" 許す、そして忍耐 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『ゆるす、そして にんたい』
人間は誰でも
完璧、完全ではない。
近い未来には、
AI 人工知能が学習し
完璧、完全なロボットが
できるかもしれない。
しかし、我々
生身の人間は
完全ではない。
完全ではないからこそ、
何事にも学ぶという
ことが大事なのだ。
これまでの
自分を振り返っても
恥ずかしいことは
たくさんある。
自分なら
こうするだろう。
しかし、
人は自分の考えとは
違ったことをするものだ。
人は色々。
人生も色々。
意見や考えも
人それぞれ。
裏切りも世の常。
そんなことくらいで
いちいち
心を曇らせては
なりませぬ。
私達は皆、
天地大自然の一部です。
その中で生きるには
天地大自然の法則に
則った生き方をすれば良い。
それが自然体ということだ。
楽しく、
おおらかに、
強く、
生きようと思えば
自然体で生きることだ。
自然体だから
自然とそういう
生き方になる。
違う生き方をしたければ
そうすれば良いだけ。
こんな簡単な生き方はない。
それはそうだろ。
天地大自然に則った
生き方をするだけ
なのだから。
世の中は簡単なことだらけだ。
それを難しく、
生きにくくするのは
周りでもなければ
他人でもない。
自分の心のあり様だ。
全ては心のあり方。
昨日の神戸での
勉強会ではこの様なことを
師匠の実体験を通して
学ばせていただきました。
人というのは矛盾だらけ。
「因果報応」などと
口では言いながら、
全く真逆のことを
するのだから。
呆れる。
しかし、
その矛盾も裏切りも
にっこりと笑って
許されたら、
相手はうれしい。
感謝がわく。
これは
甘えすぎかもしれない。
決して賢明なことでは
ないだろう。
しかし、
人間として仕方がない。
自分自身も
完璧な人間では
ないのだから。
「許す」
秋風のような
爽やかな心で人に接する。
そして、
自分自身を正すことは
いくら厳しくても良い。
そう教えられました。
東京から神戸の
勉強会にいつも
参加する
熱心な日本女子、
K先生は私のお弟子さんだ。
勉強会を終えた昨夜は
とんかつを食べながら、
色々話しをした。
私の弟子であり、
30人近くの
お弟子さんを持つ。
立場は同じ。
「許す」と「忍耐」だね。
軽く一杯ビールを飲み、
新幹線で東京へと帰る
K先生を新神戸駅で見送った。
その見送る
後ろ姿に「戦友」を感じた。
僭越ではあるが、
彼女の成長が
何より嬉しかった。
30人近くも弟子を
指導していたら、
そりゃ心も強くもなるわな。
ともに同じ道を歩む戦友だ。
心の強さとは
「許す」と「忍耐」なんだね。
そう何度も呟きながら
にっこり笑って
東京へと帰っていった。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
さらに推敲しました。" 何もかも自分が引き寄せる "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『なに も かも じぶん が ひきよせる』
人生で起こる
様々な出来事は、
自らの心が引き寄せたもの。
いかなる
災難も病も怪我も
それらを引き寄せる
心があるから起こってくる。
自分の心が呼ばないものは、
何ひとつ
近づいてくることはない。
人から嫌な
思いをさせられた、
人に嫌なことを言われた。
それらも全て
そのようなことを
言われたり、
見せられたりする
何かしらの
理由があるから
目の前に表れてくるのだ。
その相手を責める前に
自らを省みて
反省することです。
そして、
それを見せてくれた、
言ってくれた
相手に感謝することです。
その相手を裁こうとする、
その様な権利は
あなたの領域ではない。
それは天地大自然が
裁いてくれる。
天地大自然にお任せする。
天地大自然の裁きに
あなたが加勢するほど
天地大自然は愚かではない。
過去に自らが
蒔いた種が
必ず、それ同等の
縁を結ぶのだ。
過去に自分が
蒔いた種通りの出来事が、
何れスクリーンに
映し出される。
それが
この世を動かしている
天地大自然の
絶対法則であり、
あらゆることに
例外なく働く真理だ。
どんな種を蒔き、
どんな思いを持ち、
どんな姿勢で生きるのか。
それこそが、
自分の人生を決める
もっとも重要なことだ。
それは
机上の空論でもなければ、
単なる精神論や人生訓
でも全くない。
現実に
思い知らされる
時が、必ずくる。
まずは、
自分の思いと、
心のあり方と、
生活習慣や考え方を
変え、改めることだ。
そうすれば、
自分を取り巻く状況は
一変するのだ。
天命は変えられないが、
運命はいかほどにも
変えることができるものだ。
目の前に起こってくる
あらゆる出来事も
目の前に表れる
氣に入らない事柄も
全て自らの心が
呼び寄せたもの。
これが
天地大自然の人生を貫く
「目に見えない真理」なのだ。
これを理解しなければ
何も解決はしない。
何でも人や環境のせいにする。
自分の病も〇〇さんのせい。
悲しくなるのも〇〇さんのせい。
時間に遅れたのは電車の遅延のせい。
そんな
わがまま極まりない人は
周りにいてほしくない人だ。
そんな人とは
お付き合いしたくない。
関わるべき人ではない。
そんな人には
これからも災難、病が
自身の身に降りかかり
続けることになる。
それを猛省し、
改善するまで、
悪夢、災難、病氣、怪我は
寄り添って離れてくれない。
原因は何かと見極め、
詫びる、反省するまで
子ども、孫にまで
災難は降りかかる。
嘘じゃない。
本当のことだ。
私の周りの人が
その通りになっていくのを
数多く見てきた。
残念ながら、
今現在もその災いの
渦中にある人がいる。
誰も助けてはくれない。
天地大自然も決して
応援や援助もしてくれない。
環境を恨み、
人を恨み、
死んでいく前に
自分自身が
氣付き、改めなければ
状況は悪くなる一方だ。
自分が変わる以外に
将来の見通しが
良くなる方法はない。
蒔いた種通りの裁きは
必ず、受けなくてはならない。
この真理には
誰も抗えないので
ありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" リーダーに必要なのは創造力だ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『リーダー に ひつよう なのは そうぞうりょく だ』
何かを指導する立場の人、
人にものを教える立場の人、
組織、集団の先頭に立って
人を導く人。
指導者に必要なのは
創造力なのだ。
型にはめられたことしか、
できないようではいけない。
盤石で揺るぎない
土台の上に
あるべきものが、
創造性なのだ。
創造力がない人、
発想力がない人の特徴は
失敗を恐れ、
物事を組み合わせる
発想がなく、
固定観念に囚われて、
時代の変化に鈍感であり、
物事を主観だけで判断する。
古い脆弱性のある
OS ( 考え ) を
アップデートできない人だ。
僭越ではありますが、
それを合氣道師範という
私の立場で申しますと、
型にはめられた
技の稽古ばかりしていると
ちょっとした変化に
反応できなくなるのだ。
もちろん、
合氣道の道場における
稽古は型稽古であるから、
その基本技を
正しく何度も反復練習する。
その上で、
もし相手が間違った方法で
技をかけようとしたら、
どうするのか。
その相手に
「それは間違っています」と
相手を正そうとする。
それはとても大切で
正しいことだと思う。
しかし、
それは道場でしか
通用しないことだ。
本来、
相手がどうしようが
相手の自由であるはずだ。
その自由を奪っておいて、
「相手の氣を尊重」
とはならないのではないか。
昨日、10月23日(水)の
キャナルタウン合氣道教室
大人一般クラスにおいて、
有段者にはそれを指導した。
例えば、
合氣道の基本技の中で
四方投げという技がある。
合氣道琴心館寺崎道場の
関節技は全て逆関節は
用いない。
順関節になるよう
相手を投げる。
でももしも、
受け( 投げられる人 ) の
腕が伸びてしまい
逆関節になった場合に
通常の後ろ受け身ではなく、
前受身をとることで
危険を回避できるのだ。
それは危機管理能力だ。
危険、危機というものは、
瞬間的に起こるものである。
従って、
そういうことも
やっておかないと、
瞬時には対応出来ない。
もちろん、初心者は
基本の順関節を練習する。
その基本の上にあるもの。
それが創造性だ。
立派な大木は
盤石な根の広がりを持ち、
太い幹から
枝はあらゆる方向に
伸びゆく。
そして、
たくさんの美しい花を
咲かせるのだ。
古くからある
伝統と文化は
大切にして
それを継承し、
それを尊重し、
日々、
真剣にそれと向き合い、
なにより、
お弟子さんの
進歩、向上のためだけを
考えていると、
自然と創造性、創造力は
芽生え、養われていく。
自分の考えというより、
天地大自然がそうさせて
くれるものである。
それが自然ということでは
あるまいか。
そのように
私は思いますけどね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 試される壁 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『ためされる かべ』
道場に入門して
様々なことを学ぶ。
姿勢、
心のあり方、
氣、
心の使い方、
身体の使い方、
技、
呼吸、
生き方。
学びは無限にある。
ある一定のところまで
進歩したら、
次の難題が用意される。
それを乗り越え、
また次と、
続いていくものだ。
乗り越えても
乗り越えても
次から次に壁が表れる。
しかし、必ず
どの壁も越えられる。
これを私は、
「壁が消えていく」と
表現している。
目の前に
「壁が表れた」ということは、
そこまで努力を続けたから
現れたのだ。
努力も何もしない
怠け者の前には、
壁は表れない。
壁が表れることは
自分が進歩、向上した証だ。
「よくここまで来たね」
「では、これを超えてごらん」
その壁とは
天地大自然が
用意してくださったものだ。
人生も然り、
辛いこと
悲しいこと、
困難や災難に
逢おうとも、
流転して止まない
天地大自然の姿と同様に
前に進まねばならない。
立ち止まってはいけない。
悲しみのどん底にあろうが、
打ちのめされようが、
天地大自然は止まらない。
立ち止まって
寄り添ってはくれないのだ。
倦まず弛まず、
努力を続ける。
そうすれば、
やがて
壁の方から
消えてなくなって
くれるものだ。
その時、
胆力が養われ
人として
一回りも二回りも
大きくなれるので
ありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" やるべきをやる、あとは任せる "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『やるべき を やる、あと は まかせる』
蒔いた種通りの
植物しか芽吹かない。
当たり前のことだ。
銀杏の種を蒔いても
桜にはならない。
ここに天地大自然の
絶対的な法則があるのだ。
人間が為すべきこと。
そして、
天地大自然が為すこと。
その植物が育ちやすい
場所に土壌を作り、
種を蒔き
肥料を与え、
水をやる。
雑草を抜く。
人間がすることは
ここまでである。
それから先は
天地大自然が与えて
くれるものである。
土から柔らかい芽が出て、
根を張り、
幹が伸びて
枝が分かれ、
葉が付き
蕾が膨らみ、
花が咲く。
見事な黄色に色付いた
銀杏も、
綺麗な桜の花も
人間が色を付けた
ものではない。
蒔かれた種通りに
天地大自然が
恵み施したものだ。
私達人間も
これと全く同様だ。
やるべきことをやる。
その先は
天地大自然に任せる。
どんな困難や災難も
慌てず、
臍下の一点に心を静め、
今できる最善の策を
全知全能をしぼり、
やるべきをやる。
とことんやる。
寝る時間が
短くなろうが、
食事をとる
時間が無くなっても、
今やるべきことをやる。
その先は我々人間の
領域ではない。
「なるようになる」
「ならないようにはならない」
やるだけやれば
天地大自然が
裁き、施してくれる。
蒔いた種通りに、
結果が表れる。
それを
楽しみながら、
見てみよう。
その結果、
表れたものが
氣に入らなければ、
反省し、改善する。
世の中は
単純で簡単だ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝