" 人為のものは定期的な点検修理が欠かせない。人の心は一日怠れば廃れる "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『じんいのものはていきてきなてんけんしゅうりがかかせない。ひとのこころはいちにちおこたればすたれる』
元々
この天地大自然にあるものに
人為的に手を加えたもの、
我々の生活が
より便利になるように、
また自然災害の脅威から
身を守るために作られた
人為的なものは
作られた瞬間から
壊れるカウントダウンが始まる。
これが自然の法則であります。
橋はやがて朽ちる。
堤防はやがて崩れる。
穴を掘れば埋まる。
田畑には雑草が繁茂する。
従って、
人為のものには
定期的な
点検とメンテナンスが欠かせない。
時には数カ月間にわたり
交通を遮断しての
大工事も必要になる。
それ以上に
人の心は
一日放っておいたら廃れてしまう。
「心を入れ替えて世のため人のために生きていこう」
立派な志を立てたとて、
実践しなければ無いのと同じだ。
「今日は体調も思わしくないから、また明日やれば良いか」
などと考えた時には、
もうすでに
その人の心は廃れている。
妥協と怠慢という悪魔は
常に自分の側にいるから要注意だ。
一日一日
点滴穿石(てんてきせんせき)で
あらねばなるまい。
就寝時の一日の反省と感謝、
起床は希望に満ち溢れ
「今日も一日絞り尽くす」ことを
肝に銘じて実践する。
私の生涯一途に
世のため人のためだけにあり、
国益と地球環境に
微力でも勤め、
堤は頑丈に、
橋は強固に、
田畑は豊かに、
道が整い
人々が安穩に暮らせる。
その願いだけを
日々の勤めとして
怠らぬことが、
我が身
我が心でありたい。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 大自然における大調和 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『だいしぜんにおけるだいちょうわ』
地球は
太陽の周りを一日に一回、
自転しながら回っている。
新幹線や飛行機に
乗っている時に
高速で移動していることを
感じないのと同様に
動いていることを
全く感じない。
車道もレールもないのに
同じ場所を走り続ける。
遠心力と引力。
この相反する
対立による大調和の
お陰です。
速度もほとんど変わらず、
日の出と日の入り、
四季、
暦通りに営まれます。
私達人間は
天地大自然の一部ですから
日常も
明と暗、
陰と陽、
右と左、
上と下、
男と女、
自分と他人。
この相反する
対立の調和の中で
生活しています。
上に飛ぼうと思ったら、
まず下に全力で下がり
力を集中しなければ
大きく上に飛べない。
天地大自然の大調和が
それを許しては
くれないからです。
勢いよく
下に下がろうと思ったら、
一旦、上にあがらなければ
下には下がれない。
野球で
投手が勢いのある
ボールを投げるには、
腕を大きく
後ろに回さねば投げれない。
枝葉に
花を咲かせようと思ったら、
まず根を張らなければ
許してもらえない。
樹齢何百年の
大木になるには、
よりしっかりとした根が
大地に拡がらなければ、
天地大自然は
それを許してはくれない。
この相反する
対立からなる
調和。
今も昔も
この厳然たる
天地大自然の秩序の中で
私達は暮らしています。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 小にして学べば壮にして為すなり。壮にして学べば老いて衰えず。老にして学べば死して朽ちず "
今朝も目覚めることが出来た。
ありがとう。
『しょうにしてまなべばそうにしてなすなり。
そうにしてまなべばおいておとろえず。
ろうにしてまなべばししてくちず』
若くして学べば
壮年で役に立ち、
何かを成し遂げるための力を
大いに発揮できる。
壮年から学べば
年老いても
心は若く強く
全く衰えを見ない。
年老いて学べば
死んだあとでも
廃れることなく残り続ける。
学びとは
いつから学んでも
年齢とは関係なく、
学べば学ぶほど、
その成果は
必ず出てくるものです。
人間の一生は
学ぶことにあるのだと思います。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" まず準備。頭を空っぽにして心の窓を開けよう "
今朝も目覚めることが出来た。
ありがとう。
『まずじゅんび。あたまをからっぽにしてこころのまどをあけよう』
映画を観る時、
その映画の内容にもよるが、
ノンフィクションや
ドキュメンタリー映画は
頭を空にしなければ楽しめない。
その映画監督の視点や考え方で
内容の感じ方は大きく異なる。
自分の偏見や知識で
頭一杯になっていては、
折角の映画も楽しめなくなる。
お金を払って、
限りある大切な時間を使って
映画館に足を運ぶのであるから、
楽しまなくてはもったいない。
自分の考えとは違っていても
「そういう見方もあるのか」
それで良い。
本を読む時も同様です。
その著者の世界に
一度はどっぷりと浸かってみる。
意見の違いや考えの違いはあるにせよ、
一つぐらいは必ず学べるところがある。
同じ読むなら
一つ位は賢くなろう。
人の話しを聞く時も同じです。
頭を空っぽにするから、
その人の話も入ってくる。
器の水が
元々溢れるくらい入っていたら、
いくら水を足しても
溢れるばかりで入ってこない。
まずは心を開いて、
全てを受け入れることから
始めなければなりません。
そして
空っぽの頭が一杯になったら、
いらないものを捨てる。
自分にとって
必要な学ぶべきことは、
しっかり頭に入れて、
出逢えたご縁に感謝し
取捨選択をすることが
重要でありまする。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 皮肉な巡りあわせ "
今朝も目覚めることが出来た。
ありがとう。
「ひにくなめぐりあわせ」
人は力めば力むほど
何故か自分の思いとは
逆の方向に向かってしまう。
私達の身体も
力むほど動きが悪くなり、
何処かが故障する。
頑張れば頑張るほどに
効果は得られない。
予想していたこととは
異なる結果になる。
まさしく皮肉なことである。
常に
「リラックスすること」
これを日々の合氣道の稽古に
おいても指導している。
稽古生は皆、
道場のみならず日常においても
実践出来るように、
このリラックスの仕方を学んでいる。
学んでいるにも関わらず、
実践出来ていない人が
よく怪我をする。
風邪をひく。
どこが痛い。
ここが痛い。
数日稽古を休む。
やがて身体が回復して
稽古に来るが、
休んだ分を取り返すかのように
必死のパッチで頑張る。
頑張るから動きが鈍く重い。
頑張るから、
また身体が故障する。
この様な悪循環を繰り返す人には
心から氣の毒に思うね。
いつになったら氣付くのだろう。
その氣付きのヒントは
今日もあなたの日常にあるはずですよ。
人間はリラックスしているのが、
自然な状態ですから
あなたにも必ず出来ますよ。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました😊
道場長 拝