" 満席の煙草が吸える定食屋 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『まんせきのたばこがすえるていしょくや』
日曜の合氣道の稽古が終わって、
少し遅めの昼食をとるのに
フラッとあるお店に入ってみた。
初めて訪れるお店だった。
最近、めっきり外食が減った。
食材が高騰するから、
値段も上がって当然だろう。
節約も大切なこと。
しかし、
岸田政権には
減税などの考えもなさそうだ。
話を元に戻すと、
そのお店に入って
すぐに氣付いたことは匂いだ。
タバコの匂い。
私はタバコは吸わない。
だからタバコの匂いには敏感だ。
一瞬店を出ようかとも思ったが、
それほど氣にはならない
程度だったので、
案内されたテーブルについて
定食を注文した。
「食べることも大切な学び」であり、
フラッと訪れたそのお店にも
何かしらの御縁がある。
この世の中に
偶然というものは何一つない。
全てが必然だ。
だから、
そこに、その場所に、その時間に
何かしらの学びがある。
カウンターの上には
焼酎などのボトルが並んでいた。
メニューも豊富で
夜は居酒屋なのだろう。
最近では
店内で禁煙の店が
ほとんどであるから、
タバコを吸う人にとっては
貴重なお店なのかも知れない。
ほぼ満席の中で
私を除いて皆、喫煙者で
常連の客が多い。
店の外に「タバコ吸えます」と
表示してくれていたら、
入ってなかったのに、
そう思いながらも、
このお店は
タバコを吸えるお店なのだから、
私としては
何ら文句はございませぬ。
真ん中の六人用のテーブルに
二組の親子らしい客がいた。
もう食事は済んでいるようで、
テーブルには
ビールとハイボールらしき
グラスがある。
低学年らしい
小学生が三人と
中学生らしい
女子が一人と
お父さんが二人だ。
このお店は
タバコを吸えるお店なので
例外に漏れず、
この二人のお父さんも
タバコを吸っている。
テーブルの灰皿は山盛りだ。
子ども達はそれぞれ
スマホで動画を観たり、
ゲームをして楽しそうだった。
他人のしていることだ。
他の客やお店に
迷惑をかけなければ
何ら問題はない。
ただ他人事ながら
「それで良いのか」とも思った。
私も若い頃はタバコを吸っていた。
ヘビースモーカーだった。
長女が産まれた時に
永年の喫煙生活を完全にやめた。
タバコは百害あって一利なし
子どもにタバコの煙は
良い訳が無いから
完全にやめた。
「子どもは親の所有物ではない」
天地大自然からの
大切な尊い授かりものだ。
いくら我が子といえども
一人の人間として
尊重しなければならない。
食事を終えて店を出て、
この日、この時に、このお店に
来なければならなかった
御縁とは、
これを見せるための
ものだったのか。
天地大自然が
そのように私を導いたのか。
そういうことなのだろう。
帰り道にふと思った。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 子育ては後世に伝える伝承だ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『こそだてはこうせいにつたえるでんしょうだ』
子どもは親の私有物ではない。
「天地大自然からの尊い授かりもの」であることが
根底になければならない。
我が子であっても
一人の人間として
尊ばねばならない。
その上で
子どもは必ず親の真似をする。
行って聞かせたことより、
親がしてきた通りのことを
するようになる。
叩かれて
育てられた子どもは、
やがて子どもを叩く親になる。
虐待を受けて
育った子どもは
虐待をする親になる。
姿勢が悪い親に
育てられた子どもは
姿勢が悪くなる。
家庭で他人の悪口を言う
親に育てられた子どもは
人の悪口を言う親になる。
全てはコピー。
子どもの潜在意識に
しっかりと刷り込まれる。
まず
親が自分自身を
躾けることから
始めなければいけない。
すでに時遅し
などと思ってはいけない。
今この瞬間から
親が変わる努力をすることです。
子育ては伝承です。
日本の文化、
習慣にあった
子育てが基本です。
我が子といえども
一人の人間ですから、
悪いこと、
良くないことも
伝承してしまいます。
やがてそれが
日本の伝統文化、伝統芸能、
先人が大切にしてきた
文化や風習の衰退、喪失、
国益は損なわれ、
他国の属国になり、
日本という国が
無くなるという危機意識を
私達一人ひとりが
持つべきではないだろうか。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 簡単なことを分かろうとすれば、生きることは楽しい "
今朝も目覚めることが出来た。
ありがとう。
『かんたんなことをわかろうとすれば、いきることはたのしい』
天地大自然は
刻一刻と変化してやまぬ。
時は巡り巡って
一瞬たりとも止まらず、
あらゆる物事は
常に変化し続ける。
そして
森羅万象も刻一刻と
変化し続けるが、
ここには常に
一定の変わらない法則がある。
一日は朝、昼、夜で、
一年は春、夏、秋、冬と
順序が変わることなく
巡り不変である。
その天地大自然の法則通り、
私達も考えることが出来たなら、
世の中のことは
とてもシンプルで
分かりやすく
簡単なことである。
何が起こったとしても
所詮、
天地大自然の中で
起こったこと。
生きるとは
非常にシンプルで
単純なことなのだから、
どうせなら
楽しく
天地大自然に
身を委ねて
生きようと私は思う。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 名文句は暗唱して潜在意識に入れよう "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『めいもんくはあんしょうしてせんざいいしきにいれよう』
本を読むことは
人の成長に欠かせない。
デジタル化が進む今、
電子書籍でも構わない。
とにかく良い書に
出逢うことです。
そして、
そこに記されてある
「名文句」を
暗記、暗唱して
潜在意識に入れてしまう。
深く潜在意識に入れば、
そのような言動を
とるようになります。
その方向に
人格が形作られていくように
感じます。
還暦を過ぎて
特にそれを
実感するようになりました。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 「なぜ」より「それで良し」 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
「なぜ」より「それでよし」
人は「なぜ、なんで、どうして」
と言ったり
問いかけたりした時は、
実はその状態や現象に
不満を抱き
否定しているのだそうです。
言われてみれば
その通りかもしれませんね。
「なぜこんなにしんどいの」
それは
「しんどいことが氣に入らない」
「なぜこんなに足腰が痛いの」
それは
「足腰が痛いことが氣に入らない」
「なぜ夫はゴルフにばかり行くの」
それは
「夫がゴルフに行くことが氣に入らない」
私達は皆、
この天地大自然の中で
生かされています。
そこに偶然は無く。
たまたまも無く。
意味のないことは
何一つありません。
全ては必然であり、
起こるべくして
起こったこと。
そこには
必ず意味があります。
そうなる理由が
必ずあります。
目の前の出来事が
氣に入らなければ
自分の生活習慣や
生き方や考え方を
変えるよう努力しましょう。
肩の力を抜いて
呼吸法でもして
正しくリラックスする。
そして心が静まったら
「それで良し」
全てを受け入れて
「それで良し」
氣に入らない対象に、
何か一つでもいいから
「良いこと」を見つけよう。
その「良いこと」に
『ありがとう』と言ってみよう。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
道場長 拝