2024-11-14 04:03:00

" この世は生かし合いだ "

今朝も目覚めることができた、ありがとう。

 

 

『この よ は いかしあい だ』

 

 

紙に文字を書くには

ペンと紙がいる。

 

そのどちらかが欠けたら、

文字は書けない。

 

ペンを生かすものは紙であり、

紙を生かすものはペンである。

 

 

ご飯を炊くにも

味噌汁を作るにも、

水と火がいる。

 

この両方が

それぞれの特性を

生かし合い、調和して

美味しいご飯も味噌汁も

いただける。

 

これが天地大自然の

絶対的法則だ。

 

 

それは

私達人間も同じだ。

 

 

男性と女性。

大人と子ども。

 

自分とは考えの違う人。

明るい人と暗い人。

喜ぶ人と悲しむ人。

 

その相反する二つのもの。

 

相反する両者が

融合して、混ざり合う。

 

 

自分に足りないもの、

自分にないものを尊ぶ。

 

お互いにそれを活かす。

 

 

人間だけが

天地大自然の法則に

抗っているから、

 

生きにくい世の中に

なっているのではないだろうか。

 

 

この世は

全て生かし合いでありまする。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-11-13 04:30:00

" 分からないことは考えない "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『わからない こと は かんがえ ない』

 

 

明日はどうなるのか。

今週末はどうなるのか。

一週間以内にどうなるのか。

 

色々、色々考える。

 

その結果、

本来やるべきことができない。

手につかない。

 

これは良くないことだ。

 

 

必ず、" なるようになる "

 

一方で

絶対に、" ならぬようにはならない "

 

 

明日はどこに行こうか。

南に行くべきか。

北に向かうべきか。

 

それは自分が考える分野だ。

 

しかし、

明日は晴れるのか。

雨なのか。雪なのか。

 

これはいくら考えても

分からない。

 

いくら天氣予報の

精度が高くても、

 

それは天地大自然の

分野であるから、

 

明日にならなければ、

本当のことは分からない。

 

いくら考えても

分からないことは

 

考えない。

氣にしない。

 

 

" どちらでも良い "

 

 

先のことが

分からないことは、

 

自分が考える分野では

ないのだから、

 

全部、

天地大自然にお任せして、

 

" どちらでも構わないよ "

" その時に考えるから "

 

そう腹に据えて、

氣にせず

しっかり働いて、

ぐっすり眠れば良いだけだ。

 

" 氣にしない "

" 考えない "

 

 

やはり

世の中というものは

簡単なことですね。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-11-12 04:53:00

" 徳を頂いた "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『とく を いただいた』

 

 

先つ日、

 

自宅を出て

駅へ向かう途中で、

 

車椅子に乗る

70代位の男性が

前方から来た。

 

私は道を譲ろうと、

少し横へ寄ろうとしたが、

 

こちらに笑顔で

近寄って来られた。

 

顔見知りでもなければ

知り合いでもないのだが、

 

2年ほど前から、

自宅からほど近い

兵庫キャナルタウン合氣道教室で

週3回稽古していることもあり、

 

最近では

私が存じ上げない人でも

「合氣道の先生ですね」

というふうに

 

ご近所さんから

声をかけられることも

少なくないから、

 

その車椅子の方も

そう思ったのだが、

 

そうでは無さそうでした。

 

笑顔で近寄ってこられ、

ご自身の

上着のファスナーを指差され、

「閉めてもらえないでしょうか」と

仰られました。

 

どうやら、

手の指が不自由な方のようだ。

 

私は「はい、良いですよ」と

喜んで上着のファスナーを

閉めてあげました。

 

「助かりました。ありがとうございました」と

車椅子の男性も

喜ばれて行かれました。

 

実はその時、

私の前には一人の女性が

私と同じ方向に

歩いていたのですが、

 

その車椅子の男性は

その女性には見向きもせず、

 

私の方に寄って来られた。

 

車椅子の男性にしてみれば、

もしかしたら

その女性に頼むことに

遠慮され、

同性の私に

頼んだのかもしれない。

 

 

それはさておき、

 

 

「ありがとうございました」と去ってゆく、

 

その男性の後ろ姿に

 

「こちらこそ、ありがとうございました」と、感謝した。

 

 

おそらく、

この方は私以外の人とも

すれ違っているはずである。

 

私の自宅から駅へ向かう

その道は

平日の昼間とはいえ、

そこそこ人通りもある。

 

その中から、

私を選んでくださった。

 

なんという、

ありがたいことなのだろう。 

 

感謝するのは私の方だ。

 

 

" してくれてありがとう "

" させていただいてありがとう "

 

私はこの車椅子の男性から

徳を頂きました。

 

天地大自然には

そのご縁を頂きました。

 

その日は終日、

ほのぼのとした

心が安らぐ一日でした。

 

 

人間はお互いに

他者を尊ぶ

" 感謝の心 " があれば、

 

争いごとは起こらない。

 

" 平和 " とは

こういうことなんだろうね。

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-11-11 04:34:00

" 無用の長物 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『むよう の ちょうぶつ』

 

 

無用の長物とは

 

あっても役に立つどころか、

かえって邪魔になるもの。

あっても益のないもの。

 

という意味だ。

 

 

それは人の心では

執着、傲慢、

わがまま、氣兼ね、

思い込み、思い過ごし、

偏向、偏見、先入観、

自惚れ、思い上がり、

アップデートできない頭。

 

 

人間の肉体では

余分な力み。

 

 

日常生活では 

時間潰し、

新聞、テレビなどの

偏向、隠蔽報道する

マスメディア、

発信元が定かでない

SNSの情報。

 

 

その他にも

まだまだあると思うが、

 

さっと考えただけで

これだけある。

 

 

あっても意味がない、

役立ちもしない、

かえって邪魔に

なるものなら、

 

さっさと取っ払ってしまおう。

 

 

合氣道の稽古とは、

この無い方が良い

余計なものを

毎回、取り除く

稽古をしているのだ。

 

特に心身においては

一回の稽古で

" 薄皮を剥いでいく"

ようなものだ。

 

それが

たとえ一枚の薄皮であっても、

半年経てば半年分の

一年経てば一年分の

 

不要な薄皮は

確実に剥がれていく。

 

 

この不要なものを

取り除けば、

 

その分だけ心身ともに

軽やかになる。

 

 

その軽やかになった心身に

心の静まりが加われば、

 

正しく物事を判断する

能力が養われる。

 

その結果、

世間に溢れる

おびただしい

情報の中から

正しい情報だけを

選別できる。

 

 

つまり、

 

" 自分の頭で考える " ことが

できるようになる。

 

 

無用の長物には

用がないのでありまする。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-11-08 03:41:00

" 古の雅 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『いにしえ の みやび』

 

 

このエントリーでも

触れましたが、

 

先日、

私が14歳 (中学3年生)の時に

極楽浄土へ行った

父の永代経法要で

京都・西本願寺に参拝した後、

京都御所を参観してきました。

 

 

御所( ごしょ )とは、

" おんところ "

" THE PLACE "

 

天皇陛下のお住まいであった

皇居であり、

古来、内裏(だいり)と

称された場所です。

 

平安時代から江戸時代まで

1000年以上、

天皇陛下が住まわれていた。

 

京都御所へは入場門である

清所門 (せいしょもん) から

入るのだが、

 

ここで驚いたことは、

 

お堀がなく、

高い石垣もなく、

外から中は丸見えで

 

" 一切、守りがない "

ということだ。

 

 

例えば、

姫路城でも皇居でも

高い石垣とか、

巨大なお堀で守られている。

 

 

現在、

天皇陛下・皇后陛下が

お住まいになる皇居は

昔、江戸城であったため

上記の通りだ。

 

 

しかし、

京都御所には守りがない。

 

 

その理由は

 

仁徳天皇の

「民のかまどの話」にある。

 

 

民のかまどから

煙が立ち上がらないのは、

炊くものがない。

 

それは夕飯の支度が

できないほど、

民は貧しいのか。

 

それなら、

税を取るのをやめよう。

 

 

税が課せられなくなった

民のかまどからは

夕飯の煙が上がりだした。

 

 

その後も、

仁徳天皇は

民の生活が豊かになるまで、

税を課さなかった。

 

御自らお食事も倹約され

衣類もボロボロになり、

さらに、

宮殿の屋根からは

雨漏りがする。

 

だが、

民の幸せを優先なさいました。

 

 

さすがに皇后陛下が

そろそろ税を課されては

いかがでしょうか。

 

「いや違う、民の幸せこそが朕の幸せである」

 

朕 (ちん) とは

天皇陛下の自称、第一人称。

 

 

やがて裕福になった民が

自らの意思ですすんで

宮殿の屋根の改修工事をした。

 

 

つまり、

京都御所は

守る必要がないのだ。

 

それに対し、

西洋の王や中国の皇帝は

私利私欲で民を支配する。

 

だから、

民から自らを

守らねばならない。

 

 

しかし、

日本の天皇陛下は

守られるのではなくて、

国民を見護ってくださる。

 

だから

誰からも襲われる

心配がない

唯一の方なのだ。

 

 

これが京都御所に

守りがない理由だ。

 

 

つまり、

いにしえの時代から

 

" 人のために生きる "

という

日本人の精神があったのだ。

 

 

京都御所を参観中に、

隣で参観していた人から

こんな会話が聞こえてきた。

 

「朕は寒かっただろうね」

 

「そうだね」

 

「今みたいに床暖房なんてない時代だものね」

 

 

今も昔も天皇陛下は

決して、

私利私欲のための

贅沢はなさらない。

 

 

ご自身のことも

ご家族のことも

祈られない。

 

ただただ

国民の幸せだけを

祈ってくださる。

 

それは

「人のために生きる」

という生き方である

日本の理念を

祈りを通じて、

全ての国民にお示しになる

ご存在なのだ。

 

 

神武天皇から2600年以上、

126代続いている

日本の国体。

 

それは世界で唯一、

日本だけなのだ。

 

 

" 世のため、人ために生きる "

 

それは

我々、日本人には

古来より受け継がれてきた

 

その日本固有の理念は

日本人の精神であり文化でも

あるのではなかろうか。

 

 

前のエントリーにも

記した通り、

 

世界中、何でもありの世の中だ。

 

自分と家族のためだけに生きる。

 

それは人として

必要最低限の生き方ではある。

 

しかし、

皆がそうであるとしたら、

それは醜い争いを生む

自分勝手な

社会になるのではないか。

 

自分と家族のためだけに

一所懸命働く。

 

それは一見、ごく普通で

当たり前のことと

捉えられるかもしれない。

 

しかし、

本来、仕事というものは

職種に限らず、

全て世のため、人のために

あるものだ。

 

この給料では

家族を養えないから、

人を蹴落としてでも

人を落としいれてでも、

人に迷惑をかけてでも、

人を裏切ってでも

 

金のためならやる。

 

自分の生活と

家族を養うためだ。

 

 " そのためなら仕方ないじゃないか "

 

 

人のため、地域のため、

社会のため、世の中のため、

 

そのようなことに生きる

志など毛頭ないという人が

あまりにも多すぎるように思う。

 

そんな人ほど

深刻な悩みを抱えているものだ。

 

この先、自分と家族に

良き人生、良い生活が

訪れるとでも思っているのか?

 

 

人が世界が

どれほど汚れ、壊れても

 

私達はそこに棲まねばならない。

 

その地で誰かが

人のため、社会のために

生きていかねば、

日本はいずれ滅びゆく。

 

今の子どもたち、

さらにまだ見ぬ子どもたちが

棲むこの世界が、

 

これ以上、

壊れないように

汚れないように

 

日本が滅んでいく前に

ちょっとは

真剣に考えなくては

なりませぬ!

 

古代より連綿と続く

" 人のために生きる " という

精神文化を持ち続け、

 

それが潜在意識の奥深く、

無意識の領域にまで

浸透している

人でなければ務まらない。

 

 

他人がどうであれ、

もうそんなことは

どうでも良い。

 

 

少なくとも、

私は合氣道という武道で

" 世のため "

" 地域のため "

" 人のため "

 

その精神を持ち続け、

天地大自然と共に生きる。

 

 

" 万有愛護 " 

それは天地大自然に存在する

森羅万象全てのもの。

そのものの特性をよく見、

よく理解すること。

 

" 万物育成 " とは、

あらゆるものには

長所と短所がある。

その長所をプラスになるよう

自ら率先して導くこと。

 

それが天地大自然の心である。

その天地の心こそが

我心であるのだ。

 

 

天地大自然に

恥ずかしくない

生き方をすること、

 

それが今を生かされている

自分の責務であるのだ。

 

 

それを淡々とやり続けよう。

 

たとえ、ほふく前進でも

前に進めよう。

 

 

誰もやらなくても

自分だけは

氣を出してやり続けよう。

 

 " 私は日本男子だ "

 

草木が色づきはじめた

京都御所で深く自覚した。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝