツやることが得意です。
だから、
この毎日のブログの執筆作業も苦にならない。
たとえば、
野球界のイチローや松井秀喜さん、
現役では大谷翔平選手など、
一流選手たちは天才と呼ばれるほど
秀でたセンスを持ちながらも、
決して慢心せず、ひたすら継続を重ねる。
これが、
彼らが常に高みを目指し、
進化し続ける理由ではないだろうか。
そして、
彼らが私たちに示してくれる、
最も大切な教訓でもあるように思うのです。
これこそが、
私たちが共に目指すべき、
最高の境地であると、私は思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 決意なき者に未来はない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたります。
桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころ。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『 けつい なき もの に みらい は ない 』
師範や先輩の動きを自分の目で見て
頭でその通りのイメージを想像して
技を盗み、身体で覚える。
それがやがて自分の「潜在意識」の
奥深くまで入り込む。
その先に「氣が出る」。
技を習得できるかどうかは、
自身の強い意志にかかっている。
合氣道琴心館に入門当時の私は、
毎日、本部道場での稽古が終われば、
自分自身の道場でお弟子さんが待っている。
そのお弟子さん方に、
その日に習った技を「伝える」。
当時はまだまだ「教える」というより
「伝える」ことしか出来ませんでした。
常に師範の動きを注視し、
一つ一つの技を徹底的に模倣しようと努めました。
師範の身体の動きの一挙手一投足を
徹底的に真似することから始めて、
ある程度一つの技が出来るようになったら、
次に師範の氣を感じ取ることに専念しました。
「合氣道は形やないんや、中身なんや」
そう師範は教えてくれました。
その中身というのが「氣」なのです。
その「氣」を感じ取るには、
師範の受けを取るのが一番です。
直接そのままダイレクトに
師範の「氣」が伝わってきますから。
" 見て、真似して、盗みとる "
" 盗む " というと
言葉は良くないかもしれませんが、
師範や先輩に教えてもらおうという
受け身の姿勢では、
決して上達は望めません。
自ら積極的に上の者の技術を盗み、
鍛錬し、向上していく必要があるのです。
なぜなら、
教えられたことは記憶から抜け落ちやすいからです。
与えられた知識は、
受け身になりがちで、
深く理解しようとする意識が
薄れてしまうため、すぐに忘れてしまうのです。
しかし、
自ら苦労に苦労を重ね、
何度も試行錯誤を繰り返し、
ようやく盗み取った技術は、
自分の血となり肉となり、
潜在意識の奥深くまで入り込み、
決して忘れることはありません。
これは、仕事でも同様でしょう。
安易に与えられた知識は、
すぐに忘れ去られてしまいます。
しかし、
自ら「必ず自分のものにしよう」と
強く願い、苦労して、
ようやく盗み取った技術は、
決して忘れることはないのです。
何事であっても、
自ら「深く正しく学ぼう」とする
決意なき者は絶対に成就しない。
これ人生における、
天地大自然の絶対的大法則でありまする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 貧すれば鈍する "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、
「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたり、桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころです。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『ひん すれ ば どん する』
人間の味覚は、
その時々の体調や氣分によって
微妙に変化するものですね。
「以前、あんなに美味しいと感じた食べ物が、今日はなぜかそれほどでもない…」
このような経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
少し前になりますが、
ある定食屋さんでカツ丼をいただきました。
「あれっ、こんな味だったかな?」
以前にも、同じお店で同じカツ丼を
いただいたのですが、
前ほど美味しいとは感じなかった。
そんなことを考えながら、
食べているうちに
「あっ!そういうことか」
あることに氣づいたのです。
そのカツ丼を以前に
いただいたときは、
とても空腹で、とにかく美味しかった。
でも今日はそれほど空腹ではなかった。
" 人は空腹の時には、本当の味が分からない "
ということに氣がつきました。
私たち人間は
あらゆる動植物の命をいただき
生かされていますので、
自分のために犠牲となった命に
「美味しくない」なとど、
とてもではないが言えません。
そのうえで、
空腹にまずいものなし
喉が渇けば水でさえ
「甘露の慈雨」というように、
極度に空腹であれば
どんな食事も美味しく感じ、
喉が渇いていれば、
ただの水さえも
極上の飲み物のように感じられます。
つまり、
極限状態では
味の良し悪しを正確に判断することが
難しいということです。
本当に味を判断するには、
適度な満腹感と潤いが必要であると思うのです。
これは、
「貧すれば鈍する」という言葉にも
通じるかもしれません。
つまり、
貧乏すると、
生活の苦しさのために
精神の働きまで愚鈍になるということです。
極度の空腹や渇きは、
味覚という人間の重要な感覚を
狂わせる可能性があるように、
経済的な困窮は
人の判断力を鈍らせ、
正確な行動ができないということ。
味覚や貧富は、
単に食べ物や飲み物の味を
感じるだけでなく、
私たちの心や体の状態を
映し出す鏡のようなものなのかもしれない。
何事も適度な余裕がなければ、
そのものを正しく評価することができない。
人生において、
困窮を極めるほどの貧困は
乏しい判断力などが災いして、
うまくいくことも、うまくいかず、
時に人の道に外れることも
大いにしてあるように思うのです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" お陰様という小さな心の破片 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、
「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたります。
桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころ。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『 おかげさま と いう ちいさ な こころ の はへん 』
小さな幸せに氣づく心が幸福への扉を開く。
日々の生活の中で、
私たちは様々な出来事に遭遇します。
その中には、
「おかげさまで」や「感謝」といった
小さな心の破片が散りばめられています。
その小さな破片を掴まえて、
素直に
「おかげさまで」、「ありがとう」と思える人と、
何事も「損得」や「好き嫌い」の感情で
判断し、恨みや愚痴ばかりを
口にしてしまう人とでは、
長い目で見た場合、幸福度に大きな開きが
生まれてくると思うのです。
人生は、楽しいことばかりじゃない。
ときには、
つらいことや大変なこともある。
そんなとき、
感謝する氣持ちを持つのは難しいかもしれない。
でも、
ピンチの中にこそ、
成長のチャンスが隠れているのです。
" つらいときこそ「ありがとう」"
楽しいことや嬉しいことなら、誰でも感謝できる。
でも、
つらいことがあったときに
「ありがとう」って思うのは、
なかなかできないこと。
しかし、
「この出来事には何か意味があるはず」って、
無理にでも
感謝する氣持ちを持つようにしてみよう。
そうすると、
不思議と早く問題が解決する。
" 世の中はそういうふうにできている " と思うのです。
毎日、小さなことでも
「嬉しいな」「楽しいな」って
感じる心を大切にしよう。
それが、
毎日を幸福に過ごすための第一歩だと思う。
感謝の氣持ちを持つと、心にも余裕ができる。
* つらいときこそ、成長のチャンス。
* 小さな幸せを見つけると、毎日がもっと楽しくなる。
* 感謝の氣持ちは、心に余裕がうまれて、人間関係も良くなる。
何事にも「感謝とおかげさまで」。
ありとあらゆる世の中の出来事に
散りばめられた、
その心の破片を見落とさず、掴むことができれば、
毎日はもっと楽しく
有意義な人生になると思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 子どもの目の前でそれをする "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、
「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたります。
桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころ。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『 こども の め の まえ で それ を する 』
たとえば、
野球、サーフィン、スキー、スノーボード、釣り...
これらのスポーツやレジャーに
共通することは何でしょう?
それは、
「用具を使うスポーツ、レジャー」である
ということです。
他にもいろいろあるでしょうが、
これらのスポーツやレジャーを
たのしむ上で、
用具は身体の一部と言っても
過言ではありませんね。
用具の扱いに習熟することで、
パフォーマンスが大きく左右されます。
そして、
用具を丁寧に扱い、
メンテナンスを怠らないことは、
スポーツやレジャーを楽しむ上で
非常に重要な要素です。
しかし、
それ以上に、用具の手入れは
子どもの「情操教育」に
大きな影響を与えるということを
考えたことがあるでしょうか?
「情操教育」とは、
物事に感動したり、
相手を思いやる氣持ちなど、
豊かな感受性や
自分で考えるために必要である、
道徳的な意識や価値観を
養うことを目的とした教育のことです。
子どもの目の前で用具を手入れすること。
「道具を大切にしなさい」
言葉でそう教えることは簡単なことです。
しかし、
子どもの心に響くのは、
「親が実際に用具を手入れする姿を見せることです。」
たとえば、
野球のグローブを丁寧に磨いたり、
スキー板のエッジを研いだり、
ワックスをかけたりする姿を
子どもに見せる。
わが家でも、
子どもたちがまだ小さかった頃、
サーフィンをするために、よく海へ連れていきました。
海から上がれば、
シャワーでボードの塩分を流し、
きれいに拭いてボードケースに入れる。
炎天下に放置しない。
「サーフボードはとても傷つきやすいものだからだ、こうして大切に扱うんだよ」
「こうやって道具を大事にするんだよ」
言葉で説明するだけでなく、
実際にやってみせることで、
子どもは道具への愛着や
感謝の氣持ちを自然と育みます。
手入れを通して育む、3つの大切な心。
①「物を大切にする心」
用具を丁寧に扱うことで、
物を大切にする心が育まれます。
これは、スポーツ用具に限らず、
日々の生活においても重要な姿勢です。
②「感謝の心」
用具の手入れを通して、
道具への感謝の氣持ちが生まれます。
道具があるからこそスポーツを楽しめる。
その感謝の氣持ちは、周りの人々への感謝へと繋がります。
③「集中力と丁寧さ」
用具の手入れは、
集中力と丁寧さを養います。
一つ一つの作業に集中して取り組むことで、
子どもは丁寧に行うことの大切さを学びます。
また、
用具の手入れは、
親子のコミュニケーションを深める
絶好の機会です。
「ここはどうすればいいの?」
「もっとこうすると、よくなるよ」
会話をしながら
一緒に手入れをすることで、親子の絆が深まります。
用具の手入れは、
単なるメンテナンスだけではなく、
子どもの心を育む、最高の「情操教育」です。
親は子どもの目の前で、
愛情を込めて用具を手入れする姿を
見せてあげてください。
きっと、
子どもたちの心に響く、
大切な教育となるはずです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝