" 心が川上で身体が川下だ "
一本の川は
上流から下流に流れ、
川上から川下まで繋がっている。
川下だけを
いくら綺麗にしても
川上から
ゴミが流れてきては、
いつまで経っても
綺麗にはならない。
私達人間も
同様に
心と身体は繋がっている。
いくら川下である
身体のみ
鍛えケアしても
川上である
心を
綺麗に掃除して
強くなるために
鍛えなければ、
決して身体は
強くはならない。
大切なことは、
心と身体を
同時に鍛えなければいけない。
心の性質と
身体の性質。
この異なる性質が
唯一、
一致する場所が、
臍下の一点である。
いつ如何なる時も
臍下の一点に心を静めて、
身体を動かすことにより、
心と身体を
同時に
鍛えることが出来る。
道場長 拝
" 道には共通の哲学がある "
合氣道と書道。
道が
付くものには
共通した
哲学、
観念がある。
「書道は楷書が一番難しいんですよ」
流れで書くのは
そう難しくないが、
一画一画になれば、
これが難しい。
書道家である
恩師から
いただいた
お言葉です。
合氣道の技も
楷書が
一番
難しいことは
修行者であれば、
共通した
認識であると
察する。
一字一字、
技と技にも
終わりはなく、
全ての
字と
技は
繋がっている。
そして、
強弱を
入れながら
天地に舞う。
まさしく、
「道」が
付くものは
「氣」
そのものである。
道場長 拝
"氣配りが出来ない人のことをわがままという"
周りに
氣を
配れない人に
相手のことなど
分からない。
人に
氣を
配れないから、
相手の
立場に立って
物事を考える
思考さえない。
ただただ、
思い上がりの強い
わがまま
極まりない
自分勝手な
人だ。
故に
自分も
氣を
強く出すことが
出来ない。
その行いの
集大成が
現在の
自分の
姿であり、
全ては
己に
返ってくる。
思い当たる
ふしがあれば
猛省し、
改善するべきである。
自分と
家族の
将来のためにも。
道場長 拝
"子どもの成長はいささかなり"
子どもに
期待はするな。
子どもに
過度な期待は
禁物だ。
返って
それが
親子ともども
ストレスになる。
親の思う
三分も
出来れば上出来。
子どもは
少しずつ
成長していくもの。
それで良し。
道場長 拝
"嘘だと分かって騙されても、その人の本質は見抜いておけ"
嘘も方便
という
言葉もある。
物事を
円滑に
進めるには
多少の嘘も、
嘘だと分かって
騙されてやるから
腹も立たない。
でも
その嘘に、
その人の
欲望や
本質こそが
投影する。
それを
見逃すこと勿れ。
そのような人は
信用に
値しない。
人を
選ぶ
基準と
するべし。