2024-08-19 04:55:00

" 心の糧と身体の糧 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『こころ の かて と からだ の かて』

 

 

 

今年の夏は例年より

 

少し長めの東京出張と

 

お盆恒例の京都での

 

勉強会を終えた。

 

 

 

それにしても

 

東京も京都も

 

インバウンドでいっぱいだ。

 

 

 

時折聞こえる

 

日本語にホッとした

 

氣持ちにもなったものだ。

 

 

 

歩くたび

 

多くの道行く人とすれ違った。

 

 

 

多くの人達と

 

新幹線や地下鉄、JR、阪急等で

 

同じ車両に乗り合わせた。

 

 

 

食事に行くたびに、

 

多くの人達と同じお店で

 

飲み食いもした。

 

 

 

もしかしたら、

 

この人達の中にも

 

世の中の厄介者である

 

怠け好きな人が

 

あるかもしれない。

 

 

 

若い人で

 

働くことの嫌な人がある。

 

 

 

地球規模で見ても、

 

ほんの小さな

 

存在でしかない

 

私という一人の人間が

 

少し国内を動くだけで、

 

 

 

これほど多くの人達と、

 

すれ違うのである。

 

 

 

中には

 

若くても心の病等に苦しみ、

 

働きたくても

 

働けないという人も

 

いるだろう。

 

 

 

しかし、

 

そのような状況に

 

あったとしても、

 

 

 

世のため、人のために

 

自分の出来ることを考え、

 

実行しよう。

 

 

 

一個人の力は微力でも

 

一人が十人、十人が百人、

 

千人となれば大きな力となる。

 

 

 

怠けていてはいけない。

 

 

 

いつも

 

心身の糧を

 

とることを

 

忘れてはいけない。

 

 

 

どんなに力に充ちた

 

魂を持った人でも、

 

 

 

心の糧を

 

とることを忘れたら、

 

魂もやつれてゆく。

 

 

 

世の中は厳しいものだ。

 

仕事も同様だ。

 

 

 

些細なことで

 

泣き言を云うようでは、

 

身体もどんどん

 

弱くなる一方だ。

 

 

 

力も出せなくなれば、

 

みるみるやつれる。

 

小石にもつまずいて

 

倒れるようになる。

 

 

 

まずは

 

心の糧をとることを

 

最優先することが大切だ。

 

 

 

人間の主体は

 

肉体ではなく心だ。

 

 

 

心が主体で、

 

心が身体を動かすのだ。

 

 

 

心にやる氣を起こさせたら、

 

身体はその通りに

 

動いてくれる。

 

 

 

それが

 

「氣を出す」

 

ということである。

 

 

 

心に糧がなくなれば

 

苛立ってくる。

 

暗くもなる。

 

 

 

心が苛立ってくれば

 

運命も波立つ。

 

 

 

運命が波立てば、

 

小石のような

 

小さな事件や、

 

ちょっとした不幸にも

 

つまずいて倒れてしまう。

 

 

 

一生を誤り、

 

取り返しの

 

つかないことにも

 

なりかねない。

 

 

 

自分の思いや

 

行いだけで

 

運は変わってゆく。

 

 

 

自分次第だ。

 

 

 

将来に希望を持ち、

 

私利私欲ではなく、

 

世のため、人のために

 

伸びゆく人は

 

 

 

日夜、刻々、

 

心の魂の糧を

 

とることを怠ってはならない。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-16 05:15:00

" 至福の眠り "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『しふく の ねむり』

 

 

 

2024年

 

夏の東京出張 最終日は

 

呼吸法と自己手当の

 

講習会がある

 

南青山スタジオに向かった。

 

 

 

都営大江戸線 大門駅からだと

 

赤羽橋、麻布十番、

 

六本木、青山一丁目と4駅である。

 

 

 

青山一丁目駅から徒歩10分で

 

南青山スタジオに着くから、

 

 

 

大門駅から35分もあれば

 

十分なのだが、

 

浜松町を昼過ぎに出た。

 

 

 

 

 

青山一丁目駅から

 

南青山スタジオへ

 

少しだけ反対方向に

 

歩いたところにある

 

落ち着いたカフェで

 

 

 

寺崎道場の会報誌

 

" ぼくらの合氣道 8月.9月 合併号 " の

 

執筆作業を

 

しなければならない。

 

 

 

また、

 

この連日の炎天下では

 

夕方になっても

 

10分も歩いたら、

 

もう汗だくだ。

 

 

 

それにまして、

 

東京は坂が多い。

 

 

 

額から汗を流しながら

 

時間ギリギリに

 

会場入りするのは、

 

あまりスマートではない。

 

 

 

時間には

 

充分余裕を持ちたいものだ。

 

 

 

 

 

それにしても

 

早すぎるではないか。

 

 

 

 

 

ふと麻布十番駅で降りた。

 

 

 

麻布十番から青山一丁目まで

 

歩くことにした。

 

 

 

この辺りも坂が多い。

 

 

 

 

 

東京には江戸時代に

 

命名された坂が約500、

 

明治以降に命名された坂が

 

約140もあるらしいのだ。

 

 

 

とても興味深く、

 

今回の東京出張においても

 

そのいくつかの坂を巡ってみた。

 

 

 

今後も" 東京坂巡り "を

 

続けてみたい。

 

 

 

話を元に戻そう。

 

 

 

 

 

麻布十番駅を出て、

 

鳥居坂を登り切ったら、

 

案の定もう汗だくだ。

 

 

 

麻布十番から

 

僅か2駅なのだが、

 

徒歩で約20分。

 

 

 

この炎天下だ。

 

きつい。

 

かなり後悔した。

 

 

 

それでもこの苦を

 

何とか楽しむ方法はないか。

 

そのためにどうすれば良いか。

 

 

 

そんなことを

 

考えながら歩いていた。

 

 

 

その途中で

 

道路工事をやっていた。

 

 

 

 

 

そこで働く人が

 

昼休みで眠っている。

 

 

 

工事のために

 

掘り返された土の上が、

 

ちょうどイチョウの木で

 

陰になっている。

 

 

 

その土の上で眠っている。

 

 

 

3人の寝姿に

 

思わずほほ笑んだ。

 

 

 

枕もいらない。

 

敷布団もタオルケットも

 

畳もベッドもいらない。

 

 

 

道行く人も皆、

 

その寝姿にほほ笑んでいる。

 

 

 

道行く人の笑いも、

 

話し声も、

 

何と思われようとかまわない。

 

 

 

ただ

 

安らかな

 

いびきをかいている。

 

 

 

東京1400万人の中で、

 

一番幸せな

 

眠りなのだろうと思った。

 

 

 

 

 

何もいらない。

 

 

 

何をどう思われようと

 

かまわない。

 

 

 

そのままでよいのだ。

 

 

 

とにかく一眠りなんだ。

 

 

 

 

 

その人達を見た時、

 

これが本当の

 

健康な人の姿なんだと思った。

 

 

 

 

 

この炎天下の都心で

 

なんて良いもの

 

見せてもらったんだ。

 

 

 

これも

 

お天道様が

 

導いてくださったのか。

 

 

 

麻布十番駅で

 

降ろされたことも

 

 

 

天地大自然の

 

粋な計らいなのか。

 

 

 

 

 

そう思いながら、

 

この3人の寝顔を見ていたら、

 

なんだか涙が溢れてきた。

 

 

 

他人の寝顔を見て

 

涙が出ることなんてあるのか。

 

 

 

 

 

豪邸に住んで

 

泣く人、病む人、

 

眠れない人を

 

ずいぶん見てきた。

 

 

 

掴みすぎ、持ち過ぎ、

 

取り込み過ぎでは

 

あるまいか。

 

 

 

空腹はかえって健康に良い。

 

腹が減ったら何でも美味い。

 

 

 

何でも

 

有り難く食べることの

 

出来る人こそ尊い。

 

 

 

食べ過ぎ、飲み過ぎ、

 

休み過ぎ 、儲け過ぎ、

 

取り過ぎ、貯め過ぎが

 

不健康のもとに

 

なりやすいのだ。

 

 

 

「破れたる衣はきても足ることを知ればつづれの錦なりけり」

 

 

 

毎日の仕事が、

 

生活が、

 

ただただ有り難い。

 

 

 

全身全霊を

 

出し尽くし、

 

しぼりつくすから、

 

 

 

今日も快眠だ。

 

 

 

それだけでいい。

 

それが有り難いのだ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-15 07:27:00

" 英霊の日 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

『えいれい の ひ』

 

 

 

8月15日は

 

戦没者を追悼し

 

平和を祈念する日だ。

 

 

 

 

 

世の中はバランスが大事だ。

 

 

 

どちらかに偏っては

 

うまくいかない。

 

 

 

だから

 

色んな意見が

 

あっていいと思う。

 

 

 

でも

 

これだけは

 

忘れてはならない。

 

 

 

 

 

「終戦の日」とは、

 

侵略戦争の反省にたって、

 

日本が自由や、

 

民主主義を基本にする

 

戦後近代国家へと改心した、

 

そのような

 

記念日なのではない。

 

 

 

 

 

その以前にまず、

 

英霊の魂への

 

鎮魂と感謝と

 

慰霊の日であることを

 

忘れてはならない。

 

 

 

 

 

私は

 

今年も8月上旬に

 

靖國神社に参拝した。

 

 

 

昨年よりも暑い夏、

 

酷暑のなか九段の坂を登り、

 

 

 

どの季節にも

 

巌としてそびえる

 

第一鳥居をくぐる頃には、

 

もう汗だくになっていた。

 

 

 

大手水舎で手水を取り、

 

境内へ向かうと

 

 

 

森閑とした境内には

 

明らかに俗世と異なる

 

時間と空氣が流れていた。

 

 

 

しんと静まり返った

 

拝殿で英霊の御霊に

 

感謝を捧げた。

 

 

 

英霊のお陰で

 

今、私達はこうして、

 

守られて生きている。

 

 

 

「守られているという感覚を持ち帰りたいものだ」

 

 

 

そう思うと

 

自然と背筋が伸びた。

 

 

 

 

 

日本の安全保障は

 

自衛隊と日米同盟に

 

守られていることは、

 

 

 

様々な

 

意見があるとしても

 

確かなことだ。

 

 

 

 

 

しかし、

 

忘れてはならないことは

 

 

 

英霊に日本の戦後は

 

守られていることだ。

 

 

 

その思いを

 

再度深く胸に刻み、

 

 

 

厳かな心持ちで

 

拝殿からさがった。

 

 

 

 

 

英霊の日の今日も

 

私はいつもと変わらず、

 

 

 

いつも通りに、

 

心を静めて

 

英霊の御霊に

 

感謝して手を合わす。

 

 

 

今年も8月15日正午が近い。

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-08-14 11:20:00

" その喜びを味わえるようになれ "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『その よろこび を あじわえる ように なれ!』

 

 

 

 

 

2024年 夏期 指導者育成稽古

 

 

 

自分の経験を元に話そう。

 

 

 

いざ、

 

人前に立って

 

後進を指導することは

 

決して容易いことではない。

 

 

 

ついつい、

 

その日の稽古で

 

やろうと決めて

 

準備しておいた技に

 

囚われてしまう。

 

 

 

それこそ

 

"必死のパッチ" で

 

その日の稽古時間を

 

準備した技で費やす。

 

 

 

あっと言う間に

 

その日の稽古は終わる。

 

 

 

どっと疲れる。

 

座る。

 

横たわる。

 

 

 

当分

 

動けないほど疲れる。

 

 

 

 

 

これが遠い昔の

 

私自身の姿である。

 

 

 

指導者なら誰もが

 

似たりよったりの経験を

 

したのではないだろうか。

 

 

 

これは

 

準備した技だけを

 

費やした結果だと思う。

 

 

 

「費やす」とは

 

「疲れ弱らせる」という

 

意味もある。

 

 

 

 

 

そのような

 

指導をしている時は、

 

集まってくれる

 

お弟子さんが

 

人間として

 

立派に育って貰いたいと

 

祈ることを忘れやすい。

 

 

 

 

 

人に技を教えるよりも

 

自分の身心を清めること、

 

 

 

日々実践し、

 

その体験を

 

身につけること、

 

 

 

自分自身が

 

その道の先達となる

 

自覚を持つこと。

 

 

 

これが一番大切である。

 

 

 

 

 

お弟子さんに

 

技を教えることを

 

第一に考える。

 

 

 

だから

 

中身がなくなるのだ。

 

 

 

 

 

そのお弟子さんを

 

人間として

 

より立派に

 

育って貰うために

 

奉仕するのが

 

指導者である。

 

 

 

 

 

その喜びを味わえるようになれ!

 

 

 

 

 

これが

 

自分自身の

 

育った姿なのだ。

 

 

 

天地大自然が

 

喜んで下さる

 

姿であるのだ。

 

 

 

 

 

そう思えば

 

全心全力を

 

出し切るだけで良いんだ。

 

 

 

人より技が

 

優れていたとしても、

 

それがどうした。

 

 

 

 

 

たとえ

 

立派な教えを説いても、

 

自分自身が

 

なっていなかったら、

 

 

 

冷汗が出るほど

 

恥ずかしくもなるはずだ。

 

 

 

でも

 

だからといって

 

落ち込んではいられない。

 

 

 

幾度

 

失敗しても

 

弛まず立て直したい。

 

 

 

倒れても

 

また立ち上がりたい。

 

 

 

そうした

 

弛みなき努力を積み上げる。

 

 

 

鍛練と実践によって

 

一日一日、

 

一年一年、

 

少しずつでも向上する。

 

 

 

常に顧み反省して、

 

ほほ笑みのわく、

 

おおらかな人間に

 

なりたいと思う。

 

 

 

なんの要求も願いもいらない。

 

 

 

ただやるべき努めを楽しむ。

 

 

 

そんな人間になりたいと

 

常に思っている。

 

 

 

 

 

その結果、

 

知らぬ間に

 

人がついて来て下さる。

 

 

 

それが

 

本当の

 

指導者の姿である。

 

 

 

 

 

羨ましい。

 

 

 

あんな心に

 

なってみたいと思う。

 

 

 

とにかく

 

導いて下さいと

 

すがりつかれる。

 

 

 

 

 

やがて

 

それが

 

その道に波動して

 

映って行く。

 

 

 

離れがたい人になる。

 

 

 

 

 

この一つの小さな波が、

 

いくつもの

 

小さな波へと伝わり重なり、

 

 

 

やがて

 

大きな波へと変化を生む。

 

 

 

その

 

感激こそが、

 

 

 

本当の指導ではないだろうか。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-13 14:05:00

" 天地大自然の配剤 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『てんちだいしぜん の はいざい』

 

 

 

 

 

午前の集中稽古を終え、

 

慶應義塾大学

 

三田キャンパスの

 

「山食」へと向かった。

 

 

 

 

 

三田伝統の味、

 

山食カレーで有名な

 

学食「山食」だ。

 

 

 

その午前の稽古に参加した

 

お弟子さんの一人が

 

慶應のOGであったことから、

 

ランチを食べに

 

港区三田へと向かった。

 

 

 

 

 

慶應義塾では

 

慶應義塾大学の卒業生を

 

「塾員」と呼んでいる。

 

 

 

そして、

 

塾員、塾生、教職員、

 

塾生の保護者の方々を

 

「義塾社中」と呼ぶらしい。

 

 

 

社中とは、

 

コーポレーションのことを

 

さしたもので、

 

義塾はいかにも

 

私学であるが、

 

決して

 

個人の私有物ではなく、

 

義塾社中の

 

共有のものであり、

 

公共のためにこそ

 

つくすべきだ

 

という考えが

 

明治元年に示されたそうだ。

 

 

 

 

 

私は塾員ではないが、

 

家族が塾生であることから

 

義塾社中となるのだろうか。

 

 

 

 

 

そういう意味では

 

私にとっても

 

少なからず

 

縁のある場所と言える。

 

 

 

 

 

横浜市港北区にある

 

慶應日吉キャンパスには

 

訪れたことがあるが、

 

 

 

三田キャンパスに来たのは

 

今回が初めてだ。

 

 

 

 

 

その山食も

 

学食であるから、

 

とにかく安い。

 

 

 

人氣の山食カレーは

 

390円で食べられる。

 

その他、

 

山カツ定食550円や

 

麻婆丼500円、

 

ビーフシチュー550円、

 

ハンバーグ定食460円など。

 

さらに、

 

たまごサラダ150円、

 

そのたまごサラダに

 

200円プラスで、

 

カップに山食カレーが

 

たっぷり入った

 

カップカレーと

 

味噌汁とご飯がつく

 

ヘルシーセットや、

 

甘〜いパイナップル120円

 

などもメニューにあるのだ。

 

 

 

全てのメニューを

 

制覇したいが、

 

 

 

私は当然、

 

山食カレーだ。

 

 

 

山食カツカレーの

 

食券590円を購入し、

 

受け取りカウンターで

 

50円足して、

 

大盛りにした。

 

 

 

皿からカレールーが

 

溢れるから

 

当然、統一体で持ち、

 

席まで運ばねばいけない。

 

 

 

 

 

食べるときも、

 

何するときも

 

24時間稽古だ。

 

 

 

 

 

塾員のお弟子さんは

 

「懐かしい〜」と

 

終始笑顔で

 

塾生時代の思い出を

 

語ってくれた。

 

 

 

 

 

夏休み期間とあって、

 

程よく空いていた

 

学食「山食」であったが、

 

 

 

コロナ禍により

 

一時は経営が

 

困難になったそうだ。

 

 

 

 

 

今年で

 

創業87年になるのかな、

 

 

 

 

 

昭和12年(1937年)に

 

三田の山に誕生し、

 

第二次世界大戦も

 

経験した「山食」だが、

 

 

 

コロナ禍の

 

影響を受けて

 

売り上げは

 

80%減の状況だったそうだ。

 

 

 

 

 

コロナ禍により

 

オンライン授業が

 

主流になり、

 

キャンパスに塾生が

 

少なくなったことなどが

 

原因らしい。

 

 

 

 

 

当時、

 

山食の歴史と伝統

 

「これまでの83年間が、途絶えてしまうのは寂しい」との思いから、

 

 

 

三代目山食代表の

 

谷村忠雄さんが

 

山食を存続させるために

 

クラウドファンディングを募った。

 

 

 

4,109人の支援により

 

43,232,000円の

 

資金援助があり、

 

 

 

この最大の危機を

 

乗り越えたそうだ。

 

 

 

 

 

これだけ

 

安くて美味しい

 

「山食」であるから、

 

 

 

私など、もし

 

東京都港区三田周辺に

 

暮らしていたら

 

毎日でも通いたい食堂だ。

 

 

 

 

 

ここでも例外なく

 

天地大自然の配剤が

 

行われているとしか

 

私は思えないのだ。

 

 

 

 

 

ラグビー部、

 

アメリカンフットボール部などの

 

体育会の夏期合宿には

 

部員の食事を

 

支えるために

 

 

 

谷村さん自ら

 

山中湖の山荘に出張し、

 

 

 

49年間にわたり

 

合宿の食事の

 

お世話をされたと聞く。

 

 

 

 

 

また、

 

山食は「歴史と伝統」を

 

守りながら

 

 

 

塾生にとって

 

「第二の家庭」でありたい、

 

 

 

そして大盛でも、超大盛でも、

 

野菜増しでも、

 

メニューに無いものでも、

 

塾生のわがままに

 

できる限り

 

応えていきたいという、

 

 

 

谷村さんの

 

強い念が

 

天地大自然に感應し、

 

 

 

天地大自然が

 

味方をしてくれたのでは

 

ないだろうか。

 

 

 

 

 

僭越ながら

 

私はそう思う。

 

 

 

世のため、人のために。

 

 

 

それは

 

天地大自然が

 

最も好むこと

 

なのでは

 

ないだろうか。

 

 

 

山食カレーを

 

いただきながら、

 

そう強く

 

実感したのでありまする。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝