" 「八紘一宇」に込められた本当の願い。市谷亀岡八幡宮で氣を感じる【男坂・女坂】編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週もよろしくお願いします。
本日は、二十四節氣
雨水(うすい)末候
七十二候
第六候 草木萠動(そうもくめばえいずる)
3月1日~4日ごろ。
やさしく照らす太陽のもと、
春の雨が草木を芽吹かせ、薄緑に色づくころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 はっこういちう に こめられ た ほんとう の ねがい。いちがやかめがおかはちまんぐう で き を かんじる【おとこざか・おんなざか】へん 』
2月26日のブログでは、
防衛省の
「市ヶ谷地区見学」を待つ間、
市谷周辺の
江戸の坂道巡りに出発し、
狂歌師・島田左内の
息遣いを感じる
「左内坂」を
上りきったところまで
お話ししました。
「左内坂」のエントリーは こちら から。
左内坂の急勾配で
江戸の人々と少しだけ
呼吸をシンクロさせた私は、
次なる古(いにしえ)の地へと
歩みを進めました。
外濠通り沿いに
見えてくるのが、
深い緑に包まれた
「市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)」です。
室町時代後期の武将、
太田道灌 (おおたどうかん) が
江戸城の西の守護として
鎌倉の鶴岡八幡宮を
勧請(かんじょう)したのが
始まりとされる、
大変由緒ある神社です。
鶴岡 (鶴) に対して、
亀岡 (亀) と
名付けられたそうです。
鳥居をくぐると、
目の前には
高台の境内へと続く
立派な石段が現れます。
ここが今回の主題である
「男坂(おとこざか)」と
「女坂(おんなざか)」です。
神社や寺院の
石段には、
まっすぐで
急勾配な「男坂」と、
少し迂回しながら
緩やかに上る「女坂」が
並行して造られていることが
よくあります。
ここ市谷亀岡八幡宮でも、
正面にそびえる
急な石段が「男坂」。
その脇から、
比較的緩やかに
境内へと
導いてくれるのが「女坂」です。
その時の
自分の体調や、
心の状態
(氣の持ちよう)に合わせて
上る道を選ぶのも、
歴史歩きの楽しさの一つですね。
そして、
この石段を上りきった境内で、
私にとって
非常に感慨深い
ある石碑との
出会いがありました。
それが、
「八紘一宇(はっこういちう)」
と刻まれた石碑です。
「八紘一宇」という言葉。
戦後、
この言葉はGHQ
(連合国軍最高司令官総司令部)によって、
「軍国主義・超国家主義を
象徴するスローガンである」として、
公の場での
使用を禁止されました。
そのため、
現代においても
どこかタブー視されたり、
再び戦争を起こすかのような
ネガティブな印象を
持たれたりすることが
あるかもしれません。
しかし、
私は全くそうは思いません。
なぜなら、
この「八紘一宇」の
本当の意味を知ると、
全く違う景色が
見えてくるからです。
この言葉のルーツは
『日本書紀』に記された、
初代・神武天皇が
即位される際の
建国の詔(みことのり)
「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」
というお言葉にあります。
「八紘」は
天地の八方向、
つまり世界中を指し、
「宇」は
一つの家を意味します。
つまり、
「世界中の人々が、
まるで一つの家族のように
睦 (むつ) み合い、
仲良く暮らせる
平和な世界にしよう」
という、
壮大で美しい願いなのです。
決して
他国を侵略するだとか、
軍国主義の
言葉などではないと私は思います。
私たち
日本人の根底に
古くから流れる、
「和(調和)」を重んじる
美しい精神そのものだと、
私は思っています。
急峻 (きゅうしゅん) な
「男坂」を
一氣に
上り切ったときの
天地と繋がるような
深い呼吸。
「女坂」の緩やかな
カーブに込められた、
人々への
優しさと思いやり。
そして、
境内に威風堂々とした
「八紘一宇」の
石碑の前に立ったとき。
そこには、
戦火の時代を越えて
「世界がひとつの家族のように平和であってほしい」
と願った、
先人たちの
切なる祈りの「氣」が
確かに
残されていました。
歴史の残心に触れ、
目に見えない「氣」を感じ取る。
この感性の
練磨こそが、
合氣道における
「争わない・和合の精神」を
より深く
理解することに繋がるのです。
私たちの
古の江戸を歩く旅、
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝