" 持ち物は身体の一部だ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 春分・初候
七十二候
雀始巣 すずめはじめてすくう
第十候
「啓蟄」から「春分」へと移りました。
「雀始巣」は、3月20日~24日くらいにあたります。
雀が巣を作り始める頃です。
春の暖かさの中で、雀たちが繁殖の準備を始める様子を表しています。
今日のお題
『 もちもの は からだ の いちぶ だ 』
合氣道には
剣 ( 太刀 ) や杖、短刀などを使う稽古があります。
「ものを持った時、そのものの先端にまで氣が通うこと」
それが合氣道琴心館寺崎道場での、
その稽古の目的の一つであるのです。
私たちは、
日常的に様々な「持ち物」を使用しています。
鞄、リュックサック、日傘、
スマートフォン、イヤホンなど、
多岐にわたります。
しかし、
これらの「持ち物」を、
あたかも " 自分の身体の一部 " であるかのように
認識している人は、
残念ながら少ないのではないでしょうか。
たとえば、
混雑した電車内で、
大きなリュックサックを
背負ったままの人をよく見かけます。
彼らは、
リュックサックが周囲の人々の迷惑に
なっていることに氣づいていないようです。
また、狭い歩道で、
周囲に配慮することなく
日傘を差している人もいます。
彼らにとって、
日傘は単なる「日光を避ける物」であり、
周囲への影響を考慮する必要はない
という認識なのかもしれません。
しかし、
本来、「持ち物」は、
" 私たちの身体の延長線上にある " と捉えるべきです。
鞄は、私たちの腕や手の延長であり、
リュックサックは、私たちの背中の一部です。
日傘も、私たちの頭上を覆う屋根の延長と
考えることができます。
もし、
多くの人々が
「持ち物」を自分の身体の一部であると認識していれば、
公共の場で、
それらを振り回したり、
周囲にぶつけたりすることは少なくなるはずです。
自分の腕や足を、
故意に他人にぶつける人がいないように、
自分の「持ち物」も、
他人を傷つけたり、迷惑をかけたりする
道具にはならないはずですね。
公共の場は、
様々な人が共有する空間です。
私たちは、
自分の「持ち物」が、
" 周囲の人々にどのような影響を与えるか " を常に意識し、
互いに氣持ちよく過ごせるように
配慮する必要があると思います。
そのためには、
学校教育や社会教育において、
「持ち物」と「身体」の関係性について
学ぶ機会を設けることが
重要ではないかと思うのです。
合氣道琴心館寺崎道場では、
その学びの一環として
剣 ( 太刀 ) や杖、短刀などを使う稽古があるのです。
「持ち物」も常に進化し、
私たちの生活を
豊かにしてくれる便利な道具です。
しかし、
その使い方を誤れば、
周囲の人々を不快にさせ、
社会全体の快適性を損なうことにもなりかねません。
私たちは
「持ち物」は「身体」の延長線上にある
ということを認識し、
公共の場における
意識改革の必要性があるように思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 期待と成長、優勝劣敗の摂理 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 春分・初候
七十二候
雀始巣 すずめはじめてすくう
第十候
「啓蟄」から「春分」へと移りました。
「雀始巣」は、3月20日~24日くらいにあたります。
雀が巣を作り始める頃です。
春の暖かさの中で、雀たちが繁殖の準備を始める様子を表しています。
今日のお題
『 きたい と せいちょう、ゆうしょうれっぱい の せつり 』
「優勝劣敗」とは
" まさった力をもつものが勝ち、 劣っているものが敗れる "
という意味です。
弱肉強食という
厳しい世界を想像させる言葉ですが、
世の中というのはそのようなもので、
決して甘いものではありませんね。
「優勝劣敗」
それは単に力関係だけではなく、
「心の領域」、「氣」であると、私は捉えています。
" 周囲から期待されるのは良いことだが、
期待過多は重圧となり、
その人を潰してしまう " という考え方があります。
しかし、
それは単なる
" 甘やかし " ではないでしょうか。
" 人はどんどん期待されるべきである " と
私は思うのです。
たとえば、
ある日本代表選手がオリンピックで
その種目に優勝できなかったら、
その選手が " 怠慢だったから " だと
非難されるぐらい
期待されてしかるべきであると思います。
それでも勝てなかったのなら、
その選手には
" その程度の力しかなかった " ということなのです。
「真の実力」とは、
厳しい重圧の中でこそ発揮される。
「期待という名の試練」を与えることで、
実力のない者はふるい落とされる。
それが
「優勝劣敗の摂理」なのです。
合氣道でも
「できる人」には 私は大いに期待します。
そして、
そのうえで最も大切なことは
いくらふるい落とされても、
何度落っこちても、転んでも、
また立ち上がればいいのです。
何度でも「氣をだして」起き上がればいい。
そういう人は必ずものになり、
強い心の持ち主になる。
その強い心があるからこそ、
他人には優しくなれるのです。
心の器の狭い、心の弱い者は
心に余裕がないのです。
したがって
人には優しくなれません。
あきらめ、くじけたら、そこで止まってしまう。
仮に奈落の底へ落ちたとしても、
自力で這い上がらなければいけないのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 休日でも心は遊ばせない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 末候
七十二候
菜虫化蝶 なむしちょうとなる
第九候
「啓蟄」は次候から末候へと移り、「菜虫化蝶」は3月15日~19日くらいにあたります。
冬を越した菜虫(青虫)が美しい蝶へと羽化する頃を意味します。
日差しが暖かくなり、春の訪れを感じられます。
自然の美しさと生命の力強さを感じることができる素晴らしい時期ですね。
今日のお題
『 きゅうじつ でも こころ は あそばせ ない 』
合氣道寺崎道場の指導者育成講習で
私が指導者の皆さんにいつも話すことは、
「その道で一流になろうと思うなら、
休みなく常に思考を巡らせ、
自己を成長させ続けなければならない。」
ということです。
これは指導者や組織、団体のトップという
立場以外の人にも
十分当てはまることなのです。
もちろん、
それは365日、1年中休みなく、
常に仕事に没頭するということではありません。
適度な休息や娯楽は、
心身の健康を保つ上で重要です。
たまには映画や温泉、釣りや旅行といった
趣味などにリフレッシュできる
時間を設けることも必要なことです。
しかし、
大事なことは
" 肉体を休ませ、
娯楽に興じていたとしても、
心も遊ばせ精神まで安息させてはならない。"
ということです。
温泉の湯煙から、
滴り落ちる一滴の水さえ、
新たな着想を得るように、
映画のワンシーンに
仕事への思いを重ねるように、
常に思考を働かせるべきであります。
人間の心というものは、
一日でも放っておけば
いくらでも、怠けるのです。
" どのようなときも、心は遊ばせてはいけません。"
休日、休養日を遊びに興じ、
思考停止に陥るような人は、
その道の一流には不適格で、
二流、三流であると言わざるを得ない。
また、
そのような指導者、リーダーからは
二流、三流の部下しか生まれないのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 小事が大事を生む "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 末候
七十二候
菜虫化蝶 なむしちょうとなる
第九候
「啓蟄」は次候から末候へと移り、「菜虫化蝶」は3月15日~19日くらいにあたります。
冬を越した菜虫(青虫)が美しい蝶へと羽化する頃を意味します。
日差しが暖かくなり、春の訪れを感じられます。
自然の美しさと生命の力強さを感じることができる素晴らしい時期ですね。
今日のお題
『 しょうじ が だいじ を うむ 』
「小事が大事(小事が大事を生む)」という
ことわざがある。
「大きな目標を実現しようと思うなら、小さなことを怠ってはいけない」
という意味です。
「小さなこと」を大切にする姿勢は、
合氣道だけでなく、
人生のあらゆる場面で重要です。
「小さなこと」を確実にする人は、
間違いなく大きな仕事ができるのです。
それは大人も、子どもも同じです。
合氣道の場合は、
" 上達する人 " と " 上達しない人 " は、
技術的な素質ももちろんありますが、
やはり「心の持ちよう」が
大きく影響します。
とくに
子ども親子クラスにおいては
「自分は成長できる人間です」
「成長できない人間です」
という意識が、
全身から滲み出てくるのがよくわかります。
例えば、
稽古の最初に行う
柔軟運動、合氣体操の一つをとっても、
いい加減にする子は決して伸びません。
「体操なんて適当にやっていたらいいだろう」
という氣持ちが、
その態度に表れているのです。
一方で、
体操や受け身、体捌きといった
基本的な動作を
教わった通り確実にする子は、
間違いなく高度な技を習得できます。
そして、
近い将来において
道場全体の稽古をリードする
存在になるでしょう。
合氣道に限らず、
「小さなこと」を
おろそかにしているような子は
将来、使いものにならず、
一方で、
たとえ「小さなこと」でも
教えられた基本を守る子は、
やがて社会の役にも立ち、
人の役に立つ
立派な大人に育ってゆくのでありまする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 運命とは命を運ぶもの "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 末候
七十二候
菜虫化蝶 なむしちょうとなる
第九候
「啓蟄」は次候から末候へと移り、「菜虫化蝶」は3月15日~19日くらいにあたります。
冬を越した菜虫(青虫)が美しい蝶へと羽化する頃を意味します。
日差しが暖かくなり、春の訪れを感じられます。
自然の美しさと生命の力強さを感じることができる素晴らしい時期ですね。
今日のお題
『 うんめい とは いのち を はこぶ もの 』
" 運命だからと初めから諦めちゃいけない。
運命とは命を運ぶと書く。
自分の命を自分で運んで、自分の道を開くしかない。 "
これは、
海軍軍人・零戦のエースパイロットであった、
著書『大空のサムライ』で有名な
坂井三郎さんの言葉です。
この言葉はとても力強く、
運命について、深く考えさせられます。
運命とは何か?
「運命」という言葉は、
「命を運ぶ」と書きます。
つまり、
自分の人生をどのように進めるかは、
自分自身の行動に
かかっているということですね。
一方で、
定められ宿った命。
これを「宿命」といいます。
生まれた場所や時代など、
自分ではどうすることもできない
「宿る命」。
その中でどのように生きるか、
つまり
「宿命」は変えられないが、
「運命」は、自分の選択と行動によって
変えられるものです。
なぜ諦めてはいけないのか?
「運命だから」と諦めてしまうことは、
自分の可能性を否定することに
繋がると思うのです。
どのような困難な状況でも、
自分の意志で道を切り開くことで、
「運命」はより良い方向に
変わっていく可能性があります。
自分の道を開くためには、
目標を持ち、
それに向かって努力を続けることが大切です。
" 失敗を恐れず、
積極的に行動することで、新たな道が開ける。"
私はそう信じています。
周囲の人々との繋がりを大切にし、
支え合いながら進むことも
重要なことだと思います。
私たちは、
生きている間、
今この瞬間も
自分の命を自分で運んでいるのですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝