2026-02-26 03:16:00

" 狂歌師でもあった名主の軌跡。粋な江戸人の氣に触れる【左内坂】編 "

​今朝目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

 

本日は、二十四節氣

雨水(うすい)次候

 

七十二候

第五候 霞始靆(かすみはじめてたなびく)

2月24日~28日ごろ。

 

春霞のため、

遠くの山や景色がほのかに現れては消え、

幻想的な情景をつくります。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

​『 ​​​​きょうかし でも あった みょうしゅ の きせき。いき な えどじん の き に ふれる【さないざか】へん  』

 

 

 

 

 

2月19日のブログ、

江戸時代から続く由緒ある坂道巡り。

 

​港区の「安全寺坂」をもって、

​江戸の南の防衛ラインの巡りを

​一区切りとしたお話でした。

 

エントリーはこちら

 

その続きです。

 

 

 

 

私たちは港区を後にし、

​江戸の中枢へと近づくべく

 

​新宿区、千代田区エリアへと

​歩みを進めました。

 

 

 

​実は、この日

1月7日の午後には

​大きな目的がありました。

 

 

それは、

新宿区市谷にある防衛省の

 

​「市ヶ谷地区見学(大本営地下壕跡)」ツアーに

​参加すること。

 

 

予約がなかなか取れないことで

​有名なこのツアーですが、

 

​今回は運良く、

​予約を取ることができたのです。

 

 

 

​この市ヶ谷見学での

​重厚で貴重な体験については、

 

​また後日、

じっくりと

​別記事にまとめたいと思います。

 

 

 

話を戻しましょう。

 

 

 

午後の見学の時間を待つ間、

​私は市ヶ谷周辺に残る、

 

​江戸時代から続く由緒ある坂道を

​いくつか巡ることにしました。

 

 

 

​六本木一丁目駅から

東京メトロ南北線に乗り、

 

​降り立ったのは、

市ヶ谷駅。

 

 

 

​地上へ出ると、

目の前には

江戸城の外濠(そとぼり)の

​風景が広がっています。

 

 

市谷見附 (いちがやみつけ) の

交差点から

 

外濠通りを少し歩いて

​西側へと路地に入ると……。

 

 

 

​そこから高台へと

一氣に駆け上がる、

 

​かなり勾配のきつい

坂道が

​現れました。

 

 

 

​その中から

今日のブログは、

「左内坂(さないざか)」

お話です。

 

 

 

 

路面には

​丸い車の滑り止めが

施されており、

 

​その急峻 (きゅうしゅん) さを

物語っています。

 

 

 

この坂は、

​江戸時代初期に

 

​周辺の土地とともに

開発されました。

 

 

 

 

「左内坂」

その名の由来は、

 

​この地を切り拓いた名主、

「島田左内(しまださない)」

ちなみます。

 

 

 

 

島田左内は

江戸時代中期の

「狂歌師 (きょうかし) 」

でもありました。

 

 

 

 

狂歌師とは、

江戸時代に流行した

 

「狂歌(きょうか)」という

ジャンルの歌を作り、

楽しんでいた人たちのことです。

 

 

日本の伝統的な和歌

(五・七・五・七・七)などの

ルールを使いながら、

 

わざと「ふざけた内容」

「社会への皮肉(風刺)」

「ダジャレ」などを詠んだ、

ユーモアたっぷりの歌のことです。

 

 

 

 

狂歌のコミュニティ(連)の中では、

武士も町人も身分に関係なく、

 

狂名で呼び合い、

対等に歌のセンスを

競って楽しんでいたそうです。

 

 

 

 

​つまり狂歌師とは、

 

「高い教養を持ちながら、

あえて言葉遊びや

ギャグで世の中を笑わせた、

江戸時代の粋な

インフルエンサー(クリエイター)」

 

のような存在だったと

言えるかもしれませんね。

 

 

 

「左内坂」

名前の由来となった

 

島田左内

本名、島田友直(1724年~1784年)は、

 

代々名主を務めた

家系ですが、

 

8代目の

通称、島田左内は

 

「酒上熟寝(さけのうえのすぐね/じゅくね)」という

 

狂名を持つ

狂歌師として知られていました。

 

 

 

このように狂歌師たちは、

本名とは別に

「狂名(きょうみょう)」という

ペンネームを名乗って

活動していました。

 

 

島田左内の

「酒上熟寝(さけのうえのすぐね)」も、

 

「酒の上の空寝(酔ったふりをして寝ること)」を

もじった

ダジャレネームなのですね。

 

 

大田南畝 (おおたなんぽ )

狂歌名、四方赤良(よものあから)らとも

 

親交があり、

酒好きで知られていましたが、

 

晩年は禁酒して

「瓢空酒(ひさごのからざけ)」と

号を改めたそうです。

 

 

 

 

​島田家はその後、

​明治時代に至るまで名主を務め、

 

​代々「島田左内」を名乗って

​この地を治めたそうです。

 

 

 

​一介の名主が、

​この一帯、

「市谷田町」周辺を切り拓き、

​町屋を形成していく。

 

 

 

そこには、

​どれほどの情熱と

 

​途方もない

労力があったのでしょうか。

 

 

 

合氣道において、

「感性」を研ぎ澄ますことは

​非常に大切です。

 

 

 

​古(いにしえ)の道を

歩くとき、

 

​私はそこから

​「何を感じるか」ということに

「氣」を向けます。

 

 

 

 

​足裏から

ダイレクトに伝わる

 

​高台へと駆け上がる

この大地の傾斜。

 

 

 

​外濠の低地から、

​かつて武家屋敷が

立ち並んだ

 

​山の手の高台へと

抜けるときの、

​「氣」の変化。

 

 

 

 

​そして何より、

​数百年前にこの土地を

​切り拓こうとした人々の、

 

​力強い

「意志」と「息遣い」。

 

 

 

 

​目には見えない

 

​その場の「氣」や

「歴史の残心」を

 

​肌で

感じ取ること。

 

 

 

この日常における

​感性の練磨こそが、

 

​道場での相手との氣の結びや、

​稽古をさらに深いものへと

​導いてくれるのです。

 

 

 

場に宿る「氣」を感じながら、

​「左内坂」を上り切ったとき。

 

 

 

私の呼吸は、

​江戸の人々と

 

​少しだけシンクロしたような

​そんな氣がしました。

 

 

 

さて、

​次なる古との対話は…

 

 

 

​古の江戸を歩く旅、

​まだまだ続きます。

 

 

 

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝