2024-02-08 06:35:00

" 不言実行 だまってやれ "

不安や不満、

 

愚痴や弱音を吐いて、

 

 

 

それが良くなったことを、

 

未だかつて

 

見たことも

 

聞いたこともない。

 

 

 

 

 

口にするほど

 

事は悪い方向に向くのは、

 

悪魔が喜ぶからだ。

 

 

 

 

 

今やるべきことを

 

その瞬間、瞬間

 

必死でやれ。

 

 

 

 

 

今日が

 

人生最後の日だと

 

思って

 

一生懸命だまってやれ。

 

 

 

 

 

人間は

 

一生懸命になれば、

 

これまでの

 

不安や弱氣など、

 

寄ってきた悪魔も

 

何処かへ

 

吹っ飛んでしまう。

 

 

 

 

 

氣を出すとは

 

そういうことだよ。

 

 

 

 

道場長 拝

2024-02-07 06:39:00

" 将らず、迎えず、応じて蔵めず "

「おくらずむかえずおうじておさめず」

 

 

 

過ぎ去ったことを

 

くよくよせず、

 

 

 

自ら困難を迎えに行くような

 

先のことを取り越し苦労せず、

 

 

 

事が起きれば

 

その都度対処して、

 

 

 

そのことを

 

いつまでも心に置かない

 

煩わされないこと。

 

 

 

 

 

取り越し苦労ほど

 

空費で馬鹿げたことはなく、

 

過去をいくら氣にしても

 

過去には戻れない。

 

 

 

 

 

まさに

 

合氣道の技の稽古が

 

これである。

 

 

 

 

道場長 拝

2024-02-06 06:54:00

" 陰にいて護ってくれる存在をお陰様という "

私達の生活は

多くのお陰様で

成り立っています。

 

日々たくさんの

お陰様という存在に

護られて

私達は今日も生きていける。

 

お陰様とは

ご先祖様、先人、神仏、

天地大自然はもとより、

たくさんの人々のこと。

 

食べることも、寝ることも、

家族のだんらんも、買い物も、

仕事も、勉強ができることも

 

日々の当たり前には

多くのお陰様があることを

忘れてはいけない。

 

 

道場長 拝

2024-02-05 07:31:00

" まわりへの思いやりの心が自然治癒力の向上にもつながる "

家庭、学校、職場、地域には

「場の氣」は必ず存在する。

 

森羅万象、

天地大自然の場の力、

いわゆる氣である。

 

人はその場の氣の

影響を受けて生きています。

 

 

従って、

その場の氣が

プラスの氣として

強くその地域に流れているなら、

それが自然治癒力にも

影響を与えます。

 

 

もし、そこに

マイナスの氣が流れているなら

私達はそのマイナスの

氣の影響を受けて

生きていることになるのです。

 

 

そう考えると、

まずは自分が

まわりの人への

思いやりの心を持って

接していくことで、

 

その学校や職場、

地域にプラスの氣が流れ、

やがて一人が二人、

二人が五人と

多くの人の

思いやりの心が増えれば、

より強いプラスの氣となる。

 

 

結果的に

家庭、学校、職場、地域も

平和で健やかになり、

自分も健康になれるのだ。

 

 

 

道場長 拝

2024-02-02 06:42:00

" 自分でまいた種は自分が刈り取ることになる "

なんでも人のせい。

うまくいかなかったのは

周りのせい。

 

自分がこうなったのは

人のせい。

 

怪我も病も

心身の不調も全て、

自分がこうなったのは

あの人のせいだ。

 

 

そのような人に

効く薬は世の中には

ありませぬ。

 

 

自分以外のものの

せいにして、

納得するのは簡単だ。

 

 

でもそれは

何故そうなったか?

 

今自分にできることは

何かを考え、

前進するチャンスを

自ら放棄しているともいえる。

 

 

全ては

自分の言動が

呼び寄せたことであり、

自分がまいた種。

 

当然

自分が刈り取ることになる。

 

 

自分の責任である。

 

 

猛省し、考え方、

言動、生活習慣等を

改善しなければ、

より悪くなることは

自明の理である。

 

 

こういう人は

病も決して治らない。

 

また物事も

うまく運ばないことを

そういう人から学んだ。

 

 

有り難いことに

私の人生において

大変貴重な

学びでありました。

 

 

 

道場長 拝