2024-07-26 04:57:00

" 人間は落ち着いているのが当たり前 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『にんげん は おちついて いる のが あたりまえ』

 

 

 

いよいよ

 

2024年パリオリンピックも

 

本日から始まります。(この執筆作業時点)

 

 

 

 

 

夏の高校野球も

 

甲子園出場をかけて

 

地方大会は

 

佳境に入っています。

 

 

 

 

 

先日、

 

我が母校が

 

ベスト8をかけた

 

試合があり、

 

 

 

バーチャル高校野球という

 

インターネット

 

スポーツメディアで

 

観戦した。

 

 

 

今はこうして球場に

 

足を運ばなくても、

 

ネットがつながる

 

環境であれば、

 

どこでも

 

観ることができる、

 

 

 

なんと

 

便利な世の中に

 

なったものだ。

 

 

 

 

 

本音を言えば、

 

球場に足を

 

運びたかったのだが、

 

 

 

私が応援に行けば

 

高確率で

 

負けてしまうのだ。

 

これまでもそうだ。

 

 

 

試合に勝って

 

球場で校歌を

 

歌いたかったが、

 

ネットで観戦した。

 

 

 

2-0で7回まで

 

勝っていた。

 

 

 

相手も何度も

 

チャンスは作るが、

 

得点にはならない。

 

 

 

「これはいけるな」

 

そう思った。

 

 

 

しかし、

 

8回に3点とられ

 

逆転された。

 

 

 

でもまだ1点差で

 

8回、9回と攻撃できる。

 

 

 

1点差なら、

 

なにが起こるか

 

わからない。

 

 

 

だが、

 

9回の守備で

 

代わった投手が、

 

 

 

バント処理でエラー、

 

デッドボール、

 

フォアボールなどで

 

2点とられて

 

5-2で敗退した。

 

 

 

その交代した投手は

 

上ずった心の状態で

 

マウンドに上がり、

 

 

 

最初の

 

バント処理の失敗で

 

完全に

 

浮足立ってしまった

 

印象だ。

 

 

 

3年生の夏は

 

終わったのだ。

 

 

 

 

 

それもこれも

 

含めて野球だ。

 

 

 

そう言われれば、

 

それはそうではあるが。

 

 

 

 

 

これで持てる力を

 

出し切ったと

 

言えるのだろうか。

 

 

 

 

 

勝負あるものは

 

必ず、勝ち負けがある。

 

 

 

 

 

トーナメント形式では

 

引き分けはない。

 

必ず決着がつくのだ。

 

 

 

1/2の確率で

 

勝つし、負けも

 

するのだ。

 

 

 

だから勝敗は

 

仕方がない。

 

 

 

もし負けたとしても

 

力を出し切って

 

負けたのなら、

 

 

 

相手の方が上だったと

 

悔いも残らない

 

かもしれないが、

 

 

 

持てる力を

 

殆ど出せずに

 

終わってしまっては

 

悔いが残るのだ。

 

 

 

 

 

夏の甲子園大会で

 

高校野球ファンなら

 

誰でも知っている

 

元強豪校の監督が、

 

TV中継の解説で

 

こんな事を言っていた。

 

 

 

「この場面で緊張するなという方が無理だ」

 

 

 

緊張することが

 

当たり前だと

 

言わんばかりに

 

解説をしていたが、

 

 

 

さて

 

本当にそうだろうか。

 

 

 

 

 

「落ち着いていけ」

 

「肩の力を抜いてリラックスしろ」

 

 

 

高校生にもなれば

 

落ち着かなければ

 

いけないことは

 

誰でも

 

分かっているのだ。

 

 

 

 

 

でも

 

その方法を

 

教えてやらなければ、

 

 

 

落ち着くことは

 

できないのだ。

 

 

 

それを

 

教えることが

 

できないのは、

 

 

 

指導者が

 

落ち着き方を

 

知らないからだ。

 

 

 

 

 

人間は本来、

 

落ち着いていることが

 

当たり前であるのだ。

 

 

 

 

 

私達人間は

 

地球の表面で

 

生活している。

 

 

 

そこは

 

常に重力がある。

 

 

 

私達人間は

 

常に重力の影響を

 

受けて生活しているのだ。

 

 

 

もちろん、

 

野球をしている時も

 

例外ではない。

 

 

 

地方大会であっても

 

甲子園大会であっても

 

同じだ。

 

 

 

 

 

ということは、

 

 

 

物を落とせば

 

必ず落ちるのだ。

 

 

 

 

 

物体の重みが

 

落ち着くべきところに

 

落ち着く。

 

 

 

それを

 

落ち着きというのだ。

 

 

 

 

 

であるなら、

 

人間も

 

物体であるから、

 

重みは下に

 

かかるのだ。

 

 

 

それが

 

自然な状態であり、

 

 

 

「落ち着き」

 

ということなのだ。

 

 

 

 

 

しかし、

 

人間には

 

感情があるから、

 

 

 

それが

 

心と身体に

 

影響するのだ。

 

 

 

 

 

大舞台や

 

切羽詰まった時には

 

誰でも

 

緊張はするかもしれない、

 

 

 

しかし、

 

それを受け入れる

 

ことが重要なのだ。

 

 

 

それを受け入れて

 

身体の重みを

 

その最下部に置くのだ。

 

 

 

 

 

緊張とは

 

心の波である。

 

 

 

その波が大きく

 

揺れ動いている時に

 

静めようと

 

思えば思うほど、

 

より大きく

 

揺れ動いてしまうのだ。

 

 

 

 

 

バケツに水を汲む。

 

そのバケツを

 

大きく揺らすと

 

中の水は大きく波打つ。

 

 

 

これを止めようと

 

動かせば動かすほど

 

波打つ。

 

 

 

静めるには

 

どうしたらよいか。

 

 

 

「放っておく以外に仕方がない」のだ。

 

 

 

 

 

人間の心も同様に

 

緊張を受け入れて

 

放っておく以外に

 

仕方がないのだ。

 

 

 

放っておけば、

 

やがて

 

自然に静まっていくのだ。

 

 

 

 

 

その天地大自然の

 

法則と原理原則を

 

十分理解して、

 

 

 

常日頃から

 

心と身体のあり方と

 

心の静め方、

 

 

 

身体の重みを

 

最下部に置く

 

練習をしておけば、

 

 

 

いざという時に

 

役に立つのだ。

 

 

 

 

 

まず

 

監督、コーチ、指導者が

 

これを理解し

 

実践するべきだ。

 

 

 

 

 

横浜高校で

 

甲子園優勝、

 

西武ライオンズ、

 

メジャーリーグで

 

活躍した

 

松坂大輔さんは

 

ピンチになれば

 

マウンド上で

 

呼吸法をして

 

心を静めていたと

 

何かの著書で

 

読んだ記憶がある。

 

 

 

 

 

それも

 

やはり普段の練習で

 

やっていたからこそ

 

実戦で通用するのだ。

 

 

 

 

 

高校野球の場合なら

 

3年生が引退するまで、

 

2年半という

 

長い時間があるのだ。

 

 

 

 

 

野球の技術や、

 

身体を鍛えることも

 

重要であるが、

 

 

 

心を鍛え、

 

自分の心を

 

いつでも

 

コントロールでき、

 

 

 

いついかなる

 

状況におかれても

 

 

 

持てる力を

 

100%発揮することが

 

できる能力を

 

身に付けたら、

 

 

 

社会に出て

 

どれほど

 

役立つことだろう。

 

 

 

これこそ

 

大きな財産に

 

なるのではないか。

 

 

 

 

 

合氣道琴心館

 

寺崎道場の合氣道では、

 

 

 

毎日

 

その稽古をしている。

 

 

 

 

 

是非、

 

野球に限らず、

 

あらゆる

 

スポーツの

 

指導者、

 

監督さん、

 

コーチの方は

 

 

 

道場で

 

稽古すべきだと思う。

 

 

 

 

 

稽古して

 

体得したことを

 

専門分野で

 

発揮してもらいたい。

 

 

 

 

 

私は

 

オファーさえあれば

 

どこへでも行きたい。

 

 

 

 

 

微力ではあるが、

 

僭越ながら

 

 

 

少しでも、

 

世のため、人のために

 

役立ちたい。

 

 

 

毎日そう思う。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝