" 求道という心と、向学の心があるか "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『きゅうどう という こころ と こうがく の こころ が ある か』
ネットの辞書には
求道心とは
"真理や宗教的な悟りを求めて修行すること"とある。
また
「自らの能力を高めようとする強い意志のこと」という意味もある。
それを向学心という。
勉強したい、
学びたいという意欲、
学ぼうとする姿勢のことです。
求道心と向学心
どちらも同じような
意味合いだが、
何事においても、
その両方が大事だ。
先日、
テレビをつけたら、
あるお相撲さんの
生い立ちを紹介していた。
高校生の相撲では
全国屈指の強豪校に
親元離れて
入学したそうだ。
その相撲部の
監督さんが、
その力士の
当時を振り返った
話の内容に共感した。
それは
「〇〇君はどんなに厳しい稽古にも泣き言を言わなかった」
また
「強くなりたい一心で稽古していました」と話されていた。
それは
とても大切な
心の持ちようだ。
しかし、
私が一番共感したのは
次の事柄だ。
強くなりたい一心で
何事にも取り組むから、
「同じ腕立て伏せを10回しても他の生徒とは違う」、
「同じ10回、四股を踏んでも違う。その1回、1回に差が出てくるから、他の生徒とは大きく違いが出てくる」
そのように
監督さんは
仰っていました。
全ては
その人の思いなのだ。
合氣道においても
全く同じことだ。
私のように
合氣道を習い始めて
半年そこそこで、
指導者になろうと
決心して
稽古する者など、
ほとんどいない。
ほとんどの人が、
少しでも
人として
向上できるように、
成長できるように。
心身が強くなるように。
健康であり続けたい。
また
氣という
眼には見えないものを
学ぶために。
老若男女問わず、
だいたい
そのような決意で
道場に通って
おられるだろう。
しかし、
求道心と向学心が
なければ、
その決意も
実らないのでは
ないでしょうか。
5年、6年、7年と
続けている
門人においては、
およそ、
求道、向学心は
少なからずある。
子どもでもある。
年少、年中から
始めて
小学生の高学年になる
門人や、
小学生低学年から
始めて、
中学生、高校生になる
門人達が、
大人クラスの稽古に
多く通っている。
年齢や性別など、
老若男女問わず、
求道心と向学心は
強く持ち続けなければ、
ものにはならないのだ。
一方で、
口では立派なことを
言ってはいるが、
何一つとして
行動が伴わない
門人もいる。
特に高齢者に
みられるようだ。
合氣道に限らず、
求道心と向学心が
ある人は
「何をしても、ものになる人」
であり、
「何をしても人として成長する人」
である。
求道心、向学心に
欠ける人は
「何をしても、ものにはならない」
また
「そのような人が取り組む仕事も大したことはない」
そう言い切れるのだ。
一つのことすら、
深掘りできない人が
成就するとは、
到底思えない。
求道心と向学心のない者は
合氣道の稽古が
日常に活かされること
などないのだ。
求道心と向学心を
持ち続け、
人として
成長し続ける
門人達とは、
生涯において、
共に同じ道を
歩み続けたい。
そういう人が
一生の友でもあるのだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝