2024-05-20 07:25:00

" 鏡を見て自分を知れ "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『かがみをみて じぶんを しれ』

 

 

 

 

 

野球で投手がボールを投げる。

 

150キロを超える

 

球速の剛速球が

 

打者の胸元すれすれに

 

飛んできた。

 

 

 

 

 

打者は驚き、

 

ギリギリで球を避ける。

 

 

 

打者が血相を変えて

 

投手に詰め寄る。

 

 

 

両軍ベンチから

 

選手たちが飛び出し

 

一触即発の事態に。

 

 

 

 

 

その時、

 

飛んできたボールを

 

叱る人は誰もいない。

 

 

 

 

 

もし当たっていたら、

 

当たり所によれば

 

選手生命さえも

 

脅かす事態にもかかわらず、

 

 

 

「コラ!このバカボール」と

 

ボールを怒る人はいない。

 

 

 

 

 

投手は

 

腕の振り方であったり、

 

踏み出す足の位置だったり、

 

腰の向きが

 

どちらかに向きすぎていた。

 

 

 

また、打者は

 

ベース寄りに立ちすぎていたとか、

 

上半身に力みがあったため

 

ギリギリのところでしか

 

避けられなかったとか。

 

 

 

 

 

後で反省する。

 

 

 

 

 

そして

 

自分を知ることができるのだ。

 

 

 

 

 

自分の練習不足や

 

技術の未熟さを、

 

そのボールに教えられた。

 

 

 

 

 

打者が打ったボールも

 

一度バットに当たって、

 

その球が飛び出したら、

 

一塁へ向かって走り出すが、

 

 

 

飛び出したボールは

 

じっと見ることしか出来ない。

 

 

 

 

 

飛んでいったボールが

 

自分の技術の

 

上達や未熟さを教えてくれる。

 

 

 

 

 

合氣道でも

 

自分を知りたければ

 

相手に技を

 

かけてみることである。

 

 

 

そこに自分の技量が

 

如実に表れ

 

映し出される。

 

 

 

 

 

そこで

 

自分を知ることが出来、

 

自分の値打ちも

 

知ることが出来るのです。

 

 

 

 

 

そこから

 

反省の機会も生まれる。

 

 

 

 

 

慢心、過信、

 

思い上がりもなくなり、

 

 

 

努力、継続、

 

精進のおもしろさ、

 

楽しさも生まれる。

 

 

 

 

 

私たちが生きる

 

この世界は

 

全て自分の鏡なのでは

 

ないだろうか。

 

 

 

 

 

自己を映し出し、

 

直視し、

 

見つめてこそ、

 

 

 

自分を正すことが

 

出来るのではあるまいか。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-05-17 06:53:00

" あっちで「うろうろ」、こっちで「うろうろ」 "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

「うろ」は、

 

漢字で「有漏」と書きます。

 

 

 

 

 

ここでの「漏」は煩悩を指し、

 

 

 

「煩悩が有る状態」

 

という意味になります。

 

 

 

 

煩悩に振り回されて

 

右往左往している状態です。

 

 

 

 

そして、

 

それが二つ重なって

 

 

 

「うろうろ」することは、

 

 

 

煩悩に振り回されて

 

心が定まらず、

 

迷走している状態を表します。

 

 

 

 

 

どんなことでも、

 

「これをやるんだ」と

 

 

 

自分が取り組むことを

 

決意しない限り、

 

うまくはいきません。

 

 

 

 

 

やり始めたことでも、

 

 

 

「他の方法の方がよさそうだ」

 

などと迷うと、

 

 

 

時間をかけても

 

成果を得るのは難しいでしょう。

 

 

 

 

例えば、

 

 

合氣道の技術に関して、

 

 

「この人からはこのように教わった」とか

 

 

「あの人からはこうやるように習った」と

 

 

いろいろ試してみるも、

 

うまくいかなかったという

 

経験をしたことがある人も

 

いることでしょう。

 

 

 

 

このようなアプローチでは

 

技術の向上は

 

難しいように思います。

 

 

 

 

 

見た目の形だけに

 

とらわれているため、

 

 

 

目に見えない

 

心や中心軸の重要性を

 

見落としています。

 

 

 

合氣道の真髄を

 

理解するには、

 

 

 

心の使い方に

 

最大限の注意を払う

 

必要があります。

 

 

 

 

 

また

 

現代のインターネット社会では、

 

 

「うろうろ」しやすい状況が

 

整っているのが現状です。

 

 

 

例えば、

 

ダイエット方法であるとか、

 

健康のための呼吸法であるとか、

 

ウオーキング方法など、

 

 

 

ありとあらゆることを

 

スマートフォンで簡単に

 

様々な方法を

 

知ることができます。

 

 

 

そのため、

 

 

 

選択肢が多すぎて、

 

結局は

 

「うろうろ」するだけで

 

終わることがよくあります。

 

 

 

どの方法も魅力的で、

 

「これもいいかもしれない」

 

「あれも試してみたい」と迷い、

 

 

 

情報収集をするだけで

 

満足して実行に移せない

 

こともあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

人は皆、

 

簡単で楽な方法に

 

惹かれがちですが、

 

 

 

成果を得るには

 

 

 

「これと決めたら一定期間迷わずやる」

 

 

 

そういった

 

決心と努力と継続が

 

不可欠です。

 

 

 

そういう考え方を

 

いつも心に留めていれば、

 

 

 

「うろうろ」して

 

迷走することは

 

避けられるでしょう。

 

 

 

 

あと重要なことは

 

「本物」を見極める

 

「己の眼」を

 

養わなければいけません。

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-05-16 09:44:00

" 大自然に身を委ねる "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『だいしぜんにみをゆだねる』

 

 

 

 

 

春の指導者講習と集中稽古は

 

5月1日から2週間行った。

 

 

 

 

 

総稽古時間92時間。

 

 

 

1日平均6時間半にもなる。

 

 

 

 

 

関東、東北から

 

指導者とそのお弟子さん

 

17名が参加した。

 

 

 

 

 

前半のGW期間中には

 

全員揃ってお稽古出来た。

 

 

 

 

 

稽古期間中に

 

3回も東京と神戸を往復する

 

熱心な指導者もいたほどだ。

 

 

 

 

 

 

 

最終日には

 

近くのビーチで

 

呼吸法と砂浴をして

 

令和6年春の集中稽古を

 

締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

通常の私達がしている

 

無意識の呼吸は

 

生きていく上で

 

必要不可欠ではありますが、

 

 

 

健康の増進にはなりません。

 

 

 

 

 

 

 

それが「呼吸法」となると

 

「吐いて吸う」ことを

 

意識して行います。

 

 

 

 

 

これが健康増進、

 

養生になるのです。

 

 

 

 

 

 

 

海の近くとか砂浜でする

 

呼吸法は格別です。

 

 

 

 

 

海のリズム、

 

寄せては返す

 

波のリズムに

 

呼吸を合わせます。

 

 

 

 

 

この天地大自然のリズムに

 

自分の呼吸を

 

重ねることにより、

 

 

 

天地大自然との

 

一体感が実感できます。

 

 

 

 

 

 

 

私達の遠い祖先から

 

受け継がれた

 

 

 

「命の大切さ」を

 

 

 

感じながら

 

 

 

心が無限小に

 

静まっていきます。

 

 

 

 

 

呼吸法は

 

 

 

身体と天地大自然との

 

氣の交流であり、

 

 

 

はるか宇宙からの

 

新鮮な生命エネルギーを

 

体内に取り入れ、

 

 

 

古くなった

 

生命エネルギーを

 

宇宙に返します。

 

 

 

 

 

静かにゆっくり

 

口から吐いて、

 

 

 

静かにゆっくり

 

鼻から吸うことを

 

繰り返すことで、

 

 

 

 

 

いつも体内に

 

 

 

新鮮な生命エネルギー、

 

 

 

天地大自然の氣が充満します。

 

 

 

 

 

心身が

 

病んでいる人の

 

呼吸は粗く、浅く、短い

 

呼吸になっています。

 

 

 

 

 

そのような呼吸では

 

天地大自然との

 

氣の交流、

 

宇宙からの新鮮な

 

生命エネルギーを

 

取り入れることは出来なく、

 

 

 

決して心身ともに

 

健康体にはなれません。

 

 

 

 

 

 

 

健康体になるには、

 

まず深くて静かな呼吸を

 

身に付けなければならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は

 

それに加えて

 

最高のデトックスである、

 

 

 

砂浴も行いました。

 

 

 

 

 

 

 

この日も天氣がよく

 

日中は汗ばむほどの

 

陽氣でしたが、

 

泳ぐにはまだ早い。

 

 

 

 

 

ですので

 

私も含めて参加者は

 

水着を持参していません。

 

 

 

 

 

砂浴は

 

水着、

 

できれば木綿の素材が

 

良いようです。

 

 

 

 

 

本当は

 

裸で入るのが良いらしいです。

 

 

 

無人島でもない限り、

 

現実には少し無理かもしれませんが…

 

 

 

 

 

 

 

砂浴は

 

足だけでも

 

相当な効果が期待できるので、

 

 

 

 

 

参加者の殆どは

 

両足首、

 

ふくらはぎの中間くらいの

 

深さまで砂を掘り

 

足を入れます。

 

 

 

 

 

1名に関しては

 

全身埋まりました。

 

 

 

 

 

前述の通り、

 

水着は持参していないので、

 

Tシャツにジーンズです。

 

 

 

 

 

「平氣だよ。砂なんて払えばいいじゃん」

 

 

 

と一言で済ませ、

 

黙々と自分が入れるだけの

 

砂を掘り、

 

顔だけ出して

 

3時間熟睡してしまった。

 

 

 

 

 

これが彼女の真骨頂である。

 

 

 

 

 

何事にも執着しない、

 

流れに逆らわない。

 

 

 

 

 

ある意味「技」である。

 

 

 

 

 

癌を宣告され

 

余命数ヶ月から

 

生き方そのものを変えたのだ。

 

 

 

 

 

医師も驚いたことに

 

癌が消えてなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

砂浴は

 

ただ入っているだけで

 

砂の中の微生物が

 

身体の毒素を出してくれる。

 

 

 

 

 

ただ入っているだけで、

 

猛烈な毒素が出て

 

すばらしい効果を

 

もたらすのが

 

砂療法であるとのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

足だけでも

 

埋まっている

 

あちらこちらが痒くなってくる。

 

 

 

 

 

 

 

砂が毒素を

 

吸い出そうとして

 

新陳代謝が

 

猛然とよくなるためだ。

 

 

 

 

 

 

 

ただ

 

日焼け対策と熱中症には

 

要注意なので、

 

対策は怠ってはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都会の中にいながら

 

雑踏を忘れ、

 

 

 

 

 

天地大自然、

 

 

 

遥か大宇宙との

 

 

 

繋がりを感じながらの

 

 

 

呼吸法と砂浴は

 

 

 

これ以上ない贅沢であり、

 

 

 

恵みであります。

 

 

 

 

 

 

 

太陽も砂も

 

全て自然のものです。

 

 

 

 

 

無料なのです。

 

 

 

 

 

なんて

 

ありがたいことなのでしょう。

 

 

 

 

 

これだけ

 

与えていただいて

 

何も不足はございませぬ。

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-05-15 08:43:00

" 人の命はなぜ尊いのか "

今朝も目覚めることが出来た。

ありがとう。

 

 

『ひとのいのちはなぜとうといのか』

 

 

「人の命は尊いものです」

この言葉を

私達は折りにふれ見聞きします。

 

 

なぜ

「人の命は尊い」のでしょうか。

 

それは死ぬからです。

 

 

未来永劫(みらいえいごう)、

尽未来際(じんみらいさい)、

 

何億年も何千億年も

生きることが出来るなら、

命は尊くはない。

 

 

天地大自然

何百億年の

連綿と続く流れの中で、

 

人間は

七十、八十年、

長くて百年

生きたとしても必ず死ぬ。

 

 

それは

天地大自然からみれば、

人はほんの僅かな間しか

生きることが出来ない。

 

 

そして

人間はたった

一度だけ

生まれて、

二度と

生まれてくることはない。

 

 

だから人の命は尊い。

 

その人の人生は尊いのだ。

 

 

他人の命も尊い。

 

「他者を尊重する」という

根っこが、

そこにあるのではないだろうか。

 

 

そして、

その儚くも短い人生を

 

「さあ、お前はどう生きるんだ」

 

これが

天地大自然からの

問いかけでありまする。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-05-14 08:18:00

" 自然にしていて身につかないことを学ぶ。これを学習という "

今朝も目覚めることが出来た。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『しぜんにしていてみにつかないことをまなぶ。これをがくしゅうという』

 

 

 

 

 

天地大自然は

 

いつの時代も不変だ。

 

 

 

地球温暖化、

 

異常氣象といわれる。

 

 

 

確かに

 

私が子どもの頃から比べて

 

夏は酷暑だ。

 

 

 

しかし、昔から

 

夏は暑くて冬は寒いことに

 

変わりはないが、

 

 

 

我々の生活様式は大きく変わった。

 

 

 

 

 

それはそれは

 

とても便利な世の中になった。

 

 

 

だが、

 

この便利さの一方で

 

失われたものが、

 

たくさんあるのだ。

 

 

 

 

 

身体に中心軸を保った

 

立ち方、座り方や

 

歩き方が

 

出来なくなっている人が多い。

 

 

 

呼吸も

 

まともに出来なくなっている。

 

 

 

 

 

これ全て

 

生きていく上での基本だ。

 

 

 

 

 

身体の

 

中心軸と呼吸は

 

密接な関係にあり一体だ。

 

 

 

 

 

この片方が崩れると

 

両方とも崩れるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

昔の人の移動は歩くことだった。

 

 

 

幕末の志士、

 

吉田松陰さんは

 

長州(山口県)から江戸(東京)まで

 

普通に歩いていた、

 

 

 

坂本龍馬さんも

 

険しい四国の山道を

 

普通に歩いて、

 

いろんなところへ行っていた。

 

 

 

学校へ遠い道のりを

 

毎日、歩いて通っていた

 

時代の子ども達は

 

足腰が強くなるばかりか、

 

自然と呼吸が強くなっていたのだ。

 

 

 

息を長く吐き続けることが

 

出来ていた。

 

 

 

だからこそ肚もできるのだ。

 

 

 

 

 

しかし、

 

今の時代に生きる私達は

 

同じことをするのは容易ではない。

 

 

 

 

 

でも

 

その時代の生活様式に

 

適応したやり方はある。

 

 

 

 

 

私が今も実践していることは

 

「歩きながらの呼吸法」だ。

 

 

 

 

 

座ったり、立って行うという、

 

その場に留まってする

 

呼吸法は誰でも出来る。

 

 

 

しかし、

 

「歩きながらの呼吸法」は

 

そう簡単には出来ない。

 

 

 

やったことがある人は

 

分かると思うが、

 

 

 

苦しくて、

 

すぐ息がもたなくなる。

 

 

 

それでも

 

毎日、諦めずに

 

最初は短い呼吸からはじめて、

 

 

 

今では

 

その場に留まってする呼吸と

 

何ら変わらない、

 

 

 

とても楽で快適な

 

長い呼吸が出来る。

 

 

 

それを習得するのに

 

5年以上かかったが、

 

 

 

やり続ければ

 

誰だってやれるのだ。

 

 

 

 

 

出来ないのは

 

やらないからだろ。

 

 

 

 

 

普通に生活していても

 

身につかないことなら、

 

 

 

日々の日常において

 

何かやり方を工夫したり

 

努力して継続しなければならない。

 

 

 

それを学習というのだ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝