" そんな事も分からんのか、 明日なき産業 "
今朝も目覚めることができた。ありがとう。
『そんな こと も わからん のか、あす なき さんぎょう』
合氣道の根幹である " 氣 " を
学ぶ者は少々の事では
決して腹を立ててはいけない。
大したことでもないのに、
腹を立てることは
まだまだ未熟者である証だ。
いついかなる状況にあっても
心を臍下の一点に静め、
風止んだ水面の如く、
穏やかでなければならない。
そう
藤平光一翁のご著書から
学んだ。
その上で
またこのようにも
記されてある。
「怒るときは国家のために怒れ」
今から約12年前に
その著書を読んだ時、
正直、「国家のために怒る」
一体それはどのような時に
怒れと言っているのだろう?
当時、
今よりさらに
未熟者であった私には、
理解できなかった。
「国家のために怒れ」って
あまりにも私には
僭越すぎて、
一生、自分は
国家のために
怒ることなどないだろう。
そう思っていた。
でも、しかし、
合氣道を始めて12年、
合氣道指導者になり、
10年が過ぎた。
この10年間というもの、
本当にたくさんの事を
天地大自然から学ばせて
いただくご縁に
恵まれました。
もちろん、今も修行中で
未熟者の私ではありますが、
不肖、私
僭越ながら、
今こそ
国家のために怒ります!
なぜ、
新聞各社、テレビ等、
マスメディアは
正確な事を国民に
報じないのか?
なぜ、隠す必要があるのか?
この秋、9月の
自由民主党の総裁選で、
既に総裁選に立候補を
表明している
青山繁晴 参議院議員の
名前すら報道されない
という事実だ。
ユーチューブや、
XなどのSNSで
「いくらなんでも、それはおかしいだろう」と
問題視され、
今現在は
青山繁晴氏の名前位は
出てくるが、
SNS等で、
もし誰も何も呟かなかったら
今だに無視し続けて
いたのではないのか?
私はそう思う。
マスメディアというものは、
国民にありのままに、
事実を報道する義務が
あるのではないのか?
今や新聞の定期購読は
50代は無に等しいと
言われる。
60代、70代以上の
人達だけが、
新聞社の支えだ。
それは即ち、
「明日なき産業」なのだ。
テレビ局も同様だ。
明日なき産業といわれる
報道機関は全て、やがて、
滅びることになるだろう。
青山氏は昨年から
今秋の自由民主党総裁選に
立候補を表明しており、
自由民主党 党員数が
3年連続で1位という
事実があるのだ。
にも関わらず、
完全無視同様の対応だ。
本当に報道機関は
それで良いのか?
青山繁晴という
参議院議員の存在を
いないことにすらしている。
そんな
子どもじみた無視や、
いじめ同様のことをして
恥ずかしくないのか?
各新聞社、各局、
報道デスク、色んな
思惑も、思想も、考えも、
好き嫌いもあるだろう。
しかし、
良いことも、悪いことも、
好む、好まざるではなくて、
「事実を正確に国民に伝える」
それこそが、報道機関の
責務なのではないのか?
同じ利益構造の中を
ぐるぐる回っているだけ。
そんな事を続けているから、
明日なき産業などと
揶揄され、
落ちぶれていくんだよ!
「そんなことも分からんのか」
自由民主党の
長老が主役の総裁選も
全く同じだぞ。
政治資金パーティー収入の
裏金問題で形だけ
派閥を解消して、
裏ではモクモクと
今でも派閥は存在し、
長老の思惑通りになる
私利私欲にまみれた
立候補者を乱立させている。
今までの
既得権益、利益構造を
壊されることが
そんなに怖いのか?
臆病者ども。
国民をばかにするのも
ほどほどにしとけ。
野心なく野望なく
ただただ
国益と国民のためにだけ
総裁選に出馬する
青山繁晴 参議院議員の
生き方を少しは
見習ったらどうだ。
世のため、人のためとは
そういう生き方だろ。
醜い私利私欲のかたまり、
地位も名誉も、
そんなもの
報道機関や政治には一切、
必要がないんだよ。
報道機関に必要なことは
ただ一つだけ、
ありのままに、事実を
分かりやすく、
国民に伝えること。
政治とは政 ( まつりごと ) 。
まつりごとに必要なことは、
国益と国民を守り、
国民の暮らしを豊かにする。
ただそれだけ。
違うか?
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" お天道様のいたずらと継承 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『おてんとうさま の いたずら と けいしょう』
蒸し暑い日でも、
夜はひと風吹けば
涼しい川辺。
隅田川テラス。
東京出張の際、
私のお氣に入りの場所になった。
川を見ているだけで涼しく、
夜は心地よい風が吹く。
日中の猛暑に
身体が悲鳴を上げ、
室内の冷房も
長時間になってくると
身体がこわばる。
隅田川沿いの
自然の風は、
「身体を生き返らせてくれる」
そう感じる場所だ。
そして、
夜はスカイツリーや
川に架かる橋の
ライトアップも楽しめる。
2024年夏期集中稽古では
毎夜、その日の稽古の反省と
明日の稽古の内容などを
指導者の先生方と
隅田川テラスで話し合った。
その二名の先生も
私のお弟子さんだ。
K先生とN先生。
ともに深い縁があり、
同じ道を歩む
同志であるから、
話し合いには
ビールは自然とついてくる。
ある日の夜、
厩(うまや)橋から
駒形橋の脚線美の奥に
堂々とそびえ立つ
スカイツリーに向かって
K先生が叫んだ。
「おてんとうさまはイタズラがだいすきなんだね」
それにしても
上手に表現したものだ。
ホントにそのとおりだ。
天地大自然は
イタズラ好きだ。
K先生とは
私が20歳の時、
サーフィン観光で行った
インドネシア バリ島で
たまたま
同じ飛行機に
成田から乗り、
たまたま
現地でも同じホテルに
ステイして知り合ったのだ。
N先生とは
これまた同じバリ島で、
たまたま
毎日同じサーフポイントで
サーフィンして知り合った。
それ以上は
ここでは書けない。
一冊の本も書ける
ほどの物語がある。
それも長編だ。
それはさておき、
先程から
何度も出てきた
フレーズ
" たまたま "
それは実は
" たまたま "
などでは決してないのだ。
今でこそ
インドネシア バリ島には
たくさんの
日本人観光客も訪れるが、
当時1980年代は
まだまだ未開の地に
等しい場所だった。
K先生は仕事で
私はサーフィン旅行。
目的も仕事も地位も
全く違う者同士が
遥かインドネシアで出逢った。
1日ズレたら、
宿泊先が違えば
知り合えなかった。
その10年後、
私が30歳の時に
一回りも離れたN先生と、
クタリーフという
サーフポイントで出逢った。
そこは沖合い1キロほどの
サーフポイントなので、
カヌーをチャーターして
沖までいくのが一般的だ。
その日も
クタリーフには
私とオージー(オーストラリア人)の
2人だけで
波を分かち合っていた。
今では考えられない…
そこへ一隻の
カヌーがやって来た。
N達一行だが、
Nがいない。
「やつは寝坊だから放ってきちゃった」
「エアポートリーフのほうが波良いみたいだから一緒に行かない?」
と誘われたが、
私はオージーと2人の
メローな波乗りの方が
良かったのでそこにいた。
「じゃ、また」
カヌーが見えなくなった頃、
Nがパドリングで
沖までやって来た。
「みんなエアポートリーフに行ったよ」
「え〜さいあく、超かったるいけど行ってきま〜す」
またパドリングで
エアポートリーフまで
向かっていった。
岸からクタリーフまで
パドルで約30分
さらに
エアポートリーフまでは
40分はゆうにかかる。
ましてや
そこは
猛毒のウミヘビやサメが
うじゃうじゃいる海域なのだ。
岸も見えないほどの
沖合いに
たった一人で、
何かあっても
誰も助けになんか
来てくれない。
そんな勇氣のある18歳の女子。
二人の日本女子とは
そんな出逢いから
始まったのだ。
その後、
ちょくちょく
連絡は取り合っていたものの、
すっかり疎遠になった。
もう会うことも
無いと思っていた。
しかし
天地大自然のはからいで、
今度は合氣道という、
生き方を学ぶ舞台で
再会できた。
私にとっての合氣道とは
武道を越えた
生き方を学ぶもの
だと思っている。
この二人の日本女子も
疑うことなく
そう信じている。
そこに強い連帯があるのだ。
それはそれは
非常に強い連帯感だ。
その二人の日本女子にも
お弟子さんが集まりだし、
東京と神奈川で
約30人の先頭に立つ
立派な指導者となった。
さらに
その30人から
3名の指導者を育成したのだ。
そして
「合氣道とは人のために、社会のために」
私利私欲を捨て去り、
お弟子さんの向上、
なぜ人は生きるのか、
ということを
日々、
合氣道という
武道を通して
弟子達に指導している。
「おてんとうさまはイタズラずきだ」
さあ
この先は、
どの様なイタズラを
用意してくださって
いることだろう。
まさに
生死を超えた、
この尊いご縁に感謝し、
これからも共に歩もう。
出逢うべきして出逢った。
この揺るぎない絆こそが、
そこには実在するのだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" まだお昼過ぎ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『まだ おひる すぎ』
還暦を過ぎ、
今年の夏の猛暑が
身体に堪える。
今年の暑さは
昨年以上とのこと。
若い頃というか、
つい数年前まで
夏が辛いとは感じなかった。
暑い夏。
季節の中で
夏が一番好きだった。
少年時代の野球小僧から
サーフィン小僧になり、
ついこの前まで
真冬以外は海にも通った。
しかし、
還暦を過ぎて
身体が思うように
動かなくなってきた。
合氣道の技においても
そう感じるようになってきた。
身体は道具なのだから、
経年とともに
劣化していくのは
致し方ないことだ。
先日、
ある人から
こんな話を聞いた。
人生百年時代の
一生を二十四時間に
譬(たと)えると、
五十歳はまだ正午で、
七十五歳で午後六時だという。
それなら私の場合は
まだ午後三時過ぎ
ということになる。
まだ午後三時を
少し過ぎたところ。
まだまだ
お昼過ぎではないか。
なるほど、
それなら
まだまだやれる。
人生を二十四時間と
考えたなら、
あと一踏ん張りも、
二踏ん張りも
できる時間は残されている。
天地大自然に
生かしていただける間は、
自分にできることをやる。
身体は老化してゆくが、
心は何歳になっても
鍛え上げることが
できるのだ。
鍛えて鍛えて
鍛え抜いて、
それを
世のため人のために、
惜しまず
使えるようになろう。
まだまだ
これから。
改めてそう思った。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 小細工不要 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう
『こざいく ふよう』
あれやこれやと
色々考えるから
ややこしくなる。
人はそれぞれ。
人生いろいろ。
歌にもあった。
人は生まれ育った環境や、
家庭環境などにより、
それぞれ
性格、考え、思いは
違って当たり前だ。
それに
いちいち合わしてなど
いられない。
それは決して、
相手の心や、氣持ちを
一切無視して行動する
ことではない。
その様な
小細工は一切必要無し。
シンプル イズ ベスト。
これも歌にあった。
何に合わすのか?
それは
人ではなくて、
天地大自然の法則に
則ることだ。
それで良い。
上があれば下がある。
表があれば裏がある。
左があれば右がある。
強いがあれば弱いがある。
重いがあれば軽いがある。
持つがあれば放すがある。
出会いがあれば別れがある。
始まりがあれば終わりがある。
ただひたすら
天地大自然の道を歩み、
ありがたく、たのしみ、
ご縁をいただいた人、
ふれあう全ての人、
合氣道道場に
集まってくださる
お弟子さんの
心を育て、
伸ばすために、
また私自身も
その先頭に立つ者として、
恥ずかしくないよう
倦まず弛まず、
精一杯、
自分の出来ることを
やれば良い。
精一杯、
持てる力を出し惜しまず、
心の限りをつくして
いけるようになりたい。
シンプルな
生き方だからこそ、
ブレないのだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 我欲を捨て去る "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『がよく を すてさる』
自分の利益に
なるようなことだけ。
そのような
邪(よこしま)な考えを
持っていれば、
いつか必ず滅びゆく。
例えば、
企業の経営であっても
私利私欲を
捨てきれない人は、
やがて会社を捨てるか、
自分が捨てられる。
それは
経営者だけではなく、
そこで働く者全員に
当てはまることだと
私は思う。
我欲を捨て去るというのは、
自分の名誉とか地位とか、
そういうことに
とらわれないで、
常に
企業の利益につながるよう
全身全霊全能を
傾けられるということです。
その考え、行動が
やがて
人のため、社会のために
役立つ自分を作り上げる
ことになるのです。
人のためとは
100%人のため。
社会のためとは
100%社会のため。
一切自分に
見返りを求めない
ことであります。
それができる人は、
必ず天地大自然が
応援してくれます。
これほど
心強い支えはありません。
必ず守ってくださります。
私はそう信じています。
天地大自然にも
心があるのです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝