" 心の赴くままに "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『こころ の おもむく まま に』
先日、
京都にある
平安京最古、
弘法大師のお寺で有名な、
東寺に参拝した。
この時期は
五重塔と
紅葉のライトアップが
楽しめる。
秋の夜長に
月夜を散歩しながら、
約200枚近く写真を撮った。
ここ最近の
インスタグラムの
ストーリーの画像は
この時に撮ったものを
アップしている。
実は何を隠そう、
私はつい最近まで
「紅葉」というものに
一切興味がなかった。
" 紅葉なんて、ただ葉が枯れているだけ "
周りの人達が
この時期に
「紅葉狩りに行ってきた」
なんて話を聞くと、
わざわざ枯れ葉を見に行って、
何が楽しいのか。
ずっとそんな風に思っていた。
しかし、
昨年のこの時期に
長女と車でお墓参りに
行く途中、
墓園の木々が
色付いているのを見て、
初めて
" きれいやな " と感じた。
長女に
" 紅葉ってきれいやな "
と話すと、
「当たり前やん、紅葉はきれいに決まってるやろ」
と返された。
つい先日も、
合氣道寺崎道場の
お弟子さんにも
" 最近、紅葉がきれいだなと感じる "
と話したところ、
「人間らしくなられて良かったです」
という返事が返ってきた。
どうやら、
紅葉がきれいと
感じる心は人として
当たり前のようである。
それにしても、
何とも不思議なものだ。
別に何かが変わったとか、
特別にこうした、
ああしたとか何もない。
何も変わらないのに
何故、こうも変われるのだろうか?
人間ってほんとに
不思議ですね。
心と身体って
不思議な生き物ですね。
世の中には
偶然はなく全て必然。
これにも何か意味があるのか?
もしかして、
ご先祖様の計らいなのか?
まぁ、別に
深く考えることもないか…
" きれいだな "
ただただ、心の赴くままに
天地大自然に身を委ね、
月夜に映える五重塔と
紅葉のライトアップの中を
歩きながら、
1200年前の
平安京の月夜を思ってみた。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 失敗は未来のため "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『しっぱい は みらい の ため』
今日の失敗は
明日に必ず役立つ。
深く落ち込むほどの
大失敗であっても、
将来それが役立つのだ。
何事も起こるべくして、
起きたこと。
たまたま、
偶然なんてものはない。
世の中で起こることは
全て必然だ。
今日の失敗にも
必ず意味がある。
だからこそ、
落ち込んではいけない。
その失敗の原因を
よく良く考える。
その原因をはっきりさせる。
その原因が分かれば
それを直ぐに改めるべき、
心のあり方と行動を変える。
大きな失敗でも
その二倍、三倍の
より大きな成功に
至ることができれば、
その大きな失敗にも
価値が出てくる。
それと、
その失敗があったからこそ、
人には優しくなれるものだ。
人の氣持ちも
分かってあげられる。
大金を積んでも
買えない、
尊い学びがそこにある。
今日の失敗が
明日の成功につながる。
だから、
全てそれで良しだ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 生きた教科書 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『いきた きょうかしょ』
石破 茂 首相の
立ち居振る舞いが
SNS上で話題となり、
「日本の恥」というワードが
トレンド入りする
事態になってしまった。
ペルーの首都リマで開かれた
アジア太平洋経済協力会議(APEC)での
マナーの悪さが
SNSで物議を醸している。
石破 茂 首相のもとへ
駆け寄ってきた
外国首脳に対し、
座ったまま
握手を交わした様子が
映像で報じられ、
外交上の礼儀作法の悪さを
指摘する報道やコメントが
テレビ、新聞、SNSで
話題になった。
この件について
どう思うか?
合氣道寺崎道場の
数名の小学六年生に
聞いてみた。
「恥ずかしい」
「ちゃんと立って握手するべきや」
という意見が即座に出た。
小学六年生でも
即座に答えられる程、
誰でも分かることだ。
まさか、日本の先頭に立って
日本の国益と
日本国民を護る
リーダーである、
第103代内閣総理大臣の
石破 茂 首相が
分からないはずがない。
国民の非難の声も
もっともなことだ。
テレビ、新聞、SNSでも
非難する声が
圧倒的に多く見られた。
しかし、
本当のところはどうだろうか?
ごく普通の
ごく当たり前の
立ち居振る舞いが
出来なかった要因は
心の状態にあったのでは
ないだろうか。
各国の首脳達と
同じ場に居合わせることに
心が上ずっていたのでは
ないだろか。
心の状態が身体に表れる。
上ずった心では
冷静な判断が出来ない。
そういうことは
何も今回の
石破総理だけではなく、
我々の身にも
いつでも起こり得ること
ではないだろうか。
他山の石として
訴えることなのでは
ないだろうか。
" 誰でもそうなる危険性がありますよ "
ただ寄ってたかって
非難の嵐で石破総理を
総攻撃するのではなく、
" これが生きた教科書ですよ "
この学びを
自分への戒めとして
生きていきましょう。
そういう報道をする
テレビ、新聞、ネットニュースが
日本に一つくらい
ないものだろうか。
つくづく、そう思った。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 大安売りで引き受ける "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『おおやすうり で ひきうける』
先つ日、
中学のクラス会に参加した。
「3年4組クラス会」
2年に1回の開催だったが、
皆、還暦過ぎたので、
" 会えるうちに集まろう "
ということで、
毎年開催することになった。
私は2年に1回位が
ちょうど良いように思うのだが…
昨年は幹事を任された。
何事も引き受けるからには
喜んで引き受ける。
いつでも引き受けます。
これが私の信条だ。
何の道、
誰かがやらねば始まらない。
何事も
頼まれ事は快く引き受ける。
無理でない限り、
断らない。
その役目に必ず、
何かしら
やらなければならない
意味があるからだ。
世の中は全て必然。
起こるべくして起こる。
そういう思いが
全身から出ていたのか?
その氣がクラス会の
同級生達に伝わったのか?
それは知らないが、
また来年も幹事を任された。
来年どころか、
どうやら
永遠の幹事に
されてしまったようなのだ。
はい。
喜んで引き受けます。
クラス会から帰宅し、
家族にその旨を伝えると、
妻からは
「はぁ?また?おだてられて、やらされる事になったん?」
娘からは
「いいように使われてんな、お父さん」
そう言われた。
そう。
そのとおりだ。
おだてられて、
いいように使われてる。
" 豚もおだてりゃ、木に登る "
合氣道では
常に相手の氣を尊び、
決してぶつからない
稽古をしている。
相手の氣とぶつかれば
相手を投げることが
困難になるからだ。
相手の氣を尊重して、
相手の行きたい方向に
相手を導けば、
簡単に「ヒョイ」と
投げることが出来る。
合氣道とは
日常に活かすもの。
永遠の幹事を
快く引き受けた私に
皆、投げられたも同然なのだ。
しかも、皆、
喜んで転がったのだ。
世の中は愉快なものだ。
一方で、
「いや、私はもうやりませんよ」
「いやいや、オレは何も出来ないわ」
このような傲慢な姿は
見ていて非常に見苦しい。
自ら自分の値打ちを下げている。
傲慢、遠慮、
氣兼ね、わがまま、
思い上がり。
それらは一番、
天地大自然から
守ってもらえない
心のあり方だ。
そういう人は
不健康な人が多い。
その人達も例外に漏れず、
同様だろう。
心身ともに
病む人が、
この様なタイプの人だ。
これまで多くの
そういう人を見てきて
そう思う。
病氣、薬、医者と
一生、縁が切れない人なのだ。
人間は天地大自然に
守られてこそ、
本当に心身ともに
元氣になれ
生き生きとして、
健康になれるのだ。
人の思いは " 高く買って "
自分を " 安く売る "
大安売りするんだ。
ありがたく
尊く、感謝して
人の思いを買って、
氣楽に心安く親切に、
自分を安く売る。
自分を護る
護身術など一切必要なし。
全ては
天地大自然にお任せして、
流れのままに
決して逆らわず、
あるがままに
受け入れて
自分の身を惜しまず、
親切を惜しまず、
真心を惜しまず、
笑顔を添えて、
自分自身を
大安売りするのだ。
それが
純粋な清く美しい心だ。
私の家族同様、
周りから見れば
馬鹿でお人好しのように
見えるかもしれない。
でも、
純粋で明るい、
生き生きとした
豊かで無邪氣な心こそ、
氣が出た尊い姿であると
私は信じている。
人から馬鹿に
見られようと、
感謝する心、
人の思いを高く買う心、
自分を大安売りする心、
これをたくさん持ち、
丁寧に毎日磨くことが
輝く人格になる。
それが信頼となる。
良き運命を引き寄せる
強さとなる。
良い縁と結ばれる。
今日蒔いた種が、
将来に芽となって表れる。
蒔いた種通りの
芽となって自分の
前に表れる。
良い種を蒔けば
良い結果として、
悪い種を蒔けば
悪い結果として表れる。
それが、因と縁。
因縁とはそれを言うのだ。
それは厳然として
公平に行われる
天地大自然の配剤で
ありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 苦難の先に道は開ける "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『くなん の さき に みち は ひらける』
何かを始めたときは、
大体、一旦は落ち込むものだ。
その始めたものが、
自分にとって
必要、大切、大事な
事柄であるほど、
必ず一度は落ち込む。
何でもそうだ。
必ず抵抗がある。
水泳は
手で水を搔くから
前に進むことができる。
その時、
大きな水の抵抗がある。
昔の車は
よく故障したものだ。
人が成長しようとする時、
物が進化しようとする時、
社会が変わろうとする時、
必ず
抵抗と苦しみと
沈み込みがある。
それは敵でもなければ
邪魔者でもない。
起こるべくして
起こった、
天地大自然の
絶対的な大法則である。
何かを始めた時
一度は天地大自然に
苦しめられる。
抵抗を生じさせる。
天地大自然に試される。
一所懸命に
やろうとすることが
うまくいかないことがある。
私は何度もそれを経験した。
道場を始めた時、
毎月多額の赤字だった。
残された人生は
人ために、世の中のために
なることをしよう。
その志で始めた
合氣道の道場を
続けることに
相当苦しめられた。
多額の赤字を
埋めるために
夜中も働いた。
一体、
何のためにやってるのか。
精神的にも
肉体的にも
本当に
辛く厳しい時期だった。
しかし、
その先に待っていたものは
金では買えない
健康と心の強さを
天地大自然から
与えられたことだ。
そして、
子どもから大人まで
たくさんの
素晴らしい人との
出会いだ。
あの時、
挫けずに
ほふく前進でも
前に進んだ結果として
今がある。
何かを成し遂げた
偉大な人々の著書を読んでも
似たようなことが
起こっている。
私の小さな人生にも
それは起きた。
" 艱難の先に道は開けるのだ "
逆境に負けてはいけない。
全ては
起こるべくして
起きたこと。
天地大自然に試され、
それを打ち破った人にしか
見ることが出来ない
壮大な絶景がある。
落ち込まずに
悲しまずに
諦めずに、
今日も前に進もう。
その姿を
必ず天地大自然は
見てくれている。
そして、
絶妙のタイミングで
手を差し伸べてくれる。
信じて前進しよう。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝