2024-08-08 07:14:00

" 自分だけは見ることができない "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『じぶん だけは みる ことが できない』

 

 

 

 

 

東京スカイツリーの

 

天望デッキと天望回廊に

 

登ってみた。

 

 

 

天望デッキは350mだ。

 

天望回廊は450mと非常に高い。

 

 

 

登ってみた感想は

 

あまりに高すぎて

 

今ひとつ感動がなかった。

 

 

 

東京タワーは

 

何度も登っているが、

 

私は東京タワーからの

 

絶景のほうが好きだ。

 

 

 

しかし

 

「なるほどな」と思った。

 

 

 

今回の東京出張

 

前半では

 

隅田川沿いに

 

宿泊していたので、

 

毎日陸から

 

スカイツリーを眺めていた。

 

 

 

あまりの高さに、

 

宿泊先周辺では

 

自然と目に入ってくるのだ。

 

 

 

 

 

毎朝の

 

隅田川テラス沿いを

 

ウォーキングしながら

 

呼吸法をしても、

 

 

 

移動のために

 

最寄り駅に

 

向かう途中も、

 

 

 

浅草まで

 

ディナーを

 

食べに行くときも、

 

 

 

宿泊先の大浴場では

 

露天風呂から

 

毎日

 

スカイツリーを

 

眺めることも出来たのだ。

 

 

 

大浴場には

 

スマホは

 

持って入れないため、

 

写真は撮れなかったが、

 

それはそれは絶景だった。

 

 

 

温泉に浸かりながら

 

スカイツリーを

 

眺める事が出来るという、

 

とても贅沢な時間を

 

過ごさせてもらった。

 

 

 

 

 

私はどうやら、

 

いつ頃からか

 

タワー好きに

 

なっているようなのだ。

 

 

 

スカイツリーも、

 

東京タワーも、

 

京都タワーも、

 

神戸のポートタワーも

 

何時間でも

 

眺めていられる。

 

 

 

昼や夜や

 

場所が変われば、

 

また違った見え方になる。

 

 

 

 

 

話を元に戻そう。

 

 

 

スカイツリーに登ってみて

 

「なるほどな」と

 

思ったことというのは、

 

 

 

空からは

 

こういうふうに

 

見えるんだな、

 

ということだ。

 

 

 

宿泊先のホテルも

 

はっきり見えたし、

 

 

 

呼吸法をしながら

 

歩いていた

 

隅田川テラスも、

 

屋形船も、

 

両国国技館も、

 

六本木ヒルズも、

 

 

 

空から見たら

 

こういうふうに

 

見えるんだ。

 

 

 

 

 

私達人間も

 

同じなんだ。

 

 

 

人間の目というのは、

 

なんだって

 

見ることができる。

 

 

 

だけど

 

一つだけ

 

見えないものがある。

 

 

 

それは

 

自分自身の姿なんだ。

 

 

 

どれぼど

 

優秀な人でも

 

自分だけは

 

見たことがない。

 

 

 

見るために

 

鏡がいるのだ。

 

 

 

鏡に映った

 

姿によって

 

自身の顔も体型も

 

分かるのだ。

 

 

 

また

 

自分の足らないところを

 

教えてくれるのだ。

 

 

 

スカイツリーに登って

 

絶景を見る

 

ということは

 

 

 

合氣道の稽古と

 

同様なんだ。

 

 

 

自分より

 

盤石な姿勢をした人は、

 

なかなか

 

投げることが

 

出来ないように。

 

 

 

相手が自分の姿を

 

教えてくれている。

 

 

 

誰でも

 

長所があれば

 

短所もある。

 

 

 

自分の

 

足らないところを

 

人に指摘されるほど

 

耳が痛いことはない。

 

 

 

しかし、

 

これも自分では

 

氣付きにくいものだ。

 

 

 

そういう時こそ

 

「ありがとう」と

 

その人に感謝すべき

 

なのではないかな。

 

 

 

東京スカイツリー

 

天望回廊450mの地上で、

 

ふとそう思った。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-07 08:34:00

" 危機管理 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『ききかんり』

 

 

 

今回の東京出張は

 

台東区蔵前に

 

宿泊しているので

 

都営浅草線と

 

都営大江戸線が

 

最寄り駅だ。

 

 

 

大江戸線に乗り

 

麻布十番に向かった。

 

 

 

麻布十番駅から

 

地上に出るまで

 

何度も

 

エスカレーターを

 

乗り継いで

 

上がることになる。

 

 

 

一年ほど前の

 

安全保障、危機管理の

 

勉強会で学んだことを

 

思い出した。

 

 

 

 

 

東京都は

 

ミサイルの飛来などによって

 

甚大な被害が

 

発生するような

 

万が一の事態に備えて、

 

 

 

麻布十番駅に

 

併設された

 

防災備蓄倉庫を

 

地下シェルターとして

 

整備することが

 

決まっている。

 

 

 

ミサイル等から

 

身を守る時の

 

深度は

 

約四十メートル以上は

 

必要らしい。

 

 

 

唯一、

 

日本で

 

都営大江戸線だけが

 

その条件を

 

満たしているとのことだ。

 

 

 

昨年の

 

東京出張の際に

 

永田町に向かうため、

 

千代田線の

 

国会議事堂前で

 

下車した時も

 

地上に出るのに、

 

相当かかった。

 

 

 

調べてみたら

 

六本木(大江戸線)が

 

42.3mで

 

深度一位。

 

 

 

二位に

 

千代田線の

 

国会議事堂前(溜池山王)

 

37.9mとあった。

 

 

 

円安や夏休みもあって

 

連日どこへ行っても

 

電車内は

 

人でごった返している。

 

 

 

外国人も非常に多く、

 

日本人の私が

 

まるで外国へ行ったような

 

錯覚に陥るほどだ。

 

 

 

平日の朝夕は

 

通勤ラッシュの

 

人々が加わる。

 

 

 

もし、今

 

災害が起こったり、

 

ミサイル着弾などの

 

不測の事態に陥れば、

 

 

 

どうなるのだろか。

 

 

 

とてもじゃないが、

 

その外国人も含む

 

全ての人々が

 

大江戸線に

 

避難することなど

 

不可能だ。

 

 

 

 

 

私の地元である神戸に

 

ミサイル着弾などあれば

 

逃げるところなど

 

皆無に等しい。

 

 

 

神戸の市営地下鉄も

 

かなり深度があるが、

 

大江戸線の

 

それには到底敵わない。

 

 

 

それでも

 

平時からの備えは

 

しておくべきだ。

 

 

 

やれる事は少なくとも、

 

いざという時、

 

有事の際に

 

家族で集まる場所等、

 

決めておかねばいけない。

 

 

 

毎日の通勤、通学や

 

買い物の時に、

 

有事の際に

 

生き延びるためには

 

どうすれば良いのか。

 

 

 

 

 

避難する場所を

 

知っておくべきだと思う。

 

 

 

ミサイルや核には地下。

 

より深くて

 

曲がりくねっている

 

地下が良いのだそうだ。

 

 

 

地震の際の津波は

 

川から離れた、

 

より高い所。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-06 08:03:00

" 腹が減っては戦はできぬ "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『はら が へって は いくさ は できぬ』

 

 

 

昨日、

 

靖國神社に参拝した。

 

わが国の平和と繁栄は

 

246万6千余柱の

 

英霊の尊い

 

いしずえのうえに

 

築かれていることを、

 

 

 

われわれ日本国民は

 

決して忘れてはなりません。

 

 

 

靖國神社内苑にある

 

遊就館には

 

幕末以来、

 

国のために尊い命を捧げ、

 

靖國神社に祀られた

 

御祭神の貴重な遺品、

 

さまざまな戦争に関する

 

史資料、武具甲冑、

 

宝物などを保存、

 

展示されている。

 

 

 

ここに来れば、

 

近代日本の歩みを

 

知ることができる。

 

 

 

その遊就館の

 

今年の特別展は、

 

軍隊と「食」がテーマでした。

 

 

 

遊就館収蔵の

 

御遺品の中から、

 

「食」にまつわる

 

品々を展示、

 

エピソードをそえて

 

紹介されていました。

 

 

 

また

 

例大祭をはじめ

 

様々な祭典にかかせない

 

「神饌」(神様へお供えする食事)や

 

全国から奉納される

 

まごころこもる品々が

 

紹介され

 

 

 

英霊奉慰のために

 

「食」を捧げる

 

重要性について考え、

 

 

 

陸海軍の

 

「兵食」の

 

歴史をひも解き、

 

当時のレシピを

 

再現されていました。

 

 

 

ご本人のものであることが

 

推測される

 

名前の書いた

 

凹みや錆のある水筒や、

 

 

 

硫黄島(いおうとう)で

 

発見された

 

焼け焦げた乾パンなど。

 

 

 

その中で

 

当時の写真と共に

 

こんな言葉が

 

書かれてありました。

 

 

 

それは

 

「戦場で兵士が最後まで持っていたのは武器弾薬ではなく食事に必要な飯ごうの中ぶたとスプーンだった」

 

 

 

それを見た時、

 

私はその場から

 

少しの時間動けなかった。

 

 

 

食料も水もない硫黄島で

 

どうやって

 

戦ったのだろうか。

 

 

 

食べることも

 

飲むこともできない、

 

 

 

いつ死ぬかもしれない

 

極限状態で、

 

戦うことなど

 

できるものなのか。

 

 

 

硫黄島には

 

川がないから、

 

飲水は雨水を貯めた

 

ドラム缶の中の熱湯なのだ。

 

 

 

それも

 

自分や家族のためでもなく、

 

 

 

後世の我々のためだけに

 

命を捧げられた。

 

 

 

その事実の上に

 

今こうして

 

私達は何不自由なく

 

生きているのだ。

 

 

 

 

 

「食べる」

 

ということは

 

 

 

生きていく上で

 

基本中の基本だ。

 

 

 

 

 

思えば、

 

私の母も

 

「コーヒーをがぶ飲みしたい」、

 

「スイカを食べたい」など

 

亡くなる数年前には

 

食べることしか

 

言わなかった。

 

 

 

心臓の手術から

 

誤嚥性肺炎を引き起こし、

 

亡くなる前の5年間は

 

食べたいものも

 

飲みたいものも

 

誤嚥するから許されず、

 

寝たきりだった。

 

 

 

小学校からの友人も

 

ガンで亡くなる前の

 

数年間は

 

食べ物の話しかしなかった。

 

 

 

 

 

日常生活のなかで

 

普通に

 

腹が減り、

 

 

 

腹が減ったら、

 

いつでも

 

好きなものを

 

食べることができる

 

ということが、

 

 

 

どんなに

 

幸せなことなのだろう。

 

 

 

 

 

ついつい、

 

仕事や家事、子育てに

 

追われる日々のなかで、

 

 

 

私たちは

 

大切なことを忘れている。

 

 

 

腹が減ったら

 

食べるということは

 

決して

 

当たり前ではないのだ。

 

 

 

 

 

「腹が減っては戦はできぬ」

 

 

 

人や国や

 

相手と戦うことだけではなく、

 

 

 

腹が減っては

 

生きるという

 

基本の生活すら、

 

ままならない

 

状態になるのだ。

 

 

 

 

 

それを思えば、

 

 

 

私たちの

 

苦労や悲しみなど、

 

 

 

苦労ではなく、

 

悲しみなどではない。

 

 

 

だって

 

腹が減ったら

 

食べれるのだから。

 

 

 

それだけで幸せですよ。

 

 

 

あらためて、

 

食べる、飲める

 

ということに

 

感謝して、

 

 

 

私達は

 

生きてゆかねば

 

なりませぬ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

 

 

2024-08-05 08:10:00

" 袖触り合うも他生の縁 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『そで ふりあう も たしょう の えん』

 

 

 

「袖触り合う」は「袖触れ合う」、

 

「他生」は「多生」と

 

言いあらわし方は

 

色々あるようだ。

 

 

 

「他生」とは、

 

今世から見た

 

過去と未来の

 

生のことを意味する。

 

 

 

一方

 

「多生」は、

 

何度もこの世に

 

生まれ変わることを

 

意味しているらしい。

 

 

 

「袖触り合うも他生の縁」

 

というのは

 

 

 

道を行く時、

 

見知らぬ人と

 

袖が触れ合う

 

程度のことも

 

前世からの

 

因縁によるとの意。

 

 

 

 

 

どんな小さな事、

 

ちょっとした

 

人との交渉も

 

偶然に起こるのではなく、

 

すべて深い宿縁によって

 

起こるのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

そう考えると、

 

 

 

今回の東京出張の

 

初日におても、

 

朝に家を出て

 

JRで新大阪、

 

新幹線で品川、

 

京急、都営浅草線、

 

大混雑のゆりかもめ等、

 

 

 

ゆったりと席に座れても

 

吊り革を持てないほどの

 

混雑した車内でも、

 

 

 

人の目の前で

 

大声で話す外国人家族も、

 

 

 

炎天下の横断歩道で

 

すれ違う人も、

 

 

 

夜は心地良い風が吹く

 

隅田川テラスを

 

散歩している人達も、

 

 

 

宿泊先のホテルの

 

エレベーターで

 

一緒に乗る人も、

 

 

 

全て

 

自分と何らかの

 

ご縁がある人々

 

ということになる。

 

 

 

 

 

それを思うと、

 

好む好まざるは

 

別として、

 

 

 

少しでも笑顔で

 

ご縁のある人達と

 

接したいと思った。

 

 

 

 

 

家族や友人や

 

毎日顔を合わす

 

職場の上司、先輩、

 

後輩、同僚の人達とは

 

もっと縁の深い人

 

ということになる。

 

 

 

私の場合においては

 

合氣道寺崎道場の

 

門人の方々とは

 

相当ご縁が深い

 

ということに

 

なるのですね。

 

 

 

 

 

この世に生きる

 

私達は皆、

 

 

 

出会った人とも

 

出会った物とも、

 

 

 

その全てと、

 

いつかは

 

お別れしなくては

 

ならないときが

 

必ず来ます。

 

 

 

いつ

 

その時が来ても

 

後悔しないように

 

 

 

真心を持って

 

人と接しなくては

 

なりませんね。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-02 04:21:00

" 生き方を学ぶもの "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『いきかた を まなぶ もの』

 

 

 

私は

 

合氣道とは

 

「生き方を学ぶもの」と

 

考えています。

 

 

 

技の向上が

 

人として成長するもの

 

だと確信しています。

 

 

 

合氣道は

 

必ず相手がいます。

 

 

 

もし、

 

その相手が

 

盤石な姿勢をした

 

強者なら

 

そう簡単に

 

投げることはできません。

 

 

 

その強者を

 

投げることができたなら、

 

あなたも

 

その強者と

 

同様の盤石な姿勢を

 

維持した

 

強者という

 

ことになります。

 

 

 

 

 

従って、

 

私はこう思うのです。

 

 

 

合氣道は

 

「人のために稽古する」のです。

 

 

 

その日の稽古で

 

自分と組んだ相手を

 

伸ばしてあげる。

 

 

 

自分の上達ばかり

 

考えて稽古していたら

 

上達しないのです。

 

 

 

自分のことは

 

脇に置いておいて、

 

相手を

 

上達させてあげたら、

 

 

 

勝手に

 

自分も

 

上達するのです。

 

 

 

相手のレベルが

 

上がれば、

 

自分のレベルも

 

上がるのです。

 

 

 

 

 

門人の一人に

 

神奈川県藤沢市出身の

 

元プロサーファーがいます。

 

 

 

彼女が現役時代に

 

いつも言っていた

 

言葉を思い出します。

 

 

 

「藤沢を制する者は日本を制する」

 

 

 

それ位、

 

皆のサーフィンレベルが

 

高いので、

 

その中で生まれ育って、

 

日々練習を積んでいると

 

自然と自分のレベルが

 

上がるのですね。

 

 

 

「それくらい出来て当たり前」の

 

世界なのですね。

 

 

 

また近年、

 

大阪の高校野球の

 

レベルが高いと

 

言われています。

 

 

 

それは

 

大阪桐蔭や履正社など、

 

その二校が

 

甲子園の

 

選抜大会の決勝で

 

顔を合わせるほど

 

全国レベルなんですね。

 

 

 

春も夏も

 

その激戦区大阪大会を

 

勝ち上がることは、

 

想像を絶する

 

レベルなのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

その上、

 

春の甲子園選抜大会に

 

出場するには、

 

近畿二府四県で

 

それぞれ

 

出場枠を勝ち取り、

 

近畿大会で

 

勝ち上がらねばなりません。

 

 

 

そのため

 

自然と

 

近畿の高校野球の

 

レベルが上がるのですね。

 

 

 

それも

 

天地大自然の法則の

 

一つなのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

もちろん、

 

合氣道においては

 

入門して間もない

 

初心者が、

 

 

 

いきなり

 

人のために

 

などと

 

稽古することは

 

できません。

 

 

 

まずは

 

稽古を重ねて、

 

一つひとつ技を

 

覚えていくことです。

 

 

 

誰でも回数こなせば、

 

一つや二つの技は

 

覚えることができます。

 

 

 

頭で考えることなく

 

身体が動くように

 

なってきたら、

 

 

 

相手を上達させることを

 

念頭に置いて

 

稽古しましょう。

 

 

 

 

 

今まで

 

自分のことしか

 

頭になかった人、

 

 

 

自分の身体にしか

 

意識がなかった人を

 

 

 

心の奥深くの

 

領域にまで

 

掘り下げ、

 

 

 

心の重要さを説き、

 

 

 

日常

 

いついかなる時にも

 

 

 

心と身体を

 

同時に使う

 

習慣を養い、

 

 

 

盤石な

 

心身の土台を

 

作り上げる。

 

 

 

 

 

そして、

 

それを

 

世のため、

 

人のために

 

正しく使えるように

 

なるよう導く。

 

 

 

 

 

世の中は

 

病んでいる人、

 

悩んでいる人、

 

悲しんでいる人

 

だらけです。

 

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場の

 

門人一人ひとりが

 

 

 

自分の周囲の

 

人の

 

心に

 

ともしびを

 

灯して

 

あげられるよう、

 

 

 

人として

 

成長しましょう。

 

 

 

 

 

それが

 

合氣道琴心館寺崎道場の

 

稽古の目的の一つで

 

ありますから、

 

 

 

やりがいは

 

大きいですよ。

 

 

 

一回の稽古では、

 

到底

 

達することの

 

できないことですよ。

 

 

 

一生涯これをやる。

 

 

 

行き着くところなんて、

 

多分ないと思う。

 

 

 

だけど

 

やることは、

 

誰でも

 

できるような

 

簡単なことから

 

始めるのですよ。

 

 

 

その積み重ねです。

 

 

 

それしかないのです。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝