" 円はぶつからない "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『えん は ぶつから ない』
今年も
夏休みの稽古の一環として、
「夏休みベンガラ染め体験会」を
7月27日と28日に開催した。
子どもたちには
夏休みの
自由研究や工作にも、
良い題材にもなる。
土から取れる
泥を染料とした
ベンガラ染めは、
日本に古くからある
伝統文化だ。
ベンガラ染めについては
ネットで検索すると、
詳しいことは
分かりますので、
ここでは割愛します。
今年も2日間で
たくさんの
門人の方々が
参加した。
昨年よりも
大幅に参加者が増えた。
一方で、
決まって
参加しない方々もいる。
冒頭にも記したように
「稽古の一環」である。
これは遊びではなく
「大切な合氣道の稽古の一環」なのだ。
一環とは
どういう意味なのか。
「一つの輪」、
「 繋がりがある中の一部分」
ということだ。
その
「一環」に
「大切な」という
言葉まで記してある。
そのことは
合氣道の稽古時にも、
常々話している。
また
会員に配る
しおりにも、
そう記してある。
決まって
参加しない方々は、
どうやら
その意味を
理解していない
ことなのだろう。
人はそれぞれだ。
理解できない者に
理解しろと言っても、
それは無理だ。
そのような者に
無駄なエネルギーを
費やすほど、
世間も
世の中も、
私も、
暇ではないのだ。
長くなってしまったが、
ここからが本題だ。
さて
この2日間でも
私にとっては
たくさんの学びがあった。
それは
普段の
合氣道の稽古時に
比べて、
その人の
人間性、特徴が、
より違った角度から
見ることが
できたことだ。
殆どの
子ども達は
お母さんやお父さんと、
またご両親で
参加される。
あるご家族は
作業工程の順序を
間違えそうになった
ギリギリのところで、
それに
私が氣付いて
「次はこうですよ」と
順序通りに
作業することができた。
前もって、
その順序、
やり方は
デモンストレーションを
兼ねて説明しているから、
間違わない
はずなのだが。
人間は誰でも
間違うこともある。
でも
褒められることではない。
しかし、
そのご家族は
皆さん笑顔なのです。
終始笑顔で
作業をされておられました。
お父さんも
ニコニコして、
お母さんも
ニコニコして、
子どもも
ニコニコして、
家族みんなで
ニコニコして、
見ているこちらも
癒やされて、
ニコニコしました。
なんて
素晴らしいこと
なのでしょう。
私は
そのご家族に
「生き方」を
教えていただきました。
ありがとうございます。
感謝です。
円、
丸い、
◯というのは
絶対にぶつからない。
円は
いつまでたっても
円なのだ。
だから
人とも
ぶつからない。
歩いていて
人にぶつからない
という
意味ではなくて、
人間関係において、
ぶつからない
ということだ。
一方で
その真逆のような
人もいる。
親の言動を
見ていたら
よく分かる。
子どもに
大らかさがない。
そのような
親の元で育った
子どもは、
円にはなっていない。
三角や四角なのだ。
それは
「ぶつかる」
ということだ。
いつまでたっても
何回もぶつかって
しまうのだ。
必ずや
人間関係においても
ぶつかるのだ。
円周上をまわる
運動のことを
「円運動」という。
合氣道では
技を円を描くように行う。
それは
ぶつからないからだ。
ぶつかっていては、
相手を投げること
など出来ない。
私達が住んでいる
この地球も
円運動だ。
1日1回
自転しながら、
太陽の周りを
回っている。
決してぶつからない。
天地大自然の
絶対なる法則なのです。
この絶対なる
法則に則って
生きているから、
それが
理にかなっているから、
「円」の家族の
周囲にいた
私まで
癒やされて
幸せな氣持ちに
なれたのです。
そのご家族から
発せられる
「プラスの氣」を受けて、
私までプラスになりました。
一方で、
天地大自然の
理に適ってないことを
無理というのです。
自分が
三角や四角だなと
思ったら、
円になるよう
心掛けねばいけません!
「えん」とは
円、
日本の通貨も円、
◯、
縁ですね。
いつまでも
ご縁がありますように。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝