" 人は甘えると失礼千万になる "
「しつれいせんばん」
人は
甘えがでると、
この上なく
礼儀を欠き
無礼になる。
甘えや
思い上がりが
氣が緩む
原因となる。
その氣の
緩みが
自らの
言動となり表れる。
自分は
そうなっては
いないか?
常に
確認することが
肝要で
ありまする。
道場長 拝
" 人生は糾える縄のごとし "
「じんせいはあざなえるなわのごとし」
人生は、
良いことも
悪いことも
表裏一体。
何が
不幸の元となり、
何が
幸福をもたらすか、
わからない。
起こったことに
いちいち
一喜一憂せず、
油断も
悲観も
することなかれ。
道場長 拝
" 舌の剣は命を断つ "
「したのつるぎはいのちをたつ」
舌は
剣のように
鋭い武器にもなる。
言葉は
慎重に
扱わねばいけない。
不注意な
発言が
相手を
傷付けたり、
軽率な
発言によって、
自身の
命を脅かされることさえある。
また、
自分の
立場を
悪くしたりもする。
上ずった
心の状態が
不注意な
発言に繋がる。
常に
心を
臍下の一点に
静めて、
発言しなければいけない。
道場長 拝
" 脚下照顧 "
「きゃっかしょうこ」
足元をよく見てご覧なさい。
転じて、
「履物を揃えましょう」
ということに
よく使われる言葉です。
足元に注意するとは、
他人の足元はよく見えるが、
自分の足元は
なかなか
見えないということである。
脚下とは
自分の足元のこと。
つまり
「脚下照顧」とは、
自分の足元を
顧みること。
自分の姿や
心のありようを
振り返り、
自分の立場を
よく見極めて
事に当たれということである。
日々、
忙しく
慌ただしく
生きていく中で、
時間も
あっという間に過ぎ去る。
静かに
自分を見つめ直すことも
あまりない。
従って、
自分のことは
分かりにくいものです。
他人のことを
論じたり、
批判をする前に、
まず
己を見つめなくてはいけない。
あなたが
凡人ではないなら、
より
己を磨こうとするなら、
より
自分の足元を
おろそかにしてはならない。
道場だけが
修行の場ではありません。
あなたの
日常生活こそが
修行の場です。
どんなに
忙しくとも
履物を揃えるぐらいの
心にゆとりを持ちましょう。
日常、
事あるごとに
呼吸法をして、
心が静まり、
心にゆとりが出来れば、
自分の姿を
見つめ直す時間も
持てるのではないでしょうか。
まず、
自分の
履物を正すことが
出来るようになってから、
他人の
履物の乱れも
正してあげましょう。
道場長 拝
道場長 拝
" やってくるものが氣にいらなければ、自分のありようを変えろ "
プラスの氣を
出してばかりいる人は
プラスの氣を
引き寄せる。
マイナスの氣を
出してばかりいる人は
マイナスの氣を
引き寄せる。
努力を続ける人は
努力を引き寄せる。
悩んでばかりいる人は
悩みを引き寄せる。
自分の行いと
同じものを引き寄せる。
人は誰もが
強力な磁石。
やってくるものが
氣に入らなければ、
自分のありようを
変えれば良い。
道場長 拝