2024-01-29 10:16:00

" 人は生かされている "

人は生きている間は、

 

寝ている間も呼吸をし、

 

朝になれば目が覚め、

 

手と足が動き、

 

耳も聞こえる。

 

 

 

いくら寝不足でも

 

身体は自然と動く。

 

 

 

 

 

これは

 

脳からの命令が神経に伝わり、

 

何十兆もの細胞が

 

ものの見事に協調して働き

 

全ての筋肉に届いて

 

人の身体は動いている。

 

 

 

 

 

誰に教わることなく、

 

私達は生まれたときから

 

この機能を有している。

 

 

 

 

 

人は今日、

 

生きていることは

 

当たり前ではなく、

 

 

 

 

 

今日も

 

生かされていることに

 

感恩戴徳(かんおんたいとく)を

 

抱かねばいけない。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-01-26 08:24:00

" 誕生日だから粗食で良い "

誕生日は

一年で最も

粗食にするべし。

 

 

鬼籍に入った

母の人生において、

私を産んでくれた日であり、

最も苦しんだ日だ。

 

 

その苦しみと感謝を

生涯忘れないために、

誕生日こそ粗食で良い。

 

 

誕生日は

祝福されるだけの日ではなく、

 

 

両親をはじめ家族、

周囲の人びとへの

感謝の日でも

あることを

忘れてはならないのです。

 

 

 

道場長 拝

2024-01-25 08:43:00

" 執着を解き放て "

何かに囚われると

心は自由に使えなくなる。

 

 

執着が病む原因の

一つだと氣づいた。

 

 

執着をいつまでも続けると、

執着が執着を呼び、

さらに動けなくなる。

 

 

その時、

心と身体は

がんじがらめに縛られる。

力みだ。

 

 

それを無理やり

動かそうとするから、

さらに力む。

 

 

やがて

身体の何処かが故障する。

心は病む。

 

 

 

自分の心に

何かの執着が

生まれた瞬間に

それを解消せねばならぬ。

 

 

ではどうしたら良いか。

 

 

その方法の一つが

私が日々実践している

心の鍛え方だ。

 

 

それは、

つい数秒前の過去から

遠い今までの人生を

振り返ってみる。

 

 

乗ろうとした

エレベーターの扉が

閉まりかけた、

すると見ず知らずの人が

「どうぞ」と開けてくれた。

 

学生時代に友達が

かけてくれた優しい言葉など。

 

多くある。

 

 

どれほど自分は

これまで多くの人に

支えられてきたことだろう。

 

 

そこには感謝しかない。

「ありがたいな」

心が清められ、

目の前の世界が広がり、

しんと心が鎮まってくる。

 

 

その方向に

心が動いた瞬間から

執着は

何処かへ消え去っている。

 

 

これを心の鍛錬という。

日々繰り返し行うことだ。

 

 

 

 

道場長 拝

2024-01-24 08:28:00

" 十年一区切り必死の二年という "

物事が成功するには、

また

何かを習得するには

十年が必要だ。

 

しかし、

 

ただ十年あれば

いいのではない。

 

その間、

寝食を忘れた

必死の二年がなければ

物事は成就しない。

 

 

必死とは

一生懸命に力を尽くすこと

であり、

一生懸命とは

命がけで物事をするさま

である。

 

 

 

道場長 拝

2024-01-23 07:59:00

" 身体は老いても心は老いない "

歳を重ねると

 

身体の老化は

 

それなりに致し方ない。

 

 

 

若い頃のような

 

動きは出来ない。

 

 

 

従って、

 

ウォーキングや

 

ストレッチなどで

 

関節可動域を広げるとともに、

 

 

 

適度に運動して

 

日常生活に支障をきたさないように

 

することである。

 

 

 

それに対して、

 

 

 

心は

 

何歳になっても

 

鍛えることが出来る。

 

 

 

若い頃より

 

遥かに柔軟に強く

 

若々しくなれるのだ。

 

 

 

 

 

制限がある身体の法則と

 

いつでもどこでも

 

飛び回れる心の法則を

 

 

 

よく理解し、

 

その異なる性質の両方が

 

一致するところが

 

臍(へそ)のずーと下にある。

 

 

 

いくら力んでも一切、

 

力の入らないところ。

 

 

 

それが臍下の一点(せいかのいってん)だ。

 

 

 

日常において

 

全ての動作の中心とし、

 

 

 

物事も頭で考えず、

 

臍下の一点で受け止め、

 

そこに思考が

 

無限小に鎮まってゆく。

 

 

 

 

 

それが心を鍛える

 

一つの方法である。

 

 

 

 

 

道場長 拝