" 分からないことは考えない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『わからない こと は かんがえ ない』
明日はどうなるのか。
今週末はどうなるのか。
一週間以内にどうなるのか。
色々、色々考える。
その結果、
本来やるべきことができない。
手につかない。
これは良くないことだ。
必ず、" なるようになる "
一方で
絶対に、" ならぬようにはならない "
明日はどこに行こうか。
南に行くべきか。
北に向かうべきか。
それは自分が考える分野だ。
しかし、
明日は晴れるのか。
雨なのか。雪なのか。
これはいくら考えても
分からない。
いくら天氣予報の
精度が高くても、
それは天地大自然の
分野であるから、
明日にならなければ、
本当のことは分からない。
いくら考えても
分からないことは
考えない。
氣にしない。
" どちらでも良い "
先のことが
分からないことは、
自分が考える分野では
ないのだから、
全部、
天地大自然にお任せして、
" どちらでも構わないよ "
" その時に考えるから "
そう腹に据えて、
氣にせず
しっかり働いて、
ぐっすり眠れば良いだけだ。
" 氣にしない "
" 考えない "
やはり
世の中というものは
簡単なことですね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 徳を頂いた "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『とく を いただいた』
先つ日、
自宅を出て
駅へ向かう途中で、
車椅子に乗る
70代位の男性が
前方から来た。
私は道を譲ろうと、
少し横へ寄ろうとしたが、
こちらに笑顔で
近寄って来られた。
顔見知りでもなければ
知り合いでもないのだが、
2年ほど前から、
自宅からほど近い
兵庫キャナルタウン合氣道教室で
週3回稽古していることもあり、
最近では
私が存じ上げない人でも
「合氣道の先生ですね」
というふうに
ご近所さんから
声をかけられることも
少なくないから、
その車椅子の方も
そう思ったのだが、
そうでは無さそうでした。
笑顔で近寄ってこられ、
ご自身の
上着のファスナーを指差され、
「閉めてもらえないでしょうか」と
仰られました。
どうやら、
手の指が不自由な方のようだ。
私は「はい、良いですよ」と
喜んで上着のファスナーを
閉めてあげました。
「助かりました。ありがとうございました」と
車椅子の男性も
喜ばれて行かれました。
実はその時、
私の前には一人の女性が
私と同じ方向に
歩いていたのですが、
その車椅子の男性は
その女性には見向きもせず、
私の方に寄って来られた。
車椅子の男性にしてみれば、
もしかしたら
その女性に頼むことに
遠慮され、
同性の私に
頼んだのかもしれない。
それはさておき、
「ありがとうございました」と去ってゆく、
その男性の後ろ姿に
「こちらこそ、ありがとうございました」と、感謝した。
おそらく、
この方は私以外の人とも
すれ違っているはずである。
私の自宅から駅へ向かう
その道は
平日の昼間とはいえ、
そこそこ人通りもある。
その中から、
私を選んでくださった。
なんという、
ありがたいことなのだろう。
感謝するのは私の方だ。
" してくれてありがとう "
" させていただいてありがとう "
私はこの車椅子の男性から
徳を頂きました。
天地大自然には
そのご縁を頂きました。
その日は終日、
ほのぼのとした
心が安らぐ一日でした。
人間はお互いに
他者を尊ぶ
" 感謝の心 " があれば、
争いごとは起こらない。
" 平和 " とは
こういうことなんだろうね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 無用の長物 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『むよう の ちょうぶつ』
無用の長物とは
あっても役に立つどころか、
かえって邪魔になるもの。
あっても益のないもの。
という意味だ。
それは人の心では
執着、傲慢、
わがまま、氣兼ね、
思い込み、思い過ごし、
偏向、偏見、先入観、
自惚れ、思い上がり、
アップデートできない頭。
人間の肉体では
余分な力み。
日常生活では
時間潰し、
新聞、テレビなどの
偏向、隠蔽報道する
マスメディア、
発信元が定かでない
SNSの情報。
その他にも
まだまだあると思うが、
さっと考えただけで
これだけある。
あっても意味がない、
役立ちもしない、
かえって邪魔に
なるものなら、
さっさと取っ払ってしまおう。
合氣道の稽古とは、
この無い方が良い
余計なものを
毎回、取り除く
稽古をしているのだ。
特に心身においては
一回の稽古で
" 薄皮を剥いでいく"
ようなものだ。
それが
たとえ一枚の薄皮であっても、
半年経てば半年分の
一年経てば一年分の
不要な薄皮は
確実に剥がれていく。
この不要なものを
取り除けば、
その分だけ心身ともに
軽やかになる。
その軽やかになった心身に
心の静まりが加われば、
正しく物事を判断する
能力が養われる。
その結果、
世間に溢れる
おびただしい
情報の中から
正しい情報だけを
選別できる。
つまり、
" 自分の頭で考える " ことが
できるようになる。
無用の長物には
用がないのでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 古の雅 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『いにしえ の みやび』
このエントリーでも
触れましたが、
先日、
私が14歳 (中学3年生)の時に
極楽浄土へ行った
父の永代経法要で
京都・西本願寺に参拝した後、
京都御所を参観してきました。
御所( ごしょ )とは、
" おんところ "
" THE PLACE "
天皇陛下のお住まいであった
皇居であり、
古来、内裏(だいり)と
称された場所です。
平安時代から江戸時代まで
1000年以上、
天皇陛下が住まわれていた。
京都御所へは入場門である
清所門 (せいしょもん) から
入るのだが、
ここで驚いたことは、
お堀がなく、
高い石垣もなく、
外から中は丸見えで
" 一切、守りがない "
ということだ。
例えば、
姫路城でも皇居でも
高い石垣とか、
巨大なお堀で守られている。
現在、
天皇陛下・皇后陛下が
お住まいになる皇居は
昔、江戸城であったため
上記の通りだ。
しかし、
京都御所には守りがない。
その理由は
仁徳天皇の
「民のかまどの話」にある。
民のかまどから
煙が立ち上がらないのは、
炊くものがない。
それは夕飯の支度が
できないほど、
民は貧しいのか。
それなら、
税を取るのをやめよう。
税が課せられなくなった
民のかまどからは
夕飯の煙が上がりだした。
その後も、
仁徳天皇は
民の生活が豊かになるまで、
税を課さなかった。
御自らお食事も倹約され
衣類もボロボロになり、
さらに、
宮殿の屋根からは
雨漏りがする。
だが、
民の幸せを優先なさいました。
さすがに皇后陛下が
そろそろ税を課されては
いかがでしょうか。
「いや違う、民の幸せこそが朕の幸せである」
朕 (ちん) とは
天皇陛下の自称、第一人称。
やがて裕福になった民が
自らの意思ですすんで
宮殿の屋根の改修工事をした。
つまり、
京都御所は
守る必要がないのだ。
それに対し、
西洋の王や中国の皇帝は
私利私欲で民を支配する。
だから、
民から自らを
守らねばならない。
しかし、
日本の天皇陛下は
守られるのではなくて、
国民を見護ってくださる。
だから
誰からも襲われる
心配がない
唯一の方なのだ。
これが京都御所に
守りがない理由だ。
つまり、
いにしえの時代から
" 人のために生きる "
という
日本人の精神があったのだ。
京都御所を参観中に、
隣で参観していた人から
こんな会話が聞こえてきた。
「朕は寒かっただろうね」
「そうだね」
「今みたいに床暖房なんてない時代だものね」
今も昔も天皇陛下は
決して、
私利私欲のための
贅沢はなさらない。
ご自身のことも
ご家族のことも
祈られない。
ただただ
国民の幸せだけを
祈ってくださる。
それは
「人のために生きる」
という生き方である
日本の理念を
祈りを通じて、
全ての国民にお示しになる
ご存在なのだ。
神武天皇から2600年以上、
126代続いている
日本の国体。
それは世界で唯一、
日本だけなのだ。
" 世のため、人ために生きる "
それは
我々、日本人には
古来より受け継がれてきた
その日本固有の理念は
日本人の精神であり文化でも
あるのではなかろうか。
前のエントリーにも
記した通り、
世界中、何でもありの世の中だ。
自分と家族のためだけに生きる。
それは人として
必要最低限の生き方ではある。
しかし、
皆がそうであるとしたら、
それは醜い争いを生む
自分勝手な
社会になるのではないか。
自分と家族のためだけに
一所懸命働く。
それは一見、ごく普通で
当たり前のことと
捉えられるかもしれない。
しかし、
本来、仕事というものは
職種に限らず、
全て世のため、人のために
あるものだ。
この給料では
家族を養えないから、
人を蹴落としてでも
人を落としいれてでも、
人に迷惑をかけてでも、
人を裏切ってでも
金のためならやる。
自分の生活と
家族を養うためだ。
" そのためなら仕方ないじゃないか "
人のため、地域のため、
社会のため、世の中のため、
そのようなことに生きる
志など毛頭ないという人が
あまりにも多すぎるように思う。
そんな人ほど
深刻な悩みを抱えているものだ。
この先、自分と家族に
良き人生、良い生活が
訪れるとでも思っているのか?
人が世界が
どれほど汚れ、壊れても
私達はそこに棲まねばならない。
その地で誰かが
人のため、社会のために
生きていかねば、
日本はいずれ滅びゆく。
今の子どもたち、
さらにまだ見ぬ子どもたちが
棲むこの世界が、
これ以上、
壊れないように
汚れないように
日本が滅んでいく前に
ちょっとは
真剣に考えなくては
なりませぬ!
古代より連綿と続く
" 人のために生きる " という
精神文化を持ち続け、
それが潜在意識の奥深く、
無意識の領域にまで
浸透している
人でなければ務まらない。
他人がどうであれ、
もうそんなことは
どうでも良い。
少なくとも、
私は合氣道という武道で
" 世のため "
" 地域のため "
" 人のため "
その精神を持ち続け、
天地大自然と共に生きる。
" 万有愛護 "
それは天地大自然に存在する
森羅万象全てのもの。
そのものの特性をよく見、
よく理解すること。
" 万物育成 " とは、
あらゆるものには
長所と短所がある。
その長所をプラスになるよう
自ら率先して導くこと。
それが天地大自然の心である。
その天地の心こそが
我心であるのだ。
天地大自然に
恥ずかしくない
生き方をすること、
それが今を生かされている
自分の責務であるのだ。
それを淡々とやり続けよう。
たとえ、ほふく前進でも
前に進めよう。
誰もやらなくても
自分だけは
氣を出してやり続けよう。
" 私は日本男子だ "
草木が色づきはじめた
京都御所で深く自覚した。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 何でもありの世の中で "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『なんでも あり の よのなか で』
" 世の中 " とは
人々が生活するこの世。
世間。社会。
世間の人々の間。
社会の人間関係のこと。
その世の中が
何でもありなのだ。
私達が暮らす
日本だけでなく、
世界中の国々もまた、
何でもありの世の中だ。
" 世のため 人のため " と
いくらきれい事を並べても、
所詮、
自分のため、家族のため。
他人のことなど知らぬ。
その結果、
何でもありの世の中になる。
それが現実だ。
良い悪いではなく
それが日常の現状であり、
世の常なのだ。
それが当たり前の世界なんだ。
人は簡単に
利権、地位、既得権益に
流されるもの。
それにしがみつかねば
生活できない。
生きていけないから、
自分が危ない。
家族が危ない。
だから、
簡単に恩人でさえ裏切る。
昨日言っていたことを
平氣で今日は
真逆のことを言う。
「だって仕方ないじゃないか」
今年の自由民主党の
総裁選では
毎日、そういうことが
私達の知らないところで
繰り返されていた。
それが人間という
ものなのだ。
その政治家達が
立法府で
私達の暮らしに直結する
法律を作るのである。
その様な
自分が大事、家族が大事
という人達が
ほんとに我々国民の
ためになる
法律を作れるのだろうか。
ただ、政治家の中にも
その様な私利私欲ではなく、
自分の立場が
驚かされようが、
国益と国民を護る
ためだけに尽力する
立派な政治家も
少数でもいることが、
救いである。
しかし、
何も政治家だけの
ことではない。
年齢、性別、収入、
学歴、職業など
関係なしに人間は
皆、そうだ。
そんな世の中で
どう生きるのか。
関連することであるので、
感心がある人は
どうぞご覧になって下さい。
私が主宰する
合氣道のお弟子さん方の
技を見ていても、
それは同様だ。
自分が大事。
相手の氣など知らぬ。
相手が力一杯に
自分の手首を握る。
" 痛いからやめて "
痛ければ痛くないよう
自分が動けばよい。
痛ければそれ以上、
痛くならないよう
さっさと投げてしまえばよい。
痛いのは相手の責任ではない。
自分の責任です。
" この方向から取りに来て "
相手が取りに来る方向が
氣に入らなければ、
自分が好む方向に
動けばよいだけ。
" そんなに力一杯握らないで "
相手が力で来るなら、
自分が力を抜いたら
力む相手ほど
簡単に投げ飛ばす
ことができる。
力一杯握られるのも
自分の責任です。
そんなもの、
しっかり投げてあげて
" 力は抜きましょうね "
というふうに
教えてあげたらよいのだ。
" その技を体得したいな "
見た目は簡単そうでも
やってみれば難しく
奥深い技を体得したければ
日常生活で鍛錬しろ。
普段何もしないで
体得できるわけがない。
体得できない。
相手を直さないと
相手を投げることができない。
それはただ
自分が未熟者なだけ。
練習不足なだけのこと。
それは日常生活においても
そうだから、
技もそうなるのである。
日常を直さないと
技も直らないのだ。
それも全部含めて
この世は何でもありの世界だ。
肝心なことは
その何でもありの
相手であっても、
自分はブレてはいけない。
その " 何でもあり " を
すべて許し
すべて飲み込んで、
スッキリ笑って、
自分の行きたい方向に
導かねばいけない。
" 人はそんなものだ "
そう思っていれば
腹も立たない。
その人のために
尽力を尽くしてあげた人でも
裏切られることは
当たり前にある。
そのような嵐に
巻き込まれない
強い心を持つことだけを
生涯、鍛錬し続けることしか、
この
" 何でもありの世の中で "
生きていく術は
ないのでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝