" 生き方を学ぶもの "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『いきかた を まなぶ もの』
私は
合氣道とは
「生き方を学ぶもの」と
考えています。
技の向上が
人として成長するもの
だと確信しています。
合氣道は
必ず相手がいます。
もし、
その相手が
盤石な姿勢をした
強者なら
そう簡単に
投げることはできません。
その強者を
投げることができたなら、
あなたも
その強者と
同様の盤石な姿勢を
維持した
強者という
ことになります。
従って、
私はこう思うのです。
合氣道は
「人のために稽古する」のです。
その日の稽古で
自分と組んだ相手を
伸ばしてあげる。
自分の上達ばかり
考えて稽古していたら
上達しないのです。
自分のことは
脇に置いておいて、
相手を
上達させてあげたら、
勝手に
自分も
上達するのです。
相手のレベルが
上がれば、
自分のレベルも
上がるのです。
門人の一人に
神奈川県藤沢市出身の
元プロサーファーがいます。
彼女が現役時代に
いつも言っていた
言葉を思い出します。
「藤沢を制する者は日本を制する」
それ位、
皆のサーフィンレベルが
高いので、
その中で生まれ育って、
日々練習を積んでいると
自然と自分のレベルが
上がるのですね。
「それくらい出来て当たり前」の
世界なのですね。
また近年、
大阪の高校野球の
レベルが高いと
言われています。
それは
大阪桐蔭や履正社など、
その二校が
甲子園の
選抜大会の決勝で
顔を合わせるほど
全国レベルなんですね。
春も夏も
その激戦区大阪大会を
勝ち上がることは、
想像を絶する
レベルなのでは
ないでしょうか。
その上、
春の甲子園選抜大会に
出場するには、
近畿二府四県で
それぞれ
出場枠を勝ち取り、
近畿大会で
勝ち上がらねばなりません。
そのため
自然と
近畿の高校野球の
レベルが上がるのですね。
それも
天地大自然の法則の
一つなのでは
ないでしょうか。
もちろん、
合氣道においては
入門して間もない
初心者が、
いきなり
人のために
などと
稽古することは
できません。
まずは
稽古を重ねて、
一つひとつ技を
覚えていくことです。
誰でも回数こなせば、
一つや二つの技は
覚えることができます。
頭で考えることなく
身体が動くように
なってきたら、
相手を上達させることを
念頭に置いて
稽古しましょう。
今まで
自分のことしか
頭になかった人、
自分の身体にしか
意識がなかった人を
心の奥深くの
領域にまで
掘り下げ、
心の重要さを説き、
日常
いついかなる時にも
心と身体を
同時に使う
習慣を養い、
盤石な
心身の土台を
作り上げる。
そして、
それを
世のため、
人のために
正しく使えるように
なるよう導く。
世の中は
病んでいる人、
悩んでいる人、
悲しんでいる人
だらけです。
合氣道琴心館寺崎道場の
門人一人ひとりが
自分の周囲の
人の
心に
ともしびを
灯して
あげられるよう、
人として
成長しましょう。
それが
合氣道琴心館寺崎道場の
稽古の目的の一つで
ありますから、
やりがいは
大きいですよ。
一回の稽古では、
到底
達することの
できないことですよ。
一生涯これをやる。
行き着くところなんて、
多分ないと思う。
だけど
やることは、
誰でも
できるような
簡単なことから
始めるのですよ。
その積み重ねです。
それしかないのです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 一流初級の登竜門 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう
『いちりゅう しょきゅう の とうりゅうもん』
連日の猛暑日だが、
つい先日は
風が少し強く
吹いていた。
目の前の木は
大きく枝葉が
揺れていた。
台風や強風で
枝が折れることも
よくあることだ。
なるほど
と思った。
風にあおられて
枝葉は騒いでいるが、
幹はびくとも
していない。
たとえ
枝葉は折れても
幹さえ
しっかりしていれば、
また生えてくる。
幹が
倒れてしまっては、
その木は
生き返ることもないのだ。
人間も全く同じだ。
手足を動かしても、
身体の本体である
土台さえ
盤石なら、
身体はブレない。
2024年
パリオリンピックが
開催されているが、
種目に限らず、
そこに出場する選手は
激しい動きの中でも
本体はブレない。
合氣道で
相手を投げるときは、
まず
自分の姿勢を確かめる。
自分の姿勢が
盤石でなければ、
相手を投げることは
出来ない。
何を見ても、
聞いても、
読んでも、
触っても、
飲んでも、
食べても、
呼吸をしても
自分の
生き方や仕事に
結び付く。
これが
一流初級の登竜門だ。
とんかつ食べても、
寄席に行っても、
映画を観ても、
染め物しても、
散歩していても、
ありとあらゆる
ところに
生き方や
仕事に活かす
ヒントがある。
今以上に
良くなりたい、
人として成長したい、
常に向上する
心持ちがあれば、
自然に見えてくるもの。
真剣になれば、
身近にいくらでも
先生はいるのです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 快眠 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『かいみん』
一日の始まりは
朝目覚めたとき
からではない。
就寝時から始まるのだ。
一日、
一生懸命働けば
身体にアカもたまるから、
お風呂に入って
身体を洗う。
一日、
一生懸命働けば
身体だけでなく
心も汚れるから、
寝る前に
呼吸法をして
心もきれいに洗う。
翌日の
快い目覚めに
備えるのだ。
心配事や悲しい事、
腹が立つ事があれば
眠れない。
それを
考えている間は
眠れないのだ。
それに
囚われている間は
眠れない。
自分で自分を
眠れなくしていることに
氣付かねばいけない。
私も
若い頃は
夜眠れない日が
多くあった。
色んなことを
布団に入って
考えるから
眠れない。
ただ
若い頃は
体力もあるので、
少々眠れなくても
どうってことなかったが、
四十、五十を超えると
身体にこたえてくる。
私の場合は
五十歳で
合氣道を習い始め、
瞬時に
心を切り替えることを
学び、
日々いかなる時にも
これを実践した。
それが
身に付いてからは
布団に入ったら
呼吸法をしながら
寝てしまっている。
五分もあれば
眠ることができる。
布団には
寝るために入るのだ。
考え事をするために
布団に入るのではない。
「寝るなら寝なさいよ」
ということだ。
それと
眠る時に
大事なことは、
何もかも
手放すことだ。
何もかも
空にする。
自分の
知恵も
はからいも
完全に
空けてしまったら、
天地大自然が
抱きかかえてくれるのだ。
天地大自然に
完全に身を委ねたら、
心地よい快眠が
できる資格を
天地大自然から
与えられたことになる。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 感恩戴徳 かんおんたいとく "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『かんおんたいとく』
「人として一流をめざすための道場長の今日の一言」
この執筆を
月曜日から金曜日まで
毎朝続けている。
先日の7月24日に
「今日で1年ですね。ありがとうございます。」
お弟子さんからの
LINEだった。
おっ!
もう1年にもなるのか。
2023年7月24日
八月指導者錬成月間
今日の一言
指導者たるもの "誰よりも稽古せよ"
から始まりました。
昨年、
令和5年の夏に
指導者を目指す
3名のお弟子さんと
既に立派な指導者として、
後進を指導する
2名を対象とした
指導者錬成集中稽古を
約3週間行った。
「道場長の今日の一言」
この執筆の
きっかけになったのが、
昨年の8月に
1ヶ月間だけ
この指導者達に向けて、
叱咤激励の意味も込めて
始めたことであります。
その指導者錬成
集中稽古も
終わりに近づいた
お盆明けに
新人指導者の一人から
「先生、これからも続けていただけませんか」と懇願された。
私自身、
1ヶ月間限定として
始めたことであり、
それが毎日となると…
果たしてやれるかな。と
正直思いましたが、
東北出身で
東日本大震災にも被災し、
被災した自分達のために、
無償で救助活動をしてくれた
ボランティアの姿に
心を打たれた。
他人事に
ここまでしてくれる
人もいる。
そう思うと
自分が恥ずかしく
なったそうだ。
縁あって
合氣道を始めることになり、
「人のために役立ちたい」
その志を持った、
その日本女子の
頼みであるなら
引き受ける以外に
選択肢はない。
今度は
私が勇氣をもらったのだ。
よし、やってみよう!
ただ、
どうせやるなら
もっと広い範囲、
合氣道をしていない人、
見ず知らずの人たちにも
向けて発信しよう。
それなら
合氣道の指導者向けでは
いけない。
そこから始まった
執筆が、
現在の
「人として一流をめざすための道場長の今日の一言」なのです。
最初の頃は
執筆のネタもあるので、
それほど苦労は
しなかったが、
毎日となると、
なかなか
これが手強い相手と
なるのだ。
「書こう、書かなければいけない」
そう思うと行き詰まって
しまったことも
多々あった。
それでも、
やると決めたからには
やらねばいけない。
これを続けるには
「思ったこと」
最近は
朝4時前に起床して
その時に
「頭に浮かんだこと」
それを書く。
それなら
全然苦にならないし、
スラスラと
自然に言葉が出てくるから
不思議だ。
とても
僭越過ぎて
申し訳ない
心持ちであるが、
もしかしたら
天地大自然が
お力を貸して
くださっているのか?
とさえ思えることも
正直あるのだ。
また、
毎日の執筆は
私自身の
戒めにもなる。
書いている本人が
誰も見ていないところで
真逆のことは出来ない。
必ず
天地大自然は
観ているのだ。
まだまだ
未熟者で
修行中の身であり、
このような
誤字脱字の多い、
拙い文章しか
書けない
私に、大勢の方々から
激励をいただけることは
本当にありがたい
ことであります。
「道場長ブログ ぼくらの合氣道は私が誰よりも読んでいる」と
言ってくださる
お弟子さんや、
「あの文章良かった」、
「毎朝、楽しみにしています」と
言ってくださる方や、
インスタグラムの
ストーリーや
アメブロに
"いいね" をくださる方々。
まだ
お会いしたこともない
方々からの
激励やお礼のメッセージなども
たくさんいただいています。
本当にありがたいことです。
たくさんの方々の
お氣持ちが支えになり、
続けていくことが
できています。
感恩戴徳の
思いでございます。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 円はぶつからない "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『えん は ぶつから ない』
今年も
夏休みの稽古の一環として、
「夏休みベンガラ染め体験会」を
7月27日と28日に開催した。
子どもたちには
夏休みの
自由研究や工作にも、
良い題材にもなる。
土から取れる
泥を染料とした
ベンガラ染めは、
日本に古くからある
伝統文化だ。
ベンガラ染めについては
ネットで検索すると、
詳しいことは
分かりますので、
ここでは割愛します。
今年も2日間で
たくさんの
門人の方々が
参加した。
昨年よりも
大幅に参加者が増えた。
一方で、
決まって
参加しない方々もいる。
冒頭にも記したように
「稽古の一環」である。
これは遊びではなく
「大切な合氣道の稽古の一環」なのだ。
一環とは
どういう意味なのか。
「一つの輪」、
「 繋がりがある中の一部分」
ということだ。
その
「一環」に
「大切な」という
言葉まで記してある。
そのことは
合氣道の稽古時にも、
常々話している。
また
会員に配る
しおりにも、
そう記してある。
決まって
参加しない方々は、
どうやら
その意味を
理解していない
ことなのだろう。
人はそれぞれだ。
理解できない者に
理解しろと言っても、
それは無理だ。
そのような者に
無駄なエネルギーを
費やすほど、
世間も
世の中も、
私も、
暇ではないのだ。
長くなってしまったが、
ここからが本題だ。
さて
この2日間でも
私にとっては
たくさんの学びがあった。
それは
普段の
合氣道の稽古時に
比べて、
その人の
人間性、特徴が、
より違った角度から
見ることが
できたことだ。
殆どの
子ども達は
お母さんやお父さんと、
またご両親で
参加される。
あるご家族は
作業工程の順序を
間違えそうになった
ギリギリのところで、
それに
私が氣付いて
「次はこうですよ」と
順序通りに
作業することができた。
前もって、
その順序、
やり方は
デモンストレーションを
兼ねて説明しているから、
間違わない
はずなのだが。
人間は誰でも
間違うこともある。
でも
褒められることではない。
しかし、
そのご家族は
皆さん笑顔なのです。
終始笑顔で
作業をされておられました。
お父さんも
ニコニコして、
お母さんも
ニコニコして、
子どもも
ニコニコして、
家族みんなで
ニコニコして、
見ているこちらも
癒やされて、
ニコニコしました。
なんて
素晴らしいこと
なのでしょう。
私は
そのご家族に
「生き方」を
教えていただきました。
ありがとうございます。
感謝です。
円、
丸い、
◯というのは
絶対にぶつからない。
円は
いつまでたっても
円なのだ。
だから
人とも
ぶつからない。
歩いていて
人にぶつからない
という
意味ではなくて、
人間関係において、
ぶつからない
ということだ。
一方で
その真逆のような
人もいる。
親の言動を
見ていたら
よく分かる。
子どもに
大らかさがない。
そのような
親の元で育った
子どもは、
円にはなっていない。
三角や四角なのだ。
それは
「ぶつかる」
ということだ。
いつまでたっても
何回もぶつかって
しまうのだ。
必ずや
人間関係においても
ぶつかるのだ。
円周上をまわる
運動のことを
「円運動」という。
合氣道では
技を円を描くように行う。
それは
ぶつからないからだ。
ぶつかっていては、
相手を投げること
など出来ない。
私達が住んでいる
この地球も
円運動だ。
1日1回
自転しながら、
太陽の周りを
回っている。
決してぶつからない。
天地大自然の
絶対なる法則なのです。
この絶対なる
法則に則って
生きているから、
それが
理にかなっているから、
「円」の家族の
周囲にいた
私まで
癒やされて
幸せな氣持ちに
なれたのです。
そのご家族から
発せられる
「プラスの氣」を受けて、
私までプラスになりました。
一方で、
天地大自然の
理に適ってないことを
無理というのです。
自分が
三角や四角だなと
思ったら、
円になるよう
心掛けねばいけません!
「えん」とは
円、
日本の通貨も円、
◯、
縁ですね。
いつまでも
ご縁がありますように。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝