" 【断言】「続かない人」とは距離をおくべき "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 次候
七十二候
第二十候 蚯蚓出 みみずいずる
「立夏」は次候へと移りました。
5月10日~14日ころにあたります。
「蚯蚓出」は春の暖かさを感じて、
冬眠していた蚯蚓(ミミズ)が地上に出てくる頃。
今日のお題
『 【だんげん】「つづ か ない ひと」とは きょり を おく べき 』
自分の成長を止める
「三日坊主」との致命的な距離感。
「また、どうせ無理…」
「こうこう、こうだから無理…」
「時間がないので出来ない…」
そんな言葉が
口癖の人が近くにいませんか?
もしいるなら、危険信号です。
なぜなら、
何をやっても長続きせず、
" できない理由 " ばかりを
探す人と深く関わることは、
自分が前に進むための
エネルギーを根こそぎ奪い取るから。
それはまるで
「地獄よりも恐ろしい」ことなのです。
自身の堕落、
無責任、無反省、
肥大化した自尊心、
思い上がり、自惚れ。
そして最も痛ましい
「志を忘れる」ということ。
私は断言します。
一つのことを続けることが
出来ない人というのは、
何をしても「続かない人」です。
そういう人は、
知らず知らずのうちに
周りの人にも
それを感染させる " 負の力 " を持っています。
「三日坊主」は要注意人物。
「三日坊主」が近くにいるだけで、
周りに負のサイクルを生み出すからです。
" ありがたい " ことに、
私の人生においては、
このような人たちとは
" 自然と縁が切れていく " ように
感じています。
それはまるで、
大いなる天地大自然が
そう導いてくれているかのように。
もし、
自分が本氣で変わりたいと願うなら、
まずは、
周囲の人間関係を見つめ直すこと。
自己の成長を加速させるには、
" 夢に向かって着実に歩み続ける仲間 " を
選ぶことが不可欠です。
「続かない病」に感染する前に、勇氣ある決断を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 人生も「経営」 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 次候
七十二候
第二十候 蚯蚓出 みみずいずる
「立夏」は次候へと移りました。
5月10日~14日ころにあたります。
「蚯蚓出」は春の暖かさを感じて、
冬眠していた蚯蚓(ミミズ)が地上に出てくる頃。
今日のお題
『じんせい も「けいえい」 』
「経営」という言葉。
それは、
ビジネスの現場でよく使われますが、
そのルーツは
意外にも深いところにあります。
何かの著書で知ったのですが、
「経営」とは
もともと仏教用語で
「修行」を意味するのだとか。
「経」という字は、織物の縦糸を表し、
そこから転じて、
時代や場所が変わっても
揺るがない普遍の原理や道筋を
指すようになったそうです。
そして、
その変わらない教え、
変わらない道を
自ら「営み」、実践していくこと。
これこそが
「経営」という言葉が持つ
本来の意味なのかもしれません。
そうであるならば、
「経営」は決して会社やお店といった
ビジネスの世界だけの話ではありません。
私たちの
「人生」そのものが、
まさに「経営」と
言えるのではないでしょうか。
自分自身という存在を築き上げ、
磨いていくことも、また「経営」です。
私たちは皆、
" それぞれの人生 " という
航海の舵取りを任された
リーダーであり、「経営者」なのです。
いかに " 自分という船を育て " 、
" 人生という大海原 " を
どのように進んでいくのか。
それは、
時代を超えて、
今を生きる
すべての人に共通する
大切な問いかけなのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 人生を変える一瞬の光 「あっ!」を逃さないメモ術 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 次候
七十二候
第二十候 蚯蚓出 みみずいずる
「立夏」は次候へと移りました。
5月10日~14日ころにあたります。
「蚯蚓出」は春の暖かさを感じて、
冬眠していた蚯蚓(ミミズ)が地上に出てくる頃。
今日のお題
『じんせい を かえ る いっしゅん の ひかり 「あっ!」を のが さ ない メモ じゅつ』
ふとした瞬間に訪れる
「あっ!」という " ひらめき " 。
それは
放っておくと、
すぐに記憶の彼方へと
消え去ってしまいます。
その一瞬の光の中に、
人生を豊かにする
大切なメッセージが
隠されているかもしれません。
たとえば、
私は道を歩いている時、
ふと頭に浮かんだことは、
たとえ立ち止まってでも
すぐにスマホのメモアプリに
書き込むようにしています。
また、
スーパー銭湯に出かけた時でも
サウナと水風呂、外氣浴で
最高の " ととのい " を
感じている最中であっても、
何かアイデアが浮かべば
脱衣場に飛んでいき、メモを取るほどです。
「また後で書けばいいや」などと
思っていても、
残念ながら
そのほとんどを
忘れてしまうという苦い経験を、
私は何度も繰り返してきました。
だからこそ、
「今」この瞬間の " ひらめき " を
捉えることの重要性を痛感しているのです。
「こんなくだらないこと…」
なんて思ってはいけません。
意外なことに、
そうした何氣ない氣づきの中にこそ、
素晴らしい発見や
革新的なアイデアが
隠されていることがあるものなのです。
是非、
今日からでも、
心に浮かんだ小さな " ひらめき " を、
その場で大切にメモする習慣を
身につけてみませんか?
その小さな一歩が、
あなたの人生を
大きく変えるかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 合氣道に学ぶ、受け入れる力 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏 ( りっか ) 初候
七十二候
蛙始鳴 ( かわずはじめてなく )
二十四節氣は「穀雨」から「立夏」へと移りました。5月5日~9日ころにあたります。
「蛙始鳴」は春の暖かさを感じて、
繁殖期を迎えた蛙が活発に鳴き始める
様子を表しており、夏の訪れを告げる
風物詩とされています。
今日のお題
『あいきどう に まな ぶ、うけいれ る ちから』
趣味、スポーツ、習い事、部活動、
サークル等、何をするにも
私たちの日常生活に活かせなかったら、
いくらやっても意味が無い。
そのように私は常日頃、思っています。
それは武道も例外ではありません。
今日は、
合氣道の精神から、
私たちが日常生活で活かせる
大切な学びを探っていきたいと思います。
「受け入れる力」 とは?
合氣道と聞くと、
華麗な技や相手を制する動きを
思い浮かべる方もいるかもしれません。
もちろん、
それも合氣道の重要な側面ですが、
その奥底には、もっと深く、
私たち自身の生き方にも繋がる
「哲学」が流れています。
合氣道の創始者である植芝盛平翁は、
「合氣道は愛と和合」と説かれました。
これは単に
人と仲良くすることだけを
意味するのではなく、
相手の力や考えを
無理に否定したり、
ぶつけ合ったりするのではなく、
まずは " それを受け入れ " 、
その人の力や思いを導いて
「調和を生み出す」という考え方です。
これは、
私たちが普段の生活で直面する
様々な「違い」に対する姿勢と、
深く共鳴するのではないでしょうか。
私たちは、
「自分と違う意見」、「違う価値観」、
「違う行動様式」を持つ人々と日々接しています。
そんな時、
つい自分の考えを主張したり、
相手を否定したりしてしまうことも
あるかもしれません。
しかし、
合氣道の「受け入れる」という精神は、
そうした状況に新たな光を当ててくれます。
相手の意見を
頭ごなしに否定するのではなく、
一旦、
「そういう考え方もあるんだな」と、
まずは受け止めてみる。
相手の行動に
反発するのではなく、
「なぜそうするのだろう?」と、
その背景に思いを馳せてみる。
この「受け入れる」
という姿勢を持つことで、
私たちは無用な衝突を避け、
より冷静に
状況を把握することができます。
そして、
相手の思いや考え、
すなわち相手の " 氣 " を
真正面から受け入れ、
その " 氣 " の方向に自らが向いてみる。
そうすることで、
初めてその人の思いや考えや力を
理解できるのです。
そして、
自らが正しいと思う方向に
相手を導いていく。
より良い建設的な解決策を
見出すことができるのです。
それは、
まるで激しく流れてくる川の水を
無理に流れを止めようとするのではなく、
その流れに一旦は乗ることで、
よりスムーズに進むことができるのです。
そして、
その流れに逆らうことなく、
この天地大自然に添った、
" 正しい流れの方向 " に
相手を連れていってあげることなのです。
合氣道では、
相手の攻撃を受け流し、
その力を
" 自分の力に変える " という動きがあります。
これは、
私たちが直面する困難や課題に対しても
示唆を与えてくれます。
問題に正面からぶつかるだけでなく、
時には受け止め、
そのエネルギーを
別の方向へ転換することで、
新たな可能性が開けることがあるのです。
「受け入れる力」とは、
決して自分の意見を
曲げることや、
相手に迎合することでは
ありません。
そのような
弱々しいものではないのです。
それは、
相手を理解しようと努め、
多様な価値観が存在することを認め、
その違いを尊重する
「心の広さ」と「強い心」なのです。
この「受け入れる力」を身につけることは、
人間関係を円滑にするだけでなく、
私たち自身の「心の平穏」にも繋がります。
他者との違いに苛立つのではなく、
それを受け入れ、
共に生きていく道を探る。
そこに、
より豊かな人間関係と、
より成熟した社会が
築かれるのではないでしょうか。
合氣道の奥深い精神から学ぶ
「受け入れる力」。
それは、
私たちがより穏やかに、
そして力強く生きていくための、
大切な道しるべとなるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 麻布台「雁木坂」で感じる江戸の残り香 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
立夏 ( りっか ) 初候
七十二候
蛙始鳴 ( かわずはじめてなく )
二十四節氣は「穀雨」から「立夏」へと移りました。
5月5日~9日ころにあたります。
「蛙始鳴」は春の暖かさを感じて、
繁殖期を迎えた蛙が活発に鳴き始める様子を表しており、
夏の訪れを告げる風物詩とされています。
今日のお題
『あざぶだい「がんぎざか」で かんじ る えど の のこり が』
「先生、また " お江戸の坂 " を巡りましょう」
春の合氣道集中稽古に
東京から参加している
日本女子からの呼びかけだ。
この度、合氣道寺崎道場に
「お江戸の坂巡り同好会」( 仮 ) が発足した。
今のところ、メンバーは
私とその日本女子の二名である😅
東京には江戸時代から続く
由緒ある坂が多数存在している。
近年、
目覚ましい発展を遂げる
東京・港区の麻布台エリア。
高層ビルが林立する麻布台1丁目。
この場所に、
ひっそりと佇む石畳の坂道
「雁木坂(がんぎざか)」は、
まるで時代に取り残されたかのような
静けさに包まれていました。
前回の東京出張の際に、
そのお弟子さんに案内していただき、
この坂道を訪れた時の情景は、
今も鮮明に私の記憶に残っています。
再開発の波を乗り越えた、江戸の面影
バブル期以降、
東京の街並みは大きく変貌を遂げました。
多くの古い建物や道が
姿を消していく中で、
「雁木坂がこうして残っているのは、まさに奇跡ですよ」
生粋の江戸娘の
お弟子さんの言葉が印象的だった。
麻布台ヒルズのすぐそばにありながら、
一歩足を踏み入れると、
そこは喧騒とは無縁の、
静寂とした空氣が流れていました。
石畳を踏みしめながら
坂道を上ると、
ビルに挟まれながらも
両脇には緑が茂り、
まるで都心にいることを
忘れてしまうほど…
お弟子さんと二人、
当時の江戸の風景を想像しながら
ゆっくりと歩いた道のりは、
心安らぐひとときでした。
消えゆく記憶の中で輝く、東京の坂道
江戸時代から続く
東京の坂道の多くは、
都市開発の波に
飲み込まれてしまいました。
かつては生活道路として、
人々の暮らしに寄り添っていた坂道も、
今ではその数を減らし、
その存在すら
忘れ去られようとしています。
そんな中で、
「雁木坂」のように
昔の姿を残している坂道は、
" 歴史の生き証人 " と言えるでしょう。
石畳の一つひとつに、
江戸の人々の
息遣いが感じられるような氣がします。
東京は坂道の宝庫?知られざる魅力
東京には、
「雁木坂」以外にも
個性豊かな坂道が数多く存在します。
都市開発などで
数多くの坂が消滅したとはいえ、
今なお、
700を超える坂道が、
都内の様々な場所に
点在していると言われています。
それぞれに異なる表情を持ち、
坂の上からの眺め、
坂道沿いの風景、
そして坂にまつわる物語は、
東京という街の奥深さを物語っています。
当時の人々は、
どんな思いで
この坂を歩いていたのだろう?
合氣道の稽古の合間に、
そのような江戸時代から続く
坂道を巡ってみるのも、
自分の「感性を磨く」良い稽古になる。
数ある東京の名坂を巡ってみたい。
残り少ない人生で、
あと、どれくらいの坂を歩けるだろうか?
九段下から
靖國神社の第一鳥居に向かう「九段坂」。
その靖國神社の裏手と
法政大学の間にある「富士見坂」。
飯田橋駅出口すぐの「神楽坂」。
麻布十番の「鳥居坂」。
元麻布の「暗闇坂」。
三田の「幽霊坂」。
南品川の「幽霊坂」。
赤坂から乃木坂駅に向かう「乃木坂」。
赤坂から六本木、
東京ミッドタウン周辺の
「檜坂」や「寄席坂」
坂の名前を確認し、
想いを込めて巡った坂は
ざっと思い返しても、このくらいだろうか…
江戸の坂道巡り。
まだまだ、あるから楽しさは尽きない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝