" 武士の矜持が交差する歴史の道へ。港区高輪【柘榴坂】編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は二十四節氣
秋分【しゅうぶん】末候
七十二候
第四十八候 水始涸【みずはじめてかる】
十月三日~七日ごろ。
田んぼの水を抜き秋の実りを迎える準備を始めるころ。
本日の “ 道場長の一日一心 ”
『ぶし の きょうじ が こうさ する れきし の みち へ。みなとく たかなわ【ざくろざか】へん』
合氣道琴心館寺崎道場には
もう一つの会として、
「江戸時代から続く由緒ある坂道巡り同好会」
がございます。
発足した当初は、
私と江戸の坂道をこよなく愛する
「つぶらやひとみ」さんの二名でした。
しかし今年の一月、
一名のお弟子さんが
正式に入会してくれたことで
ついに江戸の坂道同好会は
生粋の江戸女子二名と私の三名となりました。
今年の夏の東京出張でも
「江戸の坂道巡り」の新たな一ページとして
港区高輪に残る、
由緒ある東京の坂道を歩いてまいりました。
前回の港区高輪四丁目にある
「まぼろし坂」のエントリーはコチラ 。
港区高輪周辺には、
伊皿子坂、聖坂、天神坂、洞坂、桂坂、
いちょう坂など
実に多くの由緒ある坂道が点在しております。
その中で、私たちが次に巡ったのは、
高輪三丁目と四丁目の境界にあり
再開発で変貌していく
JR品川駅高輪口の正面へと下っていく、
「柘榴坂(ざくろざか)」でございます。
港区女子つぶらやひとみさんの
説明によると、
この「柘榴坂」は江戸時代、
北側に薩摩藩島津家の下屋敷、
南側に久留米藩有馬家の下屋敷と
広大な大名屋敷に挟まれた
威風堂々たる道だったそうです。
坂名の由来は定かではないらしいのですが、
かつて柘榴(ざくろ)の木があったことが
この美しい名前の由来ではないか
とも言われております。
現代では真っ直ぐな
天にも昇るような直線ですが、
江戸時代には防衛のために、
カギ形に折れ曲がった坂だったそうです。
この柘榴坂は、
浅田次郎氏の小説であり映画化もされた、
『柘榴坂の仇討』の
舞台としても知られています。
主君・井伊直弼 (いいなおすけ) を
桜田門外で失い、
明治の世になっても
仇を討つという
武士の矜持を捨てきれなかった男。
彼が、ついにこの雪降る柘榴坂の上で
仇敵(きゅうてき)と対峙し、
激しく刀を交えます。
この先、
彼らがどのような答えを出すのか?
映画や小説の結末については、
これから作品に
触れる方の楽しみを奪わぬよう
ここでは語りません。
ただ、武士たちが
命を懸けて守ろうとした過去の遺恨と、
新しい時代の波との間で
揺れ動く凄まじい葛藤には、
深く考えさせられるものがございます。
合氣道において、
最も大切なものの一つが「感性」です。
目に見える動き以上に
その奥にある「見えない流れ」や「氣配」を
察知することが重要でございます。
相手と力で争うのではなく、
争いの心を鎮め
自他の氣を結び、和合へと導く。
柘榴坂の雪の中で
対峙した二人の武士。
彼らの根底にも、
こうした
「争いを越えた先にあるもの」への
切実な問いがあったのかもしれません。
そう考えますと、
この坂はまさに合氣道が目指す
「争わない・和合の精神」について
深く思索するにふさわしい場所だと感じました。
表面がアスファルトに変わった
現代であっても、
足裏から伝わる大地の起伏そのものは
江戸の昔から変わっていないであろうと
深く古(いにしえ)を感じ入ります。
形は変われども
そこに宿る精神は変わらない。
日常の中にある古の痕跡から
これほどまでに深い学びを得られることに、
心から感謝いたします。
新しい仲間も加わり、
私たちの江戸時代から続く
由緒ある東京の坂道巡りはまだまだ続きます。
過去の坂巡りのエントリーはコチラから
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合氣道琴心館寺崎道場での日々の稽古は、
ただ相手を制する術を身につけるためでは
ございません。
私たちが大切にしているのは、
過去の出来事や相手との関わりの中で
争いの心を鎮め、共に和合へと向かう
豊かな生き方を探究していくことです。
日々の生活に活きる氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
心穏やかに日々を歩むヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝