2024-07-29 04:48:00

" 円はぶつからない "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『えん は ぶつから ない』

 

 

 

今年も

 

夏休みの稽古の一環として、

 

「夏休みベンガラ染め体験会」を

 

7月27日と28日に開催した。

 

 

 

子どもたちには

 

夏休みの

 

自由研究や工作にも、

 

良い題材にもなる。

 

 

 

土から取れる

 

泥を染料とした

 

ベンガラ染めは、

 

日本に古くからある

 

伝統文化だ。

 

 

 

ベンガラ染めについては

 

ネットで検索すると、

 

詳しいことは

 

分かりますので、

 

ここでは割愛します。

 

 

 

 

 

今年も2日間で

 

たくさんの

 

門人の方々が

 

参加した。

 

 

 

昨年よりも

 

大幅に参加者が増えた。

 

 

 

一方で、

 

 

 

決まって

 

参加しない方々もいる。

 

 

 

冒頭にも記したように

 

「稽古の一環」である。

 

 

 

これは遊びではなく

 

「大切な合氣道の稽古の一環」なのだ。

 

 

 

 

 

一環とは

 

どういう意味なのか。

 

 

 

「一つの輪」、

 

「 繋がりがある中の一部分」

 

ということだ。

 

 

 

その

 

「一環」に

 

「大切な」という

 

言葉まで記してある。

 

 

 

そのことは

 

合氣道の稽古時にも、

 

常々話している。

 

 

 

また

 

会員に配る

 

しおりにも、

 

そう記してある。

 

 

 

決まって

 

参加しない方々は、

 

 

 

どうやら

 

その意味を

 

理解していない

 

ことなのだろう。

 

 

 

人はそれぞれだ。

 

 

 

理解できない者に

 

理解しろと言っても、

 

それは無理だ。

 

 

 

そのような者に

 

無駄なエネルギーを

 

費やすほど、

 

 

 

世間も

 

世の中も、

 

私も、

 

暇ではないのだ。

 

 

 

 

 

長くなってしまったが、

 

ここからが本題だ。

 

 

 

 

 

さて

 

この2日間でも

 

私にとっては

 

たくさんの学びがあった。

 

 

 

それは

 

普段の

 

合氣道の稽古時に

 

比べて、

 

 

 

その人の

 

人間性、特徴が、

 

 

 

より違った角度から

 

見ることが

 

できたことだ。

 

 

 

 

 

殆どの

 

子ども達は

 

お母さんやお父さんと、

 

またご両親で

 

参加される。

 

 

 

 

 

あるご家族は

 

作業工程の順序を

 

間違えそうになった

 

ギリギリのところで、

 

 

 

それに

 

私が氣付いて

 

「次はこうですよ」と

 

 

 

順序通りに

 

作業することができた。

 

 

 

前もって、

 

その順序、

 

やり方は

 

デモンストレーションを

 

兼ねて説明しているから、

 

 

 

間違わない

 

はずなのだが。

 

 

 

人間は誰でも

 

間違うこともある。

 

 

 

でも

 

褒められることではない。

 

 

 

 

 

しかし、

 

そのご家族は

 

皆さん笑顔なのです。

 

 

 

終始笑顔で

 

作業をされておられました。

 

 

 

お父さんも

 

ニコニコして、

 

お母さんも

 

ニコニコして、

 

子どもも

 

ニコニコして、

 

 

 

家族みんなで

 

ニコニコして、

 

 

 

見ているこちらも

 

癒やされて、

 

ニコニコしました。

 

 

 

 

 

なんて

 

素晴らしいこと

 

なのでしょう。

 

 

 

 

 

私は

 

そのご家族に

 

「生き方」を

 

教えていただきました。

 

 

 

ありがとうございます。

 

感謝です。

 

 

 

 

 

円、

 

丸い、

 

◯というのは

 

絶対にぶつからない。

 

 

 

円は

 

いつまでたっても

 

円なのだ。

 

 

 

 

 

だから

 

人とも

 

ぶつからない。

 

 

 

歩いていて

 

人にぶつからない

 

という

 

意味ではなくて、

 

 

 

人間関係において、

 

ぶつからない

 

ということだ。

 

 

 

 

 

一方で

 

その真逆のような

 

人もいる。

 

 

 

 

 

親の言動を

 

見ていたら

 

よく分かる。

 

 

 

子どもに

 

大らかさがない。

 

 

 

 

 

そのような

 

親の元で育った

 

子どもは、

 

 

 

円にはなっていない。

 

 

 

三角や四角なのだ。

 

 

 

 

 

それは

 

「ぶつかる」

 

ということだ。

 

 

 

いつまでたっても

 

何回もぶつかって

 

しまうのだ。

 

 

 

必ずや

 

人間関係においても

 

ぶつかるのだ。

 

 

 

 

 

円周上をまわる

 

運動のことを

 

「円運動」という。

 

 

 

 

 

合氣道では

 

技を円を描くように行う。

 

 

 

それは

 

ぶつからないからだ。

 

 

 

ぶつかっていては、

 

相手を投げること

 

など出来ない。

 

 

 

 

 

私達が住んでいる

 

この地球も

 

円運動だ。

 

 

 

 

 

1日1回

 

自転しながら、

 

太陽の周りを

 

回っている。

 

 

 

決してぶつからない。

 

 

 

天地大自然の

 

絶対なる法則なのです。

 

 

 

 

 

この絶対なる

 

法則に則って

 

生きているから、

 

 

 

それが

 

理にかなっているから、

 

 

 

「円」の家族の

 

周囲にいた

 

私まで

 

癒やされて

 

幸せな氣持ちに

 

なれたのです。

 

 

 

 

そのご家族から

 

発せられる

 

「プラスの氣」を受けて、

 

私までプラスになりました。

 

 

 

 

一方で、

 

天地大自然の

 

理に適ってないことを

 

無理というのです。

 

 

 

自分が

 

三角や四角だなと

 

思ったら、

 

 

 

円になるよう

 

心掛けねばいけません!

 

 

 

 

 

「えん」とは

 

円、

 

日本の通貨も円、

 

◯、

 

縁ですね。

 

 

 

 

 

いつまでも

 

ご縁がありますように。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-07-26 04:57:00

" 人間は落ち着いているのが当たり前 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『にんげん は おちついて いる のが あたりまえ』

 

 

 

いよいよ

 

2024年パリオリンピックも

 

本日から始まります。(この執筆作業時点)

 

 

 

 

 

夏の高校野球も

 

甲子園出場をかけて

 

地方大会は

 

佳境に入っています。

 

 

 

 

 

先日、

 

我が母校が

 

ベスト8をかけた

 

試合があり、

 

 

 

バーチャル高校野球という

 

インターネット

 

スポーツメディアで

 

観戦した。

 

 

 

今はこうして球場に

 

足を運ばなくても、

 

ネットがつながる

 

環境であれば、

 

どこでも

 

観ることができる、

 

 

 

なんと

 

便利な世の中に

 

なったものだ。

 

 

 

 

 

本音を言えば、

 

球場に足を

 

運びたかったのだが、

 

 

 

私が応援に行けば

 

高確率で

 

負けてしまうのだ。

 

これまでもそうだ。

 

 

 

試合に勝って

 

球場で校歌を

 

歌いたかったが、

 

ネットで観戦した。

 

 

 

2-0で7回まで

 

勝っていた。

 

 

 

相手も何度も

 

チャンスは作るが、

 

得点にはならない。

 

 

 

「これはいけるな」

 

そう思った。

 

 

 

しかし、

 

8回に3点とられ

 

逆転された。

 

 

 

でもまだ1点差で

 

8回、9回と攻撃できる。

 

 

 

1点差なら、

 

なにが起こるか

 

わからない。

 

 

 

だが、

 

9回の守備で

 

代わった投手が、

 

 

 

バント処理でエラー、

 

デッドボール、

 

フォアボールなどで

 

2点とられて

 

5-2で敗退した。

 

 

 

その交代した投手は

 

上ずった心の状態で

 

マウンドに上がり、

 

 

 

最初の

 

バント処理の失敗で

 

完全に

 

浮足立ってしまった

 

印象だ。

 

 

 

3年生の夏は

 

終わったのだ。

 

 

 

 

 

それもこれも

 

含めて野球だ。

 

 

 

そう言われれば、

 

それはそうではあるが。

 

 

 

 

 

これで持てる力を

 

出し切ったと

 

言えるのだろうか。

 

 

 

 

 

勝負あるものは

 

必ず、勝ち負けがある。

 

 

 

 

 

トーナメント形式では

 

引き分けはない。

 

必ず決着がつくのだ。

 

 

 

1/2の確率で

 

勝つし、負けも

 

するのだ。

 

 

 

だから勝敗は

 

仕方がない。

 

 

 

もし負けたとしても

 

力を出し切って

 

負けたのなら、

 

 

 

相手の方が上だったと

 

悔いも残らない

 

かもしれないが、

 

 

 

持てる力を

 

殆ど出せずに

 

終わってしまっては

 

悔いが残るのだ。

 

 

 

 

 

夏の甲子園大会で

 

高校野球ファンなら

 

誰でも知っている

 

元強豪校の監督が、

 

TV中継の解説で

 

こんな事を言っていた。

 

 

 

「この場面で緊張するなという方が無理だ」

 

 

 

緊張することが

 

当たり前だと

 

言わんばかりに

 

解説をしていたが、

 

 

 

さて

 

本当にそうだろうか。

 

 

 

 

 

「落ち着いていけ」

 

「肩の力を抜いてリラックスしろ」

 

 

 

高校生にもなれば

 

落ち着かなければ

 

いけないことは

 

誰でも

 

分かっているのだ。

 

 

 

 

 

でも

 

その方法を

 

教えてやらなければ、

 

 

 

落ち着くことは

 

できないのだ。

 

 

 

それを

 

教えることが

 

できないのは、

 

 

 

指導者が

 

落ち着き方を

 

知らないからだ。

 

 

 

 

 

人間は本来、

 

落ち着いていることが

 

当たり前であるのだ。

 

 

 

 

 

私達人間は

 

地球の表面で

 

生活している。

 

 

 

そこは

 

常に重力がある。

 

 

 

私達人間は

 

常に重力の影響を

 

受けて生活しているのだ。

 

 

 

もちろん、

 

野球をしている時も

 

例外ではない。

 

 

 

地方大会であっても

 

甲子園大会であっても

 

同じだ。

 

 

 

 

 

ということは、

 

 

 

物を落とせば

 

必ず落ちるのだ。

 

 

 

 

 

物体の重みが

 

落ち着くべきところに

 

落ち着く。

 

 

 

それを

 

落ち着きというのだ。

 

 

 

 

 

であるなら、

 

人間も

 

物体であるから、

 

重みは下に

 

かかるのだ。

 

 

 

それが

 

自然な状態であり、

 

 

 

「落ち着き」

 

ということなのだ。

 

 

 

 

 

しかし、

 

人間には

 

感情があるから、

 

 

 

それが

 

心と身体に

 

影響するのだ。

 

 

 

 

 

大舞台や

 

切羽詰まった時には

 

誰でも

 

緊張はするかもしれない、

 

 

 

しかし、

 

それを受け入れる

 

ことが重要なのだ。

 

 

 

それを受け入れて

 

身体の重みを

 

その最下部に置くのだ。

 

 

 

 

 

緊張とは

 

心の波である。

 

 

 

その波が大きく

 

揺れ動いている時に

 

静めようと

 

思えば思うほど、

 

より大きく

 

揺れ動いてしまうのだ。

 

 

 

 

 

バケツに水を汲む。

 

そのバケツを

 

大きく揺らすと

 

中の水は大きく波打つ。

 

 

 

これを止めようと

 

動かせば動かすほど

 

波打つ。

 

 

 

静めるには

 

どうしたらよいか。

 

 

 

「放っておく以外に仕方がない」のだ。

 

 

 

 

 

人間の心も同様に

 

緊張を受け入れて

 

放っておく以外に

 

仕方がないのだ。

 

 

 

放っておけば、

 

やがて

 

自然に静まっていくのだ。

 

 

 

 

 

その天地大自然の

 

法則と原理原則を

 

十分理解して、

 

 

 

常日頃から

 

心と身体のあり方と

 

心の静め方、

 

 

 

身体の重みを

 

最下部に置く

 

練習をしておけば、

 

 

 

いざという時に

 

役に立つのだ。

 

 

 

 

 

まず

 

監督、コーチ、指導者が

 

これを理解し

 

実践するべきだ。

 

 

 

 

 

横浜高校で

 

甲子園優勝、

 

西武ライオンズ、

 

メジャーリーグで

 

活躍した

 

松坂大輔さんは

 

ピンチになれば

 

マウンド上で

 

呼吸法をして

 

心を静めていたと

 

何かの著書で

 

読んだ記憶がある。

 

 

 

 

 

それも

 

やはり普段の練習で

 

やっていたからこそ

 

実戦で通用するのだ。

 

 

 

 

 

高校野球の場合なら

 

3年生が引退するまで、

 

2年半という

 

長い時間があるのだ。

 

 

 

 

 

野球の技術や、

 

身体を鍛えることも

 

重要であるが、

 

 

 

心を鍛え、

 

自分の心を

 

いつでも

 

コントロールでき、

 

 

 

いついかなる

 

状況におかれても

 

 

 

持てる力を

 

100%発揮することが

 

できる能力を

 

身に付けたら、

 

 

 

社会に出て

 

どれほど

 

役立つことだろう。

 

 

 

これこそ

 

大きな財産に

 

なるのではないか。

 

 

 

 

 

合氣道琴心館

 

寺崎道場の合氣道では、

 

 

 

毎日

 

その稽古をしている。

 

 

 

 

 

是非、

 

野球に限らず、

 

あらゆる

 

スポーツの

 

指導者、

 

監督さん、

 

コーチの方は

 

 

 

道場で

 

稽古すべきだと思う。

 

 

 

 

 

稽古して

 

体得したことを

 

専門分野で

 

発揮してもらいたい。

 

 

 

 

 

私は

 

オファーさえあれば

 

どこへでも行きたい。

 

 

 

 

 

微力ではあるが、

 

僭越ながら

 

 

 

少しでも、

 

世のため、人のために

 

役立ちたい。

 

 

 

毎日そう思う。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-07-25 04:36:00

" 赤シソとレモンとサトウキビ "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『あかシソとレモンとサトウキビ』

 

 

 

夏の風物詩しそジュース。

 

 

 

毎年、

 

夏の暑い時期には

 

我が家には

 

しそジュースがある。

 

 

寺崎道場自家製の

 

赤しそジュースだ。

 

 

あくまで

 

寺崎道場自家製の

 

作り方なので、

 

参考になるかどうかは

 

わからないが、

 

作り方はとても簡単だ。

 

 

 

赤しそを買ってくる。

 

 

 

茎のまま

 

売られていることが

 

 

 

多いので、

 

 

 

葉っぱだけを

 

「優しく」ちぎる。

 

 

 

ちぎった葉っぱを

 

 

 

ボウルなどに移して

 

「優しく」水洗いする。

 

 

 

鍋に2リットルの

 

水を沸騰させる。

 

 

 

沸騰した鍋に

 

洗った葉っぱを

 

 

 

「ありがとう」と

 

言いながら入れる。

 

 

 

5分から10分位煮出す。

 

 

 

赤い葉っぱが

 

緑色に変わったら、

 

 

 

「ありがとう」と

 

言いながら

 

火を止め、冷ます。

 

 

 

十分に冷めたら、

 

 

 

中のしそを取り出して、

 

「ありがとう」と

 

言いながら絞る。

 

 

 

赤色をよりきれいに

 

発色させるため、

 

クエン酸や酢を

 

入れてもよいが、

 

 

 

寺崎道場自家製は

 

レモンを2個絞る。

 

 

 

見た目の

 

鮮やかな赤色も

 

素晴らしいが、

 

 

それより

 

 

赤しそ本来の

 

赤のほうが自然で良い。

 

 

 

そのレモンだが、

 

安物のレモンは買わない。

 

 

 

輸入レモンには

 

防カビ剤や農薬が

 

ふんだんに使われており、

 

殺虫剤まみれのレモンを

 

食べるようなものだ。

 

 

 

だから

 

なるべく国産の

 

そういったものが

 

含まれていない

 

皮のまま

 

食べることができる

 

レモンを高くても買う。

 

 

 

そのレモン2個に

 

「ありがとう」と

 

言いながら絞る。

 

 

 

その時の感覚で

 

レモンを皮のまま

 

入れ作ることもあるが、

 

 

とても酸味のある

 

酸っぱい

 

しそジュースになる。

 

 

絞っても皮のままでも、

 

どちらも美味しい。

 

 

 

甘さは

 

絞ったほうが出やすい。

 

 

 

次に砂糖だ。

 

砂糖も値をケチらない。

 

 

 

さとうきびが

 

原料の粗製糖を使います。

 

 

量はその時の感覚です。

 

 

 

冷ました鍋を

 

再び加熱しながら、

 

大さじ8杯位〜10杯位を

 

「ありがとう」と

 

言いながら

 

入れていきます。

 

味見をしながら

 

入れていきます。

 

 

 

あとは

 

煮出した

 

しそジュースに

 

レモンと粗製糖が

 

よく馴染むように、

 

 

 

「混ざり合って一体となってね」と

 

言いながら

 

優しく混ぜ合わせる。

 

 

冷まして

 

出来上がりです。

 

 

 

この作り方は

 

濃縮ではないので、

 

そのまま飲めます。

 

 

 

そして、

 

寺崎道場自家製

 

しそジュースは

 

常温保存で

 

発酵します。

 

 

 

冷蔵庫で

 

保存した場合は

 

発酵しませんが、

 

ペットボトルに入れて

 

常温保存すると

 

約1週間から10日程で

 

ペットボトルが

 

パンパンに膨れ、

 

フタを取ると

 

「シュワー」となります。

 

 

グラスに注ぐと

 

シュワシュワと

 

軽めの

 

炭酸飲料のように

 

なるのです。

 

 

 

そのあたりで

 

冷蔵庫に保存すれば、

 

その状態のまま

 

冷えるので、

 

 

 

いつでも

 

美味しい

 

発酵しそジュースが

 

楽しめます。

 

 

 

一方で

 

シュワシュワに発酵して、

 

 

 

さらに

 

常温保存のままに

 

しておくと

 

やがて

 

酒になります。

 

 

 

ただし、

 

発酵したものを

 

口にすることは

 

自己責任で

 

お願いします。

 

 

 

嫌な臭いや、

 

飲んでも

 

お腹を

 

こわさなければ

 

大丈夫だと思いますよ。

 

 

 

ちなみに

 

発酵ですが、

 

 

同じ作り方でも

 

 

 

作る場所が

 

変われば

 

 

 

発酵しない時も

 

あるのです。

 

 

 

私の友人や

 

家族の友人も

 

全く同じ

 

作り方をしても

 

 

発酵する友人宅と

 

発酵しない友人宅が

 

あるのです。

 

 

詳しいことは

分かりませんが、

 

 

 

 

しそジュースが

 

発酵することに

 

必要な

 

微生物や菌が

 

その家にいるか、

 

 

 

いないか

 

その違いのようです。

 

 

 

なんとも

 

不思議なことですね。

 

 

 

発酵しても

 

しなくても、

 

 

 

やはり

 

美味しい

 

しそジュースを

 

作る秘訣は

 

 

 

全ての食材に

 

「ありがとう」と

 

感謝することですね。

 

 

 

赤しそも、

 

レモンも、

 

粗製糖(さとうきび)も

 

命ある生き物です。

 

 

 

大地の養分と

 

太陽の光を受けて、

 

 

すくすくと育った

 

天地大自然の

 

生き物です。

 

 

 

それは

 

私達人間と

 

同じであり、

 

 

 

同じ時代を

 

生きている

 

同胞でもあるのです。

 

 

 

その命を

 

いただくわけです。

 

 

 

その季節の

 

旬のものを

 

いただいてこそ、

 

 

 

 

 

元氣に

 

なれるのですから

 

 

 

 

 

感謝せずには

 

おれませぬ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-07-24 04:32:00

" この世はさまざま "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『この よ は さまざま』

 

 

 

もう20年も前から

 

ベランダで

 

メダカを飼っている。

 

 

 

子どもが

 

まだ4、5歳だった頃に

 

夏祭りでメダカ掬いを

 

したことがきっかけだ。

 

 

 

そのメダカも

 

オス一匹になった。

 

 

 

このオスが

 

寿命を全うしたら、

 

メダカの飼育を

 

辞めることにした。

 

 

 

十分に

 

世話ができなくなったからだ。

 

 

 

 

 

コロナ禍で

 

空前のメダカブームとなった。

 

 

 

 

 

我が家の

 

ベランダメダカ達も

 

当時は、

 

10種類以上の

 

改良メダカが泳いでいた。

 

 

 

 

 

巷では

 

高級な品種にもなると

 

オス・メスペアで

 

10万円の値もついたほどだ。

 

 

 

 

 

当時よく通っていた

 

メダカ屋さんが

 

オリジナルな

 

掛け合わせで、

 

新しい品種を

 

作り上げた。

 

 

 

 

 

その品質の

 

名前は忘れたが、

 

オス・メスペアで

 

5万円だったことを

 

覚えている。

 

 

 

一度見るだけでも

 

見られてはどうですかと

 

親切に言って下さったので

 

見てみた。

 

 

 

なるほど見事である。

 

 

 

 

 

沢山の人が

 

見に来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

誰が見ても

 

このメダカだなあと

 

分かるほどである。

 

 

 

 

 

その品種以外にも

 

たくさん泳いでいる。

 

 

 

 

 

一つ一つ

 

値段をみてみると、

 

 

 

オス・メスペアで

 

2万、1万、

 

8000円、5000円。

 

 

 

ヒレ長、3色ラメ、紅白、

 

楊貴妃、紅帝、

 

ヒレ長ブラック、サタン、

 

プラチナラメ、

 

夜桜、アルビノ等、

 

 

 

どれを見ても

 

さすがに見事だ。

 

 

 

 

 

私も多少の経験と

 

多少の知識はあったので、

 

いろいろな

 

ことについて

 

店主の人に質問した。

 

 

 

非常に教えられる

 

ところが多かった。

 

 

 

 

 

へえー、あれですか、

 

5万円のメダカは、

 

素晴らしく

 

きれいですね。

 

 

 

でも、

 

もし死んだら

 

どうなるのでしょう、

 

という

 

客の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

なるほど、

 

生き物なので

 

死ぬことも

 

あるはずだし、

 

 

 

生まれたからには、

 

いつかは死ぬのだ。

 

 

 

死ねば万事休すか。

 

 

 

 

 

買った人は、

 

上手に繁殖できれば

 

良いが、

 

 

 

ひと夏も

 

命をもたなかったでは、

 

一瞬にして

 

5万円を

 

失うことになると

 

他人事ながら

 

心配になる。

 

 

 

 

 

これは

 

メダカの世界の話

 

ではあるが、

 

 

 

 

 

私達

 

人間の世界では、

 

 

 

世の中には

 

人から

 

嫌われる人もいる。

 

 

 

 

 

正直死んでくれたら

 

助かるのに、

 

などと思われる

 

困った人もいる。

 

 

 

 

 

大酒を飲んでは暴れる、

 

 

 

自分の儲けのためなら

 

他人の迷惑など関係なし、

 

 

 

詐欺師、

 

 

 

死ぬより他に

 

直しようもない

 

人間もいるのだ。

 

 

 

 

 

一方で、

 

 

 

死なれては

 

大変だと

 

大事に育てられる

 

高級メダカ。

 

 

 

 

 

死んでくれたら

 

ホッとするわ、

 

 

 

あの人おらんように

 

なって平和になったで、

 

 

 

やれやれや、

 

 

 

といわれる人間。

 

 

 

 

 

この世はさまざま、

 

人生もいろいろなのか。

 

ふと思った。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-07-23 04:15:00

" 「悪事はしない」だけでは価値がない "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『あくじ は しない だけでは かち が ない 』

 

 

 

親は子どもに

 

 

 

「悪いことをしてはいけません」と

 

教えるが、

 

 

 

「善いことをしなさい」とは

 

あまり教えないのでは

 

ないだろうか。

 

 

 

これでは

 

悪いことだけはしない

 

人になるということだ。

 

 

 

それだけでは

 

いけないのではないか。

 

 

 

 

 

「私は絶対に悪事はしない」と

 

胸を張って

 

言ったとして、

 

それを

 

実践したとしても、

 

 

 

善いことを

 

しなければ、

 

 

 

世の中は

 

良くはならないのだ。

 

 

 

 

 

悪いことは

 

してはいけない

 

ということは

 

最低限の

 

社会のルールではあるが、

 

 

 

あとは

 

何もしないのであるなら、

 

 

 

それは

 

心を

 

消極的にしか

 

使えていない

 

証なのだ。

 

 

 

 

 

心は

 

常に積極的に

 

使わなければいけない、

 

 

 

ということを

 

合氣道で

 

学んでいるのだ。

 

 

 

 

 

世のため、

 

人のために、

 

 

 

どんどん

 

積極的に

 

善いことを行ってこそ、

 

 

 

人としての

 

価値があるのだ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝