" 願い事よりも大切なこと "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 春分・末候
七十二候
雷乃発声 かみなりすなわちこえをはっす
第十二候
「春分」は、次候から末候へと移りました。
「雷乃発声」は春分末候にあたり、3月30日~4月3日ごろに相当します。
意味は、春の雷が鳴り始める頃とされています。
今日のお題
『ねがい ごと より も たいせつ な こと』
神仏を拝む行為を信仰だと
捉える人は多いかもしれません。
神社仏閣に参拝するのは、
何かお願い事をしたいから。
叶えたいことがあるから、
神さまや仏さまに
「どうか、この願いが叶えられますように」
と手を合わせる。
しかし、
本当に大切なのは、
" お願いする " という行為よりも、
「自然と拝まずにはいられない」という心を育むことではないでしょうか。
日々の生活の中で、
天地の恵みを深く味わい、
その恩恵を強く感じること。
その感謝の氣持ちが
自然と「合掌」という形になり、
拝まずにはいられない心へと
繋がっていくと思うのです。
「この病が良くなりますように」だとか、
「商売が繁盛しますように」
「受験が合格しますように」
「子どもの病が治りますように」と拝む。
" 困ったときの神頼み " という言葉がある。
苦しいときに神仏に助けを求める。
順調なときは
神仏に手も合わせないような人が
自分の都合の良い時だけ神仏にすがる。
だいたい、
病も商売繁盛も合格も
日頃の自分の行いでしかないのです。
私は神社仏閣へ参拝するとき、
今もこうして生かされていることに感謝して、
「本日はお導きくださり、ありがとうございます」と手を合わせる。
「本日はありがとうございます」
「感謝いたします」
私はそれ以外、心に思わない。
ただ感謝の念を神仏に捧げるだけ。
大願成就 ( たいがんじょうじゅ ) を
望む合掌よりも、
感謝の氣持ちを育むこと。
私は、それこそが
「信仰の本質」ではないかと思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝