2025-04-02 03:28:00

" 願い事よりも大切なこと "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

 

 

本日は、

二十四節氣 春分・末候

 

七十二候 

雷乃発声 かみなりすなわちこえをはっす

 

第十二候

「春分」は、次候から末候へと移りました。

「雷乃発声」は春分末候にあたり、3月30日~4月3日ごろに相当します。

 

意味は、春の雷が鳴り始める頃とされています。

 

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 

『ねがい ごと より も たいせつ な こと』

 

 

 

 

神仏を拝む行為を信仰だと

捉える人は多いかもしれません。

 

 

神社仏閣に参拝するのは、

何かお願い事をしたいから。

 

 

叶えたいことがあるから、

神さまや仏さまに

「どうか、この願いが叶えられますように」

と手を合わせる。

 

 

 

 

しかし、

本当に大切なのは、

" お願いする " という行為よりも、

「自然と拝まずにはいられない」という心を育むことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

日々の生活の中で、

天地の恵みを深く味わい、

その恩恵を強く感じること。

 

 

 

その感謝の氣持ちが

自然と「合掌」という形になり、

拝まずにはいられない心へと

繋がっていくと思うのです。

 

 

 

 

「この病が良くなりますように」だとか、

「商売が繁盛しますように」

「受験が合格しますように」

「子どもの病が治りますように」と拝む。

 

 

 

" 困ったときの神頼み " という言葉がある。

 

 

 

苦しいときに神仏に助けを求める。

 

 

 

順調なときは

神仏に手も合わせないような人が

自分の都合の良い時だけ神仏にすがる。

 

 

 

 

だいたい、

病も商売繁盛も合格も

日頃の自分の行いでしかないのです。

 

 

 

 

 

私は神社仏閣へ参拝するとき、

今もこうして生かされていることに感謝して、

 

「本日はお導きくださり、ありがとうございます」と手を合わせる。

 

 

 

 

「本日はありがとうございます」

「感謝いたします」

私はそれ以外、心に思わない。

ただ感謝の念を神仏に捧げるだけ。

 

 

 

 

大願成就 ( たいがんじょうじゅ ) を

望む合掌よりも、

感謝の氣持ちを育むこと。

 

 

 

私は、それこそが

「信仰の本質」ではないかと思うのです。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝