" 戦没者を追悼する日にたまたま出会った、心を「洗う」坂。九段「一口坂」編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
寒露【かんろ】末候
七十二候
第五十一候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
10月18日~10月22日頃。
秋の虫たちが戸口で鳴きはじめる頃。
キリギリスは、昔はコオロギのことを指していたそうです。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 せんぼつしゃ を ついとう する ひ に たまたま であっ た、こころ を「あら う」さか。くだん " いもあらいざか " へん 』
" 8月15日、「一口坂」との邂逅 (かいこう) 。
喧騒から静寂へ、平和を想う "
今年の8月15日は、
私にとって
例年とは違う、
非常に記憶に残る一日となりました。
8月1日から
約3週間にわたって行われた、
東京での夏期集中稽古期間において
唯一の休日であった
令和7年8月15日。
その日の午前中、
私は防衛省の市ヶ谷地区見学ツアーに
参加しました。
そして、
その後に向かったのは、
かねてより心に決めていた場所、
千鳥ヶ淵戦没者墓苑でした。
JR市ヶ谷駅から
靖国通りを歩き始めたその時、
私は言葉を失いました。
前日の8月14日に
先の大戦で尊い命を捧げられた
英霊の御霊に、
心から感謝を捧げるため
参拝した靖国神社の近くで、
警察による厳戒態勢の中、
反天皇や打倒靖国神社を
掲げるデモ隊と、
そのデモを阻止しようとする
政治団体が入り乱れ、
靖国通りは物々しいほどの
騒然とした
雰囲氣に包まれていたのです。
人々の熱氣と
怒号が飛び交う中、
私は
その騒音を避けるように、
無意識のうちに
一本の路地へと足を踏み入れました。
すると、
目の前に現れたのは、
嘘のように静かで、
時間の流れから切り離されたような、
静寂に包まれた
風情ある坂道でした。
その坂こそ、「一口坂」です。
" ひとくちざか " と呼ばれ、
本来は " いもあらいざか " が
正しいとされているそうです。
この坂は、
靖国通りから
九段北3丁目と4丁目の間を
新見附へと下る歴史ある道でした。
しかし、
なぜ、
その名は「一口坂」と書いて
" いもあらいざか " と読むのでしょうか。
「いも」とは、
かつて恐ろしい病であった
疱瘡(天然痘)のことで、
「いもあらい」とは
「疱瘡を洗う(癒す)」という
意味が込められていたそうです。
デモ隊の喧騒から
逃れるように迷い込んだ路地で、
たまたま出会ったこの坂。
まるで
「争いを鎮め、和をもたらす道」へと
導かれたかのような、
不思議な感覚に包まれました。
たまたまにしては
あまりに出来すぎた、
この「一口坂」との出会いは、
私に改めて、
合氣道の精神、
そして「和」の尊さを
深く問いかける出来事となりました。
この坂が
私の心を平穏にしてくれた
おかげで、
私は
千鳥ヶ淵戦没者墓苑へと
再び向かうことができました。
靖国神社への参拝と同様に、
まだ見ぬ私たちのために
命を捧げてくださった英霊に、
心からの感謝を捧げることができたのです。
平和を願う日に
同じ日本人としての歴史認識の違い、
学校教育の偏り、
オールドメディアの偏向報道、
それらを解決させる、
その道のりは
決して平坦ではないことを
痛感した一方、
一本の路地が持つ
静かなる歴史が、
私たちの心に
そっと安らぎをもたらしてくれます。
令和7年8月15日
終戦から80年目の
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」
こんな日くらいは
全国民が英霊に感謝し、
心静かに手を合わせる。
日本に
そんな日がくることを心から願っている。
「平和」とは、なんなのでしょうか?
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「毎日全力」未来の自分を救うのは誰でもない自分だ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
寒露【かんろ】末候
七十二候
第五十一候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
10月18日~10月22日頃。
秋の虫たちが戸口で鳴きはじめる頃。
キリギリスは、昔はコオロギのことを指していたそうです。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 "まいにち ぜんりょく" みらい の じぶん を すく う の は だれ でも ない じぶん だ 』
ふとした瞬間に、
自分の生き方に疑問を感じたり、
自信や誇りを失いそうに
なったりすることがあります。
そんな時、私は
「自分が過去に積み上げてきた努力と実績」
僭越ではありますが、
それを心の支えとしています。
自らに納得のいく人生を
歩むために、
どのような
心構えで過ごせば良いのでしょうか。
" 自信は「過去の自分」からの贈り物 "
「自信」とは、
誰かから与えられるものではなく、
また、
華々しい才能だけで
保たれるものでもありません。
それは、
日々の地道な稽古や仕事の中で、
一歩一歩、
汗を流し、
やり遂げてきた
過去の自分の行動から
生まれると、私は思います。
壁にぶつかり、
自分の能力や信念に
疑念を抱いた時こそ、
過去の
行いや努力を思い出してみる。
目標達成に向けて、
小さな努力を積み重ねた足跡。
たとえば、合氣道なら
困難な技を
習得するために費やした時間。
困難な技とは、
たくさんある中で
私の場合はその一つに、
「呼吸動作」という技です。
自宅や誰もいなくなった道場で、
ひとり
壁に向かって稽古を続けた日々。
また、
就寝前に
欠かさず呼吸法を続けた日々。
これらの「事実」こそが、
今の自分を支える
揺るぎない「実績」です。
この真摯な
努力の積み重ねこそが、
私の誇りであり、
未来への原動力となっています。
「師範だから、何でもできるのだろう」
などと、
思っているお弟子さんが
もし、いるとすれば、
それは違います。
たとえ、
師範であっても
みなさんと同じタダの人間なのです。
"「納得できる人生」は「今日一日の全力」から "
「納得できる人生を歩みたい」
誰もがそう願うはずです。
でも、
人生というものは
そんな壮大なものではなく、
「今日という一日の連続」
にすぎません。
後悔のない人生とは、
「過去を振り返って、やり残したことがない」と
心から言えることです。
そのためには、
今日という日、
今という瞬間に、
自分の持てる全て、
「全力」を注ぎ込むことです。
道場での稽古も、
仕事や家庭での役割も、
「どうせ」と
手を抜くのではなく、
「今の自分にできる最大限」をやり抜く。
その一瞬、一瞬を
やり切ることこそが、
未来の自分への
最高の贈り物となり、
積み重ねた
納得のいく人生へと繋がると思うのです。
" 合氣道が教える「不断の努力」と「調和の心」"
合氣道の理念の一つは、
「争わない強さ」と「調和の精神」です。
この精神は、
他者との関係や
人生そのものにも活かされます。
稽古を通じて
相手と「調和」し、
共に向上するように、
私たちは
日常生活においても
周囲と協調し、
争いを生まない智慧を学ぶのです。
そして同時に、
自分自身の内面においては、
「昨日の自分」に
甘んじることなく、
常に新しい境地を目指し、
超えていく不断の努力が大切です。
他者との調和を目指しつつ、
自己への努力を絶やさない。
この二つのバランスが、
私たちの人生を深く豊かにします。
毎日全力で
自分の出来る事をやり抜く。
このシンプルな行動が、
揺るぎない「自信」と「誇り」を生み、
それが
未来の自分を救います。
弱った時に救ってくれるのは、
他者ではありません。
自分自身です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 子に教えよ、「人に迷惑をかけない」よりも「人の役に立つ」人間になれ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
寒露【かんろ】次候
七十二候
第五十候 菊花開(きくのはなひらく)
10月13日~10月17日頃。
菊の花が咲き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 こ に おしえ よ、" ひと に めいわく を かけ な い " より も " ひと の やく に たつ " にんげん に なれ 』
"「人に迷惑をかけない」から「人に役立つ」という視点 "
子育てや教育、
人材育成の一環として
子どもに
「人に迷惑をかけない人になりなさい」と
教育する
親や先生が多いです。
しかし、私は
「人に役立つ人になりなさい」と、
教育するほうが
より積極的で建設的であると
常々、思います。
" ノウハウのその先へ。本質的な価値を教える重要性 "
現代は、
子育てや人材育成に
関する本や情報が溢れています。
脳科学に基づいた
能力開発法
「脳を発達させるにはこういう運動がいい」とか、
効率的な学習法など、
いわゆる「ノウハウ」に
焦点を当てた
情報が主流のように思います。
もちろん、
これらは役立つ情報ですが、
そればかりに
目を向けていては、
本当に大切なことを
見落としてしまうかもしれません。
人の成長において、
もっとも重要なのは、
社会の中でどのように振る舞い、
他者と関わっていくかという、
人間としての
根本的なあり方を
学ぶことではないでしょうか。
これは、
単なる知識や技術を
教えることとは異なります。
"「守り」から「攻め」へ
個人の可能性を
最大限に引き出すために "
「人に迷惑をかけない」
という考え方は、
どちらかというと
「守り」の姿勢です。
これは、
リスクを回避し、
問題を起こさないようにする、
という
消極的な目標になりがちです。
一方で、
「人に役立つ」という考え方は、
積極的で「攻め」の姿勢です。
これは、
自らの能力や個性を活かして、
社会や他者に貢献するという、
積極的で創造的な目標です。
この視点を持つことで、
個人の可能性は
さらに大きく広がり、
社会全体もより豊かに
なってくるのではないでしょうか。
合氣道の目的は、
和の精神を通じて、
他者と調和し、
より良い社会を
築くことに貢献することにあります。
これはまさに
「人に役立つ」という
考え方と通じるものです。
技の形だけを真似ても、
心が伴わなければ、
その技は生きません。
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場では
稽古で大切にしているのは、
技の奥にある「心」を磨くこと。
相手と向き合い、
自分自身と向き合う中で、
人間として
一番大切なことを学んでいきます。
" 教育の羅針盤を再考する "
「人に迷惑をかけない」
そんな、単にトラブルを起こさないように
するのではなく、
それぞれの持つ力を
最大限に引き出し、
社会に貢献できる
人材を育てることこそ、
本来目指すべき姿ではないでしょうか。
人生においても
困難を避けるのではなく、
その困難を乗り越えることで、
人は成長します。
稽古を通じて、
他者や社会に貢献できる
「役に立つ人」になることを目指し、
この先も、
ともに精進してまいりましょう。
最後に、
子どもに
人として一番大切なことを
教えるのが親の務めなのです。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 合氣道の精神に出会う場所 「鳥居坂」 編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
寒露【かんろ】次候
七十二候
第五十候 菊花開(きくのはなひらく)
10月13日~10月17日頃。
菊の花が咲き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あいきどう の せいしん に であう ばしょ 「とりいざか」 へん 』
今夏の東京出張では、
夏期集中稽古の拠点となった
麻布台教室へ向かう道中、
港区麻布十番から
この「鳥居坂」を
ほぼ、毎日のように歩きました。
「鳥居坂」は、
東京都港区六本木5丁目に位置し、
港区六本木5丁目11番と
5丁目12番の間を通る、
歴史と文化が息づく坂です。
麻布十番から
六本木方面へと続く
「江戸の難所」とも
言われるほどの急勾配の坂道で、
その周辺には
シンガポール大使館、
フィリピン大使館、
東洋英和女学院、
国際文化会館、
日本基督教団鳥居坂教会、
などの
歴史的な施設が点在しています。
「鳥居坂」は、
江戸時代から
明治以降の近代的な
文化施設や教育機関が立ち並ぶ
場所へと変遷し、
現在もなお
港区を代表する
歴史的な坂として知られています。
" 「鳥居坂」の由来 "
「鳥居坂」の " 鳥居 " が
何を指すのか、
二つの説があるそうです。
一つは、
江戸時代にこの坂の東側にあった
大名・鳥居家の屋敷に
由来するという説。
もう一つは、
かつて近くにあった
麻布氷川神社の
鳥居にちなむという説です。
どちらの説が正しいか、
歴史家たちの間でも
意見が分かれているそうですが、
私は
どちらの説も
とても興味深いと感じています。
合氣道でも、
一つの技には複数の解釈や
ルーツが存在することがあります。
それは流派や、
師範、指導者により異なります。
したがって、
大切なのは、
指導者が
その技をどう受け継ぎ、
どう自分のものにして、
どうお弟子さんに教えるか、
ということである、と私は思います。
「鳥居坂」もまた、
その名の由来を探るという行為自体が、
歴史の奥深さや、
物事を多角的に捉えることの
重要性を
教えてくれているように思います。
麻布十番から六本木方面へと続く、
長く急なこの坂道を登るたびに、
私はこれを修行の一環と捉え、
一歩一歩、着実に
急な坂を前にしても、
焦らず、怯まず、
重力に逆らわず、
一歩ずつ進むこと。
これは、
日々の稽古において
基礎を疎かにせず、
地道に技を磨くことと似ています。
傾斜のある道でも、
身体の軸をぶらさずに進むこと。
これは、
合氣道の技をかける上で
最も重要な要素の一つである
「重心の安定」を体現しています。
灼熱の太陽が照りつける中、
苦しい坂道でも、
心と身体と天地が一体となり、
前に進む意識を持つこと。
これは、
合氣道琴心館寺崎道場の理念である
「心身統一」に他なりません。
今夏、私は
この歴史ある「鳥居坂」を登りながら、
「謙虚さ」、と
「絶え間ない努力の重要性」を
教わりました。
次の東京出張も、
この「鳥居坂」を越えた先にある
麻布台道場で、
皆さんとともに
合氣道の精神を探求できることを
楽しみにしています。
そして、
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 楽しく愉快に「やり抜く力」が才能を育む "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
寒露【かんろ】次候
七十二候
第五十候 菊花開(きくのはなひらく)
10月13日~10月17日頃。
菊の花が咲き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 たのしく ゆかい に「やりぬく ちから」が さいのう を はぐくむ 』
道場に通う回数が不安定な人、
来る日もあれば、
来ない日もある人。
忘れた頃にやってきて、
続くのかなと思っていたら
それっきりで、
また忘れた頃にやってくる人。
そのような人々が、
最も成長しないのは
言うまでもない事実です。
「才能がない人」とも言えます。
でも、彼らは、
生まれつき「才能がない」
わけではないのです。
「やり抜く力」が
欠けているために、
持っているはずの可能性を
開花させることが
できないでいる人です。
合氣道に限らず、
どんな道においても、
成長の鍵を握るのは「継続」です。
一回の稽古で
得られるものはわずかなものです。
しかし、
その小さな積み重ねが、
やがて大きな力となります。
技の習得には
反復が不可欠であり、
身体に染み込ませるには、
地道な努力を続けるしかありません。
「今日は氣分が乗らない」
「忙しいからまた今度」
といった理由で
稽古を休むことは、
その都度、
成長の機会を
自ら手放しているのと同じであり、
まさしく、
「愚の骨頂」であります。
才能がないと嘆く前に、
まずは「やり抜く」と決めて、
「楽しく愉快」に
道場に足を運び続けること。
それが、
自分の中に眠る
才能を目覚めさせる
第一歩なのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝