" 緊褌一番 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『きん こん いち ばん 』
昨日、10月20日(日)は
" 秋の呼吸法と自己手当、心のあり方講習会 "を
開催いたしました。
「誰も来てくれないんじゃないか」
そう思っていましたが、
30人近くの
お弟子さんと
そのご家族、
少年部の
お母さん、お父さん方が
参加してくださり、
心から感謝いたします。
大人クラスで稽古する
小学6年生の4人も
参加してくれました。
ありがとうございます。
一般会員向けとしては
今回は第一回目の
講習会であったため、
呼吸法、
自己手当、
正しい姿勢、
心のあり方等、
全ての項目を
浅くなぞった
程度に過ぎません。
指導者育成講習会では
各項目を
深く掘り下げ、
実践しています。
一般会員向けと
指導者育成では
参加する側の
それぞれ
立場が違いますので、
内容の深さも少しは
違いも有ろうかと
思いますが、
健康で
生き生きとした、
氣を出す生き方に
おきましては、
一般も指導者も
関係ございません。
同じ人間です。
従いまして、
今後も一般会員向けの
講習会を第二回、三回と
継続して行っていきたいと
考えています。
今回は参加できなかった
会員の皆様方も
是非、次回は
参加してくださればと
思っています。
いつもながら、
皆さんの前に立てば、
皆さんのことが
よく見えます。
よく理解できます。
それは表情と姿勢に
顕著に表れます。
「なるほど」
日曜日の午前中という
貴重な時間に
会場まで足を運んで
くださった皆さん、
熱心に
呼吸法、自己手当の実践と
私の話を明るい表情で
お聞きくださいました。
わかりにくい点など
多々あったと思います。
これを反省し、
次回の講習会は
もっと良くしていきたい。
もっとわかりやすく
皆様方にお伝えできるよう、
今回より次回、その先と
回を重ねる事に
良くなるよう、
創意工夫していきたいと
思っております。
今回、参加された皆様方の
「熱心に学びたい」
という氣を
十二分に尊重して、
それを正しい方向に
導いていくことが
私の為すべき
責務でございます。
暁の朝に心を静め、
緊褌一番、
取り組まねばなりませぬ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 啐啄同時 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『そつ たく どう じ』
「啐啄」とは
啐に子をつけて「子啐」、
啄に母をつけて「母啄」。
つまり、子啐とは
雛が卵から出ようと
卵の内側からつつくことであり、
母啄とは
母鳥が外から卵の殻を
つつくことである。
この両者がつつく
タイミングが重要であり、
必ず同時でなければいけない。
早すぎてもいけない。
遅すぎてもいけない。
またとない好機のことだ。
「啐啄同時」
それは、
生きていく過程において
様々な場面で大切なことです。
絶好の氣の瞬間が
人は万事を決するのだ。
学ぼうとする者と
教え導く者。
導く者と導かれる者の
息が合って、相通じること。
合氣道師範である
私の立場で申しますと、
お弟子さんとの呼吸が
見事に一致する。
心の方向がピタッと合致したとき
私とそのお弟子さんともに
進歩、向上することができる、
絶好のタイミングであります。
導く側は
その時を見定め、
見誤ってはなりませぬ。
導かれる側は
その時を逃してはなりませぬ。
10年以上、
たくさんのお弟子さん方と
接する中で、
確かにそれは存在する。
素質は十二分にあるのに
心が硬い人、
言い換えれば
素直でない人は、
その好機を自ら逃してしまう。
非常に残念なことである。
心のあり方、
心が柔軟になるまで
指導者は待たねばいけない。
それは必ずや、
技にも表れてくるものだ。
一方で、
常に心が柔軟で
素直な人は、
師範の全てを学ぼうとする。
従って、入門して
早い段階で
師範と氣を合わせることができ、
啐啄同時となるのだ。
今現在も
今がその絶好の瞬間、
まさにこの時期という
お弟子さんが数名いる。
さあ、
その調子で、
その氣を出し続けて
天地の大道を
ともに歩んで参りましょう。
ともに歩める
お弟子さんこそが尊い。
心から感謝いたします。
「ありがとう」
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 清々しい夜明け "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『すがすがしい よあけ』
10月の満月は
「ハンターズムーン」と
呼ばれるらしい。
2024年 10月17日の満月が
一年で最も大きい満月である
スーパームーンだ。
昨日10月16日
兵庫キャナルタウン
合氣道教室での稽古を終え、
空を見上げると、
ほぼ真ん丸の綺麗な
お月さまを見ることができた。
道行く人々が
スマホで写真を撮っている。
私も「撮ろうかな」とも
思ったが、
スマホだと限界があるよね。
それよりも
数秒立ち止まって、
空を眺めることにした。
綺麗なお月さまを
しっかりとこの目に
焼き付けた。
そして
今日も午前4時前に起床した。
カーテンを開けると
オレンジ色をした
真ん丸の大きな満月が
西の空に沈みかけていた。
ベランダに出て
僅か3分ほどで
西の山の向こうに
完全に沈んでいった。
沈みゆく満月を見ながら、
今もこうして
生かされていることに
感謝した。
今現在もこうして
天地大自然は流転し、
太陽を中心とした
地球の自転と公転、
月の自転と公転。
瞬時も止まらず、
正確に厳然と行われる
天地大自然の営み。
これにより
私達は生かされている。
起床してすぐ
こんな綺麗なお月さまを
眺めることができて、
今日もこうして
生きることができている。
それに感謝だ。
とても清々しい夜明けだ。
私達はこのように
生きているだけで
幸せなんだ。
何もかも天地大自然から
護られているのだ。
人生を良くするのも
悪くするのも、
自分の心のあり方次第だ。
このオレンジ色をした
ハンターズムーンは
写真に残そう。
一眼レフカメラで
撮りたかったが、
まだ家族は爆睡中だ。
一眼レフは家族の寝室にある。
眠りの邪魔は出来ないから、
スマホで撮ってみた。
でもやっぱり、
違うんだよな。
目で見たオレンジ色は
スマホでは表現出来ないわ。
今日10月17日
午後8時26分に
満月を迎える。
2024年で
いちばん大きく見える
満月「ハンターズムーン」に、
願いを込めてみるのも
良きかな。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" できるは賢ではない、つづけるが賢である "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『できる は けん では ない、つづける が けん で ある』
何事も続けてやる。
飽きることなくやり続ける。
倦まず弛まず、
一つのことを
やり続けることができる人。
それは素晴らしい
才能であると思う。
そういう人からは
たくさんの学びがある。
そういう人こそ、
一生涯付き合う
価値のある人だと思う。
「以前に習ってました」
これはすぐ辞める人、
一つのことを継続する
根氣のない人である。
一方で、
「今も続けてます」
という人は伸びる人。
人を選ぶときの
一つの基準にもしたい。
後者こそ
大切にしたい人である。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 真理を悟れば、弱者は強者になる "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『しんり を さとれば、じゃくしゃ は つわもの に なる』
" 氣が強い " の反対は
" 氣が弱い " である。
「あの人は氣が強い」とか、
「あいつは氣が弱い」とか、
あたかもそれが、
その人の性格で
あるかのように
言われることがある。
私も合氣道を学ぶ前までは、
同じ様に思っていた。
子どもの頃、
周りからも
「お前は氣が弱い」と
よく言われたものだ。
私は " ここ一番 "という
大事な場面で
力を発揮できない人だった。
周りの言う通り、
「氣が弱い人」だった。
氣が強い人が羨ましかった。
どうしたら
氣が強い人に
なれるのだろうか?
昔は
そんな事をよく考えたものだ。
それが一転したのは、
合氣道に出会ってからだ。
藤平光一翁のご著書には、
" 氣に強いも弱いも無い "
" 氣は氣である "
それは性格のような
ものではなく、
氣を強く出せる人のことを
「氣が強い」と言い、
氣を弱くしか
出せない人のことを
「氣が弱い」と言う。
と記されていた。
また、その上で
元々、氣が弱い人が
一度、氣を強く出すことを
覚えたら、
元々、氣が強い人より
さらに氣が強い人になる。
そのように記されていたのだ。
この教えは、
当時の私にとって、
まさに「青天の霹靂」であった。
そうか、
誰でも氣は強く出せるのか。
誰でも氣は出そうと思えば、
いくらでも強く出せるんだ。
この簡単な
天地大自然の真理を
悟ってからは、
日々、氣を強く出すことを
実践した。
「自分は氣が出ている」と
強く思えば、
実際に出ているのだ。
「これを活用すれば、道行く人とぶつからない」
藤平光一翁のご著書には
そうも記されていた。
そうと分かれば、
早速実践あるのみ。
最初の実践には
もってこいの
クリスマスの日だった。
12月25日の
神戸三宮から元町までの
神戸三宮センター街の通りは
クリスマスで凄い人混みだ。
なんという幸運だ。
これも天地大自然が
用意してくださった、
尊いご縁である。
氣の出し方は
師匠である
琴地 茂先生から
直接教わっている。
人混みの
神戸三宮センター街に
氣を引くことなく、
この商店街のど真ん中が
天地の大道なんだ、
そう強く思って、
そのど真ん中の道に
まるでレッドカーペットが
敷かれてあるかのように、
終点を元町と定め、
終点の元町まで
臍下の一点から
氣を出して歩いた。
一切、氣を引っ込めず
出しっぱなし、
放りっぱなしで
悠々と、
三宮センター街の
ど真ん中の
レッドカーペットの上を歩いた。
それは始めての不思議な体験だった。
本当に道行く人が
自ら道を開けてくれるのだ。
すれ違う誰とも
全くぶつからないのだ。
藤平光一翁のご著書に
書かれていたことは本当だった。
実践して初めて分かった。
元町までたどり着いた時には
冬にも関わらず、
全身汗だくで、
元町の大丸前のベンチに
座り込むほど、
氣を消耗したのだ。
それは無理もない、
今にして思えば
氣を出そうと
身体中を力ませていたのだ。
決して、
正しい氣の出し方ではなかった。
正しい氣の出し方は
正しいリラックスなのだから。
然は然り乍ら、
「自分は氣が出ている」と
強く思った、
その身体中から出た
強い思いが、
強い氣となり、
道行く人は
それを感じ取り、
自ら道を開けてくれたのである。
その時、私はそう確信した。
それから12年、
今も道を歩く時は続けている。
これまでの間、
続けて実践して
天地大自然から学んだことは、
すれ違う目の前の人だけを
見て歩くと、
その目の前の人と
ぶつかることがあるから、
要注意であるということだ。
また、「絶対に道を譲らないぞ」
では決してありませんので、
誤解なきよう。
少なくとも
10〜20メートル位、
先を見て歩くのです。
すると10〜20メートル先まで
氣は出ています。
その結果、
10〜20メートルの範囲内で
すれ違う人は
必ず、道を開けてくれます。
もし、
ぶつかりそうになった時は
自分の氣が弱いのです。
また、
ぶつかりそうになった時は
氣を引くのでなく、
前方に氣をより強く
出しながら、
少し、横に寄るなどして
すれ違う相手を
かわしましょう。
これを通学、通勤に
活用すれば、
どんどん氣は強くなります。
元々、氣が弱かった
私が、
一旦、強く氣を出すことを
覚えれば、
そこらの人より
数段、
氣が強い人に
なったことは事実でありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝