" 不完全さの美学。「侘び・寂び」の心で愛でる十三夜の月 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
霜降【そうこう】末候
七十二候
第五十四候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)
11月2日~11月6日頃。
野山の楓(かえで)や蔦(つた)の葉が、赤や黄に色づく頃という意味です。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 ふかんぜん さ の びがく。「わび・さび」の こころ で め で る じゅうさんや の つき 』
先日11月2日の十三夜、
多くのお弟子さんから
「先生、先月の十五夜に続いて、ばっちりお月見ができましたよ」と、
美しい月の写真が
LINEで送られてきました。
毎月、
不肖私がこのブログ同様に
全身全霊で書く
合氣道琴心館寺崎道場
会員向け会報誌
「ぼくらの合氣道」を熱心に熟読し、
古くから伝わる
日本の風習を大切にしてくれる姿勢に、
心から感謝しています。
" 風に流された一瞬の美。神戸で見た十三夜 "
私の住む神戸では、
十三夜当日は風が強く、
全般に曇りがちの空模様でした。
正直なところ、
「今夜のお月見は難しいかな」と
半ば諦めていたのです。
しかし、
ある商業施設の屋上駐車場から
ふと空を見上げた、そのほんの一瞬。
強い風に流された雲がちぎれ、
そこから顔を出した十三夜の月を、
運良く拝むことができました。
十五夜の満月に比べて、
十三夜の月は満月の2日前という
わずかに欠けたその月は、
やはりどこか儚げで、
深い味わいがありました。
「一瞬でも見られたことの喜び」。
この体験こそ、
合氣道の稽古や人生にも通じる
大切な教えを
運んでくれたように感じています。
" 十五夜だけでは「片月見」? 二夜の月見をする理由 "
古来より、
日本には十五夜(中秋の名月)だけでなく、
その約一ヶ月後の
十三夜(後の月)も合わせて
二度お月見をする風習があります。
十五夜が中国から伝わった
風習であるのに対し、
十三夜は
日本独自の風習とされています。
この二つの月見を
セットで行うことを
「二夜の月(ふたよのつき)」とも呼びます。
なぜ二度か?
これにはいくつかの意味があります。
収穫への感謝
十五夜は芋などを供える
「芋名月」として収穫前の豊作を祈り、
十三夜は栗や豆を供える
「栗名月」「豆名月」として
収穫後の感謝を捧げるという、
秋の収穫祭としての意味合いがありました。
縁起担ぎ
どちらか片方の
お月見しかしないことを
「片見月(かたみつき)」と言い、
昔から縁起が悪いと
忌み嫌われました。
両方拝んでこそ、
正式な感謝とされ、
福を招くと考えられてきたのですね。
" 完璧ではない「十三夜の美」にこそ、合氣道の教えが宿る "
さて、
お弟子さんから送られてきた
十三夜の月は、
十五夜の満月に比べて、
少しだけ欠けていました。
私が見た、
雲の切れ間からの
十三夜の月も欠けていました。
この完璧ではない形にこそ、
私は深い意味があると感じます。
十五夜が
「完成」された満月ならば、
十三夜は「未完成」の月。
しかし、
このわずかな歪み、
満ち切らない美しさこそが、
私たち日本人が古くから愛する
「侘び・寂び」の心に
通じるのではないでしょうか。
合氣道の稽古もまた、
常に「未完成」の状態です。
技に完璧はありません。
今日はできたと思っても、
相手が変われば、
次の瞬間には崩れるかもしれない。
もっと言えば、
心が落ち着く深度に100%はない。
行き着くところはないのです。
私たちは、
丸い満月のような
完成された状態を
目標としながらも、
欠けた月のような
未熟な自分を受け入れ、
その不完全さの中で、
たゆまず精進を続けることに
価値を見出します。
完璧ではないからこそ、
次がある。
未完成だからこそ、
明日も道場へ向かう情熱が湧く。
"「今、ここ」の満ち欠けを受け入れる "
十五夜と十三夜、
形は違えど、
どちらの月も
私たちに秋の恵みと
静かな安らぎを与えてくれます。
この二つの月見は、
「完成と未完成」の両方を愛(め)で、
「今、ここ」にある
自分の満ち欠けを
受け入れることの大切さを
教えてくれているように思います。
お弟子さんたちが送ってくれた
見事な十五夜の月、
また完璧ではない十三夜の月。
その両方の写真を見るたびに、
私自身もまた、
この「二夜の月」の教えを胸に、
本日からの指導に
励もうと、襟を正しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝