" たかが隣人、されど他生の縁 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立秋【りっしゅう】末候
七十二候
第三十九候 【蒙霧升降】ふかききりまとう
「蒙霧升降」は8月17日~8月22日ころ。
深い霧がまとわりつくように立ち込める
季節の情景を表しており、
暑さの中にひそむ秋の氣配を繊細に
感じさせてくれる言葉です。
しかし、
まだまだ涼しい風は吹きそうもないですね。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 たかが りんじん、されど たしょう の えん 』
「袖すり合うも他生の縁」
私はこの " ことわざ " が大好きです。
特に「多少」ではなく
「他生」であるところに、深い意味を感じます。
仏教でいう「他生」とは、
現在から見た「過去」や「未来」のこと。
道を歩いていて
袖が触れ合うような些細な出来事も、
実は「過去」から決まっていた
「縁」なのだと教えてくれます。
今年の夏、8/1~8/17まで
私は合氣道の集中稽古のため、
前半の約1週間を
神戸と東京を新幹線で何度も往復しました。
夏休みやお盆期間だったこともあり、
車内は常にほぼ満席で、
隣には必ず誰かが座っていました。
新大阪ー東京間は年中混んでいます。
時折、隣に誰もいないこともありますが、
新幹線では在来線よりも長い時間、
隣人と席を共にすることになります。
少し前のこのエントリーでも書いた通り、
様々な隣人がいる中で、
ある日、
妙に心が落ち着く女性が隣に座っていました。
別に会話を交わしたわけではありません。
新幹線ひかりが
東京駅を発車してしばらくすると、
その女性はテーブルにお弁当を置き、
静かに両手を合わせて
「いただきます」とつぶやきました。
私も食事の前に同じことをします。
これはごく当たり前のことだと思っています。
しかし、
スマホを見ながら食事をし、
食材や作ってくれた人への感謝を
忘れている人があまりにも多い現代において、
その女性のその当たり前の仕草は、
私の心をホッと和ませてくれました。
こんなにも心が安らぐ隣人は初めてでした。
言葉を交わさなくても、
その存在から感じられる静けさや丁寧さ。
佇まい。
どこか特別なものを感じました。
僭越ながら、不肖私はその道のプロです。
それは「氣」、「氣配」を感じ取る
プロということです。
何も
「見えない」、「聞こえない」、
「匂わない」ところから
何かを「感じ取る」ということ。
私はそれを仕事としている合氣道師範です。
しかし、
なぜ、これほどまでに心が和んだのでしょうか。
こんな経験ははじめてです。
この一瞬の出会いには
どんな意味があったのでしょうか。
お天道さま、教えてください。
でも、
ただ、ひとつ確かなことは、
「袖すり合うも他生の縁」
このことわざ通り、
私たちは過去から、
そして未来へと続くどこかで、
深い「ご縁」のある人なのでしょう。
未来のどこかで
再びこの「縁」を結び直すのかもしれません。
もし " 輪廻転生 " が本当にあるのなら、
私たちは「過去」のどこかで
何らかの「縁」を結んでいたのかもしれません。
その女性は岐阜羽島駅で新幹線を降りました。
その後ろ姿は、夏らしい大小の花火模様が
散りばめられたワンピース姿でした。
私たちは
もう二度と会うことはないかもしれません。
しかし、
私は心の中で
「隣に乗ってくれてありがとう」と
感謝の念を送りました。
この思いが、その女性に届いただろうか?
いや、きっと届いているだろう。
ありがとう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝