" 一流初級の登竜門 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう
『いちりゅう しょきゅう の とうりゅうもん』
連日の猛暑日だが、
つい先日は
風が少し強く
吹いていた。
目の前の木は
大きく枝葉が
揺れていた。
台風や強風で
枝が折れることも
よくあることだ。
なるほど
と思った。
風にあおられて
枝葉は騒いでいるが、
幹はびくとも
していない。
たとえ
枝葉は折れても
幹さえ
しっかりしていれば、
また生えてくる。
幹が
倒れてしまっては、
その木は
生き返ることもないのだ。
人間も全く同じだ。
手足を動かしても、
身体の本体である
土台さえ
盤石なら、
身体はブレない。
2024年
パリオリンピックが
開催されているが、
種目に限らず、
そこに出場する選手は
激しい動きの中でも
本体はブレない。
合氣道で
相手を投げるときは、
まず
自分の姿勢を確かめる。
自分の姿勢が
盤石でなければ、
相手を投げることは
出来ない。
何を見ても、
聞いても、
読んでも、
触っても、
飲んでも、
食べても、
呼吸をしても
自分の
生き方や仕事に
結び付く。
これが
一流初級の登竜門だ。
とんかつ食べても、
寄席に行っても、
映画を観ても、
染め物しても、
散歩していても、
ありとあらゆる
ところに
生き方や
仕事に活かす
ヒントがある。
今以上に
良くなりたい、
人として成長したい、
常に向上する
心持ちがあれば、
自然に見えてくるもの。
真剣になれば、
身近にいくらでも
先生はいるのです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 快眠 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『かいみん』
一日の始まりは
朝目覚めたとき
からではない。
就寝時から始まるのだ。
一日、
一生懸命働けば
身体にアカもたまるから、
お風呂に入って
身体を洗う。
一日、
一生懸命働けば
身体だけでなく
心も汚れるから、
寝る前に
呼吸法をして
心もきれいに洗う。
翌日の
快い目覚めに
備えるのだ。
心配事や悲しい事、
腹が立つ事があれば
眠れない。
それを
考えている間は
眠れないのだ。
それに
囚われている間は
眠れない。
自分で自分を
眠れなくしていることに
氣付かねばいけない。
私も
若い頃は
夜眠れない日が
多くあった。
色んなことを
布団に入って
考えるから
眠れない。
ただ
若い頃は
体力もあるので、
少々眠れなくても
どうってことなかったが、
四十、五十を超えると
身体にこたえてくる。
私の場合は
五十歳で
合氣道を習い始め、
瞬時に
心を切り替えることを
学び、
日々いかなる時にも
これを実践した。
それが
身に付いてからは
布団に入ったら
呼吸法をしながら
寝てしまっている。
五分もあれば
眠ることができる。
布団には
寝るために入るのだ。
考え事をするために
布団に入るのではない。
「寝るなら寝なさいよ」
ということだ。
それと
眠る時に
大事なことは、
何もかも
手放すことだ。
何もかも
空にする。
自分の
知恵も
はからいも
完全に
空けてしまったら、
天地大自然が
抱きかかえてくれるのだ。
天地大自然に
完全に身を委ねたら、
心地よい快眠が
できる資格を
天地大自然から
与えられたことになる。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 感恩戴徳 かんおんたいとく "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『かんおんたいとく』
「人として一流をめざすための道場長の今日の一言」
この執筆を
月曜日から金曜日まで
毎朝続けている。
先日の7月24日に
「今日で1年ですね。ありがとうございます。」
お弟子さんからの
LINEだった。
おっ!
もう1年にもなるのか。
2023年7月24日
八月指導者錬成月間
今日の一言
指導者たるもの "誰よりも稽古せよ"
から始まりました。
昨年、
令和5年の夏に
指導者を目指す
3名のお弟子さんと
既に立派な指導者として、
後進を指導する
2名を対象とした
指導者錬成集中稽古を
約3週間行った。
「道場長の今日の一言」
この執筆の
きっかけになったのが、
昨年の8月に
1ヶ月間だけ
この指導者達に向けて、
叱咤激励の意味も込めて
始めたことであります。
その指導者錬成
集中稽古も
終わりに近づいた
お盆明けに
新人指導者の一人から
「先生、これからも続けていただけませんか」と懇願された。
私自身、
1ヶ月間限定として
始めたことであり、
それが毎日となると…
果たしてやれるかな。と
正直思いましたが、
東北出身で
東日本大震災にも被災し、
被災した自分達のために、
無償で救助活動をしてくれた
ボランティアの姿に
心を打たれた。
他人事に
ここまでしてくれる
人もいる。
そう思うと
自分が恥ずかしく
なったそうだ。
縁あって
合氣道を始めることになり、
「人のために役立ちたい」
その志を持った、
その日本女子の
頼みであるなら
引き受ける以外に
選択肢はない。
今度は
私が勇氣をもらったのだ。
よし、やってみよう!
ただ、
どうせやるなら
もっと広い範囲、
合氣道をしていない人、
見ず知らずの人たちにも
向けて発信しよう。
それなら
合氣道の指導者向けでは
いけない。
そこから始まった
執筆が、
現在の
「人として一流をめざすための道場長の今日の一言」なのです。
最初の頃は
執筆のネタもあるので、
それほど苦労は
しなかったが、
毎日となると、
なかなか
これが手強い相手と
なるのだ。
「書こう、書かなければいけない」
そう思うと行き詰まって
しまったことも
多々あった。
それでも、
やると決めたからには
やらねばいけない。
これを続けるには
「思ったこと」
最近は
朝4時前に起床して
その時に
「頭に浮かんだこと」
それを書く。
それなら
全然苦にならないし、
スラスラと
自然に言葉が出てくるから
不思議だ。
とても
僭越過ぎて
申し訳ない
心持ちであるが、
もしかしたら
天地大自然が
お力を貸して
くださっているのか?
とさえ思えることも
正直あるのだ。
また、
毎日の執筆は
私自身の
戒めにもなる。
書いている本人が
誰も見ていないところで
真逆のことは出来ない。
必ず
天地大自然は
観ているのだ。
まだまだ
未熟者で
修行中の身であり、
このような
誤字脱字の多い、
拙い文章しか
書けない
私に、大勢の方々から
激励をいただけることは
本当にありがたい
ことであります。
「道場長ブログ ぼくらの合氣道は私が誰よりも読んでいる」と
言ってくださる
お弟子さんや、
「あの文章良かった」、
「毎朝、楽しみにしています」と
言ってくださる方や、
インスタグラムの
ストーリーや
アメブロに
"いいね" をくださる方々。
まだ
お会いしたこともない
方々からの
激励やお礼のメッセージなども
たくさんいただいています。
本当にありがたいことです。
たくさんの方々の
お氣持ちが支えになり、
続けていくことが
できています。
感恩戴徳の
思いでございます。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 円はぶつからない "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『えん は ぶつから ない』
今年も
夏休みの稽古の一環として、
「夏休みベンガラ染め体験会」を
7月27日と28日に開催した。
子どもたちには
夏休みの
自由研究や工作にも、
良い題材にもなる。
土から取れる
泥を染料とした
ベンガラ染めは、
日本に古くからある
伝統文化だ。
ベンガラ染めについては
ネットで検索すると、
詳しいことは
分かりますので、
ここでは割愛します。
今年も2日間で
たくさんの
門人の方々が
参加した。
昨年よりも
大幅に参加者が増えた。
一方で、
決まって
参加しない方々もいる。
冒頭にも記したように
「稽古の一環」である。
これは遊びではなく
「大切な合氣道の稽古の一環」なのだ。
一環とは
どういう意味なのか。
「一つの輪」、
「 繋がりがある中の一部分」
ということだ。
その
「一環」に
「大切な」という
言葉まで記してある。
そのことは
合氣道の稽古時にも、
常々話している。
また
会員に配る
しおりにも、
そう記してある。
決まって
参加しない方々は、
どうやら
その意味を
理解していない
ことなのだろう。
人はそれぞれだ。
理解できない者に
理解しろと言っても、
それは無理だ。
そのような者に
無駄なエネルギーを
費やすほど、
世間も
世の中も、
私も、
暇ではないのだ。
長くなってしまったが、
ここからが本題だ。
さて
この2日間でも
私にとっては
たくさんの学びがあった。
それは
普段の
合氣道の稽古時に
比べて、
その人の
人間性、特徴が、
より違った角度から
見ることが
できたことだ。
殆どの
子ども達は
お母さんやお父さんと、
またご両親で
参加される。
あるご家族は
作業工程の順序を
間違えそうになった
ギリギリのところで、
それに
私が氣付いて
「次はこうですよ」と
順序通りに
作業することができた。
前もって、
その順序、
やり方は
デモンストレーションを
兼ねて説明しているから、
間違わない
はずなのだが。
人間は誰でも
間違うこともある。
でも
褒められることではない。
しかし、
そのご家族は
皆さん笑顔なのです。
終始笑顔で
作業をされておられました。
お父さんも
ニコニコして、
お母さんも
ニコニコして、
子どもも
ニコニコして、
家族みんなで
ニコニコして、
見ているこちらも
癒やされて、
ニコニコしました。
なんて
素晴らしいこと
なのでしょう。
私は
そのご家族に
「生き方」を
教えていただきました。
ありがとうございます。
感謝です。
円、
丸い、
◯というのは
絶対にぶつからない。
円は
いつまでたっても
円なのだ。
だから
人とも
ぶつからない。
歩いていて
人にぶつからない
という
意味ではなくて、
人間関係において、
ぶつからない
ということだ。
一方で
その真逆のような
人もいる。
親の言動を
見ていたら
よく分かる。
子どもに
大らかさがない。
そのような
親の元で育った
子どもは、
円にはなっていない。
三角や四角なのだ。
それは
「ぶつかる」
ということだ。
いつまでたっても
何回もぶつかって
しまうのだ。
必ずや
人間関係においても
ぶつかるのだ。
円周上をまわる
運動のことを
「円運動」という。
合氣道では
技を円を描くように行う。
それは
ぶつからないからだ。
ぶつかっていては、
相手を投げること
など出来ない。
私達が住んでいる
この地球も
円運動だ。
1日1回
自転しながら、
太陽の周りを
回っている。
決してぶつからない。
天地大自然の
絶対なる法則なのです。
この絶対なる
法則に則って
生きているから、
それが
理にかなっているから、
「円」の家族の
周囲にいた
私まで
癒やされて
幸せな氣持ちに
なれたのです。
そのご家族から
発せられる
「プラスの氣」を受けて、
私までプラスになりました。
一方で、
天地大自然の
理に適ってないことを
無理というのです。
自分が
三角や四角だなと
思ったら、
円になるよう
心掛けねばいけません!
「えん」とは
円、
日本の通貨も円、
◯、
縁ですね。
いつまでも
ご縁がありますように。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝
" 人間は落ち着いているのが当たり前 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『にんげん は おちついて いる のが あたりまえ』
いよいよ
2024年パリオリンピックも
本日から始まります。(この執筆作業時点)
夏の高校野球も
甲子園出場をかけて
地方大会は
佳境に入っています。
先日、
我が母校が
ベスト8をかけた
試合があり、
バーチャル高校野球という
インターネット
スポーツメディアで
観戦した。
今はこうして球場に
足を運ばなくても、
ネットがつながる
環境であれば、
どこでも
観ることができる、
なんと
便利な世の中に
なったものだ。
本音を言えば、
球場に足を
運びたかったのだが、
私が応援に行けば
高確率で
負けてしまうのだ。
これまでもそうだ。
試合に勝って
球場で校歌を
歌いたかったが、
ネットで観戦した。
2-0で7回まで
勝っていた。
相手も何度も
チャンスは作るが、
得点にはならない。
「これはいけるな」
そう思った。
しかし、
8回に3点とられ
逆転された。
でもまだ1点差で
8回、9回と攻撃できる。
1点差なら、
なにが起こるか
わからない。
だが、
9回の守備で
代わった投手が、
バント処理でエラー、
デッドボール、
フォアボールなどで
2点とられて
5-2で敗退した。
その交代した投手は
上ずった心の状態で
マウンドに上がり、
最初の
バント処理の失敗で
完全に
浮足立ってしまった
印象だ。
3年生の夏は
終わったのだ。
それもこれも
含めて野球だ。
そう言われれば、
それはそうではあるが。
これで持てる力を
出し切ったと
言えるのだろうか。
勝負あるものは
必ず、勝ち負けがある。
トーナメント形式では
引き分けはない。
必ず決着がつくのだ。
1/2の確率で
勝つし、負けも
するのだ。
だから勝敗は
仕方がない。
もし負けたとしても
力を出し切って
負けたのなら、
相手の方が上だったと
悔いも残らない
かもしれないが、
持てる力を
殆ど出せずに
終わってしまっては
悔いが残るのだ。
夏の甲子園大会で
高校野球ファンなら
誰でも知っている
元強豪校の監督が、
TV中継の解説で
こんな事を言っていた。
「この場面で緊張するなという方が無理だ」
緊張することが
当たり前だと
言わんばかりに
解説をしていたが、
さて
本当にそうだろうか。
「落ち着いていけ」
「肩の力を抜いてリラックスしろ」
高校生にもなれば
落ち着かなければ
いけないことは
誰でも
分かっているのだ。
でも
その方法を
教えてやらなければ、
落ち着くことは
できないのだ。
それを
教えることが
できないのは、
指導者が
落ち着き方を
知らないからだ。
人間は本来、
落ち着いていることが
当たり前であるのだ。
私達人間は
地球の表面で
生活している。
そこは
常に重力がある。
私達人間は
常に重力の影響を
受けて生活しているのだ。
もちろん、
野球をしている時も
例外ではない。
地方大会であっても
甲子園大会であっても
同じだ。
ということは、
物を落とせば
必ず落ちるのだ。
物体の重みが
落ち着くべきところに
落ち着く。
それを
落ち着きというのだ。
であるなら、
人間も
物体であるから、
重みは下に
かかるのだ。
それが
自然な状態であり、
「落ち着き」
ということなのだ。
しかし、
人間には
感情があるから、
それが
心と身体に
影響するのだ。
大舞台や
切羽詰まった時には
誰でも
緊張はするかもしれない、
しかし、
それを受け入れる
ことが重要なのだ。
それを受け入れて
身体の重みを
その最下部に置くのだ。
緊張とは
心の波である。
その波が大きく
揺れ動いている時に
静めようと
思えば思うほど、
より大きく
揺れ動いてしまうのだ。
バケツに水を汲む。
そのバケツを
大きく揺らすと
中の水は大きく波打つ。
これを止めようと
動かせば動かすほど
波打つ。
静めるには
どうしたらよいか。
「放っておく以外に仕方がない」のだ。
人間の心も同様に
緊張を受け入れて
放っておく以外に
仕方がないのだ。
放っておけば、
やがて
自然に静まっていくのだ。
その天地大自然の
法則と原理原則を
十分理解して、
常日頃から
心と身体のあり方と
心の静め方、
身体の重みを
最下部に置く
練習をしておけば、
いざという時に
役に立つのだ。
まず
監督、コーチ、指導者が
これを理解し
実践するべきだ。
横浜高校で
甲子園優勝、
西武ライオンズ、
メジャーリーグで
活躍した
松坂大輔さんは
ピンチになれば
マウンド上で
呼吸法をして
心を静めていたと
何かの著書で
読んだ記憶がある。
それも
やはり普段の練習で
やっていたからこそ
実戦で通用するのだ。
高校野球の場合なら
3年生が引退するまで、
2年半という
長い時間があるのだ。
野球の技術や、
身体を鍛えることも
重要であるが、
心を鍛え、
自分の心を
いつでも
コントロールでき、
いついかなる
状況におかれても
持てる力を
100%発揮することが
できる能力を
身に付けたら、
社会に出て
どれほど
役立つことだろう。
これこそ
大きな財産に
なるのではないか。
合氣道琴心館
寺崎道場の合氣道では、
毎日
その稽古をしている。
是非、
野球に限らず、
あらゆる
スポーツの
指導者、
監督さん、
コーチの方は
道場で
稽古すべきだと思う。
稽古して
体得したことを
専門分野で
発揮してもらいたい。
私は
オファーさえあれば
どこへでも行きたい。
微力ではあるが、
僭越ながら
少しでも、
世のため、人のために
役立ちたい。
毎日そう思う。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝