2025-01-08 03:29:00

" 礼ではなく拝 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節気 

小寒 (しょうかん) 初候

 

七十二候 

芹乃栄(せりすなわちさかう)

第六十七候。

1月6日から1月9日頃までは小寒の初候にあたり、春の七草のひとつ、芹が成長する時季です。

 

 

 

今日のお題

 

 

『れい では なく はい』

 

 

日本の多くの神社では

基本的な参拝の作法として

行われる、

二礼二拍手一礼。

 

 

神様に敬意を表し、

心を込めて丁寧に行うから、

 

私は

二礼二拍手一礼ではなくて、

「二拝二拍手一拝 」で参拝する。

 

 

" 礼 " とは

約30度~45度の

浅いお辞儀のことだ。

 

一方で、

" 拝 "  とは約90度の

深いお辞儀のことで、

最拝礼を意味する。

 

 

神様に敬意を表し

神を通して、

天地大自然に心から

感謝するから、

 

私の場合は

" 礼 " ではなく、

自然と " 拝 " になる。

 

 

わが家の子ども達が

まだ小さな頃から

近くの神社に

よく一緒に参拝した。

 

小学校に上がる頃には、

「お父さんの礼は、後ろから見たら足しか見えへんで」と言いながら、

 

よく私の「拝」を真似していた。

 

 

 

" 二拍手 " は

両手を胸の高さに合わせて

右指先を少し下にずらして、

二回拍手をしてから

指先を揃える。

 

 

" 二拝二拍手一拝 " は

一連の流れなので、

途中で止めることなく

一氣に行う作法だ。

 

従って、

願い事やお祈りは

" 二拝二拍手一拝 " の後で

心を静めてお祈りするものだ。

 

 

そして、

お祈りをする時は

「厳かな態度」で行うもの。

 

頭を上げたままで

お願いすることは、

神様に対して非常に失礼な行為だ。

 

頭を下げて

お願いをすることが礼儀だ。

 

 

これはとても大切なことだと思う。

 

 

また

お寺では

" 礼拝 (らいはい) "  をする。

 

合掌したまま

上体をゆっくり

約45度の角度で

前へ傾けて礼をし、

静かにはじめの姿勢に

戻してから、

両手をそっとおろす。

 

 

 

中には

作法ばかりに

氣を取られているのだろうか。

 

全くと言っていいほど、

心が通って無い人を

よく見かける。

 

 

その様な人に

御利益などあるはずがない。

 

まさに「本末転倒」だな。

 

 

人間の主体は「心」だ。

 

 

心が身体を動かしているから、

見ればすぐ分かるものだ。

 

 

合氣道の " 礼 " も同じだ。

 

心がこもってない人の礼は

見ればすぐ分かる。

 

何度注意しても

なかなか身に付かない

子どももいる。

 

親は「きちんとしなさい」って

言うんだけどね。

 

こういうことは

口で言うのではなくて、

まず、

親が見本を見せてあげないとね。

 

それも一回や二回じゃ駄目。

 

何百回でも

本当に

子どもが身に付けるまで

してあげないとね。

 

子どもは

親の一挙手一投足を

しっかり見ている。

 

親が礼儀正しい人の

子どもは

必ず、

礼儀正しい

振る舞いが出来る。

 

" 躾 " とは

そういうものだわ。

 

 

 

昔から日本人は

「礼」や「お辞儀」という

文化習慣を大切にしてきた。

 

日本人としての

" 心 "  があるなら、

普通に出来て

当たり前のことでありまする。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2025-01-07 04:09:00

" おみくじは大切に持ち歩く "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節気 

小寒 (しょうかん) 初候

 

七十二候 

芹乃栄(せりすなわちさかう)

第六十七候。

1月6日から1月9日頃までは小寒の初候にあたり、春の七草のひとつ、芹が成長する時季です。

 

 

 

今日のお題

 

 

『おみくじ は たいせつ に もちあるく』

 

 

初詣のおみくじ。

 

 

神社のおみくじで

吉凶に一喜一憂する

若い人をよく見かける。

 

 

そして木の枝などに結ぶ。

 

木の枝などに結ぶことによって、

" 神様と縁を結ぶ " という

意味もあるそうだが…

 

 

私は必ず持ち帰る。

 

 

木は伸びるものなので、

木が可哀想だ。

 

 

おみくじを結ばれるために

木は生きているのではないだろう。

 

 

枝からは芽が出て蕾をつけ、

次に花を咲かせる

準備をしているのだから。

 

 

引いたおみくじは

必ず持ち帰り、

財布に入れて

常に大切に持ち歩いている。

 

 

そして、事ある毎に

何度も読み返し、

自分を戒めることにしている。

 

 

人間は忘れる生き物だ。

 

吉凶に一喜一憂して

木に結んで、

いくら神様と

ご縁で結ばれたとしても、

本人の努力無しに

願いが叶うはずがないのだ。

 

 

 

「おみくじ」というのは、

神様を通して、

天地大自然からのメッセージだ。

 

 

吉凶などに大騒ぎせず、

もっと大切なことを

しっかりと、心静かに

読まなければ、

 

せっかくの天地からの

お告げも

何の意味も無いのでは

あるまいか。

 

 

 

おみくじの

一番最初に書かれている

言葉が最も大事なのだ。

 

 

 

今年の初詣は

" 一年安鯛 " と書かれた

鯛の容器に入った

おみくじを竿で釣るという、

ちょっとユニークな

おみくじを引いてみた。

 

 

 

そのおみくじに

書かれていた言葉は、

 

 

" 吹く風に沖辺の

波の高けれど

心静けき我港かな "

 

 

この和歌が

おみくじで一番大事な

神を通じた

天地大自然からのお告げだ。

 

 

このお告げは

昨年と同じだった。

 

 

2024年1月5日の

このエントリー

宜しければご覧ください。

 

 

この和歌の後に

要約した内容も記載されている。

 

 

" これ迄の幸福があるのは

神の御恵(みめぐみ)と

祖先の守護によるものなので

安心せず

自分も人を慈(いつく)しみ

世の為めに尽せば

いよいよ運盛(うんさかん)に

他所(よそ)は嵐吹きても

自分の所に何事もなく

幸(さいわい)多し "

 

 

今年もこれを怠ることなく

油断せず、安心せず

昨年以上に

世のため、人のために

氣を出して自分の責務を

全うすることだ。

 

 

静寂に包まれた中で

厳かに

それを天地大自然に誓い、

 

「とても貴重なお告げをありがとうございます」

 

心から神様に感謝し、

一拝して初詣を終えました。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

 

2025-01-06 03:59:00

" 神仏には願いではなく感謝すること "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節気 

小寒 (しょうかん) 初候

 

七十二候 

芹乃栄(せりすなわちさかう)

第六十七候。

1月6日から1月9日頃までは小寒の初候にあたり、春の七草のひとつ、芹が成長する時季です。

 

 

 

今日のお題

 

 

『しんぶつ には ねがい では なく かんしゃ する こと』

 

 

あけましておめでとうございます。

 

 

今年も初詣に参拝した。

 

今年の参拝は、

より心が静まり、

心の平穏を感じながら

 

神様に

「ありがとうございます」と

感謝の祈りを捧げた。

 

 

自分にとっての

ご利益とか効果であるとか、

 

そういうことを

期待するだけ。

 

また、

願い事をすることだけが

参拝の目的になっている

人も多々あると思う。

 

 

人の思いは

それぞれだから、

 

それを否定はしないが、

 

まずは

神様に感謝の心をお伝えして、

 

その上で

自身の健康や合格祈願、

良縁や幸せなどを

神様にお祈りするべきでは

なかろうか。

 

 

しかし、

自分の願い事や

利益や効果を期待して

参拝している間は、

 

せっかく神社に参拝しても

心の平穏は訪れないのだ。

 

 

なぜなら、

それだけでは

神様と一体になれないからだ。

 

 

 

もっと言うと、

万物の霊長として生まれた

人間として、

たとえ肉が裂けようが、

骨が砕けようが

" 助けて " とか、

" 参った " とか

決して言わないことだ。

 

何か困ったことがあれば

すぐ「神様助けて」と

言う人がある。

 

" 苦しい時の神頼み " 

というものだろうが、

 

万物の霊長たる人間が、

自分の人生を

生きているにも関わらず、

 

神仏にお願いする

神や仏に頼るというような

 

氣持ちを持っている限り、

そのような人は

絶対に救われることなどない。

 

 

神仏は

願ったり、頼ったり

するものではなく、

尊ぶべきものだ。

 

 

年に一回や二回、

お賽銭をあげて

「助けてください」などと、

そんな虫のいい話など

この世にあるわけがない。

 

 

神社や寺は

みな人間が建てたもの。

 

神や仏が建てたものなど、

一つもないのだ。

 

 

そうであるなら、

 

 

神社や寺に参拝する

ということは、

 

その場所に祀られている

神仏を通して、

天地大自然に感謝するという

ことではないだろうか。

 

 

天地大自然は

お賽銭をあげたから

助けてくれる

というものでは決してない。

 

 

神仏に祈るものが

助かるというものではない。

 

 

そんなことも

分からなかった頃の

私もまた、困ったら神頼みしていた。

 

 

高校生の時、

" 野球の試合に出れますように " 

" ヒットが打てますように "

 

商売をしていた頃、

" 商売が上手くいきますように "

" 儲かりますように "

 

身体の具合が悪い時、

" 良くなりますように "

 

 

何一つ、叶わなかった。

 

 

普段、

自分のことしか考えず、

好き勝手に生活して、

神仏に手も合わせない人が、

 

お正月だからといって、

初詣に参拝して

願い事をして、

 

果たして

神様は聞き入れて

くださるでしょうか。

 

 

それが可能なら

神仏に願い事や頼み事をした人は

皆、願った通りの人生を

歩めるはずである。

 

 

自分事に置き換えてみると

よく分かるはずだ。

 

 

そんなことはありえない。

 

 

 

そうではなくて、

 

自分の思いや願いを

叶えようと思えば、

 

ひたすら

努力を継続すること以外に

何もないのだ。

 

 

「今、私は生かされているだけでありがたい」

 

それだけで

何不自由なく生きているんだ。

 

全てのものを与えられているんだ。

 

 

これ以上、

何が欲しいと言うのか。

 

 

私はそれに氣付いてから、

 

世のため人のために

自分にできることを

一所懸命やる。

 

その貴重な命を

今現在いただいている。

 

その感謝の心を

天地大自然に捧げるために

神仏を通して参拝する。

 

そのご縁を大切に尊ぶ。

 

 

それが

できるようになってきたら、

 

神社や寺の静寂に

心がピタッと一致するようになった。

 

そして心の平穏が訪れるのだ。

 

 

初詣に限らず、

神仏に参拝するということは

そういうことであると、

 

私は常日頃から思っています。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-12-31 07:01:00

" 若き力が光る!合氣道寺崎道場 2024年総括と2025年の展望 "

今朝は素晴らしい

爽快に目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

昨夜12月30日の

「小晦日オンライン呼吸法」に

ご参加いただいた皆様、

 

そして日頃より

合氣道寺崎道場を

ご支援くださる皆様へ。

 

 

旧年中は格別のご厚情を賜り、

誠にありがとうございました。

 

 

 

「小晦日オンライン呼吸法」には

30名の会員の皆様方が

参加されました。

 

私を含め3名の男子以外、

27名が女子です。

 

どういう訳か、

おもしろいもので、

オンライン呼吸法は

圧倒的に女子の参加が

多いですね。

 

 

それはさておき、

 

 

2024年は、

若手道場生の成長が

目覚ましかった年でした。

 

4~5歳から始めた

子どもたちが、

小学6年生になり、

見事な技を

披露するまでに成長し、

大人クラスの雰囲氣も一新。

 

中学生、高校生、

そして将来を担う

若き日本女子の

指導者候補生たちの

熱意と志は、

私の心を打つものが

ありました。

 

 

一方、私自身は、

クリスマス頃から

体調を崩しながらも、

何とか昨夜の

オンライン呼吸法まで休まず、

やるべきことを " 氣 " で

全うできました。

 

 

昨夜12月30日の呼吸法で

2024年の心の垢を

すっかり洗い流し、

 

ぐっすり眠って

心地よい目覚めで起床し、

2024年大晦日の朝を迎えました

 

これが本当の

" 心身のリフレッシュ "

というのでしょう。

 

 

おかげさまで、

氣持ちよく

新年を迎えることができます。

 

 

 

2025年は、

この若き力にさらに磨きをかけ、

 

熟年層の方々には

より円熟した人間味を

引き出し、

 

また新たな人々との

出会いを楽しみにしています。

 

 

 

 さて、

" 2025年はどんな年になるのか "

 

 

それは

「天地大自然のみぞ知る」ことですね。

 

 

良い運命を引き寄せるのも、

悪い運命を引き寄せるのも、

 

自分の考えと行い次第だ。

 

 

さあ、

2025年も

世の中を明るくするため、

一人でも多くの方々の心に

明るい灯火をともせるよう、

 

自らを磨き、

 

良い種をたくさん蒔きましょう。

 

 

 

皆様にとって

2025年が、健康で幸せな

一年となりますよう

心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

西暦2024年 令和6年

皇紀2684年12月31日

 

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 寺崎 秀行 

2024-12-29 15:03:00

" 今年の心の垢をきれいに洗い流しましょう "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節気 

冬至 (とうじ) 次候

 

七十二候 

麋角解(しかのつのおちる)

第六十五候。12月26日から12月30日頃。大型の鹿の角が落ちる時期にあたる。

メスの鹿は角が生えませんが、オスの角は根元からポロッと自然にとれて春にはまた新しい角が生えてきます。

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 『ことし の こころ の あか を きれい に あらい ながし ましょう』

 

 

 

さて、

年の瀬も押し迫り、

合氣道寺崎道場の

会員の皆様方におかれては、

心身ともに慌ただしい日々を

送られていることと思います。

 

 

毎年恒例となりました

「小晦日オンライン呼吸法」を

今年も開催いたします。

 

 

小晦日 ( こつごもり ) とは、

大晦日の前日、

12月30日のことです。

 

 

一年間の出来事を振り返り、

心身を清め、

新たな年を迎えるための

大切な日です。

 

 

 

「小晦日オンライン呼吸法」

 

 

 

この呼吸法の本来の目的は

 

「今年の良かったことも、悪かったことも全て洗い流し、心身共に新たに新年を迎える」

 

ことであります。

 

 

 

今年一年の

良かったことであっても、

 

悪かったことでも

いつまでも心に留めておく。

 

いわゆる " 執着 " が

心身にとって良くないのです。

 

 

何もかも洗い流す、

手放すことが重要です。

 

 

 

吐けるだけ吐いたら、

吸えるだけ吸う。

 

 

一回の呼吸は決して無理に

長くする必要はありません。

 

 

気持ちよく

吐けるだけを吐ききったら、

 

放っておいても

勝手に鼻から

吸えるだけ吸ってくれます。

 

 

身体のどこにも力む事なく、

ご自身のペースで行えます。

 

 

 

呼吸とともに

今年一年の出来事を

きれいさっぱり放しきって

空っぽになれば、

 

身も心も

軽やかに爽快になります。

 

 

 

開催概要

 * 日時: 12月30日(月) 21:00~22:20

 

 * 方法: オンライン会議システムZoomを利用

 

 * 参加費: 無料

 

 * 対象: 少年部会員を含む、全ての会員の方とそのご家族

 

 

参加方法

前日までに、メール、LINE、ショートメッセージ等で寺崎道場までご連絡ください。

 

ZoomのIDとパスワードをお知らせいたします。

 

 * 顔出しは任意です。

 

 * 途中参加、途中退室も可能です。

 

 * ご自宅でリラックスしてご参加ください。

 

 

 

今年も会員の皆様とともに、

素晴らしい一年を

送ることができました。

 

来年も、より一層、

氣を出してまいりましょう。

 

 

皆様にとって、

2025年が素晴らしい年と

なりますよう

心よりお祈り申し上げます。

 

 

道場長 拝