" お互いにの愚かさ"
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『おたがいに の おろかさ』
お互いに
力を合わせて
がんばりましょう。
私は
" がんばる " という
言葉は使わないが、
まぁ、
世間では
よく使われる言葉だ。
今朝は
「お互いに」という
言葉について、
少し考えてみたいと思います。
お互いに
しっかりやりましょう。
「お互いに」
よくお互いにという。
お互いに
両者、両方から
歩み寄り
お互いに助け合う。
とても
きれいで、
社会の理想のような
姿ではあるが、
そこに矛盾は
ないだろうか。
お互いに歩み寄る、
その両者、両方が
お互いに歩み寄ることを
待つという、
愚かさを考えたことが
あるだろうか。
歩み寄りを待つより、
自ら歩み寄るほうが
正しいのではないだろうか。
私は毎朝、
豆乳かコーヒーを飲む。
今朝もこの執筆作業を
しながら、
コーヒーを飲んでいる。
もう何十年も使っている、
とても愛着のある
青いマグカップで
コーヒーを飲んでいる。
しかし、
今朝も、
これまでの何十年間も
そのマグカップの方から
歩み寄ってくれた
ことは一度もない。
いつも
私の方から
マグカップに手を近づける。
そして、握る、持つ。
そこでようやく、
美味しいコーヒーを
いただけるのである。
いつも
私の方から
手を伸ばす一方だ。
その後に
マグカップを
自由に使うことが
できるのだ。
自分とマグカップ、
この両者の間では
いまだかつて、
1ミリの歩み寄りも
一度もない。
待っていても
相手は寄っては
来てくれないのだ。
18回行った
インドネシア、バリ島も
私の方から
近づいたから、
サーフィンも
ウブドの景色も、
ケチャダンスも見れ、
ナシゴレンも食べ、
ビンタンも飲めたのである。
いつも
私の方から
歩み寄ったからだ。
待っていては、
自ら歩み寄らなければ、
いくら行きたくても、
あこがれても、
バリ島のほうから
近寄ってはくれない。
たとえ、
1キロでも距離が
近づくことは
絶対にないのだ。
これを教訓に、
しなければ
いけないのでは
ないだろうか。
私達に起こる
不幸も、
災難も、
困難も、
怪我も、
病も、
すべて、
先方から
やってくるのではない。
全部、
自分から
近寄っていくのだ。
必ず、
近寄るのは
自分自身である。
その両者、
両方を
結ぶのが、
縁である。
いつも
肝に銘じて
おかねばいけない。
天地大自然の
絶対的法則である。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝