" 言葉の勘違い "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『ことば の かんちがい』
先日、
電車で移動中に
前に立っていた
スーツ姿の二人。
その一人の
上司と思われる人が
「君もいっぱしの営業マンになったよ」
上司にそう言われた
部下であろう人が
にっこり笑って
「ありがとうこざいます」
このような
やり取りを
聴いていて、
少し違和感を感じた。
「いっぱしの営業マン」
この「いっぱし」とは
「いちばんはしっこ」
という意味なので、
自慢したり
威張れるような
ことではないのだ。
一方で、
この上司であろう方が、
その意味を
正しく理解しての
言葉だとするなら、
決して
褒めるような言葉では
ないのではあるまいか。
普段
使い慣れている
言葉ほど、
使い方の
間違いや
勘違いは
よくあることだ。
その使い方が
本当に正しいのか、
適切なのか、
ことあるごとに
調べてみることも
大切ではないだろうか。
私もまだまだ
修行中の未熟者ゆえ、
自分への戒めとして、
氣をつけなければいけない。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 自分にしかできないこと "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『じぶん に しか できない こと』
自分の進む道は、
自分ならではの事、
自分にしかできない事、
即ち
他人の代理の
きかない事を
選ぶべきだ。
いくらでも
やり手のある事は、
それらの人に任せる。
まずは
私心を捨てて
世の中全体を
見渡せば、
本当に
大切なことで
ありながら、
忘れ去られた、
見捨てられた、
本当に大切なものが
見えてくる。
自分の私利私欲に
溺れている間は、
それらは
決して見えない。
自己の
利害、損得、
地位や名誉、
適不適などを
捨て去り、
せめて
自分の様な
不肖の身でも、
この方面に廻らねば、
世の中のために、
子々孫々に至るまで、
心配でならないという、
思いに至つて、
初めて
深く一心に
決定できるものだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 睡眠は自由自在に "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『すいみん は じゆう じざい に』
私の睡眠時間は
平均4時間半ほどだ。
人間は一生の
3分の1から4分の1位、
寝るのだそう。
生きていく上で
寝ることは必要不可欠だ。
ちょっとした
心身の病も
「寝たら治る」
ということはよくある。
しかし、
仕事や、
どうしても今日中に
やらなければならない
ことなど、
そういうときは
思うような
睡眠時間を
とれない時もある。
睡眠というものは、
必要に応じて
伸縮自在であるべきだ。
私は
月曜から金曜まで
毎朝4時前に起きて、
この
「人として一流をめざすための道場長の今日の一言」を
執筆している。
たとえ
2時間しか
寝ていなくても
必ずやる。
「何時間寝なければならない」
というような
固定観念はいらない。
必要に応じては
4時間、3時間、
徹夜も敢えて
やるくらいの
覚悟がいるのだ。
そして
「昨夜は何時間しか寝ていないから、身体に障わるに違いない」
というような
考え方を
投げ捨てることだ。
そんな時こそ、
「絶好の機会だ。昨夜は2時間位しか寝ていないが、これで7時間、8時間も寝ていた人達と同じ仕事をして、一体どれほど遜色なくやってのけられるか、ひとつ試してやろう」
と考え、
全力を挙げて
仕事に取り組むのだ。
これも
人生を
真剣に生きる上での
一つの秘訣であり、
心身を強くする
一つの方法でもあるのだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 氣を出すということ。お弟子さん方に感謝だ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう
『き を だす という こと。おでし さん がた に かんしゃ だ』
神戸も本格的な梅雨を迎え、
蒸し暑い日が続いている。
先日、
日曜日の合氣道の稽古後、
自宅で迂闊(うかつ)にも
半ズボンで
昼寝をしてしまった。
エアコンこそ
かけてはいなかったのだが、
部屋の窓は全開だった。
あまりの寒さに
目が覚めた時、
嫌な予感がした。
いわゆる
風邪の諸症状
というやつだ。
私は歯医者さん以外は
医者にはかからない。
自分で治す。
薬も飲まない。
コロナワクチンも
一度も接種していない。
でも元氣なのだ。
しかし、
翌朝からは
少しずつ
風邪の症状が
出てきだした。
火曜の朝は
身体がだるい。
しかし、
朝から
合氣道の稽古がある。
私は指導者だから、
休むわけにはいかない。
道場に着き、
道着に着替えて
袴を着用すれば
無意識にスイッチが入る。
稽古中は、
お弟子さん方に
心が集中しているので、
風邪のことは忘れている。
終わってみれば、
朝より元氣に
なっていたのだ。
翌水曜日は
火曜日より身体がだるい。
頭も少し痛い。
でも、
この日も稽古がある。
たくさんの
子ども、親子の
お弟子さん方に
100%心を向け、
いつもより
楽しく稽古する
ことを心がけた。
少年部の稽古が
終わってみれば、
身体のだるさも
頭の痛さもなくなっている。
その後の
大人の稽古でも
同様に氣を出して
稽古を終えた。
風邪もすっかり
治っていたのだ。
風邪は治りかけが
大事だというから、
今週はいつもより
腹八分目で
多めに呼吸法を
することにしよう。
全ての出来事には
要因がある。
暑いからと
半ズボンで
寝てしまった
自分の行いの
結果なのだ。
中村天風翁の言葉に
「人間と犬が同じような切り傷をした場合、犬のほうが治りが早い」と
あったような記憶がある。
犬は
切り傷に執着せず、
人間は
切り傷を
氣にしているから
治らないのだ。
このような経験は
これまでにも
何度もあった。
30代の時、
趣味のサーフィンが
高じて
海の近くで
民宿を営んでいた。
ゴールデンウィークの
前日に風邪をひいてしまい、
熱も出ていた。
翌朝には
全国から
多くのお客様を
お迎えしなければならないから、
「今日は早く寝よう」と
思って布団に入った時に、
信じられないような
事件が起こったのだ。
内容は
ここでは
伏せさせていただくが、
あっては
ならないような
事件であり、
許されることのない、
れっきとした
犯罪なのだ。
それに
対応しなければ
ならなかった。
時間にして
3時間程の
出来事であったが、
氣がつけば
風邪は治っていた。
心が
風邪には
見向きも
できなかったからである。
心身が100%
その出来事の対応に
向いたから
風邪が治ってしまったのだ。
許されることではないが、
ある意味、
その出来事に感謝だ。
ついつい
私達は
心身の不調に
遭遇すると、
それを治そうと
自分をかばう。
全ての要因は
自分にあるはずで
あるのに、
「そんなことは知ったことか」
それを
治すことに
必死になるのだ。
仕事は休んで、
医者にかかり、
薬を飲む。
その結果、
長引くのだ。
まるで
要因は
自分以外に
あるかのように。
それは間違いだ。
誰しも
生身の人間なので、
風邪もひくだろう。
でも
その要因は
自分にあるのだから、
治すことより、
氣を出して、
その日の仕事を
全うして、
できる範囲で
呼吸法をし、
なんなら絶食して、
酒も飲まずに
早く寝る。
これで治るのだ。
そして
心身が
また
強くもなるのだ。
私の場合は
合氣道で
お弟子さん方に
指導させて
いただくことが
仕事だ。
だから
風邪が早く治ったのも
お弟子さん方の
おかげなのだ。
ありがたいことだ。
不思議なことでも
あるのだ。
自分で
治そうとすると
長引くが、
氣を出して
仕事を全うすると
早く治ってしまう。
その仕事を
させてくださるのが、
私の場合は
お弟子さん方なのである。
「ありがとう」
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 医者いらず "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『いしゃ いらず』
日常の生活の中で、
爪先立ちを
数回して、
上半身の
余分な力みを
取り除き、
いつも
仙骨だけは起こして
姿勢を正します。
時々、
口から
静かに息を吐き、
鼻から
静かに吸う。
そして
心を積極的に使い、
心のありようにも
注意すれば、
学校で、職場で、
家庭で、家事で、
いつも一日中、
合氣道の稽古を
しているのと
同じです。
一つの立ち居振る舞い、
一挙手一投足が、
すべて合氣道だと
思って生きていると、
心身ともに
氣が出る
健康体になりますよ。
そこに
「臍下の一点(せいかのいってん)」が
深まってくれば、
医者いらずに
なりますよ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝