" 執着を解き放て "
何かに囚われると
心は自由に使えなくなる。
執着が病む原因の
一つだと氣づいた。
執着をいつまでも続けると、
執着が執着を呼び、
さらに動けなくなる。
その時、
心と身体は
がんじがらめに縛られる。
力みだ。
それを無理やり
動かそうとするから、
さらに力む。
やがて
身体の何処かが故障する。
心は病む。
自分の心に
何かの執着が
生まれた瞬間に
それを解消せねばならぬ。
ではどうしたら良いか。
その方法の一つが
私が日々実践している
心の鍛え方だ。
それは、
つい数秒前の過去から
遠い今までの人生を
振り返ってみる。
乗ろうとした
エレベーターの扉が
閉まりかけた、
すると見ず知らずの人が
「どうぞ」と開けてくれた。
学生時代に友達が
かけてくれた優しい言葉など。
多くある。
どれほど自分は
これまで多くの人に
支えられてきたことだろう。
そこには感謝しかない。
「ありがたいな」
心が清められ、
目の前の世界が広がり、
しんと心が鎮まってくる。
その方向に
心が動いた瞬間から
執着は
何処かへ消え去っている。
これを心の鍛錬という。
日々繰り返し行うことだ。
道場長 拝
" 十年一区切り必死の二年という "
物事が成功するには、
また
何かを習得するには
十年が必要だ。
しかし、
ただ十年あれば
いいのではない。
その間、
寝食を忘れた
必死の二年がなければ
物事は成就しない。
必死とは
一生懸命に力を尽くすこと
であり、
一生懸命とは
命がけで物事をするさま
である。
道場長 拝
" 身体は老いても心は老いない "
歳を重ねると
身体の老化は
それなりに致し方ない。
若い頃のような
動きは出来ない。
従って、
ウォーキングや
ストレッチなどで
関節可動域を広げるとともに、
適度に運動して
日常生活に支障をきたさないように
することである。
それに対して、
心は
何歳になっても
鍛えることが出来る。
若い頃より
遥かに柔軟に強く
若々しくなれるのだ。
制限がある身体の法則と
いつでもどこでも
飛び回れる心の法則を
よく理解し、
その異なる性質の両方が
一致するところが
臍(へそ)のずーと下にある。
いくら力んでも一切、
力の入らないところ。
それが臍下の一点(せいかのいってん)だ。
日常において
全ての動作の中心とし、
物事も頭で考えず、
臍下の一点で受け止め、
そこに思考が
無限小に鎮まってゆく。
それが心を鍛える
一つの方法である。
道場長 拝
" 身体の故障や病は天地からの貴重なお便りだ "
身体の故障や病は
間違った
心身の使い方や
食事のあり方、
生活習慣を
省みて
正しい生き方をしなさい。
という
天地が届けてくれた
あなたの
間違った
生き方への
大切なお便りだ。
その大切なお便りは
捨てたり、
破いたり、
何処かに
しまっておくものではなく、
まず熟読することだ。
読んで学んで
感謝して
改めてこそ、
人として
真の
正しい生き方を
天地から
教えてもらえる。
道場長 拝
" 靖國の桜を後世に残そう "
毎年四月に行われる
千代田のさくらまつりでは、
国内外からの多くの人で賑わい、
美しい桜に心を打たれる。
暖冬は桜開花に
影響があるのか知らないが、
今年の開花時期が
氣になるところだ。
私にとって
千代田のさくらまつりは
一年で一番楽しみにしている行事だ。
それほどまで
人の心に感動を与える
都内有数の桜の名所として
多くの参拝者が親しむ
靖國神社の多くの桜が
倒木の危機にあるというのだ。
衰弱の主な原因は
寿命を超える樹齢、猛暑、
また多くの人の踏圧による土壌などらしい。
今の境内林としての役割を
維持し続けるためには、
「世代交代」を
進めていくことが
不可欠とのこと。
世代交代には少なくとも
十年以上はかかる管理が
必要不可欠のようだ。
靖國の桜といえば、
先の大戦で散華された
英霊の方々が
「靖國の桜となってまた会おう」と
再会を誓った特別な想いが
込められており、
我々を見守って下さっている。
また、境内に咲くソメイヨシノは
東京管区気象台が指定した
開花・満開を観測する対象の
標本木もある。
この平和への願いが込められた
「靖國の桜」を守る。
減衰する樹々を手入れし
次代へ繋ぐプロジェクトとして、
ここに「靖國神社の桜を守る」
クラウドファンディングが
実施されている。
わが国が誇る
この特別な桜を
後世に残すことが、
今を生きる
我々の責務の一つでは
ないだろうか。
道場長 拝