2024-11-06 04:32:00

" 上達の定義 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『じょうたつ の ていぎ』

 

 

" 先生、私って上達してますか? "

 

現在、東海大学

湘南キャンパスに通い、

将来、声優を目指す

Hという日本女子からの

LINEメッセージだ。

 

 

藤沢市 辻堂教室所属で

N先生のお弟子さんだ。

 

N先生も私の弟子だ。

 

従って、

私から見れば、

Hさんは孫弟子

ということになる。

 

 

早速、

zoomでHさんの技を

見ることにした。

 

zoomというアプリは

便利なものだ。

 

神奈川の教室と

神戸の私の自宅を

オンラインで結び

リアルタイムに映し出され、

会話もできる。

 

便利な世の中になったものだ。

 

 

方手取り、

横面打ち、

正面打ちの

行書〜草書の技だ。

 

特に草書の技では

相手のSというお弟子さんの

受けが上手いので、

 

Hさんの

投げ技も関節技も映える。

 

やっぱり、

合氣道は受けが上手だと

投げが上手く見えるものだ。

 

 

おっと、受けを見て

感心している

場合ではなかった。

 

本筋から逸れてはいけない。

 

 

Hさんは確実に上達している。

 

入門して三年足らずで

これだけできたら、

大したものである。

 

 

一通りの技を最後まで見て、

Hさんに話したことは、

 

「技ではなく心の上達が肝要です」

ということである。

 

 

合氣道には色々な流派があり、

指導する師範によって

目指すところは違う。

 

まして

私などの未熟者が僭越にも

「合氣道はこうであるべき」

などと言えるはずもない。

 

 

従って、

一言で上達といっても

 

その定義は

道場、指導者によって

様々ではないかと思う。

 

 

その上で、

合氣道寺崎道場の

上達の定義とは

 

 

人としての生き方であり、

考え方であり、

心のあり方が

入門時より

進歩、成長すること。

 

 

それが上達であると

私は確信している。

 

 

合氣道は日常生活に

活かせなかったら意味がない。

 

 

「先生、私って上達してますか?」

 

 

それはHさんに限らず、

何人ものお弟子さんから

よく聞く言葉だ。

 

 

技が上手になることも

上達には違いないが、

 

人として心の上達こそが

重要ではないのか。

 

 

それを磨くために

 

合氣道寺崎道場は

存在している。

 

 

今一度、

大人一般、子ども親子の

全てのお弟子さんに

おかれては

再認識していただきたい

ことであります。

 

 

さあ、

一緒にみんなで磨いていこう。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-11-05 04:34:00

" 天ちゃん教えてよ "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『てんちゃん おしえて よ』

 

 

11月3日 ( 日曜日 ) 文化の日に

亡父の永代経法要で

京都・西本願寺へ

お参りしました。

 

 

ご先祖様の

供養以外にも

諸事情により

年に数回、少なくとも

二ヶ月に一回は

必ず京都を訪れています。

 

私にとって、

京都という地は

何かしら

深い縁があるように

思えてなりません。

 

この地に

合氣道寺崎道場の

新たな拠点が

できるのではないか。

 

最近そう考えてます。

 

まだ漠然としていますが、

可能性は0%ではありません。

十分にありえます。

 

 

私と京都は

少なからず、

ご縁で結ばれていると

はっきり感じています。

 

 

閑話休題 ( かんわきゅうだい )

 

今日のお題です。

 

11月3日の朝、

阪急電車で

大阪梅田行き特急の

同じ車両に

 

三宮辺りだったか、

 

長い弓袋を二本に矢筒と

背中にリュックを背負った

袴姿の大学生らしき

日本女子が乗車してきた。

 

 

十三駅から京都線の

ホームに向かうが、

その弓道女子も

 

京都河原町行き 特急に

乗り換えるべく

同じホームで電車を待った。

 

乗車した車両は

違ったので、

その先は不明だ。

 

 

私は阪急大宮駅で下車し、

足腰の鍛錬のため、

徒歩で約25分かけて

西本願寺へと向かった。

 

亡父の永代経法要を終え、

 

その後、

地下鉄烏丸線

丸太町駅で下車し、

京都御苑へと向かった。

 

そこには

超広大な敷地の中に

京都御所がある。

 

 

古の時代の

天皇陛下のお住まいを

参観した後、

 

市バスに乗り

四条河原町へと向かった。

 

三連休中日で

好天に恵まれた

こともあってか、

 

河原町周辺は

車の大渋滞と

歩くことも

ままならないほどの

人と車で混雑していた。

 

 

その後、

河原町から阪急電車で

大阪梅田へと向かった。

 

 

まあ、

河原町はいつも

人でごった返しているが…

 

京都は年中、観光客だらけ。

 

空いている電車を

見たこともない。

 

毎回、

歩き疲れたあげく、

座れないのだ。

 

しかし、

大阪梅田に向かう

下りは河原町駅が起点なので

確実に座れる。

 

 

その後、

大阪梅田周辺で用を済まし

神戸に帰るため、

 

大阪梅田駅の

神戸線ホームで

電車を待った。

 

ここも

終点の新開地行き

下りは起点のため、

確実に座れる。

 

 

ありがたい。

 

 

座席に座り、

発車を待っていると

 

なんと、また

朝の弓道女子が

弓袋と矢筒を持って

友達と乗ってきたのだ。

 

しかも、

また同じ車両である。

 

「こんなこともあるんだな」

 

一人感心していた。

 

 

" 袖振り合うも多生の縁 " とは

 

まさにこのことだな。

 

 

少しの時間のズレが

あったら、

再び会うこともなかった。

 

 

今思えば、

京都御所での参観時間や、

河原町の大渋滞、

大阪梅田での用事などが

全て影響している。

 

 

もっと言えば、

人混みの河原町駅の

ホームでは

確実に座りたかったので、

一本、電車を遅らせた。

 

また、

大阪梅田駅でも

同様の理由で

一本、電車を遅らせた。

 

その結果、

再びあの弓道女子と

同じ電車で同じ車両だ。

 

 

これも何かしらの縁だろう。

 

 

私と弓道女子の

ほんの僅かな時間のズレが

あれば、

絶対にありえないことだ。

 

 

「天ちゃん、教えて」

 

 

何故、この日

二回も会わなければ

ならなかったのか。

 

 

ほんとに聞きたい。

 

 

この世に偶然は

ないんでしょう?

 

全て必然なのでしょう?

 

だったら、何故?

 

それとも

天地大自然が

楽しんでいるだけ?

 

 「理由を教えて、天ちゃん」

 

 

天地大自然はいたずら好きだ。

 

 

生きている間に、

それとも

鬼籍に入ると、

 

教えてもらえるのであろうか。

 

 

分からない。

 

 

私に分かることは

縁があるということだけ。

 

それだけは確実に

そうなのだろうと思う。

 

 

 

話もしてない

どこのどなたか存じませんが、

 

このご縁がある

弓道の日本女子の

行く末に

 

何はともあれ、

幸せあれ、栄光あれ。

 

早天の空に、そう思う。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございます。

 

道場長 拝

2024-11-01 04:44:00

" 相手が先で自分が後 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『あいて が さき で じぶん が あと』

 

 

我が家では以前、

ベランダでたくさんの

改良メダカを飼っていた。

 

 

春から夏の

産卵シーズンは

世話するのに忙しい。

 

 

たくさんの

針子と呼ばれる

稚魚が生まれる。

 

 

その稚魚を大切に育て、

 

体型、美しさの優れた

成魚を選別して

翌年の種親に育てる。

 

 

そのため、

たくさんの稚魚を

育てることになる。

 

 

その稚魚達の餌は

ゾウリムシだ。

 

それにPSB ( 光合成細菌 )

という赤い水が必需品だ。

 

このゾウリムシとPSBは

簡単に培養できるから、

 

ベランダには

多くのメダカ容器と

培養のペットボトルが並ぶ。

 

 

その培養ペットボトルは

蓋を開けると悪臭が漂う。

 

不注意でこぼしたりすれば、

ご近所迷惑にも

なるほどの悪臭だ。

 

触りたくない。

でも、

触らなければならないから、

手に付着する。

 

少々洗っても臭いは取れない。

 

家族からは

「もうやめて」と

何度も懇願される、

 

しかし、

先方 ( 稚魚 ) が

好きなものであるから、

 

手が臭くなっても

稚魚に与える。

 

稚魚が喜ぶからである。

 

まず、相手方の好きに合わせる。

 

その結果として、

後から飼い主の

喜びや楽しみが生まれる。

 

それが改良メダカ飼育の

条件であり過程であった。

 

そのメダカの世話に

翻弄されつつも、

 

人としての生き方も社会も

これと全く同じであると

氣がついた。

 

 

相手が喜ぶものは何か。

 

あの人が好むものは

どんなものなのか。

 

それを考え工夫する。

 

まず、相手を喜ばす。

 

自分のことは、

横において後まわしだ。

 

その後に自分の喜びや

楽しさが生まれてくる。

 

 

但し、

素直に喜べない人や

傲慢、わがまま、氣がね、

ふてぶてしい態度の人には

あてはまらないかもしれない。

 

そのような人は

元々、相手にする必要もない。

 

 

天地大自然が

メダカの姿に変わって、

 

私に教えてくれた

貴重な学びであった。

 

天地大自然の尊い道理だ。

 

天地の道理は

合氣道にもあてはまる。

 

まずは、

相手の氣を尊ぶ。

相手の立場に立つ。

そして、相手を導く。

 

 

どんな事柄でも

天地大自然の中で

おこることには

天地大自然の道理に

則った生き方をしなければ、

事はうまく運ばないのだ。

 

 

我が家のベランダに

たくさんいたメダカ達、

 

その子たちにも

感謝しなければなるまい。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-10-31 04:58:00

" 今日を生きよう、喜びと感謝で "

今朝も目覚めることができた

ありがとう。

 

 

『きょう を いきよう、よろこび と かんしゃ で』

 

 

毎朝、

目覚めたら

自然と出てくる言葉。

 

それが

" 今日を生きよう、喜びと感謝で "

である。

 

 

当たり前すぎて、

説明もいらない。

 

 

しかし、

生きていることが

当たり前であると

考える人には、

 

この言葉は

必要ないでしょう。

 

 

私の場合は、

天地大自然によって

生かされている、

 

また、

周りの人々の

支えがあるから、

生きていける。

 

いつも

そう思っているから、

 

生きるということは

喜びと感謝なのである。

 

 

生きよう、

今日も精一杯、

喜びと感謝で。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-10-30 04:18:00

" 百術は一誠に如かず "

今朝も目覚めることができた

ありがとう。

 

 

『ひゃくじゅつ は いっせい に しかず』

 

 

百のわざや

たくらみ、はかりごとも、

一つの「誠」には

到底及ばぬ、

という意味である。

 

 

「策略」

それは自分の目的を

達成するために

相手をおとしいれる計画だ。

 

氣の小さい、

器も小さい、

 

そんな策士の

謀 ( はかりごと ) などは

 

ほんのひと時は

成功したように見えても

 

やがて必ず、

滅びゆくものだ。

 

 

合氣道の稽古においても、

そういうことをする人が

稀にある。

 

断っておくが、

 

合氣道寺崎道場の

優秀なお弟子さんには

そのような者は

一人としてない。

 

 

例えば、

「呼吸動作」という

技がある。

 

 

投げ ( 投げる側 ) と

受け ( 投げられる側 ) が

向かい合って正座する。

 

受けは投げの両手首を持つ。

 

投げは座ったまま、

相手を導き投げる。

 

 

この技は

大変、奥の深い技で

相手とぶつからず、

相手の氣を導いて投げる。

 

 

それを

相手を倒すことしか

考えてない、

 

愚か者は力ずくで

相手を倒そうとする。

 

しかし、

力めば力むほどに

悪循環となり、

 

相手はなかなか

倒れてくれない。

 

元々、

相手を倒すことしか

考えてないから、

 

色々、

あれやこれや、

 

自分に有利になるような

位置で相手に手を持たせたり、

卑怯な手を使いだす。

 

しかし、

盤石な体幹を持ち、

 

心が静まっている者には

全く敵わない。

 

少年野球とプロ野球

ほどの差がある。

 

 

堂々と真正面から来いよ。

 

 

氣というものを

理解できず、

 

人の心を導くこともできず、

 

日常においても

鍛錬はせず、

 

そのような者には

わかるはずもない。

 

哀れな奴らだ。

 

 

しかし、

学ぶ者、

進歩しようとする者は

 

天地の大道の

真正面を一緒に歩もう。

 

 

一つの誠を貫くものに

適うものはないのだ。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

道場長 拝